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Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

2019年 06月 04日 ( 1 )

日本で11歳まで前髪の向こうに隠れていた息子が、7年後にドイツの起業コンペで優勝するまで。

ブログをふと見たら、2011年7月(つまり8年も前)のブログ記事がトップにランクインしててビックリ。そして、当時「怒りの鳥」を描いていた息子の海が、いろいろな意味での自由を手にして「遠い」ところを楽し気に飛び回っていることを、皆さんに伝えないといけない気に駆られたのでした。

さようなら、日本の「普通教育」。シュタイナー学校に行くことになった息子と「魂の鳥」

https://afriqclass.exblog.jp/13063647/

兵庫の山々の懐の町で生まれ、4歳まで育った海。
その後引っ越した東京でも、ただの「海くん」としてノビノビと育った。

地元の公立小学校に入るまでは・・・。
入学式後の初登校の日、いきなり上級生から「ガイジン」と虐められ、教室に入ったら「アメリカ人」と呼ばれ、つい同級生を突き飛ばしてしまった。身体の大きな海の「とん」とひとつきで同級生がこけてしまい、担任から大慌てで電話。相手のご家族に電話して謝るようにいわれ、親も子もなんだかわからないままに、日本の学校生活がスタートしてしまった。その後は、いばらの道。

持ち物が少しでも他の子と違うと「学校に行きたくない」。
赤ちゃんの頃から大好きだった曲げわっぱのお弁当箱なんて、とんでもない・・・。
プラスチックのものが何一つない家に、どんどんアニメ柄のプラスチックのものが増えていった。
とにかく、「みんながもってるのと同じもの」を、「みんなと同じように」すべてを揃えないと不安で不安で、泣いてしまうほど。二言目には、「どうしてみんなの家と同じようにできないんだ!」とかんしゃくをおこし、「みんなと同じにどうして産んでくれなかったんだ」と。

みーんな違ってて、それがいい。

それを大学での教育理念にもしていた私の戸惑いは、とてつもなく大きかったものの、どうしていいか分からなかった。日本という環境の中で外国人ばかりが行く学校に通わせるのはどうしても納得ができなかった。まずは地域の中で育ってほしい・・・そう思っていたから。

4年生になるころには、父親はもとより極めて「日本のママらしくない」という私も授業参観に来ちゃだめといわれはじめ、前髪をながーく伸ばし始めて、顔全体を隠すように。外出しても、人に見られたくないのか、自分では絶対に注文をしない。とにかく、目立たないように、目立たないように息をひそめて生きるようになってしまった。こっそり行った授業参観で先生に指されると、蚊のなく様な声で返事をして、あんなにのびのびしていた子が・・・と人知れず帰り道に涙が止まらない。

私の中では、一刻もはやく違う環境においてあげないと、思春期で大変なことになると思ったものの、手が無い。日本のシュタイナー学校は満員でどこも新規に受け付けておらず、残る選択肢は中学校で国際的な学校に行くこと。でも、そもそも日本で育てるべきなのか・・・。そんなとき、サッカーに出会い、よい仲間に恵まれどんどん上達していったこともあり、いろいろなことを考えるものの、日々の忙しさに追われ、現状のまま流されていたのでした。

でも、サッカーですらゴール前にいてもボールがまわってきたらわざとパスを出すほどに気持ちの面で自信がない…。何度いわれても、同じ。ゴール前で譲ってしまう。みにきたお父さんたちの「あーーーー」というため息が流れる。毎度のこと。それでも、なんとかFC東京のジュニアテストに合格して最終試験を小平に受けにいったその日に、東日本大地震が。

運命とは不思議なもので、あの地震は海の人生の方向性をガラリと変えてしまった。

日本で育つこと。
サッカー選手になる夢。
そして日本代表となる夢。

2011年4月、震災と原発事故を受けて、一旦ドイツの学校に「留学」することになった息子。
半年ごとに日本に戻るかどうかを話し合い、結局、それから8年が経過してしまった。

