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【追悼】母マリアのこと。ドイツのホスピス(終末ケア)のこと。

昨日は諸聖人の日で、ドイツでは亡くなった人を弔う日だった。私たちも母と父が大好きだった森とかつて暮らしていた村に弔いに行った。辿り着くまでは大雨だったのに、森に着いた途端ぴたっと止んで、ああいつも天気を気にして、晴れていれば、「太陽が出て嬉しい」と小躍りしていた母を思い出した。帰り道には、前回と同様、虹が出ていて、しかも二つも虹が出ていたことに、なんだか父と母のように思えてきていつまでも家族3人で見とれていた。

前回、「義母」と書いたのだけど、実はもう正式には義理の関係ですらなかった。でも、私にとっては「第二の母と父」ともいえる二人のこと、「母と父」でいいかなと思って、今後そう書こうと思う。

このブログで母マリアの介護のことを書いて1年近くが経とうとしている。あの後、母の容態が急変してしまい、母は帰らぬ人となった。そのことを書こうと思っていたのだけれど、どうしても書くことができなかった。それぐらい、私には色々な意味で大きな出来事だった。

母マリアは東洋からきたドイツ語もろくにできないわたしを、本当の娘のように受け入れ、慕い、優しく接してくれた。孫を心から愛し、一生懸命話しかけ、一緒に育ててくれた。私たち家族への彼女の無条件の愛は絶対であって、無限だった。でも、いろいろなことがあって、最後は十分に母に優しく接することができなかったことを、今でも後悔している。人生というのは、そういうものなのだろうと思いながらも、生きているうちに出来ることをしなきゃいけなかったと、ふとした時にため息をついてしまう…。

たくさんのことを書くまでには乗り越えられていないので、簡単に母の最期について紹介したいと思う。在宅介護にするかどうか話し合っているうちに、病院の先生から緊急呼び出しを受けた。家族全員で話をしたいとのことだったので行ってみると、オランダ人の先生は次のようにしずかに切り出した。

「お母さん、いずれにしても残りの人生はわずかです。いまチューブを付けて呼吸を確保し、点滴で栄養をあげていますが、お母さんはこのような形での最期を望んでらしたでしょうか?」

私たちは顔を見合わせた。母はいつも、このような最期だけはやめてほしいと言っていたと伝えたところ、先生は一呼吸をおいた。

「では、全部外してホスピス(終末ケア)に移りませんか?この病院にはホスピスが付属していて、家族で最期をゆっくり過ごすことができます」

ツレは動揺した。まだ母は在宅介護できるほど元気だと思っていたからだ。

「一度家族だけで相談していいでしょうか?」

そういって一旦みなで相談することにした。このホスピスの案に一番賛成したのは息子だった。

「オーマ(おばあちゃん)はこれ外してといっていた。こんなのやだと思う。こんな風に生きたいと思ってない。もうオーパ(おじいちゃん)のところに行きたいって、この前いってたやん」

自分がオーマの立場だったら、私も同じように考えるといったが、独り息子のツレにとって、母の命の日数を短くする行為を自分が決める立場にいることに動揺して、何も決められない。

「オーマが元気だったころにどう言ってたのか、思い出して。お姉さん(父方)にも聞いてみて」

ようやくお姉さんと話したところ、彼女が元気なときに延命を求めないという書類にサインしていたことをツレに思い出させた。(え、、、そんな重要なことも覚えてないんかい?!と突っ込みたくなったが、動揺している以上仕方ない。自分の生母のことだったら、私もそうなるかもしれない)

家に戻ると書類の束からそれを探し出したツレはじっと書類に目を落としていた。確かに母のサインだった。お葬式の契約をするときに、これも作成したのだという。歳をとると色々なことが起こる。母はちゃんといろいろなことを準備していたのだと思うと、私たちもいつなんどきのために準備をしないといけないと、勉強させられた。

病院にホスピスへの移動をお願いした。
移動するからには、覚悟をしてほしい。まだ母が穏やかなうちに、会いに来てお別れをしてほしい親戚・家族・友達を呼ぶようにと看護師にいわれた。

ホスピスの部屋は広くてあったかくて、天上には空が描いてあって、絵もかざってあって、音楽も流れてて、高級ホテルのよう。ベットも二つあって、母の横に眠れるようになっている。もう一つのベットで眠っている母は穏やかで、とてももうすぐこの世を去る人には見えなかった。戸惑っていると、看護師が、きっぱりとした口調で教えてくれた。

「お母さんにとって、みなに覚えておいてほしいのがこの穏やかな姿だと思います。だから今なんです」

ひとりずつ母と二人きりになってお別れを話すことになった。
息子が最初だった。
私が忙しかったこともあり、息子は二人の祖母が育ててくれたようなものだった。幼少期は私の母。ドイツに避難してからはドイツの母。そんな息子にとって大きな、大きな存在の母。何を話したのかは分からない。でも出てきた彼はなぜかすごくすっきりとした顔をしていた。

