プロサバンナが終りました…(涙)。
長い、長い、ながい闘いでした。
反対運動の先頭にたっていた「小農の父マフィゴさん」を失いながらも、JICAの資金を使った介入によるモザンビーク市民社会の分断活動に直面しながらも、決して諦めなかった事業地の小農運動の勝利です。そして、それを8年にわたって支え続けた3カ国と世界の市民社会の…。
モザンビークの日本大使館のプレスリリース
https://www.mz.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_00042.html
一番重要であり、プロサバンナを面的に拡大するために不可欠だった、「ナカラ回廊 農業開発マスタープラン 」の作成事業(#ProSAVANA-PD)を中途で断念させたことを意味し、モザンビークの事業対象地(ナカラ回廊地域)の小農運動の大きな勝利となりました。
(*読み直さずだったので一部誤字脱字などありますが、落ち着いたら修正します。まずはこれでご容赦下さい)
反対運動のスローガンは、植民地解放闘争と同じ、「a luta continua!(#闘いは続く) 」でした。この表現に込められた、どんなに辛く長引く闘いでも、決して諦めないとの決意が、この勝利を導き出しました。
丁度8年前の同じ月、8月のことでした。モザンビーク最大の小農運動(UNAC)に呼出され、国際NGOの協力を得て、半年をかけて情報収集とJICAを含む3カ国の政府関係機関にインタビューをしたが、この援助は農民にとって危険なものになる可能性が高いので、協力してくれと説得されました。それから、UNACは事業対象3州の小農運動のリーダーを集め、数日にわたって事業についての分析と議論を行い、「反対」の意向を固め、あの最初の「プロサバンナ声明」を出したのです。
この声明はこうはじまります。
「…の農民が集い、プロサバンナ事業に関する議論と分析を行った。 プロサバンナは、モザンビーク共和国、ブラジル連邦共和国、日本の三角事業であり、ニアサ、ナ ンプーラ、ザンベジア州の 14 郡に影響を与える約 1400 万ヘクタールに及ぶナカラ回廊開発のため の巨大農業開発事業である。 当該プロジェクトは、ブラジルのセラードにおいてブラジルと日本の両政府によって実施された農 業開発事業に触発されたものである。セラード開発は、環境破壊や同地に暮らしていた先住民族コミ ュニティの壊滅をもたらし、今日セラードでは、単一栽培(主に大豆)の大規模な商業農業が行わ れている。ナカラ回廊地域は、ブラジルのセラードと類似するという気候上のサバンナ性や農業生 態学的な特徴、国際市場への物流の容易さにより、選ばれた 」
2012年10月に出されたこの声明は、最後は停電する中、トーチライトの中で、農民リーダーらが言葉を紡ぎ出した声をまとめたものでした。
この声明を受け取った時の、心の震えは、今でも忘れられません。
自らを「主権者 」と「地球の守護者 」として位置づけた、しかし何がなぜ問題かを冷静かつ端的に整理し、反対を表明した声明。それまで研究の中で触れていた、ポルトガルによる植民地支配・冷戦状況・アパルトヘイト下の周辺諸国の介入と闘ってきたモザンビーク小農の姿が、目の前に現れた気がしました。彼女ら、彼らは、1964-74年の実に10年にわたって、武器を取って、解放のために闘わなければならかったのです。
写真:小川忠博氏提供(1973年4月、小農を主体とする「モザンビーク解放戦線(フレリモ)」が、タンザニア国境を越えて、モザンビークの森にある「解放区」で訓練するところ)
8年前のモザンビーク北部小農の高らかなる宣言を、ぜひ噛み締めて読んで頂ければと思います。
「我々は、モザンビークにおける農業分野の開発のオルタナティブとして、食料主権に基づく小農主 体でアグロエコロジー的生産モデルへの強いコミットメントを継続する。このモデルは、すべての 側面で持続可能性を考慮し、実践において自然に寄り添ったものである。 小農による農業は、地域経済の主柱であり、農村における雇用の維持と増加に貢献し、都市や村落 の存続を可能にする。協働が、自身の文化やアイデンティティを強めることを可能とする。このオ ルタナティブなモデルにおいて、開発政策は、社会的にも環境的にも持続可能であり、民衆の現実 のニーズや課題に基づいて組み立てられなければならない。 農民は生命や自然、地球の守護者である。小農運動としての UNAC は、農民の基礎(土壌の尊重と保 全、適切で適正な技術の使用、参加型で相互関係に基づく農村開発)に基づいた生産モデルを提案 する 」