ドイツに行った時は小学校5年生。ドイツ語の読み書きがまったくできなくて、宿題が何かすら分からないで毎日通った学校。もう何年も経った後に、「あのとき毎日日本に帰りたくて、来月こそは帰られるかなって願ってた」と教えてくれた(涙)。そんな本音もいわないままに、読むことも書くこともできない言語と格闘した。かなしくて爆発したことも一度や二度ではなく、私が東京に残って大学の仕事を続けたこともあり、寂しさもあって、とにかく心は荒んでいたと思う。

飛行時間12時間の遠距離の家族の時間のために、お金も気力・体力もすべて使い果たしつつ、2,3ヶ月に1度ドイツに向かった私のカバンにはいつも日本の教科書やドリルが入っていたのだけれど、あるきっかけでそれも捨ててしまった。

家族で近所のイタリア移民がやっているレストランに食べに行ったときに、息子が全員分のオーダーを率先してとって、店主に伝え、おばあちゃんには氷なしの水、自分には氷ありのジュースなど細かい点までお願いしていたのを見たから。確か、ドイツに行って10ヶ月も経っていなかったと思う。そして、その瞬間まで気づいていなかったのだけど、息子の前髪は見事に短く切りそろえられていた。

あのときの静かな感動は、一生忘れないと思う。

日本で私の後ろに隠れて、自分の食べ物もオーダーしたがらなかった息子が、誰にも言われずに皆のオーダーをとってくれている。その翌週、息子の学校に出前授業に行ったときのこと。日本なら絶対「はずかしい」といって反対されるのが、何もいわなかった。すべて英語。子どもたちはそれなりに理解してくれて、「どうしてか分かる?」と聞いたとき、数名の子どもたちが手を挙げたのだけど、その中に海がいたことにビックリした。そして、あの日本の授業参観での蚊の鳴くような声と違って、大きなはっきりとした声で自分の考えを述べてくれた。

18名のクラスメートには、いろいろな障害をもった子どもたち、里親の家から通っている子たちもいて、海は「特別」ではなかった。絵を描くと、それぞれが個性を発揮して、それぞれが美しい。

「みんなちがって、それがいい」

一年生から12年生までが一緒に活動をして、互いに助け合う。
自分の考えを尊重してくれる社会、学校、先生、クラスメート。
そんなところで、海は、徐々に「自分が自分であってそれでいい。人と違っているのが当たり前」の空気の中で、自分らしさを発揮するようになっていった。

日本を離れて3年後、クラスの劇を仕切る彼がいた。
みなの分の台詞を覚え、覚えられない子のそばで囁く。
依然としてドイツ語の文法は間違えていたらしいが、そんなことも気にしなくなっていた。
勉強が不得意と思っていたのに(実際7年前のブログにはそう書いてしまった)、いつの間にかクラスで一番の成績となっていた。いったい全体どういうこと?!?!?不思議なことに、サッカーでも、日本ではフォーワードを嫌っていたのに、喜んでゴール前に立つようになった。ほとんどマジックをみている感じだった。

それほどまでにself-esteem(自己肯定感)が子ども・若者の成長に重要だったことを、改めて教えてもらった。つまり、人は「できない」といわれるよりも「きっとできる」と励まされたほうが大きく伸びるということなのだった。また、「あなたはだからダメなんだ」ではなく、「あなたはあなたでいい」と受け入れてもらったときに、どれほど安心し、自分で歩むようになるかも。

私は幼少期に暴力を受けて「お前はダメだ」と繰り返し繰り返しいわれて育ったために、このことは体感してたし、いつも息子には決してネガティブな表現は使わず、まずは受け止める、そして必ず褒める、必要に応じて時間と空間を切り離して「あのときのことだけど、どう思う?』というにとどめてきた。父親もドイツで「褒めて育てられた」人だから、当然家庭内では絶賛「褒める」。褒め過ぎちゃうか・・・と思うぐらい、褒める。でも、日本社会や子どもが大半の時間をすごす学校・先生の影響の大きさまでは、分からなかった。むしろ、家庭内と外のギャップに、彼なりに戸惑い、苦しんでいたのかもしれない。

