人気ブログランキング |
ブログトップ

Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

【国連総会にて最終採択!】「小農権利 国連宣言」が国際法に!121カ国の賛成(日本棄権)で採択されました。

いましがたNYの国連総会にて、「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が最終採択されました!121カ国の賛成票を集め、反対票8カ国、棄権票54カ国。これで、「小農の権利」は、「先住民族の権利に関する国連宣言」と同様、国際法の一部としてしっかり位置づけられることになりました。

長いながい旅でした。
感慨深すぎて、いま呆然としています。

本当は、以下の続きを書くつもりでしたが、先にこの話題を集中的に書いていきたいと思います。私の中では連動していることなのですが、ちょっと今は上手く総括できそうにないので、「小農の権利国連宣言」に集中します。

研究界への介入・暴力(3)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと
https://afriqclass.exblog.jp/238907964/

さて。
本当はこのタイミングで農文協さんから解説と訳文が出版させるはずだったのですが、2月になるとのことなので(涙)、少し頭だしする形で、このブログでこの宣言の意義を皆さんにお伝えしていきたいと思います。

がしかし、細切れになる点ご了承下さい。

まず「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」について初めて知ったという方は、このブログの関係投稿を先にみて下さい。

【国連】小農の権利宣言

https://afriqclass.exblog.jp/i43/
全訳(ドラフト宣言のですが)と国連でのこれまでのやり取りの詳細まで掲載しています。

さて。

世界最大の小農運動であるビア・カンペシーナがこの宣言を構想してから16年。国連人権理事会で6年にわたる議論を経て、今年の秋の国連総会に送られてきたこの「小農権利宣言」。11月19日の国連総会第三委員会(社会、人道、文化委員会 *全加盟国が参加)でまず採択されました。

賛成票:119カ国
反対票:7カ国
棄権票:49カ国

そして、この棄権49カ国の中に日本が入っていたことについては、先月11/20-22に東京で開催された日本・モザンビーク・ブラジルの農家や市民が集って開催した3カ国民衆会議で繰り返し問題とされていたので、ご存知の人も多いかも?
http://triangular2018.blog.fc2.com/

そして、ついに本日、国連総会本会議にて、最終的な採択が行われました。結果、全加盟国193カ国による、以下の投票結果により採択されました。

賛成票:121カ国
反対票:8カ国
棄権用:54カ国

反対票を投じた国は、英米の他、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエル、ハンガリー、スウェーデン、グアテマラの8カ国。この段階でグアテマラが入っているのは注目ですが、まあ現政権への米国の介入は広く知られている通り。

そして注目の日本は再び「棄権」。。。
11月19日の棄権については、3カ国民衆会議時(11月22日)に外務省国際協力局告別開発協力第三課の井関至康氏が説明してくれています。UPLANさんが、日本の関係者のみのやり取りを抜粋してくれた動画がネットで公開されているそうなので、そちらをご覧頂ければ。

20181122 UPLAN
【緊急報告会】日本とODA/投資:モザンビーク北部で何が起きているのか(抜粋)
*13分30分あたりからそのやり取りがあります。
*それ以外もモザンビーク小農の権利をめぐる白熱議論なのでぜひ観てくださいね!

実は、外務省とのやり取りの前にブラジルの小農運動(MPA *ビア・カンペシーナ加盟団体)のジルベルトさんから次のような指摘がありました。

つまり、日本は小農支援というが、これまでのブラジルやモザンビークの小農に対する態度をみても、また小農権利宣言の採択において棄権をしており、本当のところは小農の権利に関心が薄いのではないかという趣旨の発言。これは、モザンビークの市民社会も指摘していたことでもありました。プロサバンナのような問題が起きるのは、援助する側(つまり日本の政府やJICA)に小農が主権者であることの理解が欠落しているからではないか、というのです。

と投げてもなかなか回答しづらいだろうと思い、司会の私の方から、外務省になぜ賛成票を投じなかったのかについて質問しました。

井関課長は、交渉の担当課から話を聞いてきてくれた上で、大体以下のような説明をしてくれました。(正確には各自で動画を確認下さい)

