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朝日新聞社のWEB論座に寄稿しました(「イスラム国がモザンビークを攻撃」の衝撃)

なんだか夏の終わりのような天気ですね。
以前からお誘いいただいていたのですが、なかなか原稿を書く時間と余裕がなくて、4ヶ月もかかってしまいました…。が、学術界やNGOだけでなく、ビジネス界のみなさまから、日本の企業(三井物産など数社)が進出するモザンビーク北部で続く「ムスリム武装集団による襲撃事件」の実際と深層を知りたいから教えてくれという声が相次いでいました。

実は・・・モザンビーク研究は先日東京大学出版会から出した共著本『解放と暴力ーアフリカにおける植民地支配と現在』(小倉充夫、舩田クラーセンさやか)で終わりにしようと思っていました。

しかし、ついに「イスラム国」が6月6日に関与を発表したので、この件に関する基本情報と議論の整理ぐらいはしておかないといけないな・・・と思って、今回記事を書くことにしました。

参考文献は付けられないルールなので、記事には付けていませんが、元原稿のすべての行に1つから2つの注を付けています。また時間をみてそれらを紹介できればと思います。基本的に、英語とポルトガル語の新聞記事(モザンビーク政府系+独立系、ポルトガル、ドイツ、アメリカ、英国、その他国際)や専門家のインタビューや論考などを参照しています。

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「イスラム国がモザンビークを攻撃」の衝撃(上)

天然ガス輸入で日本も関係大。「遠いアフリカの国」の出来事で片付けられない

http://bit.ly/2XOwz6H


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実は、いま攻撃が続く地域、そしてムスリムの若者のリクルート先とされている地域は、私の長年の調査地です。

とくに、この地域のイスラーム化と周辺諸国との関係については、博士論文と科研調査のテーマで、2005年には・・・タンザニアのザンジバル、ダル・エス・サラームを基点に、インド洋沿岸部から内陸部にかけて、ロヴマ川を渡って、モザンビークのカーボデルガード州からニアサ州までの旅を、5歳の息子を連れて、3ヶ月かけて行いました。

毎朝起きると、息子は、「ママ今日は挨拶はなんていえばいい?」と聞くほど、激しい移動でした。

タンザニアではスワヒリ語や英語、
モザンビークではスワヒリ語、マクア語、ポルトガル語・・・

そのときの経験が、息子の起業に繋がった話は先日このブログで紹介しました。

18歳の息子が社会的起業(ソーシャルビジネス)や「昆虫食」にこだわるようになった理由、それはアフリカで…。

https://afriqclass.exblog.jp/239311158/

2005年の他にも、2003年、2004年、2006年とこのテーマを追ってきたのですが、それだけを取り出して論文を出版していなかったので、現実には博論を土台にして執筆した『モザンビーク解放闘争史ーー「統一」と「分裂」の起源を求めて』(御茶の水書房、2012年)の3,4章をみていただくしかないのが申し訳ない限りです。

この本の表紙は、実は今回「論座」の記事の冒頭で紹介したキリンバ群島の一つであるイボ島のサン・ジョアン・バティスタ砦のある部屋の扉の写真です。ここに、かつては奴隷貿易で取引されていた「奴隷」、1960年代にはポルトガル植民地警察によって勾留された政治犯が収容されていました。その中に、この地域のムスリム指導者たちが多く含まれていました。

ポルトガルの秘密警察は文化人類学を雇って、この地域のイスラーム化とそのネットワークを分析しており、その担当官だった大学教授が残した本や資料を読み解き、家まで尋ねてインタビューして、本は仕上げました。2012年に出版された英語版の方が、もう少し詳しく書いているので、関心があれば英語版をご確認下さい。

The Origins of War in Mozambique: a history of unity and divisions (Ochanomizu Shobo, 2012)
あるいは、オンライン版をAfrican Minds社から無料で公開しているので、そちらをダウンロードいただいてもいいかと思います。



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# by africa_class | 2019-06-16 13:10 | 【記録】原稿・論文

18歳の息子が社会的起業(ソーシャルビジネス)や「昆虫食」にこだわるようになった理由、それはアフリカで…。

息子(海)の葛藤、たくさんの皆さんに読んでもらったようでありがとうございます。
未読の方は、まず以下の投稿からご笑覧いただければ。

日本で11歳まで前髪の向こうに隠れていた息子が、7年後にドイツの起業コンペで優勝するまで。

https://afriqclass.exblog.jp/239298221/

ドイツから「熱血パパ」が何度もメールしてくるんで、皆さんにも協力をお願いさせていただきつつ、海がなぜ起業家になろうと思ったのかの話を紹介させてもらおうと思います。

実は、海は友人のFinとともに、14-19歳向けのStartup Teenというドイツの起業コンペに参加しています。そして、本日(6月13日)の21時(日本時間)に投票が締め切られるそうで、皆さまに彼らのビジネスプランを確認していただき、「いいな」と思ったら、ぜひ投票していただければ!

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現在エントリー中の10代の起業を応援するStartupteensサイト
https://www.startupteens.de
ドイツのサッカー元代表のフィリップ・ラームや名だる企業が応援している。
*前回優勝したコンペは起業サポートのコンサルタントの費用を負担してもらっただけで、起業のための資金はもらえなかったので、このコンペでそれを確保したいということです。


1. アカウントを以下のログインURLで作成、anmeldenというのをクリックすると仮の登録完了
https://www.startupteens.de/user/register
2. 登録メールアドレスに確認がくるのでクリック
3. ホームページに行って登録が完了するので、画面の下に出る「zum Online-Voting」をクリック。

あるいは、
3. 改めてログインすると、
4. エントリーされているティーンのビジネスプロジェクトの一覧が出るので、下の方に出てくる海たちのプロジェクトEntorganics - (Sciences & Health)のビデオを見る。
5. 気に入ったらぜひ親指が立っている左の画像をクリックで投票。

a0133563_17114915.png
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とはいえ、ドイツ語なので、彼らのビジネスプランを補足します。
海とFinは、現在世界で進む肉食化が地球環境を壊し、地域の人びとの人権を侵害している現状に危機感を持っています。そこで、肉よりも優れた栄養価を誇る「昆虫」を積極的に食べる文化を広めることで、少しでも肉食の回数や量を減らせないかと考えています。

彼らのホームページによると、昆虫食は肉より、
1. 75%少ないエサを必要とし、2. 99%少ない二酸化炭素を出し、3. 99.3%少ない水を必要とし、4. 87.5%少ない土地を必要としているといいます。
https://entorganics.com/
(なので、肉食化に伴って飼料である穀物や大豆の大量生産のための森林伐採や土地収奪[ランドグラブ]などの自然破壊や人権侵害を減らせます)

<=この問題に海が凄く関心をもった背景は下の方に

ドイツ人は1年間に1人あたり65キロもの肉を食べているので、まずはドイツ人をターゲットに「昆虫食」を広めたいといいます。とくに、ドイツの若者の間で、ジムにいって身体づくりがはやっており、それに伴って「プロテイン」を大量に採ろうとする人も増えているため、これを肉で補うのではなく、「昆虫」でと考えているようです。

なるほど、粉にしてしまえば虫がキライな人でも食べれるよね、と思いますよね?

しかし、インスタのページを見てもらえれば分かるように、彼らは「虫のかたち」をあえて見せる形で写真とレシピを掲載しています。(といっても乾燥虫なのでご安心を)
https://www.instagram.com/entorganics/

よりハードルを上げるその手法には私でもとっても疑問だったのですが、「粉にしてしまえば簡単だけど、なぜ昆虫食を勧めたいのかの意義が薄まってしまう。あえて『昆虫を食べる』ことに価値を見出してもらえるように頑張るのが、自分たちが他の昆虫食企業と違うところ」だといいます。なので、自分たちのプロダクト(昆虫が入った食品)は、オーガニックも重視していると(なのでEnt<虫.>+Organics<オーガニック>)。

つまり、「昆虫食の伝道者」になるのだそうな。。。。

彼らは、日々、ドイツの家で試作を作って撮影しているため、乾燥虫があちこちに散らばってて、最初はフライパンを共有することも「ヤメてー」だったのですが、人間とは恐ろしいもので、2週間も経てば「日常風景」になってしまい、慣れてしまった。。。そういう実験対象にされていると知ったのは、後のこと。

「虫なんて絶対食べない!」とがんばっていた私をまず攻略するのが、狙いだったようです。まあ、見た目美しく、美味しく作ってくれていることもあり、今では普通に彼らの作ったものを食べている自分がいるのが驚き。(百聞は一見にしかず。まずインスタみてやってください)

なので、今エントリーしている起業コンペのビデオで最後に言っているように、彼らの狙いは、昆虫食の料理ブックを出版しつつ、昆虫食クッキングクラスを開催し、以上を意識したエコでソーシャルな「昆虫食ラインナップ」を商品化して売りたいのだそうな。(言うは易しだが…、まあ人生一度だけ。若い頃はいろいろ挑戦すればいいと思う。)

なお、これらのことは、前のブログに書いたとおり、今年1月に写真撮影を依頼されて以降しったことであって、彼の起業プランや準備に、私や彼の父親は一切関わっていませんでした。17歳のときに、Finと一緒にシベリア鉄道3週間の旅をした際の膨大な時間に、二人で延々と語り合い、考え、つくったものだったそうで。2月のコンペに向けて、すべてのプレゼンが出来てから見せてもらってビックリ。

では、なぜ海は起業、そして昆虫食に向かっていったのか?
話は18年ぐらい遡ります。

彼の母親(私)は、戦争と平和学、そしてアフリカ研究者として、1997年から毎年数ヶ月をアフリカ(モザンビーク)の村々で調査を行っていました。ちょうど調査の基盤が出来て、半年から1年以上調査地で生活しながら研究を進める目処がたった1999年(そして奨学金もほぼとれていた)、妊娠が発覚しました。(未婚な上に、まだ学生だった。もう2つ問題があったのですが、それは書かないことにします)

悩みながらも出産を決意し、海が誕生します。
でも、調査を諦めきれず、生後11ヶ月の海を連れてモザンビークへの調査に向かいます。
当然、家族もアフリカ研究の先輩たちも大反対。
でも、予防注射をすませ、あらゆる予防策をとり、アフリカに向かいました。
(余談ですが、日本の保育園で中耳炎をうつされ、抗生物質を処方されるも悪化の一途をたどってどうしようもない状態まで追い込まれていたのですが、アフリカに連れていった途端なおった・・・ということから、無菌・抗生物質大国の日本は日本で危険だな・・・と。)

以来、海も毎年夏に数ヶ月モザンビーク、タンザニア、ザンビア、ルワンダなどの村々での調査に同行し、成長していきました。私の調査地は森が豊かで河川も多く、お米や雑穀、お豆がたくさんとれる食べ物が豊富な村で、遊び相手となる子どもにはことかかず、のんびりとした日々を送っていました。(ただし、草むらは地雷が残ってるのでそこは厳しく入らないように制限しました)

泊まるのは、伝統的チーフのコンパウンド(家の敷地)の中庭。そこに家族用のテントをたてて、ワラで囲っただけのトイレ兼水浴び場を一緒に使わせていただいていました。

朝4時から家のお母さんが中庭を掃き出し、水をくみに川か井戸に向かい、5時には近所のみなさんが次々にやってきて、挨拶&談話にはげみます。そして、子どもたちがわんさかやってきて、海と遊びたくて仕方ありません。ご飯は、お母さんや娘さんたち、あるいは近所の人達が持参してくれるのですが、基本的に2汁(肉か豆かゴマのお汁+野菜のお汁)+ご飯か雑穀かトウモロコシのお餅だけ。おやつに木になっているミカンやバナナやパイナップルをいただきます。どんなものが出されても、海は全部おいしく食べていました。それは、作ってくれているお母さんたちの苦労を目の当たりにしていたからです。

お母さんと娘たちは料理などの家事の全部だけでなく、料理に使う水、薪、材料のすべてを確保する必要があります。わたしが調査のために不在にしている間、家に残っていることも多い海は、お母さんや女の子たちの大変な様子をつぶさに観察していて、そんな苦労をしてまで作ってくれたご飯を大切に食べないとという気持ちを強くもつようになりました。なので、どうやってもキライといって父親が出されたものを食べないことに心を痛めていました。

アフリカといっても、国や地域が変われば食べるものも変わってきます。
海が5歳になったころから、モザンビーク以外のところでも調査を開始したため、とにかく「出てきたものは何でも食べるのが当たり前」という姿勢をもって育ってくれました。またさっきまでそこらを歩いていたヤギやニワトリが夕食に出されることも多々ありました。命をいただき、自分の命を生き長らえさせることの意味を、日々実感していたようです。そんな中、それが昆虫であれ、否定せず、人間の食べ物となったものを大切にいただく姿勢が、いつの間にか身に付いたのだと思います。

あとは、今彼が育ったモザンビーク北部、そしてアフリカ中で急速に進むアグリビジネスによるランドグラブ(土地収奪)に苦しむ農民の姿をみていることが「昆虫食」に向かっていった原動力だそうです。実は、私がモザンビークで日本とブラジルが進める大型農業開発(特に大豆)「プロサバンナ事業」の問題にこれほど取り組むきっかけになったのは、彼の一言からでした。

「ママ、この日本が進めるという『プロサバンナ』って事業だけど、おかしいよね?だって、ここ(モザンビーク北部)に『サバンナ』なんてないじゃん。だから農業開発とかするんだったら、森を伐るってことだよ。日本のお金を使ってなんかおかしなことしてるんじゃない?ママなんとかしなきゃ!」

そして、ママはがんばったのだが、結局プロサバンナ事業は現在でも続いてしまっている。
何度か来日して訴えるモザンビークの農民たちと時間をすごした息子の中に、「大豆、アグリビジネス投資、水、土地、人権」の問題をなんとかしたいという想いが静かに続いてきたことを、初めてプレゼンを見たときに理解して、涙が止まらなかった。

プロサバンナについてはこのブログのタグを見て頂くか、日本のNGO・JVCさんのページをご覧下さい。
https://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html


そして、起業については、3歳の頃のこと。

村にいるときは、子どもたちがどんなにボロをまとっていても気にしていなかった海が、モザンビークの首都マプートで物乞いをしている同じ年齢の子どもたちを目にして、衝撃を受けたようでした。車の後部座席でじっと黙り込んでいたかと思うと、突然大泣きして、「ママ!もってる僕のお洋服、全部あの子たちにあげて」と叫びました。そして、「僕がもってるコインもぜんぶあげるから、ママも全部あげて」と。息子は、モザンビークの硬貨は大きくてきれいといって集めていたのでした。

レストランの前で駐車すると、ボロボロの服をまとった子どもたちが、次々に手を差し出します。モザンビークにその前の10年前から通っている私としては、手放しで「可哀想」といってコインをあげるのは気が引けます。このような年齢の子どもたちに物乞いをさせる親や大人達の存在を知っている以上、これを増長させることがあってはならないとも思って、なかなかコインをあげることは出来ませんでした。

その様子をみていた息子はより心を痛めていたと思います。自分はおいしいものをたらふく食べて、ちゃんとした服をきている。村で一緒に遊んだお友達のような子たちが、こんなに目にあっているとすれば、助けて当然じゃないか、と。

そこで、私は海と方針を決めるために、じっくり話し合うことにしました。
「海くんは、どうしたらいいと思う?」
と聞くと、
「僕、なんにも要らないから、全部あげて」
「全員に?」
「うん。全員に」
「全員に行渡る?」
「買ってあげればいい」
「そんなにお金ないよ」
「じゃあ、日本に戻ってお洋服を沢山あつめてまたくればいい」
「なるほど。でも、それで解決になるかな?」

すると海は唇をかみしめて、うううーーーと言って大粒の涙をぽたぽたと落とし始めた。
抱きしめて落ち着くのを待つこと数分。
泣きながら
「ならない」
と一言いって、わーーーんと泣いた。
私たちも泣いた。

無力感を全員が実感したまま、その日は終った。

「「ならない」としても、できること、やるべきことは何だろう」
私たちの話し合いは続いた。
私がした提案は、物乞いの子どもたちの名前を聞いて、しっかり話して、なぜ物乞いをしているか聞いて、納得がいったらあげられるものはあげようというものだった。少なくとも、「物乞いの子ども」ではなく、「出会った●●くん、●●ちゃん」として接してみようと。

そうやって出会った●●くん、●●ちゃんと、沢山のお話をした。
パン屋でパンを買って、なるべく毎日会いに行った。
首都を離れて村に向かう前夜、これらの子どもたちのところを一通り回って、お洋服とお金を少し手渡した。
その間、海は一言もいわなかったけれど、子どもたちとしっかり握手をしていた。

北部の村に向かって車を走らせている間も、海はずっと黙ったままだった。
あの日以来、心から楽しんだりしていない彼の姿があった。物思いにふけっている感じがあった。
村までは何百キロもある。
長い長い道のりを走りながら、聞いてみた。

「あのこと気にしてるの?」
「うん」
半泣きの顔でわたしを見つめる。
「じゃあ、どうしたらいいか一緒に考えよう?」
「うん」
少しほっとした表情をみせてくれた。

それからの6時間ぐらいのドライブの間、海は次々に「どうしたらいいか」の提案をしてくれた。
一番最初の提案を、今でも覚えている。

「僕が、お洋服工場をマプートに作る。そこで子どもたちが働いて、お金を稼ぐし、新しいお洋服ももらえる!」

「なるほど。それはいいアイディアだね」と言った後、いくつか質問をしてみた。
「子どもを働かせるのでいいのかな?」
「どうしてお洋服工場がモザンビークにないんだろうか?」

その度に、海はじっと考え込む。
そして何分も経った後に、いろいろな回答をしてくれる。
そうこうしているうちに、彼の中の悩みが深まったような辛い表情が現れてきました。
「じゃあ、また次の案を考えてみよう。アイディアはいくらあってもいいんだから、楽しくアイディアを出し合おうね。ママも考えてみるよ」

そして、私たちのビジネス・アイディア大会が始まりました。
アフリカだけでなく、世界のどこに行こうとも、海と私はビジネスアイディアを提案してみる、すでにあるビジネスの改善作を考えてみる、そんなことを繰り返していきました。

最初は、アフリカで何かビジネスをすることにこだわっていた海であるが、大きくなるに連れて、そこはこだわらなくなっていきました。それは、アフリカの政府の腐敗を理解するようになって、そのようなハードルを引き受けることが難しいと判断しはじめたからのようでした。大好きなアフリカ。でも、権力をもった人とのコネや一存で、ビジネスの成功や失敗が決まる現実に、それは自分がやりたいことではないと実感したようでした。

あれから15年間、これまでずっと、一緒に車で移動したりどこかに行くと、常にビジネス・アイディアを出し合って、楽しんできました。それを実際にするつもりで話しているというより、もうほとんど「会話のネタ」みたいになっていて、おそらく余所の皆さんからすると「変な家族」に見えたと思う。世界やドイツ、日本の時事ニュースについても話し合うのだけれど、やっぱり一番盛り上がるのは、「ビジネス・アイディア」を話し合う。

一応、私は大学教員なので、本来もう少し「教育」に注目すべきだったかもしれない。でも、非常勤講師を含めて、15年以上高等教育に関わってきて、ここ5年は世界の大学機関にも関わることも増えて思うことは、大学は本人が必要だと思えば行けばいいけれど、本人がやりたいことをまずやってからでも遅くない、ということでした。クリアな目的がないままに大学に行っても、深い学びは獲得できないことは経験上分かっていたことで、多くの若者の学びの発展をみてきた立場からいうと、本人が学びに真摯に向き合う姿勢やツールを手にしている場合は、大学は便利だけど必須ではないと思ったのです。

本人は色々考えているようで、未だ大学の選択肢をなしにしたわけではないものの、大学入学資格のために3年、大学で4年、今後7年を本当に費やすかどうかは、要検討だろうとのことでした。また、今しかできないことをしたい、と。それは、十代で起業することは、それなりに珍しいために、多くの人たちが興味をもってサポートしてくれる。でも、二十代の起業はかなり普通なので、そのようなチャンスを得ることはできない。だから、今全力をあげて起業して、もしビジネスが軌道にのったら、次にしたいことを考えて、大学も視野に入れたらいいと思うとのことでした。(なお、ドイツでは5年間働いた後は大学は入りやすくなる)

なんといっても、他の誰でもない彼の人生。
彼が真剣に考え、いろいろ試し、自分の道を曲がりくねって茨の道であろうとも、それを自分で選んで、一歩ずつ歩いていくのを、時に遠くから時に近くから見守るのが、親の仕事かな、、、と思っていまは思っています。

一応、私は海の母親ではあるものの、彼と出会って、たくさん話させてもらった結果、私の生き方や人生も激変しました。彼との出逢いがなければ、きっといまの私はないと思います。

  • 心をもって他者と接すること。
  • 見過ごしていたもの(本質を含め)に正面から向き合うことの重要性。
  • 「大人目線」あるいは「大人の事情」を重視して、その場しのぎの嘘やごまかしをよしとしないこと。
  • 世間がこうだという基準で考えないこと。
  • 「自分にも何か出来るのではないか?」と広がりの中で考える視点。
  • 学ぶ場、手法には多様なものがあることを否定しないこと。
  • 「やれない」から入るのではなく、「やれる」と信じて行動すること。
  • 自分が活かせる場を見極め、選択すること。
  • 人生をプロセスとして捉え、その順序は戦略的に自由に組み立てること。
  • ファンタジー(空想)やクリエイティビティ(創造力)を鍛え、大切にすること。

だから、大学の教員を辞めると決めるときも、実は海にまず相談したのでした。
その時未だ14歳だった彼のアドバイスが素晴らしかった。

「ママ、ママがしたいようにするのが一番だよ。応援してるから」

今度は、私の番と思ってる。
といっても、彼には応援してくれる人がたくさんいる。
だから、そっと遠くから応援するぐらいがいいのかな、と思う今日この頃。

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海が2歳のときに行ったマプート郊外の水害からの避難者のコミュニティでのパーティでの一こま。
出されたのがピリピリ照り焼きチキン。
要は唐辛子チキンで、泣きながら、でも完食していた。
あれは昆虫食に進む下地をつくったと思う(たぶん)。
















# by africa_class | 2019-06-13 15:04 | 【促進】社会的起業/企業

【6月6日19時〜@京都】緊急企画「〜普通の市民が国境を越えてつながるために〜」でお話をさせていただきます(IWJ 大阪Ch1中継あり)

ブログでの告知が本日になってしまってすみません。

ツイッターでは紹介しましたが、ブログしか見てない人がいるのを忘れていました。

以下、主催者の京都ファーマーズマーケットさんのFBの告知文です。
https://www.facebook.com/events/404267120165627/

当日は、IWJ大阪Ch1で中継配信があるようですが、一部だけなので、是非会場にお越し下さい。
境町画廊は、駅から近くとっても素敵な場所で、かつ主催者の井崎さんをはじめ、素敵な人達が準備してくださった企画です。新しい素敵な出逢いのためにも〜。


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2019年6月6日(木)19時〜21時@境町画廊(京都)


緊急企画

〜普通の市民が国境を越えてつながるために・舩田クラーセンさやかさんのお話〜


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昨年の秋の京都ファーマーズマーケット2周年企画。
総合地球環境研究所のFEASTプロジェクトの研究者・小林舞さんと、耕し歌ファームの松平さんご夫妻のご協力のもと、ブラジルとモザンビークから農家さんにお越しいただいて、現地で推し進められようとしている大規模農業(日本政府も協力しています)をなんとか食い止めようと奮闘されている現状を直接お聞きしました。
これは、東京はじめ地方でも何度も開催されたシンポジウムの一環として京都にもお立ち寄りくださったのですが、直接、お話を伺えたことはとても大きかったのでした。
その後、大規模なサイクロンに襲われたモザンビークはどうなっているだろう、そして1日で愛知県規模の面積の森林伐採がされているというアマゾンは一体どうなっただろう、、、ずっと気がかりでした。
この度ようやく、FEASTプロジェクトの小林舞さんのおかげで舩田クラーセンさやかさんにお会いできました。
アフリカ研究者であるさやかさんは何十年も前から社会問題に積極的に関わるアクティビストとして、人権問題や環境問題に取り組んでこられました。昨秋のシンポジウムの中心メンバーでもいらっしゃいます。
アフリカや南米でグローバルな無茶苦茶な開発が進められている現実は私たちの暮らしに直接影響しています。
でも、どうやったら流れを変えられるだろう?
心配するばかりで祈るしかない現実ではありませんか?
私はずっとそうでした。
ジャーナリストでも研究者でもない、ごく普通の市民は一体どうやったら世界の同じ思いの人たちと連携できるのだろう?
舩田さんに市民が連携して政府や大企業の計画をストップしてきたお話を伺うことは大きなヒントになると思っています。
普段は海外で暮らしてらっしゃる舩田さんのお話、この機会にぜひお聞きください。
舩田さんのご経歴と、「世界」に連載されたレポートを添付しておきます。
https://websekai.iwanami.co.jp/categories/79
当日はFEASTプロジェクト研究員の小林舞さんもお越しくださいます。

日時:6月6日(木)19:00〜21:00
場所:堺町画廊
主催:京都ファーマーズマーケット
参加費500円
ご予約・お問い合わせは京都ファーマーズマーケットのFBページからお願いいたします。


写真は、去年の3カ国民衆会議@聖心女子大学での様子。3カ国の小農、女性、市民社会の皆さんが結集。
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# by africa_class | 2019-06-06 00:04 | 【記録】講演・研究会・原稿

日本で11歳まで前髪の向こうに隠れていた息子が、7年後にドイツの起業コンペで優勝するまで。

ブログをふと見たら、2011年7月(つまり8年も前)のブログ記事がトップにランクインしててビックリ。そして、当時「怒りの鳥」を描いていた息子の海が、いろいろな意味での自由を手にして「遠い」ところを楽し気に飛び回っていることを、皆さんに伝えないといけない気に駆られたのでした。

さようなら、日本の「普通教育」。シュタイナー学校に行くことになった息子と「魂の鳥」

https://afriqclass.exblog.jp/13063647/

兵庫の山々の懐の町で生まれ、4歳まで育った海。
その後引っ越した東京でも、ただの「海くん」としてノビノビと育った。

地元の公立小学校に入るまでは・・・。
入学式後の初登校の日、いきなり上級生から「ガイジン」と虐められ、教室に入ったら「アメリカ人」と呼ばれ、つい同級生を突き飛ばしてしまった。身体の大きな海の「とん」とひとつきで同級生がこけてしまい、担任から大慌てで電話。相手のご家族に電話して謝るようにいわれ、親も子もなんだかわからないままに、日本の学校生活がスタートしてしまった。その後は、いばらの道。

持ち物が少しでも他の子と違うと「学校に行きたくない」。
赤ちゃんの頃から大好きだった曲げわっぱのお弁当箱なんて、とんでもない・・・。
プラスチックのものが何一つない家に、どんどんアニメ柄のプラスチックのものが増えていった。
とにかく、「みんながもってるのと同じもの」を、「みんなと同じように」すべてを揃えないと不安で不安で、泣いてしまうほど。二言目には、「どうしてみんなの家と同じようにできないんだ!」とかんしゃくをおこし、「みんなと同じにどうして産んでくれなかったんだ」と。

みーんな違ってて、それがいい。

それを大学での教育理念にもしていた私の戸惑いは、とてつもなく大きかったものの、どうしていいか分からなかった。日本という環境の中で外国人ばかりが行く学校に通わせるのはどうしても納得ができなかった。まずは地域の中で育ってほしい・・・そう思っていたから。

4年生になるころには、父親はもとより極めて「日本のママらしくない」という私も授業参観に来ちゃだめといわれはじめ、前髪をながーく伸ばし始めて、顔全体を隠すように。外出しても、人に見られたくないのか、自分では絶対に注文をしない。とにかく、目立たないように、目立たないように息をひそめて生きるようになってしまった。こっそり行った授業参観で先生に指されると、蚊のなく様な声で返事をして、あんなにのびのびしていた子が・・・と人知れず帰り道に涙が止まらない。

私の中では、一刻もはやく違う環境においてあげないと、思春期で大変なことになると思ったものの、手が無い。日本のシュタイナー学校は満員でどこも新規に受け付けておらず、残る選択肢は中学校で国際的な学校に行くこと。でも、そもそも日本で育てるべきなのか・・・。そんなとき、サッカーに出会い、よい仲間に恵まれどんどん上達していったこともあり、いろいろなことを考えるものの、日々の忙しさに追われ、現状のまま流されていたのでした。

でも、サッカーですらゴール前にいてもボールがまわってきたらわざとパスを出すほどに気持ちの面で自信がない…。何度いわれても、同じ。ゴール前で譲ってしまう。みにきたお父さんたちの「あーーーー」というため息が流れる。毎度のこと。それでも、なんとかFC東京のジュニアテストに合格して最終試験を小平に受けにいったその日に、東日本大地震が。

運命とは不思議なもので、あの地震は海の人生の方向性をガラリと変えてしまった。

日本で育つこと。
サッカー選手になる夢。
そして日本代表となる夢。

2011年4月、震災と原発事故を受けて、一旦ドイツの学校に「留学」することになった息子。
半年ごとに日本に戻るかどうかを話し合い、結局、それから8年が経過してしまった。

ドイツに行った時は小学校5年生。ドイツ語の読み書きがまったくできなくて、宿題が何かすら分からないで毎日通った学校。もう何年も経った後に、「あのとき毎日日本に帰りたくて、来月こそは帰られるかなって願ってた」と教えてくれた(涙)。そんな本音もいわないままに、読むことも書くこともできない言語と格闘した。かなしくて爆発したことも一度や二度ではなく、私が東京に残って大学の仕事を続けたこともあり、寂しさもあって、とにかく心は荒んでいたと思う。

飛行時間12時間の遠距離の家族の時間のために、お金も気力・体力もすべて使い果たしつつ、2,3ヶ月に1度ドイツに向かった私のカバンにはいつも日本の教科書やドリルが入っていたのだけれど、あるきっかけでそれも捨ててしまった。

家族で近所のイタリア移民がやっているレストランに食べに行ったときに、息子が全員分のオーダーを率先してとって、店主に伝え、おばあちゃんには氷なしの水、自分には氷ありのジュースなど細かい点までお願いしていたのを見たから。確か、ドイツに行って10ヶ月も経っていなかったと思う。そして、その瞬間まで気づいていなかったのだけど、息子の前髪は見事に短く切りそろえられていた。

あのときの静かな感動は、一生忘れないと思う。

日本で私の後ろに隠れて、自分の食べ物もオーダーしたがらなかった息子が、誰にも言われずに皆のオーダーをとってくれている。その翌週、息子の学校に出前授業に行ったときのこと。日本なら絶対「はずかしい」といって反対されるのが、何もいわなかった。すべて英語。子どもたちはそれなりに理解してくれて、「どうしてか分かる?」と聞いたとき、数名の子どもたちが手を挙げたのだけど、その中に海がいたことにビックリした。そして、あの日本の授業参観での蚊の鳴くような声と違って、大きなはっきりとした声で自分の考えを述べてくれた。

18名のクラスメートには、いろいろな障害をもった子どもたち、里親の家から通っている子たちもいて、海は「特別」ではなかった。絵を描くと、それぞれが個性を発揮して、それぞれが美しい。

「みんなちがって、それがいい」

一年生から12年生までが一緒に活動をして、互いに助け合う。
自分の考えを尊重してくれる社会、学校、先生、クラスメート。
そんなところで、海は、徐々に「自分が自分であってそれでいい。人と違っているのが当たり前」の空気の中で、自分らしさを発揮するようになっていった。

日本を離れて3年後、クラスの劇を仕切る彼がいた。
みなの分の台詞を覚え、覚えられない子のそばで囁く。
依然としてドイツ語の文法は間違えていたらしいが、そんなことも気にしなくなっていた。
勉強が不得意と思っていたのに(実際7年前のブログにはそう書いてしまった)、いつの間にかクラスで一番の成績となっていた。いったい全体どういうこと?!?!?不思議なことに、サッカーでも、日本ではフォーワードを嫌っていたのに、喜んでゴール前に立つようになった。ほとんどマジックをみている感じだった。

それほどまでにself-esteem(自己肯定感)が子ども・若者の成長に重要だったことを、改めて教えてもらった。つまり、人は「できない」といわれるよりも「きっとできる」と励まされたほうが大きく伸びるということなのだった。また、「あなたはだからダメなんだ」ではなく、「あなたはあなたでいい」と受け入れてもらったときに、どれほど安心し、自分で歩むようになるかも。

私は幼少期に暴力を受けて「お前はダメだ」と繰り返し繰り返しいわれて育ったために、このことは体感してたし、いつも息子には決してネガティブな表現は使わず、まずは受け止める、そして必ず褒める、必要に応じて時間と空間を切り離して「あのときのことだけど、どう思う?』というにとどめてきた。父親もドイツで「褒めて育てられた」人だから、当然家庭内では絶賛「褒める」。褒め過ぎちゃうか・・・と思うぐらい、褒める。でも、日本社会や子どもが大半の時間をすごす学校・先生の影響の大きさまでは、分からなかった。むしろ、家庭内と外のギャップに、彼なりに戸惑い、苦しんでいたのかもしれない。

ドイツでは15, 16歳で仕事を始める子も多い。
クラスメートが次々に職人や職業訓練の道を歩み始めるのを受けて、海も自分の将来のことを真剣に考え始めた。なにせ自分のお小遣いを自分でつくり出すために、12歳でキャンドルを売り、14歳で木工品や家具を売り、16歳で写真を売る子。当然の成り行きというか、「起業」しか頭にない。ただ一応大学にも行くつもりで通信教育を受けながら、起業に向けて準備を始めた。

15歳になるころには、学校給食がまずいからと、前夜にお弁当を自分でつくり毎日持って行くようになった。(私は彼が自分でやりたいと思うことは、自分で責任をもってやることを教育方針としていた)。2歳のころに包丁をプレゼントして以来、一緒に料理や味噌・豆腐・梅干しづくりなどしてきたせいで、料理への関心は高く、いずれは「フード」の世界に行くと決めていた。そして、16歳の秋、わざわざ独りで日本に戻って、2週間にわたり居酒屋やレストラン、フードトラックで研修を重ねた。ドイツでは日本食だといくらでも儲けられると考えたそうな。(甘いな・・・でも口に出さなかった。自分で考え、自分で行動するのであれば、どんな失敗も肥やしになるから。)

卒業式の前週、卒業制作発表会があり、フードトラックの発表。
なかなかよく出来た発表とはいえ、これでビジネスになるんか・・・と突っ込みたい。とくに、そのトラックのお金どうするん?という点について。それについては、「へへへ」と誤摩化したまま、友人とともに卒業旅行と称して、シベリア鉄道3週間の旅に出てしまった。

戻ってきて、友人は大学進学のための学校に行くが、通信教育の海はなんにも動かない。
どうやら学校が終ってあまりにあまった時間を、映画やビデオをみて浪費している。それまで一切してなかった携帯ゲームにまで手を出している始末。朝はお昼まで寝て、夜ごそごそ。友人も彼女も学校に行ってる間は寝てて、彼らが戻ってきたら遊びに行ってしまう。。。時間は山ほどあるくせに、学校に行っていた時以上に部屋が汚い。ゴミもまともに捨てず、床の上に散乱している・・・。

これがあの生活態度が乱れるというやつか・・・。
昼夜逆転というアレ?

