人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

度重なる地震の夜に考える、活かされない国会事故調提言、3県での避難家族のアンケート、国際協力

 さきほど大きな地震がまたしても東北地域であった。1メートルの津波が石巻であったという。子どもたちはどんなに不安で落ち着かない夜を過ごしているだろうか。本当に胸が痛む。繰り返し同じ場所で大規模な地震が起きている。そんな自然の不条理にやり場のない怒りを覚えながら、しかし自然とはそういうものなのだ、人間はちっぽけだと、自分の無力を自覚する。
 そんな無力な人間たちが創り出した原発。去年の3月11日。東電福島第一原発の近くで、津波や地震で怪我をした人たちを、救えなかった私たちがいる。地震に、津波に…その上原発事故。せめて、原発事故は不要だったはずだった。「絶対の安全」を述べていたのだから。

 ここに、今話題の自民党安倍氏が総理大臣だったときの、安倍氏の答弁書がある。
 原子力工学を大学で学んだ衆議院議員吉井英勝氏が提出した、「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問」に対する答弁である。日付は平成18年。7年前のものである。この時、少しでも危機感を持って、対応をとっておけば、あれほどのズサンな、事故時の東電スタッフの「バッテリーをホームセンターで買ってくる!」話(勿論実現できず)になどならなかったはずだった。ほんの少しでも危機感を持っていたら・・・その後悔も反省もなく、安倍自民党総裁は、原発を再稼働させ、新たに作ることも視野に入れている(経団連から「原発再稼働を条件に自民党に100億円が流れた」という報道も)。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b165256.htm
(内閣衆質一六五第二五六号平成十八年十二月二十二日)
「外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である。(…)我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない。(・・・)地震、津波等の自然災害への対策を含めた原子炉の安全性については、原子炉の設置又は変更の許可の申請ごとに、「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」(平成二年八月三十日原子力安全委員会決定)等に基づき経済産業省が審査し、その審査の妥当性について原子力安全委員会が確認しているものであり、御指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである」

 それがいかに虚偽・欺瞞だったのか、報告書ではっきり記されている。東電事故調査委員会のな~んちゃて報告書ですら、あえて安全を軽視したことを暴露している。

■国会事故調査委員会報告書http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/index.html
「福島原子力発電所事故は終わっていない。これは世界の原子力の歴史に残る大事故であり、科学技術先進国の一つである日本で起きたことに世界中の人々は驚愕した。世界が注目する中、日本政府と東京電力の事故対応の模様は、世界が注目する中で日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった。想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。
(・・・)「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず安全対策は先送りされた。そして、日本の原発は、いわば無防備のまま、3.11 の日を迎えることとなった。(・・・) 今回の事故原因の調査は、過去の規制や事業者との構造といった問題の根幹に触れずには核心にたどりつけない」

 この教訓から、我々は何を学んだのか?この原発事故への反省によって設置されたはずの独立機関・原子力規制委員会は、国会同意が必要にもかかわらず、野田政権によって強行され、原発業界から資金を得てきた委員たちが牛耳る委員会として設置され、その後の国会でも同意されないまま現在に至る。この点についての国会事故調の事故原因の追究から出された第一の提言は、次の通りであった。

提言1 規制当局に対する国会の監視
国民の健康と安全を守るために、規制当局を監視する目的で、国会に原子力に係る問題に関する常設の委員会等を設置する。
1) この委員会は、規制当局からの説明聴取や利害関係者又は学識経験者等からの意見聴取、その他の調査を恒常的に行う。
2) この委員会は、最新の知見を持って安全問題に対応できるよう、事業者、行政機関から独立した、グ ローバルな視点を持った専門家からなる諮問機関を設ける。
3) この委員会は、今回の事故検証で発見された多くの問題に関し、その実施・改善状況について、継続 的な監視活動を行う(「国会による継続監視が必要な事項」として本編に添付)。
4) この委員会はこの事故調査報告について、今後の政府による履行状況を監視し、定期的に報告を求める。

 「国会の監視」・・・しかし、国会の承認なく、国会の監視も実現しないままに、今年9月に設置・運営され、気が付いたら、その「事務方」である規制庁に牛耳られる存在となり下がっている。これでは、国会の管理が可能であった原発安全委員会、保安院時代より後退といわれてもおかしくない。
 しかも、この規制庁に、経産省・文科省など、原発業界とつながり天下り先として癒着している関係者が横滑りしているだけでなく、そのトップを警察が関与するなど、以前より大幅に、不透明さが増しているのである。

→http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG07014_X01C12A2CC0000/
「事故調提言への対応を監視 有識者会議が初会合 」
各種事故調(国会、政府、民間)が集まった有識者会議でもこのことが問題視されているほど。

 つまり、国会事故調が指摘した原発事故を起こした構造が、事故の反省なく、再生産され、市民の声を封じ込めるために、さらにバージョンアップすらされているのである。

これらの詳細→http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/
以上の「避難の権利ブログ」は本当に勉強になる。しかし、こんな酷い状態をマスコミはほとんど報じない。

