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卒業祝い:「ちっぽけな自分を笑い、自分を超えたもののために生きる道を閉ざさない」、という生き方

2012年度の卒業生を送り出している時期に色々あり、しっかりと送り出す言葉を書くことができないでいた。もう9月が終わろうとしているこの瞬間、なぜか出張中のオランダのホテルで一言だけでも書いておきたいと思う。

まずは、皆さんこんなに遅くなってごめんなさい。
言い訳にはなりますが、忘れていたわけではなく、ずっとずっとあの時追コンでかけた言葉以上の何かをどのようにまとめて書けばいいのだろう・・・と考えていたら、あれもこれも言いたいのに、一つだけ絞っていうとしたらなんなのだろう・・・と迷っていたら、こんなに時間が経過してしまいました。ごめんね。

ゼミ生との毎年の出会い、そして毎年の送り出し、その繰り返しをしてもうすぐ10年が経過しようとしています。気が付いたら、100人以上のゼミ生との出会いとなりました。そして、そのパートナーたちや赤ちゃんたちや、増えていくファミリーとの沢山の新しい出会いがあります。

2004年には不可能だった、卒業生が後輩の面倒をみる・・・は見事に勝手に主体的に行われるようになり、卒業生の皆さんに心から感謝しています。この場をかりて、「ありがとう」を言わせてください。

皆さんとのどの出会いも、とてもかけがえがなく、時に反省しなければならないことも多々あり、率直にそれをお詫びしたいし、同時に皆があたえてくれた沢山の幸せと笑いを、それがくれた勇気と成長を、どう説明すれば伝わるものか・・・これを書く決意をした今夜にも未だ分からないのです。

でもやっぱり、皆がくれた力に感謝したいと思います。
皆の純粋なまっすぐな、でも不安げな眼差しをみながら教壇に立つと、ああ頑張らなければ、ただ教師としてだけでなく、人として、大人として、社会の一員として、日本の現状の責任者として、世界の一部として、がんばらなければ・・・と思ってがんばれてこれました。

時に(多くの場合?)、それが空回りになったり、やり過ぎになったり、時にやはり独立精神が必要だと不十分に対応したり・・・とおそらく皆の目からみたら色々だったと思いますが、それでも、一人一人のことを一生懸命大切に想い(私なりのやり方ではありますが)、これからも思っていくことを、何よりもまずは知ってほしいと思います。

それは単に私のゼミ生だったからというわけではなく、皆は「不十分だった」「先生は納得してないだろう」などと思っているかもいれないですが、一人一人が、素晴らしい人としての成長を、それぞれのやり方でみせてくれたこと、その成長に少しでも関わらせてくれたこと、そのことへの感謝が根本にあるからです。皆は、なかなかそのことが分からないみたいだけれど、自分が親になったり、先生と呼ばれる立場になれば分かるかもしれません。迷惑をかけたと思っている人も多いけれど、本当に全然そんなことないのです。大人の当然の役割ですから。

皆が良く誤解するようなので、前もっていっておくと、
今だから(卒論を書き終え、提出し、発表し、卒業し、社会人になった)分かると思いますが、私が皆さんに「求めていたもの」は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「何もなかった」のです。

皆は、ずっと私が皆に何かを求めていると信じて頑張っていたようですが。そして、それが日本での子どもの成長の際の「当たり前」なので、自然とそう信じていたかもしれませんが。今となってはこのこと、分かると思います。

私がもし何か求めていたとしたら、それは「皆が人として自分の力と想いで何かを求め、それを自分の責任において求めること」・・・でした。それは求めていたので、以上の記述は正確ではないかもしれません。

確かに、「スキルの向上」は提案してきました。
(勉強もそうですが、生き延びるという意味での)
また、「なぜ学ぶのか」を考え、話し合い、探究する場も提供してきました。

しかし、何をどうゴールとして設定して頑張るか・・・・は皆が探るしかなかった・・・だから、皆卒論が終わるまですごく苦しかった・・・と思います。

私は皆さんの求める「皆の問いへの答え」は持ち合わせているとは1パーセントも思っていないし、そして、それを想定して語ることもできないし、すべきでない・・・と思ってやってきました。勿論、事実誤認とか理解不足、あるいは調べ不足という点は多々あったので、それらの点については大いに情報を提供し指摘してきたつもりです。また、努力せずに結論を導き出すという「行為」については、厳しかったと思います。