親としてはかなりの忍耐が必要な状況に間違いない。
連れは心配になって、私に指導するようにいうのだけど、私の教育方針はさっき書いたとおり「自分で気づく、考える、行動する」。とはいえ、さすがに一言二言いわなくてはならない状況になってきた。

昼頃起きた息子のベットの横に座る。
「海くん、丁度半年前、あなたの卒業制作発表会に出て、それから卒業式に出て、ああ、これから限りなく広がっている人生の道をあなた自身が自分の力できり拓いていくんだね、って眩しい想いでみてた。いまでもそう信じてるけど、それでいい?」
「いい」
そういうと、「もう出てってー」というので、そっとドアを閉めた。
ドアの向こうからは、携帯ゲームをしている様子がわかった。
でも、もう何もいわなかった。

それからほどなくして、「このレストランどう思う?」と聞かれ、日本食のレストランのサイトを紹介された。とってもポリシーをもってて、いわゆる「日本食」っぽくない店でいいね、と言ったら、「すぐにバイト始めたい」といって、履歴書やら志望動機書やらを作るから協力してくれといわれて協力した。その週にバイトは始まり、電車で往復3時間かかる距離を週に3回通いつつ、サッカーも自分の年齢のチームとトップチームの掛け持ちを始めた。

きっと私の日本の家族なら(まずはネガティブからはいる・・・)、「でもバイトだよね、プロではないサッカーだよね・・・」というコメントをいってしまうと思う。そもそも通信教育の勉強もちっとしかしてない。でも、相変わらず昼まで寝て、トモダチに彼女にバイトにサッカーに忙しい。でも、彼がドイツ社会のなかでようやく自分が必要とされ、居心地のよい場所(仲間)をみつけた嬉しさが感じられたし、その感じをトコトン味わう時期があっても良いのかもしれないと眺めていた。そもそも、彼がぶらぶらしているからといって、近所や親戚や友人の親や友人が何かをいうような社会でもない。

人それぞれ。
それぞれが考えてそれぞれの道をそれぞれのやり方で歩む。

とはいえ、半年以上続くので、父親はジリジリし始めた。
でも、人生のなかで迷子になったり、迷路にはいったり、遊びにはまったり、そういう時期ってあるし、そもそも親からして「まっすぐな一本道」どころか「曲がりくねって、途中で終ってて、そこで倒れたままじっとして、また道を歩き始めた」(私)りしてる中で、子どもに「これが正しい道」だなんていうのはダメだよね・・・と確認しあった。(そもそも親自身が自分たちの不仲で、子どもを振り回して生きてきた。)ただし、お金はもうちょっと稼いでほしいね、と。自分で食べるもの、遊ぶお金ぐらいは、自分で稼がないと・・・。そもそも、自分の車だって自分で働いて買ったし、親が買ってあげるのって違うんじゃないか、というとどうやら父親の方でもちゃんと「債務通帳」をつけているのだそうな。さすが・・・ではある。

そこからさらに数ヶ月。ついにクリスマスがきた。
なぜかドイツではお正月ではなく、クリスマスに翌年の抱負をのべる。
息子いわく、「いろいろ考えていることを行動にうつす」と。
しかし、クリスマスが過ぎて、年末年始の旅行が終っても、行動に変化がない・・・。
さすがに、これはまずいのではないか、そう思ってた矢先、突然、友人と起業コンペに出るから写真を撮れという。

ふーん。
撮ってあげてもいいけど、いい加減な調子だったらお金とるよ。
いや本気だから。
本気って、どうやったら分かるの?
だって、すでに550名の予選を突破して、最後の16人に残ってるから。
ぎょ。。

思わす「遊んでたんじゃないの?」との質問を呑み込んだ。

そうなんだ。
で、この写真は?
会社のホームページに必要だから。
ぎょ。。

「ビデオみてたんじゃなかったんだ」のコメントも呑み込んだ。

書斎に来てといわれて汚いからいやといったのだが、入ってびっくり。
ゴミやあれやこれやは散乱していたものの、片面はきれいになっていて、ポストイットが壁中はられてあって、もうスポットライトなどが準備されていた。ニヤット笑う息子と友人。

このゴミも写すね、と憎まれ口をたたきながら、なんだか嬉しさがこみあげてきた。
最初から決めてたとおり、彼らに任せていいんだ、と。
このコンペの結果がどうであろうとも。

二人は準備したプレゼンを見せてくれた。
なんのビジネスプランと思ったら、たしかに「フード」分野であるものの・・・・「虫」だった。
ぎょ、ぎょ。。

アフリカでは「虫」を食べる地域が多い。
でも、私は食べない。
肉を食べないけど、虫は食べない。
魚は食べるけど、虫は食べない。
そんな私の前に現れた「虫フード」。。。

ニンマリと笑う二人。
それから二人は毎日集って、虫を育てるために地下室を改装し、虫を育て、プレゼンを作り、試作品を作り、原稿を作り、メンターとスカイプしながら、準備を進めていった。なんのコンペかもよくわからないが、とにかく見守る。何もいわず、「後片付けしなさーい!」と二人に檄を飛ばしつつ、見守る。

相棒のフィンは学校に通ってる。親は彼に大学に行ってほしい。学校も休まないでほしい。でも、本番が近づくにつれて準備が間に合わなくなって学校を休みがちになる。それでも、フィンの両親もフィンには一切何もいわない。自分で考えて判断しろ、とだけ伝えていると。お母さんに聞いてみると、色々考えることもあるし黙ってるのは辛いけど、自分で決めることだから、と。さすがである。

そして本番前日。
私は出張でバルセローナに。
彼らは始発電車で開催地へ。
まあ、がんばってね。きっと上手くいくよ、と適当なメッセージとともに。

この時点では、なんのコンペかも、何もしらず、まあ人生には一生懸命なにかに打ち込む瞬間が重要だという程度だった。失敗はどんどんすればいい。挑戦が重要、と。

その日、バルセローナで美味しいレストランでたらふく食べ、酔っぱらって地下鉄に乗ってると、興奮気味の父親から携帯に連絡がきて、「どうやら優勝した?みたいなんだけど・・・連絡あった?」と。「ない」。「電話つながらないんだ」。「そりゃ優勝したらつながらないから、ほっといたら?」。ほっとけない父親は情報を求め私にかけてきたという。さすが熱血親父。本当はコンペ会場に行きたかっただろうに、ぐっと堪えた。もう18歳の息子、両親がうろうろなんかしてはいけない。たった独りで世界にチャレンジすべきだから。そこは、さすがに理解したようだった。(かろうじて)

電話を切ってから、なるほど。人生の歯車というのは、ふしぎなものだと感慨にふけっていると、息子からたった一文メッセージが飛び込んできた。「Wir haben gewonnen!(勝ったよ!)」

狐につままれた感じだった。
いまでもそうだが。

コンペはドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲン社がはじめて開催する19歳以下の若者の起業ビジネスコンペ(X-starters)だったことは、ずいぶん後になってから教えてもらった。そして、それ以降、優勝の賞品である起業までのコンサルティング(200万円相当)を受けつつ、起業に向けて急ピッチで準備をしているところ。

まだ18歳。
まあ、失敗もするだろうなーと眺めてる。
でも、それも含めて、それでいいと思う。

自分で考え、自分で動き、(そして止まり)、この間にも、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしているが、彼は彼の人生の道を自分の足で歩いているという実感をもって一歩ずつ進んでいる。もはや、「国籍が」「出身が」「ドイツ語が」「日本語が」「親が」「学校が」・・・ではなく、「ぼくが」という主語で一日、一日を生きている。

部屋は相変わらず散らかったままだし、朝も遅いが、いつか自分で変わるだろう。
(いや、もうひとりの親をみてたらダメかもしれないが・・・それで死ぬわけではない、と思いたい。)
もう成人(ドイツは18歳で成人。16歳で地方選挙の参政権があり、お酒が買って飲める)。
彼は彼のやり方で彼の道をいく。
その背中を、これまで以上に眺めるだけになるんだろう。

もし、彼の活動に関心をもっていただいたのなら・・・以下、ぜひのぞいてみてください。
ほとんどドイツ語ですみません。
あ、そして「虫さん」たちは、だいじょうぶですよ〜。
まだ主役でないので。

■フォルクスワーゲンが作ったプロモーション動画
https://www.youtube.com/watch?v=eckzE3WO3qw

■彼らの会社Entorganicsのホームページ
https://entorganics.com/

■インスタグラム
コンサルに1日1レシピをアップするように言われてアップしてる写真
https://www.instagram.com/entorganics/


もちろん、彼は成功したわけでもなんでもなく、一歩を踏み出しただけ。
しかも多分、大失敗は織り込み済みで。
でも、彼はもう前髪のおくに隠れていない、自分の考えをもってそれを自分の言葉で表現し日々人々と関わりあっているという点で、もう心配していない。何より、彼の人生だから。


日本では、「おかれた場所で咲きなさい」という本がよく売れたという。

でも、私は全力でいいたい。
「咲けない場所からは逃げて、咲ける場所で咲くのも一つの選択肢だよ」と。

彼の話から、「あなたはあなたであっていい。あなたは違っていい。違っていることにこそ、あなたの可能性が潜んでいるかもしれない」、ということを、日本の若い人が少しでも頭の片隅においてくれればと願っている。


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彼に庭の写真を撮ってといったら、こんな感じの写真がたくさんきた。
なるほどーと。


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庭の隅々への愛が感じられる。写真をとおして、感じられて嬉しい。

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完全に野草だけど、私たちの冬の間の重要なサラダな。

*子育てという言葉はキライだけど、誰かのところに届くようにカテゴリに入れます。


# by africa_class | 2019-06-04 20:09 | 【徒然】ドイツでの暮らし

癌になって自分から解放され、お花が好きになった話。



癌(がん)に感謝している。
というと、みなどう言葉をかけていいのか分からないためか、沈黙してしまう。
そんなときは、気を遣わせて「ごめんなさい」と思うのだけど、いまのところは1%の迷いもなくそう思っている。

もちろん、わたしの癌が早期に発見されたもので、いまのところ再発していないからという点には注意が必要。この先、再発や転移したときに、同じように言えるかはわからない。また、癌で苦しむみなさんや、そのご家族には、傷つけるような表現かもしれない。そのことは、本当に申し訳ないと思う。でも、日本では驚くべきことに2人に1人が癌になる時代になった。こういうサバイバーもいるのだということを伝えておくのも重要なのかもしれないと思う。

わたしとしては、いまは本当にそう思っていて、そのことを口にしても、話し相手の方が皆びっくりしてしまってあまりこの会話を続けられない場面が多すぎて、深いところまで話せないことが多いので、ブログで少しだけ紹介したいと思う。

いまでも覚えているのは、癌の部位を切り取った手術のあと、はじめて外出して、駅から実家の5分ぐらいの道を歩いていたときのこと。

丁度1年前のある夕方。まだ太陽はやさしく顔を出してて、でも少し湿った夕方の空気が辺りを覆っていた。普段は駅に向かって、あるいは実家に向かって、早足で歩くのだけど、未だ手術直後とあって早歩きができない。とぼとぼと手術跡の痛みを気にしながら歩いていた。身体や空気の重さと違って、心は頭上の太陽のように晴れていた。悪いものを切り取ってもらったことへの嬉しさというのか。普通は、腰が痛くとも肩が痛くとも、そこを切り取ったりはできないので、なんだか清々しい感じがしたのだった。

ふと、外科医だった父が町医者になって、人の身体をきったりぬったりできなくなって、代わりに蘭をきったり移植して喜んでいた後ろ姿を思い出した。父は鉢植えの植物でも、少し枯れたり病気になった葉っぱを丁寧にとるのが習慣になっていて、そうやって悪いところが出るときちんと取り除けば、植物は新たに再生してくるということを経験上も実感していたのかもしれない。

といっても、人の身体・・・指を切り落としてしまった後に新しい指ができるわけではない。その意味で、植物はすごいな。自分の力で悪い部位を枯らせることで身体から振り落として、新しい莟に全力を集中しようとするなんて。そう思いながら、なにげに、近所の庭に目をやった。高齢者の家が多いので、若い世代と同居している家とそうでいない家の庭の違いが激しい。

私の目が止まったのは草ぼーぼーの庭。

そもそも私はドイツで「edible garden+forest(食べれる庭・森)」を目指していて、以前の住民のイングリッシュガーデンがとにかくストレスだった。計算された美しい庭。でも食べられない…。なので5年をかけて少しずつ食べたり飲んだりできる、自然が勝手に循環する庭を目指してきた。そのプロセスで「花」はあまり重視してなくって、ぶんぶんとんでくるハチたちが喜んでくれればそれでいいかな、ぐらいだった。もちろん、きれいだなーと見とれないわけでもないし、花の咲くこの時期は庭中すばらしい香りが立ちこめていて、「落ち着くな」と思ったものの、なにか心の奥まで浸透しない感じがあった。どうせなら「花は花」でも、「食べられる花」をと思って、Edible Flowersをせっせと増やしてる。庭のバラもアジサイは剪定も大変だし、ああ面倒・・・という気持ちが先走る。

そんな「食べられない花」に関心のなかった私が、ふと駅からの帰り道、近所の庭の隅っこで静かに咲いている小さな花をみて、雷に打たれたように感動してしまった。

なぜかは今でも分からないのだけど、「なんてきれい」と思わずつぶやいていた。
そして次の瞬間、「生きててよかった」…という気持ちが全身を駆け巡って、へなへなとその場に座り込んでしまった。手術の前も、手術台にあがるときも、そのあとも、全然そんなことを想いもしなかったのに、手入れもされないままに地べたに咲く小さな花たちをみただけで、「まだ生きてる」ことの素晴らしさに大きな声で「ありがとう!」と言いたくて仕方がないほど、心が動かされた。

そして次に思ったことは、「でも命は永遠ではないのだね」ということだった。
花の命が短いように、私の命ももはや終わりを想定しないといけない年齢でもある。
「今回はセーフだったけど、いつまで生きられるのか分からない」
その瞬間に、泣けてしかたなかった。
「生きててよかった」と思った瞬間にやりたいと思ったことが次々に映写機でうつすように現れたから。
それが一つも出来ないままに人生が終ってしまう可能性を知ったから。

ほぼ50代とはいえ一応まだ40代。
まだこれから、と思ってた。
でも、違っているかもしれなかった。
もう残された時間はそんなに長くないのかもしれない。

その日以来、
私の中の何かが変わったように思う。

他者からみた私は私らしく自由に生きているように見えるかもしれない。
客観的事実だけを並べてみれば、それはそうだろう。
でも、私は物理的な部分はそうかもしれないけれど、時間の面ではまったく解放されていない現実がある。自分の1日を色々な理由で自分でコントロールできない状態がドイツに行ってからもずっとずっと続いている。また、私の中には未だ未だ解放できていないオドロオドロしいものが沢山あって、それをなんとかしなければならないと頭で分かっていてもどうすることもできないできた。

大学での事件によるPTSDが誘引したとはいえ、そういうものが一纏めになって私の心身に覆いかぶさって包み込まれている感じがずっとあって、その結果、思考にも霧のようなぼんやりとした膜がかかっている状態だった。そして、やらなくていいことに手を出してしまう癖もまたここから生じていることも知っていた。なにより、自分を愛することが大事と他者に伝えているくせに、自分はちっとも自分のことを受け入れられてないことも薄々わかっていた。でなければ3年も布団のなかで生活したりしない。その後遺症というか、未だ完全に完治していないこともあって、人前でしゃべるとか人と接触することもまた、大きなストレスで、このまま一体どうなるのか・・・と不安に思わないことも多々あった。(他の人からみたら「うそ!!」と思うらしいが、数人のグループとのスカイプ会話でも、あとで3時間ほど疲れて寝込んでしまう状態だった)

それが、その帰り道に花を見て、「生きててよかった」「でも後どれぐらい生きてられるか分からない」と思った瞬間、すっと自分の中から消えていくのを感じたのだった。

具体的に何が消えたのかよく分からないのだけれど(そして全部消えたわけではないのだろうが)、羽根が生えたように心が楽になって、もうこの先はあれやこれやの小さなことを気にするのではなく、「生きててよかった」を軸に残り少ないかもしれない人生を生きればいいのだと思ったときに、スキップしたいほどの喜びがお腹の底から突き上げてきた。

そう思った瞬間に、人が恋しくなったのも不思議な体験だった。
家に急いで戻って、家族に「ありがとう」と伝えたくなって、それ以降は出逢う人出逢う人に「ありがとう」という気持ちでいっぱいに満たされるようになった。一方、「ありがとう」を受け取れない人には、もう前みたいに努力しなきゃと思うことすらなくなってしまった。あるいは、相手がどう思ってるかに、あまり気を使えなくなった・・・というか、まったく気に出来なくなってしまった。

そして、前からしていたこと、あるいはコレからやろうと思っていたことで心が躍らないものは、もうきっぱりあきらめる整理がついた。また今度書こうと思うのだけれど、大学の先生に戻ることも(前から決めてたけど)、アフリカ研究もやめることにした。そして、その他のいくつかのこともやめることにした。

研究でも活動でも人生の大先輩である80歳を超えた吉田昌夫先生から、「あなた、あれもこれもヤメるって簡単にいうけど・・・」と何度もいわれたけれど、私にとって「ヤメる」というのが、新しい何かを生み出すためにはとっても大切なことなんだと、いつか理解してもらえる日がくるようにがんばりたいと思う。

つまり、その日以来、私は心のもちようとして、かなりワガママな人間になった。

もちろん、移行期をちゃんと設けるのだけど、もう私の中でははっきりと答えが出てしまったことについては、後戻りしないだろう。かといって、責任をすべて放棄するという話ではなくって、そこは時間と手間をかけていくしかない。でも、残りわずかかもしれない人生において、本当に大切なことを見極めて生きていこうと心に決めたのだった。

その大切なこと、は私にははっきりしている。
前からずっとはっきりしてたのだけど、それに溺れることを自分で許さなかった。

独りよがりかもしれないけど、もう何十年も他者のためにがむしゃらに生きてきた。この間の書評会のレジュメでその長いリストを紹介したのだけど、リストにすることすら、思い出すことすら逃げたいほどだった活動の数々が書けたことに、まずは安堵した。それほどの重圧を自分に与えながらやった活動の数々。その間にも研究も家族も仕事もあって、今となってはどうやって生き延びたのか皆目不可能。だから癌にもなるんだな、と自覚した。もちろん、他者もまた私を生かしてくれたのだった。でも、それも含めて、もういいんじゃないか・・・いつまでも命は永遠ではないのだから、そう思う地点に行き着いた。

私は最後に残った責任のいくつかをあと2年で片付けたら、自分で最後の仕事としてやるべきことに完全に溺れようと思っている。

気合の入った活動家の先輩たちからは怒られると思う。
その中には私より深刻な癌サバイバーの皆さんもいる。
でも、それももういい。
私は、私なりの次の段階にいくべき時がきたのだから。
そして、2年後まで時間がない可能性すらあるのだから。

不思議なことに、あの花に出逢った日以来、心の中が愛で満たされるようになった。
癌で切り取られた部位がなくなってせいせいしたのも事実なのだけど、その部位すら愛おしく思えてくる自分の不思議な感情が芽生えた。その勢いでか、自分の中の本当にキライだったところ(たぶん)も、「まあいっか。それも自分だから」、と許せるようになりつつある。

だから、いま、私はユルスこと、ワガママになるということを日々練習している。
一歩前進、二歩後退の日々。

でも、嫌な感じはない。
人に自分を委ねることも、頼ることも、前よりもずっと楽にできるようになった。
身内に思っていることをストレートに伝えるのが苦手だったのに、それをしようと頑張る自分を見つけた時は我ながら驚きだった。

多くの人は私の論文やブログや公的な場での発言を聞いて、私がストレートな物言いをする怖い人だとイメージしていると思う。英語の論文を読む人は10人中10人までが私を男性と思ってた・・・という。仕事として書くこと話すことのストレートさ、強さは実際そうなんだろうけど、プライベートは真逆だった。身内の人に自分の想いを伝えることを幼少期からできないで育って(虐待のせいもあり)、いろいろな身近な人間関係に失敗し続けてきた人生だった。まあ婚約破棄も離婚もしてるしね。

もう一つ不思議なことに、「他者のために」と思って色々背負ってやっていたときとは異なり、いまの方が責任をいい感じで果たせるようになってきつつあるようにも思う。むしろ、自然や動植物や他者と繋がって、この世界をましなところにできないかな・・・って自然に思えるようになった。もちろん、相変わらず拳はふりあげているように見えるだろうし、実際そうなのだろうけど、心の底には愛(そして深い悲しみと哀れみ)があって、自分のいつまであるか分からない命の限り、この感じを忘れないでいようと思っている。

そう書くと宗教とかキリスト教っぽく思われるかもしれないけれど、私は無宗教。

日々を自然の中の多種多様な命とともに生きる中で、生き物にすぎないニンゲンの傲慢さと可能性の両方に、愛と悲しみと哀れみを感じるようになった。自分を含めたニンゲンの仕業への怒りがないかというと、そうではないのだけれど、自分の命が終る瞬間をイメージしたときに、そこから見える世界はまた違ってしまった。

愛を持って、行動に怒り、最後は悲しみ、哀れんでいるという感じだろうか。
私が死にいくときに、自分に対してもつ感情がそれかもしれないと、最近は思っている。

幼少期から生き急いできた。
後悔しないように全力で生きてきたのだけど、もはや後悔してもいいとさえ思ってる。
急いで生きるよりも、ゆっくり生きたいと。

ドイツの父や母や愛猫の死を経験して、さらに癌となって、死というものが身近になって、生というものの儚さを実感するようになった。遠くないかもしれない未来に、この世を去る自分として、残りの人生をどうのように生きたいのか。

癌はそんなことを気づかせてくれたのだった。
癌なしでも気づけたかもしれないけれど、私のように頑固な人には無理だったかもしれない。
だから、私は今日も癌に感謝している。


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息子が撮ってくれたドイツの庭のケールの花。
このケールは1年以上も生き延びて、冬の間も苦みばしった葉をお味噌汁に提供してくれている。
春夏にはナメクジが攻撃。途中何度も倒れた。
莟になったときに大量のアブラムシがやってきてびっしりだった。
でも放置してたらテントウ虫がきて、いつの間にかアブラムシがいなくなって、こうやって花を咲かせてくれるようになった。
タネになったら、ただ土にバンバンとバラまく予定。

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今まで食べられない、飲めないお花にまったく興味がなかったのに今年はじめて「ただ見るためだけ」に寄せ植えをした。我ながらビックリしてる。

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出発前日、石南花を飛び交うハチたちを、何分も何分も眺めてた。

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でもやっぱり野草やお野菜の花が一番好きな自分。
花のための花ではなくて、花が全体の一部であることを感じられるときに、なんだかその美しさに改めて感謝できる気がする。
単なるニンゲンのエゴだけど。










# by africa_class | 2019-06-02 19:22 | 【徒然】ドイツでの暮らし

「暮らしの充実」をど真ん中におく、ドイツを真似して、壁(キッチンとリビング)を赤と黒で塗ってみた。

50歳を目前にした5つ目の言語…苦しみながらのドイツ語学習も一旦終り、ドイツの歴史・政治経済・文化・社会にも、前よりずっと興味がもてるようになった。前は英語や日本語経由で読んでいたものが、今はドイツ語経由でも少し読んだり聞いたりできるようになり、目線がぐっと広がるのを感じる。

言語が分からないと、目線すら狭まるのだと改めて実感。
前から気になっていたドイツ人の「生態」について、もう少し突っ込んで聞いてみたり、真似してみたり、かつて20歳のときにブラジル留学をして、その後アフリカ研究者になった自分としては、はなはだ思ってもみない展開ではある。

とはいっても、「暮らしの質」に力点をおく姿勢は、実家を出てから目指してきたものなので、あまり隔たりはないものの、「ああ、ドイツに慣れてきたな・・・」と思ったのが、「壁を塗ろう!」と思う自分を発見したとき。

ということで、今日は「ドイツ壁塗り事情」をご紹介。
が、明日いろいろイベントがあって、実はまったく時間がないので、写真だけ先に紹介しておきます。

ドイツのDIYの店にいくと、ペンキコーナーだけで数メートル(何列も)あって、壁紙とペンキは、ドイツ人の「重要アイテム」といえることがわかると思う。

なぜか?

ドイツ人が引っ越し先で、まずやること。
それは、壁紙の張り替え、あるいはペンキ塗りだから。
自分好みの柄の壁紙にかえない限り、「我が家」とはいえない。
賃貸でも普通にみなが、前の住民の壁をひっぱがし、新しい壁紙を貼る。
模様替えのときは、家具ではなく、まず壁から入るのがドイツ風。

その色も白とかベージュとか、そんなありきたりではなくって、あらゆる色が大活躍。
赤ちゃんが生まれるから、幸せいっぱいのピンクやイエロー。
あるいは、子ども部屋は、空色に雲まで描く。
寝室は落ち着いた色や、植物柄に・・・。

壁紙もペンキも自然のものでもそんなに高くなく、自分で全部やるので、数万円もかけずに、「我が家」感を出せるのが皆が取り組む理由だと思う。

で、どうしてドイツ人はそんなにも家の壁に拘るのかというと、日本みたいに外出や外食にお金をかけず、仕事の後に同僚とも飲みに行かず、とにかく「我が家」での時間を重視するから。その「我が家」に、毎週末のように、近所や親戚、トモダチを招いて、ご飯を食べたり、お酒を飲んだり、サッカーを鑑賞したり、Ebayで売る服を集めてみたり。子どもたちも週末は誰かの家に御泊まりにいくのが普通。

つまり、何か?
とにかく「我が家」あるいは「誰かの家」ですごく時間・機会が日常的に膨大にある。
「家(アパート含む)」は、自分のテリトリーであるとともに、自分の仲間たちのテリトリーでもあり、そこに投資(カネだけでなく労力を含む)することが、自分の人間関係・社会関係への投資にも繋がる。そして自分の居心地の良さ、満足の向上も同時に実現でき、一石二鳥というわけ。

ドイツのツレの家の隣人は、84歳。
でも薪ストーブを愛好し、チェーンソーで森の木を伐り、斧で薪をつくる。
といっても、大きな木はキレない。
そして年の半分はクロアチアのトレーラーハウスで生活して船で遊んでる。その間、庭や芝生の手入れの問題がある。
しかし、自分の親族はみな400キロも離れたところに暮らす。
なので、彼は近所を家に招いてよくBBQや小さなパーティをする。
そうやって地縁を大切に、そして若手の隣人たちに助けてもらうのだった。
もちろんお金は払わない。

お金をかけずに生活の質をあげられる・・・その意味で、重要なのが、居心地の良い「我が家・庭」への投資ということ。

もちろん、引っ越し時に、照明も便器ももっていく人いるために、全部買い揃えないといけないこともあるのが、ドイツ引っ越しの大変なところだったりするが。。。

さて。
前から、キッチンとリビングの壁の片面だけ新しい色に塗りたいと思っていた。
でも、ドイツ語コースを受けて、教科書でやたら「壁塗り」のスキットに出逢うまでは、別に困らないので「まあいっか」と後回しにして数年。でも、今年こそは!・・・とクリスマスに自然塗料を注文。ペンキ隊長の息子の動きを待つ事数ヶ月。またく動きがない・・・ので、じりじりしていたものの、動かない・・・。

ので、ドイツ語試験がおわり、コースから解放されたわたしが生まれて初めてペンキを塗る事に。
しかし、心配した息子が結局塗ってくれて、最後の仕上げだけ担当させてもらった。

さて。
私もドイツでウロウロすることが増えて、もっと近所や親戚や友人を招きたくなった。
猫たちや庭のことを考えると、家族だけに頼っては回せないというのもある。
たまにきてくれる日本や他国にいる元ゼミ生たちにいつまでも頼っているわけにもいかない!
ということで、いろいろな仲間がきたくなる家を目指し、少しずつ家と庭に手をいれようと決意。

で、私が選んだ色はというと、キッチンは「黒」。リビングは「赤」。
この時点で、日本の皆さんだけでなく、ドイツ人すらも「引く」。

でもね。
そういう冒険も、どうせダメだったらまた塗ればいいよね、というぐらい気楽にペンキ塗りなので、気にせずやってみた。(一番ヒヤヒヤして、何度も質問したのは、ツレだったが)。家の中の唯一のアーティストの息子が「いいんじゃない?」と賛意を表してくれたので、矛を収めてくれた。でも、そもそもペンキ買ったあとも、ぶつぶついうのはなしよね?

ということで、ペンキ塗りと完成の様子を。
まずはリビング。

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右下に頑張ってる息子の姿・・・。

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完成した様子。右の黒い板は息子の作品。スタンド横の切り株も息子製作のお茶おき。照明はツレ製作。奥に見えるのは、わたしが作ったアフリカの土器。ソファー以外はまったくお金がかかっていない。

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このリビングに続くのが温室。Wintergarten。現在ではドイツの家の大半にある。テーブルは、息子が庭の廃材(荷車の横の部分)を集めて作ったもの。椅子は前住民がおいて行ったもの。右奥の薪ストーブはお金かかった。でもこれもクッキング可能なストーブなので、雨でBBQが庭で出来ない時に、大活躍。冬・春先は、苗を作るためのスペースとなる。
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で、「黒いキッチン」を目指して壁を塗る息子。
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途中。乾かしているところ。左のストーブは薪ストーブ。オーブンもついており、このストーブですべてのクッキングとコーヒーのお湯、お風呂のお湯を沸かす。北イタリア製。この家に越して、最初で最後の大きな買い物。日本では超高いクッキング薪ストーブ。なんと18万円!しかし、エントツが高かった。でも、電気代が劇的にかからなくなり、あと数年ぐらいで元をとれると思う。薪は敷地内の森のもの、そして市が公園や森で剪定したものを超破格の値段で譲ってもらっている。
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完成した様子。黒いといっても、とっても馴染んでいると思うのだが・・・。机は息子が3年前に作ってくれた250年前のフランスの階段で作ってくれたテーブル。窓辺には義父の形見のビールの陶器、アンティークのコーヒーや胡椒のグラインダー、25年前に初めてアフリカで作った土器、バナナの葉っぱで作ったバウバウたち。白い椅子は前住民がおいてった。
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今まで、キッチンから外を眺めることは少なかった。でも壁を黒くした途端に、窓の外とのコントラストが明確になって、外を眺めることが増えた。新緑の季節になれば、もっと楽しくなると思う。
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ペンキ代は自然塗料を使ったので6000円ほどかかったけど、6000円でこんなに雰囲気が変わったので、大満足。あとは下半分を泥で塗る予定。お楽しみに!