ドイツでは15, 16歳で仕事を始める子も多い。
クラスメートが次々に職人や職業訓練の道を歩み始めるのを受けて、海も自分の将来のことを真剣に考え始めた。なにせ自分のお小遣いを自分でつくり出すために、12歳でキャンドルを売り、14歳で木工品や家具を売り、16歳で写真を売る子。当然の成り行きというか、「起業」しか頭にない。ただ一応大学にも行くつもりで通信教育を受けながら、起業に向けて準備を始めた。

15歳になるころには、学校給食がまずいからと、前夜にお弁当を自分でつくり毎日持って行くようになった。(私は彼が自分でやりたいと思うことは、自分で責任をもってやることを教育方針としていた)。2歳のころに包丁をプレゼントして以来、一緒に料理や味噌・豆腐・梅干しづくりなどしてきたせいで、料理への関心は高く、いずれは「フード」の世界に行くと決めていた。そして、16歳の秋、わざわざ独りで日本に戻って、2週間にわたり居酒屋やレストラン、フードトラックで研修を重ねた。ドイツでは日本食だといくらでも儲けられると考えたそうな。(甘いな・・・でも口に出さなかった。自分で考え、自分で行動するのであれば、どんな失敗も肥やしになるから。)

卒業式の前週、卒業制作発表会があり、フードトラックの発表。
なかなかよく出来た発表とはいえ、これでビジネスになるんか・・・と突っ込みたい。とくに、そのトラックのお金どうするん?という点について。それについては、「へへへ」と誤摩化したまま、友人とともに卒業旅行と称して、シベリア鉄道3週間の旅に出てしまった。

戻ってきて、友人は大学進学のための学校に行くが、通信教育の海はなんにも動かない。
どうやら学校が終ってあまりにあまった時間を、映画やビデオをみて浪費している。それまで一切してなかった携帯ゲームにまで手を出している始末。朝はお昼まで寝て、夜ごそごそ。友人も彼女も学校に行ってる間は寝てて、彼らが戻ってきたら遊びに行ってしまう。。。時間は山ほどあるくせに、学校に行っていた時以上に部屋が汚い。ゴミもまともに捨てず、床の上に散乱している・・・。

これがあの生活態度が乱れるというやつか・・・。
昼夜逆転というアレ?

親としてはかなりの忍耐が必要な状況に間違いない。
連れは心配になって、私に指導するようにいうのだけど、私の教育方針はさっき書いたとおり「自分で気づく、考える、行動する」。とはいえ、さすがに一言二言いわなくてはならない状況になってきた。

昼頃起きた息子のベットの横に座る。
「海くん、丁度半年前、あなたの卒業制作発表会に出て、それから卒業式に出て、ああ、これから限りなく広がっている人生の道をあなた自身が自分の力できり拓いていくんだね、って眩しい想いでみてた。いまでもそう信じてるけど、それでいい?」
「いい」
そういうと、「もう出てってー」というので、そっとドアを閉めた。
ドアの向こうからは、携帯ゲームをしている様子がわかった。
でも、もう何もいわなかった。

それからほどなくして、「このレストランどう思う?」と聞かれ、日本食のレストランのサイトを紹介された。とってもポリシーをもってて、いわゆる「日本食」っぽくない店でいいね、と言ったら、「すぐにバイト始めたい」といって、履歴書やら志望動機書やらを作るから協力してくれといわれて協力した。その週にバイトは始まり、電車で往復3時間かかる距離を週に3回通いつつ、サッカーも自分の年齢のチームとトップチームの掛け持ちを始めた。

きっと私の日本の家族なら(まずはネガティブからはいる・・・)、「でもバイトだよね、プロではないサッカーだよね・・・」というコメントをいってしまうと思う。そもそも通信教育の勉強もちっとしかしてない。でも、相変わらず昼まで寝て、トモダチに彼女にバイトにサッカーに忙しい。でも、彼がドイツ社会のなかでようやく自分が必要とされ、居心地のよい場所(仲間)をみつけた嬉しさが感じられたし、その感じをトコトン味わう時期があっても良いのかもしれないと眺めていた。そもそも、彼がぶらぶらしているからといって、近所や親戚や友人の親や友人が何かをいうような社会でもない。

