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淡路島での大地震の日、阪神淡路から18年目、東日本から3年目に考えたこと~同情でなく共感を

昨夜、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を読んだ。
勿論、両脇には積み上がった依頼原稿のための研究書が山積み状態の中、一昨日買ったこの一冊を取り出してしまった。そして、その選択に後悔どころか、今の私にこの本が必要だったということが良く分かる。

速読してしまう癖を抑えながら、一行一行の、一見冷静で鍛えられた文章の、底辺に横たわる絶望と苦悩、その先に輝かんとする命と希望と、一歩ずつ向き合おうと試みた。

あえて再度の1章を残して朝が訪れた時、既に私は感謝でいっぱいだった。
このことについては、また書きたいと思う。

中学生の時に手に取って、その冷静さが馴染めなかったことを、今更ながら後悔している。10才の時に読んだアンネ・フランクの日記のような調子を期待していたからだろうか?あるいは、もっと感情的な爆発を期待していたからだろうか?若さとはそういうものかもしれない。

それから平和のための戦争や虐殺や暴力の研究を続けてきて、現実社会と格闘してきて、歳をとって、ようやくもう一度この本に向き合えるようになったのだと思う。人の持つ絶望的なまでの愚かさと罪深さ。そして、それを乗り越えようとする精神の可能性。

この本を三十年が経った今、つい手に取って買ったのは、これが東北の被災地でとてもよく読まれていると聞いていたからだった。その意味を理解したいと思った。今私の中に、そのことの意味が少しずつ沈殿中ではあるけれど、ドイツに行き強制収容所に子どもと行ってから、改めて考えたいと思う。

彼は、ドイツに避難してから数か月後、突然オランダで「アンネの家」に行きたがったという。私と一緒に本を読んでいたこともあるのだけれど。行列で(日本の観光客ばかり・・・)諦めたそうなのだけれど、父親もまたアウシュビッツにも連れて行くべき時がきたと思っている。でも、さすがにルワンダに行ったとき、虐殺現場には一緒に連れてはいけなかった。またそのことは別の時に。

息子は多感な子だ。外国人の子どもとして日本で生まれ育つとどうしても、色々なことに気づかされるからもあったろう。でも、彼が、社会の不正義に身を持って心を揺さぶられるようになったのは、原発事故のせいだと思う。彼は突然目覚め、一人の力ではどうしようもない不正義を目の前に、立ち尽くしている。

私は彼の中の怒りと悲しみと共感と諦めをただ抱きしめる。横にはいられないから心の中でぎゅっと。横にいたとしても、これは彼の闘い、彼の人生だから。やはり抱きしめる以上はしてはいけないと思う。

彼の人生。
彼はどのような人として生きていくんだろう。
せめていつでも帰る場所を、温かい食事を、用意しておきたいと思う。

<<またしても、話が随分それました・・>>

そういう気分で目覚めた私の目に飛び込んできたのは「淡路島マグニチュード6.0」のニュースだった。先週末そこにいたから・・・というだけではない。この間、私が接してきた原発事故からの避難者のお母様たちの言葉の一つ一つと、ネット上の雰囲気が、18年前に感じたことを呼び起こしたからであった。

<<と、ここまで書いたのにすみません・・・。原稿どうしても明日までなのと、福島のプロジェクトが最終段階で、ツイッターで書いたことを例のごとく貼り付けておきます。とりあえず今日のところはこれでご勘弁。>>

そう。災害時に起こる「被災地」「被災地周辺」「それ以外」の認識のギャップは、①「揺れその時」→②「被害/それからの逃亡のため闘っている瞬間」→③「被害が遠方にも明らかになる時」→④「『復興、復興』が叫ばれる時」→⑤「被害が分断を生む時」→⑥「勝手に風化される時」…に顕在化。

唯一「被災地」「被災地周辺」「それ以外」のギャップが埋まる瞬間が、③「被害が遠方にも明らかになる時」。これは何と言ってもテレビの威力が大きい。被害状況、嘆く人びとの映像が、余所者の「compassion」を喚起。寄付もボランティアも集まる。でも、それは一時的で疑似的な連帯感。

特に、④「復興」の掛け声が聴こえてきたら次に待ち受けるのは、⑤「分断」と「風化」。18年前の阪神淡路、東日本大震災・原発事故もそうだった。「復興ニュース」の影の苦悩が置き去りに。勿論復興応援すべき、励ましたい気持ち分かる。でも余所者がそれを煽る時、それは彼らの為であること多し。

なぜなら、彼らは③のCompassionを満足させたいから。④「前向きな復興ストーリー」により、「もう次に行きたい」。つまり、⑥「安心して忘れたい」。その空気に直面して、⑤その流れに乗れる人と乗れない人がいる。苦悩は内に内に籠っていく。「いつまで落ち込むの?」の一言を恐れて。

1995年1月20日から神戸市中央区役所で過ごした半年間、積み上がったメディア関係者の名刺は鉛筆一本分の高さだった。彼らは「悲劇」→「頑張り」→「明るい話」を求め、そして…誰もいなくなった。その後一周忌ごとの洪水のような報道。今回も。これに抗うため、週明け一つの試みを発表する。

忘れてならないのは、CompassionとEm/impassionは違うということ。前者は憐みの感情。同情心。上から目線。後者は共感(to fill, or affect strongly, with intense feeling or passion)。「私たちも当事者だ」「主体」という意識に基づくもの。

この23年ぐらいの試みを経て、私が311後に試みているのはコレ→【「共感」をベースにした、主体的なものに根差した、アメーバー的つながりによる運動】。

一つの答えが、代表を務める「福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクトFnnnP」の活動。奇しくも、全拠点長とスタッフが女たちの、アメーバー組織。
→http://fukushimaneeds.blog50.fc2.com/

やれば出来る。共感をカタチに。
社会を変えよう。
一歩でも、二歩でも。
三歩でも、四歩でも。

五歩後退しても、
立ち止まらず、諦めず、投げ出さず。

仲間を大切に。
ビジョンを忘れず。
闘いは続く、
けれどそれが人生だ、と。
by africa_class | 2013-04-14 00:32 | 【311】子ども・福島乳幼児妊産
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