# by africa_class | 2019-05-16 18:10 | 【徒然】ドイツでの暮らし

【参加者募集】5/24院内集会「世界を変える小農と共に考える~これからの日本と食と農のあり方を問う」

イベント続きですが、こちらはとっても大切なイベントです!
募集期間がとっても短いので、拡散にご協力くださいませ。
質問などは主催者に御送り下さい。

会場が、参議院議員会館ではなく、衆議院第二会館に変更になったそうです。
ご注意下さい。

また必ず事前申し込みをお願いします(詳細は以下)。

(転送・転載歓迎!)
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5/24 院内集会「世界を変える小農と共に考える~これからの日本と食と農のあり方を問う」
詳細→http://unpesantsrights.blog.fc2.com/blog-entry-8.html
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昨年末に国連総会で「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が採択されました。また、今年から「国連 家族農業の10年」が始まります。

このたび、こうした世界的な流れに重要な役割を果たしてきた世界最大の小農運動「ビア・カンペシーナ」のリーダーをお招きし、世界の動向や国連宣言等の意義を紹介いただきます。

また、日本の農家から現在直面している課題を問題提起してもらいます。日本政府(農林水産省・外務省(調整中))も参加し、コメントをいただくなどしながら意見交換をします。

これらを受けて、今後の日本の食と農の未来を参加者とともに話し合えればと思います。農民や農民団体、政府だけではなく、市民、研究者、学生など、あらゆる分野、世代の方々にお集まりいただき、議論することから始めたいと思います。ぜひご参加ください。

■日時:2018年5月24日(金)17時ー19時半
*議員会館ロビーでの集合時間:16時半ー16時45分 
*入館証が必要です。直接会場に行けませんのでご注意下さい。

■場所:衆議院第二議員会館 第一会議室(東京都千代田区永田町2-1-2 )
■アクセス1.永田町[1](4分) 2.国会議事堂前[3](7分)http://bb-building.net/tokyo/deta/457.html
■言語:日本語・英語(逐語通訳付き)
■参加費(資料代):500円

■お申込み:5月23日(木)18時までに下記のサイトにご記入の上、直接会場にお越し下さい。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/b31da8a4620264
■主催:国連小農宣言・家族農業10年連絡会 http://unpesantsrights.blog.fc2.com/

■式次第:
司会:渡辺直子(日本国際ボランティアセンター)

1)国連等での小農・家族農業への注目の意義ー国連小農権利宣言の採択を受けて
・ヘンリー・トーマス・シマルマタ(ビア・カンペシーナ/インドネシア農民組合、小農宣言チームメンバー)
・キム・ジョンヨル(ビア・カンペシーナ国際調整委員 韓国女性農民会)

2)日本政府からのコメント・農林水産省・外務省(調整中)

3)日本の小農・家族農業の現状と課題の紹介・日本の農家
・松平尚也(耕し歌ふぁーむ/小農学会/京都大学大学院)、他調整中

4)オープン・ディスカッション&質疑など

■お問い合わせ・連絡先:
国連小農宣言・家族農業10年連絡会メールアドレス:peasantsrightsj<@>gmail.com
*取材などのお問い合わせは、日本国際ボランティアセンター(http://www.ngo-jvc.net)渡辺(TEL:03-3834-2388)までお願いいたします。

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# by africa_class | 2019-05-15 22:25 | 【国連】小農の権利宣言

もう終った講演会ですが記録のためにアップさせて下さい(SDGs時代における食と農の最前線ー環境・開発・人々の権利)

自分がどこで何を話したかリストにしないといけないのですが、その余裕がないので、本来事前に告知をかねてこのブログで紹介するはずだったんですが、なかなかそれも叶わない1年間だったので、過去の講演やパネルなどもここにアップさせて下さいませ。

つまり、以下のイベントはもう終りましたので、よろしくお願いします!

このイベントは、私を含むICAS日本語シリーズ監修チームで明石書店から出版しているシリーズ『グローバル時代の食と農』https://www.akashi.co.jp/author/a182359.html の第一巻『持続可能な暮らしと農村開発〜アプローチの展開と新たな挑戦』(西川芳昭監訳、西川早百合訳)の著者であるイアン・スクーンズを招いて行われたものです。

本の表紙は末尾に紹介しておきます。
https://www.akashi.co.jp/book/b420384.html
とくに、Livelihoods(ライブリフッド)アプローチに関するものでした。

イアンは、英国サセックス大学の国際開発研究所(IDS)、STEPセンターの所長を務めており、最近Ester Boserup開発調査賞を受賞しました。詳細は以下の記事をご覧下さい。

STEPS co-director Ian Scoones awarded Ester Boserup prize for research on development

https://steps-centre.org/news/steps-co-director-ian-scoones-awarded-ester-boserup-prize-for-research-on-development/


******
以下、アジア経済研究所のサイトからの転載
https://www.ide.go.jp/Japanese/Event/Seminar/181126.html

特別講演会

「SDGs時代における食と農の最前線――環境・開発・人々の権利――」

募集は締め切りました


21世紀に入り、人口増加・「途上国」の爆発的消費・気候変動による異常気象などによって「資源の枯渇」への危機感が高まり、これをめぐる国家間・多国籍企業間の競争も激しくなりつつあります。このなかで「食料」もまた「資源」として位置づけられ、「食と農」の分野への投資も増加しています。この流れは、2007年から2008年にかけての国際穀物価格の急騰を生み出す一因ともなりましたが、先進国・新興国を中心に自国優先主義的な資源確保戦略、自国企業の生き残り戦略としての海外進出支援の流れは強まっています。


他方世界各地(とくに「途上国」の周辺地域)で、多国籍企業のサプライチェーン上の環境破壊・人権侵害、「農地収奪/ランドグラブ」とも呼ばれる現象に対する批判の眼も厳しくなっており、「開発と環境」「ビジネスと人権」などをテーマに様々なステークホルダー(先住民族や小規模農民を含む)が見解を表明し、国連、国際機関、市民団体を巻き込んだグローバルなガバナンスの在り方を模索しています。


我が国においても『食と農』をめぐる安全保障の議論は高まっていますが、本邦企業の海外展開、海外農業投資にあたっては、上記のような世界の趨勢を的確に把握しておくことが不可欠であり、こうした認識を欠いた進出は食料安全保障の効果を達成できないばかりではなく、環境並びに社会の持続可能性を損ない、結果としてSDGs達成に向けた我が国の貢献を阻害する可能性もあります。そこで、食と農の動向に関する世界的な第一人者を招聘し、その見解を学ぶ機会とします。

皆様のご参加をお待ちしています。


開催日時

2018年11月26日(月曜)13時30分~17時00分(開場:13時00分)

会場

ジェトロ本部5階展示場
(東京都港区赤坂1-12-32 アーク森ビル5階)
最寄り駅:東京メトロ 南北線六本木一丁目駅・銀座線溜池山王駅・日比谷線神谷町駅

プログラム

13:30~13:35 開会挨拶
平野 克己(ジェトロ・アジア経済研究所理事)

基調講演

13:35~14:35

1.「持続可能性と開発の政治学~グローバルな時代の食と農の未来を見据えて」

イアン・スクーンズ 氏 (サセックス大学 国際開発学研究所)

14:35~15:00 2.「事業マネジメントおよびサプライチェーンマネジメントにおける品質評価:環境品質と倫理品質」
池上 甲一 氏(近畿大学名誉教授)

ディスカッサント

15:00~15:15

荒神 衣美(ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター東南アジアⅡ研究グループ)

15:15~15:30

児玉 由佳(ジェトロ・アジア経済研究所新領域研究センタージェンダー・社会開発研究グループ)

15:30~15:45

休憩

話題提供

15:45~16:00

「JICAの農業開発アプローチ(SHEP)」
伊藤 圭介 氏(JICA農村開発部農業・農村開発第二グループ課長)

パネルディスカッション

16:00~17:00 モデレーター

佐藤 寛(ジェトロ・アジア経済研究所新領域研究センター上席主任調査研究員)


パネリスト

イアン・スクーンズ 氏
池上 甲一 氏
舩田 クラーセン さやか 氏(明治学院大学 国際平和研究所研究員)
伊藤 圭介 氏
児玉 由佳

使用言語

日本語、英語(日英同時通訳あり)

主催

ジェトロ・アジア経済研究所

定員

200名(締め切り日を過ぎたため、お申し込みを締め切りました)



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# by africa_class | 2019-05-12 15:31 | 【記録】講演・研究会・原稿

5/17(金)「「小農の権利宣言」について学ぶセミナー」@龍谷大学にて、お話をします。

引き続き、こちらはもう少し研究に引き付けたお話(セミナー)のご紹介(一般の方も参加可能*ただし2部の教室キャパが限られているので、事前申し込みが必要となりました。詳細は以下をご確認下さい)。

大好きな京都(@龍谷大学深草キャンパス)で、「日本における食と農」を、過去150年ぐらいの世界史的展開と国連を舞台とする国際政治のせめぎ合いの中に、位置づけて論じてみようという野心的な試みです。去年11月から今年までの間に出版された3冊の本を手がかりに話をします。

でも、せっかく大学生と触れ合える機会なので、第1部は経済学部の大学生の日々の暮らしや未来への不安と期待を基点に、話を展開していけたらな〜と思っています。

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「小農の権利宣言」について学ぶセミナーご案内
2019年5月17日(金)午後 @龍谷大学
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「小農宣言・家族農業10年連絡会」の創設メンバーであり、国際開発学会と連携した「グローバル時代の食と農」翻訳プロジェクトのメンバーとしてマーク・エデルマンの『国境を越える農民運動』の監訳された舩田クラーセンさやか氏を招き、龍谷大学経済学会と、科研費プロジェクト「家畜飼養と食肉習慣の変容から見るブータンにおける「食の主権」の構築」共催のセミナーを下記のとおり開催します。

2018年12月に国連と農民運動の協働の成果として採択された「小農および農村地域に住む人々の権利宣言」に関して多面的な学びを企画しました。なお、舩田氏はアフリカ政治経済の研究者でもあり、下記の共著書『解放と暴力』で、150年のアフリカ現代史の中にこの小農の権利宣言を位置づけて論じています。世界大の歴史的な観点からの議論も期待したいと思います。


■日時:2019年5月17日 金曜日 
■プログラム(1部、2部だけの参加も可能です):

□第一部: 13時15分から14時30分
講演会「国連「小農の権利宣言」から読み解く日本の食と農に関する国際協力」

□第二部:15時から16時30分
講演会+討論「国連「小農の権利宣言」採択の経緯と日本へのインプリケーション」

■場所:龍谷大学深草学舎
21号館508教室(第一部)和顔館304教室(第二部)
□アクセス:
https://www.ryukoku.ac.jp/about/campus_traffic/traffic/t_fukakusa.html
JR奈良線「稲荷」駅下車、南西へ徒歩約8分
京阪本線「深草」駅下車、西へ徒歩約3分
京都市営地下鉄烏丸線「くいな橋」駅下車、東へ徒歩約7分

■申込み(第一部不要、第二部必要)・いずれも無料

*ご注意:第一部は申し込み不要ですが、第二部に参加ご希望の方は、5月16日までに必ず以下の問い合わせ・申し込み先にお名前、ご所属(あれば)、連絡先の3点をお知らせください。会場の都合で、事前申し込みのない方は入場できない場合があります。

■演者: 
舩田クラーセン さやか氏(Dr. Sayaka FUNADA-CLASSEN) 
明治学院大学平和学研究所研究員 博士(国際関係学)
前東京外国語大学外国語学部 准教授

□著書:
『解放と暴力: 植民地支配とアフリカの現在』(小倉充夫と共著、東京大学出版会)
『国境を越える農民運動 ―世界を変える草の根のダイナミクス (グローバル時代の食と農2)』(監訳、明石書店)
『モザンビーク解放闘争史―「統一」と「分裂」の起源を求めて』(御茶の水書房)
The Japanese in Latin America (Daniel Mastersonと共著、Illinois University Pressなど多数

■主催:
龍谷大学経済学会
科研費研究「家畜飼養と食肉習慣の変容から見るブータンにおける「食の主権」(代表小林舞)」(19K20559)

□参考:
国連は2014年を「国際家族農業年」とし、2019年からの10年間を「家族農業の10年」と取り決め、2018年12月18日の国連総会で「小農と農村で働く人びとの権利に関する宣言」(小農の権利宣言)を可決。

宣言は27条からなり、小農民、漁民、遊牧民、先住民、牧畜民、農業労働者の権利確立が示され、その権利には食料、土地、水などの自然資源が含まれ、文化的アイデンティティや伝統的知識の尊重、種子や生物多様性に関わる権利保護まで幅広い分野にわたる。(「誰も取り残さない! 小農民の権利宣言が国連で採択~SDGs時代の持続可能な農と食~」古沢広祐 2019より抜粋)

■問い合わせ・申し込み:龍谷大学経済学部 西川芳昭(nishikawa[at]econ.ryukoku.ac.jp) 
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お話の土台とするのは次の3冊。
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ちょっとだけ使う予定の最初の出版物。
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もちろん、読まずに来ていただいて大丈夫です。
たぶん、私がこれまで話してきたこと、書いてきたことを土台としつつも、それらを超えたところの話を展開したいなーとおもっています。この3年ほど温めてきた最後の研究テーマの一端を少しお話できれば。
(なぜ最後なのかはまた今度)



# by africa_class | 2019-05-10 23:07 | 【記録】講演・研究会・原稿

【5月11日18時半〜】カフェモサンビコ6周年イベントで「たね」と「気候変動」「世界の若者の今」のお話をします。

農繁期で後ろ髪をひかれながら、昨夜、日本に戻ってきました。チェックインの1時間前までキュウリの苗を移植してて、最後はバタバタ、土だらけのまま空港へ。「立つ鳥跡を濁さず」をモットーにしているわたしですが、家の中を十分に掃除できないまま出てきたのが心残りです。男子チームの奮闘を期待しつつ…。

さて、明日(5/11土曜日)はカフェモサンビコ6周年イベントです。
大阪の素敵なカフェtipo8で18時半〜20時半まで。
私のお話は以下の内容で。
「モザンビークのサイクロン被害とヨーロッパの中高生の気候変動、そして日本の私たち」
詳細は以下をご覧下さい。

「カフェ」の皆さん、ギリギリになってすみませーーーん!


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カフェモサンビコ6周年イベント
〜ママが育てた「初ビコ」を味わいながら、世界と日本の繋がりを考える


モザンビーク北部マウアのママたちと苗から一緒に育てた在来種のコーヒー(「ビコ」)の樹に実が成り、初めて皆さまにママ・ビコをお届けすることができます!といっても少量のため、何度も味わっていただくことはできませんので、ぜひこの機会をお見逃しなく!

ビコの故郷アフリカ・モザンビークでは、先月サイクロンが直撃し、100万人を超える被災者が出るなどの大規模な被害が出ています。国連は、歴史にないほどの強度のサイクロンであり、この背景に地球温暖化による気候変動の影響があると発表しました。温暖化は今後加速度的に被害を拡大していくとされています。

日本でも昨年、度重なる大型台風の来襲と水害が多発しました。待ったなしの温暖化対策ですが、日本でも世界でもリーダーたちの動きは鈍いです。これに対して、ヨーロッパの中高生がFriday's
for Future(将来のための金曜日)という運動を立ち上げ、世界の若者がこれに参加し、政治家や政策を変える動きが出てきています。


世界でも現地以外はここでしか飲めない「ビコ」を味わいながら、日本・アフリカ・世界の繋がりについて一緒に考えてみませんか?


カフェモザンビコ6周年イベント概要

■開催日:2019年 5月 11 日(土)18:30-20:30
■開催地:TIPO8 〒531-0071 大阪府大阪市北区中津5丁目2−9
https://www.cafetipo8.jp/
(梅田駅・大阪駅から徒歩7分。梅田スカイビル前)
access


■参加費:大人2000円、小中高生1000円(パスタ、ビコ付き)
*お子さん連れ大歓迎。
■要予約:下記のサイトにて5月11日(土曜)正午までにご登録下さい。
https://forms.gle/dz6ouMpFXJzGYHkg9

■プログラム:
(1)「ビコ」について(by カフェモサンビコ・プロジェクト)
(2)モザンビークのサイクロン被害とヨーロッパの中高生の気候変動、そして日本の私たち
(by 舩田クラーセンさやか [明治学院大学国際平和研究所])
(3)「ビコ」を味わう&食べながらの歓談
(4)お楽しみ

■主催:カフェモサンビコ・プロジェクト
http://cafemozambico.blog.fc2.com/
■お問い合わせ先:カフェモサンビコ・プロジェクト事務局
cafemozambico<@>gmail.com

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              ママたちが作ったアフリカ布のお弁当箱包みなど、販売します!



# by africa_class | 2019-05-10 22:50 | 【記録】講演・研究会・原稿

共著本(『解放と暴力ー植民地支配とアフリカの現在』)の書評会@慶応大学(5/23夜)で発表します。

あっという間に桜の季節が終わり、新緑の季節に。森も畑も庭もビオトープも池も、生命溢れるとっても賑やかな季節となりました。さて、そんな最中ではありますが、日本に戻ります。いろいろな人がいろいろなイベントを準備してくださっているので、紹介しなきゃと思ってたんですが、もう目前となってしまいました。ごめんなさい。

まずは去年11月に恩師の小倉充夫先生と出した『解放と暴力ー植民地支配とアフリカの現在』の書評会のお知らせ。慶応大学で開催してくださいます。

書評会なので読んでから参加していただくのが一番なのですが、ボリュームもそこそこあるし、値段も高め(すみません・・・)なので、読んでからは無理!という方が大半と思います。なので、読まずに来てもらってもだいじょうぶです。

まず今回のイベントで、本の狙いや想いと魅力(自画自賛ですみませんが、小倉先生担当パーツはぜひみなに読んでいただきたく)を語るので、それで面白そうだなと思ったら手に取ってください。見本も回しますし、後日著者割で御分けすることも可能かも。

まずは、アフリカの過去と未来が、日本やアジアや世界の過去と未来と地続きで展開してきたこと、そして6章で私が書いたモザンビークの今が日本と関わっていることについて、思考をめぐらせながら、一緒に考える機会となればいいな〜と思っています。もう少し詳細は後日このブログで書きます。

この会を準備くださった慶応大学の杉木明子先生、関東支部例会の皆さまに感謝いたします。

 *   *   *

【日本アフリカ学会関東支部第1回例会】

日時:2019年5月23日(木)・18時10分〜20時30分
場所:慶應義塾大学三田キャンパス・436番教室(南校舎3階)
アクセス:https://www.keio.ac.jp/ja/maps/mita.html
*正門のすぐそばのガラス張りの校舎です

内容:書評研究会『解放と暴力ー植民地支配とアフリカの現在』(東京大学出版会、2018年)
報告者:小倉充夫氏(津田塾大学名誉教授)・舩田クラーセンさやか氏(元東京外国語大学准教授)
コメンテーター:鄭栄桓氏(明治学院大学教授)
使用言語:日本語
参加費:無料事前申込:不要(どなたでもご参加いただけます)
主催:日本アフリカ学会関東支部 

  *   *   *

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本のカバーの写真は、小川忠博さんが1973年にタンザニア国境からモザンビークに解放軍とともに入った時のもの。本の中にはもう一枚、すばらしい写真があります。



# by africa_class | 2019-04-30 21:29 | 【記録】講演・研究会・原稿

ナチスによるホロコーストの歴史を熱心に外国人に教えるドイツ国・社会の「新しい価値」について。

去年7月から難民や移民、外国人配偶者などと共に、地域の市民学校で、ドイツ語のコース(社会包摂コースの一貫。ただ誰でも受講が可能)を受けてきた。クラスメートは、シリア、イラク、アフガニスタン、イラン、パレスチナ、トルコ、モロッコ、ソマリア、ガーナ、フィリピン、中国、ポーランド、ルーマニア、ロシア、エストニア、カザフスタンなど、私を入れて17カ国25人。

毎朝8:20から12:20まで4時間、月曜日から金曜日まで、ドイツ語を叩き込まれ(たはずが、脳がまったく受け付けず、消えていった・・・)たが、昨日最終試験があり、ドイツ語は終った(と思いたい。試験に落ちていれば再度チャレンジ・・・・)。

去年6月に手術をしたばかりで、かつ民衆会議もあり、あまりに怒濤の日々で、免疫が落ちている中、次々にクラスメートの子どもたちが学校でもらってくる風邪を親からうつされ、とにかく学校に行っては病気になるの繰り返し・・・。正直いって、本当に辛かった。

でも、すごく面白い経験だった。大学で語学を11年も教えていた自分が、毎朝教わる側に座るのは新鮮で、学びが沢山あった。何よりも、自分より格段に若いクラスメートたちに支えられ、休んだ日のノートや宿題などを携帯で送ってもらい、昨日の試験でも全員で励まし合いながら望んだのが、この年齢で学校に行ったことのご褒美だったな、と。世界各地の色々な年齢の性別のクラスメート。それぞれ、色々な経緯を経て、辛い想いもありながら、教室に集った。なにせ初級から中級までの8ヶ月近くを、「異国の地」で毎日一緒にすごしたので、もうすぐお別れだと思うと寂しいものがある。いつか、難民・移民らと過ごしたこれらの教室の様子を皆に紹介できればと思う。

人間、国籍じゃない。
確かに、文化的背景・影響は強くある。
しかし、やっぱり「人を人として見ることの大切さ」・・・を改めて実感した8ヶ月だった。
しかも、3人の先生は全員ドイツ人というわけではなく、1人はロシア人だった。そして、地域の外国人担当者は外国人。彼女らがいっていたのは、ドイツ語がきちんとできれば、ドイツでは外国人にも同等の機会が拓かれているという点。

2016年に百万人レベルの「難民」(自称を含む)が押し寄せたドイツ。
普通に考えてとんでもないレベルの社会プレッシャーだが、3年経過して、勿論政治的課題は出てきているが、それでもドイツ社会はよく持ちこたえていると思った。その土台に、わたしが去年から参加してきた「社会包摂コース&オリエンテーションコース」のシステムの御蔭だと思う。2005年ぐらいから整備してきたというので、もう13年のベースがある。子どもには学校システムを使った特別のサポートがある。

日本はこのような制度が皆無のままに、現政権下で世界第四位の外国人流入国になった。ドイツ、米国、英国に次いでで50万人近く、知ってた?さらにこの政権は大幅に外国人「労働者」を増やそうしている。これが「労働者」に限らず、移民国への転換点だということは、世界中の先進国や歴史が証明しているが、まったく無策。

私はかつて移民研究、また世界の戦争と平和を研究してきた経験から、大量の外国人・難民の流入を政策として促進するのは反対の立場。だけれど、すでに外国人の子どもたちが地域で生まれ、成長する。労働者として日本社会で役割を果たしてくれた人々の人権が守られないばかりか、それらの人々が日本社会を知る機会をもらえず、交わらずに、パラレル(並行して)に暮らし、苦しむ、あるいは問題を起していることを考えれば、抜本的な制度設計が不可欠なことは間違いない。

なので、私の経験が、少しでも参考になればと思う。

ドイツ語のコースは、社会包摂コースの一貫だったので、教科書が純粋にドイツ語だけをターゲットにしているわけではなく、外国人には気づきにくいドイツ社会のありようをベースにした会話や話が絶妙な形で織り込まれているのが、本当に面白かった。日本で外国語のスキットを準備すると、日本的なやり取りの中に落とし込まれる傾向があるので、違いが如実に感じられた。私がポルトガル語を学習したとき、日本語の教材がまったくない時代だったので、アメリカのジョージタウン大学の教科書を使っていた。なので、英語経由でポルトガル語を学び、英語の単語が分からなければポルトガル語も分からない・・・という二重ぐらいの苦労をしたことを覚えている。その後、外国語学習は、日本語を経由せずに、外国語を使って最初から外国語で学ぶ方向にシフトする先生が多かったが、1年生にはそれは遠回りだな・・・と今でも思っている。世界中の難民と学ぶ場合は仕方ないにせよ。

さて、本題。
ドイツ語コースが終わり、今度は3週間のオリエンテーションコースに突入。教科書の構成からして面白い。

1. 民主主義の中の政治
(1) ドイツにおける政治と民主主義
(2) 国家のシンボル
(3) 国家の構成(州などの紹介)
(4) 政党と連邦選挙
(5) 政党と州選挙
(6) リベラル民主主義的秩序(憲法、法治国家の基礎)
(7) 政治的影響(国家秩序における民主主義の基本原則、コミュニティレベルにおける政治的参加の手法、ボランティア活動への関与)
(8) ドイツにおける法治主義、市民の権利、市民の義務(基本的人権、裁判制度、犯罪)
(9) ドイツにおける行政ストラクチャー(連邦、州、コミューン)
(10) ドイツにおける社会的市場経済(司法、国家による福祉の義務、社会福祉システムと財源、民間のサービスの必要性、職業局[ハローワーク])

2. 歴史
(1) 歴史と責任(ドイツの歴史への紹介)
(2) 国家社会主義(ナチスドイツ)と第二次世界大戦
(3) 戦後のドイツ
(4) 分断から再統合まで
(5) ドイツへの移民の歴史
(6) EU(ヨーロッパ連合)

3. 人々と社会
(1) ドイツのすべて(地域、宗教的多様性の紹介、教育と学び、文化間の勾留)
(2) 各地域の多様性(ドイツ語の方言)
(3) ドイツにおける人々(暮らし、家族構成、家族の機能、女性の解放、世代間関係)
(4) 国民の課題としての学び(政治学習、学校システム、教育の価値、生涯学習)
(5) 宗教上の多様性
(6) 典型的なドイツ人(知的な競争力、文化間の潜在的な紛争)
(7)文化的なオリエンテーション


もう一度確認したいが、これは「外国人向け」の教科書の構成。
当然ながら、ドイツの子どもたちはこれと同様、そしてより深い内容のことを学校で必ず学ぶ。多くの点で注目したいことが沢山あるのだけれど、日本だったら地理とか文化とか縄文時代・弥生とか・・・・没政治的な解説に終始するのだけど、「民主主義のシステムと価値」を最初に教えている点。その中での、国家の義務と市民の権利・義務が明確に示されている点。社会福祉システムと税の関係も教えられている。

その上で、歴史が「責任」という形で紹介されている。
そして、学ぶべき歴史の最初が、ナチスドイツ時代の功罪というのが、何よりも注目すべき点。それをわざわざ外国人に教えている。

ページ数もハンパない数が割かれており、どのような手法でナチスドイツが権力を奪取したのか、そのプロセスで民主選挙がどのように使われたのか、野党やメディアがどのようにコントロールされ(逮捕、収容所送り、虐殺)、本がどのように燃やされ、ユダヤ人が虐殺対象になるプロセス、ホロコーストの実態、周辺国への侵略に使われたイデオロギー、その結果民衆はどのようなふたんを強いられたのか、若者が学校を通じてどのようにナチスに取り込まれたのか、その一方でどのような抵抗があったのか(軍人高官のヒトラー暗殺未遂、ミュンヘン大学の学生グループ「白バラ」のゾフィー・ショルの紹介)・・・。

先生は、最新の新聞記事から、今でも歴史を掘り起こそうとする動きが熱心に続けられていること、新しい事実を紹介してくれた。その上で、ドイツの街に必ずある「歴史を忘れないモニュメント」を散策するために、街に出た。ユダヤ人のためのシナゴーグがあった場所、シナゴーグがナチスの支援者によって焼かれたこと、野党関係者が次々に逮捕・監禁された場所、誰が強制収容所に送られて死んだか、襲撃されたユダヤ人の店、収容所に送られたユダヤ人が住んでいた建物の前に埋め込まれた石(名前と送られた収容所名、その後{見た人は全員死])、主筆が強制収容所に送られ死んだローカル新聞の本社、「ヒトラー広場」と名づけられ若者たちが娯楽に使った広場跡、ユダヤ人のお墓、ヨーロッパ中から強制労働のため連れてこられた人達のお墓・・・など。

今日はじめて参加したイラク人はナチスドイツの歴史を学ぶ前にあった「歴史と責任」の授業を受けてないこともあり、不思議そうに全部を回って、先生に聞いた。

「ドイツ人はヒトラーを今嫌って否定しているのに、どうして彼のことやナチスを学び、『忘れない』ことを重視してるのか?忘れた方がよいのではないか?」

先生は本当に驚いた顔をして、「二度と同じことが起らないために、繰り返し、繰り返し、どのように過ちが生じたのかを教え、学び続ける必要がある。しかも、未だすべては明らかになっていない。もっとヒドいことが行われていたことが次々に分かっている。これらを掘り起こし、二度と起きないようにするのは、我々の責務であり、国家の責務」と説明した。

そして教室に戻ると、ホロコーストのページの下にドイツ連邦憲法が貼ってあり、先生はそれを皆で読み上げるように言った。

******
ドイツ連邦憲法第3条
1 すべての人は法の前に平等である。
2 男女は、平等の権利を有する。国会は、男女の平等が実際に実現するように促進し、現在ある不平等の除去に向けて努力する。
3 何人も、その性別、門地、人種、言語、出身血および血統、信仰または宗教的もしくは政治的意見のために、差別され、または優遇されてはならない。何人も、障害を理由として差別されてはならない。
*******

まさに、過去の負の遺産を学ぶことは、現在の皆の権利を守るために不可欠な、on-going(継続的な)営みの土台と延長上にあるのだということが、教科書においても、先生の意識の中でも、はっきり示されていたのだった。

そして、先生は「憲法雑誌」を片手に、基本的人権の重要性、とくに「自由権」の重要性を紹介した。その上で、雑誌に書いてあるように、これは「闘って手にし続けるもの(闘い取られなければならないもの)」として紹介した。

もう少し深く紹介したかったけど、時間切れ。
続きはまた書きます。



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大学生たちのナチス抵抗運動の紹介。ゾフィーとハンス・ショル姉弟の写真。歴史の本から先生が持って来てくれた。独裁や戦争から逃れてきた難民や移民の皆さんは熱心に聞いている。
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どのようにヒトラーやナチスが権力を握ったのかのプロセスを選挙結果を示しながら説明。プロパガンダが多用され、野党が禁止されたり弾圧されたとはいえ、有権者が選んでこのような野蛮かつ独裁の政府が出来てしまったことを、批判的に検証。だから、歴史を繰り返さないための歴史教育が必要と。
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焼き討ちにあったシナゴーグの跡地で、先生の説明を聞くクラスメートたち。いまは学校の敷地になっている。
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この道の前の建物にかつて暮らし、強制収容所に連れて行かれ殺されたユダヤ人ひとりひとりの名前が刻まれた黄金の石。ドイツ中の街の道にこのような石が埋め込まれている。5分歩いて20名ほどの石に出あった。

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憲法


# by africa_class | 2019-03-23 18:50 | 【徒然】ドイツでの暮らし

【参考までに】「家族農業の10年」の国連決議文の日本語「仮訳」を貼付けます。

連投すみません…。
さて、院内集会までに、もう少し「小農権利宣言」についての分析を進めて紹介するはずだったのが、途中海外出張が入ったり、またしても風邪を引き続けたりで、どうにも時間が取れませんでした。でも、「小農権利宣言」とともにテーマとなっている「家族農業の10年」の決議文も重要なので、根岸さんとともに翻訳をしておきました。

残念ながら印刷に間に合うように納得のいく訳文を準備できなかったので、本日は配布できませんが(関係者を除き)、一応こんな決議文だよということを広く伝えておいた方が良いと思うので、以下「仮訳」状態のものを貼付けておきます。

数日以内に差し替えると思いますが、今の時点のものということでご覧下さい。

仮訳(2019年2月17日)
未だ最終確認中なので、数日以内の訳文の最終化をお待ち下さい。

***********
国連 家族農業の10年(2019年~2028年)

2017年12月20日
A/RES/72/239 (国連総会決議)


国連総会は、

食料保障と栄養改善の実現に向けた家族農業、牧畜業、小規模農業の貢献を浮き彫りにするとともに、2011年12月22日の(国連総会)決議66/222で宣言され、2014年に制定された国際家族農業年(IYFF2014)の成功を確認し、

多くの(加盟)国が、家族農業のための全国委員会の形成、小規模融資などの小規模農家が利用できる金融政策の構築を含めた、家族農業を重視する公共政策の発展を目覚ましく進展させた事実を歓迎し、栄養の改善とグローバルな食料保障、貧困の撲滅、飢餓の終焉、生物多様性の保全、環境持続可能性の実現、ならびに人の移動問題への対応を支える点において、家族農業が果たしている役割を認識し、

「家族農業に関する知識プラットフォーム」(国連食糧農業機関[FAO])の設置を踏まえ、また家族農場特有のニーズに対応するための政策の協議・立案において、知識とデータの共有が役立つことを再確認し、

牧畜業、家族農業、とりわけ農村の女性と若者を含む小規模農民を支えるための科学、技術、イノベーション(革新)、起業の重要な役割を認識し、この点において特に、イノベーション志向の発展(開発)と数多くの起業およびイノベーションを支援する重要性を強調しつつ、小規模農民による自給的な農業からイノベーティブで商業的な生産への移行に寄与する持続可能な農業の新技術を歓迎し、彼女・彼らが自らの食料保障と栄養を向上させ、販売可能な余剰を生み出し、生産物に付加価値を加えることを助け、

また、家族農業が有する、歴史・文化・自然遺産、伝統的慣習文化の促進と保護、生物多様性の喪失防止、さらに農村に暮らす人びとの生活状況改善との密接な関係性を認識し、

寒帯、温帯、熱帯を含む、異なる形態の森林がそれぞれ家族農業を支えている役割を強調し、

また食料保障と栄養のための持続可能な漁業と養殖の重要性を再確認し、

農業、食料保障、および栄養に関する課題とそれらの気候変動との関係に焦点をあてた第31回FAOヨーロッパ地域会議が、2018年5月、ロシア連邦ヴォロネジで開催されたことに留意し、

