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Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

2012年 09月 01日 ( 1 )

国際協力に関心のある若者の皆さんへ:10年以内に日本の援助産業は斜陽産業へ。だから?(書きかけ)

モザンビークの首都マプート滞在も3日目。
マラリア後の体調不良もようやく一歩前進…と思いたい(未だ身体がだるい)。ドイツに帰った息子の原因不明熱や下痢もおさまり、元気一杯で電話をくれた(安堵)。彼のアフリカ滞在も11回目(12歳)で、本人を含め周りも慣れたものとはいえ、帰国後1週間が過ぎるまでは要注意。
 ここマプートでの調査ネタは、現在のモザンビークの急激な変化(巨大投資や経済成長、政治硬直化)に関する庶民からエリート層までの意識&実態&先行研究調査。今日はモザンビークの援助関係者と民間企業の社長に話を聞く。さて、アポまで1時間あるのでこの間ツイートしたことをまとめようと思います。同時に、今日の昼食を作ってるので、とりあえずツイートに基づく仮の文章で推敲してません。

<=ごめんなさい。お迎えが来たので途中で離脱。

開発援助の10年後を語るにあたっては、背景の歴史展開を説明する必要あり。というのも、何故か学生によくある傾向なのですが、彼らが生きる「今」の状態が、昔からずっとそうであったという前提で物事を理解する傾向が強いからです。全ては「可変」であり、常に変わってきた。「今」も変わっていないようで、変わっている。その変化の表面だけでなく、構造の変化を世界・日本・主体から追う努力を、本件についてもしていきましょう。

なので、まず確認したいのは、日本の現在の開発援助は、いつもこうだったわけではない!、したがってこれからも変わっていくだろう。その方向性としては、10年以内に衰退、20年以内に産業として消滅へ…と予想されるということです。なお、注意してほしいのは、「日本の」と「産業として」という2点です。NGOの皆さんが頑張ってやっていることが不要になるといことではありません。また日本以外のアクターもやらなくなるわけではありません。

1.90年代以降世界における日本の開発援助エージェントの変化
 私が学生の皆さんと同様、国際協力に意義を感じ、国際機関に憧れて、その道に足を踏み入れたのは大学生時代。つまり90年代初頭のこと。当時の日本は、ハワイやLAのホテルやビルを次々に買収し「Japan as No.1」等鼻息荒く、「国際化」が繰り返し叫ばれていました。「経済一流、政治三流」といわれる一方、「経済大国になったのに外交大国になれてない(国連安保理常任理事国になれない)」と揶揄されていました。
 そこで、それまでもっぱら、日本企業(商社、ゼネコン、メーカー)や議員、援助関係者に還流するタイプの政府開発援助(ODA)を、アジアや冷戦期の米国の同盟国中心の援助から、もっと国際協調の中で実施する人道援助(関係の薄い貧困国、アフリカを含む)に変えていかねばという方向に向かっていきました。明治時代からの日本の悲願、「世界に認められる一等国」に、援助を通じてなろうとしたのです。
 つまり、ODAのエージェントは、①日本企業、②国会議員の口利き、③財務省・外務省が重要なアクターで、④JICA、⑤その下請けとしての開発コンサル、⑥JOCVは二番・三番煎じ的な役割を担っていたのです。これは、当時の援助がモノの移動(無償協力)を中心としたものだったことにも起因しています。
 そこに、⑦国連・ファミリー機関などの国際機関への資金供与も、常任理事国入りのためにも、人道援助のためにも重要になっていきます。未だ人道援助を担える日本のNGOの数は極めて少なかったこともあります。
 それが、冷戦後の世界ということもあり世界的にNGOが力を付けてきたこと、阪神淡路大震災があって日本国内でもボランティアやNGOなどが広く認知されるようになったこともあり、国際協力の重要なエージェントとして⑧日本のNGOや国際NGOの日本支部が活躍し始めます。

