モザンビークには世界遺産がいくつかある。
有形遺産としては、モザンビーク北部ナンプーラ州にあるモザンビーク島。
19世紀末までは、ポルトガル支配下のモザンビークの首都が置かれてい
た。かつては、インド洋交易において金の積み出し港として重要な役割を
果たし、文化的にも経済的にもスワヒリ世界に統合されていた。モザンビ
ーク最古のモスクがあり、島全体が遺跡と化し、最近は建物の補修も進み
格好の観光地になっている。
しかし、ポルトガルの支配後は、ここから多くの奴隷たちが、インド洋沿岸
や島嶼部、中東、南北大陸に連れて行かれた。その意味では「奴隷の島」

そんな島だというのに、だからというのか、遺跡よりも子供たちとの遊び
に興じてしまった。根っからの天邪鬼さがついつい出てしまう。といっても、
実際に遊んだのは亮くんであったが。

モザンビーク島に初めて行ったのは1997年。まだ世界遺産どころか、
観光客もおらず、外国人が泊まれそうな宿は一軒もなかった。そのとき
泊まったのが、現在の市役所の建物・・・。かつては貴族の館だったその
建物は、独立後は博物館になっており、門番の計らいというか小遣い稼
ぎのため、泊まらせてもらったのだった。というのも、島にあった唯一の
宿は、宿と呼ぶにはかなり・・・な、ただ広い部屋にベットらしきものが並べ
られており、モザンビーク男性がたくさん泊まっている・・・ところに寝ろと
いうものだった。トイレはなく、浜辺で用を足せという。これにはさすがの
私も参り、島の子供たちが連れて行ってくれたのがこの「博物館」だった。
博物館には、19世紀のものと思われるベットがただ一つあり、暗闇の中
(もちろん電気はない)それに横たわるのはかなり勇気が必要だった。
19世紀のトイレやお風呂を使うのもまた、かなりの抵抗があったが、
浜辺に皆と並んでやるよりはマシだったのは確か。とはいえ、午前1時に
ドンドンドンとドアをたたく音が・・・。先客だと主張する男性たちに入られな
いように、ドアを必死で押さえ、なんとか一夜を明かすことができた。
そのときの旅の連れこそ、米川正子さん(元UNHCR職員/JICA平和
構築専門家)。ヒッチハイクして、トラックの後ろに乗り込み、あっちこっち
を旅したものだった。あれからもう12年が経つというのだから感慨深い。
あの時、「博物館」に連れて行ってくれた少年5人組の内、生き残ってい
るのは2名だけ。一人は交通事故で、二人はHIV/AIDSで死んでしまった。
残った2人の内1名は今では市役所(そうあの「博物館」)のスタッフだとい
う。彼らの末永い幸せを祈り、島を後にする。
どんな世界遺産の素晴らしい町並であろうとも、結局人との出会いや触
れ合いしか残らないのだ・・・と改めて確認した旅でもあった。
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