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援助関係者の間で実しやかに囁かれるウソ:現地からの声を理解しよとせず、抑圧側に立つ人達

TICAD Vも終わり、ひと段落・・・のはずではあるものの、その後国際コモンズ学会や、講演会や、国際開発学会や・・・なんやらでなかなか落ち着かない日々。先日は研究員となっている京大での大学院ゼミに出席させていただき、とっても刺激を受けました。教育にはいろいろなアプローチがあるので、勉強になります。

さて、明日はテレビの収録で東京に行きますが、気になる一言を耳にしたのでこれだけは書いておきます。
3政府宛の公開質問状を持参したモザンビーク農民組織や市民社会プラットフォーム代表の、身の危険を知っての直訴に、未だに反省することのない政府や援助関係者の酷い言葉の数々に、心底驚いています。

まず第一に、彼らがこのような抗議によって得られる個人的メリットは何一つありません。現地では、むしろ政府等による監視の目が強まり、既に様々な脅迫行為や、評判を落とすための操作が繰り広げられています。

今、モザンビークで起きていることを御存じでしょうか?
今年地方選挙、来年に大統領選挙を控える一方、鉱山地帯での住民との衝突、野党の武器を持ったままの山籠もり、医療関係者の20日に及ぶ一斉ストライキに直面して、現在基盤が揺らぎつつある現政権は、野党の強い北部での支持確立を目指したプロサバンナ事業での批判を抑え込もうと本気になりつつあります。

2005年以降「資源の呪い」の国へと邁進してきた現政権は、ついにその仕上げの段階に到達し、ごく一部の国家利権を切り売りして大儲けした人達と大多数の人びとの間で、数々の軋轢を招いています。

そんな中、モザンビーク最大の農民組織(2222組織の代表)、北部中心地であるナンプーラ州120団体の代表を始めとし、主要な農村組織や宗教組織、市民組織23団体が、なぜ「大統領プロジェクト」に対して危険を顧みず異議を唱えているのでしょうか?

■【公開書簡】モザンビーク23団体から3か国首脳への「プロサバンナ事業の緊急停止を求める公開書簡(2013年5月28日)」発表
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-27.html

独立後のモザンビークの歴史で、このような事態は初めての出来事です。1975年から94年までの一党支配体制、複数政党制導入後でも引き続き政権を担った現フレリモ政権に対して、これほど裾野の広い社会組織が異議を申し出ているのは、他に経験がないことなのです。

そして、このような事態を招いたのは、日本政府やJICAの一部の人達の「ブラジル・セラード開発の成功!」を信じて疑わない過信と、アフリカへの野望と思いつきによる帰結なのです。本当に心が痛いです。

にもかかわらず、異議を唱えたくて唱えているのではなく、社会を守ろうと自らの身を投げて守ろうとする人びとに対して、依然として次のような言葉が援助関係者の間で実しやかに囁かれているといいます。

■神話1:「UNACは一部の農家の方々を代弁しているにすぎない」
■神話2:「UNACは、当国野党勢力との結びつきが強い団体」

事実誤認もいいところですが(このブログの読者なら既に私が繰り返し書いているので分かると思いますが)、重要な点は、自らのやり方への反省が述べられることがないままに、現地の人々の切実な命を掛けた問題提起そのものを、外部者に過ぎない援助者らが「問題」と捉える傲慢さが依然続いています。

人は誰でも、どんな入念な計画でも、どんな事業でも、過ちを冒すものです。
当事者から異議が出ることは否定されるべきではなく、むしろ事業が大規模に行われる前の問題提起は感謝されるべきもの。当事者のレッテル貼りをすることで、問題を矮小化しようというメンタリティが、日本の援助関係者の思考パターンの問題を露呈しています。

自分たちは感謝されるべき存在であり、問題は自分たちではなく、外から、あるいは一部の偏った人達からやってくる・・・・。とても「上から目線」の恥ずかしい姿勢です。「参加型開発」などといいながら、「開発に参加させてもらっているのは自分」ということへの気づきがない。

さらには、事実関係を調べもしないで、「援助業界で実しやかに囁かれている自己弁護のための神話」を繰り返し唱えて満足し、それを周りに流布する始末。。。こんなことにいちいち関わりたくないのですが、モザンビークの人びとの日常や将来の権利が奪い去られるかもしれぬ瀬戸際を作りながら、さらには人々の想いまでもがこのような形で、自己正当化のため「援助者」を名乗る人達に踏み躙られる事態に、書かずはいられません。何より、モザンビークに関わる人が少なすぎる中で、「知らないことは知らない」というべきなのに、小耳にはさんだ「噂話」や「思い込み」を調べもせずに信じ込んで言い触らすのは、あまりに悪質です。

こういう方にこそ、来日された人達の話に耳を傾け、その場で反論なり対話なり質問なりをしてくれると良いのですが、そういう努力すらされないで「自分は正しい」というのはとても残念。。。日本の援助関係者は、いつもこんな風に当事者の人達への謙虚さを持ってこなかったのでしょうか?