人それぞれ。
それぞれが考えてそれぞれの道をそれぞれのやり方で歩む。

とはいえ、半年以上続くので、父親はジリジリし始めた。
でも、人生のなかで迷子になったり、迷路にはいったり、遊びにはまったり、そういう時期ってあるし、そもそも親からして「まっすぐな一本道」どころか「曲がりくねって、途中で終ってて、そこで倒れたままじっとして、また道を歩き始めた」(私)りしてる中で、子どもに「これが正しい道」だなんていうのはダメだよね・・・と確認しあった。(そもそも親自身が自分たちの不仲で、子どもを振り回して生きてきた。)ただし、お金はもうちょっと稼いでほしいね、と。自分で食べるもの、遊ぶお金ぐらいは、自分で稼がないと・・・。そもそも、自分の車だって自分で働いて買ったし、親が買ってあげるのって違うんじゃないか、というとどうやら父親の方でもちゃんと「債務通帳」をつけているのだそうな。さすが・・・ではある。

そこからさらに数ヶ月。ついにクリスマスがきた。
なぜかドイツではお正月ではなく、クリスマスに翌年の抱負をのべる。
息子いわく、「いろいろ考えていることを行動にうつす」と。
しかし、クリスマスが過ぎて、年末年始の旅行が終っても、行動に変化がない・・・。
さすがに、これはまずいのではないか、そう思ってた矢先、突然、友人と起業コンペに出るから写真を撮れという。

ふーん。
撮ってあげてもいいけど、いい加減な調子だったらお金とるよ。
いや本気だから。
本気って、どうやったら分かるの?
だって、すでに550名の予選を突破して、最後の16人に残ってるから。
ぎょ。。

思わす「遊んでたんじゃないの?」との質問を呑み込んだ。

そうなんだ。
で、この写真は?
会社のホームページに必要だから。
ぎょ。。

「ビデオみてたんじゃなかったんだ」のコメントも呑み込んだ。

書斎に来てといわれて汚いからいやといったのだが、入ってびっくり。
ゴミやあれやこれやは散乱していたものの、片面はきれいになっていて、ポストイットが壁中はられてあって、もうスポットライトなどが準備されていた。ニヤット笑う息子と友人。

このゴミも写すね、と憎まれ口をたたきながら、なんだか嬉しさがこみあげてきた。
最初から決めてたとおり、彼らに任せていいんだ、と。
このコンペの結果がどうであろうとも。

二人は準備したプレゼンを見せてくれた。
なんのビジネスプランと思ったら、たしかに「フード」分野であるものの・・・・「虫」だった。
ぎょ、ぎょ。。

アフリカでは「虫」を食べる地域が多い。
でも、私は食べない。
肉を食べないけど、虫は食べない。
魚は食べるけど、虫は食べない。
そんな私の前に現れた「虫フード」。。。

ニンマリと笑う二人。
それから二人は毎日集って、虫を育てるために地下室を改装し、虫を育て、プレゼンを作り、試作品を作り、原稿を作り、メンターとスカイプしながら、準備を進めていった。なんのコンペかもよくわからないが、とにかく見守る。何もいわず、「後片付けしなさーい!」と二人に檄を飛ばしつつ、見守る。

相棒のフィンは学校に通ってる。親は彼に大学に行ってほしい。学校も休まないでほしい。でも、本番が近づくにつれて準備が間に合わなくなって学校を休みがちになる。それでも、フィンの両親もフィンには一切何もいわない。自分で考えて判断しろ、とだけ伝えていると。お母さんに聞いてみると、色々考えることもあるし黙ってるのは辛いけど、自分で決めることだから、と。さすがである。

