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Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

2019年 06月 13日 ( 1 )

18歳の息子が社会的起業(ソーシャルビジネス)や「昆虫食」にこだわるようになった理由、それはアフリカで…。

息子(海)の葛藤、たくさんの皆さんに読んでもらったようでありがとうございます。
未読の方は、まず以下の投稿からご笑覧いただければ。

日本で11歳まで前髪の向こうに隠れていた息子が、7年後にドイツの起業コンペで優勝するまで。

https://afriqclass.exblog.jp/239298221/

ドイツから「熱血パパ」が何度もメールしてくるんで、皆さんにも協力をお願いさせていただきつつ、海がなぜ起業家になろうと思ったのかの話を紹介させてもらおうと思います。

実は、海は友人のFinとともに、14-19歳向けのStartup Teenというドイツの起業コンペに参加しています。そして、本日(6月13日)の21時(日本時間)に投票が締め切られるそうで、皆さまに彼らのビジネスプランを確認していただき、「いいな」と思ったら、ぜひ投票していただければ!

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現在エントリー中の10代の起業を応援するStartupteensサイト
https://www.startupteens.de
ドイツのサッカー元代表のフィリップ・ラームや名だる企業が応援している。
*前回優勝したコンペは起業サポートのコンサルタントの費用を負担してもらっただけで、起業のための資金はもらえなかったので、このコンペでそれを確保したいということです。


1. アカウントを以下のログインURLで作成、anmeldenというのをクリックすると仮の登録完了
https://www.startupteens.de/user/register
2. 登録メールアドレスに確認がくるのでクリック
3. ホームページに行って登録が完了するので、画面の下に出る「zum Online-Voting」をクリック。

あるいは、
3. 改めてログインすると、
4. エントリーされているティーンのビジネスプロジェクトの一覧が出るので、下の方に出てくる海たちのプロジェクトEntorganics - (Sciences & Health)のビデオを見る。
5. 気に入ったらぜひ親指が立っている左の画像をクリックで投票。

a0133563_17114915.png
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とはいえ、ドイツ語なので、彼らのビジネスプランを補足します。
海とFinは、現在世界で進む肉食化が地球環境を壊し、地域の人びとの人権を侵害している現状に危機感を持っています。そこで、肉よりも優れた栄養価を誇る「昆虫」を積極的に食べる文化を広めることで、少しでも肉食の回数や量を減らせないかと考えています。

彼らのホームページによると、昆虫食は肉より、
1. 75%少ないエサを必要とし、2. 99%少ない二酸化炭素を出し、3. 99.3%少ない水を必要とし、4. 87.5%少ない土地を必要としているといいます。
https://entorganics.com/
(なので、肉食化に伴って飼料である穀物や大豆の大量生産のための森林伐採や土地収奪[ランドグラブ]などの自然破壊や人権侵害を減らせます)

<=この問題に海が凄く関心をもった背景は下の方に

ドイツ人は1年間に1人あたり65キロもの肉を食べているので、まずはドイツ人をターゲットに「昆虫食」を広めたいといいます。とくに、ドイツの若者の間で、ジムにいって身体づくりがはやっており、それに伴って「プロテイン」を大量に採ろうとする人も増えているため、これを肉で補うのではなく、「昆虫」でと考えているようです。

なるほど、粉にしてしまえば虫がキライな人でも食べれるよね、と思いますよね?

しかし、インスタのページを見てもらえれば分かるように、彼らは「虫のかたち」をあえて見せる形で写真とレシピを掲載しています。(といっても乾燥虫なのでご安心を)
https://www.instagram.com/entorganics/

よりハードルを上げるその手法には私でもとっても疑問だったのですが、「粉にしてしまえば簡単だけど、なぜ昆虫食を勧めたいのかの意義が薄まってしまう。あえて『昆虫を食べる』ことに価値を見出してもらえるように頑張るのが、自分たちが他の昆虫食企業と違うところ」だといいます。なので、自分たちのプロダクト(昆虫が入った食品)は、オーガニックも重視していると(なのでEnt<虫.>+Organics<オーガニック>)。

つまり、「昆虫食の伝道者」になるのだそうな。。。。

彼らは、日々、ドイツの家で試作を作って撮影しているため、乾燥虫があちこちに散らばってて、最初はフライパンを共有することも「ヤメてー」だったのですが、人間とは恐ろしいもので、2週間も経てば「日常風景」になってしまい、慣れてしまった。。。そういう実験対象にされていると知ったのは、後のこと。

「虫なんて絶対食べない!」とがんばっていた私をまず攻略するのが、狙いだったようです。まあ、見た目美しく、美味しく作ってくれていることもあり、今では普通に彼らの作ったものを食べている自分がいるのが驚き。(百聞は一見にしかず。まずインスタみてやってください)

