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研究界への介入・暴力(2)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

あれやこれやで超忙しく、すぐ書こうと思っていた「続き」がなかなか書けない。

でも前回の投稿で、読んでおいてほしいものいっぱい書いたから大丈夫かな?
さて。
JICAが2013年8月1日に「コミュニケーション戦略の定義」のために地元コンサルタント企業(といってもポルトガルの会社)と契約したあたりから、同時並行的におかしなことが沢山起ったのだが、私(たち)の身に起きた数々のおかしなことを紹介していきたい。

2013年8月に開催された「第1回3カ国民衆会議」には、日本から6名のNGOと大学教員らが参加し、議論に耳を傾けた。

2名のNGO関係者に、大学教員ら4名。内1名はわたしだった。東京外大で准教授をやってる時代のわたし。

この6名で会議後、モザンビーク北部の首都ナンプーラ市に飛び、3つのチームをつくって2州の調査を行った。調査は3つの角度から行った。JICAの便宜供与を受けた調査、地元小農運動の案内で行った調査、独自に行った調査・・・つまり、調査の精度を高めるために、色々な角度から調査をするための努力がなされたことが分かると思う。

調査結果は、『ProSAVANA市民社会報告2013:現地調査に基づく提言』に詳細にまとめてあるので、そちらを参照されたい。この他にも、私を含む研究者らが、国際ジャーナルや日本の学術ジャーナルに調査結果を論文として、また学会発表も行っている。

JICAの便宜供与も別の大学教員からの大学教員としての学術調査協力依頼であって、それ以上でもそれ以下でもない。

しかし、首都からナンプーラ州にうつった当たりからおかしなことが起り始めた。(実は、首都でもおかしなことがあったのだが、これについてはまた今度)

その夜、私宛に、のちに人権侵害発言で現在も問題とされるナンプーラ州農務局長からおかしな電話がかかってきた。(*この局長については、2017年から現在にかけて、日本のNGOから外務省・JICAに対して公開質問状などが送られ、やり取りが続いているので、そちらをご確認いただきたい)

プロサバンナ事業の州農務局長の発言内容について
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy-statement/2018/06/20180531-mozambiquekaihatsu.html

わたしの携帯の番号は、JICAの便宜供与の絡みで、どうしても便宜供与を依頼した先生のモザンビーク内での連絡先が必要だといわれて、JICAに渡していたものだが、当然モザンビーク政府関係者には渡していなかった番号である。しかも、電話はわざわざ、わたし宛であった。

見ず知らずの政府高官。
夜8時というのに局長はホテルまで来るから「二人だけで話がしたい」という。この時点でぞっとしないとすれば、それはモザンビークを知らなすぎる人の発想であろう。

そもそもなんで番号を持ってるのか尋ねると、JICAがくれたという。
何の為にくれたのかと聞くと、話をはぐらかす。
延々といますぐくる、ホテルは知っていると言い張る。
なぜホテルまで知ってるのかと聞くと、あっさりと、JICAが教えてくれたという。

こんな時間に来られても困る、しかもある種の圧力にしか感じない。あるいは、脅したくってくるの?と聞くと、そんな訳がないとかああだこうだいっても引き下がる感じがない。

気持ちが悪いなんてもんじゃない。
モザンビークは1975年の独立以来同じ政府である。

それだけではない。

植民地時代の秘密警察と東ドイツのKGBが合体したような秘密警察組織網を築いている国である。そして、政府要職にある者は党の要職にパラレルについており、党の中には「ある秘密組織」があり、政府や与党に批判的な人物に陰に陽に圧力を加えることで知られている。ゲブーザ政権の二期目から、社会統制と介入が激しくなり、危険度が増していったことについてはすでに他でも書いた。

どうしてこういうことを知っているの?・・・と思う人はいないとは思うが、不思議な人は著書の『モザンビーク解放闘争史』か新刊の共著本『解放と暴力ーアフリカにおける植民地支配と現在』をお読み頂ければ。

そして当時のプロサバンナの担当大臣(農業大臣、前の内務省大臣、現在の外務大臣)が「誰か」知っていれば、その子分である州農務局長の役割も明確である。

そういうこともよく理解しないままに、日本の貴重な援助をこういう人達に委ねている。あるいは、気にしちゃいないということだろう。日本は援助の相手として独裁政府を好んできたことは歴史が証明している。冷戦期、米国に追従してということもあるが、独裁の方が一度トップと合意さえすれば、仕事が手早く片付けられるからでもある。

大使館もJICAも2001年までモザンビークに置いていなかったので仕方ないとはいえ、であればこそ、慎重にも慎重を重ねて、よく調べた上で援助を立案し、進める必要があった。少なくとも、2008年までの歴代大使もJICAも、その点においてはよく理解しようとし、慎重であった点は強調しても強調しすぎることはないと思う。

プロサバンナの問題が発生するまで、わたしは、すべての駐モザンビーク日本大使とJICAのレク(事前・事後の任国研修)を担当していた。理由は簡単。わたしのモザンビークへの関わりは、これらの機関の人達より古く(1994年から)、外務省に在籍したこともあり、日本で唯一のモザンビーク研究者だったから(当時)。後に政府高官になるモザンビークの研究者や政府関係者が友人や研究仲間だっただけでなく、大臣や歴代大統領と首相の全員を知っていたし、駐日モザンビーク大使の相談相手だったから。

1994年の戦後初選挙以降の政治的に自由な時期からゲブーザ政権の2期目の独裁に向かっていくまでの時期は、モザンビーク政府関係者も、とてもオープンで、自身が党のあり方などに批判的ですらあった。それが変わっていったのが、2010年以降。まさに、日本がモザンビークへの大型援助にのめり込んでいく頃のことだった。

2013年までは、わたしのモザンビーク訪問時には必ず大使公邸に招待になり、大使夫妻や大使館員とご飯を食べながら、モザンビークの現状について議論をしてきたし、大使館のパーティに招くべき地元関係者を紹介し、大使と一緒にいくつかのパーティを開催もしてきた。農薬問題(所謂2KR援助の件。また今後・・・)で一時は闘いもしたけど、それは表面のことであって、実際は大使館もJICAも問題は理解していて、逆に共感しあって関係を強化していた。農薬問題の後は、大使館もJICAも、派手な援助ではなく、地に足のついた、社会の分断を超えて着実な成果を出せるような「小粒でもキラリと光る援助」を目指して地元で行われている先駆的な試みに資金援助しようと頑張っていた。お手伝いもあって、市民社会とJICAを繋げるようなセミナーも何回か開催した。

しかし、TICAD IVが2008年に終わり、もう援助や政策に関わるのはいいかなと思って足を洗った途端、おかしな援助(ブラジルの協力を得てモザンビーク北部農業を刷新する=プロサバンナ)が始まるようになっていた。JICA内の南米関係者が、援助を卒業してしまった南米での活躍の場を失って、アフリカへの進出の足がかりにしようとしたのであった。

アフリカ部が研究室に尋ねてきてこの「ブラジル・セラードの成功をアフリカへ援助」を説明しにきたのだが、両方の国を知っていている者にはあり得ないものであり問題を引き起こすことになると指摘したが、その途端、色々なことが変わり始めたことについては既に書いたとおり。

「ブラジルを使ってのモザンビークへの進出=プロサバンナとナカラ回廊開発」という方向性が先陣を切ってプロサバンナで開始されると(末尾のJICA地図参照)、モザンビーク社会をどう捉えるのか、Do no harmの原則をどう実現するのかといった地に足のついた考え方やプロセスは一気に消えてしまった。

自らが頭に描いたイメージや計画を推し進めるために、便利な人達を、それらがどういう人物で、どういう結果をもたらそうとも、税金を使ってでも利用する・・・・その結果起きたことが、2013年から現地で続く「邪魔者(反対者)は轢いてでもプロサバンナを前進させる」という方向性であった。

これについては、モザンビークの11名の住民から出された異議申立に出てくる。が、この詳細は岩波の連載にも少し紹介している。
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1419

州農務局長からの電話に戻る。
翌日早いからと伝えると、今度は延々とJICAがいかに素晴らしい組織か、とくにプロサバンナを考えついた人物が自分の兄のような存在で、その人物の指導がいかに素晴らしいか、だからプロサバンナは間違いなく素晴らしいと演説する始末。もちろん、話はどんどん私や日本のNGOなどへの個人攻撃に向かっていく。すでに40分経過。丁度いいところでバッテリーがきれたので、とりあえず放置しておいた。

実は、ホテルはあえてJICA関係者が泊まらない宿をとっていた。
しかし、JICAはホテルまでモザンビーク政府高官に伝えていたのだった。電話のことを話すと皆が気持ち悪がって、それ以降は別宿に泊まることとした。

しかし、気持ちの悪い事態はこれで終らなかった。
農村部での調査から戻ると、今度は新しく予約したホテルにいきなりJICA本部から出張していた事業の担当者が現れたのである。

州農務局長が電話で延々と持ち上げ、「兄弟」「指導者」と仰いだ、まさにその人物が、ニヤニヤ笑いながら朝食の席に座っているのである・・・。嬉しそうにこちらをみて、挨拶してくる様子から、私たちがこのホテルに泊まっているのを知っていてわざとホテルに泊まっているとしか思えなかった。

しかし、何のため、わざわざ同じホテルに泊まっているのか?
どうやって突き止めたのか?
(JICAには絶対伝えないように全員が気をつけていた)

あるいは、思い過ごしなのか?
尋常ではないことが起きていることを誰もが感じた。

調査の最初から最後まで一緒に同行してくれた国際NGOの欧州人スタッフが別れ際、まじまじと目を覗き込んで、
「だいじょうぶ?何かあれば一刻も早く連絡するように」
といって、電話番号をくれた。

この時点では、「思い過ごし」だと誰もが思いたかった。とくにわたしは。

彼は長らく国際的な環境団体で世界あちこち(特に南米)の住民や環境団体を支援してきた経験から(南米では環境活動家が多く暗殺されている)、こういう一見「偶然?」と思える、しかし気持ちの悪いことが重なるときには、その背後で何か企みが進められていると教えてくれた。

「ただ、ヨーロッパのドナーだったら、もちろん、地元政府高官に個人情報である電話番号やホテルの場所なんて伝えないのが当然だけど。それどころか、こんな援助とっくにヤメてるはずだよ。なのに、JICAときたら、日本からの調査団にプレッシャーを与えるように政府高官に促して個人情報をあげてる。ついでに、わざわざ同じ宿に現れた。こういうこと自体が、プロサバンナの薄気味悪さ、汚さを証明してるよね。本気でみな『後ろ』に気を配って。」

そういって別れたのだが、何か「ぴーん」とくるものがあったのか、心配性なのか、その後マプートに戻った後も、ほとんど毎日一緒に街を歩いてくれた。

それでも、思い過ごしだよね?・・・そう自分に言い聞かせた。
でも、不安が拭いされなかった訳ではなかった。

結局、これが私たちの思い過ごしでなく、彼の懸念通りであったことが後にはっきりする。

つまり、JICA本部から出張できていたこの人物が、同じホテルに泊まっていたのは偶然ではなかったのである。日本のNGOと研究者が泊まっているからこそ、そこに泊まったのであった。

どうやって突き止めたのか?
なんと、この人物は、現地のJICA職員にナンプーラ市中のホテルを一軒ずつ訪問させて、私たちの泊まっているホテルを突き止めさせて、わざわざそのホテルにうつったのだという。

当然ながら、このことは、後にJICA内部で大問題になったという。(そりゃそうでしょ・・・。大学教員や日本のNGOを秘密裏につけまわして、スパイまがいのことをしようとしたのだから。。。)

このような行動の数々が、「コミュニケーション戦略書」の策定と実行と同じ時期に同じ場所で行われていたこと、同じ人物が両方に関わっていたことを考えると、かなり根が深いことが分かると思う。

そして、その後に続くとんでもないことの数々のレールが2013年にすでに敷かれていたことがわかる。

(続く)


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当時のJICAが、ブラジルを巻き込んでやろうとしていた大規模開発のイメージが良くわかる地図。

同じ日に配布された日本語資料からは、あえてブラジルの国旗がすべて削除されている。また日本語版で中央に大きく掲載されていた大豆のプランテーションの写真も削除されている。



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# by africa_class | 2018-12-10 06:49 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

研究界への介入・暴力(1)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

なぜ急にこんなに書いているかというと、来日したモザンビークからの小農たちが受けてきた傷や被害を改めて耳にして、もうこんな援助(プロサバンナ事業)は本当に許してはならないと思ったから。「小農支援」といいながら、地元の最大の小農運動のリーダーたちをこれほどまでに苦しめる「私たちの税金でやられる援助」について、洗いざらい、多くの人に知ってもらい、納税者で主権者でもある日本の人びと自身が、この事業に審判を下すべきと思ったから。

もちろん、ずっとそう思ってきたし、私を含め、皆それなりに行動してきたのだけど、「個人的な部分に関わることに見えること」はあえて書かないてできた。というのも、「個人的なことに見えること」を書くことで、「だからあの人は事業に反対するんだ」という結論を導き出されることは避けたいと思っていたから。

昨日の投稿で書いた通り、事実認定ができるファクト(根拠となる政府・JICA側の一次資料がある)だけで問題提起をすることが重要だと思ってきたし、今でも思っている。

ただ、なぜこの事業がこんな風にCIA(海外に向けた米国諜報機関)ばりの活動に手を染めるようになったのか、その初期の段階で何があったのかについて、一般の人に理解してもらうには、わたしや私たちの身に起ったことを説明する必要があると考えるようになった。

愉快なことではないので、病気だったこともあり、黙ってきたことも、もう広く社会に知っていただくべき時がきたと思っている。

2012年10月にモザンビーク最大の小農運動UNACと対象3州の農民連合がプロサバンナに反対の声明を出してから、JICAが陰で何をしてきたかについては、JICA自身の一次資料によって明らかにできた。これは昨日、このブログで紹介したとおり、実証的に岩波書店『Web世界』で詳細を述べているので、そちらを参考にしてほしい。

モザンビークで起きていること〜JICA事業への現地農民の抵抗
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1419

「コミュニケーション戦略」なるものを立てて、農民らの主張を矮小化したり、農民組織や市民組織をコミュニティや日本やブラジルの市民社会、メディアから切り離そうとしたことについては、以下の記事でも触れた。

「農民団体の価値を低める」と書かれたJICAの『戦略書』
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1171

ぜひ日本の税金で作られたJICAの地元コンサルタントとの契約の「成果物」を、ご自身で手にとて読んでほしい。私はJICAが情報開示請求の結果として公表したポルトガル語版で読んだのだけれど、英語版も以下のサイトで入手可能ないようなので、ぜひ皆さんに読んでほしい(特に、32-33ページ)。

ProSAVANA: Communication Strategy(『プロサバンナ:コミュニケーション戦略書』)

そして、その後この『コミュニケーション戦略書』が受け継がれる形で、JICAがさらに契約したMAJOLという地元コンサルタント企業が何をしたのかについても、リークされた一次資料(MAJOLからJICAに提出された3本の成果レポート)を確認してほしい。

なお、『戦略書』の英語版はMAJOL社がJICAに提出した最初のレポート(2015年11月)の参考文献欄に掲載されていた。しかし、JICAが開示した最終版からワザワザあえて消されていたことも、皆さんの頭にしっかりインプットしてほしい。(なぜJICAは参考文献一覧からこの『戦略書』を削除しなければならなかったのか?・・・ここにJICAが「確信犯」であったことが如実に示されている)

JICAの介入に反発する小農や「キャンペーン」
内部告発者からのリーク:JICAに提出された「レポート」の衝撃
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1181

以上の記事の最後に現物のコピーを載せてあるのだが、やはり一次資料を自分の目で確認してほしい。以下の国際NGOのサイトに「内部告発者」からのファイルがすべて掲載されている。
https://www.farmlandgrab.org/post/view/26158-prosavana-files

下記の2つのレポートには、プロサバンナに反対する公開書簡や声明に署名してきたモザンビーク内の団体やそれに関わった個人を個別調査し、「影響力の強さ・弱さ」「プロサバンナへのポジション」「同盟を結ぶことを促進できる、あるいは阻む要素」「内部の対立状況」が調査されたことが分かる。
https://www.farmlandgrab.org/uploads/attachment/Map.2.pdf

それぞれの調査結果は、表の形で「見える化」されるとともに、どうやったら巻き込みが可能かの具体的な提案まで書き込まれていた。特に、モザンビークの小農運動やNGOの資金源となってきた国際NGO(故に影響力「高」としてランキングされている)をどう懐柔するかまで書かれていて、正直なところ気持ち悪い。

JICAが地元コンサルティング会社にこんな調査をさせて、500万円もの税金を支払っていたことを一般の納税者が知ったときに、「援助資金の適正活用」として本当に納得してもらえるのだろうか?猛暑が酷くなる一方の日本で、教室にクーラーすらない小学校が大半である現実を考えるときに、こんなことが許されると思っているとすれば、あまりに驚きである。

結局、どうせこれらの文書はモザンビーク政府が開示を拒否したと主張することができるし、黒塗りするから、バレるとは思っていなかったのだろう。

しかし、こんなことに自身が手を染めることを許せないと考えた「内部告発者」がいた。

MAJOLがJICAに提出した最後のレポート(2016年3月)は、自画自賛と「ぶっちゃけトーク」満載(英語なので是非読んでほしい。)。プロサバンナに反対し続ける小農運動や市民団体を「過激派」扱いし、敵視。そして、あれやこれやの「アクション」にも関わらず、UNAC(農民連合)を味方につけられなかったために、彼等が農民人口の数パーセントしか代表してないとか、地方選出議員を巻き込むことで農民たちが主張し日本のNGOらが根拠とする「小農の代表」という主張を矮小化する戦術(tactics)を、同盟を組むようになったナンプーラ州の市民組織と立てたと報告されている。

当然、JICAがリーク後に止む無く公開したレポートは真っ黒塗り、あるいは削除の嵐。比べてみると面白い(…)ので、是非日本のNGOが公開してくれている以下のサイトをご参照。
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/index_docs.html

このように『戦略書』を踏まえて展開されたMAJOLの「コンサルティング活動」によって創り出されたプロサバンナ推進のための「市民社会対話メカニズム(MCSC)」(2016年2月)。これをJICA担当官らが嬉しそうに「市民社会主導」と呼び、MAJOLが「第三者」「独立」した存在だと強調したのには、今でも信じがたい。

そして、話はそこで終らなかった。JICAは、対話メカニズムが想い通りに機能しないことを受けて、2016年10月、MCSCのコーディネイター(アントニオ・ムトゥア氏)のNGO(Solidariedade Mocambique)と、2200万円ものコンサルタンティグ契約をかわしたのであった。詳細は以下の記事。

「推進派」NGOへの2200万円のコンサルタント契約
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1182

この契約書の現物は、以下のサイトからダウンロードできる。

2016年12月、ムトア氏が、JICAのコンサルタントとして莫大の謝金を手にしていたことを日本の大使館もJICAも伏せたまま、現地の新聞らに「モザンビーク市民社会の代表」として取材させていることが、外務省の一次資料でも確認できた。

その「成果」として、ムトア氏の話を真に受けた独立系新聞が、プロサバンナに反対をする人達を貶める記事を書いたことついては、未だ岩波の連載で取り上げてない。けれど、この記事は未だオンライン上に存在するので、ぜひ最後までみてほしい。なぜなら最後に、「この記事は日本大使館の組織したツアーに基づき書かれました」と記載されているからである。

http://www.verdade.co.mz/tema-de-fundo/35-themadefundo/60572-organizacoes-da-sociedade-civil-do-niassa-nampula-e-zambezia-libertam-se-de-maputo-gracas-aos-dolares-do-prosavana

そして、このブログで紹介した「3カ国民衆会議に現れた日本の若手『研究者』」は、この記事通りの主張を展開しているのであった。この点については、改めて触れるが、以下に少し触れている。

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

https://afriqclass.exblog.jp/238886464/

なお、SolidariedadeとJICAの契約書(署名は、以上のムトア氏)を見てもらえば分かる通り、2200万円の契約金の大半が「謝金・人件費」で占めれた。つまり、Solidariedadeとムトア氏の仲間になってプロサバンナを推進するNGO関係者に、JICAから莫大な資金が「コンサルタント料」として流れたことになる。

この自ら創り出した「市民社会メカニズム」をJICAは現在でも強調し、資金援助し続けている。

しかし、これらは地域で農業を営む小農自身あるいは小農運動ではなく、本来地域住民の8割を超える「小農を支援する」と称して結成されたNGOや市民組織、ネットワークであった。つまり、JICAが行った一連の活動は、地域に反対し続ける小農がいるのに、小農を支援する団体を小農から引きはがし、大金を掴むことでメリットを見せつけ、小農を孤立させ、追い込むことを招いたといえる。

今回も来日した農民たちが口々に語った言葉が耳の中でこだまする。
「骨と肉に切り刻み込まれた分断の傷」
「日本の資金、JICAの資金がなければ、こんな目にあわなかった。JICAの責任」

2年前と同じ表現を、より強い表現で口にした農民女性を前に、日本の市民として、何も返す言葉がないままだった。

だから、私もついに口を開こうと思う。
(続きはあとで。)

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# by africa_class | 2018-12-05 15:49 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

なぜか岩波書店の『Web世界』の連載がトップ5を占める「怪」〜地味だけど皆に読んで知ってほしい日本の援助の「闇」。

岩波書店が出している月刊誌『世界』の記事が出版されたのは2017年4月のことだった。あれからあっという間に2018年も暮れ。もうすぐ2年近くが経とうとしている。同誌がWEBにもサイトを開設するというので、当初の記事をWEB用にアップデート&分割してほしいと頼まれたのが去年の冬。そして、WEB連載が静か〜に始まったのが、今年の3月。

連載 モザンビークで起きていること

JICA事業への現地農民の抵抗

https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461

本当は既に出した記事の校正だけで済まそうとしていたのだけれど、最初に記事を書いた2016年冬からあまりにも沢山の出来事があったので、少しずつ加筆していったら、ついに今でも続くロングラン「連載」になってしまった。当然、担当者も私も予想だにしていなかった事態。でも、あまりに過去&現在進行形の出来事がびっくり仰天するぐらい酷いので、世間のみなさまに広く知っていただく必要があるので、書店に「もうヤメて〜!」と言われるまで書こうと思う。

でも我ながら、すっごく面白い連載とは…いえない。
事実が淡々と書かれているだけなので、多くの人にとって「つまらない」のではないかと、いつも心配になりながら原稿を担当者に送っているのだけれど、一昨日『WEB世界』のサイトを見て目が点になった。そして今みてさらに点に・・・。

なぜだか分からないのだけど、この連載の記事がランキングの1位から5位までを占めていたのだ。息子曰く、「なんかの間違いだよ、絶対。自分のPCからだからそうなってんじゃないの?」。そうだよね…と思ってTWEETしたら、どうやら他の人のPCでもそうなのだという。

何かの偶然が重なったのだと思うけど、たくさんの人に知ってもらって、考えてもらいたい内容ばかりなので、これはとっても有り難い。どんなに重要なことでも、知られなければ意味がなく、でも知ってもらおうにも、興味を持ってもらわなければどうしようもない・・・のだけど、あんまり楽しい話題でもないし、どうやって目にとめてもらって、実際に読んでもらうところまで行き着けばいいのか、皆目検討もつかなかった。(いまでもだけど・・・)

でも、何はともあれ、多くの人に読んでもらえるようになったのであれば、本当に嬉しい。自分のためにではなく、この6年間、私たちの援助のせいで、苦しみ続けているモザンビークの小農や市民社会の皆さんのためにも。

3カ国民衆会議で来日したモザンビークの小農運動のリーダーや市民社会組織の人達15名の話を聞く機会をもてた人なら知ることができたと思うけれど、日本の援助(JICAの資金とプロジェクト)で現地の人びとがどのような目にあってきたのか(きているのか)、ひとりでも多くの日本の方に知ってほしい。そして、こんなことを貴重な税金で許し続けていいのか、についても。事業開始直後に地元小農たちが反対を表明したというのに、この6年ですでに32億円の資金が費やされてしまった。32億円あったら、どんな素晴らしいことができるだろうと考えると、ただただ悔しい。

さて。この連載。紙媒体での記事の時から決めていたことがある。
それは、政府側(JICA)の登場人物の全員について氏名を公表することである。この理由は、ハンナ・アーレントが指摘するナチス・ドイツ時代のホロコーストの土壌と構造が「匿名性を帯びた役所や官僚による統治/支配」によって培われたという指摘を踏まえてのことだった。

6年間、プロサバンナ事業に関する外務省やJICAの官僚や担当者らの言動を観察する中で、アーレントが指摘した現象と似たものを、感じるようになった。これに抗うことは、プロサバンナ事業という一つの援助事業の問題を超えて、日本の国家や社会のあり方の「闇」に直結することと考えて、彼等の行為をすべて行為者の名前とともに、根拠を示しながら(すべて彼等の関与を示す文書を注にあげている)、明らかにしている。

詳細→

■森友問題、プロサバンナ問題を考える>アーレント「悪の凡庸さ」とグラス「玉ねぎ」を糸口に

https://afriqclass.exblog.jp/23780372/

とくに注目しておきたいのは、JICAの登場人物のいずれもが自分は「『いいこと』をしているつもり」、あるいは「しているはずだ」という強い思い込みをもっていることである。あるいは、「命令にしたがっているにすぎない」、「命令のなかで、できる最善を尽くしている」つもりの人もいることを知っている。しかし、彼等がしていること、してしまったことはその真逆である。戦後の一時的な民主的で豊かなモザンビーク市民社会を、権威主義化・独裁化を進める現地政府とともに、いかに分断し、コントロールしようとしてきたか・・・。

そんなバカな・・・と言いたい人の気持ちは分かる。
私自身が「嘘でしょ?」「あり得ない」と思いながら、ギュンター・グラスのいうところの「玉ねぎの皮」を一枚一枚はいでいった結果がこれなのだから。連載を1つでも読んでいただければ、おそらく理解できると思う。

バックナンバー


私が、日本の皆さんに問いたいのは、CIA顔負けの「海外活動」に、果たして日本の納税者や市民として同意あるいは納得しているのか、という点。

困っている人を助けるためにあるはずの政府開発援助が、いつの間にか、現地社会で最前線でしぶとく不正義に声をあげる人達を弾圧するために使われていることを知ったとして、皆さんはどう考え、どう行動するのだろうか。

まずは知り、考えるところから一緒に、ぜひ。

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# by africa_class | 2018-12-05 04:52 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

3カ国民衆会議は無事、成功に終わり、安堵する間もなく、事後処理に追われる日々。ドイツでは、とにかく「クリスマス」シーズンがはじまり、各家庭大忙しの時期。19回目のドイツでのクリスマス。あんなに嫌だったのに(この時期雨ばかりで寒い)、ドイツの父も母も亡くなって、なんだか今年こそは彼等が教えてくれた伝統に則ったクリスマスをしたいと、強く思うようになった。口には出さないものの、家の誰もがそう感じている。と同時に、日本のお正月の伝統も息子に伝えなくては…という気持ちも強まって、セカンドハンドのお重を2つも買い占めてきた。

この半年ほどクレイジーなほど忙しかったので、書きたいなと思いながらも書けなかったことを少しずつ書ければいいなと思ってる。

このテーマ(「研究」と暴力)については、数年前から書きたいと思っていたテーマだった。

もちろん、研究者としての肩書きをもつ私自身の「暴力」に無自覚なわけではない。沢山の人びとのインタビューへの協力を踏まえて書いてきた論文や研究書が「収奪でない」と断言できるかといえばそうではない。ただ、その危険と隣り合わせに、自覚し、自問自答しながら30年近くを過ごしてきた。いつも「なぜ誰のために何をどう研究するのか?」「研究成果を発表することによってどのような影響を及ぼしてしまうか(ボジティブだけでなく、ネガティブも)」を問い続け、今も問うている。

特に、戦争や暴力をテーマとして研究するようになってからは、この問いは肝だった。平和に関わる仕事がしたいと国連の帽子を一度は被った自分が、研究の道にきた理由を考えれば、これは当然のことであった。だから、博論の序章は、過去の研究がどのように戦争や介入の口実に利用されてきたかを延々と取り上げた。とくに、文化人類学的な研究成果が、歴史・政治経済的な背景を排除する形で戦争の原因を「研究者が目で見て体験した現象」に求める傾向に警鐘を鳴らしたいと思った。

(博論は『モザンビーク解放闘争史』として出版。その後、英語版The Origins of War in Mozambiqueが無料で公開されている→http://www.africanminds.co.za/wp-content/uploads/2013/05/The%20Origins%20of%20War%20in%20Mozambique.pdf)

他方で、その研究はとても魅力的なものでもあった。地域社会におけるエスニックな対立がどのように戦争状況を利用していったのか、スリリングなタッチで描かれている。これを読んだ誰しもが、その時期・その場でしか描き得なかった文化人類学的な考察に感銘を受けた。

でも、私がこの「研究成果」の罠に陥らなかった理由は、当時、私自身が戦争直後の国際的な介入の最前線でコマのように働いていたからである。地域社会や人びとのあれやこれやに大きな影響を及ぼすオペレーションのただ中で、世界各地からくる同僚や上司たちの「戦争(原因)認識(つまり、誰が悪者か)」に、翻弄されながら、日々の活動を地域社会の最前線で前に進めなければならなかった。広大なモザンビークの最も大きなニアサ州の南部全体の選挙部門の統括をたかだか23歳のわたしがするという、どう考えても無茶な日常を半年にわたって過ごす中で、「戦争原因認識」は大きな意味を持った。

ニューヨークからのファックス、ニューヨークから送り込まれてきた米国人の上司の「戦争原因認識」に翻弄される日々の中で、この「研究成果」がいかに重要な役割を果たすようになっていたのか徐々に知るようになった。この「文化人類学的研究成果」は、その具体的なディテールを強力な根拠として、独立後のモザンビークの戦争の原因は社会主義政府による失策にあり、アパルトヘイト政策をとっていた周辺諸国や東西冷戦下の西側諸国の介入の影響の重要性を矮小化する役割を果たしていた。だから、元反政府ゲリラに正当性を与える効果をもたらしたのであった。

冷戦が終っていたこと、南アフリカでネルソン・マンデラ政権が誕生したことも、「過去の話」としての冷戦やアパルトヘイトに原因を求める傾向はより弱くなっていた。もちろん、社会主義政府に問題がなかったわけではない。現在の問題に続く強健主義の問題は地域の人びとの根強い反発を生み出し続けており、それが一部暴力に繋がっていることも事実である。

しかし、1977年から92年までの16年間、100万人以上の死者と国民の1/3の難民を出したこの戦争が勃発したのも、継続したのも、ローデシアや南アフリカの白人政権、米国・英国・西ドイツなどの介入抜きには不可能であった。そして、戦争の「根本原因」と文化人類学者が主張する「エスニックな対立」から、植民地支配(だけでなく、対叛乱戦略)の深い影響を抜きに議論することもあり得ない。そもそものポルトガルの「植民地死守」政策と1964-74年の10年にもおよぶ植民地解放戦争、そしてそれを支えた西側諸国の影響も。

もちろん、そのことに文化人類学者が触れなかったわけではない。けれども、自分の文化人類学的な「発見」を「戦争の原因」と結論付け、さらに研究書のタイトルとした時点で、社会主義政策下で生じたエスニックな対立が原因と表明したに等しかった。

1990年に文化人類学者(クリスチャン・ジェフレイ)がモザンビーク北部ナンプーラ州で目の当たりにした「現実」を醸成してきた歴史やより大きな構造を軽視したこの「研究成果」こそ、100万人もの死者を生んだ罪の意識から解放されたい西側諸国にとって都合のよいものであった。

1997年のこと。
国連ミッションを経て、「戦争の原因」を多角的に調べようと心に決めて、南アフリカの大学にる政治学の先生(米国人)とご飯を食べていたときであった。ジェフレイの話をしたとき、駐モザンビークの米国大使のエピソードを語ってくれた。この「研究成果」はドラフトの段階で米国大使の手に渡り、すぐさま英訳されて西側諸国の大使館に回覧されたというのである。何の因果か、私が1990年から南米の日系人の共同研究をしてきた別の米国人の先生の同僚が、この元大使ということで、この点について確認してもらったところ、それは「事実」だった。

たった「一つの研究論文」、汗をかきながら集めた「現地調査結果」が、国際介入や戦争・戦後の行方に影響を及ぼしてしまう現実を、実務者と研究者の立場で目の当たりにしてから、私の中では、研究を全体から切り離さないよう常に心がけること、「研究と暴力」はテーマになった。

その後、博論を書いて気が済んだのかやや忘れていたのだが、2000年以降に日本で若い人達の間で「ルワンダ研究」が流行るようになって、再びこのテーマを思い出し、少しばかり警鐘を鳴らした。

しかし、その後はアフリカ紛争研究から足を洗ったこともあり、また日本の大学や研究界から足を洗う決意をしたこともあり、あまりこのテーマで考えることも少なくなっていたところ、ここ数年で一気にまたこのテーマに直面するようになった。

簡単にいうと、自分が「研究の対象」とされ、追いかけ回されるようになったからである。特に、「開発(援助)学」や「社会運動論」の若手「研究者」によって・・・。あるいは、プロサバンナ事業を共同研究したい、本を出したい、これらの分野の色々な人からのプレッシャーを受けるようになったが、最後に述べる理由により断ってきた。

私は開発援助や社会運動についても研究の対象にしてきたが、そのフレームはあくまでも歴史・国際関係・政治学からのものであって、「開発学」や「社会運動論」をディシプリンとしてきたわけではなかった。なので、昨今の若者がどのような調査や研究をして、どんな結論を導き出しているのか、あまり知らないままであった。

しかし、以上の理由から、若い人達の「研究成果」に接するようになって、本当に驚いたのは、「調査」(あるいは「実証」)と呼ばれるものの底の浅さである。とにかく、公になっている政府側の資料、市民社会側の資料、そしてちょっとしたインタビューを付け加えるだけで、「事実認定」して、容易に「結論」を導いて、「研究論文」としてカウントされる現実に、ただただ驚いた。あまりに安易というか・・・。(もちろん全員ではない。素晴らしい研究をしている若者も沢山いるのだけれど、なぜか「日本の援助」や「プロサバンナネタ」の研究には底が浅い研究が多い。日本語が読めないとちゃんとした研究ができないから、どうしても日本の研究界の水準にあわせたレベルになってしまうからなのか・・・)

特に、「若手」の多くの発表・論文には、先に前提となるフレーム、酷い場合には結論があって、それにマッチするデータ(資料であれインタビューであれ)をひっぱってきて、「ガラガラポン!」の大量生産。まあ、量産しないと生き残れない時代だというのは事実であり、可哀想ではある。しかし、検証というにも、実証というにも、あまりに甘いというか浅いというか、驚くばかりなのだけれど、「若手の研究だから、そのうち学ぶだろう…」とは言えない事態が頻発するようになった。

まず生じたのが、2013年のプロサバンナ事業で起きたブラジル人若手研究者の「事件」。いろいろな意味でショッキングなのだが、これはまた改めて書きたい。英語が読める人なら、次の論文を読んでもらえれば大体のことは分かると思う。


ここで取り上げたナタリア・フィンガーマンの2頁のポルトガル語での「研究成果」は、JICAコンサルタントによって賞賛され、日本人の間で回覧されていただけでなく、モザンビーク経済開発省のサイトにわざわざアップされたという事実を頭においてもらえれば、何がどう「ショッキング」なのかは分かると思う。そして、彼女は、プロサバンナ事業のブラジル側のコンサルタントを務めていたFGVの博士課程に在籍していたことも付け加えておきたい。

この時期から、世界各地からひっきりなしに論文の執筆やら本の共同執筆やら共同調査やら、インタビューやらを依頼されるようになり、次に出したのが以下のもの。論文というよりは、「研究ガイド」として、研究手法の問題と解決策を丁寧に記すとともに、読んでおかなくてはならない論文や資料などを網羅したので、本来はこの論文を読めば私にインタビューする必要などないのであった。


丁度、大学も辞め、ようやくメールによる追跡からも解放されて、隠居していたところ、今度は市民社会を経由して、あれやこれやの手法で世界中の「若手研究者」から「インタビュー」の依頼が頻発するようになった。私に対してだけでなく、日本・ブラジル・モザンビークの市民社会の関係者にもインタビューの依頼が殺到し、その内、それらの「インタビュー者」の中に、政府関係者から送り込まれた「若手研究者」がいることが明らかになった。

あるいは、「修論/博論のため」「現地の人びとのために研究してます!」といって、結論が決まっていて、あとは自分の都合のよい裏とりをしたいだけの「若手研究者」に遭遇することが頻発していった。

自分や体制維持のための「研究」・・・。
植民地支配や戦争の研究をしていれば普通に遭遇することではあるが、21世紀である。
研究者を育てる仕事を辞めていたからかもしれない。
あるいは色々な意味で疲れていたのかもしれない。
体制が利用する、あるいは世界の裕福な立場にいる若者の趣味的感覚で行われる「研究」なるものに絶望してしまった。

もう見知らぬ人からのメールは開けないことにした。

すると、ある「日本人の若手『研究者』」が、あるテレビ局に務める私の元ゼミ生の上司を経由して、質問票を送ってきたのである。そもそも、わたしの元ゼミ生をどうやって突き止めたのか。彼女の上司を経由することについて、何の問題も感じなかったのだろうか・・・。ましてや、このテレビ局、JICAモザンビークで数々のプロサバンナ事業の問題契約に関わった人物の古巣である。

もし皆さんがそのような事態に巻き込まれたら、どんな気がするだろう?何か得たいの知れないものが近づいてくる感じを受けないだろうか?