そして本番前日。
私は出張でバルセローナに。
彼らは始発電車で開催地へ。
まあ、がんばってね。きっと上手くいくよ、と適当なメッセージとともに。

この時点では、なんのコンペかも、何もしらず、まあ人生には一生懸命なにかに打ち込む瞬間が重要だという程度だった。失敗はどんどんすればいい。挑戦が重要、と。

その日、バルセローナで美味しいレストランでたらふく食べ、酔っぱらって地下鉄に乗ってると、興奮気味の父親から携帯に連絡がきて、「どうやら優勝した?みたいなんだけど・・・連絡あった?」と。「ない」。「電話つながらないんだ」。「そりゃ優勝したらつながらないから、ほっといたら?」。ほっとけない父親は情報を求め私にかけてきたという。さすが熱血親父。本当はコンペ会場に行きたかっただろうに、ぐっと堪えた。もう18歳の息子、両親がうろうろなんかしてはいけない。たった独りで世界にチャレンジすべきだから。そこは、さすがに理解したようだった。(かろうじて)

電話を切ってから、なるほど。人生の歯車というのは、ふしぎなものだと感慨にふけっていると、息子からたった一文メッセージが飛び込んできた。「Wir haben gewonnen!(勝ったよ!)」

狐につままれた感じだった。
いまでもそうだが。

コンペはドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲン社がはじめて開催する19歳以下の若者の起業ビジネスコンペ(X-starters)だったことは、ずいぶん後になってから教えてもらった。そして、それ以降、優勝の賞品である起業までのコンサルティング(200万円相当)を受けつつ、起業に向けて急ピッチで準備をしているところ。

まだ18歳。
まあ、失敗もするだろうなーと眺めてる。
でも、それも含めて、それでいいと思う。

自分で考え、自分で動き、(そして止まり)、この間にも、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしているが、彼は彼の人生の道を自分の足で歩いているという実感をもって一歩ずつ進んでいる。もはや、「国籍が」「出身が」「ドイツ語が」「日本語が」「親が」「学校が」・・・ではなく、「ぼくが」という主語で一日、一日を生きている。

部屋は相変わらず散らかったままだし、朝も遅いが、いつか自分で変わるだろう。
(いや、もうひとりの親をみてたらダメかもしれないが・・・それで死ぬわけではない、と思いたい。)
もう成人(ドイツは18歳で成人。16歳で地方選挙の参政権があり、お酒が買って飲める)。
彼は彼のやり方で彼の道をいく。
その背中を、これまで以上に眺めるだけになるんだろう。

もし、彼の活動に関心をもっていただいたのなら・・・以下、ぜひのぞいてみてください。
ほとんどドイツ語ですみません。
あ、そして「虫さん」たちは、だいじょうぶですよ〜。
まだ主役でないので。

■フォルクスワーゲンが作ったプロモーション動画
https://www.youtube.com/watch?v=eckzE3WO3qw

■彼らの会社Entorganicsのホームページ
https://entorganics.com/

■インスタグラム
コンサルに1日1レシピをアップするように言われてアップしてる写真
https://www.instagram.com/entorganics/


もちろん、彼は成功したわけでもなんでもなく、一歩を踏み出しただけ。
しかも多分、大失敗は織り込み済みで。
でも、彼はもう前髪のおくに隠れていない、自分の考えをもってそれを自分の言葉で表現し日々人々と関わりあっているという点で、もう心配していない。何より、彼の人生だから。


日本では、「おかれた場所で咲きなさい」という本がよく売れたという。

でも、私は全力でいいたい。
「咲けない場所からは逃げて、咲ける場所で咲くのも一つの選択肢だよ」と。

彼の話から、「あなたはあなたであっていい。あなたは違っていい。違っていることにこそ、あなたの可能性が潜んでいるかもしれない」、ということを、日本の若い人が少しでも頭の片隅においてくれればと願っている。


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彼に庭の写真を撮ってといったら、こんな感じの写真がたくさんきた。
なるほどーと。


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庭の隅々への愛が感じられる。写真をとおして、感じられて嬉しい。

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完全に野草だけど、私たちの冬の間の重要なサラダな。

*子育てという言葉はキライだけど、誰かのところに届くようにカテゴリに入れます。


by africa_class | 2019-06-04 20:09 | 【徒然】ドイツでの暮らし