なので、今エントリーしている起業コンペのビデオで最後に言っているように、彼らの狙いは、昆虫食の料理ブックを出版しつつ、昆虫食クッキングクラスを開催し、以上を意識したエコでソーシャルな「昆虫食ラインナップ」を商品化して売りたいのだそうな。(言うは易しだが…、まあ人生一度だけ。若い頃はいろいろ挑戦すればいいと思う。)

なお、これらのことは、前のブログに書いたとおり、今年1月に写真撮影を依頼されて以降しったことであって、彼の起業プランや準備に、私や彼の父親は一切関わっていませんでした。17歳のときに、Finと一緒にシベリア鉄道3週間の旅をした際の膨大な時間に、二人で延々と語り合い、考え、つくったものだったそうで。2月のコンペに向けて、すべてのプレゼンが出来てから見せてもらってビックリ。

では、なぜ海は起業、そして昆虫食に向かっていったのか?
話は18年ぐらい遡ります。

彼の母親(私)は、戦争と平和学、そしてアフリカ研究者として、1997年から毎年数ヶ月をアフリカ(モザンビーク)の村々で調査を行っていました。ちょうど調査の基盤が出来て、半年から1年以上調査地で生活しながら研究を進める目処がたった1999年(そして奨学金もほぼとれていた)、妊娠が発覚しました。(未婚な上に、まだ学生だった。もう2つ問題があったのですが、それは書かないことにします)

悩みながらも出産を決意し、海が誕生します。
でも、調査を諦めきれず、生後11ヶ月の海を連れてモザンビークへの調査に向かいます。
当然、家族もアフリカ研究の先輩たちも大反対。
でも、予防注射をすませ、あらゆる予防策をとり、アフリカに向かいました。
(余談ですが、日本の保育園で中耳炎をうつされ、抗生物質を処方されるも悪化の一途をたどってどうしようもない状態まで追い込まれていたのですが、アフリカに連れていった途端なおった・・・ということから、無菌・抗生物質大国の日本は日本で危険だな・・・と。)

以来、海も毎年夏に数ヶ月モザンビーク、タンザニア、ザンビア、ルワンダなどの村々での調査に同行し、成長していきました。私の調査地は森が豊かで河川も多く、お米や雑穀、お豆がたくさんとれる食べ物が豊富な村で、遊び相手となる子どもにはことかかず、のんびりとした日々を送っていました。(ただし、草むらは地雷が残ってるのでそこは厳しく入らないように制限しました)

泊まるのは、伝統的チーフのコンパウンド(家の敷地)の中庭。そこに家族用のテントをたてて、ワラで囲っただけのトイレ兼水浴び場を一緒に使わせていただいていました。

朝4時から家のお母さんが中庭を掃き出し、水をくみに川か井戸に向かい、5時には近所のみなさんが次々にやってきて、挨拶&談話にはげみます。そして、子どもたちがわんさかやってきて、海と遊びたくて仕方ありません。ご飯は、お母さんや娘さんたち、あるいは近所の人達が持参してくれるのですが、基本的に2汁(肉か豆かゴマのお汁+野菜のお汁)+ご飯か雑穀かトウモロコシのお餅だけ。おやつに木になっているミカンやバナナやパイナップルをいただきます。どんなものが出されても、海は全部おいしく食べていました。それは、作ってくれているお母さんたちの苦労を目の当たりにしていたからです。

お母さんと娘たちは料理などの家事の全部だけでなく、料理に使う水、薪、材料のすべてを確保する必要があります。わたしが調査のために不在にしている間、家に残っていることも多い海は、お母さんや女の子たちの大変な様子をつぶさに観察していて、そんな苦労をしてまで作ってくれたご飯を大切に食べないとという気持ちを強くもつようになりました。なので、どうやってもキライといって父親が出されたものを食べないことに心を痛めていました。

アフリカといっても、国や地域が変われば食べるものも変わってきます。
海が5歳になったころから、モザンビーク以外のところでも調査を開始したため、とにかく「出てきたものは何でも食べるのが当たり前」という姿勢をもって育ってくれました。またさっきまでそこらを歩いていたヤギやニワトリが夕食に出されることも多々ありました。命をいただき、自分の命を生き長らえさせることの意味を、日々実感していたようです。そんな中、それが昆虫であれ、否定せず、人間の食べ物となったものを大切にいただく姿勢が、いつの間にか身に付いたのだと思います。

あとは、今彼が育ったモザンビーク北部、そしてアフリカ中で急速に進むアグリビジネスによるランドグラブ(土地収奪)に苦しむ農民の姿をみていることが「昆虫食」に向かっていった原動力だそうです。実は、私がモザンビークで日本とブラジルが進める大型農業開発(特に大豆)「プロサバンナ事業」の問題にこれほど取り組むきっかけになったのは、彼の一言からでした。