日本政府は棄権したが、当然小農の権利、小農の皆さんが人権を有していることは、日本国憲法上も明らか。否定する意図はない。分かりづらいが、小農の人権という概念が国際法上の概念として成熟しているのか、そこまで言えるのかという点について、これまでの議論の中で日本政府としては自信をもてなかった。交渉担当課に確認したところ、率直にいって、もう少しこの辺について議論をしたかった。

とのことです。

実は、このような指摘(国際法上の成熟如何)は、6年にわたってずっと議論されてきました。6年間の議論を追っていけば分かることなんですが、国際法の専門家らにことごとくその指摘はあたらないと反論されてきた点でもあります。なので、「もう少し議論したい」ということだけでは不十分。井関課長は聞いてきただけだから仕方ないにせよ、このブログでも紹介しているように、日本政府はわざわざ「食の主権」や「種子の権利」に反対してきた事実があります。そのことを考えると、「国際法上の成熟如何」の話より踏み込んで、日本政府としてなぜ、わざわざこれらの権利に反対するか、説得力のある説明をする必要があります。しかし、これまで、日本政府代表は「新しい権利だから(反対)」程度の説明しかしてきませんでした。

でも、このような「未成熟」「新しい権利」との主張は国際討議の場では説得力をもってきませんでした。結果、121カ国(その大半がかつての被植民地国)が賛成票を投じたのです。

なぜ説得力がなかったのか?

実は、国際法を勉強した人なら最初の方で教わることなので、あえて私が書くのもなんですが・・・国際法、特に人権関係の法律は、現状追認型ではなくって理念から現実をひっぱるように構想されています。常により前向きに、人びとの権利を拡充していく方向で変化し続けるものという前提で、国際法は前進してきたのです。

「国際法」とか「人権」とかいうと、日本ではどうしても遠いものに思われてしまいます。日本の私たちにとってどれぐらい重要なことなのかは、また議論が長くなりそうなのでまた今度にします。分かりやすい例でいうと、第二次世界大戦直後の世界の大半の地域や人びとが植民地支配下にあり、女性の参政権もないところが多く、人種によって差別を受けていたことを考えれば、いかに国際法が重要だったか少し理解できるかもしれません。2018年現在、わたしたちが世界の当たり前と受け止めることの大半は、まずは国連憲章、そして世界人権宣言(1948年)が採択されてから、その理想に現実をあわせていこうとする非差別・抑圧者とそれを支える人びとの不断の努力によって、一つずつ実現してきたものでした。

国連で植民地支配下の人びと地域に独立付与が宣言されたのは、世界人権宣言から20年近く後の1961年のこと。でも、現実に、南部アフリカの人種・植民地支配からの解放は、1975年のアンゴラ・モザンビークの独立、1980年のジンバブエの独立、1991年のナミビア独立、1994年の南アフリカでの全人種選挙の実現までかかりました。

国連で独立付与宣言が採択されたのに、これらの国々の人びとは武器をとってまで独立を勝ち取らなければならなかった。数十年かかったけれど、最終的に勝ち取った。それは被抑圧者の死と隣り合わせの闘いの結果ともいえるのだが、他方で、人類史の歩みの中で、先に国際法のレールが敷かれていたことを無視することはできないと、思います。

このことを実は、新刊の『解放と暴力ーアフリカにおける植民地支配と現在』東京大学出版会(小倉充夫先生との共著)の1部2章と3章で議論しています。
http://www.utp.or.jp/book/b372472.html

現在からみると、植民地からの独立付与宣言は当然のことに見えます。でもこの宣言すら、当時、ヨーロッパの植民地保有国だけでなく、米国も棄権票を投じるほど議論のあるものでした(英米の他、フランス、ベルギー、ポルトガル、スペイン、南アフリカ、オーストラリアなど)。

このように国際法は、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」とされる世界人権宣言を土台にしつつ、これらの基準を満たすことを構造的に難しくされている特定グループ(被差別、脆弱な…と言われる)を、一つずつ注目し、その構造的な人権侵害を乗り越えるための国際法の改善を行ってきたのです。