ここら辺のことは、「#モザンビーク開発を考える市民の会 」のホームページで整理されているので、ぜひご一読下さい。
http://stop-prosavana.heteml.net/mozambiquekaihatsu.net/
すぐさまこれを翻訳して、紹介したところ、AJF(アフリカ日本協議会)の事務局長だった斉藤さんが、すぐに日本のNGOやアフリカ関係者に声をかけて下さいました。
https://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html
(*スクロールすると最初の声明に行き着きます…)
そこから、JICAを招いての勉強会(2012年11月)、外務省での「NGO・外務省定期協議会ODA政策協議会」での議題化(2012年12月)を経て、先に共闘を開始していたブラジルの市民社会とともに、日本の市民社会も立ち上がっていきました。
しかし、その時、まさかこの援助事業と、46時中、8年間も、闘い続けることになると思いもしませんでした。この間に、冒頭で触れたような悲劇とあり得ない事態がくり返されていきました。
最初の声明で、モザンビーク小農らが看破したように、この事業の不透明性、「排除の論理」は、結局8年を通じて変わることはありませんでした。2013年、国会で岸田文雄外務大臣(当時)が、「丁寧な対話」を約束した後も、JICAは、反対する運動や組織を分断し壊し、排除することを追及し続けました。
「我々農民は、透明性が低く、プロセスのすべてにおいて市民社会組織、特に農民組織を排除するこ とに特徴づけられるモザンビークでのプロサバンナの立案と実施の手法を非難する 」
この具体的な手法については、岩波書店の「WEB世界」の連載で紹介してきました。
モザンビークで起きていること
JICA事業への現地農民の抵抗 https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461
8年を振り返って、ここで強調しておきたいことは、日本の公的援助機関であるJICAが、モザンビーク最大の小農運動が反対を表明した1ヶ月後の2012年11月に、すでに、反対運動を潰すための「コミュニケーション戦略 」を立案し、12月には、ブラジルとモザンビーク政府を説得し、そのために現地コンサルタント会社と契約を行っている点です。
この「コミュニケーション戦略」を、JICAとして予算化し、3カ国の担当者らで構成される調整会議の議題に滑り込ませることは、民主党政権下で行われました(担当は「#JICAアフリカ部 」)。しかし、当時の大臣や政務官はもとより、議員たちも知らないままでした。
しかし、プロサバンナ事業は、その立案から合意締結までの奔走において「麻生案件 」でした。ブラジルと関係が深く、ラクイラサミットで「手柄」がほしかった麻生政権とJICAの「#ブラジル・セラード開発関係者ら 」が組んで、2009年にJICAと外務省がブラジルとモザンビークを行き来し、おこした事業だったのです。(詳細は以下の本に)
プロサバンナ事業が、本格化するまで時間がかかり、「反対」の狼煙が上げられた2012年10月の時点で、3本の事業の2本は途中段階でした。そのため、外務省は「対話」を重視せざるを得ず、NGOとのODA政策協議会に、スピンオフの対話のための場として「#プロサバンナに関する意見交換会 」を設けました。これは画期的なことでした。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/taiwa/prosavana/index.html
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/index.html
しかし、民主党政権は突如、退陣してしまいました…。
安倍政権の下で、麻生元首相は、副総理・財務大臣として返り咲きました。この政権交替がなければ、プロサバンナ事業はもっと早い段階で終らせることが出来たと思います。なぜなら、民主党議員だけでなく、野党から与党に変わったばかりの自民党議員も公明党議員も、現地の小農運動が反対する「援助事業」を強引に進めることを疑問視していたぐらいだったからです。
歴史に「if」はない。
歴史の学徒としては、これは大変重要な基本である。
他方、政治分析の中では、「if」を想像しながら、現実の進行を見つめることは重要でもあります。なぜなら、あり得たかもしれない「if」を、誰が、ナゼ、どのように変えていったのかを知る手がかりを与えてくれるからです。「if」を回避し、くい止めようとする勢力は誰だったのか。彼らは何をどうしたのか?