次はわたし。
次に姉。
最後にツレ。

母は全部聞こえているようだった。そのはずはないのだけれど。とても嬉しそうにしてくれていた。みたかんじ、未だ未だ何週間もそこで暮らすことができそうなぐらい、穏やかだった。呼吸器も点滴もないというのに。

一度家に戻って晩ご飯を食べていたとき、ふと、母が呼んでいる気がした。

「いますぐ行った方がいい。泊まるつもりで行ってきて。もうお母さんと一緒にすごせる最後の夜になるかもしれないから。」

ツレは戸惑った。というかややパニック気味になった。

「だってあんなに元気だったじゃない」

そう思いたい。だけど、私には今夜が母の最期の夜に思えてならなかったのだった。

「あなたとお母さんは未だ十分に和解してない。これを逃すと一生後悔するよ。お母さん、ひとりぼっちにしてはいけないと思う。せっかくベットがあるし。準備手伝うから」

そう背中を押した。布団を運ぶツレに、庭からハーブを摘んで母にもっていってもらった。翌朝、とてもとてもよい夜だった。母といろいろな話ができたと、疲れながらも満足な表情のツレをみて、ああこれで母は旅立ってしまうのだと思った。無邪気なツレは、「まだあと1週間ぐらい頑張れそうだ」といっている。

静かに頷きながら、覚悟をした。
私も行きたいから連れていって。
戻ってきたばかりだというツレを説得して家を出る準備をしていた瞬間に携帯がなった。

母の容態が急変したという。

慌てて父の愛用の帽子を掴んで、家を出た。15分の距離が長く感じる。

部屋に駆けつけると、母の手を握ってくれていたボランティアさんがいた。
母はカトリックだったので、カトリックのボランティアさんが、家族がくるまでの間手を握ってお祈りをしてくれていたのだった。

ああひとりで旅立たないようにと、ここまで考えてくれているんだと、とても感激した。私たちが到着するとボランティアさんは静かに立ち去り、母と3人になった。母はとても息苦しそうだった。でも、私たちがそばにいるのが分かっているようではあった。ツレが母を抱きしめた直後、母は旅立った。

スタッフの看護師のみなさんがやってきて、私たちにリビングで待つように伝えてくれた。リビングには、沢山の果物と水とコーヒー、本やテレビがあって、まだ信じられない気持ちでいる私たちを看護師さんたちが、入れ替わり立ち代わり慰めてくれる。聞けば、このホスピスもできて8年しか経っておらず、ドイツでもまだ十分に普及していないのだという。

夜も休むことなく同じ村の出身の8人がフルタイムで担当してくれており、ホスピスの明るく家族っぽい雰囲気はここからきてるんだな、と分かった。

その間に母の姪(75歳)が、近隣の村(といっても20キロぐらいの距離)から、サイクリング自転車で駆けつけてきた。急に予感があってきた、と。10分遅かった。彼女が間に合わなかったのは本当に後悔だ。電話番号が古いままで電話できなかったというが、とにかく親戚の電話番号はアップデートしておかねばならないと思った瞬間だった。

こうやって母は自分が望んだとおりだったかは分からないけれど、ある程度納得できる形で旅立っていった。残された私たちもまた、このように母とすごせる時間があったこと、空間をいただけたことに、心から感謝している。

施設の写真を貼っておくので見てもらえば分かると思うのだけれど、本当に「素敵で快適なお宅」といった雰囲気のところで、市立病院とは思えない充実度。といっても、メインの病院部分も機能もしっかりしていて嫌な匂いも一切せず、さすがドイツと思える機能的でクリーンかつ重厚的なつくりだった。

ドイツも日本も超高齢者社会が待ち受けている。
人生の最期を誰と、どこで、どのように、すごすのか、どう生きるかとともに重要なテーマとなってくるだろう。よく生きることはよく死ぬことでもあると、実感したあの日。家族に看取られるということが、いかに幸せなことなのかについて、逝く側だけでなく残される側としても考えなければならないことだな、と肌で感じた。

母の経験が、少しでも日本の終末ケアを考えるヒントになればと思い、写真を大目に紹介しておきます。

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母の森のそばで虹が迎えてくれた。
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ホスピスの部屋の天上

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さすがドイツな音楽システムあり

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皆が使えるリビングがある。子どものままごとセットも
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ダイニング。いつも果物が盛られていて、食べてよい。
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みなが使えるキッチン。その気になれば、1週間でも泊まっていい。
各部屋にはトイレとシャワーがついている。




by africa_class | 2018-11-03 03:34 | 【徒然】ドイツでの暮らし
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