でも、皆が自らのテーマを探しだし、自らの問いを立て、自らの手法で、自らの答えを導き出す・・・これのサポートはしても、邪魔はしてはならないというのが私なりの先生としてのルールでした。なので、クラスルームの場で「教え過ぎない」ということを、すごく気をつけてきたつもりですが、うまくいかなかったこともあったでしょう。

勿論、「私の問い」への「私の答え」は、あります。
が、前にも書いたように、授業ではその話はほとんどしてきませんでした。時間の無駄だし、30人いるゼミ生一人一人の多様性に寄り添って話を聞きたいのに、「先生」の話をしては、「真似しなきゃ」と言うことになっても困る・・・と思っていたからです。

むしろ、私の問題意識や考え、それへの行動は、社会「貢献」活動の中で知ってもらえばいいと考えてきました。それを知りたければ、このブログを読んだり、その他企画のイベントに参加すればよいし、知る必要がなければ知らなくていいし、関わりたければ関われば良いし、関わりたくなければ関わらなくてよいし、すべては皆次第であり皆は自由。なので、授業の中ではしてきませんでした。そのような狙いがないとしても、押し付けがましくなるので。

でも、授業の中でもっと話してほしい、教えてほいい・・・という希望が1年が終わると良く出されてきました。実は、白状すると、外大以外の大学では、講演会であったりするので、そういう話をよく学生の前でさせてもらってきました。でも、自分の大学では・・・難しいですね。例外はりくえすとに応え、1年に1度だけ、専門の授業で、何故自分がこのような研究や活動をするに至ったのかの話はしますが、大抵は最後の方で泣いてしまうのでちょっと恥ずかしい。

2012年度卒業生の前でも話しましたね。かなり長い時間。結局、泣いてしまった。あの瞬間何を想像してたかというと、私が私であることができる理由、私が私として生きる手がかりを与えてくれた、モザンビーク北部の農民のママたちの優しさと強さ、哀しみ、辛さ、喜びと温かさ・・・そんなものすべてを想像してしまうと、もう涙がいつも止まらないのです。

1994年・・・戦争直後に反政府ゲリラ勢力を含む元戦場を任地として働いていた時に出会った、あのお母さんたち。布きれ一枚、穴だらけの、骨と皮の、哀しそうな怯えた目の、あのお母さんたちが、どのように日々を生き抜き、その後の戦後を生きて、今に至るのか・・・20年ほとんど毎年のように農村にお邪魔しながら、自分の自らの努力で生活を立て直した姿を目の当たりにしてのことでした。

首都から最も遠いモザンビーク北部の中でもニアサ州は最も援助が届かない州であり、さらに州都から遠くアクセスの悪い元ゲリラ地域の南東部は、文字通り、「人びとが自力で生活再建を行った地域」でした。自分の食べるものもろくに生み出せない、家も自分で建てることのできない無力な私にとって、その姿から学んだことの大きさは説明しようがありません。

「ただ今日を生き抜く」・・・ことの偉大さに、そのことを家族が実現するために与えられているお母さんたちへの責任の大きさに、私は尊敬とともに、すごいものを見せていただいた感謝を感じてきたのです。もし、このお母さんたちとの出会いがなければ、あらゆる意味で今の私はなかったでしょう。

皆さん、「ただ今日を生き抜く」ことの素晴らしさを、心に大切に持ちましょう。何もかもが嫌になる時こそ、このことを思い出してください。

ただ注意が必要です。
「私が今日を生き抜くこと」には、パーソナルなニュアンスがあるかもしれません。
でも、戦後モザンビークで考えたことは、「今日を一人一人が生き抜くこと」の集合体があって初めて家族があり、社会があるということでした。

皆が「今日」を諦めず、「自分」を諦めないことは、すなわち「生命」と「ひと」と「社会」と「世界」を諦めないことなのです。

若い時分にこのことに気づくのはとっても難しいことだと思います。一人暮らしで一人で生きているつもりになっているだろうし、自分ぐらいいなくてもと思っているかもしれません。

すこし厳しいことを書くならば、「自分ぐらい」と思っている人ほど、実は心の奥底で「自分」を強く大事にしすぎていることが多いのだということに、早く気づいてくれるといいなと思います。