「ママ、この日本が進めるという『プロサバンナ』って事業だけど、おかしいよね?だって、ここ(モザンビーク北部)に『サバンナ』なんてないじゃん。だから農業開発とかするんだったら、森を伐るってことだよ。日本のお金を使ってなんかおかしなことしてるんじゃない?ママなんとかしなきゃ!」

そして、ママはがんばったのだが、結局プロサバンナ事業は現在でも続いてしまっている。
何度か来日して訴えるモザンビークの農民たちと時間をすごした息子の中に、「大豆、アグリビジネス投資、水、土地、人権」の問題をなんとかしたいという想いが静かに続いてきたことを、初めてプレゼンを見たときに理解して、涙が止まらなかった。

プロサバンナについてはこのブログのタグを見て頂くか、日本のNGO・JVCさんのページをご覧下さい。
https://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html


そして、起業については、3歳の頃のこと。

村にいるときは、子どもたちがどんなにボロをまとっていても気にしていなかった海が、モザンビークの首都マプートで物乞いをしている同じ年齢の子どもたちを目にして、衝撃を受けたようでした。車の後部座席でじっと黙り込んでいたかと思うと、突然大泣きして、「ママ!もってる僕のお洋服、全部あの子たちにあげて」と叫びました。そして、「僕がもってるコインもぜんぶあげるから、ママも全部あげて」と。息子は、モザンビークの硬貨は大きくてきれいといって集めていたのでした。

レストランの前で駐車すると、ボロボロの服をまとった子どもたちが、次々に手を差し出します。モザンビークにその前の10年前から通っている私としては、手放しで「可哀想」といってコインをあげるのは気が引けます。このような年齢の子どもたちに物乞いをさせる親や大人達の存在を知っている以上、これを増長させることがあってはならないとも思って、なかなかコインをあげることは出来ませんでした。

その様子をみていた息子はより心を痛めていたと思います。自分はおいしいものをたらふく食べて、ちゃんとした服をきている。村で一緒に遊んだお友達のような子たちが、こんなに目にあっているとすれば、助けて当然じゃないか、と。

そこで、私は海と方針を決めるために、じっくり話し合うことにしました。
「海くんは、どうしたらいいと思う?」
と聞くと、
「僕、なんにも要らないから、全部あげて」
「全員に?」
「うん。全員に」
「全員に行渡る?」
「買ってあげればいい」
「そんなにお金ないよ」
「じゃあ、日本に戻ってお洋服を沢山あつめてまたくればいい」
「なるほど。でも、それで解決になるかな?」

すると海は唇をかみしめて、うううーーーと言って大粒の涙をぽたぽたと落とし始めた。
抱きしめて落ち着くのを待つこと数分。
泣きながら
「ならない」
と一言いって、わーーーんと泣いた。
私たちも泣いた。

無力感を全員が実感したまま、その日は終った。

「「ならない」としても、できること、やるべきことは何だろう」
私たちの話し合いは続いた。
私がした提案は、物乞いの子どもたちの名前を聞いて、しっかり話して、なぜ物乞いをしているか聞いて、納得がいったらあげられるものはあげようというものだった。少なくとも、「物乞いの子ども」ではなく、「出会った●●くん、●●ちゃん」として接してみようと。

そうやって出会った●●くん、●●ちゃんと、沢山のお話をした。
パン屋でパンを買って、なるべく毎日会いに行った。
首都を離れて村に向かう前夜、これらの子どもたちのところを一通り回って、お洋服とお金を少し手渡した。
その間、海は一言もいわなかったけれど、子どもたちとしっかり握手をしていた。

北部の村に向かって車を走らせている間も、海はずっと黙ったままだった。
あの日以来、心から楽しんだりしていない彼の姿があった。物思いにふけっている感じがあった。
村までは何百キロもある。
長い長い道のりを走りながら、聞いてみた。

「あのこと気にしてるの?」
「うん」
半泣きの顔でわたしを見つめる。
「じゃあ、どうしたらいいか一緒に考えよう?」
「うん」
少しほっとした表情をみせてくれた。

それからの6時間ぐらいのドライブの間、海は次々に「どうしたらいいか」の提案をしてくれた。
一番最初の提案を、今でも覚えている。

「僕が、お洋服工場をマプートに作る。そこで子どもたちが働いて、お金を稼ぐし、新しいお洋服ももらえる!」

「なるほど。それはいいアイディアだね」と言った後、いくつか質問をしてみた。
「子どもを働かせるのでいいのかな?」
「どうしてお洋服工場がモザンビークにないんだろうか?」

