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Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

2012年 11月 12日 ( 1 )

国際協力にみられるWin-Win、BoPの欺瞞、「打ち上げ花火」的アフリカ外交を考え、沖縄・福島を考える。

週末に囁いた一言から展開していった議論。
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自分が幸せになるために、自分のことばかりに専念している人は、遅かれ早かれ行き詰まる。人生は楽ばかりでないから。他人があって始めて自分がいる…アフリカに広くみられるウブントゥ(Ubuntu)の精神から学ぶべき。遠回り、損に見えても、他人と共に生きる道こそ、本当は幸せに繋がってる。
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以上はビジョン。でも現実はどうか・・・と考え始めたら、「善意/偽善」「ボランティア」「Win-Win」「官民連携」「BoPビジネス」「外交」の問題と絡んでいってしまいました。とりあえず、ツイートを再録しておきます。例のごとく、140文字のつらなりなんで、読みづらく、説明不足でごめんなさい。でも、我々の仕事は、「今までの『当たり前の見方』に疑問を呈し、議論を開いていくこと」なんで、まあいいかな。すぐに反論のための反論を行うのではなく、一旦それぞれが引き取って、考えてみて深めてみる価値がある論点だと思います。ぜひ、どうぞ。

1.「自分/誰かのため」論が誘導するWin-Winの欺瞞を超える
 日本ではよく「自分のため」「他人のため」の二元論で語る人を見かける。学生は、「自分のできる範囲で」という枕詞をつけたがる。両方の論理に共通するのは、「自分の範囲」の硬直化と狭さである。自分とは何か?他人がいて初めて自分がある…この意味を、もう表面的にでなく深く多面的に考えたい。
 他方、援助の世界では、「他人のため」と称し「自分のため」目的が忍び込まされていることが多い。産業となった援助の姿。それを近年Win-Win等という言葉で目隠し。誰のWinで誰のLose?誰のどんなWinが検討されるべし。対等に聞こえて、その実誰かの犠牲の上に打ち立てられる言葉。
 「誰かのため」論はこのような権力関係に無自覚な自己満足を産み落とす。一方Win-Winは「自分のためでもいい」と正当化。問いたいのは、その「自分」が誰か?自分は問題構造の一部であって、善意構造のみの一部である訳がない。
 沖縄、福島を見よ。「やってあげる/ウィン=ウィン」の欺瞞。
 では、とすれば、どう生きるべきか?自分を、「今起こっていること(世界でも日本でも身近でも)」の当事者として捉え、その責任と可能性を受け入れていくこと…かな、と考えている。

2.BoPビジネスの目的は「貧困者層を消費者化し儲ける」こと
*貧困削減はそのプロセス/あるかもしれない結果。目的ではない。

 それは、巷で盛んに善きものとして宣伝されるBoPビジネスにも、その傾向が強い。Bottom/Base of Pyramid(世界市場の最底辺部を消費者化する狙い)がBoP。なので、「生産の最底辺部を豊かにする狙い」ではない。もちろん、BoP2.0等に見られるように規範化もみられるが、根本は「貧困者の消費者化」で「貧困削減のためのビジネス」ではない。
 企業や援助機関が「貧困削減のためのBoP」と宣伝の場合まずは疑問符を。BoPは先述の通り「貧困者から儲けること」が目的。貧困は「その結果として」解消されれば良く目的ではない。目的と結果を混同し宣伝するのは大いに問題。BoPは「貧困者エンパワメント目的のビジネスでない」は念頭に。
 そして、貧困者をエンパワーするビジネスをサポートしたいのであれば、そうすればいい。BoPという誤解を生む用語を、ああだこうだとひねくり回して、貧困者「にも」役立つようになど、しなくていい。そんなことをやればやるほど、BoPとそれを呼ぶことで、自分たちの利益を最大化しようとする動きに正当性を与え続けることになるだけ。このことは非常に重要。BoPの理念や表面的な事業の「成果」だけをみて議論してはいけない。もっと、根っこの部分と、「何のため?」を何度でも問うていった時、「美辞麗句」が削ぎ落された真理に近づく。
 貧困者のエンパワーメントにつながるビジネス賛成。だけど、それをBoPと同義語にするとしたら、大いに罠にはまる。

