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Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

2012年 04月 01日 ( 2 )

再録「3・11後の私、私たち~We are the Fukushima」(日本平和学会ニューズレータ2011年)

こちらも再録しておきます。最初のドラフトを書いたのが去年の6月。
今改めて読み直して、もう10か月経ったにもかかわらず、事態が
改善していないことを、怒りと無力感をもって感じます。
 ただし、最後に期待として書いたお母さんたちの運動については、
避難したお母さんたち自身の運動、福島に残るお母さんたちの運動、
全国のこれらの避難家族を受け入れるお母さんたち、給食や瓦礫
問題に立ち上がったお母さんたちの運動・・・・など、多様性と広がり
を持ちつつあります。つまり、当初私が思った以上に、お母さんたち
は、変わりつつあるんじゃないか・・・ということです。ただ、お母さん
たちにも疲れが見え始めています。横のつながりの重要性をますま
す感じています。
 そして、「専門家」たちの動きが、これらお母さんたちの動きに比べ
れば、非常に遅いことに時にいらだちを覚えざるをえません。が、
気にしない!
 今からでも「遅くない」です。むしろ、皆が疲れてきつつあるので、
「遅れてきた元気な皆さん」はどこでもウェルカム!どうぞ、今から
でも仲間になってください~。

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平和研究あれこれ
日本平和学会ニューズレター2011年第19巻第4号、22-23頁
「3・11後の私、私たち~We are the Fukushima」
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「どうしてあなたは、福島の子どもたちのことにそんなに一生懸命なのですか?」
4月23日、「福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト」のニーズ調査と関係機関訪問を終え、郡山駅で新幹線に乗る直前、地元NGOの方にそう聞かれた。その時、あまりに驚いてきちんと答えられなかったこの問いについて、今でも考え続けている。
 確かに私は、「アフリカ地域研究者」で、「アフリカの紛争」を専門とし、「東京外国語大学」という福島とは関係のなさそうなところで仕事をする関西人である。しかし、私にとって、今この問題に取り組むのは、ごく当たり前のこと。むしろ、「関係ない」といわれると不思議に思ってしまう。
 まず私は、事故を起こした福島第一原発の電力を、東京電力から買ってきた。次に私は、20年間有権者として、自公政権や民主党政権の原発推進体制を支えてきた。彼らに一票も入れなかったとしても、一市民としてそのような政治が変えられなかったという点で、支えたも同然であった。そして、私は原発に反対しながらも、十分な取り組みをしてこなかった。何より、私は広島原爆投下の日に生まれたのであった。だからこそ、平和のために生きようと、活動し、研究してきたのではなかったか。しかし、原発の問題を平和の問題として十分に考えることをしてはこなかった。そして、日本中に原発が増えていく中、ただそれを眺めていただけだった。たとえ、署名や募金活動に協力したとしても。
 結局、私は今回の原発事故発生の構造部分に、消費者・有権者・市民として実質的に何もしてこなかったことによって、深く関与してきたのである。私にも責任がある。福島原発事故は「私たちの問題」でもある。むしろ、私たちのものであったはずの問題を他地域の人びとに押しつけ続けてきた結果が、この事故であった。
また、私は「子どもは社会の宝」をモットーに、これを実践してきたつもりであった。自分の子どもであろうと、人の子どもであろうと、福島の子どもであろうと、アフリカの子どもであろうと、子どもたちは「私たちの宝」であることに変わりはない。
 アフリカの村のお母さんは、自分の子どもがどこで何を食べたか知らないことが多い。「共食(きょうしょく)」の文化がそうさせるのである。実は、私もそうやって大きくなった。両親・両祖父母が共働きの我が家の夕ご飯は8時であった。いつもお腹をすかせていた私たち姉妹は、親戚でもない隣のおばちゃんの家に勝手に上がり込み、ご飯をもらい、いつの間にか炬燵で眠り惚ける毎日だった。近所のおネエちゃんの家に押しかけては遊んでもらい、毎週のように銭湯に連れていってもらってもいた。私たち三姉妹は、京都のとある漁村の「宝」として、大人たちに包み込まれるように育った。そして、それは特別なことでもなんでもなかった。今になって私たちの面倒をみてくれていた人たちが経済的には貧しい家庭の人たちだったと知ったが、彼らは当たり前に私たちを預かり、食べさせてくれたのである。