1945年以来、「女性」→「被植民地」→「人種」→「子ども」→「先住民族」と進んできた特定グループの人権を擁護するための宣言や法制度の整備は、21世紀から18年を経て、ついに「小農と農村で働く人びと」におよんだことになります。

繰り返しになりますが、「人権概念として成熟していない」ということは、国際法の発展の歴史、とりわけ第二次世界大戦後の世界の変化をきちんとおさえているのであれば、言い訳として正当性を欠いています。人権概念として成熟するのを待てというという主張自体が、現状の被抑圧・差別状況を放置してよいということになるからです。

ここに、日本特有の誤った認識ーー人権が「親方ヒノマル的に守ってあげる、恵んで(支援して)あげるよ」の概念だとの認識ーーが見え隠れしてしまっています。そして、これこそが、モザンビークやブラジルの農民たちが日本に来てまで拒絶していることなのです。あなたたちの施しは要らない。決めるのは自分たちだ、と。

これを機会に、人権は、それが国内におけるものであれ、国際レベルにおけるものであれ、「政治的な力によって権利を剥奪されている人びとの置かれている垂直状態をどうするのか?」という問いを含んだものであることを、より多くの人に理解してほしいと思います。人権が鋭く問われる瞬間には、抜き差し鳴らない政治経済社会文化の状況があります。そのような状況に、いま世界的に直面しているグループがあるとすれば誰なのか?

21世紀にはいり、特に2008年以降の「食料危機」のなかで顕著になったのが、世界の小農でした。これは、南の小農に最も如実に問題が現れているとはいえ、北の小農も様々な形で小農としての暮らしが営めないほどの危機に追い込まれていることを考えれば、「小農」という括りがいかに現実的な意味をもっているか明らかでしょう。

なお、日本では、「食料危機」を「食料が足りない」話に矮小化する傾向が根強いですが、今回の「小農権利宣言」が採択されていくプロセスの議論をしっかり追えば、問題はそこではないことは明らかでしょう。ここでいわれいてる「食料危機」とは、世界大で展開しつつ地域社会に家庭に影響を及ぼす「複合かつ構造的な危機」のことであり、その根っこに冷戦後に進められてきたグローバル経済と南の「辺境地」への浸透のあり方、国際ガバナンスの失敗があります。これについては、農文協の原稿をみていただければ・・・。

書きたいことは山ほどありますが、今夜はここら辺で。

国際法にしっかり書き込まれた「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」。これが実現した背景には、これらの人びとを取り巻く環境がそれだけ厳しいという現実があることは明らか。でも、だからこそ、人類の歴史が後退と破壊を繰り返す中で、少しでも前進する瞬間をみた日には、お祝いしたいと思います。

そして、何百回でも強調したいのは、この「小農権利国連宣言」は、南の小農運動自身の発案で、国連に持ち込まれ、その宣言文案のかなりの部分が採択されたという事実。当事者の発案・起草文が、国際法になったのは、後にも先にもこれが初めてのはず(違ってたらごめんなさい)。

少なくとも、2008年の先住民族権利国連宣言の時点では実現していない。その意味で、国際法はもはや国際法を学んだエリートらが冷暖房が完備された先進国の会議室で起草して採択するものではなくなってきていることを象徴する出来事といえます。

どうやってここまでこぎ着けたの?
という人に朗報。
出来立てホヤホヤの訳書をぜひお手に取っていただければ。

シリーズ「グローバル時代の食と農」
『国境を超える農民運動〜世界を変える草の根のダイナミクス』
マーク・エデルマン&サトゥルニーノ・ボラスJr.
(舩田クラーセンさやか 監訳・訳者解題)
(岡田ロマンアルカラ佳奈 訳)
http://www.akashi.co.jp/book/b420388.html

日本、モザンビーク、ブラジル、世界の小農と農村で働く皆さん、おめでとうございます。まさにここからが正念場です。A luta continua!

a0133563_05052816.jpg


by africa_class | 2018-12-18 05:18 | 【国連】小農の権利宣言
<< グローバルな食と農の危機と抵抗... 研究界への介入・暴力(3)〜2... >>