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批判的思考と対立:自分と組織を改善・刷新していく方法~TranscendやLearning Organizationより

アフリカ平和・紛争論のレポートを返すために学生を呼んだ。
2年生の学生が受け取り、こういった。
「すごく面白く、興味深い授業でした。」
そしてためらいがちにこう述べた。
「母に話したんです。授業のこと。そしたら感動して泣いてました。」
へ?泣いた?
「トランセンドのこと知って。対立を超えるという視点について。悩んでいることを乗り越えるヒントになった、と。」

ありがとう。
感動したのは私の方かもしれない。
想いが届いたことに。

実のところ、トランセンドやルカサを一番やりたいのは40代以上の日本の人たちなんだ。この硬直した、閉塞感のある社会の中で、人間関係や組織との関係に日々疲れ、悩んでいる人達。それは、家族かもしれない。地域社会かもしれない。PTAかもしれないし、会社かもしれない。あるいは・・・・・自分自身かもしれない。

学生たちをみていると、その先にいるお母さんとお父さんのことが身近に感じられる。自分自身が近い年であることもあるが、学生たちに如実に表れている、不安と戸惑いと自己肯定感の弱さと諦め・・・。なんというか、夢が抱きづらい世代、社会が象徴されているのである。

私自身がずっと考え、試行し、失敗し、もがき、時に乗り越えてきた。
人生が一度だけだとしたら、ただ現状追認でいいのか?また、「自分だけよければ」それでいいのか?あるいは、「今の自分」のまま一生を過ごしていいのか?「今の自分」は絶対か?

先日別の学生が私にいった。
「先生は、どうしていつも、新しくあり続けられるんですか?」
新しいモノ好きってこと?
歳を取ってるのに若づくり?
いやいや。違うらしい。常に新しい、という。
その時はちゃんと説明できなかった。
そこで、今日説明してみようと思う。

私は、ある時「進化し続ける自分」を目指そうと思った。
そのことによって、「進化し続ける組織」を応援できないか、と思った。
そのことが、最終的に、「進化し続ける社会」につながらないか、と。

しかし、問題は人というものも、組織も、社会も、失敗や対立や負の遺産からは目を逸らしたい。
目を逸らすことの方が楽だ。
人間とは楽なものが好きだ。
誰だって好き好んでしんどいことをしたくない。
それに、時間の経過とともに惰性という麻薬が身についてくる。
自分の言い訳をいっぱい砂の城のように積み上げ始める。
利害が一致する似たお仲間同士で、せっせと。
負を指摘するものは、「非国民」だ。「敵」なのだ。
私たちは心地良いのに。かき乱すなんて・・・。

何か思い当たる?
今日本を構造的にも内面的にもむしばんでいるのはこのような精神である。
イジメもしかり。バッシングしかり。

どうやってこのカラを打ち破っていくのか?
どうやってもっと良い自分、もっとよい人間関係、もっとよい組織、もっとよい社会を創造していけるのか?自分は、そこで何ができるのか?できないのか?そのためには何をすべきなのか?

自分のちっぽけな目の前の利益だけを追求する道が、結局大きな破綻に結びつく時代に私たちは生きている。人間はそこまで肥大化し、極大化しているのに、一人一人は「自分は関係ない」と思い込んでいる。

311後の日本では、これに気づいた人達と気づきたくない人達の相克である。そして後者が量的には圧倒的である。

私は、そんな自分と社会と世界に挑戦したいと思う。そのための人生を送りたいと思う。しかし…。

最近気づいたことがある。
私にとっての「当たり前」は、多くの人の「当たり前」ではないことに。
どっちがいい悪いではなく、もっと説明が必要なことに思い当たった。

トランセンドとLearning Organizationはその意味でとても良いツールだ。だから、今日時間の許す範囲で少し紹介する。

トランセンドでは、「紛争や対立を悪としない。」
紛争の種といわれているものこそ、「変革の糧」になる可能性が秘められているから。
なぜなら、人間社会において、対立がない状態はあり得ないから。
「ない」という時それは全体主義の世界である。

対立はあるのだ。
特に、権力を握っている側と抑圧されている側に対立がないとしたら、それは抑圧が弾圧に近いものだから。つまり、抑圧されている側が沈黙させられ、我慢させられている状態・・・それが「対立のない状態」なのだ。