 活断層が「グレー」だったら「黒」として、止めると委員長にいわれていた大飯原発。のらりくらりの議論を行い、そもそも資料をわざと紛失したり、調査結果をごまかしていた関電を呼ぶなどして、時間を稼ぎ、挙句の果ては選挙時をわざと外す形で再調査が設定され、詳細調査箇所については、関電は専門家に調査すべき個所とされた場所からわざと離れたところを掘るなど、無反省ぶりも甚だしい。敦賀原発の調査も同時に行うことで、批判をカワすほどの丁寧さで対応。
 はっきりいって、日本以外の国であれば、大変なスキャンダル。問題追及されて辞任している事態であるが、原発業界からの潤沢な資金(しかしこれは地域独占電力会社に漫然と毎月電気料金を支払い続けている我々のポケットから来ている)により、軽視されている。

 このような事態は、「権力と抵抗」を長らく研究してきた私には、驚きの事態ではない。「権力側が利権を奪われることを恐れ、強烈に抵抗している権力保持のバックラッシュ」は、人びとの気づきと抵抗力が強まれば強まるほど、同時に起こってきた。戦前の日本も、自由と民主化の次にやってきたのがナショナリズム・軍国主義であったことを想起したい。今の日本もその過ちに向かっている。
 権力というのは反撃するものである。強くて、強固で、根深い。それを無意識的に支える一般市民が多い日本では、なおさらのことである。これほどの被害を生じさせてなお、以上の構造が犠牲の先に露呈したというのに、変えられていないという点に、しかし、驚かざるを得ない。
 
 私は怒っている。
 でも、それは感情が高ぶっているからではない。
 怒らねばならないから、怒っている。
 以上を読んでも、怒りを感じない人がいるとしたら、よほど自分や他者の命や権利に関心にない人だろう。国際協力に関心を寄せても、原発問題には関心がない人のように。
 貧困が奪うものも、原発が奪うものも、根っこの部分で同じだ。
 それは、尊いはずのひとり一人の命であり、健康であり、暮らしであり、故郷なのだ。


 「原発ゼロは経済にダメージ」というが、それは政府メディアを含む原発利権者らが隠す膨大なコストを、国民が税金で、家庭が電気料金で負担してきたためである。さらには、原発利権が、今日本がこれ以上沈没しないために不可欠な「NEXT経済」を創造していくためクリエーティブでイノベーティブな産業づくりにストップをかけてしまっている。落ちていく産業ばかりを救い続け、世界の動きから遅きに失する政策を行い続け、「補助金という名の麻薬」を打ち続けた結果、どうなったか?「麻薬」に依存し、世界的展望を欠いた電機メーカーの数々。今、倒産寸前である。つまり、利権のため斜陽産業の温存に多大な政策資源を投入し続けることこそ、若者の「未来の職」を奪うことに直結している。この典型例がテレビメーカーであり、原発産業である。

 とはいえ、私は怒っていても、活動していても、研究者として、教育者として、「プロの市民」でありたい。「私たちは」と言換えた方がいいだろうか。私たちは、反論もするが、当事者とともに歩き、やれる活動をすると同時に、きちんと調査分析をし、結果を社会と学術界に投げる。
 御用学者が、業界のためにせっせと委員会巡りをし、「調査」を行い、学会で発表して得点を稼ぐのとは、真反対の「市民学者」として、今日も持てる能力以上の力を、みなで力をあわせることで、出し続けている。ヨレヨレになりながら・・・。
 
 なぜ違うのか?
 なぜなら、彼らには「守りたい人の顔」がココロに浮かばないから。
 彼らには、「守りたい人のための学問」ではないから。
 「日本や世界の科学技術の進歩のため」というかもしれない。
 でも、それは目的じゃない。ツールだ。
 何のため?Why?と聞いたらいい。
 「人間の豊かさのため」
 と答えたら、今度はof whom? what kind?と聞けばよい。

 このやり取りには他者への傲慢さが潜んでいる。自分たちが、「地球や」「人間や」「日本や」「世界」を仕切っている、リードしているかのごとく。自分たちの技術の追求が、どれほどの負の遺産を以上のものものに蓄積してきたのかはまったく考慮に入れていない。なぜなら、被害を受けるのは、いつも社会の弱き人たちであり、彼らに「遠く」、そして彼らのエリート的生活に影響があるわけではないから。彼らのビジョンの中には、具体的なこれらの人びとの顔がない。生活がない。

 私たちは、子どもたちを守りたい。
 子どもたちを守りたいと願っている、お母さんやお父さんたちと守りたいと思う。
 そして、子どもたちのお兄ちゃん、お姉ちゃんたちの、未来の世代も守りたいと思う。

