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ドイツでのある一日から:生活に密着した「主権在民の具現化」と「社会関係資本」の日々実践の重要性

義母入院もあり休暇を取ってドイツにいます。来年中学生になる息子の進路(日本に帰るか否か)の話し合いも継続中。こちらは急速に秋。昨日は一日中寒空で過ごし、やっぱり風邪を。
ツイッターで書いた意見ですが、分散しているのでまとめ、写真をアップしてみました(ネットの調子が悪いので後でアップします)。

昨日は、ドイツの「主権在民」を自分で具現化するパワー(ピープル・パワー)を感じた1日でした。その根幹にあるのは、「新旧コミュニティ」の重要性、つまり「社会関係資本(ソーシャルキャピタル)」を自ら創り出す、あるいは継続させることの重要性です。昨日1日、子どもの行事に参加したことを基に、大学時代から日本で市民活動を21年やってきて思うところを書いてみます。

(1)マンモス公教育がダメと思ったら廃校を改装しシュタイナー学校を招致(保護者・教員がセルフビルド)
(2)村寄合いの場としてサッカークラブを全村で設置・維持(村人が少年試合ですら応援に)
(3)新興住宅地で地縁作りのため隣人祭り(オクトーバーフェス)

(1)子どもの通うシュタイナー学校のオープンスクールに参加して
シュタイナー教育(日本以外ではヴァルドルフ・シューレ)については
→http://altjp.net/classification/article/94(日本語)
→http://www.iaswece.org/index.aspx(英語/ドイツ語)
世界に1000校あり、ドイツでは公的な教育機関として認められています。

ドイツでも公立学校は問題が多いです。大人数の教育(といっても日本みたいに40人学級は当然ありませんが)、詰め込み方式、没個性教育…これらに問題を感じる大人たちが、あちこちでオープンさせているのがヴァルドルフ・シューレ(シュタイナー学校)です。
 子どもが通う学校は、村の少子高齢化で廃校になった古い校舎を譲り受け、保護者や教師、賛同者たちが自らの手でセルフビルドしたもの。そう聞くと、なんかボロ校舎をイメージしますが、素材は安くても自然素材を徹底。木、コルク、紙、自然塗料(アウロ社)。
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旧い校舎の上に、工作室(木工・裁縫・図工)を増設。木の壁は単なる巾木を貼っただけ。
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天井も断熱材を留めただけ。省けるところは省きます。とはいっても窓枠は断熱性の高い3重窓。機能重視。
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そしてエネルギーも自然エネルギーを中心に。この時天気が悪かったものの、屋根上の太陽光パネルが頑張っています。「見える化」して子どもにも環境教育。
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ドイツらしく機械も使いますが、「手仕事」を重視しているため、「糸をつむぐ・織る」などもします。
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何事も整理整頓なところがドイツ・・・。


(2)各コミュニティにあるサッカー・クラブ
「たかがサッカー、されどサッカー」
子どもがサッカーを始めるまで、サッカーが紡ぐコミュニティの結束についてまったく関心がありませんでした。けれど、地元の深大寺で子どもが地域のサッカークラブに入り(小学校のではなく)、年齢を越えた仲間意識、大人たちの飲み会などをみて、「束縛ではなく、応援したいからする新らしいタイプのコミュニティ」の可能性が見えてきた部分もありました。が、結局大人たちの仲間割れで終わってしまったのを残念に思っていました。おそらく、「新旧コミュニティ」が繋がっておらず、またそれらをうまく繋げるファシリテーターがいなかったせいだと思います。
 ドイツは地方分権化・衛星都市化(核となる地方都市が国中に散らばって同心円状に村々が囲む)があらゆるレベルで進んでおり、日本のように一極集中&長距離通勤は稀です。街中で働いていても、生活水準の高い(広さ・食べ物・安全・コミュニティ)村に暮らす家族が多いです。子育て世代も村から出る人達もいますが、むしろ村に住みたがる傾向もあり、地方分権&衛星都市機能は、村が継続していく重要な背景となっています。
 その前提ではありますが、このような村の暮らしと結束にとって、地域のサッカー・クラブは非常に重要な役割を果たしています。これは子どもが実際にサッカークラブとして、街のものではなく、近隣の村のクラブに入ったことで見えてきた特徴でした。サッカークラブといっても芝生のフィールドと更衣室と倉庫があるだけ。でも、さらに重要な点は、バーがフィールドに面して設置されていることです。休みになると、子どもたちの練習や試合を眺め、お酒やコーヒーを飲み、交流するために村中の人達がやってきます。子どものサッカーをネタに、よくそこまで話が弾むなあ・・・と思いつつも、皆一生懸命。その際に、クラブ運営やコーチ不足のことなど調整していっています。
 そして当然、サッカーだけでなく、コミュニティの課題や祭りの話し合いも出てきます。重要なことは、「男たちに集まる場がある」という点。日本のように、「男飲み」が「居住地を離れた都市の職場で同僚と」となると、地域や家族から遠く離れていきます。「飲みは憂さ晴らし」であっても、地域でやれば、もっと積極的な意義を付与することができます。大手資本(居酒屋チェーン)に回収されないし、地域経済の活性化にも繋がりますし、長時間移動しなくてもいい。気が向いたら、サッカークラブの横の居酒屋に寄って、語り合う。それらの居酒屋は閉ざされた空間ではなく、妻たちも、子どもたちも、しょっちゅう立ち寄る。そこで、家に誘い合い、食事ということも。つまり、「休日・退職後の居場所&活躍の場」、「コミュニティへの定着の機会」が、サッカークラブ&居酒屋という最強コンビで生み出されているのです。
 ちなみに、「村のクラブ」といっても立派なブンデス・リーグ所属組織。1次リーグから10リーグぐらいまであるのですが、この村のクラブは第7リーグ所属。幼稚園生から大人まで、いくつものチームが所属し、お兄ちゃんたちもまた小さな子の試合を観に来ます。