それでも気にしないようにしていたのだけれど、この投稿を書く決意をしたのには理由があった。その日本の「若手『研究者』」が、3カ国民衆会議のプレイベントに現れたからである。植民地支配下のモザンビークに、解放軍とともに入った写真家の小川忠博さんの映写会でのことだった。その映写会のタイトルは、「モザンビーク農民の『No』の歴史的ルーツを辿る」。
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-25.html

ここに彼女は現れて、モザンビークでプロサバンナ事業の調査をしている研究者だと自己紹介をしたのち、自分が出逢った人たちは「殆ど皆がプロサバンナに賛成」なのだけれど、そういう人達の声はどうするんですか的な質問をしていた。

質問を受けたJVCの渡辺直子さんは、社会にいろいろな声があるのは当然で、自分がひとりの人間として、どのようになぜそれぞれの声を受け止めるのかを考えて、自分はNOを選択した農民らに寄り添っているとの発言をした。

それはそれでいいのだが、この女性の名前を聞いて、彼女が某テレビ局を通じて私にコンタクトしようとしていた人物だと分かった。そして、すでに現地の学術界や市民社会で問題を引き起こしていたことを思い出した。モザンビークからの説明によると、以下のような経緯で彼女は「有名」になっているという。

まず、この女性はテテ州の鉱山開発問題について英国の大学院の修論を書くために「現地調査」をしようとした後、モザンビークの市民社会の中でも「プロサバンナにノー!キャンペーン」の最前線に立つ団体に、プロサバンナに関する調査の協力とリサーチャーとして在籍させてほしいと要請を出したという。この団体は、世界中の若者の調査をサポートして散々な目にあっているため、研究目的やプラン・手法の提出を要請した。「自分のための研究」をしたいという傾向が目についただけでなく、「何かおかしい」と直感し、断ったという。

次にこの女性がコンタクトをしたのが、OMRであった。
OMRは、2015年6月に私が所長を日本に招へいして以来、JICAがプロサバンナにどうしても引き入れようとあの手この手を使って働きかけを続けている研究所である。私が以上の英語とポルトガル語の論文を出している研究所でもある。

OMRによると、この女性は修士論文で「マプートの橋に関する研究をしたい」から席をかしてほしいということだったので、席を貸してあげたという。(この時点で市民団体にはプロサバンナについて研究したいと言っていた点と矛盾がある)。しかし、お金はあげていないので、どうやって物価の高い首都で生活しているのか分からない状態だったが、2,3ヶ月して途中いなくなった。そして、帰ってきたら突然「プロサバンナの研究がしたい」と言い出した。すでに席をおいていた状態だったので、拒否はしなかった。すると、ある日、許可をしていないのに、研究所内にJICA関係者を招き入れるようになった。まさに同じ時期にJICAはOMRを繰り返しプロサバンナ事業に協力させようと躍起になっており、この女性も度々、JICAは悪くない、JICAに協力すべきと口にするようになった。あまりにおかしい上に、JICAの仕事をしているようだったので、席を返すように伝えて、関係をきった。

なお、OMRに席をおいている間に第3回民衆会議にも現れたという。

するとこの女性は、今度はモザンビークの別の研究所の研究大会に現れて、「現地調査の結果」として「プロサバンナ事業への反対は首都の者であって、北部の人は迷惑している」といった主張の研究報告を行い、皆を驚かせたという。(なぜなら、これは日本大使館とJICAが、契約したコンサルタントを使って、独立系の新聞社に書かせた記事と全く同じ主張だったから。*詳細はまた今度)。

すでに、この日本の「若手『研究者』」がJICAとの関係が疑われたためにOMRから追放されたことを、直接OMRから聞いて知っていたモザンビークの市民社会関係者は深刻に受け止めたという。実際、この女性によると、「キャンペーンへの出入りが禁止された」という。さらに、別の関係者は、この女性が、プロサバンナの事業を請け負うモザンビーク北部の市民団体(プロサバンナ推進派)で仕事をすると言っていたと聞いて、懸念しているとのことであった。

それから数ヶ月後、この女性は「3カ国民衆会議」にあわせて日本に戻り、プレイベントに現れたということになる。

以上は彼女の側からの話ではないため、一方的な部分もあると思う。ただし、複数のソースによる指摘、実際の彼女の言動や書いているものを踏まえたとき、そのいずれもが、ある一定の方向しか示していないことは明らかである。それは「JICAの主張に根拠を与える」ことであった。多くの「若手研究者」が時にやるように、結論から「実証」を引っ張る典型的な手法である。

NGOも同じような手法を取っているように見えるかもしれない。しかし、実際は決定的に違う。それは、上記の渡辺さんの説明にあるように、彼女は自分の立場を認めた上で、その立場を取るに至った理由を説明しているからである。つまり、彼女が結論として導いているのは、彼女の立場にすぎない。一方、「研究者」として現れた「日本の若手『研究者』」は、自分の立場は明らかにしないし検証もしないままに、あたかも「第三者」で「独立」しているかの前提で、「調査結果から●●がいえる」との結論を導いている。しかし、以上の複数ソースが投げかけている疑問は、「彼女はプロサバンナ事業において第三者ではないのではないか?」というものであった。

その問いに真正面から答えずに、プロサバンナ事業の研究を今後続けていくことは、彼女自身にとっても辛いことであろう。正直なところ、彼女が自らのバイアスや立場性を明確にした上で論文を書くのであれば、それでいいと思う。

私は、以上に紹介した二つの英語の論文で、原発事故後の日本で(ある意味ではコロニアリズムの後の現代において)、もはや「第三者性」という立場がとれるのかを私自身が問う中から、すべての研究者がもっている認識や立場の限界やバイヤスを明確にし、しかし事実関係においてはとことん実証的であろうと務めるべきだと主張した。プロサバンナ事業に関わって、研究者としての時間や立場は、必ずしもポジティブなものばかりではなかったが、自分を「無色透明の有り難い研究者様」という楽なポジションから引き摺り下ろして、言論をする難しさを日々試行錯誤する機会には恵まれた。「研究者ぜん」としていては見えない矛盾や闇が、自分の肌感覚に迫る切実さで理解できるようになった点は、大きな収穫といえる。それだけに、事実を掴むこと…へのこだわりはさらに強まった気がしている。

彼女から反論があれば歓迎したいし、ブログに掲載したいし、私が間違っていれば訂正を書きたい。なので、ぜひ真実を教えてほしいと思う。

そして、これは、何年も何年も、卒論から修士、その後ぐらいの人に言ってきたことだけれど、もしかして言われたことがないのかもしれないので書いておきたい。

そもそも終っていないもの(特に社会内に対立があるもの)を研究することは非常にリスクを伴うことであり、研究手法が確立できていない経験の浅い人は、きちんとした指導が受けられないのであれば、避けるべきテーマであることを伝えておきたい。もちろん、若い人であればあるほど、今動いているものを研究したいだろう。社会学や文化人類学であれば今まさに動いているものを対象にするしかないかもしれない。けれども、研究者の「目に見えている」と思われる現実を、十分にコンテキストに入れることができるだけの先行研究や資料や自らの視野の広さ深さがない人が、「目に見えたこと」に基づいて結論を導き出したときに生じる問題を、今一度念頭においてほしい。もちろん、動いているものから考えて、そこから広がる研究をしている人達も、特に京大には沢山いるのだけれど、あそこにはそのような手法を支えるだけの教育の土台がある。

ネット時代、社会対立を生み出している案件やテーマであればあるほど、終っていないものを研究するということは、ただの学生の論文であっても、火種に関わり、予期していない悪影響を社会にもたらすことなのだという理解が不可欠である。あるいは、社会に影響を及ぼすために研究をしているとすれば、その前提が問題なので、いますぐ研究界から足を洗った方が良いと思う。そういう人はぜひ実務の世界に行くのが良い。残念ながら、真理を追求するという研究の原点は、シンクタンクやロビー団体的な研究所の勃興によって時代遅れにされているかもしれない。でも、「研究」や「研究者」が今まで以上に悪用される時代になったからこそ、研究者もまた自己点検ができるほどに鍛錬しておく必要がある。

さて、長くなった。
プレイベントの際の彼女の質問に対して、私が研究者としてした発言を要約すると次のようなものであった。(とはいえ記憶に基づくので正確ではないかもしれない…)
1)研究として調査した結果ならば、いつどこで誰がどのような状況で何を理由としてどう答えたのかを明確にする必要がある。そして聞いた側との関係はどのようなものであったのか。
2)そもそも、この研究を始めたのは何年からか。実際は、農民がプロサバンナに異議を唱えてから6年が経過し、調印から10年以上が経っている。
3)2、3年前からのみ研究しているのであれば、それ以前をどう把握するのかが重要になってくる。
4)例えば、イベントのテーマである植民地支配下の解放闘争を例にとると、武装闘争は1964年から10年続いた。その最後の2,3年に研究を始めて、現地に行ったとする。小川さんのように解放軍と一緒に入るのでなければ、現地は植民地支配の下で訪問し、調査することになる。そのような状態で、「現地の人びとにインタビューしました。多くの人が賛成していました」という調査結果を得るのは当たり前なだけではなく、国境の向こうで戦う人達を支配者がいうように「テロリスト」として追認することになりかねない。「自分の目で見ました、聞きました」に頼る危険はこの点にある。
5)研究者は、このような状況を回避するために何をすべきなのか。10年あったことの最後の段階にしか自分が関われていないという限界を認識し、その前に歴史的に培われてきた構造、環境の文脈をしっかり掴む必要がある。
6)プロサバンナでいうと、調印から数年後、農民が反対の声をあげてから何があったのか?誰が何をしたのか?してきたのか?たとえば、「賛成している人」という人達は誰なのか?
7)2013年から現在まで、JICAが市民社会に介入するために地元コンサルタントを雇って、市民社会の調査を行い、分断してきた歴史的事実、賛成することでJICAからコンサルタント契約をもらい、お金をもらった人達の存在とどう関係しているのか?その人達の「意見」をどのように評価すべきなのか。研究者であれば当たり前に検証されなければならない点であるが、それがされているのか?
8)ただ「賛成している人もいる」ということを結論としていうことで、どのような影響を及ぼしかねないかについてどのようにリスクを把握しているのか。

みたいなことを言った気がします。
彼女の大学時代の先生を知っているからこそ、とても残念で、まだ遅くないから彼女に気づいてほしくて詳し目に書いてみました。

彼女に届くことを祈りつつ。
なお、以下のチラシはもう終ったイベントのものです。
そして、以上の7)についての実証研究は、岩波書店の『WEB世界』に連載中なので、そちらをみていただければ。
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461

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# by africa_class | 2018-12-03 01:21 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

【来週、国連採決!】「小農権利国連宣言」の国連採決日11/20に3カ国民衆会議in東京が開催

いよいよ3カ国民衆会議が来週11/20から東京で開催されます。
その同じ日に、ニューヨークの国連総会で「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が採択される見込みとなりました。

実は、この3カ国民衆会議の日程は、この「小農権利国連宣言」の採決前後のタイミングを狙って準備しました。しかし、国連総会での採決タイミングというのは、高度な国際交渉で決まるものなので、こんなにバッチリ日にちまで合致するとは思いもせず・・・。

インドネシアの仲間からのメールを見た瞬間に鳥肌がたちました・・・。そして、涙が。

世界2億人ともいわれる小農、農村に暮らす人びと。
今を生きる、これからを生きる人びとだけでなく、過去に命を落としてきた人びと。

希望と絶望と。喜びと苦しみと。連帯と分断を、、、自分たちの手を離れた遠くのところで決められる多くの事柄に翻弄されながらも、生き抜いてきた人びと。そして、傷つき、命を落とした人びと。

自分の足で大地を踏みしめ、両手で土とたねと作物という命の根源に触れ、寒い日も暑い日も雨の日も晴天の日も、田畑に出続ける人びと。

直接には言葉を紡がないとしても、暮らしそのものが紡ぐそれを、食と農村環境を守り、もたらしてくれることで、わたしたちに伝え続けてくれる人びと。

この母なる地球、最後の自然を守る人びと。

11月21日(時差があるので)の国際シンポジウム&マルシェはお祭りになると思います!1日目はすでに満席となったそうなので、このシンポ&マルシェと3日目のみ。これもいつ締め切るか分からない状態だそうなので、ぜひお急ぎお申込下さい。

とくに、この「小農権利国連宣言」については、2日目18時〜の2部「食・農・くらしと地域の自立へー「犠牲の経済開発モデル」の限界を乗り越える」で紹介します。

●3カ国民衆会議11/20-22のポータルサイト
http://www.ngo-jvc.net/jp/notice/2018/10/2018triangular.html
●2日目 国際シンポ&マルシェ
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
●3日目「日本の投資/ODA:モザンビーク北部で何が起きているのか~プロサバンナ事業とナカラ回廊開発に抗う農民たち」
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-24.html

====
(ここから下は、多くの人には重要ではないことだと思うので、一応切り離して書きます)

この宣言が11/20に採決と聞いた瞬間に押し寄せてきた想いを伝えたくて。

自分で出来ることがあるのならば・・・そう願いながら、下手なりに隅っこでこつこつと森と畑と机と本と大学と会議室を行き来する日々が、映画のエンドロールのように流れては消えていった先に・・・浮かんだ一人のひとのはにかんだ笑顔を目にして。涙が止まらなくなってしまいました。

「モザンビーク小農の父、アウグスト・マフィゴ代表」

わたしをはじめとする日本の仲間たちに、「小農主権」「食の主権(食料主権)」「小農が地球の守護神であること」を教えてくれた偉大な人。14歳で植民地支配下にあったモザンビークを離れて、仲間たちとともに独立を目指して闘った。独立後は、小農として生き抜いてきた。

そして、長い戦争後の和平と自由な空気の下で、畑を耕し、仲間と運動をつくり、そしてUNACをモザンビーク最大の小農運動に導いた。小農運動が国境を超えていく時期にリーダーとなり、UNACを世界と繋げていく役割を果たした。

しかし、徐々にグローバル資本がモザンビークを蝕み、農民たちの土地、水、森が奪われるようになるなか、政府に脅しを受けながらも、農民の権利のために身を粉にして働き続けた。

モザンビークの解放闘士として、彼だけが可能な独自の立場で、政府と掛け合ってきた。多くは微笑とともに。決して声を荒げたり、他人を罵倒したりする人ではなかった。常に、「あなたはどう思うか?」と。

彼が2013年2月に初めて東京にきたときに、皆にきいたことが、それだった。
「みなさんは、どう思いますか?」
「わたしたちは、自分の足で歩くスピードでの発展を目指したいだけなんです。自分たちの手におえる範囲の発展を。でなければ、奪われるから。私たちの存在そのものの土台が。それではだめですか?」

彼の言葉を訳しながら、いつも深く感動していた。とても簡単な言葉なのにあまりに深くて、果たして彼の畑や歴史や活動の中での経験から紡ぎ出される想いを、きちんと伝えられているのだろうかと、不安になるぐらいに。。。

しかし、57歳で命を奪われた。

2015年8月、日本とモザンビーク政府がモザンビークの農民運動の分断を計っているのをなんとかしようと700キロも離れた別の州と行き来している間に病に倒れて。

いまもまた、3カ国民衆会議を少しでも傷つけようと、同じようなことをやろうとしていると、現地から情報が届いたという。
https://www.facebook.com/%E3%83%A2%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%B0%8F%E8%BE%B2%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E5%9B%A3-1060343997409346/?hc_ref=PAGES_TIMELINE

このブログでも紹介したとおり、日本政府はこの宣言に米国とともに反対してきた。
https://afriqclass.exblog.jp/i43/

一方では「小農【支援】」に注ぎ込んだ金額に胸をはりながら、「小農の【権利】宣言」は気にくわない。

自分たちが思い描いて、自分たちがコントロールする「支援」なら何十億円でも注ぎ込むことを厭わず(プロサバンナに既に32億円)、、、、一銭もかからない「小農が主張する権利を認める」ためには努力もしない。

むしろそれを弱めようと「種子への権利」にわざわざ反対してみたりする。遺伝子組み換え企業やそのロビーに突き動かされる米国に媚を売るために。

それで国連の議場で、「小農【支援】大国」を主張するのは、どうにも私には理解できないのだが。援助関係者には、いまでもこのロジックが通じるらしい。この21世紀に。小農が国連宣言文を起草し、ついにそれを世界に認めさせ、国際法に新たな一頁を拓くところまできてるというのに。

いまでも、日本の開発援助関係者は、それが実務者であろうと研究者であろうと、若いフレッシュな感覚をもっているはずの若い人ですら、このロジックの問題が、本当の意味では理解できない人が多いのに驚いている。

権利>支援

なぜか?

当事者>支援者

だからだ。

【支援】を中心におけば、支援者が当事者を選び、その支援の仕方をコントロールする。どうやっても。「支援する」が動詞になったら、「支援者」が主語になるからだ。日本語は、この主語と動詞の関係が曖昧だから、この簡単な原則を皆がしっかり認識することが難しい。

=>つまり、支援者に当事者が従属することになる=>当事者に内在する力を弱める可能性を前提とする外部者の主体的行為。

【権利】を中心におけば、当事者がどれほど貧しかろうと、教育がなかろうと、支援者がどれだけお金と努力と善意を注ぎ込もうと、それにNOを言う権利を含め、その人が決定権を持つ。主体は当事者にある。

=>支援者は当事者に従属する。
その逆ではない。どうやっても、逆にはならない。

ということは、当然、「小農支援」をしたい人達の真の目的がそれなのであれば、「小農の権利」が認められる社会の創造、彼女ら彼らの運動(それがいくら足りないものであっても)を応援することこそが、「支援者」にとって最大にして最重要なアクションとなるはずだが、そうはなっていないどころか宣言に反対そして分断介入…逆噴射しているのが日本の「海外小農政策」ともいえる現実であった。


2018年11月20日・・・
何の偶然かわからないが、日本の東京で、この「小農の支援」と「小農の権利」が、ついに直接ぶつかりあう機会が訪れる。

その瞬間に、ひとりでも多くの皆さんに立ち会っていただきたいと思う。

しかし、そこにはマフィゴさんの姿はない。
でも、彼の遺した仲間たちの姿がある。
そして、そのこと自体が、わたしたちが、決して今日まであきらめなかった理由だとも思う。

彼がいつも実態と実感とともに呟いたこの一言。
A luta continua....
独立をともに闘った政府関係者らが次々に腐敗していくなかで、この言葉をまさに生き続けた人。

マフィゴさんのあの笑顔をもう一度だけ見たかった。


これは代表になったかなるかの時にブラジルに行ったマフィゴさんの姿。印鑰 智哉さんの提供。


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マフィゴさん、ありがとうございます。
あと少し。
どうぞ安らかに、安らかにお眠りくだだい。

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# by africa_class | 2018-11-16 06:18 | 【国連】小農の権利宣言

【追悼】母マリアのこと。ドイツのホスピス(終末ケア)のこと。

昨日は諸聖人の日で、ドイツでは亡くなった人を弔う日だった。私たちも母と父が大好きだった森とかつて暮らしていた村に弔いに行った。辿り着くまでは大雨だったのに、森に着いた途端ぴたっと止んで、ああいつも天気を気にして、晴れていれば、「太陽が出て嬉しい」と小躍りしていた母を思い出した。帰り道には、前回と同様、虹が出ていて、しかも二つも虹が出ていたことに、なんだか父と母のように思えてきていつまでも家族3人で見とれていた。

前回、「義母」と書いたのだけど、実はもう正式には義理の関係ですらなかった。でも、私にとっては「第二の母と父」ともいえる二人のこと、「母と父」でいいかなと思って、今後そう書こうと思う。

このブログで母マリアの介護のことを書いて1年近くが経とうとしている。あの後、母の容態が急変してしまい、母は帰らぬ人となった。そのことを書こうと思っていたのだけれど、どうしても書くことができなかった。それぐらい、私には色々な意味で大きな出来事だった。

母マリアは東洋からきたドイツ語もろくにできないわたしを、本当の娘のように受け入れ、慕い、優しく接してくれた。孫を心から愛し、一生懸命話しかけ、一緒に育ててくれた。私たち家族への彼女の無条件の愛は絶対であって、無限だった。でも、いろいろなことがあって、最後は十分に母に優しく接することができなかったことを、今でも後悔している。人生というのは、そういうものなのだろうと思いながらも、生きているうちに出来ることをしなきゃいけなかったと、ふとした時にため息をついてしまう…。

たくさんのことを書くまでには乗り越えられていないので、簡単に母の最期について紹介したいと思う。在宅介護にするかどうか話し合っているうちに、病院の先生から緊急呼び出しを受けた。家族全員で話をしたいとのことだったので行ってみると、オランダ人の先生は次のようにしずかに切り出した。

「お母さん、いずれにしても残りの人生はわずかです。いまチューブを付けて呼吸を確保し、点滴で栄養をあげていますが、お母さんはこのような形での最期を望んでらしたでしょうか?」

私たちは顔を見合わせた。母はいつも、このような最期だけはやめてほしいと言っていたと伝えたところ、先生は一呼吸をおいた。

「では、全部外してホスピス(終末ケア)に移りませんか?この病院にはホスピスが付属していて、家族で最期をゆっくり過ごすことができます」

ツレは動揺した。まだ母は在宅介護できるほど元気だと思っていたからだ。

「一度家族だけで相談していいでしょうか?」

そういって一旦みなで相談することにした。このホスピスの案に一番賛成したのは息子だった。

「オーマ(おばあちゃん)はこれ外してといっていた。こんなのやだと思う。こんな風に生きたいと思ってない。もうオーパ(おじいちゃん)のところに行きたいって、この前いってたやん」

自分がオーマの立場だったら、私も同じように考えるといったが、独り息子のツレにとって、母の命の日数を短くする行為を自分が決める立場にいることに動揺して、何も決められない。

「オーマが元気だったころにどう言ってたのか、思い出して。お姉さん(父方)にも聞いてみて」

ようやくお姉さんと話したところ、彼女が元気なときに延命を求めないという書類にサインしていたことをツレに思い出させた。(え、、、そんな重要なことも覚えてないんかい?!と突っ込みたくなったが、動揺している以上仕方ない。自分の生母のことだったら、私もそうなるかもしれない)

家に戻ると書類の束からそれを探し出したツレはじっと書類に目を落としていた。確かに母のサインだった。お葬式の契約をするときに、これも作成したのだという。歳をとると色々なことが起こる。母はちゃんといろいろなことを準備していたのだと思うと、私たちもいつなんどきのために準備をしないといけないと、勉強させられた。

病院にホスピスへの移動をお願いした。
移動するからには、覚悟をしてほしい。まだ母が穏やかなうちに、会いに来てお別れをしてほしい親戚・家族・友達を呼ぶようにと看護師にいわれた。

ホスピスの部屋は広くてあったかくて、天上には空が描いてあって、絵もかざってあって、音楽も流れてて、高級ホテルのよう。ベットも二つあって、母の横に眠れるようになっている。もう一つのベットで眠っている母は穏やかで、とてももうすぐこの世を去る人には見えなかった。戸惑っていると、看護師が、きっぱりとした口調で教えてくれた。

「お母さんにとって、みなに覚えておいてほしいのがこの穏やかな姿だと思います。だから今なんです」

ひとりずつ母と二人きりになってお別れを話すことになった。
息子が最初だった。
私が忙しかったこともあり、息子は二人の祖母が育ててくれたようなものだった。幼少期は私の母。ドイツに避難してからはドイツの母。そんな息子にとって大きな、大きな存在の母。何を話したのかは分からない。でも出てきた彼はなぜかすごくすっきりとした顔をしていた。

次はわたし。
次に姉。
最後にツレ。

母は全部聞こえているようだった。そのはずはないのだけれど。とても嬉しそうにしてくれていた。みたかんじ、未だ未だ何週間もそこで暮らすことができそうなぐらい、穏やかだった。呼吸器も点滴もないというのに。

一度家に戻って晩ご飯を食べていたとき、ふと、母が呼んでいる気がした。

「いますぐ行った方がいい。泊まるつもりで行ってきて。もうお母さんと一緒にすごせる最後の夜になるかもしれないから。」

ツレは戸惑った。というかややパニック気味になった。

「だってあんなに元気だったじゃない」

そう思いたい。だけど、私には今夜が母の最期の夜に思えてならなかったのだった。

「あなたとお母さんは未だ十分に和解してない。これを逃すと一生後悔するよ。お母さん、ひとりぼっちにしてはいけないと思う。せっかくベットがあるし。準備手伝うから」

そう背中を押した。布団を運ぶツレに、庭からハーブを摘んで母にもっていってもらった。翌朝、とてもとてもよい夜だった。母といろいろな話ができたと、疲れながらも満足な表情のツレをみて、ああこれで母は旅立ってしまうのだと思った。無邪気なツレは、「まだあと1週間ぐらい頑張れそうだ」といっている。

静かに頷きながら、覚悟をした。
私も行きたいから連れていって。
戻ってきたばかりだというツレを説得して家を出る準備をしていた瞬間に携帯がなった。

母の容態が急変したという。

慌てて父の愛用の帽子を掴んで、家を出た。15分の距離が長く感じる。

部屋に駆けつけると、母の手を握ってくれていたボランティアさんがいた。
母はカトリックだったので、カトリックのボランティアさんが、家族がくるまでの間手を握ってお祈りをしてくれていたのだった。

ああひとりで旅立たないようにと、ここまで考えてくれているんだと、とても感激した。私たちが到着するとボランティアさんは静かに立ち去り、母と3人になった。母はとても息苦しそうだった。でも、私たちがそばにいるのが分かっているようではあった。ツレが母を抱きしめた直後、母は旅立った。

スタッフの看護師のみなさんがやってきて、私たちにリビングで待つように伝えてくれた。リビングには、沢山の果物と水とコーヒー、本やテレビがあって、まだ信じられない気持ちでいる私たちを看護師さんたちが、入れ替わり立ち代わり慰めてくれる。聞けば、このホスピスもできて8年しか経っておらず、ドイツでもまだ十分に普及していないのだという。

夜も休むことなく同じ村の出身の8人がフルタイムで担当してくれており、ホスピスの明るく家族っぽい雰囲気はここからきてるんだな、と分かった。

その間に母の姪(75歳)が、近隣の村(といっても20キロぐらいの距離)から、サイクリング自転車で駆けつけてきた。急に予感があってきた、と。10分遅かった。彼女が間に合わなかったのは本当に後悔だ。電話番号が古いままで電話できなかったというが、とにかく親戚の電話番号はアップデートしておかねばならないと思った瞬間だった。

こうやって母は自分が望んだとおりだったかは分からないけれど、ある程度納得できる形で旅立っていった。残された私たちもまた、このように母とすごせる時間があったこと、空間をいただけたことに、心から感謝している。

施設の写真を貼っておくので見てもらえば分かると思うのだけれど、本当に「素敵で快適なお宅」といった雰囲気のところで、市立病院とは思えない充実度。といっても、メインの病院部分も機能もしっかりしていて嫌な匂いも一切せず、さすがドイツと思える機能的でクリーンかつ重厚的なつくりだった。

ドイツも日本も超高齢者社会が待ち受けている。
人生の最期を誰と、どこで、どのように、すごすのか、どう生きるかとともに重要なテーマとなってくるだろう。よく生きることはよく死ぬことでもあると、実感したあの日。家族に看取られるということが、いかに幸せなことなのかについて、逝く側だけでなく残される側としても考えなければならないことだな、と肌で感じた。

母の経験が、少しでも日本の終末ケアを考えるヒントになればと思い、写真を大目に紹介しておきます。

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母の森のそばで虹が迎えてくれた。
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ホスピスの部屋の天上

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さすがドイツな音楽システムあり

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皆が使えるリビングがある。子どものままごとセットも
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ダイニング。いつも果物が盛られていて、食べてよい。
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みなが使えるキッチン。その気になれば、1週間でも泊まっていい。
各部屋にはトイレとシャワーがついている。




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# by africa_class | 2018-11-03 03:34 | 【徒然】ドイツでの暮らし

「小農権利宣言」国連採決目前、3カ国(日本・モザンビーク・ブラジル)の農家と民衆会議を日本で初開催することになりました

みなさんは、来年から「国連家族農業の10年」が始まるのを知っていましたか?そして、もうすぐ「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が国連総会で採択されることも?

一昨日(2018年11月25日)にニューヨークの国連総会で、ついに「小農権利国連宣言」のドラフトが提出され、これを準備した政府間作業グループの議長が紹介しました!(第73回国連総会34回会合第3セッション)2012年に国連人権理事会でこの議論が開始されて6年、世界最大の小農運動が夢見てから15年以上が経過しましたが、ついに後一歩となりました!