2.日本ODAのフォーカス地域の変化
 この時点での日本のODAのフォーカスは、ODAがそもそも第二次世界大戦の戦後賠償の代わりとしてアジア地域に供与され始めた経緯を鑑みても、アジアが中心でした。また先述の通り、冷戦構造下の世界で、米国の指示により西側の同盟国や親米国政府を支援するものとして、「ポチ日本」が行ってきたものでした。フィリピン、インドネシアはその核を占めていましたが、アフリカでもコンゴ動乱後に米国の関与で誕生したモブツ政権への多大なる援助(その多くはスイス銀行に消えた)はその好例です。「冷戦期の世界最大汚職人物」のNo1~No3までをこれら三国の当時の大統領<マルコス、スハルト、モブツ>が占めるのは偶然ではありません。
 南米、特にブラジルも重要な援助対象国でした。これは親米軍事政権下にあったということもありますが、そもそも現在のJICAの母体は、ブラジルへの日本人移民のサポート機関として誕生した経緯があるからです。
 しかし、冷戦が終わり、アジアでも南米でも親米政権が倒れ始めると、あるいはそのような枠組みでの援助が不要になってくると、さらに人道援助に国際的な援助の焦点がシフトし始めると、世界で最も多くの人道危機が起こり、人道支援が不可欠なアフリカに注目が集まり始めます。
 が、日本の以上の援助エージェントは、アフリカを知らない。そもそもアフリカには農薬や化学肥料を送るだけの2KR援助、橋や道路整備のインフラ援助、何より機材を送るノンプロ無償がほとんどだっため、「人道支援」に不可欠な社会や人々のことを理解しているエージェントが少なかったのです。唯一の例外はNGOですが、日本からアフリカの支援をしているNGOは多かったものの、規模が小さい。もう一つのエージェントのJOCVですが、これらの多くの人たちは、開発コンサル会社に吸収される、あるいは設立に動き、ソフトコンポーネント向けの開発コンサル会社が乱立していく時代が到来します。
 しかし、日本の援助が本当にアフリカに焦点が移るのは世界から10年遅かったと言えるでしょう。2003年に緒方貞子氏がJICAに来てこれを変え始めましたが、政府として乗り出したのは2008年TICAD IV以降のことでした。微力ながら、これに2004年から4年をかけて、多様なアクターの協力を得て実現しました。(それが良かったのか・・・については忸怩たるものがありますが。それは後半部分で書きます)

3.援助はアフリカの時代、JICAにとっての「フィールド」とは?
その間、JICAは緒方氏の「現場主義」の掛け声のもと、アフリカ各国にフィールドオフィスを設置していき、権限を委譲する形に移行しようとしました。結果、それだけが原因ではなく、前からその傾向が強まっていたのですが、JICA職員は、本部(東京)と現地事務所の間、下請けの開発コンサルとの間の調整機関になり、「官僚」と変わらない仕事(ロジ、アドミン)が中心となってしまったのです。JICAで「フィールド」というと、何故か各国首都にあるオフィスを意味するのはこれが背景です。
 なので、JICA職員で、「フィールドオフィス」在籍中に、本当のフィールド(例えば農村)を訪問することは稀になりました。訪問したとしても、アクションを行うのは開発コンサル。彼らとてそれを望んでいるわけではないのですが。


時間切れ。いか、この間ツイートしたことです。その背景を書こうとしたのですが、また明日に!!!ちなみに、私にはJICAで務める友人や元学生が沢山おり、なんの恨みとかがあるわけでないことを書いておきます!当然ながらTICAD市民社会フォーラム副代表のときは、沢山の仕事や活動を彼らとしています。また、JICAや開発コンサルなどの援助エージェントに良い人がいっぱいおり、例外があることも知っています。でも、時代と構造の全体の流れを掴むと大体以上のストーリーになるのではないか、ということです。勿論私見。