1989年5月24日の国連経済社会理事会決議1989/84で明示された、経済および社会分野における国際10年に向けたガイドラインを意識し、

包括的で民衆(人びと)を中心に据え、人びとに届く、普遍的かつイノベーティブな一連の(国連)持続可能な発展(開発)目標およびターゲットを採択した、2015年9月25日の決議70/1「私たちの世界を変革する:持続可能な発展(開発)のための2030アジェンダ」を再確認し、2030年までのアジェンダの完全なる実現に向けた不断の努力、そして(このアジェンダが)極度の貧困を含むすべての形態とレベルの貧困の撲滅を掲げていることを改めて確認するとともに、これが持続可能な発展(開発)にとって最大の全世界的挑戦であり看過できない必須条件であること、また公平かつ平等な方法により経済・社会・環境の3つの側面において持続可能な発展(開発)を実現する義務、さらにはミレニアム発展(開発)目標の達成を積み上げるとともに未達成事項の対処への努力義務を再確認し、

持続可能な発展(開発)のための2030アジェンダの根幹にあたり、同アジェンダを支援・補完し、具体的な政策や行動とともに実行目標のための手段に土台を提供する役割を果し、加えて、持続可能な発展(開発)のために、グローバルなパートナーシップと連帯の精神に則って、資金的手当と実現可能な環境をすべてのレベルで創造する困難に向けた強い政治的義務を再確認した、2015年7月27日、第3回開発資金国際会議(FfD)におけるディスアベバ行動目標についての決議69/313を再確認し、

パリ協定ならびにその早期の発効を歓迎するとともに、すべての締約国がこの協定を完全履行することを推進し、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の締約国で批准書の寄託、受諾、承認あるいは未加入の国が、可能な限り早期に、しかるべき場でその手続きを行うことを促し、

栄養に関するローマ宣言と行動のための枠組みを基盤にした、国連栄養のための行動の10年(2016-2025)の宣言を想起し、

また、極度の貧困人口の80%近くが農村地域に暮らしながら農業に従事し、農村地域の発展(開発)、持続可能な農業、とりわけ女性農民を中心とする小規模農民の支援への資源投入を行うことが、あらゆる形態と側面における貧困の終結の手がかりとなること、そしてこのような措置が農民に対する福祉の改善を向上させることを改めて認識し、

全世界で8億1千500万人の人びとが未だ飢えに苦しみ、いくつかの地域でその他の形態の栄養失調の蔓延が依然として懸念されることを認識し、金額ベースによる世界の食料の80パーセント以上を生産する家族農業の重要な役割を強調し、

普遍的で、ルールに基づき、開かれた、差別のない、かつ平等な多国間貿易システムが、途上国において農業、家族農業、農村の発展を促進し、世界の食料保障と栄養に寄与するであろうことを強調しつつ、コミュニティ・全国・地域・国際市場への、特に小規模および家族農を営む女性を含む農民のインクルーシブな参加を促進する、国内・地域・国際的な戦略の採択を強く要望し、

ジェンダー平等および女性と少女のエンパワーメントの実現が 、持続可能な発展(開発)目標とそのすべてのターゲットの前進に、極めて重要な寄与をもたらすであろうことを認識し、加えて、小規模農民および女性農民、先住民族の女性および地元コミュニティの女性を含む農村女性の重要な役割と貢献を再確認するとともに、同様に農業と農村の発展、食料保障の改善、農村における貧困撲滅に寄与する彼女らの伝統的な知識(知恵)の重要な役割と貢献を改めて認識し、このことを踏まえてさらに、食料保障と栄養に対する女性の重要な役割が確実に認知され、(この女性の重要な役割が)途上国における食料不安、栄養失調、極端な価格高騰の可能性、食料危機に対する、短期的および長期的な対応に不可欠なものとして扱われるべく、農業政策および戦略を振り返ることの重要性を強調し、

若者と障害者を含むすべての女性と男性が、完全で生産的な雇用、ならびに人間らしい働きがいのある(ディーセントな)仕事を実現する必要性を強調するとともに、農村地域において追加雇用またはその他の職業への雇用機会、ならびに収入の機会を提供すべく、家族農業のイノベーションを促進する政策とプログラムが、全体的な農村発展(開発)を促進する政策と一致して進められるべきことを確認し、

持続可能な開発目標の達成に向けて、適切で、費用対効果の高い、伝統的、イノベーティブな解決を拡大するため、経験交流と知識共有に向けた支援を実行できる環境の創造において、農民同士の協力を通じた家族農民間協働の肯定的な影響が不可欠であることを認識し、

気候変動が、人間社会と地球にとって、潜在的に不可逆性を伴った火急の脅威となっていること、また世界中で農業に深刻な影響を及ぼしていることを意識するとともに、家族農業を支えることが、負の影響への適応能力の向上、気候に対するレジリエンス(耐性力)の増進、低温室効果ガス排出型の開発といった気候変動とのたたかいを、食料生産を脅かさない手法で実現することに貢献しうるものであることを意識し、

食料保障と栄養を向上させ、小規模および女性の農民、ならびに農業協同組合と農民ネットワークを重視するための私たちの努力を強化するとともに、各国がグローバルなパートナーシップを活性化するよう後押しする必要性を自覚し、

家族農業の促進、そして知識、経験、グッドプラクティス(よいと考えられる実践例)、イノベーティブな政策、ノウハウ、リソース(資金など)のやり取りを通じた食料不安の課題への取組みにおける南南協力および三角協力の重要性を認識し、

国連家族農業の10年(2019年-2028年)を、既存の枠組みと利用可能な資金の範囲内で、宣言することを決意し、

すべての加盟国が、家族農業に関する公共政策を立案、改善、実施し、家族農業に関する経験とベストプラクティス(最善と考えられる実践例)をその他の加盟国と共有することを促し、

FAOならびに国際農業開発基金(IFAD)に対し、そのマンデート(任務)および既にある資金の範囲内で、また必要に応じた自発的な貢献(資金などの提供)を通じて、その他のしかるべき国連機関との協働により、可能な活動とプログラムを見極め構築することを含む家族農業の10年の実施を牽引することを要請し、

各国政府に加え、国際および地域機構、市民社会、民間セクター、学術界を含む関係するステークホルダー(利害関係者)が、家族農業の10年の実施について、場合によって自発的な貢献を通じて、積極的な支援を行うことを求め、

国連事務総長に対し、FAOとIFADが共同でまとめる隔年の報告書をもとに、家族農業の10年の実施について、国連総会へ報告することを求める。


第74回国連本会議

2017年12月20日



監訳:舩田クラーセンさやか
訳者:根岸朋子


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# by africa_class | 2019-02-18 05:48 | 【国連】小農の権利宣言

【本日開催!IWJ中継あり】「国連小農宣言・家族農業の10年 院内集会」が議員会館にて開催!「国連小農宣言」日本語版のダウンロード先も紹介

本日(2/18)、東京で「国連小農宣言・家族農業の10年 院内集会」が開催される。
http://unpesantsrights.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

すでに100名の定員はオーバーしたとのことで、本当に嬉しい。
また、農水省や外務省からも担当官が4名・2名出席するとのこと。
出席者一覧→http://unpesantsrights.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

これからの参加は満員御礼のため不可能だけれど、IWJがネット中継をしてくれることになったので、是非ネット中継をご覧下さい(IWJの会員になれば後日視聴が可能です)。

【IWJ Ch5】14:00-17:30
視聴URL: https://twitcasting.tv/iwj_ch5

この院内集会の重要な点は、発表者は日本の小農の皆さんとその組織のみという点。つまり、国連宣言の当事者が発表し、政府に質問をするという点です。まさに権利宣言の精神を体現する院内集会となったことに、連絡会の一メンバーとして大変嬉しく思います。

未だ解決していないこのプロサバンナ問題に直面しながらも思うのは、2012年9月、もし彼ら・彼女らに「プロサバンナをなんとかして」と呼び出されなかったら、わたしがこの国連小農宣言を訳すことも、日本に紹介することも、この院内集会を日本の農家さんと準備することもなかったという点に、人生とは不思議なものだと思う。もし、この訳文公開に、わずかなりとも感謝していただくのであれば、それは私たち訳者にではなく、モザンビーク北部小農の奮闘に感謝していただければと切に思う。

彼女ら・彼らから教えられ続けた25年間を振り返り、いまはただ、彼女・彼らの苦しみを一刻も早く解消したいと願うのみ。そのためには、プロサバンナを終らせなければなりません。このことはまた今度。

はじめてプロサバンナを知る人は岩波の連載を
→https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461

お待たせしました!
以下、最終版の訳文の掲載場所です。

******
小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言
最終採択決議文・宣言文
日本語訳

あるいは、以下のサイトに掲載します。
******

ドイツは、急に春めいた満月の夜。
猫たちもソワソワ。私もソワソワ。

さて、院内集会!
チラシの裏面を紹介しておきます〜。

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# by africa_class | 2019-02-18 05:44 | 【国連】小農の権利宣言

【完訳3】国連採択された「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」、最終決議・宣言を監訳終えました。最後、14条から28条。

小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言
(国連総会採択版、最終版の日本語)

*前文→https://afriqclass.exblog.jp/239092212/
*第1条から第13条→https://afriqclass.exblog.jp/239092220/

第十四条 (仕事場での安全と健康に対する権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、一時労働、季節労働、移住労働の如何にかかわらず、安全で衛生的な環境で働く権利、安全衛生の措置の適用と評価に参加する権利、安全衛生責任者を選ぶ権利および安全衛生委員会の委員を選ぶ権利、十分かつ適切な防護服と機材および仕事場における安全衛生に関する適切な情報と研修へのアクセスの権利、暴力とセクシュアル・ハラスメントを含む嫌がらせを受けない権利、危険で不健全な労働状況を報告する権利、安全衛生に関する差し迫った深刻なリスクがあると合理的に判断できる際に、労働により起こる危険を回避する権利を有する。これらの権利の行使によって、労働に関連したいかなる報復の対象にもなってはならない。

2. 小農と農村で働く人びとは、農薬や化学肥料(農業用化学物質)あるいは農業や産業由来の汚染物質を含む危険物および有害化学物質を使用しない権利、これらにさらされない権利を有する。

3. 加盟国は、小農と農村で働く人びとに、効果的で安全かつ健全な労働条件を保障するため、適切な措置をとる。特に、適切で適格な管轄機関を設置し、政策の実行と、農業、農工業、漁業における職業上の安全と健康に関する国内法と条例の施行のため、各省庁を横断的にとりまとめる方策を構築し、是正措置と適切な罰則を規定し、農村における労働現場の十分かつ適切な検査システムの構築と支援する。

4. 加盟国は、以下を保障するため、あらゆる必要措置をとる。

(a)技術、化学物質、および農業行為からもたらされる健康と安全に対するリスクを防止すること。このための方策には、これらの禁止および規制が含まれる。

(b)農業で使用する化学物質の輸入、分類、梱包、流通、ラベリング、使用に関する特定の基準、および、それらの禁止あるいは規制に関する一定の基準を管轄機関が定めることを通じて、適切な国の制度またはその他の制度を承認すること。

(c)農業で使用する化学物質の製造、輸入、調達、販売、移動、貯蔵、廃棄に関わる者は、国またはその他(の機関)による安全衛生基準に従い、公用語または国内の諸言語などの相応しい言語を用いて、十分かつ適切な情報を使用者に提供すること。また、要請に応じて、管轄機関に対しても情報を提供すること。

(d)化学廃棄物、古くなった化学物質、化学物質の容器の安全な回収、再利用、廃棄に関する適切な制度を構築し、これらの目的外使用を阻み、安全衛生および環境へのリスクの解消と最小化を図ること。

(e)農村で一般的に使用される化学物質がもたらす健康ならびに環境上の影響に関して、また、化学物質の利用に代わるその他の方法に関して、教育と公衆啓発プログラムを開発し実施すること。


第十五条 (食への権利と食の主権)

1. 小農と農村で働く人びとは、適切な食への権利と、飢えからの自由という基本的な権利を有する。この権利には、肉体、精神、知性の面で最高レベルの発展の実現を保障する、食を生産する権利、および、適切な栄養を摂取する権利が含まれる。

2. 加盟国は、文化の尊重を土台とし、将来世代の食へのアクセスを保全する持続可能かつ公正なる手法で生産・消費され、個人および/あるいは集合体としてのニーズに応え、物理的にも精神的にも充実した尊厳ある暮らしを保障する、十分かつ適切な食に、小農と農村で働く人びとが物理的にも経済的にも常にアクセスできるよう保障する。

3. 加盟国は、農村の子どもたちの栄養不良とたたかうため、適切な措置をとる。これには、プライマリー・ヘルスケアの枠組みを通じたもの、とりわけ、すぐに利用できる技術の適用、十分に栄養のある食べ物の提供、また、女性が妊娠および授乳期間に適切な栄養を確保できるようにすることが含まれる。さらに、親や子どもをはじめ、社会のすべての構成員が、十分な情報を提供され、栄養教育を受けることができ、子どもの栄養と母乳育児の利点に関する基本的知識の利用に関して支援を受けることを保障する。

4. 小農と農村で働く人びとは、自らの食と農のシステムを決定する権利を有する。この権利は、多くの国と地域で、食の主権として認められている。この権利には、食や農業に関する政策の意思決定プロセスへの参加の権利、さらに、文化の尊重を土台とし、環境に配慮しつつ持続可能な方法によって生産された、健康によい適切な食への権利が含まれる。

5. 加盟国は、小農と農村で働く人びとと連携し、自治体、全国、地域、国際レベルにおいて、適切な食への権利、食料保障、食の主権、そして本宣言に含まれる権利を促進し擁護する持続可能で公正なる食のシステムを促進し保護するための公共政策を構築する。加盟国は、自国の農業、経済、社会、文化、開発に関わる政策が、本宣言に含まれる権利の実現に合致したものになるよう仕組みを構築する。

第十六条 (十分な所得と人間らしい暮らし、生産手段に対する権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、自身とその家族が適切な水準の生活を送る権利、その実現に必要な生産手段への容易なるアクセスの権利を有する。なお、この生産手段には、生産のための機材、技術的支援、融資、保険やその他の金融サービスが含まれる。また、これらの人びとは、自由に、個々人および/あるいは集合体としても、集団あるいはコミュニティとしても、伝統的な手法で農業、漁業、畜産、林業に携わる権利を有し、地域社会を基盤とした商いのシステムを発展させる権利を有する。

2. 加盟国は、小農と農村で働く人びとが、自治体、全国、地域の市場において、十分な所得と人間らしい暮らしが保障される価格で生産物を販売するために必要な輸送、加工、乾燥の手段や貯蔵施設に優先的にアクセスできるよう適当な措置をとる。

3. 加盟国は、自国の農村開発、農業、環境、貿易、投資に関する政策とプログラムが、(小農と農村で働く人びとの)地域社会で暮らしをたてる選択肢を守り、これを強化すること、そして持続可能な農的生産の様式への移行に対し、実効性を伴った貢献を行うため、あらゆる適切な措置をとる。加盟国は、可能な場合は常に、アグロエコロジーと有機栽培を含む、持続可能な生産を活性化し、農家から消費者への産直販売を推進する。

4. 加盟国は、自然災害や市場の失敗などの重大な混乱に対する小農と農村で働く人びとのレジリエンス(耐性・回復力)を強化するため、適切な措置をとる。

5. 加盟国は、同一価値の労働に対して、いかなる区別をすることなく、公正な賃金と平等な報酬を保障するため、適切な措置をとる。


第十七条 (土地ならびにその他の自然資源に対する権利)

1. 小農と農村に住む人びとは、本宣言第28条に則り、個人として、かつ/あるいは、集合的に、土地に対する権利を有する。この権利には、適切な生活水準を実現し、安全かつ平和に、尊厳のある暮らしを営む場を確保し、自らの文化を育むための土地へのアクセス、土地と水域、沿岸海域、漁場、牧草地、森林の持続可能な利用と管理に対する権利が含まれる。

2. 加盟国は、婚姻関係の変更、法的能力の欠如、経済的資源へのアクセスの欠如がもたらすものを含む、土地に対する権利に関連するあらゆる形態の差別を撤廃し禁止するため、適切な措置をとる。

3. 加盟国は、土地の所有・利用権を法的に認知するため、現在法律で保護されていない慣習的土地所有・利用権を含めた異なる様式や制度が存在することを認め、適切な措置をとる。加盟国は、正当なる土地所有・利用権を擁護するとともに、小農と農村で働く人びとが専横的または不正に強制退去させられること、そして権利が抹消・侵害されることがないよう、これらを保障する。加盟国は、自然の共有地および、それと結びついた共同利用や管理の制度を認め、それを保護する。

4. 小農と農村で働く人びとは、土地や常居所からの専横的および不正な立ち退きに対して保護される権利、または、日々の活動に使用し、適切な生活水準を享受するために必要な自然資源を専横的および不正に剥奪されない権利を有する。加盟国は、国際人権・人道法に従って、立ち退きからの保護を国内法に盛り込まなければならない。加盟国は専横的および不正な強制退去、農地の破壊、土地とその他の自然資源の没収と収用について、罰則措置や戦争の手段によるものも含め、禁止しなければならない。

5. 専横的または不正に土地を奪われた小農と農村で働く人びとは、個人的および/あるいは集合的に、集団あるいはコミュニティとしても、自然災害および/あるいは武力紛争による場合を含め、専横的または不正に奪われた土地に帰還する権利を有する。さらに、可能な場合は常に、自らの活動で用い、適切な生活水準の享受に必要な自然資源へのアクセスを回復する権利を有し、帰還が不可能な場合には、公正、公平かつ正当なる補償を受ける権利を有する。

6. 加盟国は、それが望ましい場合には、小農と農村で働く人びとが適切な生活条件を享受することを保障すべく、必要な土地とその他の自然資源への広範かつ公平なアクセスを促進するため、また、土地が有する社会的機能を踏まえ、土地の過剰な集積と支配を制限し、農地改革を実施すべく適切な措置をとる。公有地、漁場、森林の配分の際には、土地なし小農、若者、小規模漁撈者、他の農村労働者を優先しなければならない。

7. 加盟国は、(これらの人びとが)生産に用いる土地およびその他の自然資源について、その保全と持続可能な利用を目指した措置をとる。これには、アグロエコロジーを通じた措置が含まれ、加盟国は、生物やその他の自然が内包する能力やサイクルの回復のための条件を保障する。


第十八条 (安全かつ汚染されていない健康に良い環境に対する権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、環境および各々の土地の生産力、ならびに、自ら利用し管理する資源を保全し護る権利を有する。

2. 加盟国は、小農と農村で働く人びとが、差別のない、安全で清潔かつ健やかな環境を享受することを保障するため、適切な措置をとる。

3. 加盟国は、気候変動とたたかうための各国際条約を順守する。小農と農村で働く人びとは、各国および自治体における気候変動の適応・緩和政策の策定と実施(プロセス)に、伝統的な実践や知識/知恵を用いることなどを含めた手法を通じて、加わる権利を有する。

4. 加盟国は、小農と農村で働く人びとの土地に、有害物、有害物質あるいは廃棄物が、貯蔵または廃棄されることがないように、実効性のある措置をとる。また、国境を越える環境破壊の結果として生じる、これらの人びとの権利への脅威に対し、加盟国は協力して対処する。

5. 加盟国は、非国家主体による、小農と農村で働く人びとへの横暴から、これらの人びとを護る。小農と農村で働く人びとの権利の擁護にあたっては、これに直接的あるいは間接的に寄与する環境法の執行が含まれる。

第十九条 (種子[たね]への権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、本宣言第28条に従って、種子への権利を有する。その中には以下が含まれる。

a) 食や農のための植物遺伝資源に関わる伝統的な知識/知恵を保護する権利

b) 食や農のための植物遺伝資源の利用から生じる、利益の分配に公平に参加する権利

c) 食や農のための植物遺伝資源の保護と持続可能な利用に関わる事柄について、意思決定に参加する権利

d) 自家農場採種の種苗を保存、利用、交換、販売する権利

2. 小農と農村で働く人びとは、自らの種子と伝統的な知識/知恵を維持、管理、保護し、発展させる権利を有する。

3. 加盟国は、小農と農村で働く人びとの種子の権利を尊重、保護、具現化するための措置をとる。

4. 加盟国は、小農が、播種を行う上で最も適切な時期に、十分な質と量の種子を手頃な価格で利用できるようにする。

5. 加盟国は、小農が自らの種子、または、地元で入手できる自らが選択した種子に依存する権利に加え、小農が栽培を望む作物と品種を決定する権利を認める。

6. 加盟国は、(多様な)小農(による)種子システムを支持し、小農種子の利用、ならびに、農における生物多様性を促進するため、適切な措置をとる。

7. 加盟国は、農業研究や開発が、小農と農村で働く人びとのニーズを統合したものになること、さらに、これらの経験を踏まえ、これらの人びとが研究や開発の優先事項の決定および着手に主体的に参加することを保障するため、適切な措置をとる。加えて、加盟国は、小農と農村で働く人びとのニーズに応えるため、孤児作物やその種子の研究開発への投資増を確実なものとするため、適切な措置をとる。

8. 加盟国は、種子政策、植物品種保護、その他の知的財産法、認証制度、種子販売法を、小農と農村で働く人びとの権利、ニーズ、現実を尊重し、それらを踏まえたものにする。

第二十条 (生物多様性に対する権利)

1. 加盟国は、関連する国際法に従い、小農と農村で働く人びとの権利の完全なる享受の促進と擁護のため、生物多様性の消滅を防ぎ、その保全および持続可能な利用を保障すべく、適切な措置をとる。

2. 加盟国は、生物多様性の保全とその持続可能な利用に関係する、伝統的な農耕、牧畜、林業、漁業、畜産、アグロエコロジーのシステムを含む、小農と農村で働く人びとの伝統的な知識/知恵、イノベーション、実践を振興し保護すべく、適切な措置をとる。

3. 加盟国は、あらゆる遺伝子組み換え生物の開発、取引取扱い、輸送、利用、移転、流出がもたらす、小農と農村で働く人びとの権利に対する侵害のリスクを防止する。

第二十一条 (水と衛生に対する権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、生命の権利とすべての人権、および、(法の下における)人としての尊厳の完全な享受のために不可欠な安全で清潔な飲み水と衛生に対する権利を有する。これには、良質かつ手頃な価格で、物理的にアクセス可能で、差別のない、文化的およびジェンダー上の要件からも許容できる水供給制度と処理設備に対する権利が含まれる。

2. 小農と農村で働く人びとは、個人および家庭の利用、農耕、漁業、畜産のための水への権利を有するとともに、その他の水に関わる暮らしを護り、水の保全、復元、持続可能な利用を保障する権利を有する。小農と農村で働く人びとは、水と水管理制度に公平にアクセスする権利を有し、水供給を恣意的に絶たれ、汚染されない権利を有する。

3. 加盟国は、差別なき水へのアクセスを尊重、保護、保障する。加えて、特に農村の女性と少女、そして遊牧民、プランテーション労働者、法的地位の如何を問わず、すべての移住者、非正規あるいは非公式の占拠地に暮らす人びとなどの不利な立場にある、あるいは周辺化された集団に対して、個人、家庭、生産のための利用を可能とする手頃な価格の水ならびに処理設備の改善を確保する措置をとる。これには、慣習上またコミュニティに根ざした水管理制度も含まれる。加盟国は、灌漑技術、処理済み廃水の再利用技術、集水および貯水技術を含む、適切で入手可能な技術を促進する。

4. 加盟国は、山、森林、湿地帯、河川、帯水層、湖を含む水関連の生態系を、過度の水利用、そして工場排水や無機化合物および化学物質の集積などの漸進的あるいは急速な汚染をもたらす有害物質による水質汚染から護り、回復する。

5. 加盟国は、小農と農村で働く人びとの水に対する権利の享受を、第三者が侵害することを防止しなければならない。加盟国は、水の保全、再生、持続可能な利用を促進しつつ、人びとのニーズのための水を、その他の目的の利用よりも優先する。

第二十二条 (社会保障に対する権利)
1. 小農と農村で働く人びとは、社会保険を含む、社会保障に対する権利を有する。

2. 加盟国は、各国の状況に沿って、農村におけるすべての移住労働者の社会保障に対する権利の享受を促進する、適切な対策を講ずる。

3. 加盟国は、社会保険を含め、小農と農村で働く人びとの社会保障の権利を認め、国内の状況に従って、基本的社会保障制度の実現からなる社会的保護の土台を構築し維持する。この基本的社会保障制度は、それを必要とするすべての人びとが、基本的な保健医療ならびに基本的な所得保障へのアクセスを最低限、生涯にわたって保証するものであり、これらが一体となって、各国が必要と定める物品とサービスへの実効性を伴ったアクセスが可能となる。

4. 基本的社会保障制度の実現は、法律で定めなければならない。また、公平で透明かつ実効性を伴い、金銭的に利用可能な苦情処理および不服申し立て手続きも定められなければならない。これらの制度は、国内の法的枠組みに合致しなければならない。

第二十三条 (健康に対する権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、達成可能な最高水準の肉体および精神面での健康を享受する権利を有する。また、一切の差別を受けることなく、すべての社会福祉ならびに保健医療サービスへのアクセスの権利を有する。

2. 小農と農村で働く人びとは、治療に必要とする植物、動物、鉱物へのアクセスと保全を含む、伝統的な医療を利用し保護する権利、ならびに、健康に関わる実践を維持する権利を有する。

3. 加盟国は、非差別の基本に立ち、特に、不安定な状況にある人びとに対して、農村における保健施設・物品・サービスへのアクセス、ならびに、必須医薬品、主な感染症の予防接種、リプロダクティブヘルス(性と生殖に関する健康)、コミュニティに影響を及ぼす重大な健康と保健衛生上の問題に関する予防・管理対策を含む情報、母子ヘルスケア、および健康の権利と人権に関する教育を含む保健員研修へのアクセスを保障する。

第二十四条 (適切な住居に対する権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、適切な住居に対する権利を有する。これらの人びとは、平和に尊厳のある暮らしを営むための住居とコミュニティを維持する権利を有し、この点について差別を受けない権利を有する。

2. 小農と農村で働く人びとは、住居からの強制退去、ハラスメント、その他の脅威から保護される権利を有する。

3. 加盟国は、小農と農村で働く人びとの意に反して、専横的あるいは不正なる手法によって、一時的にも恒久的にも、適切な法的またはその他の保護措置への身近なアクセスを提供または実現せずに、人びとが利用・占有する住居および土地から引き離してはならない。退去が避けられない場合は、加盟国はすべての物品およびその他の損失に対して、公平かつ公正な補償を提供または保証する。

第二十五条 (教育と研修の権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、自らが基盤とする特定のアグロエコロジカルな環境と、社会文化的かつ経済環境に叶った適切な研修に対する権利を有する。当該研修プログラムでは、生産性の向上、マーケティング、虫や病気、(市場などの)システム破綻、化学物質の影響、気候変動および気象によってもたらされる現象に善処する能力を含む、他方これらに限定しない課題を取り上げる。

2. 小農と農村で働く人びとのすべての子どもたちは、自らの文化を踏まえ、かつ人権に関わる諸条約に明記されたすべての権利に則り、教育の権利を有する。

3. 加盟国は、小農と農村で働く人びとが直面する火急の課題に対してより適切に対応するため、平等かつ参加型の農民と科学者間のパートナーシップを促進する。例えば、農民フィールド学校(FFS)、参加型の植物育種、植物および動物病院などである。

4. 加盟国は、農場レベルでの研修、市場情報、助言サービスを提供すべく、これに投資する。

第二十六条 (文化的権利と伝統的知識/知恵に対する権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、干渉やいかなる形態の差別も受けず、自身の文化を享有し、自由に文化の発展を追求する権利を有する。加えて、これらの人びとは、生き方、生産の手段や技術、慣習や伝統など、自らの伝統的な知識/知恵と地域社会で育まれた知識を維持、表現、運用、保護、発展させる権利を有する。何人も、文化に対する権利の行使により、国際法で保障された人権を侵害してはならず、人権の範囲を制限してはならない。

2. 小農と農村で働く人びとは、個人および/あるいは集合的にも、集団あるいはコミュニティとしても、国際的な人権基準に従って、地元の慣習、言語、文化、宗教、文学、芸術を表現する権利を有する。

3. 加盟国は、小農と農村で働く人びとの伝統的な知識/知恵に対する権利を尊重し、この権利を認め保護するための措置をとり、小農と農村で働く人びとの伝統的な知識、実践、技術に対する差別を撤廃する。

第二十七条 (国際連合とその他の国際機関の責務)

1. 国連の専門機関・基金・計画、国際および地域金融機関を含むその他の政府間組織は、本宣言の完全な履行に寄与する。これには、特に、開発援助および協力を通じたものが含まれる。小農と農村で働く人びとに影響を及ぼす問題について、これらの人びとの参加を保障する手段ならびに財源について配慮する。

2. 国際連合、国連専門機関・基金・計画、国際および地域金融機関を含むその他の政府間組織は、本宣言への敬意とその完全なる適用を促進し、その効果を確認し続ける。

第二十八条 (追加)

1. 本宣言に記されるいずれの条文も、小農と農村で働く人びとと先住民族が、現在保持する、あるいは、将来獲得する可能性のある諸権利を弱め、侵害し、無効化するものと解釈してはならない。

2. 本宣言が明言する権利の行使にあたっては、いかなる種類の差別なしに、すべての人権と基本的自由が尊重される。本宣言に示された権利の行使の制限は、法に定められ、かつ、国際人権法に準拠したものに限られる。これらのいかなる制限も、非差別的なものであり、他者の人権と自由への正当なる認識と尊重を保障する目的、ならびに、民主主義社会において公正かつ最も切実な要求を満たすために必要とされる場合に限る。

以上


監訳:舩田クラーセンさやか訳者:根岸朋子

*この「小農権利国連宣言」が成立するまでのプロセスは以下の訳書をご参照下さい。『国境を越える農民運動〜世界を変える草の根のダイナミズム』(明石書店)
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# by africa_class | 2019-02-04 08:05 | 【国連】小農の権利宣言

【完訳2】国連採択された「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」、最終決議・宣言を監訳終えました。次に第1条から第13条

若干校正したものを貼り直します。


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小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言

(前文→https://afriqclass.exblog.jp/239092212/)

第一条 (小農と農村で働く人びとの定義)

1. 本宣言において、小農とは、自給のためもしくは販売のため、またはその両方のため、一人もしくはその他の人びとと共同で、またはコミュニティとして、小さい規模の農的生産を行なっているか、行うことを目指している人、そして、例外もあるとはいえ、家族および世帯内の労働力ならびに貨幣を介さないその他の労働力に大幅に依拠し、土地(大地)に対して特別な依存状態や結びつきを持つ人を指す。

2. 本宣言は、伝統的または小規模な農業、栽培、畜産、牧畜、漁業、林業、狩猟、採取、または農業と関わる工芸品づくり、農村地域におけるその他の関連する職業につくあらゆる人に適用される。さらに、小農の扶養家族にも適用される。

3. 本宣言は、土地に依拠しながら生きる先住民族およびコミュニティ、移動放牧、遊牧および半遊牧的なコミュニティ、さらに、土地は持たないが上述の営みに従事する人びとにも適用される。

4. さらに本宣言は、移住に関する法的地位の如何にかかわらず、すべての移動労働者および季節労働者を含む、プランテーション、農場、森林、養殖産業の養殖場や農業関連企業で働く、被雇用労働者にも適用される。


第二条 (加盟国の一般的義務)

1. 加盟国は、小農と農村で働く人びとの権利を尊重、擁護、実現する。本宣言の権利の完全なる具現化を直ちに保障できなくとも、漸進的な達成を実現するため、加盟国は、法的、行政上、その他の適切な措置を迅速にとる。

2. 本宣言の実施に関し、(加盟国は)様々な形態の差別に対処する必要性を考慮に入れ、高齢者や女性、若者、子ども、障害者を含めた小農と農村で働く人びとの権利および特別なニーズに特別な注意を払う。

3. 加盟国は、先住民族に関する特別な法律を無視することがないよう留意しつつ、小農と農村で働く人びとの権利に影響を及ぼす可能性がある法律、政策、国際条約、その他の意思決定プロセスの適用と実施の前に、小農と農村で働く人びとを代表する機関を通じて、誠実に、彼らと協議・協力し、意思決定がなされる前に、それに影響を受ける可能性のある小農と農村で働く人びとの関与を実現し、彼らの賛同を求め、彼らの貢献に応え、異なる関係者間に存在する非対称な力関係を考慮しつつ、意思決定のプロセスにおいて、個人および集団にとって、主体的かつ自由な、実効性を有し意味のある、十分な情報の提供を伴った参加を保障する。

4. 加盟国は、小農と農村で働く人びとに適用されるべき人権法と矛盾がない(一貫性のある)手法で、貿易、投資、金融、税制、環境保護、開発協力、安全保障分野を含む、関連する国際条約および基準を策定、解釈、適用する。

5. 加盟国は、民間の個人および組織ならびに多国籍企業やその他の営利企業体などの非国家主体に対し、規制をする立場から、小農と農村で働く人びとの人権の尊重と強化を確実なものとするため、すべての必要な措置をとる。