この国連宣言の画期的な点は、2008年の「国連先住民族権利宣言」に続くとともに、さらに大きな意味をもっています。国際法上も沢山のチャレンジがあり、大いに議論がなされ、ついにこの日がきました。とくに、「食の主権(食料主権)」「土地への権利」「種子への権利」「生物多様性保全への権利」などの「新しい権利」について、「小農」を国際人権の保護対象の特定グループとして認定する点についてなどです。

これらのことはすでにこのブログで紹介しましたし、12月に農山漁村文化協会から出される「国連家族農業10年」を祝う本に書きましたので、そちらでご確認いただければと思います。重要なことは、米国やEUや日本の反対があったけれども、世界の圧倒的多数の国々がこの宣言とドラフトに賛成しているという点です。

国連総会では、ボリビア、キューバ、南アフリカのアツいサポートの演説の合間に、インドネシアの「土地への権利」への懸念、EUのどうしようもないスピーチがあったものの(相変わらず、集合的な権利を認めない、「食の主権」と「種子への権利」が権利として不明瞭・・・とぶつぶつ言い続けてる)、とにかく前に進むことと思います。

2019年の「家族農業10年」が始まる前に、必ず採決される見込みです。

世界1億人を超える小農と農村で働く人びとの権利を守ることは、都市の生活者の権利を守ることにつながるという冒頭の議長の指摘はそのとおりです。なぜなら、農薬づけの生産方式は、生態系の破壊につながるだけでなく、また生産者だけでなく消費者の身体も蝕みます。また、遺伝子組み換え技術や種子の採取禁止は農家の自由に生産する可能性をどんどん狭め、また当然ながら生態系や私たちの身体に大きな影響を及ぼします。

今回の「小農権利宣言」が守ろうとしてくれているのは、農民の暮らし・身体だけでなく、都会に暮らす私たちの暮らし・身体をも含んでいるのです。そして、これを実現するにあたって、最前線にたち、宣言文のドラフトをつくったのが、世界の小農運動(ビア・カンペシーナ)であるという点に、注目いただければと思います。とくに、ドラフトのもとになる「小農男女の権利宣言」をつくったのは、インドネシアの農民たちでした。

日本でも世界でもお金をもっている消費者が強く、生産者は下にみられがちです。そして、その消費者をコントロールすることができるようになった巨大スーパーなどのグループ、そのグループに食料を調達する商社、それに大量の生産物を提供するアグリビジネス、さらにはそのための資材(たね、農薬、化学肥料)・・・などの重層的な権力構造ができあがりつつあります。

わたしたちの命や健康や未来が「儲け主義」に支配されつつあるなかで、最も弱い立場におかれてきた南の国々の農民たちが立ち上がり、最前列で「健康な食と農」を守ろうとしてくれていることに、私たちは感謝しなければなりません。

そのことを知っていただく機会にしていけたら・・・ということで、なんと日本とモザンビークとブラジルの農家・女性・若者・市民団体・市民が集まって、3カ国民衆会議を11月20日から22日まで東京で開催します!来日する農家はすべて以上のビア・カンペシーナに加盟する農家さんで、「アグロエコロジー」と「食の主権」を目指していらっしゃいます。(これらについてはまた別途説明します)

もちろん、日本の農業にも沢山の個別の課題があります、
でも、だからこそ、いま世界で起こっていること、南から出てきた様々な新しい試みやオルタナティブを知ってもらいたいと思います。全体テーマは3カ国民衆会議〜危機の21世紀を超えて、つながりあい、食の幸せを未来に手渡すために〜

3カ国民衆会議については追って具体的に紹介していきますが、以下のサイトに一括情報が掲載されています。
http://triangular2018.blog.fc2.com/
ユースチームも立上がりました!
https://peraichi.com/landing_pages/view/triangular-web
が、お金が足りていませーーーん!
https://congrant.com/project/triangularfr/551

なにせブラジル・モザンビークから20名近くの農家さんや市民団体の皆さんがくるのです…が、バスでの移動費、日本の有機農家さんが全国から東京の会議にこられる移動宿泊費、3カ国の農家さんが大いに語り合うための同時通訳費(逐語では間に合わないので・・プロに依頼)などなど、あと160万円ぐらい不足しているのです。開催まで1ヶ月を切ったので、ぜひみなさまに仲間になっていただき、ご協力いただければ本当にありがたいです。

わたしは今迄世界の食と農の状況や議論、各種のアクターを日本の皆さんに紹介してきましたが、この会議はいろいろな面で、日本の食と農の未来にとって「あっちいくの?こっちいくの?どっちいくの?」の迷いの中で、大きなヒントをもたらしてくれると思います。

会議は3日間のイベントの他、プレイベントもあります。
詳しくは一括掲載のチラシをご覧下さい。
https://drive.google.com/file/d/15MKHDrSHXKe_yrc9EcGnkJcBE5WXRSzp/view


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写真は今年ブラジルで行われた「アグロエコロジー全国大会」の様子


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# by africa_class | 2018-10-27 20:53 | 【国連】小農の権利宣言

デンマークで大学無料&学生に月10万円が支給されていることについて

先週、デンマークのオーフス大学に呼ばれてレクチャーに行ってきた。
講演タイトルは「日本のグローバル・アグロフードシステムへの援助・外交・投資を通じた関与:1890年から現在まで」。久しぶりだったのでやや緊張したが(見えなかったと思うが…)、伝えたいメッセージは伝わったと思う。つまり、(1)どうやら我々は負の歴史を21世紀になっても繰り返していること、(2)構造が戦前に似通ってきていること、(3)他方で下からの動きが国連などの場を通じて国際規範を変えつつあること。で、(2)については、マネーと結びつく為政者らのパワー、そこに中間層がポピュリズムを通じてくっついていくこと、底辺に位置づけられる人びとの搾取が再生産・拡大されていくこと、これが日本や南の国々だけでなく、世界的に展開しつつあること。だから人類が長い歴史のなかで闘い勝ち取ってきた民主主義を、どう鍛えていくのか・・・そいう狙いまで伝わったかは分からないけど。

「食」をいまこの世界で考えることは、私たちの日々の暮らしと世界に繋がる沢山の課題に気づかせてくれる。なので、最初に、全員に昨日何を食べたのか、求める社会や世界像がどんなものか話してもらって、最後はそこに戻ってみた。

この世界には「どうせ何を期待しても、希望しても、無理。構造を変えることなんて不可能。どうせ自分はチッポケな存在」という諦めモードが蔓延している。なので、無理かもしれないけど、夢をみないのであれば、もっと状況が酷くなることについて、ちょっと皆で考えられたらいいなーと思った。これは大学で教えてたときに、最初の方の授業で全員とやってたこと。「変えられない感=無力感」は、社会に最もパワフルでネガティブな影響を及ぼすものだから。歴史がそれを証明している。そんなところに、ヘイト意識とか、資源戦争とか侵略とかのガソリンを投入すると、ばっとやる気満々になる人が急増したのも、歴史が示すところ。日本だけの話ではない。ここドイツもまたそうであった。その結果もたらされたのは、ホロコーストと呼ばれる人間によるある特定の背景をもつ(とされる)人間の「消滅」を目的としたジェノサイドだった。まだ、あれから70年程度しか経っていない。

さて、いつも前置きと書きたかった中身がマッチしないのがこのブログの特徴。だけど、実は私の中ではすべて繋がってはいる。

ドイツの公立大学の多くが無償であることについては広く知られていると思う。ただし、ドイツの大学に入るには、アビトゥアというとんでもなく難しい大学検定に通らないといけないので、そんな簡単なことではない。アビトゥアのレベルは日本の大学の教養ぐらいなので、高校を出ただけでは検定で良い点は取れないので、卒業後に独学で2,3年勉強する人も少なくはない。だから、ドイツの大学生は歳を取っている人も多い。もちろん、卒業後いろいろやってから大学に入ろうと決意する人が多いことも影響がないわけではない。

ドイツの話はまた今度。
さて、デンマークの大学の話はあまりに衝撃だったので(私にとってすら)、根掘りは掘りきいてきたことを書いておきたい。本当はリサーチしてから書きたいのだけど、オーフス大学の先生に聞いた話なので、とりあえずその前提で読んでいただき、あとは各自でリサーチを。

なお、デンマーク大使館サイトには大学無料(EU市民等。それ以外は有料)という点は書いてありました。
http://japan.um.dk/ja/infor-about-denmark/denmark/welfare-and-education/

【デンマーク大学事情】
(1)国立大学は無償
(2)入学後、各学科の規定の在籍期間は月10万円程度の生活支援費が政府から全員に払われる。(税金はかからない)
(3)留学中も受けとれる。
(4)半年休学して世界を放浪などのときは、その期間を受けとらず、戻ってきてから再開できる。
(5)成績が悪い、大学に来ないなどの場合は支給を止められる。

Woow!そんなんなら、私ももう一度大学行きたいわ・・・とつい言ってしまうほどの好条件。先生いわく、それぐらいしないと、若者がなかなか大学に行ってくれない、とのこと。「大学に行ってくれない」とは凄い台詞だと思う。ちなみに、先生は50前後なのだけど、先生が大学生時代からあった制度ということで、もう30年近くこれをやっていて、デンマークは財政破綻をしていないという事実に皆さん注目を。

【デンマーク博士課程事情】
(1)在籍者は月30万円相当が「給料」として支払われる。(税金は支払わないといけない)
(2)仕事はティーチングアシスタントと「博士論文を書くこと」
(3)この期間に産休を取って、子どもを何人か産む人も多い
<=博士号をとっても就職先が少ないため。

こちらも就職先の問題がるために、候補者が沢山いるわけではないとのことでした。ただ、大学生も院生も英語は極めて堪能で、デンマーク外に仕事を求めて行く人も多い。実際、デンマークから出る人も、デンマークに働きにくる人もいて、国際的。私が会った大学の先生の多くはデンマーク人以外の人、ドイツ人2名、エルサルバドル人1名でした。授業も英語。(デンマーク語でとれる授業もあるらしい)

で、みなが気になる「社会保障が充実=税金負担が重い」という点は?
確かに、物価は安いとはいえない。
でも、スーパーで買い物をしても、外食しても、日本より「食べる」ということに限ればむちゃくちゃ高いとは感じなかった。

例えば…
ワインカフェでワイン一杯370円
野菜のスムージー(大サイズ)で350円
超もりもりのサバの薫製のサンドイッチを素敵なお店で買って400円
豆乳ヨーグルト、ブルーベリー1パック、プラム1キロを買って850円
(すべて税込み価格)

先生にも聞いてみたが、所得税は確かに高いといっていた。そのうえで、「給料も高いから」とさらりと一言。
「給料・・・高いのね・・・」

先生はコロンビア大学でも教えてたことがあるし、日本にも留学していたので、いろいろ大学の先生の懐事情もよく知ってる。日本の国立大学で教えていた私の給料は、実はドイツの親が経営するシュタイナー学校のフルタイムの先生の給料より安かった・・・。この事実はしっかり胸に刻んでほしい。

で高い給料が実現できるのはなぜなのか?
人口が少ないとか、色々いえるかもしれないけど、ちょっと待って。
そもそも、2000年以降まで、ひとり当たりのGDPは日本とデンマークではほとんど変わらなかった。
http://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WEO&d=NGDPDPC&c1=DK&c2=JP

そして、日本の税金や社会福祉の負担額は高給取りには安いのだけど、中間層から下には決して安くはない上に、ヨーロッパにあるような低所得家庭へのフルのサポートがないので、貧困の再生産が繰り替えされ、悲惨なことになる。

その意味で、結局は「税金負担額が多いか少ないかで福祉制度の充実が決まる」のではなく、国家予算や政策の優先順位こそが重要なことが分かる。

そして、その優先順位を誰が決めるのか?というと、ヨーロッパでも有権者が選挙で選ぶ政党や政治家を通じてという部分が確かにあるのだけれど、それを支える市民社会のコンセンサス(自分たちの権利として社会福祉を国家に保障させる)がある点についても注目しておきたい。

政府や税金は自分たちの求める社会像を実現に近づけるためにあるのであって、自分たちを規制したり、自分たちからただ奪うためにあるわけではない・・・この「民主主義(主権在民国)の当たり前」は、とにかく何度でも日本の皆さんに伝えたい。

ドイツでも、デンマークでも、30年前に、人びとが勝ち取った制度であって、それを人びとが一生懸命守り育ててきているのだということも知ってほしい。(つまり、天からふってきたわけでも、ヨーロッパだから普通というわけでもない。日本でもできるということ)また、油断するとあっという間に、「企業の競争力ために」とかいって取り上げられかねない労働者の権利や市民の権利が多くあり、ヨーロッパ各国でも常に市民が声を挙げ続ける必要がある。

ただ・・・日本はそれ以前の状態にあるのも事実。
住民・国民のために使われるべき国家予算を、アメリカの大統領に言われたから高額の武器を買わされました、住民が反対しているのに基地を米軍のために作ってあげます、なんだか低レベルの大学だけど首相のお友達だから100億円ぐらい土地代を含めて融通しましたとか、クールジャパンのお店をマレーシアにつくって億単位でお金流してますとか、そうことを許して、さらに10%に消費税をあげたとしても、デンマークやドイツが実現している社会福祉は決して日本の私たちの手に届くことはないでしょう。

つまり、予算を何に使うべきなのか・・・を真剣に考えないと、もうすでに大変な状態の社会がさらに大変なことになって、若者・子どもたちに申し訳が限りなくたたないわけです。

また、さっきのデータ(ひとりあたりGDP)をみてもらえれば分かるように、1990年代前半は日本の方が勝っている。しかし、2000年代に入ってからどんどん差がついてきていることがこのグラフでも一目瞭然。

つまり、21世紀的な新しい時代・世界についていけているのか、いけてないのかという点が見逃せない部分。やはり、世界で活躍できる、EU地域、世界とつながれる、イノベーションをうめる人材を育てているか否かは決定的に大きいと思われる。

大学にくるまでのデンマークの教育は実に斬新だという。
自主性、主体性に徹底的に委ねる点で、シュタイナー教育とかなり似ている。
成績もつけない。評価をしない。
それぞれの尊厳を認め、それぞれがそれぞれの意見を持つこと、それを伸ばすことに重点がおかれているという。

しかし、大学に入るための準備段階から評価が出て来て、大学に入るとやはり評価システム(試験やレポート)があるので、学生たちはストレスで大学に来なくなることもあるという。また、中間テストをやろうにも、「なぜそれが必要なのか」を学生と相談・協議して、コンセンサスをつくらないといけないので、とっても大変とドイツの上から目線大学教育を受けたドイツ人の先生たちはこぼしていた。

先生と学生が一緒に授業をふりかえるという時間ももたないといけないらしい。これは教師にとってはチャレンジングだけど、とっても良い方法だと思った。結局、大学教育がなんなのか?・・・と考えれば、一人の人間としてどうやって知的に社会的に立てるひとを育てるのかが問われている以上、学生からみたときの授業のあり方というのは大学が重視しなければならない点でもある。

そうやって自由に育ち、批判的に考え、自己を確立していった若者は、たしかにこの混沌とした、そしてAI時代には強いだろうなと思った。実はドイツよりデンマークの方が気に入ってしまったのだけど(若者感じも含め)、デンマーク語をとてもマスターできる気がしないので、とりあえず隣国から時々お邪魔してみようと思う。

とりあえず、以上見聞きしてきたことをとりとめもなく書きました。
(原稿の締切問題が継続中なので、これにて失礼)
またフォローアップしますね。
介護の話も衝撃的だったので、これは絶対お伝えしたい。

写真はオーフス大学考古学部のキャンパス。
どこかの隠れ家ホテルにしか見えない!

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考古学キャンパスの森

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現在の考古学部の建物。茅葺き!以前はここが博物館だった。



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# by africa_class | 2018-10-22 21:01 | 【紹介】ヨーロッパのあれやこれや

【祝!】国連人権理事会で「小農権利国連宣言」が採択!来月の国連総会へ。

とっても嬉しいお報せです!

本日、国連人権理事会で「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が採択されました。残すは国連総会での採択だけになりました!(これでヒックリがえることはあり得ないので、もう採択はほぼ確実です)

しかし、以下の理事会での採択結果は目に焼き付けておきましょう。
賛成33、反対3(オーストラリア、ハンガリー、英国)、棄権11(日本、ドイツ、クロアチア、ジョージア、スペイン、スロベニア、スロバキア、ブラジル、ベルギー、アイスランド、韓国)

日本は案の定「棄権」でした。まあ反対するよりマシとはいえ、日本がこれに反対する理由は本来ないはずなのに。この権利宣言そのものに大反対の米国、そして英国に追従し、「種子の権利」にも反対を唱えていたぐらいなので。
https://afriqclass.exblog.jp/238467300/

でも、賛成した33カ国を見ると、とっても元気が出ます。
アフガニスタン、アンゴラ、ブルンジ、チリ、中国、コートジボワール、キューバ、コンゴ民、エクアドル、エジプト、エチオピア、イラク、ケニア、カザフスタン、メキシコ、モンゴル、ネパール、ナイジェリア、パキスタン、パナマ、ペルー、フィリピン、カタール、ルワンダ、サウジアラビア、セネガル、南アフリカ、スイス、トーゴ、チュニジア、ウクライナ、アラブ首長国連邦、ベネズエラ

中南米諸国の中には、会議中にかなり批判的な意見を言う国があったのですが、採決となれば一致団結してこれを推してくれました。ただし、ブラジル以外!!!ジルマ政権の弾劾後はアグリビジネス偏重のテメル政権だったので嫌な予感はあったとはいえ、春のセッションまではとても良い発言をしていたのに…。

あとは、アフリカ大陸はすべての理事国が賛成!!!
南アジアと東南アジアも!!
が、北東アジアは、中国のみが賛成で、日本と韓国が棄権と残念では済ませられない結果となりました。

この宣言文ですが、農民連の岡崎さん、国際NGO/GRAINのサポートを得てモザンビーク開発を考える市民の会の元スタッフの根岸朋子さんとわたしで訳したものを以下のサイトで公開しています。
https://www.farmlandgrab.org/post/view/27954-un-declaration-draft-on-the-rights-of-peasants
(*ただし今回のバージョンが採択されたわけではないので訳を修正しないといけません)

また、この「小農権利国連宣言」に至るまでのプロセスについては、12月に出版予定の農文協の本に詳しく書いておきました。(といってもいつもの如く沢山書きすぎて、未だ削らないといけないのですが…)

実は、この「小農権利国連宣言」の草案は、世界最大の小農運動ビア・カンペシーナが2008年に発表した「小農男女の権利宣言」をベースとしています。どうやって一小農運動の「権利宣言」が国連宣言に化けたのかについては、上記の本をお待ち下さいね。(書きたくてむずむずするが・・・)

で、このビア・カンペシーナ。世界80カ国に2億人のメンバーを有するというマンモス運動。一体これはどんな運動なのか…どこからきたのか…の疑問に応える本(訳書)も11月に発売の予定です。まだ邦題は確定していませんが『国境を越える農民運動』みたいなものになると思います。Marc Edelman & Jun Borras著 The Political Dynamics of Transnational Agrarian Movementという本です。お楽しみに。

国連総会での採決は10月予定。

この素晴らしいタイミングで、ブラジルとモザンビークのビア・カンペシーナ加盟団体が、3カ国民衆会議のために11月に来日します!日本・モザンビーク・ブラジルの農民や市民・NGOが3日にわたって語り合い、グローバルなフードシステムが私たちの暮らしにもたらす影響や政策を学び合い、これをどう転換できるか(どう転換してきたのか)話し合っていきます。

3カ国民衆会議は11月20日〜22日、東京です。
この栄えある日に、メインのイベント(11月21日@聖心女子大学4号館ブリットホール)である国際シンポジウムとマルシェ(ファーマーズマーケット)の案内が開始となりました。

詳細を確認の上、どしどしお申込み下さい。

3カ国民衆会議のブログ
http://triangular2018.blog.fc2.com/

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写真はブラジル・セラードの日本企業の農場のすぐ横の土地。一人の元「土地なし農民」のフィゲイロさんが、企業による大豆の大規模栽培によって「緑の砂漠」となってしまった土地を、他の人達と占領。その後、政府から土地配分を受けて、せっせとタネをまき続け、苗木を植え、数年でここまでの「食べられる森(エディブルフォレスト)」をつくりました。地元の教会の「土地司牧委員会(CPT)」の神父さんから学んだアグロフォレストリーの技術を取り入れています。

当初の「小農の権利宣言」には、アグロフォレストリーとともに食の主権も書き込まれていました。


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# by africa_class | 2018-09-28 23:55 | 【国連】小農の権利宣言

ツイッター経由できた南アフリカからの一通のメール

大学を辞めて、あちらのメールアドレスを見ないようになってしまったため、どうやら色々な人が困っているらしい。子どもの頃から年賀状が嫌い。自分からは基本連絡しない主義なので、メールアドレスを変えるたびに、色々な問題が発生するのだけれど、なんとなくもうそれでいいかな…と思って諦めてる。

でも私を見つけるのは実は簡単。
SNSをしている理由は、筆無精な私として、かつての仲間や知り合いやその他の皆さん一人ひとりに今どうしてるかとか、何を考えているかとかのお便りをするのではなく、全部公開してしまえば双方楽かなと思ってのこと。

ただもう一点メリットがあったようで。
最近は、日本の出版社からのお願いや連絡調整は、SNS経由、あるいはSNSで確認してからということも増えてきた。それはそれで、面倒なやり取りを省けるので楽なのでいいのだけれど、今この瞬間のように、原稿がおくれてたり、ゲラが戻せていなかったり、連絡できてなかったりすると、「見られてる感」はやや気になるところ。。。なら、ちゃんとサクサク出せばよいという結論に至るわけだけれど、そこはなかなか思うようにいかないのが、出版物の常。

気合を入れないで書けるブログと異なり、やはり出版物となると、いくらなんでもベットの中で書いてると辛いものがある。でもそうせざるを得なかったりした本もあるのだが。

さて。すっかりご無沙汰してしまっていた人達と再会できるのもSNSの魅力ではある。そもそもフェースブックが同窓会のために作られたように。でも、英語でSNSをしてないので、日本の人以外に見つけてもらうのにはなかなかハードルが高い。なのだけど、ある日、南アフリカはケープタウンの出版社のTwitterをフォローしたら、すぐにフォロー返しがきて、ダイレクトメッセージが届いた。

「ずっと探してた!」

そうだ。せめて自分の出版社ぐらいには連絡先とか伝えておくべきだったと反省しきり。

「とにかく伝えたいことがあるからメールさせて。」

ということで、ビクビク・・・。

なんかやるといってたことをやってなかったとか、本があまりに不評だから絶版にするとか、本が書評でこき下ろされてるから反論しなきゃとか、とってもまずいことが起こっているのに、私がちっともお返事しなかったのだと思って、メールがくるまで落ちつかない気分になった。それでなくとも体調悪いのに、やだな。。。

この出版社から出した本はこちら↓
(無料ダウンロードもできるようにしてあります)
http://www.africanminds.co.za/dd-product/the-origins-of-war-in-mozambique-a-history-of-unity-and-division/

メールをあけると、そこはさすがに敏腕編集者<兼>出版社の創設者。まずはおべんちゃら。

「The Origins of War in Mozambiqueは、我々African Minds Publishingという小さな王国の宝石だよ」

そういう風に書く時は、どうせ何か悪いニュースがあるにきまってる、と身構える。
すると、私がずっと病気で大学をやめて療養していたこと、せっかく一方の病気は治ったのに別の病気になったことについて労りの言葉が続く。

労りながら、なんか悪いニュースに違いない・・・と依然として身構えていたのだけど、意外にメールは短く、とにかく添付のExcel表をみて、これが君を励ますことになることを心から祈ってる、と締めくくられていた。

表を空けてみた瞬間、目が点になった。
信じられなくて、なんどもみたのだけど。


2017 Downloads
1 The Origins of War in Mozambique 2045
2 The Social Dynamics of .... 834
3 Beyond .... 805
4 Open Data in Developing ..... 791
5 Sounding the .... 694
6 Adoption and Impact of OER in the .... 654
7 Lajuri....511
8 International8 Educational Challenges..... 484
9 The Delusion of Knowledge..... 438

見た瞬間、思い浮かんだのは、今は亡き人びとの顔だった。
1994年から2012年まで、400名近い人びとに話を聞いたのだけれど、出版の時点で大半の方が逝ってしまった後だった。だから、本を届けることすらできなかった。まず日本語で書いたのも大失敗だった。

さらに何時間も何時間も話を聞いたのに、その一部しか本にその声を直接入れることができなかった。本全体には、彼女や彼らの肉声を反映させようとしたのだけれど、それでも十分だともいえない。といっても、日本語でも600頁を超えるボリュームで、これ以上はどうしようもなかった。せめて今のように動画や音声が簡単に撮れたり、アップできる日がくると分かっていたら、直接紹介することもできたのに。

「あの時」はもう二度とこない。
沢山の経験を内に秘めたまま逝ってしまった人びとの経験を、もう一度聞こうと思っても不可能なのだ。以前のモザンビーク農村なら、その人達の経験もまた、周りの人びとがしっかり耳を傾け、継承されている部分も沢山あったと思う。でも、時代は変わってしまった。戦争がそれを加速化したというのもあるが、昔話や歴史に価値がおかれる時代ではなくなってしまったのだ。

一方で、権力者たちの都合のよい「歴史」が繰り返し連呼される時代となった。
そして、都合の悪いことが書かれた「歴史」は書き換えられるだけでなく、攻撃され、破棄され、隠されつつある。アフリカでも、日本でも、世界でも。また、それらがもとにしていた人びとの声、一次資料もまた、忘れ去られるままになってしまっている。中には、意図的に。

今、日本の各地で、戦時中の資料が焼却されていたことが明らかになっているように。戦後直後の陸軍による焼却の話ではない(それはそれで大問題)。戦後70年を経て、「収蔵スペースが確保できないから」との理由で、捨てられ、燃やされる資料の数々。

後の時代になればなるほど物事を明らかにできる可能性が高まる・・・と考えることができた時代は、もはや過ぎてしまったのかもしれない。1990年代に話を聞けた人びとはもはやおらず、あの時に見せてもらうことができた公文書は現在は政府の管理下におかれてアクセスができない。その意味で、600頁というあり得ない長さの本であっても、資料的価値はあるのかもしれない。

もちろん、後の時代から別の角度でみたときに別の結論も可能だろう。記録といっても、私の目から選択され、文脈に入れられ、加工されている以上、そのまま受け止められるべきでもない。検討・検証されなければならず、その結果として、本全体の問題が明らかにもなるだろう。

それでも、私に語ってくれた人びとの声が、ただのダウンロードとはいえ、こんなに多くの人にわずかなりとも届いているのかもしれないとすれば、20年をかけた意味もあったのかもしれない。そして、何よりも、この本(日本語版)の誕生に力を貸してくれた御茶の水書房の橋本育さんをはじめとする皆さん、訳者の長田雅子さんをはじめとする英語版チームの皆さんのお陰であった。この場を借りて、心から感謝を捧げたい。

本は一度世に出すと独り歩きする。
もうあの本は、私の手をとっくに離れて、世界のあちこちに自由に飛び回るようになった。著者の意図はおかまいなしに。文字の不思議、出版物の不思議、ネット空間の不思議に、しばし立ち止まる。著者そっちのけで広がる書物の潔さに感じ入っている。

そして、今この本を凝縮した日本語の本を来月出版すべく、最終局面にある。
600頁のボリュームではきちんと読んでもらえないので、10分の1に圧縮したのだった。

実は、10年以上も追い続けたテーマとは、今年で「さようなら」することを心に決めている。人生の残りの時間がいつまでも長くあるわけではないと気づいたときに、その時がきたら「次」に行かなければならないと思うから。そして、「その時」が来たと、なぜか実感している。

本当はまだまだ足りないのを自分が一番よくわかってる。3部作が完成してはじめて1994年に戦後直後のモザンビークに足を踏み入れてから誓った仕事が終るということについても、今でも変更はない。でも、もう時間もないとも思う。これから先、アフリカ、戦争と平和、モザンビークで書くことは、ほとんどないだろう。ここからは、後の人達がもっと前に進めてほしいと思う。批判し、踏み台にして。まったく別の歴史を書くでもいい。違ってたよ、でもまったく構わない。ただ、今は亡き人達の声については、少し立ち止まって耳を傾けてほしいとも思う。

丁度このタイミングでこの南アフリカからきたニュースと来月の本の出版が、「留まれ」といっているとささやく自分もいるのだけれど、次へいってもいい号令だと捉えようと思う。大学を辞めておいてきたもの。この仕事を最後においてくるもの。少しずつ店じまいをしながら、次に向かっていこう。未だ見ぬ場所へ。

追伸:
日本語版は2007年に出版された『モザンビーク解放闘争史』
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA81471652


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# by africa_class | 2018-09-13 04:54 | 【記録】原稿・論文

【続報】国連「小農の権利宣言」議論で、日本政府代表が「たねの権利」を認めないと発言。国連議場で繰り広げられた国際バトルと対米追従。

今日は国際小農の日です。その日にこれを書いていることの意味をシミジミ感じます。

さらに随分時間が経過してしまいました…。
前の投稿で春と思っていたら、あれから極寒が戻ってきて、結局日本に行って戻ってきたらようやく春がきたという感じです。霜が降りないと思われる季節になったので、畑の仕事は大忙しです。朝から晩までやってるけれど、終らない・・・。猫の手も借りたい。モグラの手は借りているのですが(丁度よい場所を掘り返してくれてる)

さて、先週4月10日から13日までジュネーブの国連人権理事会で、国連「小農と農村で働く人びとの権利に関する宣言」のドラフト文の最終的な議論が行われていました。

この宣言文については、下記をご覧下さい。
https://afriqclass.exblog.jp/i43/

第1回から8回までの議論の様子は下記サイトで視聴可能です。

国連「小農と農村で働く人びとの権利に関する宣言ドラフト」に関する交渉
第5回セッション

http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/RuralAreas/Pages/5thSession.aspx

私は畑仕事をしながら少しずつ聴いているのですが、十分追えていなかったところ、ジュネーブの国連会議場にいる市民社会の皆さんが「日本政府はどうなんてんの?」とのご一報を下さり、何かと思ったら「日本はEU(ヨーロッパ連合)に加盟でもしたの?」と。どうやら日本政府代表は「EUと同じ立場をとる」と言っているそうで、最初は「米国と同じ立場じゃないのね、よかった」と思っていたのですが、どうやらそういうことではない。

最後にどんでん返しがあるので(残念ながら)、最後まで読んでね。

EU自身が後ろ向きの立場になりつつあると知って、これは大事と思って、日本政府代表の発言を確認しなきゃーと思ったものの、こちらは農繁期かつ携帯の電池がもたない。。。

でも、どうせ、こういう会議の日本政府代表の発言というのは、大国や自分がその後ろにくっつきたい政府代表の発言のあとに、しれーーーっと出してくるので、最終日だろうと狙いをつけて待っていたところ、はやり最終も最終・・・・13日金曜日の午後の最後のセッションにご登場(前にも出ていたようですが)。

http://webtv.un.org/meetings-events/human-rights-council/watch/8th-meeting-5th-session-working-group-on-rights-of-peasants/5769486881001/?term=&sort=date?lanarabic?lanarabic?lanrussian
基本、英語とスペイン語とフランス語なので、右上のEnglishを選択して再生すると英語の同時通訳に切り替わります。

食料主権の条文の削除の件は別途書きますが、最終セッションのテーマは「collective rights」に関するものでした。この小農の権利が、小農個々人に限らず、その集合体・コミュニティの権利を謳っていることについて、異議が挟まれる形となったのです。これは国際法を学んだ者には大変面白い議論なので、改めて紹介したいと思います。

問題はcollective rightsは認められないという立場をEUが表明したという点です。
これをnew rightsとして、これを新しく創設することには反対と述べ、なんとか全員に受け入れられる解決を求めたいと提案していますが、わざわざルーマニア政府代表に話をさせている点が、後々面白い展開になっていきます。そこで、議長が、反対とい意思は分かったが、具体的にどの部分が問題なのかなどを明確にしてほしいと提案したのですが、そこで出てきた英国政府代表の説明がなんとも・・・妥当性を欠いている。

英国が出てきたので、どっかで米国が出てくるな・・・と思っていたら、やっぱり出てきました。いつものパターンなんですが、分かりやすすぎな感じで、その直後というのが「お決まり」な手順で、思わず笑っちゃいました。

で、米国政府代表・・・会議に全然参加してこなかったし、先週まったくこないのに、最後のセッションに出てきて、ちゃぶ台ひっくり返すの巻。そもそも、この権利宣言に賛同していない、と。

いつもの感じなので、それはそれでおいておいて、なぜ反対なのかに一応耳を傾けておきましょう。

米国政府代表発言要旨:
・ここでカバーされているイシューが国連人権理事会で議論するには相応しくない。
・collective rightsは賛同できない。個人のrghtsが優先されるべき。国際人権法上も。
・この権利宣言に書かれているいくつかの概念に反対。
<ー例)種子の権利、伝統的な農法を続ける権利、食料主権、生物多様性の権利。

<ー目標であって人権といわれる権利の概念ではない。
・技術移転に賛成しない。知的財産権を侵害しうるものに賛成しない。すべてのアクターを平等に扱うべき。経済利益を侵害するから。


以上の提案を反映しないのであれば宣言に賛成しない。

しゃべり方自体が、なんというかジャイアンというか、ぜひ皆さんの耳で直に聴いてほしいなあと思ったところです。
これに対して、すごく静かにビア・カンペシーナの代表(インドネシア)の方が静かに語り始める。しかもファクトに基づいて。なんとも対照的で、これを見るだけでも価値があると思います。ちなみに、先月ハーグであった国際学会でキーノートを話されていた方で、なんともさすがな感じ。

次に、国際NGO・FIANの専門家が、超ドイツ語訛で(笑)、これでもかというぐらい反証を出していくので、これも是非みてほしいです。要は、collective rightsが新しいrightsなんかではなくて、国際法上にしっかり存在してきたことを、一個ずつ紹介していっています。で、ヨーロッパ連合には、これらを反証できるのなら反証して、知らないだけかもしれないけど・・・その上で具体的に問題を明らかにしてほしいと述べて、議長に「よい質問だね」とtake noteされる。

<ーなおこれらの根拠資料は議場に配られていたみたいなので、後で確認してリンクをつけますね。

CETIM、ボリビア政府代表が、とっても静かに、「collective rightsは新しい権利なんかじゃないよ。知らないの?」それに、国内法でも中南米の集まりでも、collective rightsは明確に定義されて書き込まれてるよ、あれこもれも・・・とファクトを積み上げられ続け、そもそも小農や農村で生きる人びとのリアリティに基づいて考えてドラフトされているんであって、本当に権利を守りたいと考えているのかと詰め寄られる。

次にビア・カンペシーナ欧州のフランス農民が、フランス農村の水利権はccollective rightとして保証されていて、そのコミュニティから退出するとその権利は消えるために個人の権利ではない・・・つまり小農の生きる現実に基づいた宣言をつくる上で、当然の前提なんだが、そういう前提知らないの?・・・的なカウンターパンチが入れられていました。EUのしかも小農代表が語るリアリティ。フランスの政府代表が無言なのに注目。エンクロージャー後の英国政府代表が矢面にあえて立ったのが分かりやすい。

しかし・・・まさかのこのタイミングで、日本政府代表が登場。
あまりにないタイミングで・・・。

米国のすぐ後に手をあげるとグルだと思われるから、ちょっと置いてから・・・と思っていたのでしょうが、その戦略があだとなって、すでにEUや米国の主張は、ファクトに次ぐファクト、法律上も前例上も現実面でも・・・積み上がった後に、出てくるという最悪のタイミングとなりました。

が、日本政府代表は、本省が米国と打合せで決まった文言しか読み上げることができないので、あまりに発言のタイミングが妥当性を欠こうが、用意してきたものを読み上げるということになります。で、何を読み上げたのか?