 しかし、そのようなコミュニティは現在の日本に、どの程度残っているだろうか。私たちは、自分や親せき以外の子どもに、どれぐらい頻繁にご飯を食べさせているだろうか。いつから私たちは、自分の子どもでない子は「ヨソの子」として扱い、自分の子どもばかりを大切にすることが当たり前の社会に暮らすようになってしまったのだろうか。
 今、福島とその周辺の子どもたちが、私たちの無力ゆえに、私たちの目の前で、危険に晒されている。誰よりももろく、尊いはずの子どもたちの健康と命。それを守ることができる政府も、医者も、専門家も、メディアも、何もしない。何もしないどころか、子どもたちに大人より緩い「基準」を与えて平気でいる。
 1990年代初頭以来、日本政府は、「人間の安全保障」を「ウリ」として世界に広めよう…と何十億円ものお金を世界にばらまいてきた。今、その日本は、子どもたちの安全を保障するどころか、奪い続けている。子どもの安全と引き換えに、メンツやカネや既存構造の存続を優先する様は、戦時中の日本と同じではないか。一人ひとりの命よりも国家が優先される時代は終わったと誰もが思っていた。しかし、実際のところ、そうではなかった。私たちの弱さが、それを許してきた。
 2011年3月11日直後にはっきりしたのは、日本という国が、65年を経てなお戦時中の体制から脱却できていないということであった。そんな体制を温存してきてしまった私たちもまた、結果として子どもたちを危険に晒している。しかし、自分たちの無力を嘆く余裕はもはやない。私たちは、今変えないとしたら、この社会を一体いつ変えるのだろうか。いつまで政府のせいにし続けるのだろうか。いつまで自分たちの無力をただ嘆き続けるのだろうか。
 福島のお母さんたちは、この四面楚歌の状況下で今日も闘っている。国家が守らない、社会が守らない子どもたちを、自分が守るしかないという決意でもって、闘っている。政府のいう「安全」宣言を受容するお父さんが多いこともあり、お母さんは子どもたちの安全を守る最後の砦になってしまっている。しかし、人類が経験したことのない未曾有の危機の中で、一人のお母さんにどこまで何が出来るだろうか。お母さんがどんなに望んでも、親戚が県外にいる、経済的に余裕がある、インターネットへのアクセスがあるなどの条件が整わない場合、子どもたちを守る術も限られている。
 そして、せっかく逃げてもなお、自分を責め続けるお母さんたちがいる。あるいは、逃げないことで自分を責めるお母さんたちもいる。しかし、責められるべきはお母さんたちではない。そもそも、「社会の宝」を守る判断を一人ひとりのお母さんたちに押しつけていること自体が問題なのである。だからこそ、お母さんたちの闘いが、福島に残るという選択肢、あるいは出て行くという選択肢の中のものであろうとも、私は徹底的に寄り添いたいと思う。「社会の宝」を必死で守っているお母さんたちに、「ありがとう」と伝えたい。
 しかし、この闘いの真っただ中で、私は静かな運動の胎動を感じてもいる。今、全国各地で、小さな、小さな運動が生まれつつある。それらは、あまりに小さく、組織化されてはいないものの、生活の場から湧き出ている。その担い手は、これまで市民活動を担ってきたNGO関係者、宗教関係者、生協関係者ではなく、「ママ」であることを前面に出してはばからない女性たちなのである。デモなど行ったこともなかった女性が、デモを企画して大勢の人たちを動かしている。NGOなど参加したことなどなかった女性たちが、全国各地で福島からの子どもの疎開プログラムを立ち上げている。女性たちは、PTAの枠組みを越えて、学校運営に口を挟み、市議会を動かし、市長を動かしている。動かない国の政策をしり目に、「ママ」たちは、人びとを、地方行政を、動かし始めている。その運動の根本には、当事者意識と連帯と共感がある。この国を変えるためには、このような市井の人びとの動きこそ決定的に重要な意味を持つであろう。
 国に、専門家に、地方政府に、親族に、義父・義母に、夫に、逆らって福島を後にしてきたお母さんたちの決意。あるいは、福島に留まる決意をして、住民同士連帯し、少しでも危険を取り除こうと奮闘するお母さんたちの努力に、私は未来をみる。このような一人ひとりのお母さんの勇気が、私たちを変える。もはや、自分の責任の問題を超え、私はこの問題に関わることによって、日々勇気をもらっている。だから、今日も福島の子どもたちのことを一生懸命やる。自分のこととして。
by africa_class | 2012-04-01 15:20 | 【記録】講演・研究会・原稿

再録「アフリカは『国際社会』に含まれないのか?」(日本国際政治学会ニューズレター)

今関西の実家にいます。子どもたちが遊びに行ったので、以下
のイベントを視聴しながらブログ更新中。途中で止まっていた
各種原稿の再録・整理を続けさせてくださいませ~。
■緊急市民自治講座「震災がれき広域処理を考える」
http://www.ustream.tv/channel/iwj-okayama1#utm_campaign=ss-post-backlink&utm_source=8481406&utm_medium=social