実は、公的援助の資金を使って行われた、この「プロサバンナ反対つぶし 」のためのモザンビークで展開された「#コミュニケーション戦略 」なるものは、安倍政権下で、「対中国プロパガンダ」「歴史戦争」の一貫で、外交戦略となっていきます。
しかし、モザンビークの小農運動や市民社会はもとより、日本の議員、メディア、市民や納税者すら知らないで進められた「コミュニケーション戦略」。これが、安倍政権下で、全世界的な外交・援助戦略となっていたことを知らしめたのは、英国紙のスクープと、プロサバンナ事業をめぐる外務省による国会答弁でした。
公衆の目の触れないところで、JICAが行った数々の「工作」とも呼ぶべき活動が、明らかになるまで、それが開始された2012年12月から、2年の歳月が必要でした。これも、「if」ですが、もし私が、戦争の研究で、世界の秘密警察や軍、行政などの文書の分析を専門としていなければ、これに気づくことはできなかったと思います。膨大な数の文書の束の中のたった一行の「social communication strategy」という表現。ここに妙な「引っかかり」を感じ、そこからJICAへの資料請求を続け、一つの文書を入手しては、そこに書かれている情報を元に次の文書を請求する。これをくり返し、開示が延期されるなどで1年近くかかって、目の前に現れたのが、この文書でした。
2013年8月から9月の契約で、かつてモザンビークを植民地支配したポルトガル由来の会社(CV&A)に依頼されたこの文書を読んだ時の、怒りの震えは、今でも忘れません。植民地支配下のモザンビーク農村部において、コミュニティでの住民管理のため、行政の下請け役として位置づけられ重用されたパラマウントチーフ「レグロ(regulo)」などに、プロサバンナ事業のための上意下達の役割を果たさせようとするこの図。
そして、反対する小農運動や市民社会の分断と「価値を低める」ことを目指した数々の提言。
ポルトガル語版しか開示されず(英語版の存在すら否定され続けた)、あまりにヒドい内容に、こんなものを援助で作ったとは到底思われず、日本のNGOの仲間ですら私の翻訳の問題ではないか…と言われたり。しかし、格闘の末、半年後に英語訳がJICAから提供され、初めて疑惑は解消したのだが、まさにこの内容だったのです(以上はその英語訳とポルトガル語からの和訳の対比)。
このような証拠を突きつけられても、JICAは止まるどころか、以下のように、今度はモザンビーク市民社会に国際NGOスタッフとして資金提供していたコンサルタントを雇い、秘密調査を行い、直接的な介入に乗り出していきました。(今年2月の第二回「議員勉強会」用に準備していて結局使わなかったスライド)
さらには、この秘密調査と介入にコンサルとして関わった元メディア関係者「エドアルド・コスタ」を、JICAスタッフとして雇用し、あろうことか、モザンビーク政府(農業省内の「プロサバンナ本部」)に派遣したのです。
それに留まりませんでした。
悪事というのは、一度手を染め始めると、それをカバーするために、どんどんヒドい悪事に手を染めなくてはならなくなる典型事例として、これは日本の援助・行政史の中で、記憶と記録に残されるべきできでしょう。今後の検証活動が不可欠な理由です。
つまり、JICAは、ついに反対小農運動に対抗する「モザンビーク市民社会の対話メカニズム」というものを作り出し、それに協力する市民社会のリーダーや団体に直接資金を流し込んだでした。その額は、プロのコンサルタント企業への500万円を大幅に超える、2200万円という破格の金額(いずれもほぼ半年契約)。
このあとも、「会議準備」と称して、巨額の資金がこれらの「賛成派NGO」に流れ続けたことが、最近の情報開示資料によって明らかになっています。未だ分析披露できていません。
これらの事実は、2014年以来、日本のNGOだけでなく、来日したモザンビークの小農運動や市民社会リーダーによって、JICAと外務省に、彼ら自身の文書という確固たる証拠とともに突きつけられてきました。しかし、関心ある人の間にしか広まらず、また何よりも同じ政権下にあって、強行突破できると考えたのでしょう。
確かに、度重なる介入と分断活動、資金によって、モザンビーク市民社会はもとより、小農運動も分断の危機に直面していました。これについて、JICAだけが加害者かというとそうではなく、外務省もまた、時にJICAを主導し、多くの場合二人三脚で、これらの介入・分断活動に関与していました。それがはっきり分かるのが、外務省側の「コミュニケーション戦略」予算を使った、「賛成派市民社会」を使ったプロサバンナ喧伝のための、地元メディアを招待して書かせた記事でした。