公式テキストは後日あがってくるので、以下仮訳。

1時間8分
日本政府代表(2018年4月13日午後、第五セッション、第8会合)
1)議長、collective rightsの時間を設けてくれてありがとう。
2)このワーキンググループに建設的な参加をしてきた。小農と農村で働く人びとが暮らす厳しい現状を理解している。
3)すでに各国政府代表が述べたように、人権はすべての人に享受されるべき。
4)世銀の興味深い統計を紹介する。農村人口は国によって違いがある。
5)日本では、94%が都市住民である(2016年)。
6)地球上の54%が都市部に暮らす。
7)このセッションで既に述べたように、この宣言ドラフトは権利として広くは認られていないものが含まれている。
8)これには、種子の権利が含まれます。


思わずスルーしたいほどの稚拙な中身のない、しかし「種子の権利反対」の一点で驚くべきスピーチ。

このドラフトの最後の最後の交渉で、唯一言及したのがまさかの「種子の権利」が人権として認められないということですかいな。。。この最終セッションは、collective rightsのセッションで、EUですらその観点からのみ問題提起しているのに、米国の色々認められないと主張する権利の数々のなかから、日本政府代表があえて一つ選んだのが、「種子の権利」!!!

しかも、つい今年の4月1日まで、世界に誇れるすばらしい種子法をもっていた日本が・・・日本の農民のためにもならず、世界の農民のためにもならず、彼らの農業を守ろうとするどころか、多国籍企業(遺伝子組み換え企業)の片棒を、政府の立場として担ぐという現実。

みなさん、知ってました?
日本政府代表は、国連の国際交渉の場にいって、「種子の権利」を条文から無くせといっていますよ〜!



さらには、このどうでもいい世銀の統計…なんなんでしょう。日本政府は自国の農村・都市人口を語る際に、わざわざ世銀を引用しなければならないのでしょうか?そして、このデータをなぜ引用しているのかの説明もなし。聴いている人に慮れということであれば、国際場裏においてそんな話法は通用しません。ファクト→分析→結論。あるいはその逆が示されない発言には、価値も意味もありません。

とはいえ、あえて日本政府代表の云いたかったことを想像してみると、さらにこのスピーチの酷さがあぶり出されます。つまり、小農の数が日本では圧倒的に少ないから、ついでにいうと世界においては5%だけ都市人口に負けているから、小農の権利を重視すると割をくうそれ以外の多数者が出るって論理でしょうかね?

なんのためにこのワーキンググループに参加してるんでしょうか?ただ米国やその他の同盟国の太鼓持ちのためだけ?きちんと参加してれば、そして真摯にこの宣言をつくろうとなった背景を学んでいれば、この最後の最後のセッションで、こんな稚拙なデータを出してはこなかったと思います。

つまり、このあと何度も国連専門家にも各国代表にも(市民社会だけでなく)、念押しされた点を紹介して終ります。

世界の小農と農村で働く人びとという枠組みで権利宣言を作らなければならない現在世界的に切迫している現実、そして歴史的にこれらの人びとがマイノリティ(数だけでなく権利面で)として迫害を受けたり権利剥奪を受けてきた現実がある・・・そのために皆集まってるんじゃないですか、何をいまさら・・・

ということで、最後は説得力のある、時に涙なしには聴けない、専門家や各国代表のスピーチが数珠つなぎで連なっていって、もはやEUも誰も反論できない・・・まま閉会に至ったことを、皆さんにもお伝えしておきたいです。

とはいえ、パワフルな国々と日本の横やりによって、何がどうなったのかについてはフォローする必要があります。
では・・・畑に戻ります。

でも、畑の作業のなかで聴いたのが、本当によかったです。

そして、最後の最後に議長が、明日サイドイベントで「母なる地球 Mother Earth」のイベントをボリビア政府とエクアドル政府で主催するので、ぜひ皆さんにも起こしください、、、と呼び掛けていたのを耳にして、なんともいえない感慨を覚えた次第です。

この話を単に経済・農業でしか捉えられない、あるいは米国追従の国際舞台としてしかみられない皆さんにも、ぜひ自分たちが日々食べているものが、どこからどのようにやってきているのか、これは自然が破壊されたときにどうなるのか、皆さんも自然の一部だという現実をどう捉えるのか、考えてほしいと思っています。





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# by africa_class | 2018-04-18 01:20 | 【国連】小農の権利宣言

完訳!国連「小農と農村で働く人びとの権利に関する宣言」(案):全27条の訳が完成。日本と世界における食と農の危機と希望を考えるためにも、ぜひご一読下さい。

ビオトープではついにカエルが大合唱。待ちに待った春です!
つい先週まで毎日零下だったのでウソのようですが、春は突然やってくる。
そして待ってくれない・・・ので、すごく忙しいです。
剪定が間に合わないままに、また春がきてしまったので。

それはさておき、長きにわたった国連「小農と農村で働く人びとの権利に関する宣言」の全27条の訳が完成しました。あまりに忙しくなり私が完訳できなかったので、国際NGO・GRAINの協力を得て、翻訳家の方と二人三脚で終らせました。

全部はあまりに長いので(14頁!)、PDFを以下のサイトからダウンロード下さい。
https://www.farmlandgrab.org/post/view/27954-un-declaration-draft-on-the-rights-of-peasants

ただし、現在は以下の国連総会提出の原文に基づいていますので、その後修正がされていっています。修正され次第訳も改変していきますが、とりあえずはこのようなものが国連人権理事会で議論され、総会に提出されたということで。

原文 A/HRC/WG.15/4/2(国連総会提出):
https://documents-dds-ny.un.org/doc/UNDOC/GEN/G17/051/60/PDF/G1705160.pdf?OpenElement

なお、日本ではまだ十分に理解されていない「食の主権」「アグロエコロジー」「種子の権利」などの概念がしっかりと条項に反映されています。国連人権理事会、次に国連総会で採択されると、日本にも大きな影響がある条約となります。日本の農家の圧倒的多数が「小農」です。

日本でこの宣言文がまったく話題になっていないことを前回ご紹介しましたが、種子法が廃案になるなど、日本の食と農も危機に直面。この食と農のプライベチゼーション(私有化・民営化)は90年代以来、とくに2000年から加速的に強度を増しながら、南の国々(アジア、アフリカ、ラテンアメリカ)を襲ってきましたが、現政権下でついに日本にも「黒船到来」です。

この権利宣言は、そのような私物化によって自らの土地・たね・声が奪われた小農や土地なしの人びとが力を結集して、国連での議論に持ち込んだものです。

ぜひ多くの方に関心をもってもらえれば。

*****

〔宣言の構成〕

前文

第一条 小農と農村で働く人びとの定義

第二条 締約国の一般的義務

第三条 平等および差別の禁止

第四条 小農女性と農村で働く女性の権利

第五条 天然資源に対する権利と開発の権利

第六条 生命、自由、安全の権利

第七条 移動の自由

第八条 思想、言論、表現の自由

第九条 結社の自由

第十条 参加の権利

第十一条 生産、販売、流通に関わる情報の権利

第十二条 司法へのアクセス

第十三条 働く権利

第十四条 職場での安全および健康の権利

第十五条 食への権利と食の主権

第十六条 ディーセントな(十分な・まともな)所得と暮らし、生産手段の権利

第十七条 土地と他の天然資源に対する権利

第十八条 安全かつ汚染されていない健康に良い環境への権利

第十九条 種子の権利

第二十条 生物多様性の権利

第二十一条 水と衛生の権利

第二十二条 社会保障の権利

第二十三条 健康の権利

第二十四条 適切な住居の権利

第二十五条 教育と研修の権利

第二十六条 文化的権利と伝統的知識

第二十七条 国連と他の国際機関の責任


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# by africa_class | 2018-03-12 22:43 | 【国連】小農の権利宣言

ヨーロッパの少子化対策(その1):フランス出生率回復理由への日本の驚き〜「失われたものがあるのなら…」

介護の話の続きを書くはずだったのですが、あれから急展開があり、義母がホスピスに転院し、そして穏やかに旅立っていきました。なかなか喪失感から立ち直ることができず、続きを書くまでには回復できていないので、今日はちょっと違う話題を。

ずばり「ヨーロッパの少子化対策」。
いや、予めお伝えしておくと、私はこの専門家ではないのです。
妊婦から現在まで18年ほどヨーロッパと日本とその他の国々を行き来する中で、いろいろ考えてきたこと、学んできたことを、今出てきている記事やデータや調査資料・論文を踏まえて紹介しているにすぎません。

でも、ツイッターで一つの記事を紹介しただけでエライことになったので、おそらくこの話題については、皆がもっと知りたい、議論したいと感じてらっしゃると思われるため、一応整理の意味で昨日と今日の2日間で書いたことを記しておきます。

あまりにニーズが大きいようなので、ヨーロッパの介護事情とともに、教育と少子化は調べて紹介すべきだろうと確信していますが、今現在はその余裕がほとんどなく、世界の最前線で生きるか死ぬかの状態の人びとのサポートを優先させて下さい。

また、今あらゆる原稿や翻訳が山積状態なので、、、乱筆お許しを。年末年始の騒動でほぼ動けない状態だったので、そのツケが年度末の今に押し寄せています。

さて、私が紹介したのは次の記事でした。

出生率が上がった。フランスが少子化を克服できた本当の理由って?

ハフポスト日本版編集部 2016年11月11日 22時23分
http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/11/work-or-child-rearing_n_12910186.html

「フランスでは、1994年に1.66と底を打った出生率が、2010年には2.00超まで回復した。少子化に悩む先進諸国の中で、なぜフランスは「子供が産める国・育てられる国」になれたのか。


約7割が取得する「男の産休」、全額保険でカバーされる無痛分娩、連絡帳も運動会もない保育園――。働きかた、出産や保育の価値観、行政のバックアップと民間のサポート。日本とはあまりに異なる点が多いフランスの出産・育児事情から、私たちは何を学べるのか?


フランスの育児システムについてレポートした『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮新書)を上梓した髙崎順子さんと、作家・少子化ジャーナリストの白河桃子さんの対話から、少子化脱却のための方法を探る。」


なので、この記事と新書を読んでいただければ良いと思います。

なかには色々な政策的なことや社会のこと、ご自身のことが書かれていて、面白いので各自で読んで下さいね。私はこの長いインタビュー記事を以下の140文字で紹介しただけなのです。


フランスの逆転ポイントはここ>

「もし子供を持つことで失われるものがあったら、それは全て政府が補塡します」と。

仏では「男性が途中でいなくなっても、仕事を失っても、あなたの子育ては大丈夫ですよ」という政府のメッセージが女性に届いたから安心して産める。」


これが8000以上の人にツイート(RT,いいね)されているということは、これに相当な感想をもった人が日本に多かったということになるかと思います。


いまいちそれぞれの数値の意味が分からないですが、記録のため、以下貼付けておきます。

インプレッション 396,150
エンゲージメント総数 15,243


さて。重要なのは、このツイートに接してどのようなコメントがきたか、という点。

圧倒的多数が、次のようなものでした。


1)びっくり驚いた

2)羨ましい!

3)日本では考えられない、無理

4)日本はダメだ、地獄


さらにいつもと違っていたのは、引用コメントの多さでした。

とにかく具体的に、女性たちがそれぞれの経験談を語ってくださいました。


とくにこれらの女性に鍵となった言葉が「失ったもの」の部分でした。

そして、「●なしでも大丈夫」の部分。


しかし、女性たちは、たった140文字の枠の中で、その辛さと憧れと諦めを同時に表現していたのです。日本時間では、夜中であろう時間帯に。見知らぬ人達に向けて放たれたつぶやき。一人残らず匿名の声。


このことの深い意味に、私は強く心を動かされました。

私自身が、学生時代に身籠り、日本で子を産み、育てた一人の女として。

結婚し、離婚した者として。

もっとたくさんのものを「失った」母や、祖母や、叔母や、曾祖母や、それに連なる女たちの末裔として。

世界で今日も「失ったもの」を独り、誰知れず、黙って抱きしめる女たちの、

あるいは、「失ったもの」を考えまいとして、がむしゃらに「母」をやってきた女たちのシスターとして。


誤解しないでほしい。

私がそうであるように、女性たちも、母たちも、みな「得たものの方が大きかった」と感じていることを。もうすぐ50年生きたことになるが、子を産み育てる以上の感動に、私は出逢ったことがない。そして、あの赤子がすくすくと成長し、もう旅立ってしまおうとしていることにとてつもない寂しさを日々感じていないとすれば、それは嘘になる。


そして、そのプロセスにおいて、父親を含め、沢山の人達や社会のサポートを受けていなかったかというと、そうではない。確かに受けていたのだし、息子にとって父親の役割の方が今となっては大きい。


ただ今日伝えたかったのは、少子化のことをアレコレいいたい人がいるのはよく分かるし、男性にだって沢山の辛い想いや失ったものの話もあるだろうし、政府だっていろいろやってないわけではないというのも分からないわけではないのだが、一言で表現するならば・・・


そこじゃないんです、きっと。

次の子を産まない・産めない理由は。

あるいは、子を産もうと思わない理由は。


そして、それは当事者の女性が、ぎゅーーーーと心の中で無意識にも意識的にも握りしめていて、決して外に出てこない部分なんだということ。


日本ではね。


でも、フランスではあっけらかんとしてこれが発っせられ、それに「政府が」対応するという。


そこなんだと思う。


自分を説得する必要も、夫やパートナーを説得する必要も、ましてや姑や親、会社や社会やその他を説得する必要がない状態からスタートできるとすれば、それはすごいこと。


「ああフランスだからね」

と女性たちは共感の次に、自分の境遇に戻っていく。

つまり諦めの。

なす術も、変える術ももたず、孤軍奮闘するしかない存在として。


でもね。フランスだって1994年には少子化がどうしようもないところまで行こうとしていて、出生率は下がる一方だった。北欧諸国はもっと早く70年代にこの傾向がはっきりしてしまっていた。


それを跳ね返していったのは、やはり当事者の声だったのです。

「失ったもの」を自己責任、家庭の責任にしない。

ナニカを失うとしても、それを社会全体でサポートしようよ。

否。サポートできる社会に変えていかねばならない、そう気づいて立ち上がった人達がいた。

女性だけでなく。


だって子どもは社会の宝だから。

お母さんだけの、親だけのものではなく。

子は子として命をつないでいってくれる。社会を続けていってくれる。


社会全体の継続、発展にとって、子ども・若者は必ず必要だということを、昔は言わなくても分かっていたものを、今は一人ひとりが他者や社会と断ち切られた関係のなかで生きざるを得ない傾向があるために、あえてこのことを言語化しなければならない時代となっている。


そして、介護の話もそうだったけれど、少子化の話題でも、日本からのレスポンスの根っこは同様だった。つまり、「私たちが決定権を持つ主体」という理解、「私たちの手で原状を変えることができるんだ」という前提が、まるでないという点。


反応の5)は、ズバリこれ。

「政府に、政治家にきかせたい」


もちろん、この政権が無策すぎたということもある。

そして、今の少子化対策と称しているものが、いかに当事者のニーズや想いからほど遠い、あいかわらず自分たちの利権と思いつきの産物かということも。


しかし、じゃあどうして今の政府や政策や政党・政治家がこのノリなのかというと、私たちが文句をいうか諦めるだけで、何もしてこなかったからなのだった。フランスだってスウェーデンだって、少子化がどうしようもないところまでいったことがある。そのときに、政府だけでなく、人々が変えるたい方向に政策を変えようと働きかけを続けたことが大きかった。


民主主義とは、本来こうなんだ。

人々の「こういう社会にしたい」という想いを実現するための制度。

王様や「お上」が決めた社会を耐え忍ぶためにあるんじゃない。

形だけの選挙のためにあるんじゃない。


私たちの「困った…」「もっとこうすればいいのに」を政策という形で実現するために汗をかくのが、政党・政治家・政府・官僚であり、その第一歩として、私たちは声をあげるしかない。


それが例え夜中の匿名のつぶやきであっても、考えていることを、ぎゅーっと抱きしめて唇をかみ続けるのではなく、あるいは、もはや不可能で無駄なこととして見なかったふりをして、なんとかやり過ごそうとするのであれば、私たちより状況の悪い人達、あるいは私たちより若い人達に、もっと過酷な未来を手渡すことになる。


そう。私たちは権利もあるけど責任もあるのだった。

それは今の政権や与党のいうような「義務」ではなく。


日本の政党も政府も変えてあげなければならない。

もう長い間同じメンツで、同じやり方でやってきて、変わることができない以上。

つまり、「こうしてほしい」をどんどん伝えていくところからはじめてみよう。


本当は別のことを書こうと思っていたのだけど、最後にこれを。
ここまでの話から相当逸脱するので、みなくていい人はここまででだいじょうぶ。

でも、「子は社会の宝」と私がいうとき、それはある地域社会内、あるいは一国家内だけのことを念頭においているわけではないことを書いておきたい。それは、単に自分の子が国境をまたいで存在しているということによるわけでもない。もっと長い、長い時間の経過のなかで考えてのことだった。

**


私たちの祖先は700万年かけて進化した。

私たち・ホモサピエンスに至っては、ほんの20万年前にアフリカのわずか数百人から数千人の人々が世界に拡散したものだと言われている。


ある小学校の規模の人々を想像してほしい。

そんな規模のヒトが、命の灯を絶やすことなく、バトンを手渡すように、命をつないできた結果が、今世界にいる私たちの存在なのだということを思い出したい。


ヒトの母さんは、この命のリレーのつなぎ目にあって、何十万年かけて受け継がれてきた不思議を次につないでいる。もちろん、男性あっての命のリレーなことは大前提。ただ、ほ乳類であるヒトのお母さんが背負っているものの大きさを、男性を含めた社会全体だけでなく、お母さん自身も、少し想像してもらえると良いなと。


本当は、そのほかきた移民の出生率押上効果のことなど書きたかったけれど、今日はこれで終りましょう。


氷河期やら干ばつやら、ありとあらゆる危機を乗り越えても、命を受け継いできてくれた、今は亡きたくさんのお母さんやお父さんや、その他の人々に感謝して、、、仕事にもどります。


私が受け継いだ命は、仮装してカーニバルでどんちゃん騒ぎしている夜のことでした。

もうすぐ18歳。成人です。


写真はクリスマスに遊びにきた友人の子どもたち。

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# by africa_class | 2018-02-10 07:00 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

ドイツで家族が寝たきりになった時の介護はどうなるのか?(1)

ずい分サボってました。
が、息子の日本での写真展にご協力、ご来場、ご購入いただいた皆さま、心から感謝申し上げます。帰国したと思ったら、義母が突然の緊急入院で危篤状態になり、年末年始は病院と家の行き来でした。

さてツイッターで少し書いたら、すごい反響だったので、たぶん日本の皆さんは日本以外の介護の実態をあまり知らない、あるいは知りたいと思っているご様子なので、あくまでも個人の経験ということで少し紹介しておきます。

今各種の本の執筆と出版に向けた作業、翻訳・・・(社会活動は前提として)で大忙しでして、とにかく年が明けて、農繁期が目前に迫り、此の2ヶ月が勝負なので、、、政策や別事例を調べるのは多分来年になりそうです。どこかの新聞とか専門家がしっかり調べ、一般向けの発信をすべきと思いますので、どうぞ社会的関心が非常に高いということで、よろしくお願いいたします。

まず、昨日、以下のTWを送りました。

「危篤だった義母が奇跡的に退院見込みでケアマネとの面談。在宅介護を奨励のドイツでは、家に引き取ると、2日以内に電動ベット等必要物が届き、1日3度のカリタス専門家の訪問(排泄物処理・医療対応・風呂)、2千ユーロ(27万円)が家族に支給。すごいわ…。政策が現実に活きるって、そういうものよね」

その後、以下の訂正を入れているのでご確認下さい。
1)この2千ユーロ弱*正確には1995ユーロ(27万円〜28万円)は、介護サービスの提供組織に支払うために家族に支給される。家族の手元には残らない(残してはいけない)。
2)他方、介護サービスを受けずに家族が介護する場合、毎月900ユーロ(12万〜13万円)が家族に対して支給される。これは家族が好きに使っていいお金。

*おむつ代の補助などは未だ調べていません。
*換算レートは135円から140円(今円安です)。

その後の追加情報。
3)義母は退院時は要介護の6段階で最上級(5)となる見込みで、それを踏まえた計算。
4)以上の現金支給は介護保険からすべて出される。
5)介護保険は加入が義務づけられており、その介護負担額は、その人の所得に応じた負担。
6)義母は10月の入院前は要介護2(6段階で真ん中)で、緊急時ケア付きアパートに暮らしていたが、別居家族でも介護の支援を行う人には月315ユーロ(4万2千円〜5万弱)が支給されていた。
<ー家族らが話し合い、義母のアパートの家賃に充当していた。

ちなみにドイツの子ども手当は、2018年度は次のような数字だそうです。
以下のブロガーのサイトにあった数字なので、公式発表を皆さんでご確認下さい(今時間がなくすみません)。でも、大体そうじゃないかなという数字です。
https://dj-finanz.de/post-5019/
1)一人目と二人目:194ユーロ、(2.5万円ぐらい)
2)三人目:200ユーロ(2万7千円ぐらい)
3)四人目:225ユーロ(3万2千円ぐらい)
つまり、4人いると、月額813ユーロ(10万円から12万円弱もらえます)

*ついでに、親一人当たり9000ユーロの税控除があるそうです。
*手当は18歳までだけれど、子どもが大学に行っていれば25歳まで受給可能だそう。(23歳だと思っていたのですが、これもまた調べて必要に応じて訂正入れます)

さて、いただいた反響の代表的なものが以下のもの。順不同。
1)羨ましい。
2)それなら在宅介護もできる。
3)日本じゃ無理。
4)税金高くてもこんな安心もらえるのなら是非。
5)日本の今の政権は弱者切り捨てで、逆の方向に邁進中。
6)日本では家族の責任にされる。
7)財源は?
8)高齢者が増えすぎたら?

さて、最後の二つの点は詳細についてはまた調べて紹介しますね。
でも今の時点でいえる重要なポイントは、すでにTWにも書きましたがこういうことです。

・人口動態は前もってわかること。
・国家・政府・政治の役割は未来予測を踏まえ、手(対策)を打つこと。
・当然少子高齢化が問題とわかったために、子ども手当を大幅に拡充し、子育て世代への支援に乗り出した。
・育休は3年が権利である。

(女性を子どもだけと家に閉じ込める制度になったために逆に少子化になった点もあり、子育て世代の選択肢を増やす方向に舵きりをした。東ドイツ出身のメルケル政権が誕生したこともあり、保育園の整備や制度の推進などが進められてきた。)

・とはいえ、急激には変化は期待できず、少子高齢は問題。そのため、EU域内からの移民の受け入れを積極的に行い、労働人口を増やしている。

(難民問題は複雑なので、ここでは取り上げないが、積極的受け入れを産業界や政権が行っている背景に少子高齢問題があることは否定できない)

あとは、根本的な考え方・アプローチの違いを指摘しておきたいと思います。
1)子育ても介護も、社会全体の課題。
2)家族がやって当然ではなく、それを支える家族を社会が支えようという発想。

(*ただし、子育ては母親が3歳まではすべきという強固な伝統概念がつい最近までは根強かった。が、少子化になって、この路線を変更し、父親の育児参加と保育制度の拡充、女性の社会進出を保障していくことが子どもが生まれると考えられるように)

3)この根っこには、国家と国民の直接的な契約関係(憲法)の意識あり。
4)つまり、主権在民。国家・政府・政治は、主権者である国民に奉仕するためにある。
5)介護や子どもの問題は個人の問題である以上に国家・政府・政治の問題。それを放棄するのは契約違反。
6)あとは、政治はこのようなニーズのためにあり、変えられる。
7)不満があれば、政治にぶつけ、政府や政策を変えればいい。
8)それもせずにただ政府に任せてて権利が獲得・守れるわけがない。おかしいことには声をあげる。あげ続ける。

最後に、働く理由が決定的に違っている気がしています。
・今働くのは生きるためであるが、休暇を愉しみ、年を取ってから休むため。
・働くために働くのではなく、会社のために働くのでもない。
・税金が高くても、将来の安心のためであり、その安心を全体で支えているため。

他方、ドイツにも問題が山積しています。
おかしなところもたくさんある。
政策的におかしなところも。
自動車産業との癒着による排ガス規制の見逃し問題!!
でも、日本みたいな税金の使い方はしていないのは事実ではあります。

例)高齢者がほとんどになるのに何兆円も使ってリニア新幹線を走らせようとか、原発事故起こしたのに政府保証や融資をつけて原発を海外輸出とか、国有財産をお友達に安売りとか、海外にじゃんじゃかバラマキとか・・・。そんなことしたら市民が黙っていない。なんせ、ストライキも普通に日常ですから。

また、煩い市民の目・チェック機能があちこちにある。
そして、心理的に全面的な降伏状態にある国民・・・はほとんどいない。
良くも悪くも皆さん一家言あり、投票に行ってます。

実はうちの町は、保守が強い地域で、CDUの建設会社の社長が一時的に市長をやって、とんでもない癒着・業界利する政治を行いました。それで借金が膨大になり、市民へのサービスを削らなければならない事態になった。

これは今日本でおきている現象と極めて似ています。

それでどうしたか?

30代のSDPの立候補者が、「汚職撲滅、クリーンな政治、住民のための市制刷新」を掲げて選挙に出て当選。
前市長が購入した何千万もするベンツを売り払い、自転車で市役所に通い、数々の財政再建政策を行うとともに、市を活気づかせるためのイベントを地域のミュージシャンやアーティストや住民組織とともに開催。年末には、旧市街にアイスリンクを設置し、そこで市制討論会(市長になんでもぶつけようの会)を開催しています。
現在、極めて高い支持率をもらい、再選が確実です。

このような若者を育て、支える土壌を、日本でもつくっていきたいですよね?

問題があるから無理だ・・・ではなく、問題があるから政治や政府があるのです。
問題がなければ、税金を払う必要はない。
税金はそのためにあるのであって、使途も含めて、その権限を市民が取り戻す必要があるのです。

日本は、すべてを自己責任・家族の責任に押し付けて、政府は本来の仕事を放棄し、税金の使途や政治のあり方にフリーパスを手にしようとしています。それで、既得権益を有する人達や余所の国の皆さんと好きなように最後にのこった国の財産をむさぼり食い尽くし続けたい。文句をいわれることなく。。。

国民・市民・住民のための政治・政策・政府こそが、世界の民主主義国家、日本の憲法の第一原則である主権在民の原点です。政府が私たちに諦めさせようとするのであれば、私たちは諦めてはならないと思います。

政治は変えられる。
いや、変えねばならない。
そして、与党やメディアもふくめ、市民の声をどんどん届け、教育する必要があるのです。
彼らもまた変われる、変わるべき存在。
それを忘れず、声をあげていきましょうね。

*なお介護施設は所得に応じて入れる施設と入れない施設があり、また負担額も個々人の事情に応じてまったく違います。義母は年金と持ち家があったので、探すのも、入るのも、月々の負担もそれなりに大変だったようです。そして、私たち家族は、1年の大半をバラバラに世界のあちこちで過ごすので、現実的には在宅介護は不可能な選択なので、ここから施設との調整になっていくと思います。そこらへんもまた続報でお伝えします。


写真は4年に1度、ある農村コミュニティが主宰して開く「じゃがいも祭り」の様子。終了間近にいったので閑散としていますが、日中は人でいっぱい。村の子どもたちがゴミチームを結成し、7歳ぐらいから9歳までが一生懸命ゴミ拾いしてました。

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伝統的な織物やカゴも販売されていた。



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# by africa_class | 2018-01-11 19:08 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

【確定】初の写真展@深大寺(12/24 - 28):Photographic Journey by Kai Alexander 2017

【写真展】*27日全日・28日1時まで開催

Photographic Journey

by Kai Alexander


深大寺 曼珠苑ギャラリー

日時:2017年12月24日(日)、25日(月)、26日(火)、27日(水)11時〜17時

*28日(木)11時〜13時も開催。


住所:調布市深大寺元町5-9-5(喫茶「曼珠苑」の斜め向かいにあります)

*「深大寺」から徒歩2分。「深大寺水車館」の西隣。
http://bit.ly/2nHmyLg


アクセス:
京王線つつじヶ丘よりバス:深大寺下車 
京王線調布駅乗車~「深大寺入り口」下車交差点東へわたり深大寺へ向かって徒歩1分
JR三鷹駅乗車~「深大寺入り口」下車戻るようにして交差点を左折深大寺へ向かって徒歩1分30秒


出展作品
  • Photographic Journey `vol. I "Venice" (ヴェネチア)
  • Picture Book "Colors of Autumn" (秋の色彩)
  • Posters "Garden"




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# by africa_class | 2017-12-23 10:22 | 【徒然】ドイツでの暮らし

今日の参議院農林水産委員会で農水官僚が知らなかった「小農の権利に関する国連宣言」の残りの仮訳

印鑰智哉さんのご連絡で、本日の参議院農林水産委員会で、現在ドラフト中の「小農と農村労働者の権利に関する国連宣言」の話題が出たが、農水省の官僚は誰一人、この宣言について知らなかった・・・との驚愕の事実が発覚しました。

詳細は、
印鑰さんのフェイスブックをご覧下さい。
https://www.facebook.com/InyakuTomoya/posts/2294271450599672

「川田議員は国連で進められている小農民および農村住民の権利宣言について農水省は知っているかを尋ねると、一人も手を上げない。さらに今年5月に外務省が宣言の反対の答弁を行ったことの問題を指摘した。日本の国会で議論もないまま、外務省が暴走して宣言成立に反対していたことを農水省は知っていたのかと川田議員が質問すると、農水省側はフリーズ、速記が止められる事態に。最終的に農水大臣が今後精査して対応すると述べたに留まった。」

速記が止まる!・・・ほどに知られていないというこの国連宣言。日本の農家の大半が「小規模農家」であることを考えれば、あり得んといいたいことですが、より驚きは、国連人権理事会の日本代表が、日本国を代表して話したことすら、農水省が知らないという現実。

良く考えてみてください。
「小農と農村で働く人びとの権利」は、何も日本以外の国、とりわけ南の国々を対象としているわけではありません。世界中の国連加盟国の小農と人びとを対象としているのです。

その意味で、所管は外務省だけでなく、農水省。なのに知らないという・・・・。
農水省の皆さんも、もう少し勉強しましょう・・・ということ以上に、外務省、どうしてこんな重要なことを農水省に相談せずに批判的な言動や棄権票を投じるんでしょうか。

これについては、過去投稿を。

国連人権理事会での日本政府スピーチを読み解く:「小農の権利に関する国連宣言」

http://afriqclass.exblog.jp/237966234/

こんな状態なので、私の試訳ものんびりやっている場合じゃないんですが、今、本の原稿と校正が2つ佳境を迎えており、かつあらゆる申請書に負われており、ちょっと終らせられない感じです。とりあえず、前文の訳はこちら。

試訳:「小農と農村で働く人々の権利に関する国連宣言」のドラフト(前文)

http://afriqclass.exblog.jp/237968762/

仮訳をしてくださった方の訳をとりあえずご紹介しておきます。
Fatalな間違いはなかったので、残りの作業としては、訳語を統一し、訳されていない部分を訳して完成させることかと思います。
何度も申し上げますが、匿名でこの作業をしてくださった方に心からの賞賛とお礼を。


