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ずいぶん長い間、ブログをご無沙汰してました。

前から気になっていたのだけれど、日本語で長文を書く習慣を失ってしまって(かといって他の言語で書くのが得意になったわけでもないのに)、超短文でいいツイッター以上の和文を書くのが億劫になったと言うと、私の長文に悩まされた人たちは驚くかもしれない。

ドイツで何年もウロウロしようと思っていたわけでは、全くなかったのに、人生わからないもので、気がつけばこんなに年月が経ち、さらには欧州南下を計画していたのに、突如としてドイツ北方に移動することになり、これまた気づけば1年が経過。

この写真は、去年春に旧東ドイツに移ってから、ドイツを縦断してオランダの学術集会に行った帰りに撮ったもの。片道8時間の大移動(その大半はドイツ内)で、国の大きさを実感。日本と行き来するときよりも、この時の方が遠方はるばるな気がして、旧西ドイツのオランダ・ベルギー国境近辺で暮らしていたときの気楽さがしみじみと懐かしく感じられたのでした。

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このとき、ウクライナでの戦争により、ひまわりオイルや小麦を買い占める人が続出し、入手困難になるとともに、電気や冬の暖房がどうなるのだろうと巷で不安が煽られていたのだけれど、ナタネ油用の畑、それからこの向こうにあるたくさんの風車を眺めながら、結局のところ食べ物もエネルギーも地産地消を推進していくことが、安定や平和、未来につながるということを、改めて考えた電車の旅でもあった。

ただこの畑は一見「きれい」なのだけど、生物多様性に乏しいのも事実。
生物多様性こそが、生き物たち、私たちと未来の命が生き永らえるための不可欠・絶対条件だというのに、何か環境にうるさい人たちの趣味みたいな扱いを受けていることに、時に驚きと絶望を感じる。

もちろん、その最大の原因は私たちの化学物質依存と地球温暖化で、日本はその両方の大規模関与者だというのに、メディアでも学校でも社会でも、ほとんどと言って知られておらず、議論されることもない。

ドイツはその中でも、意識が低い方だった。
子どもたちや若者たちの頑張りによって、政治や社会の場で、環境問題に光が当たるまでは。ようやく、本当にようやく、政策面で徐々に変わってきている。

今年の夏も、ここ数年と同様、とにかく日照りが凄まじく、森も公園も道の植物も、だから虫たちも生き延びることが困難な中、誰も顧みなかった街路樹の根っこの周りに種を蒔き、水をやる住民が出てきた。ここは、私たちが担当しているコーナーで、2年目の今年、こんなに楽しい空間に変貌を遂げた。

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4月に越してきた時の状態は、本当に禿げた土。そこに、コーヒーを飲んだ後に出る粉と液体、料理や食べた後に出る油っぽい排水などをバケツからせっせと運んだ結果(これは庭面積が狭かった東京でもやっていた)、土を入れ替えなくとも、植物が育ちやすくなった。(世界的に少ない資源の浄水を捨ててしまうのではなく、恵みとして再利用)

やっぱり成長するのは、たくましい野草のような植物たちだけれど、それらが耕してくれた土の恩恵を受けて、育つ植物も出てきた。そして、何より行き場を失った虫たち、特に蜂たちやてんとう虫たちが、一休みするのに役立っている。

私たちの奮闘を見て、荒れ果てたコーナーに土を入れ、お花を植え、水をせっせとやる女の子のご家族がいた。個人的にはその周囲にも何か植えないとたちまち枯れるよと言いたいのだけれど、おせっかいを嫌がる文化だからぐっと我慢。

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こんな風に、もはや自分の庭も森も無くなった暮らしの中で、身の回りの公的な空間を使って、命との対話を続けているのでした。

あの自然との日々の対話を失ったことの喪失感は、確かにある。自分で決めたことといえ。森と広大な庭の中で、どんなにエネルギーをいただいていたのか。緑に囲まれ恵まれたところにいると言っても、やはり街の暮らし。でも、プライベート化された自然がないのであれば、パブリックの空間でいかに自然を増やせるか。

そんな試みを、それなりに手応えを感じながら、楽しもうとしている。


by africa_class | 2022-12-11 16:44 | 【徒然】ドイツでの暮らし
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