その度に、海はじっと考え込む。
そして何分も経った後に、いろいろな回答をしてくれる。
そうこうしているうちに、彼の中の悩みが深まったような辛い表情が現れてきました。
「じゃあ、また次の案を考えてみよう。アイディアはいくらあってもいいんだから、楽しくアイディアを出し合おうね。ママも考えてみるよ」

そして、私たちのビジネス・アイディア大会が始まりました。
アフリカだけでなく、世界のどこに行こうとも、海と私はビジネスアイディアを提案してみる、すでにあるビジネスの改善作を考えてみる、そんなことを繰り返していきました。

最初は、アフリカで何かビジネスをすることにこだわっていた海であるが、大きくなるに連れて、そこはこだわらなくなっていきました。それは、アフリカの政府の腐敗を理解するようになって、そのようなハードルを引き受けることが難しいと判断しはじめたからのようでした。大好きなアフリカ。でも、権力をもった人とのコネや一存で、ビジネスの成功や失敗が決まる現実に、それは自分がやりたいことではないと実感したようでした。

あれから15年間、これまでずっと、一緒に車で移動したりどこかに行くと、常にビジネス・アイディアを出し合って、楽しんできました。それを実際にするつもりで話しているというより、もうほとんど「会話のネタ」みたいになっていて、おそらく余所の皆さんからすると「変な家族」に見えたと思う。世界やドイツ、日本の時事ニュースについても話し合うのだけれど、やっぱり一番盛り上がるのは、「ビジネス・アイディア」を話し合う。

一応、私は大学教員なので、本来もう少し「教育」に注目すべきだったかもしれない。でも、非常勤講師を含めて、15年以上高等教育に関わってきて、ここ5年は世界の大学機関にも関わることも増えて思うことは、大学は本人が必要だと思えば行けばいいけれど、本人がやりたいことをまずやってからでも遅くない、ということでした。クリアな目的がないままに大学に行っても、深い学びは獲得できないことは経験上分かっていたことで、多くの若者の学びの発展をみてきた立場からいうと、本人が学びに真摯に向き合う姿勢やツールを手にしている場合は、大学は便利だけど必須ではないと思ったのです。

本人は色々考えているようで、未だ大学の選択肢をなしにしたわけではないものの、大学入学資格のために3年、大学で4年、今後7年を本当に費やすかどうかは、要検討だろうとのことでした。また、今しかできないことをしたい、と。それは、十代で起業することは、それなりに珍しいために、多くの人たちが興味をもってサポートしてくれる。でも、二十代の起業はかなり普通なので、そのようなチャンスを得ることはできない。だから、今全力をあげて起業して、もしビジネスが軌道にのったら、次にしたいことを考えて、大学も視野に入れたらいいと思うとのことでした。(なお、ドイツでは5年間働いた後は大学は入りやすくなる)

なんといっても、他の誰でもない彼の人生。
彼が真剣に考え、いろいろ試し、自分の道を曲がりくねって茨の道であろうとも、それを自分で選んで、一歩ずつ歩いていくのを、時に遠くから時に近くから見守るのが、親の仕事かな、、、と思っていまは思っています。

一応、私は海の母親ではあるものの、彼と出会って、たくさん話させてもらった結果、私の生き方や人生も激変しました。彼との出逢いがなければ、きっといまの私はないと思います。

  • 心をもって他者と接すること。
  • 見過ごしていたもの(本質を含め)に正面から向き合うことの重要性。
  • 「大人目線」あるいは「大人の事情」を重視して、その場しのぎの嘘やごまかしをよしとしないこと。
  • 世間がこうだという基準で考えないこと。
  • 「自分にも何か出来るのではないか?」と広がりの中で考える視点。
  • 学ぶ場、手法には多様なものがあることを否定しないこと。
  • 「やれない」から入るのではなく、「やれる」と信じて行動すること。
  • 自分が活かせる場を見極め、選択すること。
  • 人生をプロセスとして捉え、その順序は戦略的に自由に組み立てること。
  • ファンタジー(空想)やクリエイティビティ(創造力)を鍛え、大切にすること。

だから、大学の教員を辞めると決めるときも、実は海にまず相談したのでした。
その時未だ14歳だった彼のアドバイスが素晴らしかった。

「ママ、ママがしたいようにするのが一番だよ。応援してるから」

今度は、私の番と思ってる。
といっても、彼には応援してくれる人がたくさんいる。
だから、そっと遠くから応援するぐらいがいいのかな、と思う今日この頃。

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海が2歳のときに行ったマプート郊外の水害からの避難者のコミュニティでのパーティでの一こま。
出されたのがピリピリ照り焼きチキン。
要は唐辛子チキンで、泣きながら、でも完食していた。
あれは昆虫食に進む下地をつくったと思う(たぶん)。
















by africa_class | 2019-06-13 15:04 | 【促進】社会的起業/企業