だとすれば、重要なのは「対立がなかったこと」にすることではなく、「対立を発見すること」。そして、「発見された対立」を皆に可視化し、一緒に考えること。どうにか対立をよりよい社会へのエネルギーに変えていくこと。つまり、「対立紛争を転換する(transformation)」のである。

その際重要なのは、
1.大きなビジョンを持つこと。
2.その共感ベースを確認すること。
3.「現状status quo」を絶対と受け止めないこと。
4.常に、どんな時にも対立がある前提に立つこと。
5.対立を発見したら、その発見に感謝すること。
6.その対立の根っこには権力と抑圧があることを自覚すること。
7.対立の転換は可能だと信じてみること。
8.その対立はビジョンの実現のために転換の糧になると知ること。
9.対立は妥協や一方の勝利ではなく、超越を目指すこと。

そして、一つでも出来たら、次に
10.そのプロセスを人に語り、知ってもらうこと。
11.どんな小さな対立でも、大きな対立でも、これを試みてみること。
12.それに周りにも関わってもらうこと。

例えば、原発事故の問題を取り上げてみる。
どんな対立や問題があったのだろうか?
①都市と地方の格差・差別
②大量消費型の生活と自然環境破壊
③利権と住民の命/健康

もっとあるけれど、今問題のタネとして示されているのは何か?
「安価な電力不足」
この言葉そのもののなかに以上の真の対立や問題を見出すことは難しい。
そして事故が起こるまで、①~③に私すら気づいていなかった。本当の意味では。
事故は起こってしまった。対立は顕在化した。ではどうするか?
そのまま、以上の1.~9.を試みてみよう。

見えてきたのは何?
ここで私が「答え」を用意すべきではない。
トランセンドとルカサをやった皆さんなら、そうでない皆さんも、エクササイズとしてやってみてください。そして、その結果を教えてください。答えは一つではない。無限にある。皆のクリエイティビティを大いに発揮して、トランセンドしてみてください。そこから学ばせてください。

トランセンドは、平和学(特に積極的平和positive peace)の一環として出てきた概念。私は日々の生活の中でこの概念を、KAIZENやマネージメントの文脈で意識して実践するようになった。いつからだったのだろう。もっとも苦しい20代後半から30代前半にかけてのことだったと思う。

なお、トランセンドが理想主義だという人に。
今は書けないのだけれど<私一人の問題ではないので>、トランセンドは実際に私が家族の暴力を乗り越えるために使った手法だった。だから理想で書いているのではない。苦闘の中で手にした手法だからこそ、皆さんに紹介している。だから学生のお母さんが泣いたこと・・・が、心に身に沁みるのだ。お母さん、大丈夫。気づいたのなら、もう10歩も100歩も前に進んでる。

以前紹介したKAIZENの話の中で「失敗」を扱った。
■援助とKAIZEN:プロサバンナで何故セラード開発が問題にされるかの一考察を通して
http://afriqclass.exblog.jp/17211838/
「失敗」に感謝すること=カイゼンの肝。

これは、実は「対立」にも置き換えられると常々思ってきた。
今日は長く書けないが、日本だけでなく世界の開発援助が、「権力」「対立」がない前提で、「貧しい人びとを救うため」の政策や議論を行うことの大問題・・・に直結しているのです。常に、「大きな意味での垂直対立の目」つまり「権力関係」に注目しましょう。ほら、援助について見えてきたものがないですか?

何事にも失敗があるように、どの関係にも対立はある。ないと思ったら、それは可視化されていないだけ、あるいは隠ぺいされているのであって、それは対立の転換を難しくするという意味で、悪い状態。このことを深く心に刻みつけておいた方がいい。

夫婦関係でも、親子関係でも、友人関係でも、職場関係でも。援助関係でも。

また、プロジェクトや政策面だけでなく、今日本の政府・援助関係者が「批判」を、Welcomeするのではなく、ただ「耳を塞ぎたい騒音」として扱おうとしている点について、本当に残念。変革、カイゼンのチャンスを逃しているから。

異なる意見と真なる対話を行って初めて、カイゼンは可能となる。
ちょっと分かりづらいかもしれないので、「学習する組織Learning Organisation」の権威であるPeter M. Sengeの議論を取り上げる。MITの教授にして、サステナブルな社会変革の支援者。

カイゼンKAIZENと並び、世界のマネージメント界で高く評価され、試みられているのがピーター・センゲの『学習する組織論』。一番有名な本はこれ。

原著:Peter M. Senge, The Fifth Discipline - The Art & Practice of the Learning Organization, 1990.
日本語訳:『学習する組織――システム思考で未来を創造する 』ピーター M センゲ (著), Peter M. Senge (著), 枝廣 淳子, 小田 理一郎, 中小路 佳代子

