*ブログの読まれているランクの最後にこの記事があって、何だろう…(すでに忘れている)と思って読み直しました。ゲー、キャー、恥ずかしい…と思ったものの、311後の怒濤の日々と覚悟を思い出して、なんだか懐かしくなりました。海くん(もはや小さくなく巨人に成長した)もきっと恥ずかしいだろうなあと思ったものの、彼にはいつの間にか色々伝わっているのだなあと思う今日このごろです。ちなみに、大学辞めたのは「辞めさせられた」んでは勿論なくって、自分で考えて「NEXT」に行こうと思ったからです。そして、今その決断をしたあの時の自分にとっても感謝しています〜。(2016年12月21日)
先週、いや10か月前、2011年度が始まってから書きたかったこと、でも時間がなかったし、まだ授業が終わってなかったから。でも、明日記者会見するから、今日書いておかなければ。またしても、権力と闘うことになったから。
とはいえ、こちらはそんなたいそうなことをしているわけじゃなくって、「おかしいことをおかしい」といっているだけなんですが・・。2000年から農薬援助問題で政府と闘っていたときに、身辺でいろいろあったのですが、多分そのうちそういうことになるんで。 「アフリカ平和・紛争論」のレポートで日中戦争とアフリカ紛争における民衆動員をリサーチしてもらった理由は、まさにそれ。
普通の人が、徐々に、思っていることを口にできなくなっていく空気感。このプロセスに如実に関わる政府、警察、メディア、地域社会。ルワンダ虐殺との類似性についてはまた後日、レポートの評価と私の授業の反省とともに解説しますね。
で、今年私がいつになく「厳しい先生」であった理由を書こうと思います。ちょっと最後の授業でも言ったのですが、十分には話せなかったのです。出産&3・11以降、私はちょっとしたことでウルウルきてしまうので。明日早いのですが、今夜書かないと後悔しそうなので書いておきます。
3・11が起こって、人々が波に流され、原発が爆発しているのをテレビで観たとき、私はいつの間にか忘れていた「日常の儚さ」を想い出しました。アフリカの現実を目の当たりにして、阪神淡路大震災を経験して、分かっていたはずのことなのに、いつの間にかこの素晴らしい深大寺という地域社会とみんなみたいな学生に囲まれて、自分
の心持や努力で、幸せがいつまでも続くかもしれない・・・と当たり前に思うようになっていたと思います。
小さな幸せの積み重ねと、そのおすそ分けで、世界はもっとよくなるかも・・・と思い始めていた矢先の出来事でした。愛がすべてに打ち勝つような気がして、赦すこと、愛することに専念してきた数年でもありました。
かつて一緒に権力と闘った仲間たちが、次々に大臣や要職に就いていくのを見て、日本にも新しい時代が到来したのだ・・・と早合点したことも背景にあります。
日々の小さな幸せや愛の重要性・・・についての信念は今でも変わらないものの、3・11後、現実はもっとずっと厳しいものであることを思い知らされました。自分の身の回りを大切にする重要性は間違いないものの、そこにフォーカスして、全体状況に目配りせず、何もしないことの危険を思い知らされました。よく考えると、権力というものは「構造」なんだから、「個々人の想い」の集合体程度ではどうしようもないんですよね。
構造を構成している者は何もしなくても、構造そのもののメカニズムによって勝手に機能しています。でも、小さき者たちは、日々がんばらないと構造にチャレンジなどできやしないのです。(それでも不十分。あっちは自分の利益のためにやっていて、こっちは自分の利益を犠牲にしてやっていることが多く、要は続かない)。そして、主体がちょっとでも休憩すると、あっという間に構造によって潰される。
管さんのリーダシップには大変問題あったと思うし、今回の件では責任を逃れることはできないと思いますが、彼の退陣のプロセスはまさにそれを思い起こさせました。
以上から私は、すべてのことは有限で、さらなる覚悟が必要・・・と思ったのです。覚悟はいつもしてたけど、どこか「続く」前提でやってきたことを、「続かない」前提でやる必要があるな、と思ったわけです。つまり、何からの理由で私が皆さんにもう教えられなくなる可能性がある・・・という前提に立った時、何を最後にしておくべきか?・・・と考えたのでした。
「何らかの理由」には、また3・11のようなことが起こるとか、海くんのためにドイツに行ってしまうとか、私の甲状腺の病気が悪化するとか、大学を辞めさせられるとか、なんでも想定でき、またそれらは3・11前にもあったことですが、よりリアルに差し迫ったこととして対応すべき・・・と思ったのです。まあ、私が突然いなくなっても、皆はさほど困らないでしょうが。
