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【あと26時間無料】朝日新聞社『論座』の連載(「イスラム国がモザンビークを攻撃」の衝撃(下)〜天然ガス開発の深刻な影響と日本の関与)が掲載されました。

おはようございます。
前回ブログの反響がどうやらすごいのですが(笑)、また改めて投稿したいと思います。人生をかけての、私の役割は、ファクトに基づきつつ「タブーに切り込む」ことで、いろいろな人が考えるきっかけを提供することなんで、議論を喚起できれば幸いです。

今日は、あと26時間経つと、無料では読めなくなるので、昨日掲載された連載の最新記事を紹介しておきます。
(*掲載から48時間無料なので、多分月曜日夜までは無料)

実は、この連載のグランドフィナーレ「結」も書き終えており、火曜日夜に掲載の予定です。自分でいうのも何ですが・・・みなさんが、ビックリするような結末を迎えますので、どうか事前に(上)(中)(下)と読み進めておいてほしいのです。その結論は、最初からイメージしていたものでした。しかし、現実が私の不安を遥かに超えたものとして、立ち現れてしまいました。

「イスラム国が #モザンビークを攻撃」の衝撃(下)
天然ガス開発の深刻な影響と日本の関与


「知らなかった!」「もっと読みたい!」の方は、ぜひ「論座」読者になって、(上)と(中)をお読み下さい。



天然ガス輸入で日本も関係大。「遠いアフリカの国」の出来事で片付けられない



攻撃の背景に関する四つの分析




この連載を書こうと思った理由を少し紹介します。


(1)『モザンビーク解放闘争史』(御茶の水書房)を出版してから、はや12年が経過しました。アマゾンではない本の紹介ページを探してたら、なぜか峯陽一さんの書評が出てきたのでそちらを紹介させていただきます。

勿体ないほどのお言葉ですが、同時に前段の峯さんの想いもまた、この連載につながってくる話なので、時機にかなったものかな・・・と思い、皆さんに是非ご一読いただけたら。実は、この書評読むのが10年ぶりぐらいなので、目から鱗の発見がいっぱいありました。

(1)でやろうとしたことを、こんなに的確に短くシャープにまとめてもらったのは、本当にいくら感謝しても感謝しきれない。700ページ。。。あの時代は、どうしても簡単に説明するということが出来なくって(今もだが)、こんな風に書けばいいのだな、と本当に勉強になる。自分の思い入れがあることを、少し離れたところから見て、表現するって、本当に重要ですね。まだまだそこが苦手です。



一部十分に伝わっていないこと(解放闘争期のフレリモの評価、マシェルの評価、国際関係の重要性)があるのに気づきました。伝えるって難しいですね。特に、マシェルの評価はそう書いたつもりなく、またモザンビーク戦争の原因を「内部要因」に求めないためにも、歴史と国際関係の縦軸と横軸を広げたのだけど・・・本全体の中で「内部」に触れる割合が大きいとやっぱり伝わらないんだな、と。前段階で枠組みを広げてからやったので、大丈夫かと思ったのだが、甘かった。でも、そうかもしれないと思ったので、あとで紹介する(3)『解放と暴力』で補足したつもりです。峯さんに、いつかぜひ(3)の書評を書いていただきたいなー。

でも、学問の場から離れて暮らすと、そういう学術的なやり取りが恋しくなったりする。鳥の声を聞きながら生きとし生きるものたちからの深く複雑な学びもまた格別ながら。

私の言葉で(1)を紹介するならば、長い植民地支配、それからの解放の死闘、そしてすぐに勃発した過酷な戦争・・・。世界と歴史に翻弄されながらも、時に抗い、時に流れに乗り、生きてきたモザンビークの人びと。歴史の縦軸と国際関係の横軸で、人びとの生との綱引きをあぶり出そうとした・・・のかな?

実は、これを着想し書いてる間、ただ研究していたわけではなく、同時進行で、モザンビークや世界、日本の仲間たちと、モザンビークの和平と民主化に関わりながら、祈りながら調査し、考え、書いたものでした。

そしてモザンビークはどんどん進化を遂げ、モザンビークの新しい多様な人びとが、未来の土台をつくっていっているのを眩しい思いで見た時代もありました。平和や民主主義が社会に根ざしたものになるようにとの機運は、アフリカの中からも、世界でも、広がっていました。その運動に参加しながら、(2)をまとめたのでした。


(2)『アフリカ学入門』(明石書店)を出してから、9年。



日本でも政権交代が実現した時期でもありました。
アンゴラの腐敗を尻目に、「資源がなくてよかったね」と平気で口にできる外交官や政府関係者、研究者やNGOたちと、モザンビークの持続可能な未来を、夜な夜な語り合ったのもこの時期。

しかし、2012年夏にプロサバンナの問題で、モザンビーク小農運動に呼び出された時に、すでに(2)で見た夢が遠のきつつある現実にうすうす気づくようになりました。確かに、モザンビークの農村部の環境は激変する兆しを見せていました。

あとは怒濤の日々でした。
警告したことのすべてに、日本の官民が手を染めていくのを、後追いすることに疲れ切った時期もありました。

何度も何度も、この道は行ってはならぬ道と、ファクトを集め、提供し、伝えてきました。
でも、立ち止まらなかった。その道を突進していった…。

小農運動に呼び出されて、気づいたらあれから7年。
日本を離れてなお、日本について考え、動き続けないといけないのは、正直辛いです。
でも、1994年にモザンビーク北部の村々で出逢った人びととの約束が、私を突き動かしてきました。「世界に伝えて」との言葉に。

考えたら、私には「ペン」しかなかった。
それを十分に活かすことを許さないような自分の健康と日本の市民社会の状況がありました(今もある)。

でも、「世界に伝えて」と言葉を託してくれたモザンビーク北部の人びとのほとんどが生きていない現実の中で、やはり私はこの「宿題」を果たし続けないといけないと、ようやく思い当たりました。

なので、以下の6章は、この間みてきたモザンビークの変化を、歴史の中に位置づけながら描いたものです。自分の20代から40代半ばまでを共にすごしたモザンビークと日本のかつての仲間へのレクイエムとしても書きました。

(3)小倉充夫先生との『解放と暴力ーアフリカの植民地支配と暴力』(東京大学出版会)


そして今、6章で書いたことが、さらにパワーアップ&最悪の形で、モザンビークに立ち現れています。日本の関与をもって。
だから、(3)の続編として、この『論座』の連載を始めました。

学術界の知っている人にだけ伝えるのではなく、より広い層の皆さんに伝えたいと思って。
連載を続けながら、事態は悪化していきました。
それも分かっていたことでしたが、最初に想定した以上の展開となってしまいました。

でも、結論は同じです。
そのことが、悲しいです。

最後の「結」を読めば、問題の大きさに気づいていただけると思います。

分析は徹底的に悲観的にして、目標はポジティブに立てる。
そうやって生きてきました。
でも、いつもこの悲観的な分析が当たらなければ・・・とも思っていました。

当たってしまった今、私たちに残されているのは「希望」だけなのかもしれない。
だから、今日も「希望」を紡ぐために畑に向かう。

【あと26時間無料】朝日新聞社『論座』の連載(「イスラム国がモザンビークを攻撃」の衝撃(下)〜天然ガス開発の深刻な影響と日本の関与)が掲載されました。_a0133563_18520697.jpg
写真は、『論座』の連載(下)でも使わせていただいた「モザンビークのいのちをつなぐ会」さんのもの。マコンデの人びとの伝統儀礼の様子です。








by africa_class | 2019-10-20 19:28 | 【記録】原稿・論文
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