開示された外務省文書を読めば、この活動で、それまでプロサバンナに反対していた団体が連携していた独立系新聞を味方につけるターゲットとしていたこと、すでにJICAの2200万円コンサル契約の契約者であったアントニオ・ムトゥア氏を、「市民社会の代表」として、これらの新聞に紹介し、情報提供にあたらせていたことが分かります。その成果が、地元のもっとも独立した新聞の一つだったverdadeに掲載されたこの記事です。
在外公館とJICAの関与は、verdade紙に残されていた「メディアの独立性」への矜持の欠片のお陰で発覚しました。一つには、このインタビューがJICAの立ち会いのもとで行われたことがはっきり分かる写真、そして記事の最後に「
この記事は、日本大使館によって準備された旅行の一貫で執筆された 」の但し書き。
これらが、日本のNGOによって、外務省の上層部に持ち込まれ、また国会での質疑に取り上げられ、さらには、現地住民11名のJICAへの正式な異議申立て(2018年4月)を受けて、ようやくアントニオ・ムトゥア氏率いる「賛成派NGO」との契約が解除され、3事業の1つである「プロサバンナPD(マスタープラン)」日本のコンサルタント企業との契約も停止されました。この休止を主導したのは、外務省の山田国際協力局長(当時)だったといいます。外務省最後の良心だったのかもしれない出来事でした。
しかし、山田局長は移動し、さらにJICAは諦めませんでした。「異議申立」で不利な結果とならないように、あらゆる手が用いられたのです。これらの詳細は、上記の「WEB岩波」の連載の10と11をご覧頂ければ。「JICA審査役」となった国立大学教授3名、とりわけ主筆となった神戸大学の開発学教授の問題については、きちんと検証されるべきと思っています。
そして、結論は「違反なし」でした。これを縦に、JICAによる、さらなる介入が続いていきました。しかし、2018年8月、モザンビークの行政裁判所は、プロサバンナ事業とそれを司る「プロサバンナ本部/調整室」に対して、違憲判決を下しました。この「プロサバンナ本部」は、現在はモザンビーク農業省内にありますが、立ち上げ当初はJICAモザンビーク事務所内に設置されていました。日本政府とJICAの責任は明確でした。
しかし、それすら認めない。そこで、モザンビークの小農運動・市民社会(「プロサバンナにノー!キャンペーン」 )の代表らが、TICAD(アフリカ開発会議)のために来日しました。TICADに際しては、外務省はメディア各社に「中国のアフリカ進出が脅威だ」との報道を促し、そのような報道で溢れ帰りました。足下の日本の「有害援助」については、みな目をつぶったまま。そんな中、時事通信社が2本の記事を配信。
日本の農業支援、弊害も=モザンビーク農民が訴え-TICAD https://www.jiji.com/jc/article?k=2019083000223&g=int
農業支援見直し求める=モザンビーク農民、JICAと対話 https://www.jiji.com/jc/article?k=2019090500209&g=int
さらにトドメは、TBSの地上波とオンラインで配信された、以下の番組でした。
2019年9月 日本のODAに、現地農民の「NO」 https://www.youtube.com/watch?v=OBiNqQW1h3U
この番組は、TBSの公式ページ上のニュースサイトで3日間も一番視聴された番組になり、SNS上にも広がり、モザンビーク小農の声と勇気への共感が広がっていきました。JICAに電話したり、イベントで抗議する市民も増えていき、業を煮やしたJICAは、さらにやってはならぬことに手を染めてしまいました。
つまり、事業対象地の最大の小農リーダーを誹謗中傷する文章まで、公式ホームページに掲載するに至ったのです(2019年9月)。
https://www.jica.go.jp/information/opinion/20190920_01.html
これについては、以下のブログ記事をご覧頂ければ。
https://afriqclass.exblog.jp/239608172/
このページの掲載文は、組織全体で作成したとJICAは認め、もはや組織ぐるみの「反対派つぶし」が明らかになりました。そこで、日本の国会議員10名が、JICAと外務省を呼んで、市民とともに、公開の場で問題を追及する「フルオープン議員勉強会」が開催されることになりました。(なお、当初JICAは密室でやろうとしただけでなく、当日市民社会側を撮影・威嚇するなどもしました)