6. 加盟国は、本宣言の目的および目標を実現するための各国の努力に対し、これを支援する国際協力の重要性を認識しつつ、この点に関し、それが望ましい場合、関連する国際機関、地域機関、市民社会、とりわけ、小農と農村で働く人びとの組織と協力して、二国間および多国間で適切かつ効果的な措置をとる。そのような措置には以下のものが含まれる。

a) 小農と農村で働く人びとが参加でき、これらにとって利用可能で適切な国際開発プログラムを含む国際協力の確保

b) 情報、経験交流、研修プログラム、ベストプラクティス(最善と考えられる実践例)についての交換や共有を含む能力向上の促進と支援

c) 調査研究および、科学・技術知識へのアクセスにおける協力の促進

d) それが適当とされる場合における、相互に合意した条件下での、技術・経済支援の提供。これらは、利用可能な技術へのアクセスと共有の促進、技術移転を通じて、特に途上国に対して行われる。

e) 極端な食料価格の高騰と投機的な誘惑を抑制するため、世界規模での市場の機能改善、および、食料備蓄を含む市場情報への時宜にかなったアクセスの促進


第三条 (不平等および差別の禁止)

1. 小農と農村で働く人びとは、国連憲章、世界人権宣言、ならびにその他のあらゆる国際人権条約で定められた、すべての人権と基本的自由を余すことなく享受する権利を保持し、その権利の行使は、出自、国籍、人種、肌の色、血統(家柄)、性別、言語、文化、婚姻歴、財産、障害、年齢、政治または他の事柄に関する言論、宗教、出生、経済、社会、その他に関する地位/身分等に基づく、いかなる差別も受けない。

2. 小農と農村で働く人びとは、発展/開発の権利を行使する上で、優先事項および戦略を決定、構築する権利を有する。

3. 加盟国は、小農と農村で働く人びとに対する、複合的で様々な形態のものを含む差別を引き起こす、あるいは永続させる諸条件を除去するため、適切な措置をとる。


第四条 (小農女性と農村で働く女性の権利)

1. 加盟国は、男女平等に基づき、小農女性と農村で働く女性が、あらゆる人権と基本的自由を十分かつ平等に享受し、農村の経済、社会、政治、文化的発展を自由に追求でき、それへの参加が可能で、そこから利益を得られることを保障すべく、これらの女性に対するあらゆる形態の差別を撤廃し、エンパワーメントの促進に資するすべての適切な措置をとる。

2. 加盟国は、小農女性と農村で働く女性が差別を受けることなく、本宣言、ならびに、その他の国際人権条約に定められたすべての人権ならびに基本的自由を享受できるよう保障する。その中には以下の権利が含まれる。

a) あらゆるレベルの開発計画の策定と実施において、平等に、かつ実効性を伴った参加ができる権利

b) 適切な保健医療施設、 家族計画についての情報、カウンセリング、サービスを含む、心身のために、到達可能な最高水準の医療に平等にアクセスする権利

c) 社会保障制度から直接利益を得る権利

d) 機能的識字力に関する研修、教育を含む、公式、非公式を問わず、あらゆる種類の研修、教育を受ける権利、技術的な面での習熟度を引き上げるためのコミュニティ内に存在する、また農業普及に関するすべてのサービスから利益を得る権利

e) 雇用と自営活動を通じて経済機会への平等なアクセスを得るため、自助組織、アソシエーションおよび協同組合を組織する権利

f) あらゆるコミュニティ活動に参加する権利

g) 金融サービス、農業融資やローン、販売施設、適切な技術に平等にアクセスする権利

h) 土地と自然資源への平等なアクセス、利用、管理を行う権利、土地と農地改革、土地再定住計画において、平等または優先的に扱われる権利

i) 働きがいのある人間らしい(ディーセントな)雇用、そして、平等な報酬と社会保障給付に対する権利、収入創出のための活動に参加する権利

j) あらゆる形態の暴力を受けない権利


第五条 (自然資源に対する権利と発展/開発の権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、本宣言第28条に則り、適切な生活条件を享受するために必要とする自らの居住地域に存在する自然資源にアクセスし、それらを持続可能な手法で利用する権利を有する。また、小農と農村で働く人びとは、これらの自然資源の管理に参加する権利を有する。

2. 加盟国は、小農と農村で働く人びとが伝統的に保有あるいは利用する自然資源に影響を及ぼすあらゆる資源開発(計画)の認可について、確実に以下の事項——ただしこれらの事項に限定されるものではない——に基づいた措置をとる。

a) 適切に実施された社会環境影響評価

b) 本宣言第2条第3項に準拠した誠実な協議

c) 資源開発者ならびに小農と農村で働く人びとの両者が合意する条件に基づいて行われる開発がもたらす利益を公平かつ平等に分け合うための手順(モダリティ)


第六条 (生命、自由、安全に対する権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、(法の下における)人として、生命に対する権利(生存権)、肉体および精神の不可侵性への(尊重に対する)権利、自由と安全に対する権利を有する。

2. 小農と農村で働く人びとは、恣意的な逮捕、拘束、拷問、その他の残酷かつ、非人間的または屈辱的な扱いや処罰にさらされてはならず、奴隷または隷属状態におかれてはならない


第七条 (移動の権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、いかなる場所においても、法の下における人として認められる権利(人格権)を有する。

2. 加盟国は、小農と農村で働く人びとの移動の自由を促進する適切な措置をとる。

3. 加盟国は、本宣言第28条に基づき、それが必要とされる場合には、国境上の農村で働く小農と人びとに影響を及ぼす、国境を超えた土地所有・利用権の課題について、協力して適切な措置をとる。


第八条 (思想、言論、表現の自由)

1. 小農と農村で働く人びとは、思想、信条、良心、宗教、言論、表現、および平和的集会の自由の権利を有する。これらの人びとは、口頭、記述、印刷物、芸術、または自らが選ぶあらゆる媒体を通して、自治体、地域、全国、国際レベルで意見を表明する権利を有する。

2. 小農と農村で働く人びとは、人権および基本的自由の侵害に対する平和的な活動に、他者との共同を通じ、あるいは一つのコミュニティとして、個人ならびに/あるいは集団として、参加する権利を有する。

3. 本条に明記された権利の行使には、特別な義務と責任が伴う。したがって、それらは一定の規制の対象となり得るが、それは法が定めるところにより、かつ必要不可欠な場合に限られる。

a) 適切に実施された社会環境影響評価
b) 他者の人権また信用の尊重のため、国家安全保障、公的秩序、公衆衛生、あるいは、社会倫理を護るため

4. 加盟国は、本宣言に記された権利を彼または彼女が正当に行使・擁護した結果として生じる、いかなる暴力、脅し、報復、法律上または事実上の差別、圧力、その他の専横的な行為から、個人であろうとも他者との集合体の形をとろうとも、すべての人が確実に保護されるため、管轄当局に必要な措置をとらせる。

第九条 (結社の自由)

1. 小農と農村で働く人びとは、自らの利益を護るために自ら選択した組織、労働組合、協同組合、その他の組織や結社をつくる権利および参加する権利、団体交渉の権利を有する。これらの組織は、独立し、自発性に根ざし、あらゆる干渉、強制、あるいは抑圧からの自由を保持する。

2. この権利の行使にあたっては、いかなる制限も受けない。ただし、民主主義社会下で、国家の安全保障や治安、公的秩序、公衆衛生の保全、倫理、あるいは他者の人権と自由の擁護に必要不可欠かつ法で規制される場合を除く。

3. 加盟国は、労働組合や協同組合、またはその他の組織を含む、小農と農村で働く人びとの組織の創設を奨励するための適切な措置をとる。特に、人びとが正当なる(法に適った)活動を創造し、発展させ、追求する上での障壁を除去する。これには、これらの組織とそのメンバーに対する立法上あるいは行政上のすべての差別の撤廃が含まれる。また、契約交渉における条件と金額が公正で安定したものとなるよう、さらには、これらの人びとの尊厳や充足した生活に対する権利が侵されないことを保障するため、人びとの地位の向上を支援する。


第十条 (参加の権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、自らの生命、土地、暮らしに影響を及ぼしうる政策、計画、および事業の準備と実施に対し、主体的かつ自由な、直接かつ/あるいは自らを代表する組織を通した参加の権利を有する。

2. 加盟国は、小農と農村で働く人びとの生命、土地、暮らしに影響を及ぼす可能性のある意思決定のプロセスへの、直接的および/あるいは彼らを代表する組織を通じた参加を促進する。これには、強力かつ独立した小農と農村で働く人びとの組織の設立、ならびに、その発展への敬意、そして彼らに影響しうる食の安全、および労働と環境基準の策定と実施への参加の促進も含まれる。


第十一条 (生産、販売、流通に関わる情報に対する権利)

1. 小農と農村で働く人びとは、情報を求め、受け取り、それを進化させ、他に知らせる権利がある。これには、自らの生産物の生産、加工、販売、流通に影響を及ぼす恐れのある事柄に関する情報が含まれる。

2. 加盟国は、小農と農村で働く人びとの生命、土地、暮らしに影響を及ぼしうる事柄の意思決定(プロセス)において、これらの人びとの実効性を伴った参加の実現を保障するとともに、これらに関する透明かつ時宜にかなった、適切な情報へのアクセスを確実にするための適切な措置をとる。その際には、それぞれの文化にふさわしい言語、形式、手段を用い、人びとのエンパワーメントの促進を可能とする。

3. 加盟国は、小農と農村で働く人びとが、自治体、全国、国際レベルにおいて、自らの生産物の質を評価・認証する公平で公正かつ適切なシステムにアクセスできるよう促すとともに、そのようなシステムの構築への参加を促すべく、適切な措置をとる。


第十二条 (司法へのアクセス)

1. 小農と農村で働く人びとは、実効性を伴った、差別のない司法へのアクセスの権利を有する。これには、紛争解決のための公正なる手続きへのアクセス、そして、これらの人びとの人権へのあらゆる侵害に対する実効力を伴った救済措置へのアクセスの権利を含む。決定(判決など)にあたっては、小農と農村で働く人びとの慣習、伝統、規則、法制度を十二分に考慮に入れ、国際人権法の下にある関連法に準拠する。

2. 加盟国は、公正かつ適格な司法および行政機関を介して、時宜にかない、無理なく支払え、実効性を伴った、当該関係者の言語の利用が可能な紛争解決手法への差別なきアクセスを整備する。さらに、控訴、返還、弁償、補償および賠償への権利を含む、実効力のある迅速な救済を提供する。

3. 小農と農村で働く人びとは、法的支援を受ける権利を有する。加盟国は、そのような支援がなければ行政および司法サービスを利用することができない小農と農村で働く人びとのために、法的支援を含む追加措置を考慮する。

4. 加盟国は、本宣言に明記された権利を含む、すべての人権の促進と擁護のため、関連する国の機関/制度の強化措置を考慮する。

5. 加盟国は、小農と農村で働く人びとが、人権を侵害され、専横的に土地と自然資源を奪われ、生計の手段と不可侵性を剥奪され、あらゆる形態の強制的な立ち退きや定住を強要されることを意図する、もしくはそれらの結果を導くすべての行為の防止とそれからの救済を実現するため、小農と農村で働く人びとに実効力を伴った手段を提供しなければならない。

第十三条 (働く権利)
1. 小農と農村で働く人びとは、自らの生計をたてる方法を自由に選択する権利を含めた働く権利を有する。

2. 小農と農村で働く人びとの子どもたちは、危険を伴いかねない、子どもの教育を妨げる、あるいは、子どもの健康や身体的、精神的、心理的、道徳的、または社会的発達にとって有害な、いかなる労働からも保護される権利を有する。

3. 加盟国は、小農と農村で働く人びととその家族に対して、適切な生活水準が実現できる報酬を提供する、働く機会が可能となる環境を構築する。

4. 農村で高い水準の貧困に直面する国において、他の部門で雇用機会がない場合、加盟国は、適切な雇用の創出に寄与できるよう、十分に労働集約的で持続可能なフードシステムを構築・促進するため、適切な措置をとる。

5. 加盟国は、小農による農業と小規模な漁業の特別な性質を考慮した上での労働法の順守をモニターするため、必要に応じて、適切な資源を配置することによって、農村地域における労働監督官の実効力のある活動を保障する。

6. いかなる人も、強制、奴隷、義務的労働を求められてはならず、人身取引の被害に遭うリスク、またその他いかなる形態の現代的奴隷の対象にされてはいけない。加盟国は、小農と農村で働く人びと、これらの人びとを代表する組織と協議、協力し、経済的搾取、児童労働、債務による女性、男性、子どもの束縛といった、あらゆる形態の現代的奴隷制から、漁撈者と漁業労働者、林業労働者、季節・移住労働者を含む、小農と農村で働く人びとを護るための適切な措置をとる。

続き→https://afriqclass.exblog.jp/239092231/

監訳:舩田クラーセンさやか
訳者:根岸朋子


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国連総会第三委員会でこの「小農宣言」が採択された翌日(2018年11月21日)、3カ国民衆会議が東京の聖心女子大学で開催された。そのことを受けて壇上にあがったブラジル、モザンビーク、日本の小農の皆さん。この宣言への日本政府の棄権が、会議では大きな話題となった。

3カ国民衆会議の詳細→http://triangular2018.blog.fc2.com/


# by africa_class | 2019-02-04 07:58 | 【国連】小農の権利宣言

【完訳1】国連採択された「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」、最終決議・宣言を監訳終えました。まず前文

最後は思った以上の難産となりましたが、なんとか「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言(略称:国連小農宣言)」の最終バージョンの監訳を終えました。もう深夜なので、とりあえずできるところまで貼っておきます。


=====

小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言

(国連総会決議版、日本語訳ver.1)



2018年10月30日

https://documents-dds-ny.un.org/doc/UNDOC/GEN/G17/051/60/PDF/G1705160.pdf?OpenElement

A//c.3/73/L.30(国連総会決議)



〔宣言の構成 *最終宣言文からは各条のタイトルは削除され、数字だけになっている〕





前文

第一条 小農と農村で働く人びとの定義

第二条 加盟国の一般的義務

第三条 不平等および差別の禁止

第四条 小農女性と農村で働く女性の権利

第五条 自然資源に対する権利と発展/開発の権利

第六条 生命、自由、安全に対する権利

第七条 移動の自由

第八条 思想、言論、表現の自由

第九条 結社の自由

第十条 参加の権利

第十一条 生産、販売、流通に関わる情報に対する権利

第十二条 司法へのアクセス

第十三条 働く権利(勤労の権利/労働権)

第十四条 仕事場での安全と健康に対する権利

第十五条 食への権利と食の主権

第十六条 十分な所得と人間らしい暮らし、生産手段に対する権利

第十七条 土地とその他の自然資源に対する権利

第十八条 安全かつ汚染されていない健康に良い環境に対する権利

第十九条 種子への権利

第二十条 生物多様性に対する権利

第二十一条 水と衛生に対する権利

第二十二条 社会保障に対する権利

第二十三条 健康に対する権利

第二十四条 適切な住居に対する権利

第二十五条 教育と研修の権利

第二十六条 文化的権利と伝統的知識

第二十七条 国際連合と他の国際機関の責務

第二十八条 (追加の項目)


「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」に関する国連総会決議




国連総会は、
2018年9月28日の決議39/12、小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言を人権理事会が採択したことを歓迎し、

1. 小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言について、本決議の附属書通りの内容で採択し、
2. 各国政府、国連機関・組織、ならびに、政府間・非政府組織が本宣言を普及し、これについての敬意と理解を全世界に促すことを求め、
3. 本宣言文をHuman Rights: A Compilation of International Instruments(「人権-国際法文集」)の次版に含めることを国連事務総長に要請する。


【付属書】

    小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言

国連総会は、
すべての人びとが生まれながらにして持つ尊厳、価値、平等かつ不可譲の人権を承認した、国連憲章に明記される原則が、世界における自由、正義、平和の基礎となることを想起し、

世界人権宣言、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約、経済的・社会的および文化的権利に関する国際規約、市民的および政治的権利に関する国際規約、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約〔女性差別撤廃条約〕、児童の権利に関する条約〔子どもの権利条約〕、すべての移住労働者およびその家族の構成員の権利の保護に関する国際条約、これに関連する国際労働機関(ILO)の条約、および、全世界的または地域レベルで採択された他の関連する国際条約に明記される原則を考慮し、

発展/開発の権利に関する宣言を再確認するとともに、発展/開発の権利が、すべての個人とすべての人びと(人民)にとって、不可譲の人権の一部を成し、これらの人びとが、人権に関わるすべての権利と基本的自由が完全に具現化される経済的、社会的、文化的、政治的な発展(のプロセス)に参加し、貢献し、それを享受することができる権利を有することを再確認し、

また、先住民族の権利に関する国連宣言を再確認し、

すべての人権は、普遍的かつ不可分、関連し合い、依拠し合い、相互に補完し合い、同じ土台の上で、等しく重視され、公平かつ公正に扱わなければならないことを確認し、一範疇の権利の促進と擁護によって、他の権利の促進と擁護を加盟国が免れてはならないこと改めて強く明言し、

小農と農村で働く人びととが結びつき、彼らが暮らしていくために依存する土地、水、自然との間の特別な関係および関わり合いを認識し、

世界のあらゆる地域の小農と農村で働く人びとによる、世界の食と農業生産の基盤を構成する過去、現在、未来の発展/開発と生物多様性の保全と向上に対する貢献、そして持続可能な開発のための2030アジェンダを含む国際的に合意された開発目標の達成のため不可欠である、適切な食と食料保障への権利の確保における貢献を認識し、

小農と農村で働く人びとが、貧困と飢え、栄養不足に著しく陥っていることを懸念し、

また、小農と農村で働く人びとが、環境破壊と気候変動がもたらす被害を受けていることを懸念し、

世界で小農の高齢化が進み、農村生活におけるインセンティブの欠如や重労働を理由に、若者がますます都市部へと移住し農業に背を向けていることを懸念し、とりわけ農村の若者に対して、農村における経済の多様化と、農場労働以外の機会の創出の必要をさらに認識しつつ、

ますます多くの小農と農村で働く人びとが、毎年強制的な追い出しあるいは立ち退きを強いられていることに警鐘を鳴らし、

さらに、いくつかの国で小農の自殺が多発していることに危機感を募らせ、

小農女性と農村女性が、家族が経済的に生きのびることができるよう、さらには農村と国の経済に対して、貨幣経済外の労働を含む重要な役割を果たしていながら、土地の所有・利用権、または、土地、生産資源、金融サービス、情報、雇用、社会的保護への平等なアクセスをしばしば拒まれ、さらには、頻繁に様々な形態や表現による暴力と差別の犠牲となっていることを強調し、

加えて、関連する人権法に従って、貧困、飢え、栄養失調の根絶、質の高い教育と健康の促進、化学物質と廃棄物汚染からの保護、児童労働の廃絶を通して、農村の子どもたちの権利を促進し擁護することの重要性を強調し、 

とりわけ、いくつかの要因により、小農および農村で働く人びと、小規模漁撈者、漁業労働者、牧畜民、林業従事者、コミュニティの声の反映、人権および土地の所有・利用権の擁護、これらの人びとが依存する自然資源の持続可能な利用の保障といった点が困難になっていることについて強調し、

土地、水、種子(たね)、その他の自然資源へのアクセスが、農村の人びとにとってますます困難になっていることを改めて認識し、生産を可能とする資源へのアクセスの改善と農村の適切な発展/開発のための投資の重要性を強調しつつ、

小農と農村で働く人びとの持続可能な農業生産の実践と促進の努力、これには多くの国と地域で「母なる地球(マザーアース)」と呼ばれる自然を護り、それと調和し、そのプロセスとサイクルを通じて適応・再生する生態系の生物学上かつ自然に備わる能力への尊重を含むが、これらの人びとによるこの努力こそが支援されるべきであることを確信し、

世界のいたるところで、小農と農村で働く人びとの多くが、仕事場で基本的人権を享受する機会を否定され、生活賃金および社会的保護に十分ではない有害で搾取的な(労働)条件をたびたび与えられていることを考慮し、

土地や自然資源の問題に取り組む人びとの人権を促進し擁護する個人、集団、機関が、様々な形態の脅しや身体的一体性への侵害(暴力)を受けるリスクが高いことを懸念し、

小農と農村で働く人びとが、暴力、虐待、搾取からの救済や保護を即座に求めることができないほど裁判所、警察官、検察官、弁護士へのアクセスが困難となっていることに注目し、 

人権の享受を損なう、食品に対する投機、フードシステムにおける寡占の進行とバランスを欠いた分配の増加、ヴァリューチェーン内の不平等な力関係を懸念し、

すべての個人とすべての人びと(人民)にとって、発展/開発の権利が不可譲の人権の一部を成すこと、そして、これらの人びとが、人権上のすべての権利と基本的自由が完全に具現化される経済的、社会的、文化的、政治的な発展(のプロセス)に参加・貢献し、それを享受する権利を有することを、いま一度確認し、

これらの人びとが、人権に関する二つの国際規約における関連条項の対象者であり、自然の恵みとそれがもたらす資源のすべてについて、十分かつ完全なる主権を行使する権利を有していることを想起し、

食の主権の概念が、多くの国と地域で、人びとが自らの食と農のシステムを決定する権利として、さらに、人権を尊重し、環境配慮の上で持続可能な方法で生産される健康かつ文化面において適切な食への権利として、定義され活用されていることを認識し、

個々人が、他者のため、また自身が帰属するコミュニティのために責任を担い、本宣言と国内法に明記された権利の促進と順守の努力義務を果たすことを理解し、

文化的多様性を尊重し、寛容、対話および協力を促進することの重要性を再確認し、

労働者の保護と適切な労働に関する国際労働機関の規約と勧告の広範なる体系の存在を想起し、

また、生物多様性に関する条約、名古屋議定書(生物の多様性に関する条約の遺伝資源の取得の機会およびその利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分に関する名古屋議定書)を想起し、

食への権利、土地に対する権利、自然資源へのアクセス、その他の小農の権利に関する国連食糧農業機構(FAO)および世界食料安全保障委員会(CFS)による広範なる取り組み、特に食料および農業のための植物遺伝資源に関する国際条約、ならびに、ナショナルな食料保障の文脈における土地、森林、漁場の権利のための責任あるガバナンスに関する任意ガイドライン、食料保障と貧困撲滅の文脈における持続可能な小規模漁業を保障するための任意ガイドライン、ナショナルな食料保障の文脈における適切な食への権利の漸進的な実現を支援するための任意ガイドラインを想起し、

農地改革と農村開発に関する世界会議、またそれによって採択された小農憲章の結果を踏まえ、農地改革と農村開発のための適切な国家戦略の策定の必要性とその国家開発戦略全体への統合が強調されたことを想起し、

本宣言および関連する国際条約は、人権擁護を強化する視点を備えた、相互に支え合うものであるべきことをいま一度確認し、

国際協調と連帯における不断の努力の向上を通じて、人権のための取り組みの着実な進展を実現するという視点を備えた国際社会が、この新たな歩みへの尽力を決意したことを受け、

小農と農村で働く人びとの人権をより一層擁護し、この問題に関する既存の国際人権規範ならび基準の一貫した解釈と適用を行う必要性を確信し、

以下を宣言する。


続きは→https://afriqclass.exblog.jp/239092220/

監訳:舩田クラーセンさやか
訳者:根岸朋子

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3カ国民衆会議(2018年11/20@聖心女子大学)でこの宣言についてプレゼンをしてくれたモザンビーク出身のボアヴェントゥーラ・モンジャーネさんのプレゼン資料(日本語版)です。
全スライドは、近々以下のサイトに掲載します。お楽しみに!
http://triangular2018.blog.fc2.com/



# by africa_class | 2019-02-04 07:54 | 【国連】小農の権利宣言

【2/18】「国連小農宣言・家族農業の10年」院内集会が参議院議員会館で開催。日本の食と農の近未来・将来にとって凄く重要なモーメントです。

ドイツは雪が積もったままです。
といっても南部の緊急事態ほどにはヒドくないので文句は言えません。

さて。
生産者や食べる人達の主権(自由・選択肢の確保)という意味では、危機的な状況を迎えつつある日本の食と農の政策。これを転換するためのチャンスが、ついに国連の議場から、世界にいま広がっています。

前置きが長いので、ソレ何?!知りたい!という方は以下のサイトをクリック下さい。

*************

【院内集会】2・18「国連小農宣言・家族農業の10年」院内集会

http://unpesantsrights.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
日時: 2019年2月18日(月) 14時〜17時30分(休憩あり)
場所: 参議院議員会館
***************

「国連から」といっても、これも上からふってきたものではなく、世界(とくに南)の小農と小農運動、それを支える人びとや機関の粘り強い努力によって、ついに国連が動かされたというのが、その真相であることについては、このブログの読者ならご存知のとおり。

いや知らないから・・・という方は以下を
https://afriqclass.exblog.jp/i43/
あるいは去年出版したばかりの訳書をご覧下さい。
『国境を越える農民運動〜世界を変える草の根のダイナミクス』(明石書店)
http://www.akashi.co.jp/book/b420388.html

日本の農家さんでも、「国連」がついた途端に、ニューヨークやアメリカ、国連官僚を想像して、「上からふってきた迷惑なもの」と受け止めてしまうかもしれません。でも、宣言文を読んでいただければ、この宣言が世界の小農が直面する様々な課題を明確にし、それらを団結して乗り越えるために、各国と国際機関に義務を果たさせようとするものであることが分かると思います。

そして、その問題の解決において、小農と小農団体が議論の段階から参加し、意思決定においても参加することが(事前に十分な情報や支援を行った上で)、侵されてはならない「権利」として明記され、加盟国の守るべき義務として設定されています。

つまり、この宣言は、世界の小農が、自分たちの権利、暮らし、生産を守るために、多いに活用することが想定されて、制定されているのです。小農の権利の実現のために、小農やそれを応援する人びとが、各国の政策を転換し、その政策の実施を実現し、その後の監視を行うツールとして、この宣言は作られています。

小農が小農のために小農によって提案した宣言を、少々手直ししたとはいえ、世界の「ほぼ」全部の国(国連加盟国196カ国)が守ることが国際合意(ルール)となりました。例え、一部の加盟国が、この宣言のある部分、あるいは宣言の採決に反対し、棄権しようと、宣言が国連総会で採択された以上は、国際法となったのです。

もう一度書きます。
「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」
は、国際法の一部となりました。

そして、国連加盟国は、国連憲章に則り、この宣言に書かれた約束を守る義務があります。


ですので、たとえ日本政府が、この宣言の中身に疑問をもち、採決を何度も棄権し、最終採決も棄権したからといって、この宣言を守らなくていいということにはなりません。いまさら、中身がどうのこうの文句を言ってスルーしてたらいけないのです。

国連加盟国である以上は、国連憲章に則り、新たな国際法となったこの宣言を守るために知恵を絞り、努力しなければなりません。

ここに院内集会を開催する意義があります。

*といっても、以上も以下も私の個人的な見解であり、主催者の総意ではありませんので、その点はよろしくお願いいたします。

つまり、この宣言の採択を受けて、政府と小農、市民は、早急に以下のことを大いに語り合う必要があると思います。(前提に、日本の小農や小農団体、農村の人びとがこの宣言の動きをまず知る、内容を理解する、使えるものがあるか吟味する・・・という作業も不可欠です)

1)まず日本政府は小農宣言や家族農業の10年をどう理解しているのか?
2)国際合意となった以上、加盟国として、どのように取り組んでいくつもりなのか?
3)以上の1)と2)は日本の小農や小農団体にとって、どのような意義・課題があるのか?
4)国際法となった小農の諸権利の実現のために、政府や小農や市民が一緒に、あるいは、それぞれ、やるべきことは何か?

しかし、とくに、現政権下の日本の政府関係者にとって「権利」という言葉は煙たがられるでしょう。しかし、この宣言が「権利」として位置づけられていることには理由があるのです。(また詳しく解説します)

もし日本の政府が今年始まる「家族農業の10年」ばかり重視し、この「小農権利宣言」を祖末に扱うとすれば、それこそまさに国連憲章に反し、国連小農宣言に背を向け、「小農の権利」を蔑ろにしたことになります。

国際法が定める義務の観点から、この二つの動き(宣言と10年)の関係は次のようなものとなります。
「小農の権利に関する国連宣言」>キャンペーンとしての「家族農業の10年」の決議

なぜなら前者には、加盟国が守らなければいけない国際義務が条文として策定されており、後者は加盟国として一緒にアクションしようねの決意文だからです。(この違いは、院内集会までに詳しく紹介したいと思います)いずれも国連総会で議決されているので、その意味では拘束力はあります。

もちろん、政府は「must(しなければならない)ではなくshall(やります)だ」と言い張るでしょう。でも、「やります」は国際的な約束であり、約束した以上はその履行が義務となります。もちろん、ソフトローなので、義務違反への処罰はありません(ハードローとの違い)。しかし、この宣言文に書かれたことすべてが加盟国の義務であることは動かし難い事実です。それを「内容に賛同できないからやらない」といってしまうことは、国連憲章違反となります。

なので、そのような説明を外務省や農水省がすることはできません。
万一したら、国連総会あるいは人権理事会への重要な報告事項となるので記録しておくようにお願いします。ありえる発言が、「理解できないのでやりようがない」ですが、そういってきたらこの宣言を起草したり主導した加盟国・諮問委員会・専門家グループ・小農運動を、日本政府の資金で、日本に招待して、大いに説明してもらい、学びましょうといえばいいのです。

この間の日本政府関係者の説明では(@国連人権理事会での議論)、「小農の権利」について議論しているのに、「日本は小農支援しているから大丈夫」みたいな話がずっと展開されてきました。このような話法は、今回採択された「小農宣言」の中身に照らし合わせると、明確なる権利侵害です。ここもまた重要ポイントです。

おそらく、親方日の丸的な国家運営や援助をしてきた日本の役人・役所、その他の機関、あるいはコンサルタントや専門家にとって、ここが一番分かりづらいところだと思います。「あ、なるほど!」と、ストーンと落ちないのだと思います。

その前提に「自分たちの方が小農よりも知っている!」という思い込みがあります。そして、この点こそが、「小農権利宣言」が「差別」あるいは「権利侵害」として断罪している点なのです。

この国連宣言が加盟国に義務づけたのは、小農の権利としての政策策定・決定段階への参加でした。旧来型の手法、つまり、小農を支援する方法を政府や専門家が考えてあげて、それを小農側に押し付けるやり方は、小農の参加を軽視し、かつ妨害する行為にあたり、「宣言」に照らし合わせると、明確な権利侵害となります。

(*このブログでおなじみの「プロサバンナ事業」は、もはや新たに国際法となった「小農宣言」を踏まえれば、違法となります。単純に、地域の小農と小農組織が強く反対していること、現行のマスタープランは日本のコンサルが策定してから意見を求め、策定段階から関わるのでなければ意味がないと小農が主張してきたことなどが挙げられます。この点は別途書きます。)

なぜ、小農宣言がソフトローとはいえ、2018年時点で切実なる国際合意・「国際義務」として策定されたのか?まさ、繰り返し唱えられた「non-discrimatory(非差別)」という言葉にその精神が示されています。

いま、食と農をめぐっては、世界大・日本でも、投資家・企業支配が強まっています。小農による生産は非効率で規模が小さく、駆逐されても仕方のないものとして扱われ、その結果として、南の国々では小農の手から土地や水や森林が奪われ、北の国々では政策的な支援メニューが奪われています。

(しかし、小農こそが地域社会において、家族の、人びとの食を提供しており、してきた最も重要なアクターである、そうこの宣言は前文で唱えております。)

一方で、大企業や投資家には土地や水などを小農から奪うための規制緩和、手厚い補助金、税の免除などの支援が与えられています。

つまり、小農はとても太刀打ちできない非対称的(差別)状況を押し付けられているのです。なので、「差別」というのは、文化的社会的なものだけでなく、政治経済や政策面での差別を含んでいます。

この結果は、わたしたち食べる人にも悪い影響を及ぼしています。
食べる人は、ごく少数の多国籍企業が扱う種子やそれにあわせた化学肥料や農薬を使って大量生産された画一化された背景をもつ食に依存させられつつあります。このまま小農が直面する苦境が改善されず、小農による食の提供の可能性がなくなると、食べる人の側の選択肢はなくなります。

その結果は、「食」に留まらず、古代から現在まで生き残ってきた品種、生物多様性、世界の小農が農村部で守ってきた自然環境・生態系が、破壊され、消失することになります。つまり、小農の消滅は、「食と農」に留まらない、地球全体の危機を決定的にすることになるのです。

これをなんとかせねばと去年末に世界は立上がりました。
2012年から延々と国連理事会を舞台に続けられてきた国際交渉を経て、2018年12月に121カ国の賛同により、この宣言は国際法となったのです。

世界を動かしたのは小農たちでした。
(過去投稿をご覧下さい)

一方で、日本ではそのことも知られないばかりか、すでに世界中で行われて問題視されてきた手法(外資導入、土地集積、企業支配)が推し進められています。

もちろん、日本の農村は高齢化が深刻です。しかし、それを乗り越えるための本来あるべき小農がほしいと思っている支援ではなく、都市や東京の政策立案者や企業や投資家が「押し付けたいあるべき解決」にこそお金がついている状態にあります。このままでは、農村や田畑でがんばっている小農のみなさんを本当に応援するどころか、それらの人びとを押しつぶす事になってしまいます。

ということで、前置きが、お約束通り長くなりましたが、これらのことを多くの人に知ってもらい、かつどうしていくべきなのか考えていくために、ぜひこの院内集会に多くの人が参加くださることを願っています。

詳細は下記サイトをご覧下さい。

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http://unpesantsrights.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

2・18「国連小農宣言・家族農業の10年」院内集会

■日時: 2019年2月18日(月) 14時〜17時30分(休憩あり)
*集合時間:13時30分〜13時45分 会館入口ホール

■ プログラム:
【第1部】(14時〜15時30分): 農民と農民団体からの提起と取り組みの紹介

司会:渡辺直子(日本国際ボランティアセンター)

1. 岡崎衆史(農民運動全国連合会)
「世界の農政を小農が動かした! 国連小農権利宣言の背景と意義」
2. 萬田正治(小農学会共同代表、鹿児島大学名誉教授)
「いま、なぜ小農なのか」
3. 松平尚也(耕し歌ふぁーむ/小農学会/京都大学大学院)
「世界的な小農の再評価と日本の農業の課題」
4. 斎藤博嗣(一反百姓「じねん道」/小規模・家族農業ネットワーク・ジャパンSFFNJ)
「温故“地”新」による魅力ある日本農業を、国際家族農業の10年と共に」

【第2部】(16時〜17時30分): 政府関係者との対話

■場所:
参議院議員会館101号室(東京都千代田区永田町2-1-1 )

■アクセス:http://bb-building.net/tokyo/deta/457.html
地下鉄永田町[1](4分)、国会議事堂前[3](7分)、溜池山王[8](12分)

■定員/参加費:100名 / 500円(学生無料)

■申込み先:
2月17日(日)午後6時までに、下記サイトにてお申込下さい。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/7c51e143606306
(*集合時間に間に合わない方は具体的な到着時間を備考欄にお書き添え下さい)

■当日ボランティア募集:
詳細は以下サイトをご覧頂き、ご登録頂ければ幸いです。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/35323682607007

■主催:国連小農宣言・家族農業10年連絡会 
http://unpesantsrights.blog.fc2.com/
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# by africa_class | 2019-02-02 21:30 | 【国連】小農の権利宣言

国連総会採択の「小農権利宣言」と日本の農村開発援助・「小農支援」の乖離を読み解く

さて、国連/国際・家族農業の10年が始まりました!(キックオフは5月だそうだが)
そして、なんといっても小農権利宣言(「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」)が国連で採択!
このことの意味の大きさは強調しても強調しきれません!!