私の勝手な想いとして、ここまではやっておきたい・・・と思った諸々のことがあったのです。ですので、いずれの授業も、「Last Lessons」として取り組んでみた1年でした。ただし、活動も再開したので、必ずしも、満足できるものにはならなかったのですが。
一番の狙いは、皆が自分で自分の、あるいは仲間と助け合いながら、クリティカル・シンキングを手にして、構造の強さと主体の限界に気づき、それについて何からの考えを持ち、何らかのアクションを自分でとる力を手にすること・・・でした。そこに、私はなるべく介入しない(なぜなら私はいつまでも皆のそばにいるわけではないかもしれないから)・・・ものの、皆が真剣に考えるために、時に厳しい問題設定を行う・・・それが目指したことでした。
だから、今年は皆さんに「甘え」を許さない先生だったかもしれません。でも、3・11を思い出してください。生き残った私たちとして、「生」を中途半端に送るのは、無念のうちに人生を閉じた多くの子どもや若者たち、それらの人を残していった親や先生たち・・・に失礼だと思ったのです。これは振り返ってみれば、説明しておけばよかったですね。あまりに説明が不足していたかもしれません。でも、こういう話を授業でするのも、なんですよね?
ただ、多分皆には伝わっていたのですね。すべてを説明する必要などないのかもしれません。いずれの授業でも、皆の思考も態度も大きく変わっていったことに気づきました。それは勿論私の「たくらみ」のせいではないでしょう。この3・11後の日本、世界、自分について、皆が一生懸命取り組んだ結果だと思います。ただ、シンクロできたことを嬉しく思います。
このブログで沢山のことを書いてきました。大学の先生がふつう書かないだろう、ということも沢山。これは、皆に人間の限界と可能性について、笑いものにしていいから気づいてほしいと思ったからです。最初から出来上がった人なんていなくて、一生人間というのは「カタマッタ自分」なんてありえないことについて、どこか頭の隅においておいてほしいと思っているからです。
そして、私に何かあったときに、いつか息子の海くんに、伝えきれなかった沢山のことを、このブログを通して知ってほしい・・・と思っているからです。私が、どれだけ彼のことを心の中心に置いてきたか、世界がどんなに理不尽か、でも自分を超えた愛の中に答えがあることについて、そしてその愛をつなげていくことの可能性を最後の最後まで信じること・・・まだ小さい彼に伝えきれないことを、いつか大きくなったときに読んで、考えてほしいと思うからです。このことについては、ゼミ生一同に託します。海くんを、どうぞよろしく。まあ、執念で長生きするつもりだ
けど。
私のこの覚悟が一時期ぶれたことがあって、それは皆が噂で聞いている時期のこと。脅迫事件があった時に、私は色々な事情で弱っていて、海くんもまだ小さくて、皆をお願いする代わりの先生もおらず(せっかく「アフリカ」なき外大で覚悟して私の所に来てくれた皆なのに)、そしてTICAD市民社会フォーラムを立ち上げたばかりでもあり、守るべべき・・・ものが沢山ありすぎて、闘えませんでした。
今から考えると、なんであたり前に闘わなかったのか・・・という想いもある一方で、それも含めて今の自分があるんだな、と納得。そして、もはや皆は「守るべき」人たちではないですね。お互いが切磋琢磨しあって、もはや私がいなくても学内でも、外でも、なんにも問題なし!(どころか、私が邪魔かも・・あるいは私が皆に守られているのかもね。)
最後に二つ書かせてください。歳をとること、親になるってことは素晴らしいことなんだってこと。それから、これからますます強まるだろう権力の圧力に対して、アフリカの人たち、世界の被抑圧者の人びとが手にしてきた知恵wisdomや決意から、必ず多くのことを学べるだろう・・・ということについて。
沢山のものを勧めることができるのですが、今夜はスティーブ・ビコの『俺は書きたいことを書く』を紹介します。訳者は、峯陽一さん。研究仲間であり、外大で人間の安全保障を毎年教えてくれていた先生であり、私の本の書評を書いてくれた方でもあります。
黒人意識運動の主唱者として心打つメッセージを発したビコは、77年南アの牢獄で拷問死した。だが彼の生と闘いは、南アの夜明けを暗示する。
http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-8805-8