政府とやてれば、自分たちの言い成りになる対象とやってればいい?

さて、面倒ですが以下の点。
■神話1:「UNACは一部の農家の方々を代弁しているにすぎない」
■神話2:「UNACは、当国野党勢力との結びつきが強い団体」

■神話1:「UNACは一部の農家の方々を代弁しているにすぎない」
人類の歴史において、全員を代表する組織などもちろん存在したことはありません。あったのは、全体主義の時代です。それでも見かけ上の、恐怖に基づく支配。当然ながら、全員を代表などしていません。現在の議会制度も、政党政治も、モザンビークに限らず、この日本でも「代表性」「代弁性」について課題を有しているのは、私たちが一番理解しているべきことです。

先日公園の緑を伐採してまでの道路工事で揺れ動く東京都小平市。同市長はたった30%台の投票率の市長選挙で当選した市長。同市の有権者の2割程度にしか投票されていない。しかし、その市長が、道路工事の是非を住民投票にかけようという主張に基づいて行われた住民投票を、自分の選挙と数パーセントしか差がないほどの投票率を達成したのに、5割に満たないので民意に沿わないと開票すら拒んでいる。

「ごく一部」という言い方は、このように恣意性を持った言葉であり、権力側が使う時には注意が必要であることについては、全体主義とそれによる戦争を経験した日本の我々にとって、歴史的教訓なのではないでしょうか?

そんなレベルのことではなく、そもそも今回の公開書簡は、UNACだけのものではありません。北部地域の農民組織の主要な団体や宗教組織、地域組織の23団体が起草・署名しています。そこのことの事態の大きさを、まだ理解していないとすれば、そして「UNACが問題なのだ」と言い続けている限りは、現地の反発はますます広がるでしょう。

実際、今回これほど多くの組織がとても短い期間に署名した理由こそが、繰り返される「一部の声にすぎない」「・・・・だから問題なし」「UNACは反対しているわけではない」というかってな総括・・・等のこれまでのJICAを含むProSAVANA関係者の自己正当化に心底腹を立てた結果だったと聞いています。

その前提の上で、UNACについて語るならば、そもそもUNACは「一部の農家を代弁」ということを超えた団体です。今、法制度的に農民たちの権利をどこよりも守っている1997年土地法は、UNACの尽力で成立したものです。この土地法は、「世界で最もProgressive」という触れ込みのもので、農民の耕す権利を何より重視したものです。ただ抜け穴があり、それを現政権関係者が多用してしまったために土地紛争が起きているのです。UNACが守ろうとしているのは、一部の利益や団体の利益などではなく、全モザンビーク農民の利益であり権利であり、ProSAVANAはそれを奪う第一歩になると考えているから身体を貼っているのです。

本来ならば、援助機関や援助者は、特に「小農支援」を口にする者は、このような団体こそを尊敬し、応援すべきではないのでしょうか?

そしてこれはこのブログの読者にいうまでもないことですが、モザンビーク政府が自ら選び、今年4月に唯一「現地農民組織代表」として連れてきた団体こそが、UNACの下部団体でした。政府代表としてきてなお、いやきたからこそ、この事業の問題に気づいたといいます。

勿論、ProSAVANAへの反対を抑えるために、「賛成する団体もある」というために、現地では既に融資やなんやらを配布しています。そのバラマキを歓迎する人達もいます。日本の公共事業と同じ手法が、つまり事業への反対派切り崩し、賛成派増やしのための地域社会の分断が堂々と行われているのです。

他方、マスタープランは未だでProSAVANAは始まっていないのに批判するのはおかしい・・・などと、これまた実しやかに日本の援助関係者は述べます。しかし、メディアが訪問するというと、このような融資先などに連れて行ってJICAへの感謝を述べさせる・・・本当に恥ずかしいです。

このような分断工作や操作こそが、彼らが今回ProSAVANAの緊急停止を言わざるを得なかった理由といいます。つまり、彼らではなくProSAVANA事業者らが、自分でまいた種、もたらした混乱なのです。そのことへの自覚は、「一部にすぎない」という総括から完全に抜け落ちている・・・ここが一番問題だと思います。

自ら「賛成派」を創り出し社会を分断しながら、「反対は一部にすぎない」と総括する・・・・現地の人々からみたら本当に罪深いです。今回、現地のカソリックの司教様たちのグループが立ち上がった理由もこれですが、そのことすら理解できないのでしょうね・・・これも「誰かの入れ智恵」とかいうレッテルを張るのでしょう。