今回はそのことが日本に及ぼしうる影響を、海外援助(農村・農業支援)に絞って考えてみます。日本の農政への影響については、ここから先徐々に検討していきます。

あと、このブログで紹介した宣言文のドラフトの和訳ですが、現在、翻訳家の根岸さんと最終宣言文の作成中なので、完成したら紹介しますね!

で、この冬、森と畑の中で繰り返しこの最終宣言文を英語で聞いていました。
日本での3カ国民衆会議の後ということもあり、ブラジルやモザンビークや日本の多様な関係者の言葉や理解、議論を振り返りながら、何度も何度も読みました(耳で)。そして多くのことに気づきました。

全文を訳して国連の議論はwebでフォローできるものはすべて聞いたとはいえ、どうしても議論の中身、原文と訳語がマッチしているか、定訳や文章表現はこれでいいかが気になって、肝心の宣言文そのものの「精神部分」を全体的に掴むという作業が疎かになっていました。

それを、原文のまま繰り返し耳にすることで、宣言の細部の狙いのようなものもしっかり掴むことができたかな、と思っています。たとえ、それが各国の介入があって、相当程度曲げられたものであっても。。。

さて。
最終文は国連総会の第三委員会に提出されたものです。
提出国は、ボリビア、キューバ、エクアドル、エルサルバドル、ニカラグア、パラグアイ、ベネズエラの中南米7カ国。そして、モンゴルとポルトガル、南アフリカ。

*中南米諸国が多いことは既にお伝えした通り。南アフリカは最初からずっと関わっていた。ポルトガルがEU諸国にも関わらず提出国になった背景について解説しようと思って時間が経過してしまいました。ポルトガルの現政権はプログレッシブなので色々評価してあげるべき点が多いので、今度また書きます。モンゴルについては・・・調べておきます。

さて。前に書いたとおり、大いに議論がなされた以下のポイントが生き残ったことについては大きな勝利だったといえます。

このブログの以下を遡ってください。
https://afriqclass.exblog.jp/i43/

「Collective rights(コミュニティや集団などの集合的な権利)」
「食の主権」
「種子への権利」
「アグロエコロジー」
「母なる地球(マザーアース)」
「土地/テリトリーへの権利」
「生物多様性保全の権利」

米・英・日本・EU諸国の度重なる激しい介入を受けながらも、最終宣言文にしっかりと残ったことについて、大いに評価したいと思います。このことの意味の大きさは、強調しても強調しすぎることはないのですが、これをどう活かせるかは、ここから先のがんばりにかかっています。

さて、前文は超絶長いのですが、この前文にこそ、なぜこの権利宣言が国連宣言として採択されなけれ、国連が今後推進していかなければならないかが明確に書かれているので、ぜひ何度でも読んで味わってほしいと思います。国連文書や法律を読む際、前文を飛ばし読みする人多いのですが、実はこれは絶対やってはいけない。憲法もそうですが、前文が法律や宣言の目的を明確にし、全体の方向性を定めるので、この前文がいくら裁判で使いづらいものであっても、それを飛ばしては「魂のない仏さま」を拝んでいるようなもの。(本来、仏を拝むという行為が仏教的にどうか・・・という問題はさておき。)

さて、その前文。
これを読めば、国連宣言が唄う「the peasants(小農/小農民)」と日本の援助機関(JICA)が支援対象として想定する「smallholders(小規模農家 *農地面積が小規模な農家)」の違いが明らかになると思います。英語で書けば、その違いは一目瞭然なのですが、日本語にしてしまった途端、いずれも「小農」と表現されるので混乱が生じてきました。

勿論、日本では「小農=小規模農家」と書かれることが多いので(実際、NGOでも長らくそう注記してしまっていた)、一見JICAの解釈が妥当に見えます。

しかし、ソフトローとはいえ国際法となった「Peasants Rightsに関する宣言」によって、「peasants」なるものの一定の定義、国際法上のアクターとしての存在、その権利擁護の重要性が確定することになりました。

したがって、「小農(peasants)」を「smallholders」と同義語と捉えて、「我々はsmallholders支援をしているからpeasants支援なのだ」との説明は、国際法上はもはや通じなくなったのです。

あまりこのような問題について考えて来なかった人にとっては、たいした違いじゃないじゃん!と見えるかもしれません。それが、この理解の違いこそが、「小農(peasants)のため」といいながら、「小農(peasants)に害を及ぼしたり、小農コミュ二ティ(pesantry)に悪影響を及ぼす援助や政策」が繰り広げられてきた問題の根っこにあるのです。

見てるものが違うのに同じ言葉を使うことの恐ろしさは、「sustainable development(持続可能な開発)」に如実に見られるのですが(遺伝子組み替え種子の企業ですらこの言葉を多用しています)、だからこそ、本来政策(援助であれ)に絡むことについては、言葉が指している対象(定義・意味)やその言葉が使われる土台や背景が何より重要になってきます。

2012年10月、プロサバンナの問題にモザンビークの小農連合(pesants unions)が立上がり「小農社会に被害を及ぼす」と反対を唱え、日本の援助関係者とモザンビークの小農+市民社会組織+日本のNGOが議論をしていく中で、相互の理解の断絶が埋まらなかった理由の一つは、この「小農支援」にもあったことについて、今回の民衆会議でハッキリしたなーと思っています。

・・・多分、私のイワンとしていることの意味は、なかなか伝わらないとは思いますが、今後の日本の援助において、これはとてつもなく大きな意味を持っています。なので、一個ずつ丁寧に検討していきたいと思います。

そして、これはまた別途議論するのですが、「Family Farmingを家族農業と訳する」の問題。。。冒頭にわたしも「家族農業の10年」と書いてしまいましたが、実はこれは問題だと思っています。Agricultureではなく、あえてFarmingが選択されている点に注目しましょう。Farmingは、経済的な取り組み、あるいはセクター的な「農業」を意味しません。むしろ「農に取り組む」を意味しています。日本語的には、「農耕する」みたいなニュアンスでしょうか?

ただし英語には耕すというニュアンスはなく、不耕起農も含むので、ここでも日本語と英語の問題が出てしまっています。ただ、英語やラテン語系のAgricultureも厳密には、「農業」を意味しないのです。cultureが耕す、文化までを包含するように。。。脱線してきたので、またこれらについては別途議論しましょう。

ということで、話を「小農」に戻します。
「peasantsとしての小農」が何なのかを理解すれば、すぐに理解が得られるかもしれません。
英語が挟まるだけで意味を遠くしてしまいます。
日本は小農研究の分厚い蓄積があります。ただ、90年代以降は忘れ去られてきた。それは世界も同様でした。しかし、とくに南の小農運動が、危機の中で、紡いできたオルタナティブが、世界の運動と結びついて、力をもつようになってきたことが、ここ10年、小農への注目が高まる結果となっています。

ここら辺のことは、出したばかりの監訳本『国境を越える農民運動』(明石書店)に詳しいのでそちらをご覧下さい。
http://www.akashi.co.jp/book/b420388.html

日本でも「小農学会」が農家の皆さん主導で設立されるなど、新しい動きが出てきています。
http://www.mandanoen.com/sagri.html

ここら辺は、京大の秋津先生と松平尚也さんが『農業と経済』2018年1/2月合併号に「小さな農業とは何かーー世界的な小農票かとの連携」として寄稿してらっしゃるので、そちらをご覧下さい。

さて。
この年末、松平さんと、peasants的小農をどう定義しようか・・・と話し合いました。というのも、JVC(日本国際ボランティアセンター)さんの『T&E(トライアル&エラー)』が特集を組んでくれることになったのですが、その冒頭にこの「小農」が出てくるからです。

急いでいたこともあり、暫定的に以下のような定義をJVCさんには提供しました。以下は、編集長の細野さんがレイアウトしてくれたものです!(細野さん、ありがとうございます!)

-------------------------------------------------------------
小農とは:
今回の国連宣言において使われている「小農(peasants)」とは、
厳密には経済主体としての小規模農家(smallholders)と同じでは
ない。より歴史・社会・日々の暮らし・政治経済との関係で成立
している概念である。一例として、日本においては以下のような
定義がある。

・山下惣一(1936年生/佐賀県唐津市生まれの農民作家)による定義:
「私は規模の大小、投資額の大きさではなく暮らしを目的として
 営まれている農業・農家を「小農」と定義している。つまり
 利潤追求を目的としていないということだ」

・小農学会による小農の定義(小農学会2016:15):
 小農学会は、戦後の小農の価値の再評価の流れを検討し、
 さらに新しい小農の定義として「既存の小農を基軸とし、
 農的暮らし、田舎暮らし、菜園家族、定年帰農、市民
 農園、半農半Xなどで取り組む都市生活者も含めた階層」
---------------------------------------------------------------

つまり、「暮らし」に力点があるという点です。
これは、世界的なpeasantsの定義とも同様です。
「新しい小農」として、以上の方々を含めることについても、『国境を越える農民運動』で書かれている通りです。これに、今回の国連宣言では、「農村で働く人びと」として「手工業者、漁撈者、牧畜民、移民労働者」などが含まれました。

ただ、この注だけだと分かりづらいかもしれないことに、今気づきました。スミマセン・・・。ブラジルやモザンビークの小農が守りたいと考えているもの、そして上から世界大・3カ国の政府や援助機関に押し付けられようとしているものの違い(断絶)は、小農学会の趣意書のこの部分が分かりやすいです。


「古来より光注ぐ太陽のお蔭で、人は大地を耕し、生き物の命を育み、その命をいただいて生きてきた。今や大型スーパーに並ぶ豊富な食材を、多くの都市生活者は第二次、三次産業で得たお金で買い、生き物の命を育み命をいただく意識は薄れている。(中略)

貨幣経済が発達し、人は都市に集中し、村の小学校が廃校となり、集落が消滅し農村が寂れていく。にもかかわらず相変わらず農政の流れは、営農種目の単純化・大規模化・企業化の道を推し進めようとする。それに抗してもう一つの農業の道、複合化・小規模・家族経営・兼業・農的暮らしなど、小農の道が厳然としてある。なお小農とは既存の農家のみならず、農に関わる都市生活者も含まれた新しい概念と考えたい。このいずれが農村社会の崩壊を押しとどめることができるのであろうか。これを明確にしなければならない。http://www.mandanoen.com/sagri.html」

小農学会に集う日本の有機農家さんたちは、ビア・カンペシーナには加盟されていませんし、小農権利宣言にも関心をもってこられなかったと思います。しかし、時を同じくして、現在の地球・世界・国内問題について、同じような危機意識に基づいて、「小農の道」が検討され、社会の「変革主体」としての立場が表明されているのです。

世界と日本の小農が、日々命と向き合う中で、同じ認識に至った、至らざるを得ないほどの世界状況が生まれていることに、深い感動と危機感を持ちました。

まずは日本の小農の皆さんの定義を読んでいただいた上で、国連宣言の紹介をしていきたいと思います。では森へ。


 

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国連総会第三委員会で小農宣言が採択された2018年11月21日(日本時間)、聖心女子大学4号館にて行った3カ国民衆会議の様子。3カ国の小農の皆さんが並んで食と農の危機と転換をディスカッションをしています!

詳細:http://triangular2018.blog.fc2.com/



# by africa_class | 2019-01-16 19:18 | 【国連】小農の権利宣言

50歳を前に5つ目の外国語を学ぶ苦しさ。しかし、「次」が見えてきたことについて(人生、遅すぎることはない)。

50歳まであと少しになってしまった。
織田信長は「人生50年…」と唄ったそうだが、いくら高齢化時代といえ、人生後半どころか終わりに近づいてきたことに自覚的でないといけないな・・・と思う今日この頃。いつまでも人生が続くという感覚は、癌になって、「そうだ!人生には終わりがあるのだ!」と目が覚めた感じ。

福岡正信さんが30年なら30回しか季節も巡らないみたいなことを本で書いていたことの意味を、畑や森との付合いだけでなく、今本と資料に囲まれた書斎でこれを書きながら、切実に実感している。11年溜め込んだ外大の研究室を手放した時に、それを感じたつもりだったけど、未だいつか未来が両手を広げてくれるだろうと、朧げながら期待していた。でも、もうそれを具体的な数字で実感し、やれること・やれないことを整理しないといけないと思うようになった。

60歳まで元気でいられるとしても、あと10回ぐらいしか新しい春に出逢えない。
このことは結構衝撃的。

いままでは、息子の成長でカウントしていたのが、18歳で成人してしまった今はもはや実感がわかないから。18歳と33歳では、ドイツ的にはどちらも成人。

冬から春に向かうプロセスをドイツで過ごすようになって、「春が待ち遠しい」感覚は骨の髄まで実感するようになった。それだけに、春と喜びをあと何度分かち合えるのだろうかと思うと、ただ待ちどおしいという気持ちだけでなく、春を迎い入れる感動をじわじわ味わいたいとも思うようになった。

冬至がすぎて、太陽が数分ずつとはいえ、少しずつ早く出るようになってきたのを(それが朝9時頃といえ)、敏感に感じとり、感謝できるようになった。北欧でクリスマスの前は、冬至のお祭りをしていて、それがクリスマスと合体したから、もみの木を大切にするとか・・・すっごくよく分かるようになった。

さて。

そんな風に人生を折り返しからとっくに終わりに向かっている最中に、5つ目の言語を学習しなければならない状況になり、苦しんだこと、感じたこと、考えたこと、学んだことを、少し紹介したいと思う。

まず断っておきたいのが、私は息子のように多言語環境で育ったわけではなく(日本語オンリーで生まれ育った)、幼少期に外国語教育を受けたわけでもなく、言語的才能があったわけではなく、努力せずに他言語を学んだわけではなく、成人してから、本当にコツコツと愚直に積み重ねて、なんとか下手なりに日本語・英語・ポルトガル語・スペイン語の4言語を使えるようになった人間ということ。

留学もブラジルに10ヶ月だけで、それ以外はごく短期(2週間)に英語圏とスペイン語圏で学校に行っただけ。

だから、日本で生まれ育って、多言語環境にない人も、だいじょうぶ。多言語使えるようになります。ただし・・・

大学で他の人達が充実した社会科学や自然科学や人文の学習をしている最中に、かなしいかな、言語の学習ばかり何時間も何十時間も、何百時間も費やした。

だから、言語以外のもっと実のある教科を勉強した人達よりも、基礎的な学問研究が積み上がっておらず、大学院に行ってから相当苦労して、本当に昼も夜もないような血のにじむような苦労をしてキャッチアップしようと試みて、でも結局中途半端なままで・・・妊娠出産が重なり、諦めるべきを諦めながら、大学院で教えながら自転車操業どころか短距離レースのマラソン状態で学び続けたようなものだった(スミマセン)。

何が言いたいかというと、多言語が出来ると「いいなー」とよく言われるけど、まずはそのために犠牲にした多くのことを知ってもらいたいと思うのです。私が1言語を学ぶために割いた時間と労力に、わたしからみたら「いいなー」の学習や愉しみをその人たちは味わったはずで、そのことを忘れないでほしいな、と。

個人的には、英語+もう1つの言語ぐらいは高校生までで習得しておき、大学ではもっと思考の土台を学び、それを発展できるような基礎を積み重ねる手法を習得することに力を注ぐ方が良いと思う。外大で教えておきながらどうかと思うが、外大出身で外大で教えたからこそそう思う。

正直なところ、もう一度受験生をやるのであれば、外国語大学ではなく普通の大学に入って、追加で外国語をやりたかった・・・というのは後付けのことだけれど、とにかく若い頃は可能性は無限だし、時間もあったので、大きな後悔というほどのものはない。

なぜならわたしにとっては、多言語は多くの扉を開いてくれた窓のような存在であることは事実だから。英語が使えることで得られる情報やものの見方は大変重要。世界言語になってしまった現在においては、とにかく「英語ぐらいは出来ないと」というのは本当。若い人にとって、日本語だけで生き延びていくのは、あらゆる意味で難しい時代になると思う。(日本の内政を考える上においても・・・)ただ、「日本語+英語しか知らないと」、よほど努力しないと限界があることも事実。

この努力というのは、日本的、世界で支配的、アングロサクソン的なある種コロニアルなものの見方を批判的に検証するための眼鏡をどうやって獲得するのか・・・というもの。このような努力なしには、同じ英語テキストを「理解する」といっても、それは表面的、表層上のことで、本質を掴むことは不可能だから。翻訳アプリの精度がぐんぐんあがるAIの時代に、如何に記号的な言語の置き換えを乗り越えて、言葉としてでなく、言葉を通じて伝えられようとしている中身の本質を掴めるか否かは、その人の柔軟で批判的な思考にかかっている。

もちろん、これを多言語学習なしに得ることは可能。
支配的あるいは主流でない場・人びとと過ごすことで、今迄の常識や世間や世界で言われて来ている事への鋭い批判と超越を自然にできるようになる。そんな多くの人達を目にしてきた。(これは日本社会のなかにどっぷり浸かっても可能。ただし、社会の主流以外の場・ポジションからであれば。)

でも、これにもう一言語加わったなら、さらに思考の別のチャンネルが開くとともに、新しい世界への窓が開いていって、新しい発見と出逢いと深い気づきを得られることも事実。いくら柔軟な発想をもっていても、一つの言語ではその言語がもたらす癖のようなものの限界が付きまとう。別言語で思考し表現することは、その限界を軽く超えさせてくれる。さらにもう一つの言語が加われば、さらにちょっと違うバリエーションの思考と表現を手にできる。

誰も信じてくれないと思うが・・・寡黙で内気で自己主張のできず感情に流されやすかった私が(誕生日プレゼントをねだったり、あれこれ注文したことがなかった)、論理的に自己主張ができるようになった一因は英語を習得したことと無関係ではない。基本ネクラでくよくよしがちな性格が、大雑把で明るく振る舞えるようになったの一因がポルトガル語を習得して、ポルトガル語世界の人びとの優しさに抱かれたことと無関係ではない。

それぞれの言語で出逢い触れ合う人達との交流の中で、チッポケな自分の元の性格の限界を、少しずつ広げてきた結果が、いまのわたしであることについて、多分家族以外の人は知らないと思う。信じ難いことに、自分自身忘れていた。でも、PTSDになって心理療法師さんとやり取りして分かったのは、幼少期の以上の性格が変わったわけではなくって、思考のど真ん中に居座っていたこと。それが、日本語世界の中で生じた色々な出来事の中で、膨らんでしまって手に負えなくなったこと、だった。その時は気づかなかったけど、直感的に「日本から逃げないと」と思ったのは、正解だったといえる。

そんなわけで、新しい言語が開いてくれる可能性は外とのつながりだけでなく、内なる変化や可能性においてもとっても大きいのです。

新しい言語が開いてくれるそんな可能性への喜びを、なにせ30年前に味わったために、4言語を行き来するのがあまりに当たり前になってしまって、忘れていた。

とはいえ、実は、もっとも苦労したのは日本語だった。いや、3言語、かなり中途半端なので苦労していないわけでない。正直なところ、マルチリンガルというにはあまりに不十分なレベル・・・。でも、やっぱり苦労したのは日本語といいたい。その理由は、日本語が間違いなく母語で、本来完璧にできないといけない言語なのに、10代の努力をすべて多言語学習に割いてしまったので、かなり怪しい日本語しか話せない、書けない・・・状態が、なんと大学で教える直前になっても続いていたから(お恥ずかしい)。

今でも相当危ういが(ちなみにブログなどは布団の中で気が向いたら書いており、読み直してないので日本語がどうにもおかしいのはご容赦いただくしか・・・)、一番効果があったのが、NGO活動。何十もの助成申請書とか広報文とか、そういうものを複数の人間で修正しながら(真っ赤にしながら)書類を整えていくプロセスがすごく役に立った。いわゆる「赤ペン先生」を仲間たちにしてもらったのが一番効果的だった。だから学生の論文でも仲間の書類や論文でも赤を提案するのだが、真っ赤になったファイルをみて喜んでくれる人が大半な一方で、ショックを受ける人もいる。。。気をつけないと。

後者の人は、セルフエスティームが低いのか、自信がありすぎるのか分からないが、とにかく「学ぶ」ことにおいて、批判や提案・指摘を肥やしにできない人はかなり遠回りをするので、勿体ないと思う。

さて、さらに脱線した。
5つ目の言語学習を50歳を手前にやることについて。

2言語目以降は楽だと前に書いたが、それは事実。母語以外の言語の学習手順も想像できるし、身体に別言語がフル機能するスペースができる感じが掴めているので、言語のスイッチもそう大変ではない。

経験からいうと、他言語学習において、幼児教育を押し付けなくとも、ある程度「文法」の意味が分かる段階でも全然遅くないと実感している。つまり、11、12歳ぐらいでもまったく遅くはない。日本ではなぜか「ネイティブの発音」にこだわるお母さん方が多いが、前にも書いたけど、たとえば国連では、それぞれの訛を文化として誇りに思って堂々とスピーチしている人がほとんど。ましてや、アメリカ英語やイギリス英語を「支配者の言語」的なニュアンスを持って受け止める地域・国・民族が世界の大半を占める中で、それをどこまでも追求する意義があるのか疑問である。「英語ネイティブ」を重宝がる日本であるが、その「ネイティブ」なる人達を、自動的に「アメリカ・イギリス・オーストラリアの白人」と想定している時点で、時代遅れというか、なんというか。世界の変化に追いついてないというか。

また逸れた。ごめん。
言語が文法というものを土台として成り立っていると知り、1言語でこなせるようになると、2言語目はたとえ文法が相当異なっていても、違ったパズルをするんだという感覚で望めば、それほど苦痛ではない。

しかし・・・・年を取ると、また別のハードルが現れるので、今日はそのことを力説したい。何が違うかというと、とにかく覚えられない・・・のだ。それが第一言語であれ、第五言語であれ、とにかく単語や動詞の変化が頭に定着しない。耳や目から頭に入るは入るし、その瞬間は分かるし使えるが、あっという間に流れ出て行く感じ・・・。これは、高齢になってくると人の名前がどうしても覚えられない、覚えていたはずなのに思い出せない・・・現象と同じ。どうして?!??!と叫びたくなるぐらい、消えていく。

PTSDによって「覚えられない、思い出せない」を10年近く煩い、最後の5年は本当に悪化したので(なにせ病院や大学から家までの10分のドライブの道順が思い出せなかった。今も後遺症が続いている)、心構え的には「まあ仕方ないよね」という感じの私も、自分より若い人たちと毎日一緒に新しい言語を学ぶ中で、さすがに「ついていけない・・・」現実にあーーあとため息な毎日だった。

さっき辞書を引いた単語を5分後にもう一度引いている自分。単語の意味が思い出せないから引いたのではなくて、辞書で引いたこと自体を忘れているという衝撃の実態!昨日「覚えた!」と思った単語が、翌日きれいさっぱり消え去って、辞書を引いたりノートをみて愕然としてしまう自分。家族が直してくれた文章を、その直後に、見事に古い間違った文章のままでリピートしている自分・・・。

ほとんど喜劇?・・・というぐらい覚えられない。
消えていく。流れていく。耳に蓋をしたいぐらい。
まあ、焦る必要はないので、そこまで気にしていなかったのが、なぜか新年を迎えて、急に不安になった。ドイツ語が云々ではなく、自分の脳の状態に。

病気だから仕方ないとはいえ、なんとかならないのかな。
このままではPTSD→痴呆症まっしぐら。。。
なんだか、新しい言語の習得が痴呆症への抵抗戦略として重要に思えてきた。そこで、意を決して、ドイツ語を真剣に学ぶことで、老化に抗おうと決意したのがクリスマス。

でも・・・ご存知のとおり、超多忙。
季節が追いかけてきてる。広大な森と畑をなんとかしないと。
家事は手を抜くとしても。
民衆会議の残務処理は終ってない。いくつもの助成金の報告…。
原稿をいくつも抱えてる。
翻訳の仕事もある。
世界各地で起きてる問題に対応しないといけない。しかも2019年、ブラジルを含め、小農や先住民族が直面する状況は深刻化の一途を辿ってる。
しかも癌。

割ける時間は超限られてる。
そして、ドイツ語を始めたときは、そうしなければならないと思ったからで、積極的かつ主体的な意志は限りなく弱かった。

でも、ドイツの母が亡くなって1年近くが経過して、遺品に囲まれて暮らしつつ、弔った11月ぐらいから、小さなClassen家が、ついに私たちだけになってしまったことに、なんともいえない寂しさと責任を感じるようになっていた。そして息子にパートナーができたことで、Classen家の未来の世代をイメージするようになったこともあり、たとえ、自分の国籍が日本であり、離婚しているとしても、Classen家の父や母が家族の一員として私と息子を一生懸命愛して、沢山のことを伝えようとしてくれ、教えてくれ、遺してくれたことを、ちゃんと息子の子どもたちの世代に手渡していかなければならない・・・と感じるようになった。(日本の両親がまだ元気でいてくれているからかもしれないし、姉妹や姪っ子甥っ子がいるからかもしれないが)

また、庭に植えた果樹が自分の背丈を超え、美味しい果実を恵んでくれるようになって、地に根を降ろすことの意味を実感するようになったこともある。この芝生+花+モノカルチャー垣根の敷地を多様性の食べられる森・畑(Edible Forest Garden)に転換できるように、少しずつ変えて行く中で、その一部としての自分をしっかり位置づけないと・・・とも考えるようになった。

もちろん、この庭で生まれ育った猫たちがいる。いずれも保護猫だけど。彼女たちをおいて行くことはできないし、この庭から引き離すこともできない。ある日、突然出ていった3匹の子ども猫のためにも、いなくなるわけにはいかないと思う。

また、ハンビの森を守る運動やドイツ市民社会との連携を通じて、あるいは日々難民と一緒に机を並べてドイツの社会制度の一端を学ぶ中で、そして外国人の私に優しく接してくれる近所や親戚や友人の皆さんの暖かさを前に、世界がどうしようもない方向に行く今日、なんとか踏みとどまっているドイツの社会にコミットしたいという気持ちも湧くようになってきた。なんといっても、多くの時間をすごす国と社会を、このまま通りすがりの外国人というポジショニングで無視してはいけないと思うようになった。

つまり、ドイツの社会、家族、家の生き物の今後10年に、少なくとも主体的に関わるべきではないかとの気持ちが芽生えたのだった。といってもこれは大晦日、戦場のように打ち上げられる花火の騒音を聞きながらのこと。(このような戦場花火を許さないことも重要な気がして)

今迄のようにただ学校に、どこか他人事のように行って学んでいた姿勢を改め、あえて旅行の予約も種子の購入も、寝る前の本も、庭で耳で読むテキストも、全部ドイツ語に変えてみた。もちろん、単語はザルのように抜け続ける。でも、めげずに、繰り返し調べ続けて、読める範囲を少しずつ広げていった。

息子のパートナーがおばあちゃん家から持って帰ってきてくれた絵本を毎晩読み、彼女のすばらしい朗読の録音を毎日何回も感動しながら聞いているうちに、なんだか幸せがこみ上げてきた。(この絵本の素材がそもそもよかった。また紹介します)

それから1週間。
何が起きたのか?