============

第一条 小農と農村で働く人々の定義

1. 本宣言において、小農とは、自給のためもしくは販売のため、またはその両方のため、一人もしくは他の人々とともに、またはコミュニティとして、小規模農業生産を行なっているか、行うことを目指している人で、家族及び世帯内の労働力並びに貨幣で支払を受けない他の労働力に対して、それだけにというわけではないが、大幅に依拠し、土地に対して特別な依拠、結びつきを持った人を指す。

2. 本宣言は、伝統的または小規模な農業、畜産、牧畜、漁業、林業、狩猟、採取、農業とかかわる工芸品作り、農村地域の関連職業につくあらゆる人物に適用される。

3. 本宣言は、農地及び、移動放牧及び遊牧社会で働く先住民、土地のない人々にも適用される。

4. 本宣言は、その法的地位にかかわりなく、養殖産業の養殖場や農業関連企業のプランテーションで働く労働者、移住労働者、季節労働者にも適用される。


第二条 締約国の一般的義務

1. 締約国は、小農と農村で働く他の人々の権利を、その領域および領域外において、尊重、保護、実現しなければならない。直ちには保障できない本宣言の権利の完全実現を漸進的に達成するため、締約国は、法的、行政的および他の適切な措置を迅速に取らなければならない。

2. 高齢者や女性、青年、子ども、障害者を含め、小農と農村で働く他の人々の権利および特別な必要に関する本宣言の実施に関して、特別な注意を払わなければならない。

3. 小農と農村で働く他の人々の権利に影響を及ぼす可能性がある法律、政策、国際条約、他の意思決定の採用、実施の前に、先住民に関する特別な法律を無視することがないよう、締約国は、小農と農村で働く他の人々の自由意志に基づく、事前のインフォームド・コンセントを得るため、自らを代表する機関を通じて、誠意を持って、小農と農村で働く他の人々と協議、協力しなければならない。

4. 締約国は、人権義務に一致するやり方で、貿易、投資、金融、税制、環境保護、開発協力、安全保障分野も含め、国際協定および基準を具体化、解釈、適用しなければならない。

5. 締約国は、関連する国際協定と基準を、人権上の義務と一致するように、具体化、解釈、適用しなければならない。

6. 締約国は、本宣言の目的および目標の実現のための各国の努力を支援する国際協力の重要性を認識しつつ、この点に関して、適切な場合には、当該の国際、地域機関、市民社会、とりわけ、小農と農村ではたらく他の人々の組織と協力して、適切かつ効果的な措置をとらなければならない。そのような措置には以下のものが含まれうる。

a) 当該の国際協力は、国際開発プログラムを含め、小農と農村で働く他の人々を包摂し、利用可能で、かつこうした人々にとって役立つものにする。

b) 情報、経験、訓練プログラム、最良の実践についての情報交換と共有を含め、能力構築の促進と支援

c) 研究および、科学・技術知識へのアクセスにおいて協力を促進

d) 適切な場合には、技術・経済支援の提供、利用可能な技術へのアクセスとその共有を促進、(特に途上国に対して)技術移転を通じて

e) 極端な食料価格の変動と投機を抑制するため、世界規模で市場の運営の改善および、食料備蓄に関するものを含め、市場情報への時宜にかなったアクセスの促進

第三条 平等および差別の禁止

第四条 小農女性と農村で働く女性の権利

1. 締約国は、男女平等に基づき、小農女性と農村で働く女性が、あらゆる人権と基本的自由を十分かつ平等に享受し、農村の経済、社会、文化的開発を自由に追求し、それに参加し、そこから利益を得るように、これらの女性に対する差別を撤廃する適切な措置をすべてとらなければならない。

2. 締約国は、小農女性と農村で働く他の女性が差別を受けることなく、本宣言と、他の国際人権条約に定められた全ての人権、基本的自由を保障しなければならない。その中には以下の権利が含まれる。

a) 開発計画の作成と実施について、あらゆるレベルで意味ある参加をする権利

b) 家族計画についての情報、カウンセリング、サービスを含め、適切な医療施設にアクセスする権利

c) 社会保障制度から直接利益を得る権利

d) 機能的識字力に関する訓練、教育を含め、公式、非公式を問わず、あらゆる種類の訓練、教育を受ける権利、技術的熟練度を引き上げるため、あらゆるコミュニティサービスや農事相談事業から利益を得る権利

e) 雇用と自営活動を通じて経済機会への平等なアクセスを得るため、自助グループと協同組合を組織する権利

f) あらゆるコミュニティサービスに参加する権利

g) 農業信用取引、融資、販売施設、適切な技術にアクセスする権利、土地と天然資源にかかわる平等な権利

h) 既婚あるいは未婚であるかどうか、土地保有制度の違いにかかわらず、土地と天然資源への平等なアクセス、利用、管理を行う権利、土地と農地改革、土地再定住計画において平等または優先的に扱われる権利

i) ディーセントな雇用と、平等な報酬、手当を受け取る権利、収入創出のための活動に参加する権利

j) 暴力を受けない権利

k) 婚姻、家族関係に関して、法的にも実質的にも、平等かつ公正に扱われる権利

第五条 天然資源に対する権利と開発の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、適切な生活条件を享受するのに求められる、自らの居住地域に存在する天然資源にアクセスし、利用する権利を有する。小農と農村で働く他の人々は、これらの天然資源の管理に参加し、開発の利益を享受し、居住地域の保全の権利を持つ。

2. 小農と農村で働く他の人々は、開発の権利を執行する上で優先事項と方針を決定および作成する権利を有する。

3. 締約国は、小農と農村で働く人々が伝統的に保有、利用する天然資源のいかなる開発についても、以下事柄に基づいて認可されるように措置をとらなければならない。

a) 小農と農村で働く人々が個人および集団として関与し、技術的な能力を持つ独立機関が正当に行う社会環境影響評価

b) 小農と農村で働く他の人々の自由な、事前のインフォームドコンセントを得るための誠実な話し合い

c) 天然資源を開発する人々と、小農と農村で働く他の人々の間の、相互に合意した条件に基づき打ち立てられた、そのような開発の利益を共有するための手順

第六条 生命、自由、安全の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、生命、身体的および精神的インテグリティ〔不可侵性〕、自由、安全の権利を持つ。

2. 小農と農村で働く他の人々は、恣意的な逮捕、拘束、拷問、他の残酷かつ、非人間的または下劣な待遇や処罰にさらされてはならないし、奴隷にされたり、隷属状態に置かれてはならない。

第七条 移動の権利

第八条 思想、言論、表現の自由

第九条 結社の自由

第十条 参加の権利

第十一条 生産、販売、流通に関わる情報の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、自らの生産物の生産、加工、販売、流通に影響を及ぼす恐れのある要素に関する情報を含め、情報を要求し、受け取り、整備し、開示、知らせる権利がある。

2. 締約国は、小農と農村で働く他の人々が、自らの生命、土地、生計に影響を及ぼす恐れのある事柄において、意思決定への効果的参加を保証する文化的方法に合った言語、形式、手段を用い、透明かつ時宜にかなった、適切な情報にアクセスできるようにするため、適切な措置をとらなければならない。

3. 小農と農村で働く他の人々は、地元、全国、国際レベルにおいて、自らの生産物の質を評価・認証する公平かつ公正な制度を持つとともに、多国籍企業が制定する認証制度を拒否する権利がある。

第十二条 司法へのアクセス

第十三条 働く権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、自らの生計をたてる方法を自由に選択する権利を含め、働く権利を有する。

2. 締約国は、小農と農村で働く他の人々とその家族の生計のため適切な水準の報酬を提供する、働く機会をもつ環境を構築しなければならない。農村において高い水準の貧困に直面する国において、他の部門において雇用機会がない場合、締約国は、雇用創出に寄与できるよう十分に労働集約的な食料制度を構築・促進するため、適切な措置をとらなければならない。

3. 締約国は、小農の農業と小規模漁業の特別な性格を考慮し、農村地域で労働監督官の効果的な活動を保証するため、適切な資源を配置することによって、労働法の順守を監視しなければならない。

4. いかなる人に対しても、強制、奴隷労働を求めてはならない。締約国は、小農と農村で働く他の人々、これらの人々を代表する組織と協議、協力して、女性、男性、子供の借金による束縛、漁民と漁業労働者の強制労働(季節労働者と出稼ぎ労働者を含む)、経済的搾取からのこうした人々を保護するため、適切な措置を取らなければならない。

第十四条 職場での安全および健康の権利

第十五条 食料への権利と食料主権

1. 小農と農村で働く人々は、適切な食料の権利と、飢餓を逃れる基本的な権利を有する。この中には、食料を生産する権利、最高の身体的・感情的・知的発育を享受する可能性を保証する適切な栄養を受け取る権利がある。

2. 小農と農村で働く人々は、食料主権を有する。食料主権は、社会的に公正かつ生態に配慮した方法で生産された健康によい、文化的に適切な食料に対する人々の権利である。その中には、決定参加の権利、自らの食料と農業システムを決める権利が含まれる。

3. 締約国は、小農と農村で働く人々と連携し、地元、全国、地域、国際レベルで、食料主権を促進、保護する公共政策および、他の農業、経済、社会、文化、開発政策との整合性を確保するメカニズムを作成しなければならない。

4. 締約国は、小農と農村で働く人々が、持続可能かつ公正な方法で生産・消費され、文化的に受容できる十分かつ適切な食料に対して、物理的・経済的アクセスをする権利を常に享受できるようにするとともに、将来の世代による食料へのアクセスを保障し、個人としても集団としても、彼らが物理的にも、精神的にも充実した、尊厳ある生活をおくれるようにしなければならない。

5. 締約国は、プライマリ・ヘルス・ケアの枠組みも含め、とりわけ、すぐに利用できる技術の適用、適切な栄養のある食料の提供を通じ、女性が、妊娠および授乳期間に適切な栄養を確保できるようにすることによって、農村の子供たちの栄養不良とたたかうため適切な措置をとらなければならない。また、親や子供たちをはじめ、社会の全ての構成員が十分な情報を提供され、栄養教育を受けることができ、子供の栄養と母乳育児の長所に関する基本的知識の利用において支援を受けることができるようにしなければならない。

第十六条 ディーセントな所得と暮らし、生産手段の権利

1. 小農と農村で働く人々は、自らと自らの家族のため、ディーセントな所得と暮らしを得る権利、生産用具、技術支援、融資、保険や他の金融サービスを含め、それらを実現するのに必要な生産手段を得る権利を有する。また、個人としても集団としても、農業、漁業、畜産を伝統的な方式で行い、地域社会を基盤とした市場を形成する権利を持つ。

2. 小農と農村で働く人々は、ディーセントな所得と暮らしを保証する価格で、地元、全国、地域の市場で生産物を販売するのに必要な運輸、加工、乾燥の手段や貯蔵施設を用いる権利を持つ。

3. 締約国は、小農と農村で働く他の人々とその家族が適切な生活水準を達成できる価格で自らの生産物を販売するため、十分かつ公平な市場へのアクセスと参加を促進・保障する方法で、地元、全国、地域市場を強化・支援する適切な措置をとらなければならない。価格は、小農と農村で働く他の人々、その組織が参加する公平かつ透明な手続きを通じて設定されなければならない。

4. 締約国は、自らの農村開発、農業、環境、貿易、投資政策とプログラムが、地元で生計をたてる選択肢の増加、環境持続可能な農業生産様式への移行に効果的に寄与できるようにするためあらゆる措置をとらなければならない。締約国は、可能な場合は常に、アグロエコロジー生産、有機生産、持続可能な生産および、農家から消費者への産直販売を促進しなければならない。

5. 締約国は、自然災害や、市場破綻など他の重大な混乱に対する小農の復元力を強化するため適切な措置をとらなければならない。

第十七条 土地と他の天然資源に対する権利

1. 小農と農村に住む他の人々は、個人としても、集団としても、適切な生活水準を実現し、安全、平和かつ尊厳を持って暮らす場所を確保し、自らの文化を育成するのに必要な土地、水域、沿岸海域、漁場、牧草地、森林を保有する権利がある。

2. 締約国は、婚姻関係の変更、法的能力の欠如、経済的資源へのアクセスの欠如がもたらすものを含め、土地所有権に関するあらゆる差別を撤廃・禁止しなければならない。特に、これらの権利を相続または遺贈する権利を含め、男女に対して平等に土地保有権を保障しなければならない。

3. 締約国は、現在法律で保護されていない、慣習的土地保有権を含め、土地保有権を法的に認知しなければならない。借地権を含め、あらゆる形の保有権はすべての人に対して、強制立ち退きに対する法的保護を保証するものでなければならない。自然の共有地及び、それと結びついた共同利用・管理制度を認知、保護しなければならない。

4. 小農と農村地帯で働く他の人々は、土地や常居所からの恣意的な立ち退きに対して保護される権利、または、活動に使用し、適切な生活水準を享受するのに必要な天然資源を恣意的に剥奪されない権利がある。締約国は、国際人権・人道法の基準に従って、立ち退きや剥奪に対する保護を、国際人権、人道法に則った国内法に盛り込まなければならない。締約国は、罰則措置や戦争の手段としてのものも含め、強制退去、住宅の解体、農地の破壊、土地と天然資源の恣意的没収と収用を禁止しなければならない。

5. 小農と農村で働く他の人々は、個人としても集団としても、恣意的または違法に奪われた土地に帰還する権利、自らの活動で用いられ、適切な生活水準の享受に必要な天然資源へのアクセスを回復する権利、帰還が不可能な場合には、公正・公平な補償を受ける権利を持つ。締約国は、自然災害または武力紛争、あるいはその両方によって土地を追われた人々に対して、土地やその他の天然資源へのアクセスを回復しなければならない。

6. 締約国は、(特に、青年と土地のない人々に対して)活動で用いるとともに適切な生活水準の享受に必要な土地と他の天然資源への広範かつ公平なアクセスと、包摂的な農村開発を促進するため、再分配のための農地改革を実施しなければならない。再分配改革は、土地、漁場、森林への男女の平等なアクセスを保証し、土地の過剰な集中と支配の社会的機能を考慮し、それを制限しなければならない。公有の土地、漁場、森林の分配の際には、小農、小規模漁民、他の農村労働者を優先しなければならない。

7. 締約国は、アグロエコロジーを含め、生産に用いられ、適切な生活水準の享受に必要な土地および他の天然資源の保全と持続可能な利用のための措置をとるとともに、バイオキャパシティ〔環境収容力〕や他の自然の収容力およびサイクルの再生のための条件を保障しなければならない。

第十八条 安全かつ汚染されていない健康に良い環境への権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、安全かつ汚染されていない、健康によい環境への権利を有する。

2. 小農と農村で働く他の人々は、環境および土地または領域、資源の生産力を保全、保護の権利を有する。締約国は、この権利を保護し、差別することなく、小農と農村で働く他の人々のため、その権利の完全な実現のため適切な措置をとらなければならない。

3. 締約国は、気候変動とたたかう国際的義務を順守しなければならない。小農と農村で働く他の人々は、実践や伝統的知識を用いることなども含め、国および地元の気候変動適用・緩和政策の作成と実施に加わる権利を有する。

4. 締約国は、自由意志に基づく、事前のインフォームドコンセントなしで、小農と農村で働く他の人々の土地または領域に、有害物質を貯蔵または廃棄されることがないよう効果的な措置をとるとともに、国境を超える環境破壊がもたらす、権利享受への脅威に対して協力して対処しなければならない。

5. 締約国は、小農と農村で働く他の人々の権利の保護に直接、間接に寄与する環境法を実施することなどによって、非国家主体による有害な措置〔abuses〕からこれらの人々を保護しなければならない。


第十九条 種子の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は種子に対する権利を持ち、その中には以下の内容が含まれる。

a) 食料と農業のための植物遺伝資源にかかわる伝統的知識を保護する権利

b) 食料と農業のための植物遺伝資源の利用から生じる利益の受け取りに公平に参加する権利

c) 食料と農業のための植物遺伝資源の保護と持続可能な利用にかかわる事柄について、決定に参加する権利

d) 自家採種の種苗を保存、利用、交換、販売する権利

2. 小農と農村で働く他の人々は、自らの種子と伝統的知識を維持、管理、保護、育成する権利を持つ。

3. 締約国は、種子の権利を尊重、保護、実施し、国内法において認めなければならない。

4. 締約国は、十分な質と量の種子が、播種を行う上で最も適切な時期に、手頃な価格で小農が利用できるようにしなければならない。

5. 締約国は、小農が自らの種子、または、自らが選択した地元で入手できる他の種子を利用するとともに、栽培を望む作物と種について決定する権利を認めなければならない。

6. 締約国は、小農の種子制度を支持し、小農の種子と農業生物多様性を促進しなければならない。

7. 締約国は、農業研究開発が、小農と農村で働く他の人々の必要に対して向けられるようにしなければならない。締約国は、小農と農村で働く他の人々が、研究開発の優先事項やその開始の決定に積極的に参加し、彼らの経験が考慮され、彼らの必要に応じ孤児作物や種子の研究開発への投資を増やすようにしなければならない。

8. 締約国は、種子政策、植物品種保護、他の知的財産法、認証制度、種子販売法が、小農の権利、特に、種子の権利を尊重し、小農の必要と現実を考慮するようにしなければならない。

第二十条 生物多様性の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、個人および集団として、生物多様性と、農業、漁業、畜産を含む関連知識を保全、維持、持続可能な方法で利用、発展させる権利を持つ。また、小農と農村で働く他の人々の生存と農業生物多様性の更新が依拠する伝統的農業、遊牧、アグロエコロジー制度を維持する権利を持つ。

2. 小農と農村で働く他の人々は、生物多様性の保全と持続可能な利用にかかわる自らと結びついた知識、イノベーション、慣行を保護する権利を持つ。

3. 締約国は、生物多様性と遺伝資源の枯渇を防ぎ、それらの保全と持続可能な利用を保障し、小農と農村で働く他の人々の関連する伝統的知識の保護と促進、これらの資源の利用から生じる利益の受け取りへの公平な参加のため、当該の国際協定の義務に則った適切な措置をとらなければならない。

4. 締約国は、遺伝子組み換え生物の開発、取引、輸送、利用、移動、リリースから生じる小農と農村で働く他の人々の権利侵害のリスクを制御、防止、削減しなければならない。

第二十一条 水と衛生の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、生命の権利とすべての人権の完全な享受のために不可欠な、安全で清潔な飲み水と衛生の権利を持つ。また、良質で、手頃な価格で、物理的にアクセス可能で、非差別的で、文化的およびジェンダー条件上も受け入れ可能な水供給制度と処理施設の権利を持つ。

2. 小農と農村で働く他の人々は、農業、漁業、畜産に求められる水の権利および他の水にかかわる生活を確保する権利がある。小農と農村で働く他の人々は、水と水管理制度に公平にアクセスする権利を持ち、水供給を恣意的に絶たれたり、汚染されたりしない権利を有している。

3. 締約国は、慣習的な地元社会に基づく水管理制度におけるものも含め、公平な条件で、水へのアクセスを尊重、保護、確保するとともに、特に遊牧民、プランテーション労働者、季節労働者(法的地位にかかわりなく)、非正規、非公式に移住し暮らしている人々など経済的に不利な立場に置かれたり、脇に追いやられた人々に対してなど、個人、国内、生産的利用のため手頃な価格の水と、処理施設の改善を保障しなければならない。

4. 締約国は、湿地帯、池、湖、川、小川などの天然水資源、流域、帯水層、地表水源を、過度の使用や、すぐにあるいは時間をかけて汚染をもたらす工場排水やミネラルおよび化学物質の集積など、有害物質による汚染から保護し、それらの再生を保障しなければならない。

5. 締約国は、第三国が、小農と農村で働く他の人々が水の権利を享受することを損なうのを防止しなければならない。締約国は、人間の必要、小規模食料生産、生態系の必要、文化的使用を水利用の優先事項としなければならない。


第二十二条 社会保障の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、社会保険を含む、社会保障の権利を持つ。また、当該の国際および国内労働法に基づき制定された全ての社会保障権を十分に享受する権利を有する。

2. 農村の出稼ぎ労働者は、法的地位にかかわりなく、社会保障に関して平等な待遇を受けなければならない。

3. 締約国は、社会保険を含め、小農と農村で働く他の人々の社会保障の権利を認め、国内の状況に則って、基本的社会保障制度の保証からなる社会的保護の土台を構築・維持しなければならない。この基本的社会保障制度を通じて、生涯にわたって、必要なすべての人が、基本的な医療、所得保障(これらは合わさって、国内において必要と定められる物品とサービスを効果的に利用できるようにする)を受けることを最低限保証しなければならない。

4. 基本的社会保障制度の保証は、法律で定めなければならない。公平、透明、効果的かつ金銭的に利用可能な苦情処理および不服申し立て手続きが明記されなければならない。国内の法的枠組みにより適合したものにするための制度を導入しなければならない。

第二十三条 健康の権利

第二十四条 適切な住宅の権利

第二十五条 教育と訓練の権利

第二十六条 文化的権利と伝統的知識

第二十七条 国際連合と他の国際機関の責任

1. 国際連合、国際および地域金融機関を含む、他の政府間組織の専門機関、基金、プログラムが、とりわけ開発支援および協力の実施を通じて、本宣言条項の完全な実施に寄与しなければならない。小農と農村で働く他の人々が、自らに影響を及ぼす事柄について参加を保証する財源を確保しなければならない。

2. 国際連合、専門機関、基金、プログラム、国際および地域金融機関を含む他の政府間組織は、本宣言の条項の尊重と、その完全な適用を促さなければならない。



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# by africa_class | 2017-12-06 03:32 | 【国連】小農の権利宣言

セラードの森の中で暮らす人びと:日本企業の大豆プランテーションのすぐ横で営まれるアグロフォレストリー

今日も寒いですが、トロピカルを懐かしがって「セラードの森」について。
今度のセラードの森は、後に日本の企業が購入した大プランテーションのすぐ近くの森について。
元々そのプランテーションがあった場所に暮らしていて立退きを迫られて各地を点々としていたご家族が、ルーラ政権の「土地改革」で土地をもらって、自給の生活を始めて10年近くが経過した暮らしぶりの様子です。

前回の記事に出てくる「川べりのコミュニティ」の若者たちが教会で出会って、この「土地改革で新設したコミュニティ(アセンセアメント)」に行って感動したという話を少ししました。自らの伝統農業の経験とアグロエコロジーを融合させ、発展させたおじいちゃんのお宅にお邪魔しました。

教会のセミナーには、このような背景の人達が沢山きていたのですが、なぜこのおじいちゃんのお宅にいこうとおもったかというと、教会の中庭で落ちていた果物から種をせっせと採っていたからです。

そのうち種の話は別途したいと思います。
で、このコミュニティは、日本企業のものを含め、周りを大豆プランテーションに囲まれています。が、ルーラ政権時に、土地なしになっていた農業労働者らが土地の占拠を行い、闘い続けた成果として、政府から土地が与えられたということで、原生林というよりは、この10年の歳月にせっせと種を植えてここまでの森になった部分が大きいということを念頭においていただければ。

つまり、植生は古来からあるセラードの森というわけではないのですが、セラードにある果樹を中心に植えた結果ではあります。アグロエコロジーの手法の中でも果樹は重視されてはいますが、ブラジルのセラード地域で実践されているそれは、とくにアグロフォレストリーに近いものが採用されています。その理由は前回書いたとおり、フルーツの種類があまりに豊富でかつ栄養価が高く美味しい・・・に尽きます。街で売る事ができることも重要な一要素です。

では、おじいちゃんがせっせと育てた「セラードの森」をどうぞお楽しみ下さい。

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これは、自宅から畑、畑から森、森からフィッシュポンド(魚の池)に向かっているところで、途中に養蜂の箱があります。ハチは蜂蜜や蜜蝋を提供してくれるばかりか、自然受粉においても重要な役割を果たしてくれます。

照りつけるようなブラジル北東部の太陽を浴びてきた身には、なんとも嬉しい木陰に空気の湿っぽさです。


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この木々を抜けると・・・

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出ました。自家製、フィッシュポンド(魚の養殖のための貯水池)。
ここには、アヒルも暮らしており、アヒルのふんが魚の栄養になっています。
掘る時にはショベルカーのヘルプをもらったとのこと。
ブラジルには、土地改革後の住民のための小口融資制度があるのです。

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池から自宅に戻る途中で振り返って写した写真。
遠くに見えるのはパパイヤの木々。パパイヤは採れば採るほど背が高くなるので、最後はこんな幹事にそびえ立つようになりますが、こんな背か高いのを見るのはひさしぶりかも。手前の低灌木の中にはコーヒーの木が。コーヒーの木は日陰が好きなので、少し日陰の部分にあります。

あとは、トウモロコシ、豆類、野菜類などもあちこちで栽培中。大豆は生産していない。種は遺伝子組み換えだし、したところで企業の量と価格に張り合えるわけもなく、かつ地元の人は食べないからです。あとは、ニワトリなども飼われていました。

ちなみに最初は大変だったけれど、ほとんど手入れもしていないとのことで、自然が勝手に育つのに任せているそうです。

自宅も手作り。2LDKのしっかりとした平屋。テレビも冷蔵庫もある。でも、やっぱ極めつけはコレ。家主がよんでも出てこなかったので、勝手に皆であがったら、これがテーブルの上にデーンとおいてあった。

運転手の青年が嬉しそうにゴクゴク飲んでた。つまり・・・

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放牧された牛のミルク。
犬とおじいちゃんで牛たちをコントロールしつつ、牛乳をふんだんに飲み、果物や魚を食べ、余剰を街に売りに行く生活。そうやって街に子どもたちが学校にいく際に使う家もプレゼントこの地域の「伝統的コミュニティ」の多くは、放牧をかつて営んでいた人達です。

ちなみに放牧地を含まないおじいちゃんの敷地面積は2ヘクタールほど。日本から行くとそれでも相当広く感じられますが、一人で手に負える範囲のアグロフォレストリーガーデンが維持されている感じがありました。

で、このコミュニティから少し行くと未だ森が残っており、かつての植生を実感させてくれます。これだけ見ても、JICAのいう「不毛な大地」とはかなり違う印象かと思います。そして、「閉ざされた地帯=cerrado」と呼ばれていた理由も分かるかな、と思います。

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しかし、このような森は道路沿いには、もはやほとんど残っていません。見える範囲だけでも1割以下ではなかったかと思います。それぐらい凄まじい森林伐採が行われたことが実感できます。

その結果、広がった風景とは?
この地域にくるまでの風景はこんな感じの大豆畑が延々と続いていたのでした。まさに裸にされた大地。保護林が申し訳程度にあるものの、この権利証もあちこちの農場に使い回しされており、実際の保護林の面積は極めて小さい。

実態としては、土地収奪の「免罪符」のように使われているので、「保護林を守ればいい!」という主張は先住民族やその他の昔から暮らしてきたコミュニティの人びとにとっては何の意味もないです。

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おじいちゃんのコミュニティのすぐ近くには日本企業が買収した大豆農場が。こちらは裏作のソルガムが植わっているので、みたところ土がむき出しには見えないので「緑」な印象がありますが、実態としては、おじいちゃんの森や昔からある森にみられた多様な生き物の生態系は皆無。

ひたすら土にソルガムだけが植わっている状態。土も直射日光をあびてぱさぱさ。なので、地下水を大量にくみ上げて水をやり続けている状態なのです。この企業も巨大な貯水池を準備していますが、ひたすら二種類の作物に水をまくだけ。そして、なにより、大豆は遺伝子組み換え。そして、農薬と化学肥料をがんがんに与えられている。
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おじいちゃんの畑には化学肥料は一切使われていませんでした。
豊かな森の恵みである葉っぱ、鳥たちのふん、常に湿った空気によって、土がよい状態になっているのでしょう。そして、その土にあった種を自家採取し続けた結果ともいえるし、土地・地域の気候にあったものしか育てていないからともいえます。

たった2種類の作物を輸出するために、あれほど豊かな自然が奪われている状態を、少し身近に感じていただければ。この農場で働いている人は数十人程度(しかも季節労働者)。土地面積はおじいちゃんの敷地の250倍でようやく500ヘクタール。おじいちゃんの家族は6人家族だったので、その家族が食べて暮らせて現金を入手して街に家まで建てられたことを考えると、小農やムラに暮らす地元の人びとを豊かにするという意味では、どちらのモデルが有効なのか、しっかり考えたいですね。

まずは知ること。
何が起きたのか?
かつてはどうだったのか?
オルタナティブはどんなものがあるのか?

今さらという感じは否めませんが、遅すぎることはない。
なぜなら、日本の官民がこの地域により関与を深めているからです。
まずは、そこから始めていきましょう。



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# by africa_class | 2017-12-05 09:06 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

見たことある?「セラード」の森:「川べりに暮らす人びとのコミュニティ」を守るには

12月に入ると俄然クリスマスのムードが盛り上がってくる。
とともに、寒さも増し、普通に毎日零下が続く。

だけど今日は熱帯(トロピカル)の話をしようと思う。
今、原稿用の写真ファイルを見てて、未だ紹介してなかった「セラードの森」の写真を紹介したいな、と思ったので。原稿に疲れたのでひと休憩も兼ねて。

なぜって、依然として日本の皆さんのイメージは「セラード=不毛の大地」ですよね?
でも、違うんです。
今日のお話と写真はそのことについて。

去年6月、ブラジルの市民社会から「すぐ来い」と言われたので行ってみた・・・報告です。1年半もかかってすみません。

なぜ呼ばれたのかというと、またしても「日本が・・・」だったのですが、これは過去の投稿をご覧下さい。要は、アマゾン周辺のセラード地帯から港に向かうインフラを整備して内陸部でガンガンに農業開発をする・・・MATOPIBA計画です・・・。詳細は以下の投稿を。

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

http://afriqclass.exblog.jp/237969424/

未だ病気が完治していないので、とっても迷った。
ブラジルなんといっても二十数年ぶりだし…・。
そもそも、私、アフリカでも手一杯。
なんでラテンアメリカまで…。

でも、自分の目で見て、耳で聞いて、感じなきゃ・・・というのもあった。

「セラードの森」
なんとも神秘的な響きだ。

ということで、この投稿ではセラードの森を紹介。

まず基礎知識。

「セラード」の言葉の語源を考えれば、「不毛」などという言葉がいかに間違っているか明らかなのに、日本の援助関係者の流布するイメージのせいで、「セラード」を「森」に連動させてイメージする日本の人はほとんどいないでしょう。

JICAが使う写真が、きまって草ぼうぼう(何故かいつも枯れている…)の向こうにちらりとまばらな木々が見えるものだったりするので、このイメージが付きまとう。

自分の目で確認して下さい。
https://www.jica.go.jp/story/interview/interview_75.html
https://www.jica.go.jp/topics/2009/20090525_01.html
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/oda/2012121405.pdf

でも、セラード=Cerradoは、Cerrar「閉じる」という動詞の受動態。なので「閉ざされた」。つまり、「濃い森によって閉ざされた地帯」の意味なのです。

エーーー?!