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昨日援助業界の人と夜ご飯を食べてビックリ。「援助は明らかな斜陽産業」との認識は未だないよう。国際協力に憧れる学生や若者が私の周辺にも多くいますが、はっきり言います。日本の援助に限って言えば、既に斜陽(衰退)期。政府援助ODAを通じた協力は10年以内に急減、「産業」として成立せず。
理由は簡単です。世界構造は激変し、その中で日本は沈没中だからです。被援助国が援助国になったり、「援助」というものそれ自体の意義が変化。一方、それでも日本の援助の比較優位があれば別ですが、額・質・スピードにおいて効果が低いことが被援助国に承知され、公的な感謝の一方で期待は低いから。
私は、アフリカのため援助の改善と倍増キャンペーンを主導してきましたが、現場(JICA事務所でなく地べた)での効果の低さどころかDo No Harmすら出来てないHarmful援助が一向に改善しない現実に直面し、TICAD IVから4年を迎え、日本の援助に期待するのを止めました。
若い人たちは、国際協力というビジョンを「援助」の縛り(現場を知りもせずその成果に責任を負えない外部者が●●してあげる構造)の中で何ができるか考えるのではなく、まずはニーズを持った当事者である人びとの中に飛び込んで学び、共に成長できる道を探ってほしいと願います。社会的起業ですね。
やれること、やられるべきことは山ほどあり。しかしそのいずれにも援助は手当できてません。ニーズが生じている現場が一人一人、社会という小さな場だからです。その場にJICAや開発コンサルは根差して仕事をしているでしょうか?小農支援を掲げる援助者は小農の暮らしたことあるのでしょうか?
小農の生活・農業を知らずして、勝手に描いた「土壌改良・市場化」支援。40年もアフリカで援助して未だこんなやり方。また、経済成長著しいアフリカで、かつてブラジルがそうであったように、問題は国内の富の偏在・汚職にあり。公正と民主主義の不在こそが問題の核に。援助はそれを改善できる?
アフリカの貧困と格差の問題構造をただ「不足」「援助」というタームで理解する姿勢を止めれば、援助も「使えるツール」になります。が、#プロサバンナ のスキームと同様、「ないところに●●してあげる」の発想である限り変わらない。付け焼刃の開発コンサルの社会調査に何億円払うバカバカしさ。
そもそも援助エージェントの「お客様」は誰か?現構造では、JICAであり、外務・財務省。本来は対象(例小農)であるはず。でもプロジェクト期間のみの表面的付き合い、カウンターパート(政府役人)経由、金は自前でないから回収必要なし、成果はレポート…でお客様の幸福に結び付くわけがない。
ならどうするか?援助の対象として客体化されてきた人たちを「顧客」とするか「ビジネスパートナー」とする事業を日本の若者が興すのをもっとサポートすれば良い。チャレンジファンドを作り、起業支援をする。失敗もあるだろうけど、痛みは事業主・投資家が直に。が。このプロセスで真に学び成功へ。
ということで2010年から準備をしてきた起業塾、2013年度内にはスタートさせる決意。でも社会経験なくいきなり起業はNG。嫌な仕事、嫌な上司に何年かしっかり揉まれ、何よりも段取り・財務管理・事業計画実施・顧客対応・ネゴシエーションを学んで。そして日本の田舎での起業も応援します。
今私たちは「時代の変わり目」にいます。従来のやり方は通用しない時代です。原発も援助産業も明らかに斜陽。でもこれを守ることに多大な金・労力が支払われる。それは新しい産業の芽を潰し未来の可能性を閉ざし、国・社会・人を滅ぼします。新しい芽に力を注げば、世界を先取り。今の日本は逆行中。
「新しい芽」はどこに?答え「どこにでもある」。重要なのは今ニーズをもっているのは誰、どこかを知ること。あなたが何のために(ビジョン)やるのか知ること。何?は後からで良い。私には、日本であれば田舎、あるいは高齢者・保育です。世界であればアフリカ。どちらからでも、往復運動でも。