(3)隣人祭り
このような昔からある村のサッカークラブを舞台とする旧コミュニティの一方で、新興住宅街も作られています。そういうところでは、人びとはどのようなコミュニティ創造を試みているのか。これはどこでも・・・というわけではありませんが、年間行事が非常に重要な役割を果たしています。
 ①5月祭り、②10月祭り(日本でお馴染みオクトーバーフェス)、③クリスマス前の祭り(クリスマス・マークト)です。①については、既にこのブログでも紹介しました。基本的に、いずれも農業と宗教にあわせた暦で動いており、その点で日本のお祭りとよく似ています。
 ①は日本で知られておらず、②はバイエルン(ドイツ南部)のものばかりが知られています(あのテントや居酒屋でビールジョッキを手にしている民族衣装の女性たちの姿)が、いずれもコミュニティのお祭りで、①②の時期が近づいてくると、通りにコミュニティのテーマカラーやシンボルの旗や飾りが登場します。
 古いコミュニティなら、集まる場が確保されていることも多いのですが、新興住宅地ではそれもないので、持ち回りで「ガレージを居酒屋として解放」する形が多いようです。昨夜行ったのは、本格的でコミュニティでテントを借りています!このお代は、ビール代にプラスアルファする形で回収します。なにせ、オクトーバー・フェスはビールのお祭り。
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 ここで、同じ年代の者同士、年齢を越えた交流、子育て世代の情報交換、介護情報交換、いろいろなソーシャルな関係づくりが行われていきます。もちろん、真面目な顔をしてというより、音楽はがんがんかかっているし(やっぱり60年代、70年代の・・・)、ビールは次から次へと消えていくし・・・基本は楽しむこと!そして、それぞれが「メイン」「穀物」「サラダ」「デザート」とわりふった手料理を持参し、お皿も自分の家族とゲスト分は各家族と徹底しており、ごみが出ません。これが可能なのは、「近所」でやるから。