やっぱりドイツ語はなかなか近づいてくれない・・・。

でも、はじめてドイツ語で買いたいものを探して(種子)、比較して、注文して、その商品が届いたときに、なんか手応えがあった。

で、かすかな奇跡が起きたのです。

昨日あたりから、ドイツ語が、手の届く場所に近づいて来た感じが出てきた。
それは、ドイツ語を通じて開いた世界に純粋に感動したあの感じ・・・が、やる気を喚起して、もうドイツ語の文章が「怖く」なくなった。むしろ、なんか勉強になる?という意欲を引き出してくれるようになった。

するとどうでしょう・・・。
一部の単語が定着し始めのです。
まさに奇跡。

大袈裟に聞こえると思うし、実際そうだと思うけど、私には奇跡に思えるほど、本当のほんとうに覚えられなかった。もう脳ダメになってる?・・と真剣に疑ったほど。

とはいえ、スペリングは相変わらずダメ。
これは何語でもどうせダメなので。。。
とくにPTSDになってからは、どうやっても何が正しくて何が間違っているかの判断自体が覚えられず、抜けていく。なので、正しいスペルを間違っていると思ってしまう。漢字も書けなくなったし。


ということで、結論からいうと。
他言語・多言語をやるのであれば、

1)幼少でなくていいけど、
2)記憶や脳の柔軟性が十分ある30歳前後までが楽にできる時期ということ。
3)でも、私のように50歳近く、あるいは脳年齢が70歳近い人でも、あきらめず、新たな扉をわくわくして開く感じを大切にすれば、新しい言語が習得できる(と思われる)のだということ。

ということで、いつも通り、話があっちゃこっちゃいったけれど、これにておやすみなさい。


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写真は現在、徐々にEdible Forest Gardenに転換中の森の様子。


# by africa_class | 2019-01-12 08:15 | 【学】多言語学習

「たね」があってこそ〜こぼれ種で勝手に増える野菜のお話と危機。

年末年始だというのに、畑と森で忙しい。
6月の手術からクリスマスまで、ほぼ放置してしまったので、雨の隙間を狙って春に向けての作業を少しずつ開始した。冬が始まる前に、畑をカバーするはずの苅り草が、すべて森の中のコンポストコーナーに投入されてしまっていたので、泣く泣く一面の枯れ葉を畑に寄せて、数ヶ月。

なかなか畑に行く気分にもなれず、すごく後ろめたい気持ちでいたのですが、病気のこともあるからなるべく色々考えないようにしようと、家と学校の行き来の毎日でした。でも休みに入って、いくぶん天気も良かったので思い切って畑に出てみたら、ルッコラの可憐な花が待ってくれていました。

ルッコラの花、みたことあります?
愛しすぎて、どアップになりました。
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このルッコラにはお母さんがいました。
下の場所に元々いたお母さんルッコラ。

これはお母さんが散らばせた種から成長した第二世代の株。
春にトマトの苗を混植していたので、トマトの枝が残っている。
(枯れても根っこは引っこ抜かない。これは重要)
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この子達のお母さんルッコラは、すごくパワフルで、寒さにも、暑さにも、じとじと雨にも、極度の乾燥にも強く、ナメクジにもやられず、大きく大きく育ったので、そのこぼれ種から芽吹いたものを放置、あるいは畑のあちこちに移植したら、それがさらに第三世代を生み出したのでした。

日が当たる良い場所なので、すぐに大きくなって孫にあたる種子をあちこちに飛ばし、今はこんな感じ。数えてないけど、大体25株はある。
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つまり、こぼれ種の第三世代。
生命力が強くって、芝生の中からも芽吹いているのが分かるかと。
ルッコラは他のアブラナ科の野菜と交配しやすく、前のルッコラはかなり野生化してしまったので、このルッコラは近くにアブラナ科を植えないようにして元の品種を保っている状態。

袋を被せればいいだけだけれど、下にも書くように、なるべく人の手なしに回ることを追求したいので、袋も寒冷紗もやめた。

昨日と今日の作業は、これらの赤ちゃん株をさらに畑のあちこちに移植する作業。
そのプロセスで大きくなりすぎた葉っぱを摘んでサラダへ。
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自給を下手なりに目指してきた十数年近くの経験からいうと、生業として農をやるのでなければ、食べると育てるが連結して同時進行しないとどうしても上手くいかない。時間の割き方、日々のケア、やる気・・・あらゆる意味で。

この家にきたとき、「お花のきれいなイングリッシュガーデン」だった。バラもアジサイもしゃくなげもチューリップも素晴らしく美しい。
あちこちにある盆栽風の緑もきれいだった。

でも人の手を入れないと、すぐにみるも無惨な状態になってしまう。
虫や病気の発生源にもなって、とにかく手が回らない。
でも、家の誰も手伝ってくれない。

「美しさ」のために汗をかけるかどうかは、万人にとって同じではない。
家の掃除にかける努力が違うように。

でも「食べること」は別。
万人が食べなければならない。
しかも、野菜が高い国に住んでいて、畑に「食べられる草たち」いるとすれば。
(*私たちは所謂「野菜」以外のものも食べる。また詳しく紹介します)

私が畑に出れなくても、「食べるために摘む」というプロセスの中でケアを他の人にもしてもらえる。そこの違いはとっても大きい。

そもそも、サラダだって、ルッコラだって、ハーブだって、花を咲かせる。
うちのサラダ菜の花は青くて、ルッコラは白くて、ズッキーニは黄色くて、本当にきれい。もうすぐローズマリーが薄紫の花を咲かせる季節。

だから食べられるものを増やす・・・これが一番理にかなっているのです。
そして、自然が勝手に次世代を準備してくれるメカニズム。
つまり、理想は野草。
野草は勝手に生えて、勝手に次世代を再生産し、繁殖します。

私は、その野草たちも食べるし、お茶にしているのですが、野菜にも応用しようと試行錯誤してきました。実験的な追求も、「ナメクジ王国」なので、やれるものは限られてはいるのですが。

中でも、この「ママ・ルッコラ」と「黄色いトマト」は凄まじい。
もう一つすごいのが、スイスチャード(日本ではフダンソウ)。
「普段草」と呼ばれるだけあって、こちらも生命力が強い。

3年前の冬に蒔いた種から、現在4-6世代目。
大量に投入していた落ち葉をよけてみたら、元気いっぱいに育っていました。

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どんな風に増えていくかというと、どんどん大きくなる茎があって、そこに花がつき、種が鈴なりになるんです。それが風に揺られて地面に落ちて、ある時、雨や気候などの条件が気に入れば、勝手に芽を出してくるんですよね。

今回は密集しすぎたので種のついてる茎をカットして、たねを取り出しもせず、そのまま別の畑に持っていって、パンパーンとたたいてバラまくだけなんです。その直前の様子。

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もちろん、真冬なんで芽を出したりしないし、霜が降りるから本来、春まで待ってからやったほうが良いのですが、自然状態でこれだけ育つので、同じようにやってみようというのが私の実験。念のため、この状態のものを別途5本ぐらい保管してあるのでご心配なく。

ちなみに連作障害とかは、常に周りにたくさん別のものを混植しているので、いまのとこる出ていません。実感として、1年草であれ、それぞれの植物には好きな場所があって、そこなら何度でも気持ちよく芽を出して、大きくなる。でも、別のところでは同じというわけにいかないことも。

でも、「ママ・ルッコラ」や「ママ・フダンソウ」から分けてもらった子どもたち、孫たちを、畑のあちこち、特に家から最も遠いところに連れていくことで、冬の間も誰かにケアに来てもらえる(必要に応じて)機会を増やそうとしています。モノトーンの風景に青々したこの子たちがいると、なんだか気持ちが和らぐし。

フダンソウには、写真にある赤のアクセントのものだけでなく、黄色のアクセントのものもあって、それも楽しい。霜が降りても、雪が降っても、そこにいてくれる。「ありがとう」と声をかけたくなる、そんな存在です。
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しかし、これが可能になる条件が一つだけあります。
それは、「たね」。

土が大切ではないというつもりはないですが、「たね」は私のような自然任せを種まきまで任せたいと思っている人間には、「たね」なくしては何も成り立たないと実感しています。

遺伝子組み換えや市販のF1の種子では、次世代にすら向かえません。
気温・肥料などの条件を揃えてあげなければきちんと育たないだけでなく、環境の変化や病害虫に弱く、なにより採取した種子を植えても同じようには育たないようになっています。

私の植えたママ世代の種子は違います。

たねからたねへ、ひとからひとへ、自然の中で時間をかけて育てられ、一粒、ひとつぶ、選ばれ、集められた「たね」だからこそ、自ら生き延び、次世代を残そうという、生物の命・種子本来の生存戦略をまっとうしようとします。私がしたいのは、「その本来の力に懸ける」ことなのです。

モザンビークの農民女性にもらったササゲの種がヤバいぐらいの発芽率で、問題なくドイツでも育つことが示しているように、種子を買わず、交換や自家採取で残してきた種子のもっている生存力の強さは凄まじいものがあります。

もちろん、わざと悪い条件を揃えるなどはしないのですが(なるべく、その子たちが好きそうな環境に植えてあげようとはする)、あとは任せるだけ。

しかし、ドイツのこの地方、この畑にマッチした「たね」に出会うのは至難の業です。4年目になり、いろいろな人のいろいろな「たね」を試し続けてきました。

正直なところ、ダメになった「たね」もかなりの割合であります。
それは、振り返ってみると、これが理由かなと思います。

1)霜が降りなくなってから夏までの時期、夏が短いこと。
2)夏がいきなり終る(8月10日はもう秋)。
3)夏以外はずっと雨が降っていること。
4)露地蒔きではナメクジにすぐやられること。

でも、1株だけでも生き延びて種子を残してくれれば、その種子はこの環境に適した種子ということなので、次の世代、そして次の次の世代は、どんどん育てやすくなるのです。

そうやって生き延びた1株から増やしているのがディル、ドイツ・シソ、ケール。
カボチャは最初から問題がなかった。

日本で食べられている野菜類はやはりある程度のケアが必要で、最初から熱心に取り組んでなかったのだけど、今年はここに適した「たね」に育てることを目標に試行錯誤そてみようと思う。去年からそうするつもりが、手術と療養から戻ってきたら、すべて食べられた後だった・・・・。家族への周知徹底も、種子を残すには重要ですね。

しかし、世界的に種子の増殖や自家採取への法規制が強くなっています。種子と向き合うこと15年ほどで実感するのは、「よい種子を一度手にできれば、後の大体のことは大丈夫」ということこそが、アグリビジネスにとって都合の悪いこと。なぜなら、種子を売り続けることも、それに付随して化学肥料や農薬を売り続けることもできないから。

逆にいうと、「種子」さえ農家に売りつけられれば、それにマッチした肥料や農薬がないとちゃんと育たないために、農家を従属させることができる。だから、農家を企業やシステムに隷属させたければ、まず最初に「種子」を使わせないといけないのです。

このカラクリに気づいた人達が「遅れているから」ではなく、このような支配への抵抗として「私たちの種子」を守り、使い、交換しています。そのことを、11月20-22日まで東京で開催した3カ国民衆会議では伝えようとしたのですが、伝わったでしょうか?

特に、2日目の1部
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
そして、種子の交換会
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-33.html

日本のJICAがモザンビークで進める「プロサバンナ事業」では、自家採取する人が8割を超えているモザンビーク北部で、「改良品種を普及する」ことに熱心に取り組んできました。マスタープランのレポートでは2030年までに農家の3割を転換する目的まで掲げられていました。

このことに関する小農リーダーたちの声は改めて紹介します。
またしても長くなったので、今夜はここら辺で。



# by africa_class | 2019-01-04 05:18 | 【食・農・エネルギー】

癌になって想ったこと。感謝、これからに向けて。

雨の降るドイツから、新年明けましておめでとうございます。

昨年の大雪のクリスマスを思い出すと、拍子抜けするほど暖かく、雨の多い冬となりました。そのせいで、本来しっかり休養できるはずのこの時期に、自然が春と間違えて暴れ始めており、やることが山のように押し寄せているところです。焦らないように、今年は初校ゲラ(丁度よいB4サイズがホッチキス留になっている)の裏に、計画や図を書いてみているところ。

2018年もまた、いろいろな意味で岐路となった1年でした。
なによりも、「癌(がん)」を宣告され「ガーン」。
・・・という親父ギャグをとりあえずかましておきましょう。
ただ、当人(わたし)はそれほど驚かなかった。
理由はあとで書きます。

私をよく知っている人ほど驚いたこの宣告。
とくに家族。

というのも、私は20代のことから肉食を止めて、20代後半から玄米食+オーガニック野菜、それから基本的に食べ物にこだわった暮らしを心がけてきたからです。数年前から牛乳や乳製品も止めた。タバコも吸わないし、吸われている場所には近寄らない。お酒はかなり飲んだけど、家族ほどではない。しかも、とっても痩せている。3人姉妹の中では、一番「癌」になり得ないと言われ続けていた私でした。

でも、私の父を含め、父方親族は「癌」だらけ。
しかも、私だけが父方の遺伝的特徴をたくさん受け継いでいたので、いつか「癌」になるリスクが高いと自覚して、それもあってかなり気をつけてきたのでした。

甲状腺の病気もあったので、初期のころに飲んでいた薬が癌を誘発する可能性があることも知っていました。

もう一つ、他の2人と違うのは、私だけ東京暮らしをしてきたということでした。震災前も中も直後も、その後3年間も。支援活動もしていた。

さらに悪いことに、PTSDで長らく起き上がれない状態が数年続いていました。一日中、布団の中、あるいは家の中ですごすことが大半の日々なのに、とっても強いストレスを感じながら暮らしてました。

それが、2017年の後半から、「これは完治しようとしてる?」と思えるほど調子が上向きになってきて、2018年は「次」に進めるなという手応えを感じた年でした。

その矢先に、手術→癌の告知となったのでした。

もちろん、何が原因か、決定要因なのかは分かりません。
でも、事実として「癌になりやすい生活習慣」に少なくとも食生活はあてはまらないにもかかわらず、やっぱり癌になってしまいました。逆にいうと、ちゃんとした食生活をしていたからあの程度でよかったのかもしれません。

生まれて初めての手術をしたのは去年の6月でした。
3カ国民衆会議の準備の最中で、その翌週には実行委員会を立ち上げるというかなり無茶をしたのですが、未だその時点では「しこりを取る」ぐらいの気持ちだったのです。

それでも、手術の後、初めて外出したとき、実家から駅の歩道に咲いている小さな花を見て、
「なんて美しいんだろう、生きてるってなんて素晴らしいことなんだろう」
と感激したことを昨日のことのように思い出します。

その感激のまま2週間がすぎて、「ほぼ癌ではないと言ったけど、やっぱり癌でした」と言われたときには、この生の喜びが近いうちに断たれるのかもしれない現実に直面して、すごくすごく残念に感じたのでした。

哀しいというより、残念な気持ちが大きくて。
ようやく布団から出て、これから次に向けて開いていこうと思っていた矢先だったこともあります。

ただ、もしそんな日(癌だとか何らかの病気と言われたとき)がきたら・・・と思った以上には、ショックではなかった。

というのは、私にとって「死」は幼いときから身近にあって、「いつ死ぬか分からないから、悔いのないように日々を生きよう」と考えて生きてきたからです。

息子がお腹にいるときは、産む前に死んでしまったらどうしよう。
息子が小さいうちは、大きくなる前に死んでしまったらどうしよう。
・・・などと、必要以上に心配していたものの、その息子も成人目前とあって、やるべきことはやった感じはありました。

ただ、これからの息子の未来を見届けたい、自然とのふれ合いがより深いところで面白くなったこともあり、そして何よりまだ手渡していない多くのバトンがあり、最後に私が本当にやりたいと思って着手してこなかった「しごと」が思い起こされ、とにかく少しでも長く生きたいなと思って、困ったな・・・どうしようか・・・と戸惑ったまま、日本に戻りました。

とはいえ初期のものなので、すぐ死ぬわけではないこともわかっていたので、それほど精神的に堪えたわけではないものの、何より気になったのは、「再発を抑えるために放射線治療とホルモン治療をしないといけない」という点でした。自分のこれまでの生き方にあまりに反したものだからです。

でも、日本では患者と医師の関係は対等とはいえない空気感があります。
とても気さくでよい女性の先生(しかも長年知っている)で、信頼もしているけれど、30%の再発を避ける、限りなく0にするには、放射線とホルモン治療をすぐに開始するしかないと言われて、治療が受けられる病院は2つあるので選びなさいと言われて、その場でとにかく選んで、ベルトコンベアー式に病院に向かうハメに。

この私ですらこうだから、きっと多くの日本の患者さんもこうだと思う。

真夏の暑い最中にその病院に行って、レントゲン検査やら血液検査やら、あれやこれやを朝からやってお昼ご飯を食べて放射線の専門医の先生とのアポを待っている間、ふとこんなに受け身でいいのだろうかとという考えが頭をもたげてきました。

その疑念を払拭できないまま、先生の説明を受けているうちに、どうしても納得できない自分が見出され、先生に「あの・・・」と一言いっただけで、その若い先生がニコッと笑って、「説明は全部したので、1週間ほど考えてからでもいいんですよ」と言ってくれた瞬間に、何か憑き物が落ちたような感じというか、「自分の決定権」を取り戻したような気がして、そうさせてもらったのです。

帰り道、やはり道ばたの花や緑が美しくて、ああ「生きる」というのはこういうことだな、と実感したのでした。ただ毎日を過ごしていくのではなくて、「自分の生を自分として生きる」ということを、様々な制限との綱引きの中で考えながら選択していくことなんだなと改めて思ったところでした。すでに、長い闘病生活から、自分の想い通りにならないものがあるんだということを実感していたものの、いつかは治ると思われた精神的な病気と異なり、癌とあっては仕方ないとあきらめていたのでした。でも、もう一度いろいろリサーチして、自分なりの決定を下そうと思ったのです。

翌日から放射線治療のはずが、その時間を使って色々調べ、考え、自分なりの答えを出しました。それを日本の家族に言ったら、絶対反対されると思っていたのに、「こればっかりは自分で決めること」と大人な反応が返ってきて、逆に拍子抜け。そして、主治医に再び会いに行ったら、最初は明らかに気分を害されていたと思うものの、4通りの選択肢を示してくださって、一緒にそのうちの1つを試みることになりました。

つまり経過観察を頻繁にする。
怪しい兆候が出たら即座に手術。

これまた拍子抜けだったのですが、その選択肢があるのであれば最初に教えてほしかった…。最新の医学の知識でいうと、「放射線+ホルモン治療がスタンダード」だから当然これを選ぶべきという前提がどうも医者の立場からあるよう。もちろん、医者にしてみれば、患者のために再発可能性をいかに減らしていけるかが重要なのであって、患者自身がリスクを承知してます、でも自分で決めたいと明確にいわない限り、なかなかこのオプションを勧められないこともよく分かりました。

なので、やはり自分がどういう生き方(死に方)をしたいかを考え、それを意思表示することは、自分の決定権を手放さないためにも大切なことなのだと実感したところです。

もちろん、その意思は変わることがあってもいい。
でも、一度は決めないといけない。
そして、その決定から学んでいけばいいのだ、と。

ということで、意思表示をしてコンセンサスを得て、病院から帰る道はるんるんで、心に羽根が生えたようで、納得がいかないことを瀬戸際で思いとどまってよかったとの想いで一杯でした。

この1年は息子が料理をしてくれたこともあり、かなり任せっきりになっていたのを(とても遅い時間に食べていた)、息子に甘えず自分でしっかり食材の把握と調理もやろうと心を入れ替えたものの、なにせ民衆会議が忙しすぎて、どうしても疎かになっていたのです。でも終ったので、心機一転、プチ断食をしたところでした。

断食をしてたくさんの発見がありました。
この数ヶ月、夜ご飯を食べないようにはなっていたものの、思い切って4日間「軽い断食(ファスティング)」をしてみて、身も心も軽くなるのを実感しました。

そして大人であれば、たいして食べなくとも普通に暮らせることも知りました。むしろ、エネルギーが身体の軸から湧き出てくるような不思議な感覚も得られ、肌はツルツルになり、この素晴らしさを皆さんに伝えたいと思っています。

ということで、毎度のことですが長くなりました。
「癌」にはなりましたが、お陰で「生」がこれまで以上に、輝いて、大切なものに思えるようになり、感謝しています。

そして、なかなか「次」に気持ちがいけなかったのが、癌への向き合い方を自己決定したお陰で、て感覚としてどんどん広がりが感じられるようになりました。

人生のこの段階での「癌」との出逢い。
いつかこれが私の生命を奪う日がくるとしても(そうでないと祈りたいし、努力もしていきますが)、これもまた試練だけでなく、多くの気づきを与えてくれたことだけは、感謝しなければならないなと思っています。

2019年、もっともっと自然と身体と食と語らい合い、深くふかく考えたいと思います。


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息子のパートナーのおばあちゃん家のキャンドル飾り





# by africa_class | 2019-01-02 04:16 | 【徒然】ドイツでの暮らし

新刊『国境を越える農民運動』(シリーズ「グローバル時代の食と農」第2巻)の訳者解説に書いたこと。

このご時世に9巻のシリーズ刊行に賛同してくれる日本の出版社を見つけるのはほとんど不可能に近いことだった。しかも訳本とあって、どの出版社も売れそうな巻だけの出版しか賛成してくれなかった。やっと同意してくれたのが、明石書店さんだった。

■シリーズ本については以下の投稿を!

明石書店さんとは、『アフリカ学入門』を2010年に出版させていただき、4刷まで行ったこともあって、話はもって行きやすくはあった。

舩田クラーセンさやか(編)
『アフリカ学入門〜ポップカルチャーから政治経済まで』
明石書店、2010年
http://www.akashi.co.jp/book/b67746.html

*見てわかる通り、私は本の表紙・装丁にスゴくこだわりがある。持ち歩いて目立ち、「え?なにその本?素敵だね!」と言ってもらえるような本の装丁を目指している。

各種シリーズものも出しているし。でも、最後は社長との直談判、そして販促計画をたて、これを具体的に実行するという条件で合意してもらった。当然、私たちには一銭も入らない条件(*日本の出版業界の現実はこうなのです…)。

でも、社長との約束以上に、とにかく危機迫る世界と日本の食と農の問題について、一人でも多くの日本の皆さんに知ってもらうには、この本を届けたい。そんな想いでこれを書いている。

さて。
国連総会で「小農の権利に関する国連宣言」が採択されたことは、この本の重要性を高める結果となっている。この宣言採択のプロセスは、6章に詳しいので、ぜひ読んでほしい。でも、この本の意義は他の点にもある。

ここら辺のことは、訳者解説にかなり詳しく書いたので、一部を抜粋するので、残りはぜひ本を手に取って読んでもらえれば。

マーク・エデルマン&サトゥルニーノ・ボラスJr.
監訳:舩田クラーセンさやか、訳:岡田ロマンアルカラ佳奈
『国境を越える農民運動〜世界を変える草の根のダイナミズム』
明石書店、2018年
http://www.akashi.co.jp/book/b420388.html

*こちらの表紙は小林舞さん(総合地球研究所)のスケッチ。素敵でしょ?シリーズの色は日本の古色で揃えていて、この巻は「柿色」。

===
 2018年9月28日、素晴らしいニュースが飛び込んできた。

 本書の第6章でも取り上げる「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が、国連人権理事会で採択されたというのである。あとは、今年中の国連総会決議を待つだけとなったが、これも圧倒的多数の賛成が予想されている。

 この国連宣言の草稿となった諮問委員会の第一ドラフトは、2008年に世界最大の小農運動といわれるビア・カンペシーナが発表した「小農権利宣言」を土台としていた。さらに、この「小農権利宣言」は、本書でも紹介されているように、1990年代末からインドネシアのビア・カンペシーナに加盟する小農が協議に協議を重ねてつくりあげ、2008年のビア・カンペシーナの国際会議で採択された宣言文をもとに準備したものであった。また、ビア・カンペシーナとその協力者らは、「小農権利宣言」だけでなく、2014年の「国際家族農業年」、そして来年から十年間の「国際家族農業の10年」の国連総会での採択も実現させている。

 「国境を超える農民運動」をテーマとした本書は、この世界80カ国の2億人の小農が加盟するビア・カンペシーナの誕生と国際舞台での活躍抜きには成立しなかったであろう。逆にいえば、このような現象こそが、本書が世界に必要とされた背景ともいえる。

 かつて国連を研究対象とし、国際関係学に身を置きながら、アフリカの小農の歴史を学び、アフリカや南米の小農運動と一緒に活動してきた筆者にとってすら、これは驚くべき出来事である。「南の小農」が、国際政治の最前線にあたる国連に対して、アジェンダ設定を提案し、国連文書のたたき台を提供し、国家間協議に参加して意見を述べ、「ソフトロー」とはいえ現実に新しい国際法の成立を導いた事実は、2008年の「先住民族の権利に関する国連宣言」と並び、世界史に残る出来事といっても過言ではないだろう。

本書の特徴

 しかし、本書は単にビア・カンペシーナをはじめとする「国境を超える農民運動」を讃える本ではない。その挑戦に理解を示しながらも、厳しくも冷静なまなざしで、農民運動の課題と可能性を、歴史的背景と政治的ダイナミズム(力学・動態)にもとづき、明らかにしようと試みる。

 本書は、戦前(1920年代)に北米で結成され広がりをみせた世界農村女性協会を最初に取り上げ、農村女性が女性同士の連帯にもとづいて「国境を超える農民運動」を形成したことを紹介する。そのうえで、政党(農民党、共産党、後に社会民主党)、植民地解放運動あるいは反独裁運動、宗教(たとえば、カトリック教会)、農村を手伝う都市住民のボランティア活動が、小農運動の越境性(跨境性)にどのように影響を与えたのか(国際条件がどのような影響を各国・各地の小農や小農運動に影響を与えたのか)を、明らかにする。特に、「なぜ、どのように関係が構築されたのか」に注目している点が本書の特徴といえる。そのため、多様な農民運動の歴史的な展開を重視しつつも、国際的な政策の潮流の変化を縦軸に、社会の様々な層と小農の関係を横軸に、多角的な分析を試みている。

 前者(縦軸)については、戦後の福祉国家に向かう動きが紹介された後、その観点からは「異端なもの」として冷笑の対象となっていた新自由主義的な政策が世界に広がっていき現在に至るプロセスが示される。後者については、各農民運動の加盟農民の階級分析を土台として、運動の目的や戦略、アライアンスの形成先の違いを明らかにしている。

(中略)

 このように本書は、社会運動や農民・農民組織、国際関係学に関心がある人だけでなく、開発援助や外交政策に関わる実務者、国際法の研究者にも役に立つ本となっている。1980年以降の日本では、歴史は忘れられ、所謂「途上国の小農」は「助けてあげなければならない対象」のイメージが根強い。

 しかし、特に南の小農が世界史的に果たしてきた役割の大きさはとてつもなく大きかった。現在では、国際常識(規範)上は絶対悪とされる「植民地支配」や「傀儡政権による支配」も、南の小農の抵抗や闘い抜きには、規範の転換も現実の消滅(後者は道半ばとはいえ)もあり得なかった。その意味で、世界の民主主義の発展において、南の小農が身を挺して果たした役割は大きかったといえる。

 しかし、その多くは国家レベルから国際レベルまでの失政あるいは圧力によるものだったとはいえ、世界とりわけ南の小農が直面した1980年代や90年代から現在まで続く厳しい状況の中で、小農は「貧しく、代替案を持たない、援助を待つ存在」として認識されるようになった。これは北の援助者にとどまらず、南のエリートも同様である。

 このような認識は、新自由主義的な政策の導入プロセスのなかで、ますます強化され、「粗放農業しか知らない現地農民は農業ポテンシャルのある広大な土地を余らせている」との言説が世界的に広められていった。その典型事例が、2009年に日本がブラジルと組んでモザンビークに導入しようとしたプロサバンナ事業であった[i]。

 21世紀に入ってからの凄まじい農地・水源・森林収奪は、「ランドグラブ」として世界の注目を集めるようにはなった。しかし、農村地帯を「空白地」として眺め、そこに暮らし耕し命をつないできた小農の存在は無視あるいは軽視し、国家計画や経済効率のために空間を明け渡すべき存在として「客体化」する傾向は依然として強いままである。世界的に生じたこの現象に、歴史的にも現代においてもその尊厳と主権を踏みにじられてきた小農が、尊厳ある「主権者」として立ち上がり、あらゆるレベルの人びとや運動とつながりあいながら、世界にその存在を認めさせるようになりつつある。大きな限界に直面しながらも、危機を転換する力を小農が内包していたこと、それを可能とする条件や協力者がいたこと、この点について本書は詳しく紹介している。

 本書は、第5章で「私たちなしで、私たちのことを語るな」という当事者らの強烈なメッセージを紹介しているが、「小農のために」と語りがちな都市あるいは北の私たちに鋭い課題を突きつける。これは表象や政治的な正しさ(political correctness)の問題にとどまらない。小農に多大な影響を及ぼす政策や計画・事業が、小農以外の人びとの頭の中で考え・決定されることへの異議申し立てである。「小農権利宣言」のドラフトには、これらの外から持ち込まれる政策などを小農が拒否できる権利が書き込まれていた。このことの意味を、日本をはじめとする世界の都市住民はしっかり認識すべきであろう。

 その意味で、本書が農民運動や農家内のジェンダーや世代問題を取り上げている点は、注目に値する。日本のジェンダーギャップ指数が2017年に114位と低かったことに示されるように、この問題が日本で真正面から語られることは依然として少ない。ただし、これはアジアや中南米、そしてアフリカでも同じである。ここでも国境を超える運動が果たす役割の大きさが、本書で明らかにされる。

 年功序列・男性優位の農村社会や農民運動が、まずは国境を超えた女性同士の出逢いによる課題の共有から始まり、女性たちが一致団結して国際レベルでのリーダーシップの参加を要求し、それが実現した後、国際レベルから各国の運動、そしてローカルな運動に持ち込まれていったことも記されている。現在、世界で最も活発で動員力のある運動とされるのが「女性運動」である。女性運動を介して、都市の女性と農村の女性の運動が出逢い、政治を動かしつつあることまでは本書は触れていないが、いつかの機会にこれを紹介することができればと思う。

 (中略)

 最後に、国際機関と小農運動がどのように関係を結んできたのか。その背後にあった多様な小農運動のさまざまな戦略、そしてそれを支えるNGOや非政府系のドナー、政府系の援助機関の動きについても本書は丁寧に取り上げており、国際関係学や開発援助の研究者にも大きな示唆を与えるだろう。

 (後略)
============


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以上は、2018年11月21日の3カ国民衆会議の国際シンポジウムの際、原書を紹介してくれた元ビア・カンペシーナ国際局スタッフのボアさんのプレゼン。ボアさんはジュンの教え子でもある。
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-32.html

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2018年11月24日、国際開発学会(筑波大学)で発表するボアさん。



# by africa_class | 2018-12-22 06:52 | 【国連】小農の権利宣言

グローバルな食と農の危機と抵抗を解説する世界最先端シリーズ本(グローバル時代の食と農)、刊行開始しました。

国連総会での「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」採択から3日が経過しようとしている。思った以上に、多くの人が関心を持ってくれて本当に嬉しい。

この権利宣言についてブログやツイッターで紹介して数年が経つが、正直なところ、3カ国民衆会議までは、なかなか広がらなくて、どうしたらいいのかなと考えていた。

なので、こんな風に広がるとは思ってなくて、とっても嬉しく思う。
でも、未だ未だ中身も経緯も十分知られているとはいえないので、このブログで少しずつ紹介していければ。

さて、小農の権利宣言についてもう少し詳しく書こうと思って、はたと困ったことにぶち当たった。「小農(peasants)」が、どうも日本や世界の御都合主義の人達、あるいは一般的な用語に慣れている人達が「小規模農家」と訳してしまう問題である。このことは、改めて書かないといけないのだけど、もう一つ問題に行き当たった。

それは、日本の食卓や農村を巻き込む形で進んでいるグローバルなフードシステムの問題が、どうしても日本の中では十分理解されていないという限界。そして、それに抗い乗り越えようとする南の小農たちの身体をはった、しかしクリエイティブでイノベーティブな試みについては、さらに知られていなかった。

2008年のグローバルな食料危機と引き続き生じた食をめぐる暴動(これが一部政治変動に繋がる)、「グローバル・ランドグラブ」と呼ばれる土地強奪(収奪)とそれを規制しようとする国際的なアクション・・・この10年の南の村々や畑や森、NYの企業の役員室、ロンドンのニュースルーム、国連の会議場までを巻き込んで、繰り広げられてきた相克は、まったくといっていいほど日本では関心をよばなかった。

これは研究や教育の分野でも同様だった。
日本で食と農について研究してきた人達は必ずしもグローバルな展開との連動性の中で研究してきたわけではなかった。逆もまたしかり。

あるいは社会運動に関心を寄せる人がグローバルな食と農の分野もスコープに入れることは稀で、開発学関係の人たちこそ注目してもよさそうなのに、日本ではほとんどの関係者がスルー。

ましてや、援助業界の人は、「小農の運動」に胡散臭いまなざししか投げかけてこなかった。グローバルに負の影響を及ぼしているフードシステムの構造はさておき、対象の村・農民グループの「生計向上」があればそれでよし、と。あるいはそのシステムへの垂直統合を、「グローバル・フードバリューチェーンへの統合=貧困からの脱却」と信じ込んで無批判に奨励・・・。

もちろんTPPの反対運動などに関わる人達は、グローバルと国内の関係性に強く関心を寄せてきたし、理解も深めてきた(もちろん、印鑰 智哉さんは別格だけど)。

でも、残念ながら、日本では、この分野の研究や教育は著しくマイナーかつ遅れてきた。そのことが、日本の農と食をめぐる政治・政策や開発援助政策・事業を、グローバルな展開とあわせて考察する理解を不十分(あるいは皆無)にした。マネーの力は国境を超えているというのに…。そして、海外で著しい負の影響を及ぼす開発に官民が手を染め続け、そして国内にも、ついに「黒船到来」を招いてしまった。なのに、これをテーマに研究や論文を書く若手はほとんど現れない・・・というお寒い状態に日本はあった。

この状況を変えるため、近畿大の池上甲一先生、京都大学の久野秀二先生とともに、シリーズ本(グローバル時代の食と農)9巻を明石書店から刊行していくことになった。
後に、龍谷大学の西川芳昭先生と総合地球研究所の小林舞さんが参加して、ICAS日本語シリーズ監修チームができた。
*ICASはInitiatives for Critical Agrarian Studiesの略称
(原本の企画陣、オランダ・ハーグのISSに拠点)

【第1巻】
  • イアン・スクーンズ『持続可能な暮らしと農村開発〜アプローチの展開と新たな挑戦』(監訳:西川芳昭、訳者:西川小百合)、明石書店。
  • http://www.akashi.co.jp/book/b420384.html

【第2巻】
  • マーク・エデルマン/サトゥルニーノ・ボラスJr.『国境を超える農民運動〜世界を変える草の根のダイナミクス』(監訳:舩田クラーセンさやか、訳者:岡田ロマンアルカラ佳奈)、明石書店。
  • http://www.akashi.co.jp/book/b420388.html

さて。
私が担当した第二巻はまさに「小農の権利 国連宣言」が成立するまでの歴史的プロセスを学ぶのに適した本なので、次以降に詳しく紹介するにあたって、まずはこれから3年にわたって出版していくこの「グローバル時代の食と農」シリーズの誕生秘話をお伝えしておこうと思う。

これは、以上の第二巻の171頁「訳者解説」で紹介中。でも、明石書店さんの許可が出たので、一部だけ転載するので、ぜひ残りは手に取って読んでくださいませ。

******

本シリーズの誕生秘話(176頁〜178頁)

(第2巻の共著者でありシリーズの仕掛人かつ編集長のサトゥルニーノ(ジュン)・ボラス・ジュニア教授の紹介)

 食と農の分野では世界的に知らない人はいないジュン・ボラスは、日本では未だほとんど知られていない。現在、世界でもっともネット上でのダウンロード数が多い社会科学の学術誌の一つである『Journal of Peasants Studies(JPS、小農研究)』の編集長として敏腕をふるいながら、土地収奪や小農運動、食の問題について様々な国際的な研究や社会運動の世界的ネットワークづくりに従事し、国際的な交渉・学説・言論空間に多大なる影響を及ぼしてきた人物である。ICASも彼のイニシアティブであり、彼が企画・主宰する国際学術会議には毎回500人を超える世界の若い人達の応募があり、農民運動やフードムーブメントの関係者も必ず参加し、現実に根ざした最先端の議論が繰り広げられる。実は、その多くの会議を農民運動自身が共催しており、学術空間を社会に開くという意味でも新しい風をもたらしてきた。