逆説的ですが、根っこの部分に後生大事にもっているか隠している「自分」がかわいく、傷つけたくない人・・・が多いのです。

あるいは逆のケースもあります。「自分だけは生き延びればいい」と考えているタイプです。
実は、今このような考えが、世界に蔓延っていると感じています。表面的には、「自分なんて」とリアクション的にいっているけれども、自分(とその感情や気分や利益)がとっても大事で、本音では「自分だけ」を重視している。

経済至上主義が蔓延るポスト冷戦期の社会においては、これはますます強くなって、日本だけでなく、世界中を席巻しています。そして、社会で働き始めた皆さんであれば、それをひしひしと感じていることでしょう。

新入社員の皆さんですから、それは仕方ないことかもしれません。それぞれがまずは社会の中で生きてみる、もがいてみる、その中で考えるしかない・・・実はそう思っています。

でも同時に、もしクラスルームを超えた場所で、もはや学生ではない皆さんに何か送る言葉を贈るとすれば、それは有難迷惑かもしれないとは思うものの、冒頭の一言に尽きるのです。

「ちっぽけな自分を超えたもののために生きる道を閉ざさない」

先述のとおり、「ちっぽけにすぎない自分」にフォーカスしすぎる精神構造、時間の使い方、努力の方向性は、自分にとっても破滅的ですし、皆がそのような状態になると、家族や、組織、社会、世界にとって破壊的です。残念ながら、今日本社会のあらゆる単位において、「自分にフォーカスし過ぎる人たち」が増殖しているように思えます。

長年において日本では、習慣として、家、地域、組織、社会の私物化が当たり前の社会でした。「自分のちっぽけさ」をカバーするために、「家、地域、組織の中の地位」が重視され、それらの私物化が横行して来ました。右肩あがりの時代はよかったでしょう。

しかし、もはや時代は変わりました。日本のわれわれは、あらゆる意味で、その「成功体験」に長年あぐらをかきすぎました。日本の社会のあらゆる単位において、それを私物化している人たちやグループは、仕事と自分を切り分けることができない故に、批判を受け付けられず、家族でも、組織でも、風通しがよく改善が可能なものから遠のいていっています。

日本が「変われない」理由にこれがあります。
そのために、私物化するほどの権力を伝統的にもってこなかった女性や若者は、正面からこの「私物化集団」と闘うというよりも、「離脱」を好んできました。その方法は積極的なものもあれば、消極的、わかりづらいものもあります。その結果として、彼ら彼女らが本来もっていた「変革のエネルギー」は、使われることなく、浪費され、あるいはしぼまされてきました。

新入社員の皆さんは、心当たりがあるでしょう。皆さんに変えられることなんで、何もない・・・と感じていませんか?あるいは、時代の先行きの不透明さから、将来への不安から(持ってて当然です。ほんとうに若い人にとって大きな課題が沢山与えられているのですから)、「自分だけは守らねば」と感じているかもしれません。つまり、私物化グループに皆もいち早く参加しなければならない・・・と感じているかもしれません。

でも将来の不安の出所の根っこの部分は、特に冷戦後、より自由になった社会において、「家」も「地域」も「組織」も変われなかった結果として起きているのです。既に出来上がった「強弱」関係を守ろうとする力の強い側が、ゆらく変動の時期にかたくなに「自分たちは正しく、そのため今まで通りでなくてはいけない」と求めた結果でした。そのために使われたエネルギーと、それへの抵抗は、結局は変革を求める人びとの離脱と、それぞれの単位の腐敗と硬直化、そして崩壊につながっていきました。

多くの「家」をみてください。
「地域社会」をみてください。
多くの政府組織をみてください。
多くの会社をみてください。
そして、この日本の現状を。

今の日本の状態を見回して下さい。上から下まで。すべての単位において、崩壊や綻びでガタガタしています。それは、オリンピックのような「夢」が足りないからとか、景気が悪いから・・・という一言では片付けられません。もはや、今の時代に相応しい変革は、とっくの昔に起きていなければならなかった変革が、どのレベルでも停滞し、場合によって、古いものがただ朽ち果てるのを待つしかない、あるいは破滅的にすべてを使い倒すのを手をこまねいて見ているしかない・・・という状態にあります。