それほどまでに、現地の主要アクターらとのコミュニケーションが不可能ということの証左。
「あげる」という行為を介さない生身の本音のやり取りが出来ていないことが露呈。


■神話2:「UNACは、当国野党勢力との結びつきが強い団体」
書くのも嫌気がさしてきました。
このようなレッテル貼りの根拠、あるいはレッテル貼りをする意図はなんでしょうか?
UNACほど現政権FRELIMOの「出所」「精神的支柱」を明確に体現している組織は、もはやモザンビークに残っていないほどです。

こういうことを書くのすらばからしいのですが、なぜかというと、UNACの人達に接すれば彼らが何者かすぐわかるので、、、、でもどうも分からないようなので書いておきます。

UNACのメンバーの多くは、現政権の多くの人と同様に、植民地解放戦争を戦った人達です。代表のマフィゴさん自身がそうであり、多くのメンバーの父兄・親族の多くが、やはり解放闘争の闘士でした。つまり、フレリモ中のフレリモ=UNACなのです。

それを「野党と結びつきが強い」とは、あいた口がふさがりません。
これは、モザンビークに関わる人ならだれでも知っている事実です。

つまり、人びとの権利のために国を解放したはずのFRELIMOが人びとの権利を守るどころか売り渡しているのであれば、野党化してしまったのは現政権なのです。この逆説性に、「政府=正しい」という刷り込みがはいった日本の人びと、あるいは日本の援助関係者には、理解不可能なようで・・・。

そんなことすら知らない、分からない人にモザンビーク農村開発に関わったり、現在の事業についてこんな風に語る資格もないと思うのは私だけでしょうか?

そもそも、別に野党と結びつきが強くても別に立派な社会組織である以上、なんの問題もないと思いますが?そもそも、事実ですらないのです。

彼らが何故この問題に敏感か?
そのことは、繰り返しシンポジウムやセミナーで述べていたので、参加されたら理解したでしょう。あるいは、このような思い込みの人達には無理だったでしょうか?

彼らは、独立は「国、人間の解放だけを意味したのではなかった。土地の解放を意味した」と繰り返し述べてきました。その言葉の深い深い・・・・・・・本当に深い意図を、今私たちが汲み取ろうとしないのであれば、何のため「支援」「援助」を口にするのでしょうか?

私たちは、やはり植民地支配する側のメンタリティーから解放されていない。
支配される側の想い、何のために彼らが武器をとってまで植民地支配から逃れようとしたのか、何の解放を意図したのか、そして21世紀の今、独立から40年近く経ったのに、なぜ彼らは再び日本に来て「植民地支配からの解放の意味」を声高に述べなければならないのか・・・・・・言い訳と自己正当化を肩からおろし、脇に一旦おいて、考えてみてほしいのです。

まだ遅くありません。

皆さんのいう「支援」の根底に眠る「コロニアル思考」から、今脱さないとしたらいつ逃れるのでしょうか?彼らが身を持って問題提起しているのに、私たちは耳を塞ぎ続け、それを踏みつけ続けてよいのでしょうか?

今問われているのは、「開発モデル」の話ではありません。
このような人としての尊厳を獲得するために、その尊厳ある人がようやく手にした生きるための基本的な権利を、他者が「経済成長」「支援」「開発」を掛け声に奪ってよいのか・・・という問いです。

月並みな一言ではありますが、耳をまず傾けてください。
講演会の様子は、もうすぐYoutubeにアップします。

鋭い問いが発せられる時、
それを封じ込める側ではなく、
耳をそばだてる側にいたいと思います。

一人でも多くの援助関係者の耳に、このことが届くことを望んでいます。
なお、私だって罪深き者の一人です。
また、至らない人間でもあります。
その反省の上で日々改善を試みています。

1994年の戦後直後のモザンビークで国連関係者として持ち込んだ数々のものについて、この20年間ずっと自分に問い続け、今に至ります。その間、対話してきた何百何千というモザンビークの人達に、そのオープンな、時に厳しい、時に温かい、一言一言に心から感謝しています。

人間は学び続けることができる生き物です。
学び続けることでしか、危険を回避できない、この地球や世界に君臨する生き物です。

学びましょう。
遅くありません。

他者による挑戦、自分の真摯な解体の先に、必ず自分の生きるべき道が広がっています。
それは、今よりもずっと意味のある、豊かな双方向性のあるものでしょう。

私はモザンビークの人達にそのことを教えられ、今でも感謝し続けています。
教えるなんてとんでもなかったのです。

それに気づいた援助関係者の方々に、実はこの2週間、励まされ続けています。このブログを読み考えてくれているといいます。この場を借りて感謝いたします。

この問題については下記に入れています。詳細はそちらを
http://afriqclass.exblog.jp/i38/
by africa_class | 2013-06-13 22:31 | 土地争奪・プロサバンナ問題
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