昨日、無事国際会議が終わりました。
Human Security and Peacebuilding
- Rhetorics and Realities -
という会議のテーマで、第三セッションでお話をしました。
Agency in Peacebuilding and Human Security
‘Civil Society Role in Post-conflict Societies: A Study of Mozambique’
基本は、紛争後のモザンビークにおける現状をナショナル・ローカルの
両方のレベルから明らかにしてうえで、市民社会の役割を論じました。
そして、Agency(主体性)という点を軸に、紛争のサバイバーと外部
者の可能性と限界をそれぞれ考察してみました。
モザンビーク北部農村のもっとも戦闘の激しかった地域で、最近戦時
の経験について話し始めた人びとのことを取り上げました。とくに、
戦時中の体験をロールプレイにして見せてくれた村の人たちの様子を
皆さんに見てもらい、その意味について一緒に考えてもらいました。
また、先週出張の際に購入した被爆者の皆さんの描かれた絵をもとに、
Reconciliationとagencyについて考えました。10枚ほどの絵をみて
もらったのですが、どれも物凄く胸に迫る絵ばかりで、絵を見せ始めた
ら、文字通り会場が静寂に包みこまれました。そして、絵を説明して
いるうちに、涙が止まりませんでした。(またやってしまった・・・)
特に、この絵です。作者自身が被爆者(犠牲者)であるにもかかわらず、
他の被爆者を助けられなかったことへの無念さと自分への怒り、この子
供への憐れみを表現していて、その気持ちと光景を30年間忘れずに抱
き続けていた・・・ことに、なんともいえない気持ちが押し寄せてしまいま
した。単なる「犠牲者意識Victimhood」を超えたこの想いに、そして、
「人」だからこその可能性と痛みに、どこまでも圧倒されています。
今日はこれ以上はもう書けないのですが、発表を聞いていた世界中
の皆さん(中には紛争地の出身者も多かったのですが)が、駆け寄っ
てきてくれて、「ありがとう」といってくれたことにもまた、心を動かされ
ました。学術発表をして「Thank you」といってハグしてもらったのは、
後にも先にも初めてのことでした。(そりゃそうか。)
紛争地から遠く離れた英国でやる国際会議だからこそ、自分との関わ
りを無視して、第三者的に話すことは避けたいという想いをもってここ
に来たのですが、今まで広島について発表で取り上げたのは初めてで
した。それは、植民地支配・戦争を招いた日本の人間として、広島のこ
とをあまりにクローズアップするのはどこか気がひけたからでもありま
したが、同時に、広島が私にとってあまりに大きな意味をもっていたから
でもありました。
私の誕生日は8月6日。
子供のころから誕生日を祝ったことがなく、物心がついたときから、誕生
日の朝は「黒」「黙とう」「弔い」から始まるものでした。自分の誕生と人類
の悲しみが隣り合わせということについて、考えないことのほうが難しく、
物事をあくまでも人びとの側から考える土台となってように思います。
とはいえ、40年近くもこのことについて人前で話すことはなかったわけで
すから、「時間の経過」の重要性と、その場合の「時間」の驚異的な長さ
を考えずにはいられません。紛争後の平和構築、「和解」が、5年程度で
終わると思っている人も多い中で、これは重要な発見でした。
原爆の絵は、以下のサイトでも見ることができます。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/