 大学という場で、研究者として、教育者として、存在している我々の役割は甚大である。たとえ、「アフリカ研究者」であろうとも。この事態に「専門でない」と答える人は、本当は「専門」など、何も意味をなさないということに気づいていないのだろう。「何のために研究するのか?」という基本に立ち返ることが出来れば、今日本で起きている事態のあらゆるポイントの中に、「専門」との関わりを主体的に考えるヒントがあるはずだ。
 福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクトFnnnP(http://fukushimaneeds.blog50.fc2.com/)に集った拠点長や仲間たちは、30代後半から40代前半の女性教員7名である。「専門」は幅広い。国際政治、国際関係、環境社会学、開発社会学、環境法学、整体人類学・・・フィールドをアフリカとする教員3名。そして、そのうち、宇都宮・群馬・茨城の各大学の3名の拠点長たちが実践したのが、以下の調査である。さっき結果を公開。
 「調査のための調査」ではなく、今これらの県への避難者が抱えている課題を明確にして、政策提言に、実証的で具体的な数字をもって、働きかけをしてもらうために行っている。また、各拠点での支援活動をどうしていったらいいかのヒントにしている。設問も、そばに寄り添ってきたからこそ設定できるのであって、「調査して『データ』がほしいからする」わけではない。一人一人の声を拾い上げたいからなのだ。

http://cmps.utsunomiya-u.ac.jp/fsp/proj4.html
「2012年7~9月(実施) 北関東(茨城・栃木・群馬)への 避難者の必要な支援に関する アンケートの結果概要」
•群馬大学社会情報学部–680世帯配布、185世帯回収(27%)
•宇都宮大学国際学部附属多文化公共圏センター–1070世帯配布、225世帯回収(21%)
•茨城大学地域総合研究所–1710世帯配布、587世帯回収(35.1%)

■乳幼児世帯の必要性が高い支援
•内部被ばく検査や甲状腺検査など、放射線の健康影響に関する検査の実施、健康相談の受付
–交通費の助成に次いで、栃木では乳幼児世帯の97%、茨城では89%、群馬では85%にとって必要性が高い
•「避難先でも内部被ばくなどの検査などができるようにしてほしい。」(群馬県への避難者)
•自主避難者に対する支援
–回答者の大多数が自主避難者ではないにもかかわらず、重要な支援と認識されている
•栃木、群馬では86%、茨城では83%の乳幼児世帯が重要な課題
–「自主避難者に対する避難の強化。子どもの健康の不安、将来的な子どもの体に対する検査を強化(してもらえる様になってほしい)※まだまだあります。心配事がありすぎてきりながい。書ききれません。」(群馬県への避難者)

■切実な声の数々(一部)
•「何もかも不安だらけで毎日を送っています。地元に残っている両親のこと、家のローンのこと、今後の生活の事(見通しが全くない...)子育ての事...。こんな事がなかったら、今頃は両親や知人、友人に囲まれて生活できていたんだろうなと思うと、とてもやりきれない気持ちになります。ガンバる毎日に本当に疲れました。」(群馬への避難者)
•「子どもたちは現在不安障害になって治療しています。毎日が不安。」(茨城への避難者)
•「車イスの子が高校受験をひかえており、非常に不安である。」(栃木への避難者)
•「福島県内で同じように放射能を浴びてきた子供なのに住民票を移してきたことによって、大きな差がつくのは納得できない。」(茨城への避難者
•「とにかく、福島は放射能に対する感じ方、考え方が甘すぎる。娘は二次検査といわれたのに、今だに検査日程の通知すらこない、適当、いいかげんすぎる、国がもっとしっかりしてほしい。わが家は震災で離離になるよていです。賠償なんとかしてください。家のローンもあるのに、私と子供は福島にはもう住みたくない。」(群馬県への避難者)
•「これから子どもが生まれるというのに、家族が一緒に住めない。」(茨城への避難者)

http://cmps.utsunomiya-u.ac.jp/fsp/proj4.html
去年8-9月、福島県内で行った就学前児童家庭300世帯へのアンケート結果。
今年6月に行った以上のフォローアップ調査結果も同じサイト。

 以上の中で移住や避難、保養を希望した人たちにFnnnPから定期的に情報を送っている。既に移住につながった人たちもいる。
 これらの声を、せっかく成立した「原発事故子ども・被災者支援法」の具現化につなげるべく、ここから先は首都圏にいる私やスタッフで頑張らなければならない。

 もっとたくさんの研究者や大学人たちに、若い人たちに、同じように今の日本の課題に、積極的に関わって、自分のもっているあらゆる能力を活かしてほしいと思う。そのような具体的な活動の中からこそ、他の社会、国際関係の構造もみえてくる。もはや、「国内」「国外」の区分は有効ではない。日本の中でのボランティアか、国際協力かなどという区分も意味をもたない。

 問われてるのは、「今を生きるあなた」・・・なのだ。

 身近な、具体的に関係するところから始めることが、外大のような世界の色々な社会や言語を学ぶ上でも、国際協力に関わる上でも重要なのだ。国内構造の抜き差しならぬ権力関係やむずかしさ、自分の立ち位置を常に問われる現実、他者との関わり・・・これらを切実に感じることなしに、他者理解も他者の社会理解もないだろう。
by africa_class | 2012-12-07 20:57 | 【311】子ども・福島乳幼児妊産
<< 議事録:今、コンゴ東部で何故・... JICAプロサバンナ批判@ブラ... >>