2019年12月23日、参議院議員会館「国会議員主催 プロサバンナ勉強会」にて。ビデオはJICA広報室報道課参与役
主権者・納税者を前にした、これらすべての行為が、JICAが陥っていた深刻な負のサイクルの闇、そして焦りを明らかにしていると思います。それでも、JICAも外務省も諦めませんでした。
しかし、ここががんばりどころでした。
国会議員は追及の手を弱めるどころか、非常にクリアに問題を指摘していきました。
この見事な国会議員たちの追及は、多くの人にぜひ一度みてほしいと思います。野党議員は普段何をやっているのかという人に特に、見てほしい。
司会は、これまで国会質問や質問主意書を積み重ねられた石橋通宏議員と井上哲士議員。お二人の緩急つけた議事進行とツッコミが、本当に素晴らしかったです。いずれの勉強会の模様も、以下のyoutubeサイトで全部視聴が可能です。
https://www.youtube.com/channel/UCoZCgmP4w-1Ttbw65YqRtGQ
そして、以下のショート動画の福島みずほ議員の追及は、本当に素晴らしかったです。原口一博議員とともに、元大臣の迫力での攻めでした。
「現地裁判所(司法)が違憲判決を下した以上、日本国政府が、この援助を続ける正当性はどこにもない 」
https://www.youtube.com/watch?v=nipKIpmCTMk
もはや、外務省黒宮貴義課長も、JICA牧野耕司部長も、反論のマイクをとることすら放棄した状態でした。そして、マイクを取らされ続けた浅井誠JICA課長の姿は、もちろん、彼がどうしようもない言い訳をくり返そうとも、哀れに思いました。
もちろん、これらの悪事の最初のレールを敷いたのは、アフリカ部(当時)の乾英二部長、本郷豊氏や坂口幸太氏、農村開発部の天目石慎司課長(当時)でした。しかし、彼の着任直前に、プロサバンナの責任担当部はアフリカ部から農村開発部に移り、現地市民社会への直接的な資金提供を担当しました。しかし、それが彼個人の判断だったかというと、そうではないでしょう。責任を負うべき、組織の上層部がおり、今後この真相と責任が追及されていくべきと思います。
しかし、もう「その時」はきていたともいえます。外務省もJICAも、ここまで衆目に晒されては、何をしようとも、失地回復は不可能でした。メンツを保てる形の撤退は、山田局長の「休止」判断以降の検討材料だったわけですが、もとは日本政府がブラジルとモザンビークをかけずりまわって、説得して、鳴りもの入りで始めた巨大事業。モザンビーク政府にもメンツがあります。
そして、この8年で、日本の安倍=麻生政権が、民意を圧し潰すことを政治スタイルとしていったように、モザンビークのフレリモ政府も、かつての「植民地解放運動体」であり「小農との連帯政党」だった事実などはどこふく風で、モザンビーク小農運動や市民社会への弾圧を強めていきました。ブラジルでは、ルラ政権後、農業分野では特に、小農や先住民族の権利を奪う傾向が強まり、ついには民主主義まで抑圧するボルソナーロ政権が誕生しました。
つまり、プロサバンナへの反対を小農が唱えてからの8年間は、この援助に関与する3カ国のいずれもが、民主主義を抑圧的し、権威主義体制に移行していくプロセスでもあったのです。これは、「援助事業への反対」を、命をも奪う危険なものにしていきました。
直接はプロサバンナのせいではなかったものの、反対声明に2度署名していたモザンビーク市民社会の仲間が、選挙監視員の訓練中に、現役警察官5人に10発もの銃弾を打ち込まれて射殺されたのも、この時期(去年10月)でした。
その1年前には、JICAが誹謗中傷文を掲載された小農運動リーダーのコスタさんが、脅迫などの人権侵害は、JICAと外務省のせいだと、目の前で訴えていました。
外務省は、局長や課長が新しくなり、過去の課長や課長補佐が、JICAとともに手を染めてきたように、これ以上の悪事に手を染めるのか否かの瀬戸際にありました。本来は政治が動くべきでした。しかし、農薬援助を止めた時もそうでしたが、局長や課長の代わり時は、重要な転換の可能性が開けます。結果として、冒頭に紹介した日本大使館の談話をみれば、外務省が動いて、この「中止&終了」が実現したことが分かります。