3.日本のアフリカ外交は「打ち上げ花火」
 今日のアンゴラ独立記念レセプションに、現役国会議員一人もいなかった。外務省はせめて政務官ぐらい派遣して祝辞を述べるアレンジを。TICAD、TICADと騒がしいけど、一発イベントにばかり注力し日々活動を怠るようでは、関係構築は無理。だから信頼されない。
  いつも出てくるのは落選議員のあの方(のみ)。この事実をどれ程アフリカサイドが落胆してるか、ご存知ないのでしょうね。国家間の外交なんて大風呂敷広げようとも根っこの部分は人間の関係の総和。信頼なくして外交なし。信頼は年月とコミットメントでしか生まれない。
 もちろん「外交らしきもの」はあるのですが。現在の2-3年1サイクルの職員主導の「外交」では無理もないのかな。しかも、社会の広い層の人たちと交流するようになっていない。一方、他国の外交筋の人脈や情報網の多様性にはいつも驚かされる。日本については、真逆の理由で驚かされる…。
 ここら辺のことは外務省の機関誌『外交』「特集>国際援助の新戦略:アフリカ」2012年3月12号「『ODA見返り論』からの脱却を」に書いたので、そちらをどうぞ→http://afriqclass.exblog.jp/14976062/  
 ため息をつく私に、アフリカ大使たちが、「A Luta Continua!」といって、私に拳を突き上げてウィンクしてくれた。そう。「闘いは続く」。そして、彼らも私も、若者たちに期待してる。新しい、太く、長く続く関係を、どうぞアフリカの若者たちと創っていってね。心から応援してます。

4.今、現場で起きていること
 援助関係者は現地組織と関係を持とうと必死。逆にいうと、援助事業がなければ関係を持とうと努力しない。「自分」あるいは「自分の目的」が先。おそらく、多くの人が、これを「問題」と認識しないのだろう。だとすれば、一旦時間を置いて考えてみてほしい。
 いずれにせよ、そういう本末転倒なやり方は、当然ながら現地の関係者たちに、不信感と屈辱を抱かせている。勿論、彼らはその失望を見せず、表面的には同意し、協力する。でも、心の中では苦々しく思っている。
 何故か?「目的は自分」だから。そして、「彼らは使われた」から。
 勿論、公的には、「●●に資する●●と共に・・・」と美文でデコレートされた宣伝文が使われるだろう。そして、日本の関係者の多くは、それらを繰り返し言っているうちに、なんだか自分で創り出した「言葉」がまるで本当にそうだったような気持ちすらし始め、最後にはそれだけが「事実」だったかのように、公的文書に書き記す。それを大した引き継ぎもない後の担当者が、知らないからこそ、中身なく、繰り返す。そうやって、外務省やJICAという機関内部では、その「繰り返され、記録され、伝達されることによって『事実化』した出来事」を「組織として」信じ、さらに記憶、伝達していく。
 それは、戦前・戦中にもあったやり方。政府文書を丹念にみつづけるとそれが分かる。そ戦後は、農薬問題で、「食糧増産援助2KR」問題に取り組んだ時の議論に、これははっきり示された。
 
 そして、今、原発をめぐる安全神話で、それははっきりしている。あれほどまでの犠牲を出してなお、原発を安全といいたがり、いっているうちに、「そんな気になる/させる」恐ろしさ。
 政府機関が、「成功」「安全」と自画自賛するとき、日本に暮らす私たちの、歴史から学ぶ正しい姿勢は、「まずは疑う」であろう。そして、「何故成功・安全」を連呼したいのか?を問うてみよう。その先に、きっと別の世界像が浮かび上がってくるだろう。

5.沖縄、福島が突きつけているWin-Winの欺瞞
 沖縄、福島が突きつけている現実から、私たちが今学ばないとしたら、いつ学ぶのだろうか?
「自分のため」「他人のため」のWin-Winの陰で、犠牲にする人たちは、一体誰なのか?その犠牲をなかったことにするのではなく、ど真ん中において、Win-Winを語るべきではないか、と。そして、そんなことが、本当にできるのか問い直してほしい。
 「犠牲者を前にした私とあなたの利益の話」・・・・と書くと、もう少し考え易くなるのだろうか。

6.ウブントゥに戻る
以上から分かるように、Win-Winとウブントゥは似て非なるもの。「あなたがいるから私がいる」。「私がいるからあなたがいる」ではないのである。そして、ウブントゥはLoserを生み出さない。あなたも、彼らも、私も、みなが含まれるinclusiveなもの。

 UNDPがあえて、BoPという言葉ではなく、Inclusive Businessを前面に出しているのは、それへの配慮なのかどうかは、また今度。
by africa_class | 2012-11-12 23:46 | 【考】21世紀の国際協力