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「コミュニティ」⇔なぜ知らない人に挨拶しなくなった?

アフリカでは、人に会えば挨拶をする。さすがに街中では、知らな
い人には挨拶しないけど、村の中、村から村への移動の途中、知
っていても、知っていなくても、挨拶をする。逆に、何も言わずにす
れ違う方が違和感があるほど。場所によっては、これに時間がかか
る。いきなり、「あんた誰?どこに行くの?」というわけにもいかず、
知らない人ともなれば正式な挨拶をせざるを得ないからだ。その
意味で、英語の「Hello/Hi」は非常に簡潔にできている。
 私の調査していた村々の中でも最も遠隔地にあった地域はすご
い。相手がしゃべっている間ずっと、「んんんんーーーーーーー」
という相槌というか「音」を発し続け、さらには丸くした両手でポン
ポンポンと音を鳴らし続けなくてはならない。このテンポが微妙。
そこでは見知らぬ者同士でも、まずは前の晩によく眠れたか、寝て
いる間どうだったのか、朝「どう」起きたのか、お互いが質問しあう。
この間当然、効果音は続けながら・・・。で、本題へ。すれ違うたび
にこれが繰り広げられて、なかなか前に進まない。でも、すれ違っ
ただけだけれど、なんだかその人を少しばかり知ることができたよ
うな暖かい気持ちになる。こういうことの積み重ねが「いざ」というと
きに、思いのほか役に立ったりする。そして、これが情報を村から
村へと広がらせる手段となっていることは間違いない。時に、私が
どこに泊まっていて、どこで何を食べ、何を好きで、何が嫌いか・・
まで知られることも。
 さて、ひるがえって日本。都会砂漠の生活では、「挨拶」とは、
最低限のコミュニケーションツールでありながら、それもしないこと
の方が多いのでは?顔見知りのマンションの隣室の人ですら、
会釈だけで済ませてない?じゃあ大学は?エレベーターに乗って、
知っている学生・知っている先生でなければ挨拶をしないのはな
ぜなんだろう。同じコミュニティに暮らしていて、すれ違っても面識
がないからといって挨拶をしないのは何故だろう?かつてはやって
いたような気がする。
 一方、日本でも必ず見知らぬ相手に挨拶をする場所がある。
それは、「山」。山登りの人たちは、必ず挨拶をする。ときに面倒
だが(これが東京近辺の山なら土日は数珠繋ぎで登山者に会う
から)、でもなんだか一体感が高まることは間違いない。というこ
とは、大きな声で「大学に愛着を感じましょう」「コミュニティづくり
をしましょう」「助け合いましょう」という前に、挨拶運動をしたらよ
いのではないか・・・・そう思い立った。どうだろう。
 上から仕組まれた「街づくり」「大学づくり」ではなく、紙の上ある
いは箱作り(コンクリートの建物や道路整備)ではなく、「下からの
街づくり、大学づくり」に、挨拶は役に立つのでは?まあ、目に見え
ないのでバーチャルなものではあるのだけれど、気持ちは良いと
思う。目に見えない一体感こそ、実は今日本で構築するのが難し
いものなんじゃないだろうか。お互いが疑心暗鬼になるような目に
見えない空間(つまり、KYなどといわれてしまう)はあるものの、そ
れはあくまでも揚げ足取り役立つのであって、失敗を恐れず何か
を創り出すことには役に立たない。「出る杭(KY)は打たれる」のだ
から。思い当たる?こうなると、お互いがKYにならないように気を遣
うあまり疲れるか、新しい挑戦はできなくなる。しかし、新しい首相が
「宇宙人」となった日本社会にも、ついに変化が訪れるのかもしれな
い!だって、「宇宙人」にKYは通用しないから。鳩山さん、先祖代々
のビジョンだから「友愛」を大事にしているわけではないと思う。結局
彼は、「宇宙人」だから新たなコミュニティと絆を創りたいんだと思う。
な~んてね。悪い意味で言ってるのではなく、まあ目指しているの
はそんな変わらないかも、ということです。
 まあ、そんな難しいことを言わなくても、分かりやすいのが、「醤
油の貸し借り」ができるか?ということ。最初から醤油は貸し借り
できないけれど、挨拶を通して顔見知りになり、もしかしてそこから
もっと楽しい関係がつくれるかもしれない。
 結局、コミュニティとは「人と人のつながり」によって創られ、キー
プされる。「人のつながり」というと大げさだし、何か「やってあげない
といけない」という義務ばかりが日本では注目されるけど、実際は自
分にもメリットのあることをやりあうということであって、究極的には
「お互い様」に行き着くんではないか・・・。
 で、お向かいのおばちゃん。夕方、沢山漬けたからと、キュウリ
のヌカヅケを持ってきてくれた。いざというときには子どもを預かっ
てくれる。私たちからおばちゃんたちにGive backできることはそ
んなに多くないけれど、どこかに行くと必ず欠かさずお土産をもって
帰る。やれることで良いのかもしれない。
「コミュニティ」⇔なぜ知らない人に挨拶しなくなった?_a0133563_10485623.jpg

 ヌカヅケも来たし、庭のアシタバをコンニャクと炒めたし、桜干しも
津田塾大学の近くの八百屋で買ったし、玄米お握りも握ったし・・・
でも家族がいない!???あわてて、子どもの行きそうな近所のお
宅へ。これもソーシャルキャピタルですね。いたいた。既にカレーを
食べさせてもらってた。クラーセンはどっかの寄り合いに・・・。えっ?
これどうすんの?すると、子どもがカレーを食べたお宅のお母さま、
「じゃあ、私さやかさんのところで食べる」ということで、お母さん&3人
の男の子がご飯を食べに。
 アフリカの村では、自分の子どもがその日どこで何を食べているか
知らないお母さんが多い。これは所謂ニグレクト(育児放棄)ではなく
て、「子は村の宝」なんでどこかで食べているだろうという確信があっ
てのこと。これを「共食(トモグイではなくキョウショク)」という。今回は、
「共食」ならぬ、「交換食」???
 そのうち、別のお母さんが伝言を伝えにお立ち寄り。「ああ、じゃあお
母さんもどうぞ」・・・なんか、楽しい夜でした。
 日本もアフリカも、ソーシャル・キャピタル形成において大体同じこと
を伝統的にしてきたんではないか、というのが私の自論。(ああ、文化
人類学の人ならもっとちゃんと説明ができるんでしょうが・・・あくまでも
感覚なんで、学術的根拠はないですが!)

 「まずは挨拶」→「次にお茶」→「次に食事」→「次に飲む」→?

あれ??これって、なんだか知人から友人。友人から恋人って感じ
???まあ、人間やってきたのは大体同じことなんですね。多分、
今「まずは挨拶」すらできない状態になっていることが、「疎外」を生
んでしまっているのかも。
 ということで、「挨拶運動」意外に効果的かも。
by africa_class | 2009-10-03 11:01 | 【徒然】毎日がアフリカ
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