書き足してる内に意図せず三部構成に。
1.援助・開発組織の内部の人へ
2.NEXT国際協力へ(援助産業の人へ)
3.小倉先生の開発研究分析
1.援助・開発組織の内部の人へ
明日は外務省で「NGO外務省定期協議会 第一回プロサバンナ事業に関する外務省との意見交換会」。こういうイベントが近づくと、ブログのプロサバンナ事業に関する私のページへのアクセスがアップします。
参加するNGO関係者が参考にするとともに、先方JICAや外務省関係者が一生懸命反論ポイントを探してくださるから。これは、実は、私はウェルカムなのです。対話時間は限られているし、かといってなかなか公開討論にはお出にならないし、こちらの考えやその根拠を伝える手法として非常によいことだと思っています。既に資料はすべて示しているので、こちらでどうぞ。
→http://afriqclass.exblog.jp/i38
*特に、国際協力を善きこととしてのみ捉えて組織に入ってしまった若い皆さんには、じっくり多様な角度から考える材料にしてほしいと思います。我々が援助国として持っている「巨大なパワー」に無自覚で居続けることは問題でもあります。
人生は長くて短い、そして一度きりです。
組織の論理に若いうちから染まり切ってしまっては、あまりに勿体ない。皆さんのような素晴らしい人材が、世界を学ぼう、世界から学ぼうと若い頃考えていた皆さんが、今一度自分と組織、日本を相対化するきっかけとしてくれればいいな、と思っています。答えは一つではありません。皆さん一人一人が考えていけば良いと思います。
奴隷制下でも、アウシュビッツ内でも、「唯一自由でいられるのが精神なんだ」ということを、これからの一生涯、片時も手放さないように。今の一見自由で「何でもアリ」な日本では、逆説的ではありますが、この
21世紀日本ほど若者の「批判的思考」が息苦しく、狭められているケースは、戦後なかったように思います。
「批判的精神」を失ったら、人類の進歩はありません。
褒めるのは簡単です。勇気も要りません。時間もロスしません。反発も食らいませんし。お金もいっぱい溜まります(お役所の委員会などに呼ばれ)。
しかし、人間はこの世界、地球に君臨しそして弱きもの、生きとし生けるものを滅ぼし続けてきました。今でもそうです。こんな世界に暮らす若者として、「大政翼賛」になるのではなく、「長きに巻かれる」のをよしとするのではなく、今一度、「今を生きる」意味を考えてみましょう。そして、心の中、頭の中、精神ぐらいは、クリティカルで自由でいましょう。
2.NEXT国際協力へ(援助産業の人へ)
そして、なぜか、このブログの中で随分前に書いたのに奇妙にアクセスが高い投稿が。なんでも援助関係者の間で以下が読まれていると、友人から教えてもらいました。批判的に読んでいただいているのでしょうが、いずれにせよ有難うございます。そして駄文すみません・・・。
■「国際協力に関心のある若者の皆さんへ:10年以内に日本の援助産業は斜陽産業へ。」
http://afriqclass.exblog.jp/16081930
そして、懺悔。続きがあったのです。
書こうとしたマプートでの日々から早5か月。。。
春休み中に書きます。
先日の立教大学での講演会でも話したかったものの時間切れだった、
「だからどうするのか?」、つまり国際協力の今後について。
結論からいうと、
(1)アフリカならアフリカ人がやる。その当たり前こそを「支える」。
(要注意。日本政府が現在使う「要請主義」という形式的な責任放棄と異なる)
(2)自らが実践の主体となる。
(「実務」ではなく、「実践」と書いたのがミソ)
<=つまり、「援助してあげる側としてやる『国際協力』」ではなく、自分も社会の中の失敗や過ちを繰り返しながらも前進したいと願う一社会主体としての国際連帯」として、やってみませんか?ということです。
今、悩みながら仕事をしている開発コンサルの皆さんには、「下請け」をやめ、現場経験を生かし、ビジョンをもって長期的なコミットメントを通して実現していく主体としてNGOやソーシャルビジネスを設置していってほしいと思います。
色々なコンサルの人にもいっていますが、「NGO=儲けを出してはいけない=雇用できない」ではありません。ソーシャルビジネスでもいいです。自分たちが関わった社会・人が、その後10年、20年にわたりどうなっていくのか、一緒に歩んでいってみてはどうでしょうか?「碇を降ろす」のです。自分が、「一過性の調査者/コンサル」という立場ではなく、「当事者」「関係者」としての実践にまみれた時、一体その社会・人びとはどのようなものとして皆さんの前に立ち現れてくるでしょうか?そして、その人たち・社会とどのような関係があることが見えてくるでしょうか、そしてどのような関係を構築できるでしょうか?