日本のアグリビジネスや援助関係者には是非驚いてほしいところ。

じゃあ、なんで殊更「不毛の大地」と呼称し続けるのか?
しかも、最初にそう呼んだ1938年フランス人探検隊の呼称を使い続ける「目線」が、本当に失礼千万かつコロニアルですが、その話は前にもしたし、また今度。

一点どうしてもいいたいのは、セラード農業開発の関係者が繰り返し使う「原野」という表現。これは「雑草や低木の生えている荒れ地や草原。未開拓で人の手の入っていない野原」の意味ですが、非常に恣意的な表現。Cerradoの語源を考えるだけでも、この地域が「野原」であるとは言えない。ましてや「荒れ地」…。

閉ざされた森林地帯のセラードは、アマゾンに次ぐ重要な森林地帯であるばかりか、生物多様性の宝庫。植物だけで1万種以上が確認され、セラード固有の植物がその45%を占める。動物たちも含め絶滅危惧種のホットスポットとなっているほど、自然豊かな地帯であったのが、アグリビジネスの進出で地球上で最も激しく森林伐採と土地収奪が行われているところの一つになっています。

Landmatrixのデータでも、世界4位の土地取引先がブラジルで、300万ヘクタールを超える(これは日本の総耕地面積に近い広さ)。すでに多くの土地が開墾されてしまっているので、新たな取引は森林や先住民族らが暮らす地域をターゲットにしていると考えられます。<=ここは詳細なる調査が不可欠。
http://www.landmatrix.org/en/get-the-idea/web-transnational-deals/

さて、その急速に奪われつつある森と水と土地の話はすでにしたので、今回紹介したいのは、「セラードの森」とそこで暮らす人びとの闘いについて。

まずは、セラードの森を。

といっても、アグリビジネスの恐ろしいまでの展開スピードで、現在残されている森は人びとが守ってきたものだけ。ですので、人びとが共に暮らしながら守る「里森」のようなものであって、手つかずの自然というわけではないことを念頭においていただければ。

また訪問先は、MATOPIBA計画の対象地であるマラニャオン州、トカチンス州、ピアウイー州の森。
まずは、先のブログ記事で少し紹介した(下記)、「川べりに暮らす人びと(リベイラオン)のコミュニティ」の話を最初に取り上げます。とくに、どうやってこの森が生き延び、今危機の中で守られているのかについて。

Thanksgivingに新書のスケルトンを終えて:「欲望という名の列車」から降りることについて

http://afriqclass.exblog.jp/238014098/

なお、川べりの植生なので「濃い森」ではありません。あしからず。

では、ピアウイー州とマラニャオン州の境の「川べりに暮らす人びと」のコミュニティの森と木々、果物、人びとの話を聞いてみてください。

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どの木も食べられる実がなる果樹で、人びとの大切な栄養の源になっている。とくに、子どもたち。

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そして、アフリカでもブラジルでも、人が集まるところには必ずある木。
もちろん、マンゴーの木もありました。マンゴーの木の下は、川のそばの、皆が捕れたての魚をさばいたり、グリルで食べるための憩いのスペースとして活用されています。

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まだ熟していないマンゴー。
ブラジルのマンゴーはモザンビークのものと違って鮮やかなオレンジ色で小さい。
モザンビーク北部のは白くて大きくて桃のような味。
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このコミュニティが守られてきたのは、川経由で船がないと近寄れないほど、濃い森に覆われていていたため。でも、最近は土地を狙った動きに「水源」を奪おうとする動きが加わって、このコミュニテイも頻繁に収奪の危険に曝されている。
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行政が勝手にこの土地をアグリビジネスに引き渡したのでした。
ブラジルでは土地収奪において行政の偽文書の役割は大きく、さらにこれを実力行使するために使われる常套手段が、ビジネス主が雇った武装集団による追い出し作戦。その中には地元警察官が含まれていること多々。このコミュニテイも、そのような武装集団に何度も襲撃されています。

コミュニティが助けを求めたのがカトリック教会。
隔離されたコミュニティにとって、NGOや弁護士は遠い存在。
警察も行政もアグリビジネスやギャングとグル。
教会しか駆け込む先がないのです。

その話の詳細は前の投稿を。
ただ、写真をここにも貼っておきます。
ブラジルの教会は「不正義に闘う教会」です。
クリスマスが近づくこの季節に是非その事を知ってほしいと思います。

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カトリック教会の「土地司牧委員会CPT」は、このコミュニティで会議をすることにしました。コミュニティや教会だけでなく、NGOや弁護士やその他の皆が「ウォッチしているよ」というメッセージも、隔離されたコミュニティには非常に重要だということです。
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ブラジルの憲法には、「伝統的コミュニティ」というカテゴリーがあり、その領域は本来権利が守られることになっています。これは、国連のファミリー組織であるILO(国際労働機関)の条約でもそうです。

これを日本の人が理解するのが難しいのですが、「先住民族コミュニティ」「アフリカ系コミュ二ティ」の総称ではなく、色々なところから来た人びとが何十年(何百年)にもわたって作り上げてきたコミュニティのことです。このコミュニティも、先住民族、アフリカ系、ヨーロッパ系など様々な先祖を持つ皆さんが暮らすコミュニティです。顕著な文化・暮らしを営んでいることがその条件で、このコミュニティもそれに当たります。

ルーラ政権の誕生で、これらの人びとは大学入学の優先枠(アファーマティブアクション)を与えられ、このコミュニティの何人かの若者も近くの大学で勉強しています。そこで、ある若者が州立大学の農学部で学んだ知識で菜園を始めたそうです。でも、その後、土地問題を一緒に取り組んだ教会の皆さんに学んだアグロエコロジー講座の方が役に立つと気づき、今菜園を変えようとしているそうですが、未だその途中ということで、恥ずかしがりながら菜園を見せてくれました。

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この「伝統コミュニティ」で農業が盛んでなかった理由は簡単です。
森が果物を与え、川が魚を与えていたからです。

北東部の人びとに「セラードに特徴的なことは?」と聞くと何人かは必ず「フルーツ!」といいます。それぐらいセラードのフルーツは住民に愛されている食べ物であり、飲み物でもあります。道路脇のスタンドには、大抵セラードのフルーツのジュースが売られています。

「食料」の話では、とかく農業がフォーカスされがちですが、「漁業」「酪農」もまた重要な生業です。そして、特に何もしなくても恵みを与えてくれる森の果物について、世界はあまりに軽視してきすぎました。

いずれこのブログで取りあげる「食料主権」において、漁業も狩猟も牧畜も非常に重要な役割を占めています。私たちはいつの間にか「食料」を「食糧」と置き換えてきました。このことの問題について、また改めて考えたいと思います。

さて、ブラジルにいる間にセラードのフルーツの名称を教えてもらったのですが、20は下らず、またアルファベットでどう書くのか不明なものも多く、ここで紹介することができません。。。が、北東部ではあちこちのアイスクリーム屋さんに、これらのフルーツのアイスがあります!

幸いセラードのフルーツの栄養価の高さや美味しさに目を付けた企業がありました。
「セラードからの美味しいもの」
http://www.deliciasdocerrado.com.br/
12種類のセラードの果物の味のアイスを販売しています。

実は、2011年からWorld Watch研究所が、野生の果実がいかに地球と人びとを救う可能性を秘めているかの調査と啓発活動を行っています。
http://blogs.worldwatch.org/nourishingtheplanet/about-us-2/project/

日本ではほぼ知られていないのが残念すぎるのですが、『ProSAVANA市民社会報告2013』の4章で紹介しているので是非ご一読下さい。(900円しますが売り上げはNGOに寄付される仕組みです)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/263029

戦後、人類は自然が与えてくれる恵みを否定し、自分たちが人工的に創り出す食べ物こそに価値を見出し続けてきました。そうやって私たちの身体が蝕まれてきただけでなく、地球もコミュニティも蝕まれている現実を前に、「健康に食べる、命を繋ぐ、将来の世代に環境を手渡す」という観点から考えていかなければならないと思います。

さて、次はこのコミュニティの人達が、教会のアグロエコロジーの研修で出会った農民の森・畑をみて学びが沢山あったというので、その方の家にいったときの写真を紹介します。



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# by africa_class | 2017-12-03 02:22 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

Thanksgivingに新書のスケルトンを終えて:「欲望という名の列車」から降りることについて

年内に原稿を提出しなければならない新書のスケルトンが終った。
奇しくも、Thanksgivingday(ドイツ語風に全部くっつけてみた)。欺瞞に満ちた「勝者」の歴史の語りが、今年も繰り返されようとしている最中に。

「歴史」は、後にしてきたものだと思いがちだ。
しかし、実際は違っている。
「失敗/過ちの歴史」はあっという間に忘れられるというのに、「栄光の歴史」は繰り返し、繰り返し蘇り続ける。だから、歴史家の仕事には終わりがない。

歴史は今の写し鏡であり、今歴史をどう見るかによって将来をも規定する。
2017年末の日本と米国を見ながらそんなことを思う。
とりわけ、Thanksgivingの今日、日本の政治家たちがおかしな伝統や歴史認識を持ち出してきたことを眺めながら。

私たちはあっさりと歴史を忘れるというのに、自分たちのご都合主義に彩られた歴史解釈は手放そうとはしない。
だから、「歴史」は繰り返す。

今日は、北米の先住民族の辿った歴史を、征服した側の白人が語り直す日だ。
被征服側となった先住民族の側の物語は、メインストリームの語りには決してならない。少しばかり「良識派」のメディアがこの白人の創り出した物語を批評する記事を出したとしても。歴史が全体としてどのようなものとして動いたのか、征服者と被征服者の間で本当のところは何が繰り広げられたのかの話はされない。あれから何世紀経とうとも。

今書いている本は、途中からなんだかおかしくなっていった。

最初は今風に書いた。
テキストとして。
教科書的な。

でも、ブラジルの先住民族のお母さんの叫ぶような声が、テキスト的な出来事や解説の行間や文字間から、ぬるっぬるっと顔を出し始めてしまい、もはや止めようとしたところで勝手に話し始めてしまった。だから、そのまま自由に語ってもらった。

時に、長いものを書いているとき、そういうことがある。
博論のときはそうだった。

寒い兵庫の山奥で確かに聴いたアフリカの森を急ぐ住民の声。
ざわめき。
悲鳴。
押し殺したため息。
凍らした心。

最後の一文を書き終えた後、どうしたのだろう?
無限の多様なうめき声を、耳にしながらも、ただ呆然と眺めるしかできなかった。
いや、そこから遠く離れなければと必死だったかもしれない。

弾けなかったピアノは今でも弾けない。
でも、少しずつこうやって書けるようになっているとしたら、それでよいのだと思う。

職業としてテキストを書かなければならなくなって、耳にしていたはずの「ざわめき」を封印してしまう技術を身につけなければと必死だったように思う。普通の人は違うのかもしれない。器用な人は行き来できるのかもしれない。でも、私は大方の想定と違って、とても不器用な人間なのだ。そして、おそらく必要以上に真面目すぎる。だから、その融合も、行き来も、折衷も難しかった。

もう自分のための論文は書かない。
つまり、「業績」にもう一本を加えるのための論文も本も書かない。

要らないからだ。
そのつもりで入った研究や大学の世界。
分かっていたことなのに、いつの間に絡めとられてしまっていた。

ベルトコンベアーのようにあれもこれも書いて、書いてといわれて。
書きたいと思わないことを、
私が書くのではなくてもよかったことを、
ただ書き散らしてしまった。

最初は練習だった。
必要不可欠な。
そして、今も必要ではあるのだろう。
本当は。能力不足だから。
でも、最後は苦痛で仕方がなかった。
魂がそこにないままだったから。
いただいたお題、そのストーリーに魂を見出せなかったから。

いちいち論文に魂なんて込めなくていいよ。
私も他人にはそういっていたかもしれない。
でないと終らないから。
終らないと皆困るから。

でも、やはり人生は一度きりだと思う。
魂を込めるものと向き合える時間が、あとどれぐらいあるのか分からない。

小さな声がつぶやく。
モウ ナニモイラナイ。

大きな声でいってみる。
モウ ナニモイラナイ。


その途端に、書きたいことが山のように溢れるのだから、自分のあまのじゃくぶりに驚いてしまう。

大学2年生のとき、北東部ブラジルの干ばつに翻弄される家族の過酷な物語を読んだ。
Vidas Secas(干ばつ暮らし/乾いた生活/グラシリアーノ・ラモス、1938年)
ポルトガル語の購読の授業の教材だったので、かなりイヤイヤ読んだ記憶がある。まさか十数年後に自分が同じようなことを若者に押し付ける側になるとは・・・思っても見なかった20歳のときのこと。

まだ辞書片手に(しかもポルトガル語・英語辞書しかなかった時代)、遅々として進まない翻訳(というか想像の何か)。でも、小説から漂う過酷な自然との闘いを繰り広げる人間のチッポケさ、なんといっても喉の乾き、皮膚の乾き、暑さ・・・そういったものが言語の違いを超えて迫ってきたのを昨日のことのように思い出せるのは不思議だ。使われていた単語、表現、文章は一切思い出さないというのに。

今日、新書のスケルトンを書きながら、私の脳裏にあった情景はそれだった。
ブラジル北東部、セラード地域の広大なる大豆畑のただ中を、ひたすら車を走らせたときに触れたあの乾いた空気。灼熱の太陽。

と同時に、目をつぶると、次の瞬間、赤茶けた道から離れて、奇妙な形をした木々の間をいくと、湿った空気が鼻の中をくすぐるのが感じられる。あの乾燥した空気から一瞬にして隔離されたかの。砂漠を歩いて歩いてオアシスに到着した瞬間の、あの感じ。砂漠をそこまで歩いたことないのに。セラードの森だ。

森の中を歩きながら、子どもたちがどの果物がどう美味しいのか一生懸命話してくれる。
突然、森の中にバレーボールのポールとネット。
なぜか恥ずかしそうに年長の子がいう。
「神父さんの提案で」
「あ、そうなんだ。確かに横にチャペルがあるね」
手作りの、柱が8本にヤシの葉っぱで編んだ屋根の簡易チャペル。その前には十字架がある。
もぞもぞ年長さんがする。

同行していた若い男性が口を開く。
「土地を奪いにいきたビジネスの奴らからコミュニティを守る為にです」
「え?」
「ここをコミュニティが大切に使って活用しているということを見せることで、一方的にブルトーザーで壊しにくくしています」

こののどかに見える森の中にも危険が迫っていた。
「若い男達がいないのに気づきましたか?」
「確かに」
「ビジネスの奴らが雇ったギャングに脅されてみな出て行かざるを得なかったんです」
「あなたは?」
「コミュニティを守るために残っています」
「だいじょうぶ?」
「毎晩寝るところは変えてます。雇われているギャングは隣町の若者たちです。カネが皆の心を狂わせてるんです」

Vida Secaとは180度異なる豊かな緑の木陰で、彼はささやくように話す。
川沿いの森の民に見送られて向かった先は、隣州の先住民族の会議であった。

果てしなく続く赤茶けた大地。
延々と続くむき出しの。
喉の乾きが辛い。
バスが止まるたびに水を買う。

先住民族会議には200人を超える周辺地域の先住民族が集っていた。
4日間毎日会議だ。
大学キャンパスに野営をし、野外テントで議論をする。
キャンパスの庭でたき火をしながら調理をしている様は「さすがブラジル」としかいいようがない。
主催者いわく。
「なんで?公共の場だから公共の目的のために使えばいいだけ」

朝から晩まで、先住民族の老若男女がマイクをもって、時にもたないまま話を続ける。

汚染された水を飲み、自分より若い人達が癌で次々亡くなっていくと訴えるおばあちゃんたち。

清廉なる水は命の源だった。
それが今人びとの命を奪う汚れたものになっていると。
森と暮らしを守らんと立ち上がった男たちが、
手足を切り取られた姿で川に投げ捨てられていると。

小さな小さなしなびたおばあちゃんが、杖で地面をつつきながら叫ぶ。
「ついに白人たちは植民地支配を完成させようとしているのだ」
足踏みをしながら。
「森を殺すことで、私たちを殺そうとしている」
ドンドン。
「水を汚すことで、私たちを殺そうとしている」
地鳴りがする。
「私たちの勇敢なる息子たちを八つ裂きにして、先住民族を根こそぎ終らせようとしている」
低いうねりのような声がする。
「おのおばあが命をかけて、あんたらから森と水と息子を守る。弓矢に毒を盛って」
足踏みが止まらない。地響きのような。

このおばあちゃん独りではなかった。
女性たちが語る悲劇と決意は、議事進行役の年配の男性たちを困らせるほどの勢いだった。

女性たちの前に無言で並ぶ政府の役人や学者たちは、皆色が白い。
南部やサンパウロの訛で話している。

先住民族担当官に女性が詰め寄る。
「あんたたちを信頼した私たちが間違いだった」
「あんたたちがやったのはなんだったのか?」
「就任してから、一度だって私たちのコミュニティにきやしない。私たちのリアリティを知ろうともしない。」
「忙しい、忙しいって、何をやってるかと思ったら・・・
あの業者とご飯を食べることじゃないか!私たちを殺しにくるあいつらと」

会場となった野外のテントには風がびゅうびゅう吹き荒れる。
森を失ったこの地では、どんな風も容赦なく打ち付けるのだ。
おばあちゃんによると「自然の叫び」なのだそうだ。
自然の叫びは止まる事を知らない。
もう誰も自然の叫びを止められないところまできてしまった。

「欲望という名の止まらぬ列車」に、私たちは乗り合わせている。
ただし、その「欲望」は1%の人びとのものである。
それ以外は今日・明日の命をかけてその列車に振り回されんとしている。

この列車に乗りたくないといっても、列車は道行く先々のすべてのものを根こそぎ網にかけて引きずり続ける。

私たちはどうやったらこの列車を止めることができるのだろうか?
もう止められないのだろうか?
止めることで、別の何かが引き起こされるのだろうか?

だとしても。
たった一個のカタマリにすぎない私が応答する。
まずは降りてみること。
たった一人にすぎないとしても。

木々のところにいく。
迷ったときはいつもそうするように。


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# by africa_class | 2017-11-24 08:10 | 【徒然】ドイツでの暮らし

ブラジル・セラード日系農場と住民の水紛争:ニッケイ新聞を見ながら思ったこと

新書の執筆が佳境でして、なかなか色々手がまわっておりません。が、今日は、オランダに派遣されてきたゼミ4期生(だっけ?)が遊びにきてくれるので、放置しぱなっしの家の掃除を・・・と思ったら、田舎の家…手がまわらない。諦めたところです。欧州に現在2名、アフリカに3名、東南アジアに1名、米国に2名、オセアニアに2名、中東に2名、あと所在不明の人多数、その他諸外国と行ったり来たりの皆さんですが、日本国内でも北海道や島根にもいて、いつか皆を尋ね歩く旅をしたいなと思っています。もちろん、東京&首都圏で大活躍の皆さんも大いに応援しています。

このブログで紹介しているブラジル・セラード(バイーア州西部)で起きている日系農場と地域住民の水をめぐる紛争ですが、少しずついろいろ情報が出てきています。

その中に、サンパウロで発行されているニッケイ新聞の記事があります。
「ブラジル=五十嵐農牧を500人が破壊」
(2017年11月17日)

記事は、日系人である五十嵐氏が興した企業(五十嵐農牧畜株式会社として紹介)を全面的に支持する立場から書かれています。住民たちを「破壊目的の抗議グループ」とよんでいます。

サンパウロには、二つ日系新聞(日本語で刊行されている日刊紙)があり、一つがこの「ニッケイ新聞」。もう一つが、「サンパウロ新聞」です。

私は、ブラジルに留学していたとき、「ニッケイ新聞」の出している月刊誌でアルバイトをしていて、連載記事と写真を担当していました。また、ニッケイ新聞が出していた本の編集なども手伝っていました。

月から木まで遠いミナスジェライス州の大学で勉強し、木曜日の深夜バスで8時間かけてサンパウロに向かい、朝着いたらすぐに、日本人街を通って、新聞本社ビルに向かうのですが、毎回自分が映画の中のワンシーンを歩いているような、すごく不思議な感覚でいました。一度、リベルダーデ界隈に入れば、もうポルトガル語は必要ありません。日本語で話し、日本語で編集し、日本食を食べて、日本のカラオケで歌う。

日本人が留学生以外には日系人を含めまったく見当たらない町で、ブラジル人ばかりの中で暮らし、一日中ポルトガル語の嵐の暮らしでは(当時のパートナーの英語はさておき)、ほっとするような空間と時間でしたが、時に疑問を持たなかったわけでもありません。そのうち、サンパウロの下宿先を日本人の編集長のところから、ブラジル人のところに変えてからは、少しバランスを取りながら日系コミュニティとおつきあいさせていただけるようになりました。

アメリカの大学の先生と書いていた本の関係で、日系コロニア(ブラジルの日本人・日系人コミュニティ)について学ぶようになり、色々な人にインタビューし、農村部に足を運んで調査をして、その歴史や社会に魅了されました。どこにいっても優しく接してもらって、日本からわざわざ女独りで留学になんてきて、ブラジル人だけのところで暮らすなんて…と何度もビックリされました。軍政が終ってすぐの1991年とあっては、特に農村の皆さんにとって「コロニア外は怖いところ」というイメージが強かったように思います。日本から直接きた若い日本人は「価値が高い」から、もらいて沢山あるよと何度もおすすめいたただいたものです。

当時、私は、心やさしき日系コロニアの皆さんの語りたがらない歴史を調べていました。所謂「勝ち組」「負け組」についてです。最初は、ただ本のために材料を集めていたのですが、ミナスのブラジル人社会、サンパウロのリベルダーデ周辺の知識人社会や商売の皆さん、農村部のコミュニテイの皆さん、サンパウロのブラジル人社会、これらを行き来するようになって、次第に日系コミュニティ内部の多様性と亀裂、そしてコミュニティ外との接触と断絶に関心が移るようになったからです。

その後、ブラジルの北東部、アマゾン、ブラジリア、南部を訪問し、ブラジルのスケールの大きさと多様性に圧倒されるとともに、日系コロニア内部の表現のあり方が気になっていきました。つまり、昔からそこに住んでいた先住民族の皆さんを「カボクロ」と呼び、『カボクロだから出来ない」「カボクロだから盗む」「カボクロとは結婚させない」…これらの表現に、若かった私は打ちのめされてしまいました。

カボクロとは蔑称で、『世界大百科事典』では次のように説明されています。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%83%AD-1155471
「現代のブラジルで,おもに下層の,無知な田舎者を指す。トゥピ語のcaá‐bóc(〈森から出て来た者〉の意)から出た言葉で,もともと混血者の意味はない。古くはインディオ自体や,特に白人社会に接触し,奴隷化され,キリスト教になじんだインディオを指し,やがては白人の土着した者や白人とインディオの混血者をも意味するようになった。元来軽蔑の意があるが,ナショナリズムが強まる風潮の中でブラジル国民性を代表させる語にも用いられる。」

私が暮らしていたミナスのアパートは、貧困層の人びとが暮らす地域にあり、仲の良い友人たちは北東部出身のアフリカ系の皆さんや先住民族をバックグランドにする人が多かったのです。貧しいながらも助け合って暮らす住民たちの中で送った日々は、その後私をアフリカに導いていきます。

日本に戻ってから、文献調査を開始し、国会図書館の移民資料室に通い、日系人の協会に行き、外務省の昔の担当者の方に会いに行って資料をいただき、先生方を尋ね歩き、なんとか卒論を終え、その卒論を土台に本のブラジルの章を完成させました。大学院1年生のことでした。奇しくも入管法の改正で数多くの日系ブラジル人、ペルー人が日本に入ってきた時期で、ブラジルでお世話になった恩返しにと思って、小学校に教育補助に行き、教育委員会のお手紙を翻訳し、これらの人びとを取材したメディアの通訳やコーディネイトをして、なんとか少しでも日本=南米の人的関係を発展させられたらな・・・と思っていました。

でも、ブラジルの日系移民研究に戻ることはありませんでした。
津田塾大学の博士課程に進んだ時、そこが移民研究の拠点でもあったことを知り、先生方に勧められもしたのですが、私にはどうしても「カボクロなんて」の表現に反発する気持ちを抑えることはできないと、その時はもうはっきり自覚していました。

私は、物事を見る時には、相対する視点で見ようとします。
「鳥の目」<=>「虫の目」
「森」<=>「一本の木」
「今・現在」<=>「人類史」
「権力」<=>「被抑圧者」
「常識」<=>「非常識」

実際は、これらは相対するものではなく、混じり合っているわけですが、意識的に自分の思考のプロセスとして、このような視角を取入れようとしてきました。上手く行かないことも多いのですが。でも、立場を取る必要があるときには、この思考プロセスは失わないものの、「虫」「一本の木」「人類史」「被抑圧者」の側に軸足を置くことを決めています。これは、そうでなければ、この人生をまっとうする意味がないと、すごく小さい時に決めてしまったからです。

世の中、どんな素晴らしい(とされる)社会でも国でも、「虫」「被抑圧者」の側の論理で物事がまわることは殆どあり得ません。これは歴史においてもそうで、今もそうで、これからもそうでしょう。このような側に立つことは勇気がいるし、損もする。決して大多数側にはなれない。でも、だからこそ、自分一人ぐらいはその立場に立とうではないか、そう決めたのが4歳のあの時なのです。

それから、迷いはしなかたものの、自分の無知・足りなさ・傲慢さ・修行の足りなさ・弱さによって、そうできなかったことも多いことは事実です。「先生」などという職業はそれに輪をかけてしまった。まだそれが乗り越えられていないのも自覚があります。でも、完璧がないとも知っています。自分の足をおきたいところを自覚して、少しでも役に立てればいいなと今は思います。そのためにも、学ぶことがまだまだ沢山ある!

このコレンチーナの「事件」をニッケイ新聞がそのように報じたい理由はよく分かります。そして、農場側・農場主・アグリビジネス経営者側からみたときに。でもどうでしょうか?この事件を、とくに人類史の中に位置づけ直したときに、見えてくる風景は劇的に異なります。

その風景こそを紹介するのが私の役目かもしれない、そう思っています。


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# by africa_class | 2017-11-19 00:01 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

【続報】ブラジル・セラードの日系農場とコミュニティ紛争:大規模集会

土曜日の住民大規模集会をお伝えするはずが、少し時間が空いてしまいました。

下記の記事の続報です。


ブラジル・セラードの日系農場とコミュニティ紛争:水問題でついに住民占拠へ

http://afriqclass.exblog.jp/237974421/


といっても現地から届いた写真を紹介するだけになります。

すみません・・・。


でも、間違いなく、皆さん驚きます。

というか、この私でも、自分の目を疑ったほどの、、、凄い人の群れでした。

特に、バイーア州西部といえば、本当に奥地。

そこにこんな数の群衆が連帯のために結集するとは。


このマーチは、膨大なる水の「収奪」をしているという「イガラシ農場」を占拠し、灌漑設備を破壊したコレンチーナのコミュニティの住民への連帯を示すために、街の人達だけでなく、周辺地域や全国から集まった民衆の様子だそうです。

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すでにFBなどで掲載済みの写真だそうですが(なので絵文字が)、とにかく凄い人です。道の奥の奥まで群衆。。。おそるべしブラジルの民衆パワー。皆さん、思い思いのプラカードを掲げていたり、手にもって歩いているのが、さすが民衆行動の本場ならではの雰囲気です。


この女性は、「私たちのセラードを大豆かジャガイモのために引き渡すのはもう沢山!」と掲げてらっしゃいます。表情の厳しさに、本気度がひしひしと伝わってきます。「もう沢山!」は赤字…。


皆さんが思う「ぶらじ〜る、ブラジル!私のぶらじる〜」というあの脱力感溢れる音楽の雰囲気とは異なるブラジルの姿がここにあります。といっても、皆普通に歩いたりせず、スローガンをリズムにのって、サンバのステップで歩いたりすることもあるので、そこはブラジル風味。でも、「やるときゃやるのよ!」が、やっぱり私のブラジル社会運動の印象。


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しかし、この農場が日本人移民が設立した企業によって運営されている日系農場であることを考えると、とても複雑な気持ちになります。


例えば、このお兄ちゃんたちのプラカード…。「そのジャガイモ、日本で植えろ!」のスローガンが、日の丸とともに描かれている。現在の会社のオーナーは2世。ブラジル人なのだけれど、やはり日本の背景が付きまとうのかと残念な気も。でも、一方的に水を奪われる側にしてみれば、どうしてもこのような感情をもってしまうのでしょうか。

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こちらのお姉さんたちもまた沢山のプラカードを掲げてらっしゃる。


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でも、最後の女性のイメージが一番パワフル。

手作りの水がめを頭に乗せた女性の、この決意溢れる表情も、胸に迫ります。

なんて書いてあるか分かります?


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「喉が乾いたまま死ぬより、銃弾で死んだ方がましだ」


それぐらいの危機的状況の中でコミュニティの人びとは暮らしており、やむにやまれずの行動だったことが、ここにもはっきり示されています。


その頭上を警察のヘリコプターが威嚇しながら旋回。


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この矛盾と対立は、ここだけの話ではありません。
スケールが大きくなり、目立っただけで、セラード地域で日常的に起きていることです。

それをもたらしたセラード農業開発に私たちの国・援助機関が関わっていたこと、そして現在も関わっていることについて、決して忘れてはならず、皆さんにぜひもっと関心をもってもらいたいと思っています。

この詳細は以下の記事を。

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

http://afriqclass.exblog.jp/237969424/



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# by africa_class | 2017-11-16 07:17 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

ゴビンダさんのマリーゴールドが思い出させてくれたこと:春がいつか必ず訪れることを信じて

寒いです。雨は降っていないのだけれど、毎朝霜が降りているため、ついに畑の周りを彩っていたマリーゴールドが凍ってしまいました。

嫌なことを思い出してしまったので、今日は畑と森の中でせっせと冬支度をしていたところです。そのとき、凍ったマリーゴールドをどうしようかと思って(種を採ろうと思ってたのに間に合わなかった)、ふと「ゴビンダさん」のことを思い出しました。

東電OL事件で、えん罪によって15年間も刑務所に入れられていたネパールのゴビンダ・プラサド・マイナリさん(51)。再審無罪確定後、初めてネパールから来日し胸中を語ったインタビュー記事が、上記のHuffpostに掲載されました。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/12/touden-ol-15years_a_23274952/

記事の抜粋です。

「当時のことを話し始めると、マイナリさんは目を真っ赤にした。計15年間、身柄を拘束された拘置所や刑務所で、精神安定剤や睡眠薬を手放せなくなった。支えは「自分はやっていない」という思い。面会の支援者や弁護士、家族から届く手紙にも励まされた。

 小さなことに心の安らぎを見いだした。拘置所の窓から聞こえたハトのつがいの甘い鳴き声が愛のささやきのように感じられ、妻を思った。刑務所では、運動に出るグラウンドで、マリーゴールドの花が咲いているのを見つけ、看守に見つからないように1輪摘んだ。ポケットの中に隠して房に持ち帰った。マリーゴールドはネパールの祭りで首飾りをつくる花。房の中でこっそり香りをかぎ、ひとり故郷のことを思った。」


私も子どもの時、辛いとき、野の花、あぜ道の草に癒されました。

その匂いを嗅ぎ、虫を眺め、花びらや葉っぱの様子を眺めているうちに、すーーっと嫌な気持ちが和らいでいくのを感じました。頭上に飛ぶ鳥を見ては、鳥はいいな、自由にどこにでも行けて…と羨ましく思っていました。


決して自由がなかったわけではないのです。時間も与えられていたし、物質面では不自由がなく、他人から見ると羨ましい環境にいたと思うのです。けれども、日常的な暴力と権利侵害の現場に、行く所をもたない形でいるしかなかった子どもにとって、申し訳ないけれど、家は刑務所のような空間としか思えなかった。


私が、小学校にあがるまで、家の中でほとんど言葉を発しなかったのは、そういう理由だったのですが、なんからの障害か病気だといって親がいたく心配して先生たちに相談していたことを、後になって知ったときには、唖然としたものでした。つまり、そんなに理解されていないんだと。幼稚園のときから、誕生日もクリスマスもプレゼントは要らないからお金を頂戴といって家出のためのお金を貯めていたことも、家出セットを押し入れに隠していたことも、家族に話せたのは随分後のことでした。


親は親なりに頑張っていたと思うけれど、私が感じていた現実はそういうものでした。


その後、突然家族が崩壊してしまって、ポカーンと自由な空間が出来たので、もはや家出の必要はなくなったのだけれど、それまではちょこちょこと近場で家出をしたり(誰も気づかず)、祖父母のところに逃れたり(親には遊びに行くと)をしていました。最終的には、せっかく19歳で本格的に家を出て、新しい生活を始めたというのに、またしても、しかし今度は自分の選択によって、自由な空間を失ってしまったことに、後悔し続けた二十数年でした。


チェーン(鎖)を断ち切るということは、なんと難しいことなのだろう?