===
 という1日を過ごし、以下のようにふり返りました。
昨日であったドイツの人たちは、日々生活で直面する教育やコミュニティ等の問題を、①互いに話し合う場をもち、②行政を動かし(行政は「お上」でなく自分たちのもの)、③動かなければ自分たちで動かす=「暮らしと社会の主人公は私たちだ!」の意識が徹底しており、皆、政治・経済・社会問題に関心&一家言ありました。
 日本の市民社会には、この「根っこ=日々暮らしとの接合=コミュニティ」が欠けていた。暮らしの場を共有しない遠隔の志を共にする者の活動だった。通信革命でバーチャルコミュニティが可能に。私自身それを存分に活かした10年でした。特に、距離と時差のあるアフリカ・日本・世界の市民社会間の連携が促進でき、一緒に政策提言・アドボカシー活動が出来たのも、インターネット(メール、スカイプ、ML)のお蔭でした。
 しかし、2008年のTICAD IVが終わった時に、何かが足りないと思いました。都市中心の活動に終始し、社会的広がりに欠けたように感じましたし、根無し草的な気持ちにもなりました。だから暮らしの場・深大寺コミュニティにコミットすることで新しい市民活動を模索し始めました。
 そんな時に震災と原発事故が発生しました。日本国内でも、この震災によってコミュニティへの注目が喚起されました。また、事故後発生した反(脱)原発・瓦礫運動は暮らしの場での市民活動を、「当たり前」にしていきました。そんな「暮らしの場」と運動の接合点を持たない都市住民には、「金曜日・官邸前」という場(コミュニティ)が誕生した。暮らしの場からは程遠いけれど、ネット上で繋がって終わりでなく、具体的な一人ひとりの人同士の意志と声と温もりとの触れ合い、交流の場が紡ぎ出されました。
 これらの運動・活動の原点は「命を守る」「暮らしを守る」ということでした。これは、とてつもなく単純なもので、かつ強い意志に基づくものでした。ただし、この「命・暮らしを守る」というスローガンは、かつて家族だけ、コミュニティだけに通じるものであり、かつ国家・為政者に絡め取られた時、戦争になりました。それが今、尖閣諸島をめぐる衝突で危機に晒されているとはいえ、国家と利権者が奪う「命と暮らし」に対して、見知らぬ者同士が新コミュニティを立ち上げる契機を提供しています。
 そして、その主役は「お母さん、お父さんたち」であり「おじいちゃん、おばあちゃんたち」であり「おねえさん、おにいさんたち」である。そして、都市に限らず、かつ小さくとも、それぞれの生活の場で生まれています。そのことを、これから先何があろうとも、忘れないでいたいと思います。
 だから思うのですが、今日本各地で起きている地殻変動のような新しい動きを、小さくてどうなるか分からないものであろうとも、寄り添って、応援したいと願っています。そこにこそ日本の未来があると思います。従来の右肩上がり経済成長路線感に基づく利益誘導型政治で何が起こるか、私たちは知りました。原発事故だけでない。あれほどの大々的補助を受けたテレビメーカーが、存続の危機に晒されていることにもそれは明らかです。
 納税者の税金が原資である国の政策・補助金にしがみ付く一方で、「経済が崩壊する」と脅しをかける日本の経済界。そして癒着する政党・政治家・官僚に、私たちの命と暮らし、決定を弄ばれるべきではないと思います。世界はそんな甘くはありません。日本国内にしか目を向けず、自分たちを変えようともせず、相変わらず昔のやり方で、旧来型の経済・政治にしがみ付く斜陽業界重視では未来は切り拓けません。
 実際、新しい産業の芽を摘んでいるのは、これらの旧来型の業界です。今世界も日本も急速に変化しています。少子高齢化、環境汚染に伴う災害の多発、食料危機。これらは、旧来型の経済の帰結です。それを乗り越えるために知恵を出し合い、新技術を創造すべきときに、問題を起こしてきた側の私たちの構造が変わろうとしないのでは、10年後、20年後に、確実に「増える一方の課題」を解消する術を持たないままにこの社会は崩壊の一途を辿っていくでしょう。

 一人ひとりが力を付ける&つながり合う<=>問題を分析し、話し合い、力を合わせ、乗り越える方向に努力する<=>社会を変える・社会が変わる<=>自分たちで豊かさと未来を創造する<=>ピープルパワー&主権在民

 という岐路に、今私たちは立っています。
 利己的な目的のために動く業界・政治家・官僚・メディア・学者が、しかし、これを抑えようと全力で力を注いでいます。彼らのいう「経済のため」「国のため」という文言に踊らされて、かつて日本の国民がやったこと、それこそ戦争でした。このタイミングで、領土問題が生じているのは、決して偶然ではありません。
 私たちは、空虚な言葉に頼るのではなく、具体的に、自分たちの持ち場で、ひとつでも、二つでも、新しい試みを創造的に進めていきましょう。
 一人一人が力をつけ、つながり合い、命と暮らしのために、それが起きている場所で、諦めずに問題を追及し、未来を創造していく。そんな決意を新たにした一日でした。

最後は、未来を担う子どもたちの作品です。
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この学校の子どもたちと、今年子どもの日&原発ゼロの日を祝うための「緑の鯉のぼり」プロジェクトに参加。その様子は、ブログの以下の記事→
http://afriqclass.exblog.jp/15196531/
http://afriqclass.exblog.jp/15196708/
http://afriqclass.exblog.jp/15206177/
by africa_class | 2012-09-23 20:08 | 【311】未来のために
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