我が家にはセンゲの本が3冊あるが、おそらくこれが決定版かな。なお、以上の本を翻訳された皆さんによるチェンジ・エージェントで詳しい紹介があり。タダだし読んでみて。
http://change-agent.jp/news/category3.html

MITの教授で世界的権威というと、堅物を創造するあなたはきっと期待を裏切られる。
ピーター・センゲへのインタビュー(3)日本の変化の担い手への助言
http://change-agent.jp/news/archives/000466.html

さて、私の理解では、
■「学習する組織」はマッチしないタイトル。
■「進化し続ける自分と組織、社会」に変更した方が広がりが出ると思う。

単なるマネージメント論の話ではない。主体としての自分が変わることが組織をも変えていくことが根っこの部分にあるから。

その「自分」はどうやったら進化し続けられるのか?
以下に凄くポイントが明確にまとめられている。
http://change-agent.jp/news/archives/000435.html

◇内省的な開放性の特徴は真に心を開くことであり、これは人の話をより深く聞くことや真の対話に向けた第一歩である。言うのはたやすいが、実行するのはそう簡単なことではない。内省の環境を構築することは、自分自身の心を開こうとする気持ち、無防備になり「さらけ出そう」という気持ちから始まる。

<=これが私がこのブログやツイッターで赤裸々にあえて自分のことを語っている理由です。

◇共有ビジョンは個人ビジョンから生まれる。だからこそエネルギーを発揮し、コミットメントを育むのだ。ビル・オブライアンが言うように、「あなたをやる気にさせる唯一のビジョンは、あなた自身のビジョンなのだ」。

<=あなたにビジョンがないのに、人にビジョンを押し付けても仕方ない。ビジョンは人から与えられるものでもない。待ってても仕方ない。

◇組織のモチベーションとなる基本的なエネルギー源は二つある。否定的ビジョンの根底にあるのは恐怖の力である。肯定的ビジョンを動かすのは大志の力である。恐怖は短期間に驚くべき変化を生み出すこともあるが、大志は学習と成長の絶えざる源泉として持続する。

<=今の日本の組織の多くがこれに陥っていますね。皆さんは、この否定ビジョンのために一生懸命働き続けるべきなのでしょうか?
<=また学生にビジョンステートメント作ってもらうときに、「~がない社会」と書かないでといっている理由はこれです。

◇聴くことは、往々にして話すことよりも難しい。何が必要かについて確固とした考えを持った意志の強いマネジャーにとっては特にそうだ。聴くという行為には、多種多様な考えを受け入れるだけの並み外れた開放性と意志が必要である。

<=授業で私が一方的に講義をしなくなった理由はこれです。まずは皆の想いや状態を知る。その上で、やるべきことをやる。その中に「私が話す」が入っていればやりますが、そうでなければやりません。皆さん自身が、考え、書き、話し、調べる。

◇対立がないのが優れたチームではない。絶えず学習しているチームの何よりも信頼できる指標の一つは、考えの対立が目に見えることだ。優れたチームでは対立が生産的になる。

<-これは今回繰り返し書いていることですね。「優れたチームでは対立が生産的になる」まさにそう。YESマンばかりをはべらせた「裸の王様の組織」は、持続性がありません。内部に反論を述べる人を置く事の意義は、すばらしく大きいです。それが、一番日本の多くの人に欠けているポイントで、その理由が「解放性の自分」「ビジョンを持つ」「反論や対立をウェルカムする」ことが出来ないという点に直結していると思います。

◇真の教師になるためには、まず学習者にならなくてはならない。教師自身の学習に対する情熱は、その専門家としての知識と同じくらい生徒たちに刺激を与える。だからこそ組織学習のツールや理念に真剣に取り組むマネジャーもまた、単なる「提唱者」や伝道者ではなく、実践者でなくてはならない。

<=最後に。何で大学の先生がこんなに色々なことをやってるの?研究して論文書いて教えてればいいじゃん、というご意見にはコレ。実践者でなければ、研究していることの中身も、書いていることの意味も、教えることも、どうやって意味のあるものにできるのか?これは逆に私の皆さんへの問いかけです。

以上ーー。
by africa_class | 2013-02-16 15:24 | 【促進】社会的起業/企業
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