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『巻頭言~アフリカは「国際社会」に含まれないのか?
~人びとの「熱狂」から考える~』
『JAIR Newsletter(日本国際政治学会ニューズレター)』
125号2010年9月日本国際政治学会、1-2頁
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今、アフリカ・ルワンダにいる。昨夕訪ねた「ジェノサイドの丘」に吹く冷たい風が、この1週間聞き取った人びとの話に、妙なリアリティを与えて迫ってくる。数日前には、比較研究のため滞在していたモザンビークで、食料価格高騰に端を発した若者の暴動が死傷者を出しているという。
暴力を拡大し、暴力の中で高まる人びとの「熱狂」。このアフリカの市井の人びとの「熱狂」に対して、国際政治学はどうアプローチしてきただろうか。中でも、「国際社会」を研究の射程に入れてきた本学会の会員は、このような「熱狂」をどう見つめ、どう分析し、どう解説するだろうか。「向こう側」の人びとの心情の吐露として?「国際社会」が対処しなければならない困った出来事として?「国際社会」のミッションを妨害するものとして?あるいは「先進諸国」によって構成される「国際社会」の活動対象として?
確かに、「国際社会」は、「世界の困り事」に一致団結して取り組む「責任ある母体」として、それらの平和化に頭を悩ませ、人びとの「熱狂」に途方に暮れ、対処を試みてきた。最近では、「保護する責任(R2P)」も提唱されている。そのような「国際社会」の中に、アフリカを位置づける人はほとんどいないだろう。むしろ、アフリカは「国際社会」の枠外に配置され、対象化されてきた。しかし、問いたい。このような「熱狂」に、「国際社会」はすでに関与してきたのではなかったか、と。となれば、「国際社会」という世界大の社会からアフリカやその人びとが排除される論理は何か、と。
 ルワンダでの1994年のジェノサイドも、16年に及んだモザンビークの武力紛争も、お互いに対する殺戮であったように見えて、実際にはその時代の国際関係の中でのみ起りえたことであり、武器や通信機器の供与に始まり軍事訓練に至るまで、諸外国の関与なしには、暴力の組織化と続行は不可能であった。またすでに明らかな通り、これらの暴力を、植民地化、そして冷戦のただ中で進行した脱植民地化プロセスに位置づけることなく理解することはできない。したがって、アフリカの人びとの「熱狂」もまた、重層的で複雑に絡み合う国際関係と世界史的動態の中で説明されなければならないはずである。
 しかし、アフリカは「国際社会」に含まれるどころか、それに対置され、「国際社会」の統合性と主体性を支える役目を負ってきた。ここアフリカでよく囁かれるように、「国際社会が国際社会であるためには、『アフリカ』が必要なのだ」。アフリカの人びとの「熱狂」もまた同様に。
 そもそも、現在の我々は、人びとの「熱狂」を、「遅れた地域」に特有なもの、民族(「部族」)的なもの、あるいは一国内のものとして捉える傾向にある。しかし、このような「熱狂」を、「国際社会=先進諸国」の我々も経験してきたのではなかろうか。しかも、それは一国的なものに留まらなかった。かつての日本での「熱狂」ですら、当時の国際関係の中で生じたことであった。それは歴史上の出来事で、現在は起り得ないと断言できるだろうか。では、9・11直後の合衆国で見られたあの「熱狂」は?
 21世紀を迎えた現在、アフリカの農村や街角で生み出される人びとの「熱狂」もまた、世界大の関係性の中に位置づけないのであれば、十分な分析が得られるとはいい難い状況が生まれている。逆に、我々が世界に実存するはずの一地域を客体化し続けるのであれば、もはや世界の全体像を把握することは不可能となりつつある。それがたとえアフリカの市井の人びとの「熱狂」であろうとも、「国際社会」がすでに内包するものとして、我々と同じ地平に位置づけるとき、国際関係の理解に新しい地平が切り拓かれるだろう。このことは、「国際社会」⇔アフリカ地域、国外⇔国内、国際⇔地域に分断されてきた、我々の学問にも、大きな刺激をもたらすに違いない。
 我々が無意識的に排除してきたアフリカを「国際社会」の一部として取り入れることは、今まで知っているつもりであった世界とその歴史を、新しい光の中で捉え直す機会を与えることになろう。さらには、「彼らの熱狂」が、我々自身に潜む「熱狂」の危険に気づきをもたらし、何度呟いても十分すぎることのない「Never again」という一言を立ち上らせ、過去から学ぶことができるはずの生物としての人間の原点を、我々のもとに再び取り戻させてくれるのではないだろうか。 (東京外国語大学大学院)
by africa_class | 2012-04-01 15:09 | 【記録】講演・研究会・原稿