自分の中の弱さに何度も打ちのめされ続けたこれまででした。


今、このことを、すべてではないものの、ある程度笑いながら家族とできるようになったことを、嬉しく思います。いろいろあったけれども、それもすべて何らかのgift(ギフト)だったのだと、今では思えることが多くなりました。


マリーゴールドを見ながら、そんなことをつらつら思い出し、考えたのでした。

自然の中にいると、本当に色々なことが頭に訪れます。

ただ手を動かしているだけだというのに、流れるように想いやコドバや考えが訪れては消えていく。


雲のように。

風が強いときは、早く流れる。

風が弱いときは、ゆっくりと。

自然に翻弄されながら、身体も思考もゆらゆら揺れる様を、真冬の寒さの中ですら感じることができて、ただただ大声で感謝したくなります。


ゴビンダさんのようにいわれのない罪の責任を負わされて15年間も牢屋に閉じ込められていたとすれば、どんなに辛いことでしょうか。選択肢がなかったとはいえ、よく我慢できたなと本当に思います。


私だったら…。

胸に迫る苦しさを開放するため、凍ったマリーゴールドのもっていたはずの香りを求めて手のひらに花びらをおいて匂いを嗅いでみたのでした。


かすかに残るマリーゴールドの香り。

甘いような、不思議な香り。


この記事を読むまで、マリーゴールドがネパールのお祭りで使われる聖なる花だと知らなかったです。


マリーゴールドというか、タゲッテ(Tagetes)として知られている。

畑のお友達。


センチュウよけになるので、大根や人参などの横に植えます。

また、アブラムシよけになり、植物を元気にしてくれるので、畑のあちこちに植えているのですが、おいしいようでナメクジ様の大好物。油断すると全部食べられるので、大きくなってから移植しなければならなず手間がかかります。


子どもの頃のことを思い出すのは骨の折れる仕事。
今日はもう十分してしまったので、前に進みましょう。
幸い温室のマリーゴールドは生き延びているので、花びらを一片拝借して、枕元に置こうと思います。写真は温室(といっても何もヒーティングはないのですが)の中のトマトと一緒に植えているマリーゴールド。

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凍ってしまったマリーゴールド。。。

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そんな寒さでも、ドイツ生まれのふだん層は2年目の冬になるのに、こんなにがんばっている。すでに沢山の種も採らせてくれ、その横から出てきた脇目から、さらに新しい芽がドンドン出てきているという健気さ。負けてられないね。

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どんなに寒い夜も冬も、ただ生き延びることが、いつかの春につながると、実感を込めて思います。

春は遠いかもしれない。
でも、かならずくる。

もし、かつての私のように閉塞感ただよう辛い状況にいる人がいれば、いつか春がくることを信じて生き延びてほしい…ただただそう思います。

4歳のとき、真っ黒な日本海の水を眺めていた私のところに、ふと訪れた「何か」もそんな一言だったのかもしれないと、あり得ないものの、そう思うときがあります。自分の中の命の輝きを、そっと抱きしめてみてください。




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# by africa_class | 2017-11-15 02:25 | 【徒然】ドイツでの暮らし

解禁:自家製ヴァン・ナトゥール2017(自然派ワイン)

ワインを作るようになって3年目の冬がやってきた。
日本とドイツとその他の地域を行ったり来たりの数年なのだけれど、秋から冬にかけてのこの時期は、収穫期であることもあるし、クリスマス前ということで、ドイツに滞在することが多い。本当は、ドイツは5-6月が一番最高だということを、皆に伝えておきたいところだけれど、その話はまた今度。

この家に越してきたとき、勝手口に伸び放題のブドウの老木があって、風情はあるものの、剪定めんどくさそうだと思った自分を恥ずかしく思う。しかも、駐車場のジャリの一角に、申し訳程度に囲われた花壇から伸びている一本の老木。

肥料も水もなーんにもあげないままに最初の秋が過ぎた。
そして、大量になるブドウを眺めつつも、あの時は病気すぎてブドウを収穫しようという発想すら起こらず、家族が「ブドウがやばい。大量になってる」といっても、「鳥さんたちにあげればいい。いつも人間が食べなければと思う発想が間違っている」などと高尚なことを言い放っていた。ベットから…。

2年目の秋に、元学生たちがお手伝いにきてくれたので、「そうだワインを作ればいい」と思い付いた。ブドウを収穫してもらって、ひたすらブドウの実と枝を分けて、ボウルの中にぶち込む。そして、ブドウを素手で潰し、砂糖を入れて軽く蓋を閉める。

どぶろくづくりで培ったノウハウと『現代農業』の投稿記事を頼りに、見よう見ねで作ってみたのだけれど、なんか上手くいかない。やっぱり細部は自分の経験で培っていかなければならないのだと納得し、砂糖の配分、ぶどうの甘さ、混ぜる回数、室温などをボウルごとに変え、さらにボトルごとにラベリングして、味見をしてはノートに記すの繰り返しをした。

病気のわりに頑張ったが、そのうち面倒になってしまって、3年もののワインボトルが何個もリビングに貯蔵されたままの状態にある。

毎朝アルコール度をあげていくワインを味見するのは、そのうち辛くなって、じゃあ夜やればいいのに…夕方以降は病気のせいか起き上がれない傾向があって、味見もそのうちしなくなった。ノートも今となってはどこにいったのだろうか…という雑さ加減が、初年度の前半だった。

しかし。
恐るべし当時14歳が、母の情熱が萎え、すべてを放置していることに心を痛めたのか何なのか、ネット先生を通じてお勉強の上、こうのたまった。

「ママさあ、砂糖あかんっていつもいってたやん?」

ここはドイツ。
育ちは東京。
でも、我が家の共通語は関西弁だ。

「えっと・・・そうだけど・・・」

動揺する私。
子どもの矛盾を鋭くつくときの勝ち誇った表情、イキイキとした視線は、病気のときは辛い。

「だいじょうぶ。ママ」

勇気づけるような笑顔で語る彼。
丸顔だったはずなのに、いつの間にか父親に似て・・・

卵だ。

「砂糖入れなくてもちゃーんと発酵するんだって」
「するの?」
「するんだけど、その場合、完熟のあまいブドウじゃないといけないって」
「あまいよ、ブドウ」
「いや、ママは早く取りすぎたんだよ。もっと黒くなってから取らないと」
「黒いよ?」
「ママーーー、だいじょうぶだよ」

そうだった。
闘病中の私に、誰が教えたわけでもないのに、彼はいつもいつも同じ台詞を私にかけ続けてくれたのだった。その一言がどれほど私を救っていたのか、今になってぼんやりとしてきているのだけれど、決して忘れないために書いておかなければならない。

何年も「ママ、だいじょうぶだよ」を繰り返してくれた12-15歳までの息子よ、母は君の優しさを一生忘れないよ。そして、その間、君がすべてのことを我慢して、耐えてくれたことに、心から感謝したい。あの時、君は父親といつも衝突してて、窓ガラスがいっぱい割れたのだけど(内緒ね)、それは私にぶつけられない想いを、そんな風に解放せざるを得なかったということを、母は分かっていた。でも、どうすることもできなかった。情けなかったね・・・。親として。

話はワインだった。
ということで、14歳のワインを作ってもらうことにした。
そしてまたしても、ネット先生は、正しいということを私たちに証明してくれることになる。

私の収穫より1ヶ月も遅く収穫した彼のブドウは丸々と太り、真っ黒に光り輝いている。
「ママ、このブドウ食べれるよ。すごく甘い」
ワインの源としか考えてなかったために、一切果物としての価値を認めなかった私にとって、その一粒はやや勇気がいるものだった。でも、確かにびっくりするぐらい美味しく、普通に日本で買っていたような果物の味だったのだ。

そしてワインが飲めない彼は、せっせと私を呼んでは味見をさせ、砂糖なしでワインが出来ることを証明してくれた。そして、白ワインと赤ワインを完成させた。彼の言ったとおり、私のワインより美味しかった。

翌年から、私はビン詰めをやめて、味噌の壷を使って、砂糖なし+完熟ブドウでワインが出来ることを確認し、とにかく出来立て1週間ぐらいのものを愉しむことに戦略を切り替えた。なぜなら、しっかりとした味のオーガニック・ワイン(ヴァン・ナトゥール)が400円ぐらいで買えるヨーロッパにあって、あえて自家製で楽しみたいとしたら、発酵中のものだよねという結論に行き着いたから。

ただし、味噌樽、ボウルを総動員して作ってそのまま放置してしまって、お酢になってしまったり、酵素になってしまったものもある。お酢は調理に使い、やや出来の悪いやつは畑の活性剤に使い、酵素になったやつはどうしようかと迷って1年が経過してしまった。

で、今年は庭の木々に色々な病気が発生して、ブドウの葉っぱにもうつったのだけれど、今迄にないぐらいの量のブドウがなるわなるわ。。。確かに春先に米のとぎ汁を豆乳パックで育てた乳酸菌をあげたのだけれど、それ以外はしていない。とにかく誇張なしで100キロ以上はできているので、いま3度に分けてワインにしているところ。

で、1度目のワインが丁度できたところなので、解禁してみた。
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これは未だ発酵中(ブドウの皮も種もはいったまま)のもので、仕込んで1週間目のものの上澄みを掬ってグラスに。奥に見えているものは、息子が14歳のときに作ってくれた買い物かご(地域の伝統的工芸品)とモザンビークの農民にもらった豆を今日収穫したままに。なんで籠おいたかというと、その裏に、ツレの私物がてんこ盛りできれいじゃなかったので。

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底からかき混ぜて10分置くと、発酵が進んで泡あわが出てくる。
これが一番おいしいのです。
無濾過ワイン。
これが飲みたくて、ワインを作ってるようなもの。

あまりに美味しいのでもう3杯も飲んでしまって、仕事がまったく捗らない。
本当は、ブドウの木の写真など紹介しようと思っていたけれど、それはまた今度。

そして、ワインづくりのコツもいつかのせますね。
でも、気が向いたらブログなので…そこはすみません。
誰も教えてくれなかったけど、重要なのは、白くしぼんだ実と小さな枝を一緒に入れることです。

テーブルは、息子が15歳のときに作ってくれたオークの木のワインボトルかけ。実はこれが私の仕事机なのです。この机の下にバスクで買ったイランの手作りカーペットがあり、その上にマサイの毛布があって、その毛布の上で、ネコのお母さんであるニャーゴ様が横になっているわけです。

しかし、遅いな、17歳の調理人。。。あとは、17歳のメインディッシュだけなのです。

今日は自動車学校の日。
いつか、彼の運転する車に乗せてもらえる日がくるのかなと思ってたけど、もう目前。それも不思議です。

すでに、チキンの骨+庭のハーブ・スープと玄米は炊けており、畑の野菜もとってきた。薪ストーブだと、鍋に材料を入れてストーブトップに載せておくだけで、調理をしているという感じではなく、1分クッキングなのです。私から薪ストーブを取り上げたら、もはや調理できないかもしれない。

そうだ。御犬様のお墓にお供えをしてきました。
週末に遊びにきてくれる元ゼミ生のあなたが、気になってるといっていたので写真のせておくね。
自家製ワインとお墓があなたのお越しを待っております。
(息子から質問。「また、シャケとかカニとか背負ってくるの?」)

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あ、もどってきた。では、また。



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# by africa_class | 2017-11-14 04:40 | 【徒然】ドイツでの暮らし

こっそり共有:17歳の料理(その1)

今日、日本に暮らしていたときの近所のご夫婦が、はるばる遊びに来られた。亡くなった御犬様のお骨とともに。。。

御犬様は、ドイツの出身なので、ドイツの土に還りたいだろうということで、お骨はいま、リンゴの木の下に丁重に埋まっている。

そこには、ウサギのルル様や、交通事故で轢かれていたハリネズミ2匹、ネコどもにやられたネズミ様や、モグラ様もいらっしゃって、寂しくはなかろうと思うものの、果たしてお犬様は本当にドイツに戻ってきたかったのか、どうかについて考えあぐねている。

分骨なのでいいのだが、見ず知らずの私たちやその他の動物様たちとのいきなりの遭遇である。嫌な想いをしないでもらえるよう、お花がない季節なので、ドングリと松ぼっくりを、明日お供えしようと思っている。

息子は7年ぐらい会っていないこともあり、いきなり「おっさん」が出てきたので、たいそう驚かれたが、月日が経つのはなんと早いことだろうかと改めて思った瞬間だった。

しかし、一番驚かれたのは見かけではなかった。
17歳の彼が毎日、夕食と自分の翌日のお弁当を作っていると知って、唖然とされた。日本のお母さんたちにとって、「お弁当はお母さんが作るもの」のようだ。

スミマセン・・・。
誰に謝ってるのか分からないが、とにかく謝っておいた。

ドイツの小さなこの空間に突然日本がきたので、とりあえず日本式をやっておいて外れはない・・・カナ?日本にいても日本の人らしくない私だから、どうせやってみても付け焼き刃だが。もちろん、息子は、それを見逃さない。非常に怪訝な顔をして私をみるので、急いで付け加えた。

「昨日のご飯の写真を見せてみたら!」
気まずい時にはスマホがある。
これは万国共通。
どうよ、と思いはするが。

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17歳による「ヤキトリご飯2017 Nov 12 1st dish」
・カヤクご飯(サバの薫製+人参+白ネギ+高野豆腐+椎茸)
・焼き鳥
・サツマイモのフライ
・庭の野菜
・椎茸の串焼き(肉を食べない私用)

もちろん、盛りつけも自分。
立体的に見せることを最大限に。

でも、これで終っておらず、これもついてきた。

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17歳による「ヤキトリご飯2017 Nov 12 2nd dish」
・ジャガイモ&チーズのオーブン焼き(トッピングはザクロ)

で、これで終わりではなかった。
なぜなら、母は肉を食べないから…。

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17歳による「ヤキトリご飯2017 Nov 12 3rd dish」
・ワイルドサーモンとリネンシードパウダーの「つくね」
<=これに、母が作った味噌汁がついてる。

いや、私はサバの薫製でいいといったのだけれど、とにかく「つくね風」に作るのをマスターしたいということで、おまかせしたところ、これが出てきたのが、夜11時20分のことであった。

そして、ドイツでは直接照明は少ない。間接照明が普通。しかし、夜ご飯ともなればキャンドルライトが普通。とくに、冬のこの時期は。なので、、、闇鍋のような薄暗さで見えないかもだけれど。

しかし、せっかくの土曜日の夜を情熱をもって注いでできたものを、私たちはただ胃袋に収めてしまって、なんとも申し訳ないやら有り難いやら。

あまりに嬉しいので、褒めて褒めて褒めちぎって、それでも足りないからむぎゅっとしようとすると、さすがに17歳に毛嫌いされてしまった。

さて、元ご近所さんご夫婦から聞かれた。
「息子はご飯作らないし、作っても自分の分だけ。どうしたらこういう息子になるのかしら?」
ちなみに息子さんは30代。
時々こういう質問がくるのだけど、いつも答えに戸惑う。
一応、いつもの説明をする。
つまり、

1)2歳でMy包丁をプレゼント
2)台所はオープンキッチンで、料理はいつも一緒にしていた
3)どんなに散らかしても怒らず、なるべく独りでできるように手順を一通り一緒にした
4)原材料を一緒に確認し、入手するところから重視した
5)味噌づくりも、「母は力がないから出来ない」なとど言って、彼に踏んでもらったり、潰してもらう「担当」を任せてきた
6)安全に料理ができるようになると、一品から任せた

あとは、言わなかったけど、これも重要だったかもしれない
7)冷蔵庫の中身から「何か」をひねり出す作業を一緒にできるときはした
8)買い物から一緒に参加してもらって、食材から料理を想像する作業を一緒にやって、それを料理に反映させるようにした

そして、私が料理本やクックパッドをみて調理をしないことも重要なポイントなのかもしれない。

すると、即座に聞かれたことがあった。
「いつも褒めてた?褒めて育てた?」

そう。ばっちり褒めてた。
自分でやるときはいつも褒めてたけど。
でも、後片付けができない。
だから、「その時その瞬間」ではなく、後で改めて「後片付けまで入れて料理だね」ということをさらりといってたら、そのうち、自分で工夫して後片付けしやすいようなボウル遣いなどもするようになった。

と説明すると、やっぱり褒めて育てるのって重要だよね、という話になった。
ちなみに、3人のお子さんは皆さん立派に育ってらっしゃるので、別に何か心配があるわけではなさそう。ただキッチンを任せられないのが哀しいのだそうだ。

いや、そこにはコツが。
つまり、「任せられる」のは、誰だってイヤ。
義務っぽくなるのは、母だって。
だから、「自分からしたくなる」ような環境づくりにMAXの力を注げばいいのである。

つまり?

・母や父が頑張りすぎない。
・部分的にでも、一緒にやりつつ、その部分の彼らの工夫を褒める
・彼らのタッチが料理を変えるんだという実感を感じてもらう
・そのためには、りょうりにるーるを設けない
・むしろ毎日が実験!・・・創意工夫ありのアートなんだ!
ぐらいの勢いでやる
・成果物を振り返ってニンマリできるように写真化する
・彼らの頑張りを世間に発信する
<=イマココ

といっても、17歳は別にもうそんなこといわなくても、勝手に展開しているので、彼が食にどうして拘るようになったのかの話のほうが実は彼のモチベーション的には重要なのだが、それはまた今度。

頭出ししておくと、
「ケンコウ」「カンキョウ」「チャリーン」の三点。
おそるべし17歳。

とはいえ、部屋の掃除はからっきしダメ。
荷造りもダメ。
忘れ物多し。
この間日本に戻る時、荷造りしたバックを一つ忘れたまま旅立ってしまった。
故に着替えがなくて困った、コマッタ。
そういうときだけ子どものフリをするのも、どうかと思うが。

さて。
客人が帰った後も彼のQuestは続いた。
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17歳の「日曜サラダランチ2017」 Nov. 13 1st dish
・ザワークラウト+玉ねぎスライス+庭野菜+サバの薫製+酢漬けサーディンのサラダ

サワークラウトは私が庭のキャベツ(2期目)を10月頭に浸けておいたもの。なんかそれを使ってやりたいといっていたので、ただタッパーを渡したら、こうなって出てきた。

二品目は昨夜のツクネ。
そういえば、ツクネやフィッシュケーキは、彼が毎日のようにあれやこれやで工夫している。
舞台裏もお見せしてしまおう。
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これも、リネンシードの粉とワイルドサーモンを団子にしている。
味付けはカレー風味。
といっても所謂カレー粉を使うわけではない。
自分でスパイスを調合してる(が再現不可能らしい)。



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17歳のある時の夕食2017 Nov.
・リネンシード&ワイルドサーモンのフィッシュケーキ
・サツマイモと人参と大根の茹でたもの
・庭の野菜

写真が全体的にぼやけててすみません。
このように日々がんばる17歳でした。

下でお料理の音がするのを聞きながらこっそり書いたブログ。
彼に言わないでね。

なお、うちでヤキトリが可能なのは、薪ストーブですべてクッキングしているからです。

あ、下のは庭の野菜と鱈と卵とサツマイモで作った「私風ポルトガル料理」です。
これは本当はジャガイモで作るものなのですが、息子の依頼によりサツマイモで作ってみたら、こちらの方が断然美味しいです。お試しあれ。

赤と黄色のトマトは9月末に緑のものを収穫して、段ボール+バナナで完熟させたもの。
1.5ヶ月忘れていたので、しなびてしまいましたが、美味でした。
黄色のトマトはかなり立派に出来たので、種を採っておきました。

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Bom apetite !




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# by africa_class | 2017-11-13 04:37 | 【徒然】ドイツでの暮らし

ブラジル人神父ら22名の市民社会メンバーがジンバブエで投獄:ブラジル民衆運動とアフリカ

ただ今、ブラジルから連絡があり、全員が釈放され、ブラジル領事館にいるようです。(2017年11月10日現在)


ブラジルのラジオに流れた解放された鉱山被害運動MAMの女性リーダーのお父さん(国会議員)の感謝メッセージを聞きました。これがブラジルの政治史を振り返りながら、現在のジンバブエの政治社会状況を懸念する内容で非常に面白いのですが、娘の活動を「誇りに思う!」「この機会で彼女がいかに世界の皆とともに歩んでいるのかはっきりわかった」とのメッセージを発していて、人道支援をしていたり報道のためにイラクにいて人質になった日本の方々が集中バッシングを受けたあのときを思い出して、「あっ!これは本当に重要なメッセージ」と思いました。余裕があれば(ないが)、全文を訳したいと思います。


あと、お父さんのメッセージで、アフリカ中の大司祭やヴァチカンとルーラ大統領が直接ムガベ大統領とその周辺に働きかけたことを知り、さすがブラジル…おそるべしブラジル社会運動…と改めて思いました。(2017年11月12日現在)


昨夜、ブラジル人神父ら22名の中南米の市民社会メンバーがジンバブエで投獄された、ヘルプー!という情報が駆け巡り、夜中まで(ブラジルとの時差で…)、アフリカ<=>ブラジル<=>ドイツで、対応に追われていました。

すでに、BBC Brasilが第一報を流しています。


このブログとの関係では数点指摘しておきます。


【中南米の社会運動の活性化】

1)アフリカに先行して加速度的に進んだブラジルや中南米における鉱物資源開発やアグリビジネス投資による土地収奪問題は、住民や市民の側での主権者意識を目覚めさせるとともに、抵抗運動を育んだ。

2)これらの当事者・社会運動(労働者やその他)、それを支える教会、市民社会、学術界の連携は、時に国家権力をも掌握し、労働党政権や先住民族出身者の大統領選出などの動きを生み出した。

3)中南米における、社会運動と国家・政府・与党との結合は、多くの先進的な法制度や国家事業をもたらし、国際レベルでの各種の権利宣言の採択(先住民族に関する権利、開発の権利、現在の小農と農村で働く人びとの権利など)を実現した。

4)他方で、市民社会スペースの国家権力による介入の余地を生み出したり、選挙でこれらの連携先が負けると、報復に社会運動の弾圧が行われるなどの出来事が生じている(ブラジルの今)


【ブラジル社会におけるカトリック教会の役割】

1)以上の流れにおいて、「解放の神学」、カトリック教会が果たした役割は非常に大きいです。

2)軍事政権下で唯一、ある程度の自由がきいたのが教会でした。

3)そこで、おおくの運動が教会二庇護される形で進められました。

4)中でも、土地収奪と闘う教会の運動は、先駆的な試みを多様に駆使し、世界的に大きな影響を及ぼしました

5)土地紛争のデータの統計化、分析の一方で、社会の隅々にある教会のネットワークを通じて、危機が迫ったり、権利が剥奪された人びとに即座に対応しています

6)教会は住民と学者たちや様々なアクターの繋ぎやくもしています。

7)また住民のエンパワーメントのためのセミナーをあらゆる方法で行っており、問題だけでなく、その先(アグロエコロジーや食料主権の実現)のための活動も活発に行っています

8)何より、教会組織は世界組織でもあります。世界と連携しながら、情報を世界に発信し、また世界の支援を受けるなかで、自らの経験交流を各地に広めています。

9)最後に、ブラジルのカトリック教会が土地問題に深くコミットするようになったのは、セラードに日本とJICAがもたらしたPRODECERとの闘いによってでした。


【中南米の経験をアフリカへ】

1)以上の1990年代から一歩ずつ駒を進めてきた中南米における社会運動の経験は、ポルトアレグレでの世界社会フォーラムで、一気に世界に知られるようになりました。

2)そこで、アフリカ市民社会運動との交流も始まっていたのですが、その段階では「繋がっているだけ」という傾向がありました。

3)しかし、これまた皮肉にも、三角協力として開始したプロサバンナ事業、そしてモザンビーク北部でのVale社(三井物産)の石炭開発事業が、ブラジルとモザンビークの民衆同士を繋げる大きな役割を果たしました。

4)ポルトガル語同士ということもあり、これまでにない動きが生み出されています。


*この様子は、以下のFBでも紹介されています。

http://bit.ly/2vimdhk


5)特に、鉱物資源開発と大規模アグリビジネスの土地占領に抵抗する人びと同士で、大西洋を越えた連携が進んでいっています。


【今回の事件】

BBCの報道によると、次のとおりです。

1)この流れの中で、ジンバブエで金やダイヤモンドの鉱物資源開発に苦しむコミュニティのエンパワメんとのために、ブラジルと中南米から経験交流に22名が訪れていたそうです。

2)ブラジルからは、セラードでの農業開発、とりわけPRODECERとの闘いで最前線にたって頑張ったカトリック神父さん、ロドリゴ・ペレ神父(土地司牧委員会CPT)、鉱山被害運動(MAM)の2名の代表が地元コミュニティを訪問していたようです。

3)この中には、3名のブラジル人の他、南ア、ザンビア、ケニア、ウガンダなどの市民社会メンバーも含まれるようです。

4)コミュニティが鉱物資源開発のために退去を押し付けられていたそうです。

5)そのコミュニティをサポートしようと訪れていたところ、中国人の鉱山主が警察に通報し、警察はバスでやってきて全員を拘束。

6)現在、投獄されている模様。

7)駐ジンバブエのブラジル大使館やその他の大使館は、ジンバブエ政府に釈放を強く働きかけているところ。


Frei e ativistas brasileiros são presos em zona de mineração de diamantes no Zimbábue

http://www.bbc.com/portuguese/internacional-41950575


<=来年の総選挙を睨み、ジンバブエの政治・社会状況が急速に悪化している中で、このことが浮き彫りにしている沢山の問題についても、この記事は詳しく述べているので、ぜひご一読下さい。


【ブラジル市民社会から世界への緊急署名活動:声明】

本日、ブラジル時間2時までに署名を集めているそうです。

*団体署名となります。


Today, November 10, 2017, three comrades were arrested in Zimbabwe: Frei Rodrigo Peret, a militant of the Pastoral Land Commission of Uberlandia, Minas Gerais state, Maria Julia Gomes Andrade and Jarbas Vieira, the later two members of the Movement of People Affected by Mining (MAM) and members of the secretariat of the Committee in Defense of the Territories Facing Mining.

The group of Brazilians were participating in an exchange activity of the Brazil and Latin America Dialogue of Peoples and were arrested with 22 more people from five African countries who were part of the same delegation. They are detained at the central police station in the town of Mutare, which lies 270 kilometers from the capital, Harare, on the border with Mozambique.

The allegation for the arrest of the group is that they were violating a privately-owned area belonging to a Chinese mining company who exploits diamonds in the region, however, the activity was carried out in a community where about 6,000 people live.

THE BRAZILIAN EMBASSY IN ZIMBABWE ha
s already been activated, and is in contact with local police to gather more information. The Human Rights Division of the Ministry of Foreign Affairs in Brasilia is also following the case. The head of the Africa Department of that ministry has also been notified.

There is great concern with the situation of political instability in Zimbabwe. Several organizations and militants are mobilizing their networks to provide support and solidarity to their peers and the whole group.

【実は他人事ではない】

いま、「儲け至上主義」の世界の各地で生じていることですが、住民やコミュニティの権利を奪う側のビジネスと結託する各国政府の傾向が強まっています。そして、それに対抗しようとする住民や市民社会の側に多大な負担と犠牲が強いられています。


このような中で、市民社会のスペースは急速に狭まっていっています。

これは、日本でも感じられていることであり、モザンビークでもそうですが、そのほかでも同時進行している状態にあります。


これを受けて、国連人権理事会では次の様なガイドブックを策定しています。

http://www.ohchr.org/Documents/AboutUs/CivilSociety/CS_space_UNHRSystem_Guide.pdf


いずれにせよ、1%のための政治経済社会が国内だけでなく世界大で形成されつつあります。

99%がそれに気づかないよう、互いに反目しあい、足を引っ張り合い、権利が剥奪されても諦め、単純安価な労働者として考える余裕も抵抗する力も失い、むしろ大政翼賛の一こまを担うようにと、あらゆる方法での精神的働きかけがなされているところです。


日本はすでにこれが上手くいったケースとなりつつあります。

そのような中でブラジルから学ぶべき点も多いのですが、だからこそ弾劾後の政権や世界の権力者たちが、ブラジルの民衆運動にターゲットを絞って弾圧に協力しあっている可能性が感じられます。


続報がきたらお知らせします。


写真は、セラード農業開発の拡大(MATOPIBA)に反対する先住民族や教会の皆さんのマーチの様子です。

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# by africa_class | 2017-11-11 19:12 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

ブラジル・セラードの日系農場とコミュニティ紛争:水問題でついに住民占拠へ

 今日は土曜日。のんびりした空気がここドイツの田舎では漂っているのに、ブラジルとアフリカから矢継ぎ早に寄せられる情報に翻弄されているところ。
 さて。ブラジルからの緊急情報のリサーチをしている間に、さらにSOSの情報がブラジル経由で寄せられて、ややてんやわんやですが、現時点で寄せられた情報、調べたことを共有しておきます。

これはその前の投稿で紹介したMATOPIBA地域で起きていることです。
詳細は以下をまずご覧下さい。

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

http://afriqclass.exblog.jp/237969424/

1. この1週間で起きたこと&その背景
末尾のソース(記事)によると、次のようなことが11月2日から現在まで起きているそうです。

【概要】
1)地理:ブラジル北東部バイーア州バレイラス地域のロザリオ郡コレンチーナ市
2)現場:「イガラシ(五十嵐)社(Lavoura e Pecuária Igrashi)」が所有するリオ・クラーロ農場(地元住民は「イガラシ農園」として言及)
3)日付:11月2日に発生
4)リオ・クラーロ農場を500-1000人の住民らが占拠し、農場の灌漑設備を破壊

【背景】
1)この地域はバイーア州最西部地域で、日本・JICAのPRODECERを経て、大規模開墾大豆を含む輸出向け穀物生産が拡大し続けてきた
2)水の大量利用により住民が生活に頼る水が不足
3)これについては、裁判や請願を含む様々なアクションがとられてきたが、行政はアグリビジネス側に立った
4)このたび、「イガラシ農場」での新たな灌漑設備の完成によって、さらに水が枯渇した
5)関与しているのは日本企業である

*コミュニティの弁護士によると、企業が1日に使う水量は1億リットルで、3万人が暮らすコレンチーマ市の300万リットルの何十倍にも上る。

【何が起きたのか?起きているのか?】
1)ついに周辺コミュニティの住民が立ち上がり、農場を占拠し、灌漑設備を破壊

*女性たちは、「私たちは誰も傷つけたくない。ただ生きていくために不可欠な水を取り戻したいのだ」と語る。

2)警察が出動
3)コミュニティと住民の権利を支援する運動が拡大
4)捜査開始に対して、全国から非難
5)今日全国から集まった人びとが集会を予定

2. 問題となっている「日系企業」(イガラシ社)とは?
報道と現地からの情報で、この企業が「イガラシ(五十嵐)社(Lavoura e Pecuária Igrashi)」であることが分かります。そして、現地の皆さんからは、日本のマネーが関わっているとの情報がくるのですが、明確ではありません。また、背景はあまり明確ではありません。そこで、日本語・ポルトガル語でのサーチをした結果、次のことが分かりました。

なお、「イガラシ社」のサイトは「現在メンテ中」と出ます。
http://www.igarashi.com.br/

【戦後日本人移民によるイガラシ社の設立と北進】
1)戦後、日本からサンパウロ州イビウにやってきた五十嵐氏
2)その後、サンタカタリーナ州に拠点を移す
3)1970年に会社を創業し(本社クリチバ)、種芋の栽培に取り組む
4)日本のセラード農業開発協力(PRODECER)の北進に伴い、
5)1992年にゴイアス州に農場(Fazenda Rinção de Alice)を開設
6)1995年にバイーア州にRio Claro農場を開設
*そのほか、Chapada Diamantinaにも農場を有する。

【イガラシ社の土地保有面積】
1)バイーア州に35,000ha
2)ブラジル全土、全体で50,000ha
*ちなみに、東京都面積は200,000haなので、その4分の1の広さ
3)今回問題になっている農場は、2500haぐらいのもののようです
(NGO情報による)

【何を生産しているのか?】
NGOの情報やメディアの情報、FB情報を踏まえると、
1)種芋やジャガイモを重視しつつ、
2)豆類、トウモロコシ(メイズ)、小麦など
3)これをセンターピボット方式で生産

【現在の所有者】
1)五十嵐氏と日系二世のお母さんの子どもであるNelson Yoshio Igarashi氏
2)北東部の農場、サンパウロ、クリチバを自家用ヘリコプターで飛び回っている、そうです。

【日本との関わり】
1)日本政府・政府系機関と日系移民の関係の強さを考えると無関係ということはないと思います。
2)農水省の助成をもらってブラジル・セラードのアグリビジネスの現状を日本との関係で調査をした筑波大学他の調査結果をみると、極僅かに選ばれた企業の一つが五十嵐農場となっています。ですので、一定の関係があると思われますが、詳細は不明です。
3)また、五十嵐ファミリーが、農場を北部に広げていくプロセスと日本のPRODECERへの関与(時期・場所)がある程度重なっているので、なんらかの関係はあったものと思われます。
4)特に、PRODECER II(1983年ー1993年)に対象となったのが、ゴイアス州とバイーア州のこの地域であったことも注目したいところです。が、直接関係があったかは不明です。

*しかし、いずれも現段階で推測にすぎず、この関係については、今後のリサーチが必要です。(私も忙しいので、誰かやってほしい・・・)

3. コミュニティ・住民はどのような被害を受けているのか?
なかなかメディアにはのらない情報なので、ここが一番重要かもしれません。
現地から詳細なるレポートとパワーポイントが届きました。
が、今それを全部紹介する余裕がないので一部だけ。

【イガラシ(サンタクラーロ)農場と灌漑】
1)水利用権を2015年1月27日に獲得
2)2,539haの自社農場のため大規模な灌漑設備を完成させた
3)「イガラシ農場」は、1日14時間182,203m2/一日の水を
4)サンフランシスコ川からくみ上げている。
5)周辺地域のコミュニティは水へのアクセスが困難な状況に陥っている

【住民・NGO等から提供のあった写真】
1)センターピボット方式の農業生産とは?
現在、この地域一体では次のようなパッチワーク状態にあるそうです。
真ん中あたりに丸が沢山並んでいますが、これがセンターピボット方式の生産様式です
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2)「イガラシ農場」で工事中の灌漑設備の写真

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3)結果として、水位が劇的に下がった川べりでは、このような状態が生まれているそうです。周辺は、伝統的に「川べりに暮らす人びと」のコミュニティが形成されており、暮らしが続けられないほどの打撃を受けているといいます。

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4. Water grabbing(水収奪)はLand grabbing(土地収奪)

日本でも少し「ランドグラブ」が注目されるようになった(かな?)のですが、ランドグラブ=土地の収奪だけを含むものではなく、特にアグリビジネスによる土地占領は、水の収奪と一体になって進みます。

理由は簡単。
農業には水が不可欠だからです。

日本では、ブラジルのセラードを「不毛の大地」だなどとよんで、まるで重要ではない扱いをしてきましたが、実際はアマゾンよりも生物多様性に富み、かつ南米中の大規模河川の源流がセラードに集中し、まさに「南米の水がめ、水のゆりかご」となっています。

そのセラードで水をぐんぐんアグリビジネスが使い、農薬で汚染したために、多種多様な問題が生じています。それは、地元社会に最も強烈な影響を及ぼすのですが、遠く離れたサンパウロで水がアクセスできなくなるほどに深刻となっています。

実は、米国でも、オーストラリアでも、水不足で農業生産ができないほどになってきているのですが、この背景には、気候変動・異常気象による深刻な干ばつだけでなく、地下水をくみ上げすぎたこと、さらに塩害が起きていることが影響しています。

つまり、今世界では、水と土地の収奪は同時展開していると考えるべきでしょう。
これについては、また紹介します。

最後に、この問題となっている地域で、アグリビジネスの地下水汲み上げにより、地面の陥没も各地で起きているとの写真を紹介しておきます。これらは、現在の工業的な大規模農業生産が、いかにコミュニティだけでなく地球を蝕んでいるのかを如実に示しています。