アフリカや世界に羽ばたきたい皆さんの気持ちよく分かる。私もそうだった。でもその前に!語学や土地事情の勉強以前に、「あなたはどんな人」として生きている?生ぬるいお湯に浸かれる日本を一歩出ると、個人としての「あなた」が問われる。そして人を見分ける力、人との関係の結び方が問われる。
自社会で個として生きず、他社会で意味のある仕事をするのは難しい。エクスパットの立場で良いなら日本を出る必要なし。今日本が直面するチャレンジを素通りして世界で語れることはそう多くはない。今日本の若者は、前のどの世代より試されてる。それをスルーして世界とどう付き合うのか、私には疑問。
なんとなくの情報や感覚で毎日を過ごすのではなく、問いを持ち続け、疑問に感じたらネット情報に依存せず、身体を使って調べ/追求しよう。でトコトン議論しよう。考え抜く&意見をぶつけ合い結論に至る経験なしに世界で勝負出来ません。間違っても良いのでやり切る癖を。そして自分で見抜く力を。
「見抜く力」これは非常に重要です。震災・事故後(本当はその前から)日本では、誰もがこの「見抜く力」を求められているわけですが、これについて取り組んでますか?原発や放射能についてどういう立場でも構わない。でも、徹底して「見抜く力」を身に着ける大きなチャンスだから是非活かしましょう。
「見抜く力」これは非常に重要です。震災・事故後(本当はその前から)日本では、誰もがこの「見抜く力」を求められているわけですが、これについて取り組んでますか?原発や放射能についてどういう立場でも構わない。でも、徹底して「見抜く力」を身に着ける大きなチャンスだから是非活かしましょう。
その際に念頭に置きたいのは「権力/財力」はどこにあってどう動いているのか?という点。戦後世代はフラットな社会に生きているという幻想があるので、「騒ぐ人=声が大きい人=力」という勘違いがあります。見抜くというのは、表面的事象で判断するのではなく、構造と主体の両方から考えることです。
見抜く力の他には、勇気が必要です。勇気なしに世界に飛び込んでも、逆に「日本は良かった」で終わるだけ。で勇気はどうやって育む?小さなことでいいので、今「自分には出来ない」と思っている事柄を、一個ずつ壊していく。バカみたいなことでOK。一日2,3する癖を付ける。必ず自信になります。
あと「時間がない」ことを理由にしがちです。身体で稼ぐ情報収集も、徹底した討論も「時間がない」。はっきり言います。それは言い訳です。「時間とはつくるもの」なのです。つくる気があればつくれるものです。「気」がないだけ、惰性、時間管理の未熟さであることを自覚しましょう。自分も見抜こう。
自分を見抜く…これ本当に重要。自分を出し抜いてない?他人どころか自分に言い訳してない?一番重要な勇気は、間違える勇気、それを指摘してもらい易くする勇気、そしてそれを認める勇気。これなしに自己改善不能。より良い自分/社会には、失敗とそれを愚直に受容し、次に繋げる粘り強さが不可欠。
なんだかお説教じみたツイート集になり失礼。みなの優しい心根、大好きです。でも、もっと頑張れると思うから。おやすみ。

「見抜く力」を身に着けることは決定的に重要です。ただ騙されないためはなく、皆が思っている以上に闇が深く、構造にがんじがらめになってるこの世界で、歯車の一部としてでなく、個としてどう生きるべきか(誰の側にどう立つべきか)を教えてくれます。答えは一つでない。だから見抜き、考え抜く。

しかし見抜く力を身に着けるには「自分を見抜く力」が必要。日本では自分を出し抜いて生きてる人多し。人前で過小自己評価する人は、大抵内面では誇大評価。防衛本能カナ。表面上の自分内の「本当の自分」を知ってて知らないフリ。等身大の自分に出会おう。ダメな奴でいい。知り、変える勇気を持って。
by africa_class | 2012-09-01 19:34 | 【徒然】毎日がアフリカ