こういう状況のなかでは、一人一人が自己防衛に走り、カネに頼るしか道がないように見えてきます。
他方、そんなカネすら手にできない若い世代は、より自己防衛に走らざるを得ません。とにかく、「上に従う」「大きなものにまかれる」「敗者になってはいけない」「勝者でありつうけなければ」。

「そのためなるべく他の人より早く、上手く、効果的に準備しなければ、損をしないようにしなければ」・・・という焦りが、大学生の皆さんにこれほど漲っている時代は過去にあったのでしょうか?そんな「勝者の道に乗れない」と感じ、自暴自棄になっている人もいるでしょう。

私が皆にいえることは、あまり多くありません。私自身が、そのような社会をみなに与えてしまった張本人の大人の一人だからです。今の大学生の倍近く行きている以上、責任から逃れられません。

それでも、あえていわせてもらえるのであれば、それは、そんな時代でも、「ちっぽけな自分の為に生きる人生のままでいいのか?」ということなのです。今、フレッシュマン・ウーマンの皆さんも、いつかフレッシュではなくなります。その時にこの言葉を思い出してくれればと思います。

「既得権益を守る上の世代」と「不安の中でそれに従わざるを得ない下の世代」で、今の日本社会の風通しの悪さは成り立っています。その連合の中にいれば、台風の目の中にいる静けさを錯覚として与えてしまいますが、その外はむちゃくちゃな被害が生じ続けています。台風のように破滅的パワーをもって。自分たちは良いように思われるのですが、周りが破壊しつくされた後、自分たちだけも本当に無傷で残ることができるのか・・・それは誰にも分かりません。

そもそも、そういう生き方をしているという自覚もないかもしれません。それはそれで仕方ないでしょうし、あるいは私の認識・理解が間違っているかもしれません。

いずれにせよ、「台風の目の外の被害」、そして台風の外に穏やかな世界があるという事実・・・これを忘れないようにしましょう。渦中にいると感じれば感じるほど、「その外はどうなのか」に努力して意識と視線を飛ばすようにしてください。

難しい時には、「自分のちっぽけさ」を笑ってみましょう。
自分の愚かさを、卑下する形ではなく、大いに笑ってみましょう。
大丈夫。誰もみてないから!

そのちっぽけな自分を、次に、もっと大きなもののためにどうにか生かせないか、考えてみてください。日々の生活に追われてそれこそ無理でしょう。「日々生き抜く」といったのに、矛盾していないか・・・そう思うかもしれません。

私がいいたいのは、逆説的ではありますが、「ちっぽけな自分」の愚かさを笑い、そんな愚かな自分だからこそ他の者・ものの役に立てればいいと感じた時に、きっと皆に開ける道はあるはずだ・・・ということなのです。それが、「日々を生き抜くこと」の意味を、限りなく広げてくれるのではないか・・・と思うのです。

「今日はよい一日だった」・・・というために、他人の評価は不要です。あるいは、「ちっぽけな自分にとってどんな良いことが起きたか」を判断基準にする必要もないと思います。むしろ、「ちっぽけな自分を笑い、それを超えたもののために何かしようと生きた」のであれば、結果が伴わないとしても、とても良い一日を過ごしたということなのだと思うのです。

ひとは一人では生きていきません。
誰かに必要とされ、誰かのためにがばんばりたい生き物です。
かといって、誰かが望まないがんばりを、勝手にしてしまう生き物でもあります。
だから、「誰かのために」という時にこそ、その「誰か」の心の声に耳を傾け、立場は違えどともに生きる道を真剣に探っていかなければなりません。

それに気を付けつつ、今日も、明日も、一日を、大いに自分を笑いながら、もっと大きなもののため、気持ちよく健やかに生きる可能性について探究すること・・・、をどこか頭の片隅においていただければと思います。何か、自分が間違っている道に入って行こうとしていると感じた時に、このことを思い出していただければ。

実は、自分が考えている以上に自分も、世界ももっと可能性に満ちている、ということも。

そして、私もそすやって生きていく努力を下手なりにやっていこうと思っています。
いまさらですが、

卒業おめでとう。
皆さんの道のりに沢山の笑いと幸がありますように。
困ったときはいつでもどうぞ。
ドアはいつも開いています。

舩田
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by africa_class | 2013-09-24 07:34 | 【大学】アフリカゼミ(3・4年)
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