もちろん、「メンツ」がある上に、同じ政権である以上、「現地で反対の声があった、違憲判決が確定したから、中止して、途中で止めた」なんて認めないでしょう。しかし、大使が大統領に会いに行って、この談話を出して終了を発信するなんてことは、本省の動きなしには不可能です。談話結果をみても、明らかに日本側が準備して、事前に合意した上のものです。
このようなことは、JICAのできる範囲を超えています。他方、JICAもまた、止めたくてしょうがなかったものの、引き戻せないところまできていた事業であり、JICAから外務省にさじをなげた可能性も否定できません。今後、ここら辺のことは明らかになっていくでしょうが、遅きに失したとはいえ、止めるために努力した「中の人がいた」ことは、心に留めたいと思います。
また、組織に逆らってまでも問題文書をリークした「中の人達」に、改めて最大の敬意を表したいと思います。(上記の秘密調査の報告書等のリーク文書はこちら→https://www.farmlandgrab.org/26158)
外務省はモザンビークの農業大臣の交替を理由にあげていますが、彼は周囲に「プロサバンナを継続させるやる気」を示していたたと言われています。他方、前の大臣の失態を、若き「やり手」の大臣が継続したいとは思えず、彼に何らかの「あめ玉」が与えられた可能性は否定できません。まさに「a luta continua」なのです。
さて、市民社会、国会議員による、数々の抗議にも取り消さなかったこの掲載文は、プロサバンナの終了が発表されて数日後に削除されました。これも勝利です。
以上、個人的な想い出語りとなりました。
これは完全に私個人の見方であって、日本のNGOや市民社会、ましてや3カ国の市民社会を代表するものではありません。
そろそろ日本のNGOの皆さん、モザンビークの小農運動や市民社会の皆さんから、声明や分析などが出ていくことでしょう。詳しくは、そちらをご参照下さい。
分断させられ続けたこの反対運動。最後は、モザンビーク小農運動のスローガンであえる「連帯/団結すれば勝利するだろう(unidos venceremos)」が、勝利をもたらしました。
とはいえ、この「勝利」に最大の立役者がいるとすれば、それは間違いなく、対象地域最大の小農運動を2010年から組織し続けて、3万人の小農リーダーとなったコスタ・エステバンさんでしょう。そして副代表として二人三脚し続けたジュスティナさん。
TBSが、コスタさんを7年追い続け、番組を世に出し続けたことの先見の明には、思います。そして、この「勝利」を祝い、過去の番組を一挙に公開してくださったことに、心から感謝です。とくに、①はなかなか見る機会がなかったと思うので、改めて今日の地点から、眺めてみて下さい。
【モザンビーク「プロサバンナ事業」日本政府が中止に】
TBSで7年にわたり報道してきたアフリカ・モザンビークで日本政府が進める大規模農業開発プロジェクト「プロサバンナ事業」。大規模農業化を進めることで「土地が奪われる」と当初から懸念の声が相次いでいましたが、ついに日本政府が中止を決定しました。「農民として、自分の畑を耕していたいだけ」「私たち農民の声を聞いてほしい」彼らが望んだのは、問答無用の大規模開発ではなく、対話をしながら一緒に進める支援でした。農民の尊厳を無視した一方的な開発事業はいずれ行き詰まる。取材中そう思っていましたが、その通りの結果になりました。過ちを認め、プロジェクトを中止した日本政府の決断は正しいと思います。今回の教訓を生かし、支援とはどうあるべきなのか?の議論が深まることを願います。これまでの放送をアップしました。
①2013年6月8日放送 報道特集 https://www.youtube.com/watch?v=zukXgKMQt4k
③ 2019年9月7日放送「JNNニュース」 https://www.youtube.com/watch?v=OBiNqQW1h3U
最後に、日本の市民社会では、JVCの渡辺直子さんの存在とリーダーシップ、献身を抜きに、この「勝利」はあり得ませんでした。団体の激務にたえながらの、何年にもわたる彼女のがんばりと不屈の精神に、心からの敬意を表したいと思います。
日本のNGOの皆さんも、本当にお疲れ様でした。多くの人びとに支えられての8年でもありました。すべての人のお名前をあげられないことをお許し下さい。
私の「プロサバンナとの8年」の幕はこれで閉じました。
今後は、ドイツ市民社会の一員として、モザンビーク小農運動を支えるとともに、私なりの「次の闘い」に向けて歩んでいきたいと思います。
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