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今日の続報を待ちましょう。

【参考サイト】
破壊中の動画が地元新聞のサイトに掲載されています。
http://www.correio24horas.com.br/noticia/nid/destruicao-em-fazenda-causa-prejuizo-multimilionario-veja-video/

すでにこの「イガラシ農園」に対して住民が、以前から訴えをおこしていたようです。
https://www.jusbrasil.com.br/topicos/83367407/fazenda-igarashi

声明
http://cptba.org.br/cptba_v2/nota-cansado-do-descaso-das-autoridades-o-povo-de-correntina-reage-em-defesa-das-aguas/

支援の運動
https://www.noticiasagricolas.com.br/noticias/meio-ambiente/202211-cientistas-de-esquerda-fazem-mocao-a-invasao-da-fazenda-igarashi-em-correntinaba.html#.WgSpOUdpFsM

警察が捜査開始
http://g1.globo.com/jornal-nacional/noticia/2017/11/policia-investiga-invasao-de-fazenda-e-vandalismo-no-oeste-da-bahia.html



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# by africa_class | 2017-11-11 18:12 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

 やっぱり畑に出て作業をしていたら、ブラジルから緊急連絡…。時差があるので、なるほどな、というところなのですが。

 日本が深く関わるブラジル・セラードの皆さんから緊急情報が寄せられています。今週の土曜日に何が起こるか分からない…ということで、日本も関係している可能性があるので拡散してとのことです。

 でも現地の情報をただ貼付けても、おそらく基本情報が日本語でよめる形になっていないので、よく分からない…と思うので、まずはこの地域で、日本との関係で今起きていることについて、背景を歴史と日本の関与に焦点を絞って紹介しておきます。


 なお、緊急連絡があった事件については、直接関係があるか不明なので、別個の記事にしておきます。


【歴史的背景:大豆を求める日本との関わり PRODECER→ProSAVANA/MATOPIBA】

 JICA(日本国際協力機構)の前身の国際協力事業団が、ブラジル・セラードを「不毛の無人の大地だ」と主張して農業開発協力(PRODECER)を行ったこと、その結果については、すでに詳しく紹介してきました。PRODECERには第一期、第二期、第三期まであり、大豆のプランテーション栽培の対象地は、どんんどん北上し、アマゾン周辺地域までいったことについても紹介したかと思います。

 その後、「PRODECERの成功をアフリカに」と称し、「緯度が同じで農学的環境が類似する」との想定でモザンビーク北部にProSAVANA事業が持ち込まれたことについても、このブログで紹介しました。しかし、モザンビークでの粘り強い反対運動に直面する中で、元々計画されていた「大豆フロンティア」をブラジルのアマゾン周辺地域に伸ばしていく政策が、より強固に推し進められるようになったことについては、未だ紹介していなかったかもしれません。この計画を、関係者らはMATOPIBA(マトピバ)とよんでいます。

 ジルマ政権の末期に、農場主協会のトップでもあったカーチャ・アブレウが農務大臣になり、MATOPIBAを国家政策として正式に採用し、日本の農水省大臣との間で、これを推し進める二国間合意文に署名しています。2016年2月のことでした。この前段に、安倍首相のブラジル訪問時(2014年7-8月)の声明があります。


その際に、PRODECER、ProSAVANAを賞賛し、このMATOPIBA実現のためのインフラ整備を約束しています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/la_c/sa/br/page3_000872.html


 MATOPIBAは、セラード地域の中でも、PRODECERが「十分」には包含できなかったマラニャオン、トカチンス、ピアウイー、バイーア州をターゲットにした計画で、この地域はより深い森林に覆われ、アマゾンへの移行地帯であるとともに、数多くの先住民族やアフリカ解放奴隷の逃亡コミュニティ、伝統的なコミュニティが自然に頼って暮らす地域です。

 MATOPIBAは、ナカラ回廊におけるProSAVANA事業と同様に、内陸から港迄の一次産品輸出網を確保するというインフラ整備と農業開発が連動した計画で、アマゾンを横切る河川を使った運搬ルートなども念頭におかれています。この北部穀物輸送ルートの調査研究を行ったのがJICAです。


【セラードを守るための住民の運動】

 MATOPIBAについては、ブラジル内でかなり大きな反対運動が起こっています。ブラジルの主要な社会運動組織や当事者団体(先住民族、解放奴隷コミュニティ、女性運動、小農運動、土地なし農業労働者運動、教会)や市民社会組織(環境団体、人権団体)、そして大学・研究者・研究所が加わる形で、活発に活動を繰り広げています。


<セラードを守る全国キャンペーン・サイト>

http://semcerrado.org.br/

この中に、MATOPIBAに関するリーフレットが2つ掲載されています。

http://semcerrado.org.br/wp-content/uploads/2017/01/Folder-Matopiba-Cr%C3%A9dito-CIMI.pdf

http://semcerrado.org.br/wp-content/uploads/2017/01/Infogr%C3%A1fico-sobre-MATOPIBA-Cr%C3%A9dito-CPT.pdf

*必ずしも正確ではない点が部分的にあるのですが、現地からの視点ということで。末尾に表紙の写真を貼付けますが、見るだけで哀しくなります。


【MATOPIBAのその後】

 日本政府・JICAは、輸出型・官民連携の大豆生産・輸出を目指したProSAVANA初期計画の失敗を受けて、農業開発そのものには政府としては関わってはいません。といっても、分かっている範囲ですが。また日本の企業も当初は農場買収などでこれに参画しようとしていたものの、事業失敗の中で巨額の債務を抱え、現在はvalue chainのコントロールに焦点を移しつつあります。

 そして、ジルマ政権の崩壊と、アブレウ農務大臣の失脚を受けて、前政権の計画であるMATOPIBAは政治・外交の舞台から消えているように見えますが、実際のところはこの地域での土地収奪は、より内陸奥深くに伸張しつつある鉄道・道路などの交通網の整備に伴って、激しさを増しています。ここにきて、大豆などのだけでなく、ユーカリ植林も増えてきています。

 なにより、ジルマ前大統領の弾劾後に政権を奪取したテメル大統領は、農務大臣にブラジルの「大豆王」でありアグリビジネスの帝王と呼ばれるブライロ・マッジ氏を選ぶ一方、小農の農業を支援するためにルーラ政権時に創設された農業開発省を潰し、アグリビジネス優先の農業政策を強く打ち出しています。

 これらの結果、2014年頃から、ブラジル各地で、土地や水をめぐる紛争が激化しています。中でも、MATOPIBA地域を含むセラードやアマゾン周辺地域は、最も激しい紛争が起こっており、土地と森を守ろうとする先住民族のリーダーや市民社会組織のリーダーらが、次々に暗殺されています。ブラジルは、土地と森を守るために殺された人が世界で最も多い国となっています。


国際NGO・グローバルウィットネスの報告書

https://www.globalwitness.org/en/campaigns/environmental-activists/how-many-more/


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# by africa_class | 2017-11-10 04:41 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

試訳:「小農と農村で働く人々の権利に関する国連宣言」のドラフト(前文)

 今日はあまりに寒く、畑仕事をする気持ちが盛り上がらなかったため、関心のある人とない人といるでしょうが、趣味と実益を兼ねて、昨日紹介した「小農の権利に関する国連宣言」のドラフト文の前文だけ仮訳しておきました。

 つかったドラフトは、201736日に、国連総会に提出されたドラフトで、総会文書(A/HRC/WG.15/4/2)となります。https://documents-dds-ny.un.org/doc/UNDOC/GEN/G17/051/60/PDF/G1705160.pdf?OpenElement

 が、国連関連の宣言文で一番面倒なのが、「前文」なので、ここを避けて通りたい気持ちは山々だったものの、ここを飛ばすと意味がなくなるので、耐えに耐えて訳しました。

 途中までは、あるお方が下訳をして下さっていたので(感謝!)早かったのですが、その後は辛かった。一般向けには分かりやすく訳し直す必要がありますが、まずはそのままに近いバージョンでシェアしたいと思います。また、日本語の校正をかけていないので、最後まで訳せたら見直しします。誤訳など気づいた人は教えてね。

 また、「小農と農村で働くその他の人々」が正確な訳ですが、下訳者が「小農民と農村で働く他の人々」とされていたので、「小農民」を「小農」にして訳してあります。でも、「小農と農村で働く人々」でもいいかなと思っています。

(*なお、下訳者の方は農民団体の方なのですが(知る人ぞ知る)、お名前の掲載は遠慮したいとのことなので、残念ながら私のみの名前となっています。格調高い素晴らしい訳で、私の稚拙な訳が恥ずかしいほど・・・)

 ちなみに、読み始めてぞっとして、最後まで読んでぎゃーーというと思いますが、前文は「ピリオド(。)」が、最後の最後までなく、ずーーーと「コンマ(,)」と改行で文章が連なっていきます。なので、この宣言文の前文は、2.5頁全部が一つの文章…という悲惨なものとなっています。

 で、recalling,reaffirming, recognizing, convinced, concerned, alarmed, noting, という始まりが延々と続いて、recallingなんて4連発なわけですが、これらのどれを使うかで、国際的な意志の強さが変わってくるので訳もあまり弄れません。

 国際的な抗議文書であれば、condemnを使うかどうかが焦点になってきます。 そこを、notingとかに弱められることがままあります。このcondemnnotingかのたたかい・・・を延々と水面下あるいは議場で行うのが、国連外交だったりするわけで、なんともまあ・・・。

*****

==

作業部会の議長兼報告者による提案

小農と農村で働くその他の人々の権利に関する国連宣言(案)

(試訳:舩田クラーセンさやか[2017年11月10日版])

<前文>

国連人権理事会は、

 国際連合憲章、世界人権宣言、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する条約、市民的及び政治的権利に関する国際規約、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約〔女性差別撤廃条約〕、発展の権利に関する宣言、全ての移住労働者及びその家族の構成員の権利の保護に関する国際条約、児童の権利に関する条約〔子どもの権利条約〕および、普遍的または地域レベルで採択された他の関係する国際条約に明記される原則の実現の促進を希望しつつ、

 すべての人権は、普遍的かつ不可分、関連し合い、依拠し合い、相互に補完し合い、同じ土台の上で、等しく重視されつつ、公平かつ公正に扱わなければならないことを確認し、一範疇の権利の促進と保護によって、他の権利の促進と保護を締約国が免れてはならないことを想起し、

 小農と農村で働く他の人々と、これらの人々に属し、彼らが生計のために依拠する土地、水、自然資源、領域との間の特別な関係および関わり合いを認識し、

 世界のあらゆる地域の小農と農村で働く他の人々による、世界の食料と農業生産の基盤を構成する過去、現在、未来の開発/発展と生物多様性の保全・改善に対する貢献、そして持続可能な開発のための2030アジェンダを含む国際的に合意された開発目標を達成するのに不可欠である食料主権の確保における貢献を認識し、

 小農と農村で働く他の人々が貧困と栄養不足に著しく陥っていることを懸念し、

 また、小農と農村で働く他の人々が環境破壊と気候変動がもたらす被害を受けていることを懸念し、

 農村生活におけるインセンティブの欠如や重労働を理由に、世界で小農の高齢化が進み、ますます多くの若者が農業に背を向けていることを懸念し、とりわけ農村の若者に対して、農村における経済の多様化と、農場労働以外の機会の創出の必要を認識しつつ、

 ますます多くの小農と農村で働く他の人々が毎年、強制的に退去、立ち退きを強いられていることに危機感を感じつつ、

 小農女性と他の農村女性が、経済の非貨幣部門における労働を通じてのものを含め、彼女らが家族の経済的なサバイバル(生存)における重要な役割を果たしていながら、借地権や土地の所有権、土地、生産資源、金融サービス、情報、雇用、社会的保護への平等なアクセスをしばしば拒まれ、さらには、頻繁に様々な形式や表現の暴力の犠牲となっていることを強調し、

 いくつかの要因により、小農および農村で働く他の人々、小規模漁民、漁業労働者、牧畜民、林業従事者、その他の地元コミュニティの声が反映され、人権および土地保有権が擁護され、それが依拠する自然資源の持続可能な利用が確保されることが困難になっていることを強調し、

 土地、水、種子、その他の自然資源へのアクセスが、農村の人々にとってますます困難になっていることを認識し、生産資源へのアクセスの改善と適切な農村開発への投資の重要性を強調しつつ、

 小農や農村でく他の人々が、生系が自然のプロセスとサイクルを通じて適応し再生するエコシステムの生物学的かつ自然的な能力を含む母なる地球と調和するとともに、それを支援する農業の持可能な践を促し担うという努力が支援されるべきであることを確信し、

 農業漁業およびその他の活労働者の多くに与えられる、生活金および社会的保をしばしば欠く、有害で取的な条件を考し、

 土地や自然源の問題に取りむ人々の人を促し擁護する人、体、機関が、さまざまな形迫や身体的一体性への侵害(暴力)を受けるリスクが高いことを念し、

 小農や村でくその他の人々が、暴力、虐待、取から直ちに救や保を求めることができないほど裁判所、警察官、察官、弁士へのアクセスが困難となっていることに注目し

 食料品に関する投機を懸念し、人の享受をなうフードシステムの寡占や不均衡な流通が増していることを受けて

 人々の食料主権へ利を保するためには、この宣言でめられている諸利を尊重し、擁護し、促することが不可欠であることを認識し、

 先住民族の利にする国連宣言を踏まえ、先住民族の小農や村部でく先住民族を含む先住民族が、自らの内的事項ならびに地元事柄にする自己を有することを確認する一方、 当該宣言のいずれの記述も、国家、人々、体、または個人に対して、国連憲章に反するいかなる行を行う利を暗示するものではなく、また主国家および独立国家の土保全または政治的一を全面あるいは部分的に解体またはなうことを許可するものでも促すものでもないことを強調し、

 開発/発展利が、すべての個人とすべての人々にとって、譲渡不可能な人権の一部を成し、これらの人々が、人権に関わるすべての権利と基本的自由が完全に具現化される経済的、社会的、文化的、政治的な展(のプロセス)に参加し、貢献し、それを享受することができる権利を有することを再確認し、

 これらの人々が、人する国際規約方に関連する条項の対象者であり、自然が自身にもたらすウエルネスと源のすべてにする十分かつ完全な主を行使する権利を有していることを想起し、

 また、労働切な労働する国際労働機関ILO)の規約告の広範なる体制(body)を想起し、

 食べ物への権利、土地の権利、自然源へのアクセス、その他の小農利に関する国連食糧農業機構(FAO)による広範なる取り組み、特に「食料と農業する植物遺伝資源にする国約」、ならびにナショナルな食料安全保障の文脈における「土地森林漁場利の任あるガバナンスにするボランタリガイドライン」、食料安全保障と貧困撲滅の文脈における「可能な小漁業保するためのボランタリーガイドライン」、食料および農業のための植物遺伝資源にする国際条約」、ナショナルな食料安全保障の文脈における「適切な食料への権利の漸進的な実現を支援するためのボランタリーガイドライン」を想起し、

 農地改革と開発する世界会議」とそれによって採択された「小農憲章」の果を踏まえ、農地改革と開発のための切な国家略の策定の必要性と国家開発戦略全体への合が強調されたことを想起し、

 小農と村でくその他の人々の人をより一層保し、この問題する既存の国権規範と基の一した解用を行う必要性を信し、

 小農村でくその他の人々の利について、次の宣言を厳粛採択する。


***

最後まで読もうとしてくださった皆さん、ありがとうございます。

27条まであるので、続きがどこまで訳せるか分かりませんが、とりあえずこの宣言文の傾向については朧げながら理解できるかと思います。

当初のドラフトからの変化について、色々気づいた点を書きたいところですが、これはまた今度・・・。


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# by africa_class | 2017-11-10 00:36 | 【国連】小農の権利宣言

国連人権理事会での日本政府スピーチを読み解く:「小農の権利に関する国連宣言」

我が家の庭の「楽園」について書いた途端にパラダイス(楽園)文書の話が出てきて、これはこれでどうしても書かなければならない点が多々あるのだけれど、未だ材料が十分でないので、その話の前に、前から世界的に話題になっていたことについて書いておこうと思う。

少し前に国連人権理事会で議論されてきた「小農と農村労働者の権利に関する国連宣言」について紹介した。

完成間近の国連「小農の権利」宣言、そしてモザンビーク小農の異議申し立て

http://afriqclass.exblog.jp/237279049/

7月に忙しい中投稿していたので、肝心の日本政府の対応を調べる余裕もなく、しかし後日、日本を含む世界中の仲間たちから「日本どうなっての〜!」のお叱りを受けて、びっくりしたのだけれど、なんと第4回会議が開催された5月15日(19日までジュネーブで開催)の冒頭に、こんな意見を表明していた。。。

第4回会合の詳細サイト
http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/RuralAreas/Pages/4thSession.aspx

「議長殿、政府代表の皆さま、同僚の皆さん、そして市民社会のメンバーの皆さん」で始まる日本政府代表のスピーチ。

おや?…と思ってくださるのであれば本望。
最後にとって付けたようであるものの、しっかり「市民社会のメンバーdear members from Civil Societies」と述べている。これは、しかし、日本政府が特別なのではなくて、国連人権理事会という場、さらにいうとこの「小農権利国連宣言」が市民社会主導で…いや、もっと正確にいうと、小農自身が集って結成されている小農運動が主導する形で、国家間協議のテーブルの上にのせられ、ドラフト案まで辿り着いたという背景を知っていれば、当然すぎるかもしれない。むしろ、「同僚の皆さん」は不要で、先に「市民社会のメンバー」がおかれるべきだった。

日本政府代表は、最初に、議長に再度選出されたボリビア大使( Nardi Suxo Iturry)にお祝いを述べた後、次のように表明したのであった。(なお、この間の国際協議の場での中南米諸国の政府代表の重要な役割については、前に少し書いたけれど、また改めて書きたいと思う)。

「日本は、
人間の安全保障の観点から、小農や農村で働くその他の人々の人権を擁護し、それを促すことは極めて重要であると信じております。日本は、ODA(政府開発援助)のトップドナー(援助国)であり続けてきました。2013年を限っても、656百万米ドル(約745億円)がこの分野で拠出されています。農業・農村開発分野のトップドナーとして、日本は国際的に重要な役割を果たし続けます。

同時に、日本はこの宣言ドラフト全体に対するポジションを留保します。我々は、国際社会によって人権だと現在認識されるに至っていない、未熟な点が含まれているために、この宣言が適切ではないと考えているからです。

より重要な点として、小農やその他の人々の権利を守るためには、新しい宣言文をドラフトするよりも、すでにある人権メカニズム(human rights mechanisms)をより効果的に活かすべきだと、我々は確信します。

終わりに、私は、日本はあなたの努力に対し感謝を申し上げます。農村に暮らし働くすべての人々の人権状況の改善に向けて、この政府間ワーキンググループが、今週(の会合で)意義のある前進が得られることを祈っています。ありがとうございます。」


以上、下記サイトから筆者が仮訳。
http://www.ohchr.org/Documents/HRBodies/HRCouncil/WGPleasants/Session4/Japan-GeneralStatement.do

さて。多くの皆さんは、このスピーチに何ら問題を感じない?
丁寧だし、議論したらダメだとも言っていない。むしろ前進せよと言っているように思えますよね?
国際場裏におけるスピーチは、とにかく仰々しく、互いに褒めちぎり合いながら、しかし微妙な言い回しで、Yes, No, but....が展開される。

やや飛躍するが、私が修士課程で国際法を勉強した冷戦「終焉」直後の1993年(なんと24年前…)、担当教授が、国連の議論や国際法を一言一句訳をさせ、1ヶ月が経過しても、一つのマテリアルも読み終わらないので、イライラして、「センセー、この授業は英語の授業ですか?それとも国際法の授業ですか?」と喧嘩をうったことがあった。今思うと赤面だ。しかし、当時赤くなったのは先生の方で、タコみたいに真っ赤になって何かを口にしようとして、黙り込んでしまった…。

先生、もう30年近く経ってからでスミマセン。
本当にごめんなさい…。

一つの単語をどう訳し、どう理解すべきか否か。
各国代表の本音はどうなのか。
それがどのように国際法の制定過程に影響を及ぼすのか。

それを先生は気づいてもらいたくてやっていたと思う。
でも実質的な中身の議論をしたかった私は、前期の半年をかけても全容が掴めないことにイライラしぱなっしであった。しかも、受講生は2名のみ。

でも。その後、国連PKOの仕事をして、国際法や憲法や選挙法やその他の法的な手続きの文書を実地で読まざるを得なくなり、かつ修士論文を書くにあたって、国連総会や理事会での議論を追っていくうちに、これらの微妙な言い回しをどのように理解するか否かは、国際的な方向性を決めうる大変重要なことであったと気づかされるようになった。

今でも、先生に詫びながら、国連文書を読んでいるのだが、先生はそんなこと知らないだろう。国連のシンボルカラーの薄いブルーに諭されながら…。

この間、しばらく国連の議論や国際法から遠のいていたのだけれど、何を想ったのか、去年『植民地と暴力』という共著本を書いているときに、またそこに舞い戻ったのであった。(来年春に出るであろうこの本をお楽しみに。)そして、そこで取り上げた国際法のテーマとは、奇しくも、あの時読んでいた分野のものであった。そして、それは知らず知らずのうちに、私の人々と世界との関係の見方に、大きな影響を及ぼしていたのだ。

おそるべし、タコ先生。。。

さて、話を戻そう。

上記の日本政府代表の言いたい事を箇条書きにしてみよう。

1)日本は外交上の儀礼を熟知しており、ちゃぶ台ひっくり返すなんてことはしません。
2)しかし、小農たちの権利守るのに、宣言文なんて要らないじゃん?
3)そもそも、このドラフトに書いてあることは人権の概念といえないんじゃない?
4)大体、日本はこんな宣言なくったって、小農のこと一生懸命考えて支援してるからさー。
5)第一、日本は世界に冠たるトップドナーなんだから。
6)何度でもいうよ、「ト・ッ・プ・ド・ナ・ー」。わかった?
7)こーーーんなにお金使ってるんだから。なんせ745億円だから。
8)そんな巨額の援助、どこの国がしてるってーの?
9)小農支援とはいわないけど、農業と農村開発にね。
10)それぜーーーーんぶ、日本が提唱している「人間の安全保障」がらみだって思ってね。
11)「人間の安全保障」は人権のことなんだから。
12)要は、この宣言文、賛成しないよ。
13)とりあえず考えておくけどさ。
14)反対も賛成もしない。勝手に議論すればいいけど、でも口は挟むよ。

まあ、大体こんなところ?
やや言葉遣いが荒いことはお気になさらず。

出席していた小農や市民社会代表はそんな風に聞いたわけなので。もちろん、小農や市民社会代表といっても、もう何年も何年も国連の会議に出ているし、スピーチもする。国連トークはこなしている訳で、儀礼とか丁寧さとか外交チックな口調とか全部排除すると、真意はこれだと読み取ったわけです。で、びーーーくりして、どうなってるの?・・・と。

5月のスピーチから数ヶ月がさらに経って、日本は、表明したとおりの路線で、このワーキンググループを継続させ議論を前進させることについては・・・「棄権」した。米国などが「反対票」を投じる中で、最悪の選択肢をとらなかったということで、安堵はされている。

しかし・・・。
私は、このスピーチに、この間プロサバンナ事業でみられた日本政府やJICAの姿勢の、すごく本質的なものを見出してしまい、なるほどなーと思ったのであった。

(プロサバンナ事業ってなんじゃ?の人はこちらを)
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html

モザンビークの小農がJICAに「通じない」と感じている問題が、このスピーチに明確に込められている。すごーく分かりやすく、乱暴にまとめると、小農たちは次のようなことを疑問に思っている。

ア) 小農支援だとかいってるけど、小農やその運動に対して何をしてきたのか?反対する小農らの力を削ぐためにせっせと援助してきたではないか?カネで言う事をきかせようとしたではないか?

イ)小農の権利を守る、支援をするためとかいいながら、日本のコンサルタントが、遠いどこかでその方策を勝手に考えて書いたりしてるんだ。ちょっと農村を訪問して、ちょっと意見を聞いて、それで自分たちの頭が理解できる枠組みでしか書けない、リアリティから遠く離れたものを、どうして上から押し付けようとするんだ。

ア)については、『世界』の2017年5月号に詳しく書いたので、そちらを読んでいただければ。今、オンライン記事を準備されているとのこと。岩波書店、本当にありがたい!

イ)については、根が深い。もちろん、開発援助という枠組みが内包するコロニアルな前提が、如実に出ているのではあるが、それだけではない。JICAのいう「マスタープラン」なるものが、戦前の満鉄調査部の人物・経験に結びつきながら現在の日本の開発援助に脈々と受け継がれてきたことを、私たちはどの程度意識化できているだろうか?・・・という問いなのである。

このことはいつか研究書として、読み物として、まとめたいと思う。

日本から、あるいは開発援助産業の人達からみたら、モザンビーク北部の小農は貧しく、教育を受けておらず、支援を授けてあげなければならない存在に見えるかもしれない。しかし、彼らが生きてきた現実、そして彼らが日々直面する現実、さらには彼らがそれを乗り越えようと様々に工夫する創造力豊かな試みを・・・つまり、「援助の対象者」としての小農ではなく、「モザンビーク国の主権者の一員であり、社会変革の主体」としての小農を、本当に受け止められているのだろうか?

モザンビーク北部の「小農支援のため」と称して費やしてきた何十億円もの日本の資金は、彼らが彼らの国で主権を発揮でき、自分の力で政策を変えるだけの支援となってきただろうか?

むしろ、彼らの自発的で主体的な抵抗の力を弱め、剥奪し、彼らの権利を侵害し続ける政府の側を強化することに役立てられてこなかったろうか?

日本のコンサルタントに支払われた膨大な額(十数億円に上る)のことはさておき…。そのような巨額の資金が小農運動にあれば、一体何が出来たであろうか?

日本政府が立場を保留した「小農の権利国連宣言」の根幹には、まさに「小農のことは小農が決める」という基本理念がある。しかし、この根幹こそが理解されないまま、現在に至る。

プロサバンナ事業のマスタープランの最新版(Provisional Draft)には、3カ国市民社会が掲げてきた「農民主権」が言葉としてはいっているが、これが驚くほどに「主権」概念に根ざしていない。相も変わらず、「やってあげる」「これはしていい」調のテキストが延々と続くのであった。

援助関係者が「モザンビーク小農のために、小農のことを、『専門家として』、代わりに一生懸命考えてあげる」ことが、いかに彼らの権利を侵害しているかを理解することは、どうにもこうにも難しいようだ。

それは、私たちの国で私たち自身が、戦後70年以上も憲法に掲げてきた「主権在民」の精神を、本当の意味では理解せず、具現化してこなかったからに他ならない。

そして、苦難に直面する中、小農や農村に暮らす人々、土地をもたない人々自身が高らかに表明しようとしているこの権利宣言に対し、私たちの国は「立場を留保」し、「棄権票」を投じている。

しかし、国連総会での採択まで、可能性は残されている。
私たちは今一度、自覚的に考えるべき時を迎えている。

南の国々の人々や日本の農家に対する政策立案者・実務者・「専門家」・エリート、そして都市住民の意識の根っこにある傲慢さを。そして、私たちが「食べさせてもらっている存在」であるということの現実認識と、農民存在へのリスペクトのなさを。

このことを共に考えるには、たった2つの問いだけで十分。

「あなたは、今日、何を食べましたか?」

そして・・・
「その食べものは、どこの誰の、どのような苦悩と祝福を受けながら、あなたの命を支えているのですか?」


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追伸:
前回に引き続き、ブラジル・セラードでアグロフォレストリーを実践する女性の写真を。
なぜなら、これこそが現在に続く日本の小農への態度の原点を示しているから。

つまり、日本は、セラードを「不毛の無人の大地」と呼び、自らが必要とする大豆生産のために環境・地域社会を犠牲にすることを厭わなかったから。そして、その「成功」をバネに、モザンビークでのプロサバンナ事業が経ち上げられ、その後の混乱が生じてきたから。この話は、また今度。。。



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# by africa_class | 2017-11-09 05:05 | 【国連】小農の権利宣言

「楽園」から遠く離れてしまった私達として

畑仕事も終わり、翻訳もまずまずで、後数時間で空港に息子を迎えにいかなければならない。

この半年書こうと思って頭で書いていた文章が、なぜか突然溢れ出す。
乳飲み子だった彼を寝かしながら、毎晩頭で書いていた博士論文のときのように。

子が寝ると、そっと起きてPCに向かう。
暖房のない兵庫の山奥の部屋で、頭の中から溢れ出る情景と言葉をキーボードに落としていく。

あのときの情景は、モザンビークのミオンボ林の中を彷徨いながら解放戦争を生きる子どもたちの姿だったり、インド洋に浮かぶダウ船を自由に操る「海の民」の勇敢な姿だったり、ポルトガル人との混血の官使の下、素手で石や砂を集めさせられて鉄道を敷いていく男性たちの姿だったり、和平を祝い舞う女性たちの姿だったり、時空の彼方のものであった。

いま、言葉が頭から溢れ出る瞬間は、畑仕事から戻ってくる瞬間だったりする。
日々変化する何かとふれ合い、語らい合うと、感性の何かが刺激されるようで。でも、畑の中にいる間は「言葉」ではない。「感触」なのだけれど、家にはいった瞬間に、それが言葉になって空に舞い始める。

でも、それを目で見える文字に変換する時間などないほどに、色々なことに追われてきた。だから、一切「文字」にしてこなかった。自分のやりたいことを、自分のためにやることは、依然として得意ではない。これは、19歳のときに誰かと暮らし始め、母になってからずっと感じてきたことだった。

家族がいるということは何よりも代え難い幸せでありがたいことである一方で、自分の思考と言葉を一致させるには時間と空間の工夫がいる。他のことの忙しさもあって、自分のことは後回しが癖となり、どうにも上手くやりくりができなかった。

その上、病気になってから、一つ一つのことに、とても時間がかかる。
いや、やり始めるのに時間がかかるといったほうがよいいかもしれない。
残念に思うことは事実だが、それはそれでよかったのだと思う。

できないからだ・・・もう。
あれこれやりたいと思っても。
同時には。
その上、順番にしても、もう半分以上は確実に生きてしまったから。

そう思ったときに、一度だけの人生を、納得のいくように生きたいと思った。
いやあんた、自由に生きてたやん。
他人はそう思うかもしれない。
でも、私の実感は真逆だったのだ。
そこに人間の難しさと愚かさと闇があると思う。

私はもっともっと知りたいと思ってる。
学びたいことが山ほどあって、それについて語り合いたいと思ってる。

自然の中にいると、無知を自覚させられる。
しかし、この無知の自覚は、不思議なことに、大きな喜びをもたらしてくれる。
ああ、なんと私、人間、ヒト科動物は、本質が掴めないのだろう。
目で見て、耳で聴き、手で触るものでしか判断できないのだろう、と。

ここは楽園。

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ずっと薪割りコーナーで、皆のいうところの「雑草」が生い茂っていた場所。
今年春にイーちゃんがモザンビークの帰りにきて、ナオミちゃんとマーサちゃんがルワンダから遊びに来てくれたときに、一緒に畑にしたところ。今年は、日本とアフリカから8名が手伝いにきてくれたのだけれど、彼女たちの活躍なしには、畑の面積は広げられなかった。

先日東京からきた古い友人が、この広い畑と森と庭の中を歩き回りながら、このスポットが「楽園」なのだといってくれた。日陰で少しじめじめしているところなのに、ここによい空気が漂っていると。

ただの草むらだった楽園には、皆の想いが詰まっている。
人間だけじゃない。

農業関係の仕事についている彼女たちが驚いたこと。
この元気な野菜たちは、去年タネが出た段階の茎をそのまま刈り取ったレタスと大根とアマランサスを段ボールにぶち込んで放置して乾燥させていたのを、1年経って穂ごとバンバン叩いて蒔いて、土を被せて踏んで、枯れた草をばらばら蒔いただけだったりするのだ。半信半疑の彼女達がやって行ってから1ヶ月後がこれ。

いや、これが正しい方法だといってるんじゃない。
単に、忙しすぎて、きちんとタネを茎とか穂から分けて、叩いて干して・・・ができなかったからだけなのだけれど、これはある種私の中では実験的にやろうとしていたことでもあった。

その命に託してみればいいと。
命が応えようとすればこれに応えるだろうし、応えないとしても、別の命が応えるのだろうと。

そして見事にタネたちはこれに応え、いまとなっては、大根とアマランサスとレタスの草むらとなり、寒さの中で食卓に緑を添えている。(写真は8月頭)


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カボチャはドイツの固定種。
これは今年は買ったもの。
奥は、モザンビークの農民ママにもらったトウモロコシ。
ササゲとともに、すごい成長ぶりだ。
この話はまた改めて。

でも、森の中で農的営みを試みるというトライアル&エラーは、徐々に私たちをも変えてくれている気がする。
ビオトープでオタマジャクシとなった何万ものカエルが、今は森の畑の中で一生懸命虫を食べてくれるまでに大きくなった。この「王様」は、もう目が合っても逃げたりしない。

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命が命を支え、新たな命を生み出す。
そんな循環の中に、かつては私達ニンゲンもいたはずだった。

8月の情景と溢れた言葉を思い出しながら、あえて「楽園」から遠ざかろうとしているのは、私達自身なのかもしれないと思った土曜の午後のことだった。

いざ空港へ。




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# by africa_class | 2017-11-04 21:49 | 【食・農・エネルギー】