今を生きる、「自分のではない社会に介入する主体としての自分」を、「政府だから」「援助だから」「仕事だから」「他人のカネだから」という逃げ道を準備しないで、正面から受け入れ、「向こう側の人びと」と自分のカネ・時間・想いを中心に、交わり合ってみてはどうでしょうか?
「援助者」としての高見から、皆さんが「貧困者」「低生産者」と呼ぶ人たちと同じ地平に降りて行ってみることをおススメしています。あるいは、皆さんが所属しているはずのこの日本社会でこそ、同じやり方で何かをやってみてください。その考え方、やり方が、どこまで通用するか是非試していただければと思います。通用するのであれば、きっと素晴らしい実践者でいらっしゃるのだと思います。
3.小倉先生の開発研究分析
さて本題。
『国際開発研究』Vol.21 No.1/2 2012年11月が昨日研究室に届きました。
特集は、「開発/発展をめぐる社会学の位相」
そして、巻頭総説は、我が師匠・小倉充夫先生です。
「開発社会学の軌跡と地平」小倉充夫(7-9頁)
たった3ページなのに凄い深みと広がりの文章。
そして、剃刀のような切れ味。
哲学的クリティカル思考なのに、南部アフリカの人びとに視座をおきながらの全世界の19世紀からの展開を包含した文章。
かなりシビレます。
全然足下にも及ばないものの、同じような視点で私も物事をみているのだなあと実感。
その理由は、去年11月に出版したばかりの、先生との共著『現代アフリカと国際関係』(2012年11月)をご覧ください。津田の後輩たちと書きました。
http://afriqclass.exblog.jp/17011291/
*後書きを収録しています。
時間がきたので、また紹介しますが、開発研究・実務に関わる人が読まない訳に行かない論考だと思います。
と書いた後に時間が10分空いたので、少し紹介します。
ただし、冒頭の佐藤寛さんの紹介は、小倉先生のいおうとしていることの本質とズレがあるように思いますので、原文を是非お読みください。
「開発社会学の軌跡と地平」(2012年、小倉充夫:『国際開発研究』)
開発研究という分野は今日の途上国の、しかも「開発する」という問題に限定される傾向が深まっていったと思われる。挙句の果てに、開発に関する議論の多くが開発援助がらみになっていったのではなかろうか。このことには積極的な面もあろうが、他方で、近代以前の資本主義発展の文脈と関係なく、時に表層的に考察されることが多くなったという印象が強い。(略)
いうまでもなく今日の途上国の開発も世界的な社会経済の構造や展開と不可分な関係にある。ところが、Developmentに対応する日本語には開発と発展という二語があるため、かえて開発と発展を切り離して考える傾向が生じたのではないだろうか。その結果、社会変動論や歴史社会学の側面が失われていった。(略)
その結果、国際関係性とその歴史的展開を無視し、今そこにある途上国の状態が切り取られ、一国的な開発を捉える傾向が全般的には強まったのではなかろうか。(略)
少なくとも先進国の存在は、途上国の発展に様々な制約、あるいは変形をもたらす。先進国から技術が移転されそれにより圧縮的発展が可能になるなど、後発的利益もあるが、逆機能や、意図せざるマイナスの効果などがあり、移転ひとつをとってもその結果と評価はさまざまで、途上国の発展が、先進国のそれと異なることは明らかである。先行者の存在自体が、後発的な発展に特徴を生まざるを得ないのである。(略)
しかしさらに強調すべきは、世界的な発展の不均等性の下で、搾取や従属を歴史的に強いられてきた地域においては様々な無理が強いられ、したがって、先進国とは比べようもない社会的緊張に直面せざるを得ないということである。(略)
開発社会学も権力をめぐる国際関係学として展開せざるを得ないのではなかろうか。(略)
しかし南北格差による世界秩序の不安定化は避けねばならず、ヘーゲル流に言えば、「世界市民社会は貧困を援助でごまかす」必要があった。(略)
ここから先はミソが続くのですがまた今度。
そして、先生が引用しているこれまた師匠・百瀬宏先生の一言を最後に。
「近代以来の開発の過程で、先進国において政治が国民大衆の生活の在り方に関心を持ち、社会福祉が図られるようになって行ったのとは裏腹の関係で、植民地化された地域、また植民地の地位を脱して独立を達成した国々の多くにおいて、社会の荒廃がすすんだという事実であろう(百瀬宏『国際関係学』1993年)」
引用以上
これらの巨匠に、人生の幾分早い段階で出会えた幸運に、生涯をかけて感謝し続けたいと思います。小倉先生の『開発と発展の社会学』(東京大学出版会、1982年)もどうぞ。
■今年で退官される小倉先生の最終講義は1月31日2時半~@津田塾大学です。
■3月28日にアフリカ学会関東支部例会で書評会も開催します。またご案内いたします。