 世界に国境を越え、分野や出自を超えた言論空間をきり拓いてきたジュンであるが、フィリピンの少数民族出身である。1980年代後半に、フィリピンの国立大学の法学部に入学したものの、社会運動に身を投じ1990年代前半まで、フィリピの農村住民とともに活動に明け暮れていた。その彼が、問題の根源が社会のなかだけではなく、フィリピン農民が置かれた世界的状況(とそれに影響を受けたフィリピン政治経済社会環境)にあるのだと気づき、1990年代半ばにオランダ・ハーグにあるISS(社会科学国際研究所)のドアをたたき、そして教授に昇り詰めたこと自体が、時代の変化を物語っている。しかし、彼はアクティビストとしての活動も継続し、ビア・カンペシーナの設立に関与したほか、現在もアムステルダムにあるトランスナショナル研究所(TNI)の研究員として市民社会でも重要な役割を果たしている。その意味で、彼自身が「越境する運動」を体現しているともいえる。

 ジュンがフィリピンで学び活動していたとき、彼が最も参考にしたのが上記のJPSであったという。しかし、インターネットにアクセスできずお金もなかった時代、編集長に手紙を書き研究誌を送ってほしいと頼んだが、その返事は届くことはなかった。そんな彼が編集長に着任したとき最初にしたことが、社会にとって重要な論文にフリーアクセスの機会を提供することであった。このICASブックシリーズはその延長線上にある。世界中のこの分野に関心を寄せる若者、農民、社会運動や市民活動に関わる人たち、そして実務者や政策立案者に気軽に手にとってもらえる「小さい本」を届けたい。しかし、その「小さな本」は「ビックなアイディア」が詰め込まれ、これまでの学説を検討し現実に根ざした分析ながらも、未来に開かれたビックなアイディアを共有し、励ましたい、そういう願いが込められている。そして、国境を越えてこれを届けるために、すでに世界各国で10を超える言語に訳されているが、この日本語版の誕生は列の最後に加わるものである。

 このシリーズ本の日本語版を出版してほしいとジュンに頼まれたのは、2014年のことだった。その際に、「どうして日本には世界に出てくる人がこの分野でほとんどいないのか?」と繰り返し問われた。筆者は、2012年末からランドグラブの問題に関わるようになり、世界各地の研究者や農民運動、アクティビストと関わるなかで、日本でもっとこの分野を学び関わる人を増やさなければならないと強く感じるようになっていた矢先のことでもあった。

しかし、長年にわたって戦争と平和、そしてアフリカ地域研究を中心に研究をしてきた身には荷が重いことであった。そんななか、アフリカ研究と活動を通じて、今回の監修チームの仲間と集えたことは、本当に幸運だった。また、日本の大学を去りドイツと日本の間を行き来するようになった私の新たな学びを支えてくれたのは、ICASに集う老若男女の「villagers(村人)」たちであった。食と農の分野の古典から最新の文献を次々に与えてくれ、議論に参加させてくれ、鍛えてくれた「村人」たちに心から感謝したい。これらの文献を、ドイツの森と畑のなかで農に従事しながら音声で聞きながら「読んだ」日々は一生の宝物である。
*******

改めて読むと(自分で書いたものの、民衆会議の準備が大詰めの最中に書いていた文章なので、あまりしっかり頭に入っていなかった…)、私の運命は、2012年8月にモザンビーク農民連合(ビア・カンペシーナ)に呼び出されてから、大きく変わったのだなと、ふと思った。

モザンビーク北部の小農(すでにこの世にいない人も含め)の導きで、大学院に戻ったり、大学で教えたり、研究者になったり、社会活動に加わったり・・・といろいろなことを経験してきた25年だったけれど、2012年の再会とプロサバンナ事業の問題が、自分の専門分野まで変えてしまうとは正直思ってもみなかった。

でも、実は違うことをやっているわけではなくて、すべては連動していたのだと、いまでは納得している。

ひとりでも多くの日本の若い人達に、この分野に一緒に取り組んでほしい。状況は厳しいけれど、厳しいからこそ、クリエイティブな手法で南の小農たちは日々闘っているし、オルタナティブを生きている。関心がある人はツイッターで連絡下さい。


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# by africa_class | 2018-12-20 04:11 | 【国連】小農の権利宣言

【国連総会にて最終採択!】「小農権利 国連宣言」が国際法に!121カ国の賛成(日本棄権)で採択されました。

いましがたNYの国連総会にて、「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が最終採択されました!121カ国の賛成票を集め、反対票8カ国、棄権票54カ国。これで、「小農の権利」は、「先住民族の権利に関する国連宣言」と同様、国際法の一部としてしっかり位置づけられることになりました。

長いながい旅でした。
感慨深すぎて、いま呆然としています。

本当は、以下の続きを書くつもりでしたが、先にこの話題を集中的に書いていきたいと思います。私の中では連動していることなのですが、ちょっと今は上手く総括できそうにないので、「小農の権利国連宣言」に集中します。

研究界への介入・暴力(3)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと
https://afriqclass.exblog.jp/238907964/

さて。
本当はこのタイミングで農文協さんから解説と訳文が出版させるはずだったのですが、2月になるとのことなので(涙)、少し頭だしする形で、このブログでこの宣言の意義を皆さんにお伝えしていきたいと思います。

がしかし、細切れになる点ご了承下さい。

まず「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」について初めて知ったという方は、このブログの関係投稿を先にみて下さい。

【国連】小農の権利宣言

https://afriqclass.exblog.jp/i43/
全訳(ドラフト宣言のですが)と国連でのこれまでのやり取りの詳細まで掲載しています。

さて。

世界最大の小農運動であるビア・カンペシーナがこの宣言を構想してから16年。国連人権理事会で6年にわたる議論を経て、今年の秋の国連総会に送られてきたこの「小農権利宣言」。11月19日の国連総会第三委員会(社会、人道、文化委員会 *全加盟国が参加)でまず採択されました。

賛成票:119カ国
反対票:7カ国
棄権票:49カ国

そして、この棄権49カ国の中に日本が入っていたことについては、先月11/20-22に東京で開催された日本・モザンビーク・ブラジルの農家や市民が集って開催した3カ国民衆会議で繰り返し問題とされていたので、ご存知の人も多いかも?
http://triangular2018.blog.fc2.com/

そして、ついに本日、国連総会本会議にて、最終的な採択が行われました。結果、全加盟国193カ国による、以下の投票結果により採択されました。

賛成票:121カ国
反対票:8カ国
棄権用:54カ国

反対票を投じた国は、英米の他、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエル、ハンガリー、スウェーデン、グアテマラの8カ国。この段階でグアテマラが入っているのは注目ですが、まあ現政権への米国の介入は広く知られている通り。

そして注目の日本は再び「棄権」。。。
11月19日の棄権については、3カ国民衆会議時(11月22日)に外務省国際協力局告別開発協力第三課の井関至康氏が説明してくれています。UPLANさんが、日本の関係者のみのやり取りを抜粋してくれた動画がネットで公開されているそうなので、そちらをご覧頂ければ。

20181122 UPLAN
【緊急報告会】日本とODA/投資:モザンビーク北部で何が起きているのか(抜粋)
*13分30分あたりからそのやり取りがあります。
*それ以外もモザンビーク小農の権利をめぐる白熱議論なのでぜひ観てくださいね!

実は、外務省とのやり取りの前にブラジルの小農運動(MPA *ビア・カンペシーナ加盟団体)のジルベルトさんから次のような指摘がありました。

つまり、日本は小農支援というが、これまでのブラジルやモザンビークの小農に対する態度をみても、また小農権利宣言の採択において棄権をしており、本当のところは小農の権利に関心が薄いのではないかという趣旨の発言。これは、モザンビークの市民社会も指摘していたことでもありました。プロサバンナのような問題が起きるのは、援助する側(つまり日本の政府やJICA)に小農が主権者であることの理解が欠落しているからではないか、というのです。

と投げてもなかなか回答しづらいだろうと思い、司会の私の方から、外務省になぜ賛成票を投じなかったのかについて質問しました。

井関課長は、交渉の担当課から話を聞いてきてくれた上で、大体以下のような説明をしてくれました。(正確には各自で動画を確認下さい)

日本政府は棄権したが、当然小農の権利、小農の皆さんが人権を有していることは、日本国憲法上も明らか。否定する意図はない。分かりづらいが、小農の人権という概念が国際法上の概念として成熟しているのか、そこまで言えるのかという点について、これまでの議論の中で日本政府としては自信をもてなかった。交渉担当課に確認したところ、率直にいって、もう少しこの辺について議論をしたかった。

とのことです。

実は、このような指摘(国際法上の成熟如何)は、6年にわたってずっと議論されてきました。6年間の議論を追っていけば分かることなんですが、国際法の専門家らにことごとくその指摘はあたらないと反論されてきた点でもあります。なので、「もう少し議論したい」ということだけでは不十分。井関課長は聞いてきただけだから仕方ないにせよ、このブログでも紹介しているように、日本政府はわざわざ「食の主権」や「種子の権利」に反対してきた事実があります。そのことを考えると、「国際法上の成熟如何」の話より踏み込んで、日本政府としてなぜ、わざわざこれらの権利に反対するか、説得力のある説明をする必要があります。しかし、これまで、日本政府代表は「新しい権利だから(反対)」程度の説明しかしてきませんでした。

でも、このような「未成熟」「新しい権利」との主張は国際討議の場では説得力をもってきませんでした。結果、121カ国(その大半がかつての被植民地国)が賛成票を投じたのです。

なぜ説得力がなかったのか?

実は、国際法を勉強した人なら最初の方で教わることなので、あえて私が書くのもなんですが・・・国際法、特に人権関係の法律は、現状追認型ではなくって理念から現実をひっぱるように構想されています。常により前向きに、人びとの権利を拡充していく方向で変化し続けるものという前提で、国際法は前進してきたのです。

「国際法」とか「人権」とかいうと、日本ではどうしても遠いものに思われてしまいます。日本の私たちにとってどれぐらい重要なことなのかは、また議論が長くなりそうなのでまた今度にします。分かりやすい例でいうと、第二次世界大戦直後の世界の大半の地域や人びとが植民地支配下にあり、女性の参政権もないところが多く、人種によって差別を受けていたことを考えれば、いかに国際法が重要だったか少し理解できるかもしれません。2018年現在、わたしたちが世界の当たり前と受け止めることの大半は、まずは国連憲章、そして世界人権宣言(1948年)が採択されてから、その理想に現実をあわせていこうとする非差別・抑圧者とそれを支える人びとの不断の努力によって、一つずつ実現してきたものでした。

国連で植民地支配下の人びと地域に独立付与が宣言されたのは、世界人権宣言から20年近く後の1961年のこと。でも、現実に、南部アフリカの人種・植民地支配からの解放は、1975年のアンゴラ・モザンビークの独立、1980年のジンバブエの独立、1991年のナミビア独立、1994年の南アフリカでの全人種選挙の実現までかかりました。

国連で独立付与宣言が採択されたのに、これらの国々の人びとは武器をとってまで独立を勝ち取らなければならなかった。数十年かかったけれど、最終的に勝ち取った。それは被抑圧者の死と隣り合わせの闘いの結果ともいえるのだが、他方で、人類史の歩みの中で、先に国際法のレールが敷かれていたことを無視することはできないと、思います。

このことを実は、新刊の『解放と暴力ーアフリカにおける植民地支配と現在』東京大学出版会(小倉充夫先生との共著)の1部2章と3章で議論しています。
http://www.utp.or.jp/book/b372472.html

現在からみると、植民地からの独立付与宣言は当然のことに見えます。でもこの宣言すら、当時、ヨーロッパの植民地保有国だけでなく、米国も棄権票を投じるほど議論のあるものでした(英米の他、フランス、ベルギー、ポルトガル、スペイン、南アフリカ、オーストラリアなど)。

このように国際法は、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」とされる世界人権宣言を土台にしつつ、これらの基準を満たすことを構造的に難しくされている特定グループ(被差別、脆弱な…と言われる)を、一つずつ注目し、その構造的な人権侵害を乗り越えるための国際法の改善を行ってきたのです。

1945年以来、「女性」→「被植民地」→「人種」→「子ども」→「先住民族」と進んできた特定グループの人権を擁護するための宣言や法制度の整備は、21世紀から18年を経て、ついに「小農と農村で働く人びと」におよんだことになります。

繰り返しになりますが、「人権概念として成熟していない」ということは、国際法の発展の歴史、とりわけ第二次世界大戦後の世界の変化をきちんとおさえているのであれば、言い訳として正当性を欠いています。人権概念として成熟するのを待てというという主張自体が、現状の被抑圧・差別状況を放置してよいということになるからです。

ここに、日本特有の誤った認識ーー人権が「親方ヒノマル的に守ってあげる、恵んで(支援して)あげるよ」の概念だとの認識ーーが見え隠れしてしまっています。そして、これこそが、モザンビークやブラジルの農民たちが日本に来てまで拒絶していることなのです。あなたたちの施しは要らない。決めるのは自分たちだ、と。

これを機会に、人権は、それが国内におけるものであれ、国際レベルにおけるものであれ、「政治的な力によって権利を剥奪されている人びとの置かれている垂直状態をどうするのか?」という問いを含んだものであることを、より多くの人に理解してほしいと思います。人権が鋭く問われる瞬間には、抜き差し鳴らない政治経済社会文化の状況があります。そのような状況に、いま世界的に直面しているグループがあるとすれば誰なのか?

21世紀にはいり、特に2008年以降の「食料危機」のなかで顕著になったのが、世界の小農でした。これは、南の小農に最も如実に問題が現れているとはいえ、北の小農も様々な形で小農としての暮らしが営めないほどの危機に追い込まれていることを考えれば、「小農」という括りがいかに現実的な意味をもっているか明らかでしょう。

なお、日本では、「食料危機」を「食料が足りない」話に矮小化する傾向が根強いですが、今回の「小農権利宣言」が採択されていくプロセスの議論をしっかり追えば、問題はそこではないことは明らかでしょう。ここでいわれいてる「食料危機」とは、世界大で展開しつつ地域社会に家庭に影響を及ぼす「複合かつ構造的な危機」のことであり、その根っこに冷戦後に進められてきたグローバル経済と南の「辺境地」への浸透のあり方、国際ガバナンスの失敗があります。これについては、農文協の原稿をみていただければ・・・。

書きたいことは山ほどありますが、今夜はここら辺で。

国際法にしっかり書き込まれた「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」。これが実現した背景には、これらの人びとを取り巻く環境がそれだけ厳しいという現実があることは明らか。でも、だからこそ、人類の歴史が後退と破壊を繰り返す中で、少しでも前進する瞬間をみた日には、お祝いしたいと思います。

そして、何百回でも強調したいのは、この「小農権利国連宣言」は、南の小農運動自身の発案で、国連に持ち込まれ、その宣言文案のかなりの部分が採択されたという事実。当事者の発案・起草文が、国際法になったのは、後にも先にもこれが初めてのはず(違ってたらごめんなさい)。

少なくとも、2008年の先住民族権利国連宣言の時点では実現していない。その意味で、国際法はもはや国際法を学んだエリートらが冷暖房が完備された先進国の会議室で起草して採択するものではなくなってきていることを象徴する出来事といえます。

どうやってここまでこぎ着けたの?
という人に朗報。
出来立てホヤホヤの訳書をぜひお手に取っていただければ。

シリーズ「グローバル時代の食と農」
『国境を超える農民運動〜世界を変える草の根のダイナミクス』
マーク・エデルマン&サトゥルニーノ・ボラスJr.
(舩田クラーセンさやか 監訳・訳者解題)
(岡田ロマンアルカラ佳奈 訳)
http://www.akashi.co.jp/book/b420388.html

日本、モザンビーク、ブラジル、世界の小農と農村で働く皆さん、おめでとうございます。まさにここからが正念場です。A luta continua!

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# by africa_class | 2018-12-18 05:18 | 【国連】小農の権利宣言

研究界への介入・暴力(3)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

ドイツは初雪。
本格的な冬になってきた。
すっかり風邪をひいてしまい、「続き」もなかなか書けないでいた。

いきなりこのページに出会った人は、まず以下のものから読んでほしい。

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

https://afriqclass.exblog.jp/238886464/

研究界への介入・暴力(1)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

https://afriqclass.exblog.jp/238890376/

研究界への介入・暴力(2)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

https://afriqclass.exblog.jp/238897471/

さて。
この投稿で「JICA」と総称しているのだけど、当然ながらJICAに勤める全員が問題という訳ではない。留学仲間や選挙監視等の元同僚、教え子も沢山働いているし、一緒に沢山のイベントや事業をやってきた。共同研究もしてきた。

でも、この6年プロサバンナに関わって思うのは、もはやJICAはあの時代のJICAとは異なっており、組織として腐敗しつつあるのではないかという点。この政権になって、各省庁の腐敗ぶりは知られるところとなったが、政府系の援助機関であるJICAも同様の事態に陥っているのではないかと心配している。

夢を持ってJICAに就職したあの学生、この学生のことを思うと心苦しい。

6年を振り返ると、腐敗につながっていくようなあってはならないことが、プロサバンナの件では先取り的に、あるいは如実に出てきている、というのが一番分かりやすい説明かもしれない。

やや可哀想なのは、確信犯的にこれらの汚いことに手を染めている上層部の後始末を若手が担わされている点。とはいえ、困っている人のために力を尽くしたいと思って入ったJICA。やはりおかしいことはおかしいと言うべきであって、片棒を担ぎ続けながら、その中で見つけた「善いこと」をやって自己満足を得ようとするというのは、違うと思う。

でも、モザンビークにいた日本の若者が言っていたが、「マプート界隈では、プロサバンナに関わっている人って人相悪くなるって、もっぱら評判です!」という点は、自覚してほしい思う。実際、外務省・JICAとNGOの意見交換会に時々出て、ずらっと並ぶJICA関係者の顔をみていると、たまにしか会わないからかもしれないけど、「この人ずいぶん目が淀んできたね・・・」という人は少なからずいた。最後までキラキラした瞳のままだった彼は、いつもとても辛そうに話を聞いていた。あの彼はいまどこにいるのだろう。

それでも、どうせ2、3年のことだから、その期間だけ我慢すればいい話で、自分には責任はないと思っている職員が実際はほとんどだと思う。面倒な案件に関わらされて迷惑だとも思っているだろう。煩いNGOらに追求されて腹が立つとも思っているだろう。(でもプロサバンナを始めたのは、そもそもJICAだから…腹を立てるのであれば立案者に立てるべし)あるいは、組織論理に追従しただけといいたいと思う。しかし、これこそが「誰でもない者の支配=凡庸なる悪」の問題であって、このことはハンナ・アーレント(アイヒマン裁判)の議論を用いてすでにやったので、ここで繰り返さない。

このように後から担当した人たち、あるいは下の立場で命令どおりに動かなければならない若い人たちのことを今回書こうと思っている訳ではない。

若い人達、本当に初心を忘れないでいたいと思っているJICA関係者には、ぜひ自分の所属している組織や上の人達が何をしているのか、してきたのか、知ってほしいと思ってこれを書いている。知った上でどうするかは、それぞれが考えるべきこと。でも、まずは、知るところから始めてほしい。

つまり、主体的に数々の対市民社会「戦略」を立て、実行に移した、上のレベルの人達がいたわけで、その人達が組織の資金を動かし、命令指揮系統を動かし、その結果として、組織としてのJICAがその流れで動き続けるしかない宿命(本当は違うのだが)を負ってきたことについては、何度でも確認しておきたい。

プロサバンナが、現在もJICAの資金を使いながら、モザンビークの市民社会への介入・分断を続ける源流が2013年に形成されていて、それはJICAが地元コンサルタントに作らせた『コミュニケーション戦略書』に如実に示されているのだけれど、これを企画し、資金を動かし、指示をし、その後のレールを敷いた人達がいたことを忘れてはならないのではないか?・・・それが一番いいたいこと。

その関係者が依然としてJICAのトップに座っていることを考えれば、自ずとその連続性と重要性は明らかだと思う。

だから、5年前に起きたことを、少しずつ語り始めたいと思う。

『コミュニケーション戦略書』にはターゲットグループとして研究者や研究機関、大学が出てくる。このことを念頭におきつつ読んでもらえればと思う。

なお、昨今の政府や政策に批判的な大学教員のところに議員やその周辺からバッシングや弾圧がいくようになっていることを考えると、5年前に起きたことをもっと早く世間に知らせておけばよかったとも反省している。ただ、なぜ今まで黙っていたかは、(1)に書いたのでそちらをみてほしい。また、長らく病気だったこともあり、自分の身に直接起きたことを書く気になれなかったというのも正直なところ。

でも、今回来日したモザンビーク農民らの勇気と絶望の目に触れて、もはや黙っていてはいけないと思う。

5年前の9月半ば、私はまだサバティカルの最後の月で、日本にいなかった。

学部長からメールがきて、JICAの●氏という人が私のことでどうしても面会をしたいといってきたので会った。

そもそもこの●氏こそ、JICA現地事務所の職員にNGO側のホテルを調べさせ、そこに現れた人物である。(*話が見えない人は(2)を読んで下さいね)

JICAだというので、大学としても無下に対応できなかった。(大学はJICAに紛争地の留学生の学費を負担してもらっていたし、学生たちの重要な就職先でもある)。本人はJICAのロゴマークと連絡先の入った正式な名刺を置いていったが、「個人/私人としてきた」と主張していた。

そして、このブログのことで彼の実名が出てくる記述があるが、事実無根なので削除修正をしてほしい。今後、実名での記述は止めるように。そして、謝罪メールかブログ記事を書くようにというものであった。

これは非常におかしなことであった。

2012年11月から数ヶ月に1度、政府とNGOの対話の場で顔をあわせており、メールのやりとりもしている。何か不快に思うことがあれば、直接私に言う、あるいはメールを書けば良いことであって、この件では明らかに無関係の大学にJICAの名刺を持参して行くこと自体が奇妙である。

●氏は大学にきた理由を「大学のサイトにブログへのリンクがあるため」とし、なぜ私に直接言わないのかについては何も説明しなかったという。また、具体的にブログのどの記事が問題なのか、その資料も渡されなかったという。

対応した先生たちは、大学は関係ないし…ということで思案していたら、10月半ばに●氏は再度大学に現れ、何らかの対応を私に対して取ったか聞いてきたという。そして、「裁判」という言葉を口にして、「弁護士とも相談しており、もし裁判になったらどうなるか」「時間が相当かかるだろう」と口にして帰っていったという。

大学からは、この人物が大学とわたしにある種のプレッシャーを与えにきたと理解したものの、一応背景が知りたいということだったので、まずは●氏がアレンジし、JICAの担当者として出演しているプロサバンナの番組を二つ観てもらった。そして、JICAのホームページにある同氏に関する記事を読んでもらうとともに、この人物が意見交換会で政府側の代表者として発言していることを議事録と出席名簿で確認してもらった。

つまり、プロサバンナの件では、「私人」ではなく「公人」として公金を使って活動している人物であり、同氏の狙いが単なる謝罪や訂正を超えて(単なる謝罪と訂正なら私に直接伝えれば済む話である)、私の職場を通じて政治的な圧力を加えることを目的にしている可能性について検討してもらった。

提供した資料をみた先生たちは、面会時の様子を勘案して、政治的な意図をかぎとり、私人としてきたなら、機関同士のことではないということなのだから、個人間でやり取りしてほしいと最終回答してくれた。

ただ、私としては「個人の問題」として扱うべき種類の問題でもないと考えていた。私を通じて、プレッシャーを与えたいのは私個人ではなく、日本のNGOの仲間たちであり、その先にいるモザンビークの農民運動や市民社会組織であることは明らかだったからである。(繰り返しになるが、私個人のことなら大学レベルに持っていく必要もない)

念のため相談しておいた弁護士からは、面会要請時や面会時に名刺を示している以上、「私人」と言い続けることはできず、ODAの透明性を担保し、改善を促そうとする大学人が自由に発信することを躊躇させる目的であることは明らかで、言論の自由を脅かすものだから、とにかく何かあったら一緒に闘うからと言ってくれた。

(以前もこの弁護士さんのことを紹介したことがあるのだけど、いわゆる「人権弁護士」ではなく、事件を長らく扱った後、企業のコンプライアンスに詳しい企業弁護士さんで、大学の顧問弁護士もしている方。彼がたまたま電話に出た犯罪被害者窓口で出会って、以来、あれやこれやでお世話になっている。でもお金を取らない。社会のために闘っている人を応援することで、自分も社会のための活動ができるし、普段儲けてるので、せめてもの罪滅ぼしと。。。)

その彼が首をひねって言ったのが、「原発建設とかダム建設とかそういうのならこういう話もあると思うけど(あってはいけないが)、これ『援助』の話だよね?なのに、ここまでのことをしてくるとすれば、よっぽどこの援助「危ない案件」なのか、組織が腐ってるのか、何なんだろう。とにかく気をつけるにこしたことはないから」と忠告してくれた。

たしかに、もっともな指摘だった。
こんなこと、普通にスキャンダル。
援助案件で政府・市民社会対話で協議の場に出てきている政府代表が、市民社会側の参加者の職場に「裁判するぞ」と圧力をかけに二度も現れたわけだから。

11月、プロサバンナに関する協議に出ている日本のNGO5団体から正式にJICA理事長宛に「JICA●氏の行為に関する問い合わせ」が送付され、JICAアフリカ部部長(当時)から回答がメールで届いた。そのメール文をもらったので、読んでみてほしい。

「お問い合わせ頂いた内容につきましては、東京外国大学の公式ホームページに、舩田氏研究室ブログがリンクされており、その中で、●氏に対する舩田氏個人の意見があり、同大学の公式見解として捉え兼ねないという危惧を、●から、同大学へ伝えたと理解しております。」

みて分かる通り、話が違っている。
●氏は私に謝罪をするよう大学が働きかけあることを要請しにきたのであって、それは大学側が聞き取った要求項目からも明らかである。そして二度とも同じ要求がなされた。JICA部長の回答内容では、●氏がわざわざ二度にわたって大学に現れた理由は説明不能となる。なぜなら、「危惧を大学に伝え」ることだけを目的とするのであれば、一度で済むはずだからである。

ここで生じる疑問は、JICAは●氏の二度にわたる大学行きを知っていたのか?知っていながら許可あるいは黙認したのか?「グル」だったのか?あるいは、JICAは知らず、●氏は完全に個人として勝手に来たのか?

これらの疑問への答えは後に明らかになった。

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写真は名刺のロゴ。




# by africa_class | 2018-12-17 07:26 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

研究界への介入・暴力(2)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

あれやこれやで超忙しく、すぐ書こうと思っていた「続き」がなかなか書けない。

でも前回の投稿で、読んでおいてほしいものいっぱい書いたから大丈夫かな?
さて。
JICAが2013年8月1日に「コミュニケーション戦略の定義」のために地元コンサルタント企業(といってもポルトガルの会社)と契約したあたりから、同時並行的におかしなことが沢山起ったのだが、私(たち)の身に起きた数々のおかしなことを紹介していきたい。

2013年8月に開催された「第1回3カ国民衆会議」には、日本から6名のNGOと大学教員らが参加し、議論に耳を傾けた。

2名のNGO関係者に、大学教員ら4名。内1名はわたしだった。東京外大で准教授をやってる時代のわたし。

この6名で会議後、モザンビーク北部の首都ナンプーラ市に飛び、3つのチームをつくって2州の調査を行った。調査は3つの角度から行った。JICAの便宜供与を受けた調査、地元小農運動の案内で行った調査、独自に行った調査・・・つまり、調査の精度を高めるために、色々な角度から調査をするための努力がなされたことが分かると思う。

調査結果は、『ProSAVANA市民社会報告2013:現地調査に基づく提言』に詳細にまとめてあるので、そちらを参照されたい。この他にも、私を含む研究者らが、国際ジャーナルや日本の学術ジャーナルに調査結果を論文として、また学会発表も行っている。

JICAの便宜供与も別の大学教員からの大学教員としての学術調査協力依頼であって、それ以上でもそれ以下でもない。

しかし、首都からナンプーラ州にうつった当たりからおかしなことが起り始めた。(実は、首都でもおかしなことがあったのだが、これについてはまた今度)

その夜、私宛に、のちに人権侵害発言で現在も問題とされるナンプーラ州農務局長からおかしな電話がかかってきた。(*この局長については、2017年から現在にかけて、日本のNGOから外務省・JICAに対して公開質問状などが送られ、やり取りが続いているので、そちらをご確認いただきたい)

プロサバンナ事業の州農務局長の発言内容について
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy-statement/2018/06/20180531-mozambiquekaihatsu.html

わたしの携帯の番号は、JICAの便宜供与の絡みで、どうしても便宜供与を依頼した先生のモザンビーク内での連絡先が必要だといわれて、JICAに渡していたものだが、当然モザンビーク政府関係者には渡していなかった番号である。しかも、電話はわざわざ、わたし宛であった。

見ず知らずの政府高官。
夜8時というのに局長はホテルまで来るから「二人だけで話がしたい」という。この時点でぞっとしないとすれば、それはモザンビークを知らなすぎる人の発想であろう。

そもそもなんで番号を持ってるのか尋ねると、JICAがくれたという。
何の為にくれたのかと聞くと、話をはぐらかす。
延々といますぐくる、ホテルは知っていると言い張る。
なぜホテルまで知ってるのかと聞くと、あっさりと、JICAが教えてくれたという。

こんな時間に来られても困る、しかもある種の圧力にしか感じない。あるいは、脅したくってくるの?と聞くと、そんな訳がないとかああだこうだいっても引き下がる感じがない。

気持ちが悪いなんてもんじゃない。
モザンビークは1975年の独立以来同じ政府である。

それだけではない。

植民地時代の秘密警察と東ドイツのKGBが合体したような秘密警察組織網を築いている国である。そして、政府要職にある者は党の要職にパラレルについており、党の中には「ある秘密組織」があり、政府や与党に批判的な人物に陰に陽に圧力を加えることで知られている。ゲブーザ政権の二期目から、社会統制と介入が激しくなり、危険度が増していったことについてはすでに他でも書いた。

どうしてこういうことを知っているの?・・・と思う人はいないとは思うが、不思議な人は著書の『モザンビーク解放闘争史』か新刊の共著本『解放と暴力ーアフリカにおける植民地支配と現在』をお読み頂ければ。

そして当時のプロサバンナの担当大臣(農業大臣、前の内務省大臣、現在の外務大臣)が「誰か」知っていれば、その子分である州農務局長の役割も明確である。

そういうこともよく理解しないままに、日本の貴重な援助をこういう人達に委ねている。あるいは、気にしちゃいないということだろう。日本は援助の相手として独裁政府を好んできたことは歴史が証明している。冷戦期、米国に追従してということもあるが、独裁の方が一度トップと合意さえすれば、仕事が手早く片付けられるからでもある。

大使館もJICAも2001年までモザンビークに置いていなかったので仕方ないとはいえ、であればこそ、慎重にも慎重を重ねて、よく調べた上で援助を立案し、進める必要があった。少なくとも、2008年までの歴代大使もJICAも、その点においてはよく理解しようとし、慎重であった点は強調しても強調しすぎることはないと思う。

プロサバンナの問題が発生するまで、わたしは、すべての駐モザンビーク日本大使とJICAのレク(事前・事後の任国研修)を担当していた。理由は簡単。わたしのモザンビークへの関わりは、これらの機関の人達より古く(1994年から)、外務省に在籍したこともあり、日本で唯一のモザンビーク研究者だったから(当時)。後に政府高官になるモザンビークの研究者や政府関係者が友人や研究仲間だっただけでなく、大臣や歴代大統領と首相の全員を知っていたし、駐日モザンビーク大使の相談相手だったから。

1994年の戦後初選挙以降の政治的に自由な時期からゲブーザ政権の2期目の独裁に向かっていくまでの時期は、モザンビーク政府関係者も、とてもオープンで、自身が党のあり方などに批判的ですらあった。それが変わっていったのが、2010年以降。まさに、日本がモザンビークへの大型援助にのめり込んでいく頃のことだった。

2013年までは、わたしのモザンビーク訪問時には必ず大使公邸に招待になり、大使夫妻や大使館員とご飯を食べながら、モザンビークの現状について議論をしてきたし、大使館のパーティに招くべき地元関係者を紹介し、大使と一緒にいくつかのパーティを開催もしてきた。農薬問題(所謂2KR援助の件。また今後・・・)で一時は闘いもしたけど、それは表面のことであって、実際は大使館もJICAも問題は理解していて、逆に共感しあって関係を強化していた。農薬問題の後は、大使館もJICAも、派手な援助ではなく、地に足のついた、社会の分断を超えて着実な成果を出せるような「小粒でもキラリと光る援助」を目指して地元で行われている先駆的な試みに資金援助しようと頑張っていた。お手伝いもあって、市民社会とJICAを繋げるようなセミナーも何回か開催した。

しかし、TICAD IVが2008年に終わり、もう援助や政策に関わるのはいいかなと思って足を洗った途端、おかしな援助(ブラジルの協力を得てモザンビーク北部農業を刷新する=プロサバンナ)が始まるようになっていた。JICA内の南米関係者が、援助を卒業してしまった南米での活躍の場を失って、アフリカへの進出の足がかりにしようとしたのであった。

アフリカ部が研究室に尋ねてきてこの「ブラジル・セラードの成功をアフリカへ援助」を説明しにきたのだが、両方の国を知っていている者にはあり得ないものであり問題を引き起こすことになると指摘したが、その途端、色々なことが変わり始めたことについては既に書いたとおり。

「ブラジルを使ってのモザンビークへの進出=プロサバンナとナカラ回廊開発」という方向性が先陣を切ってプロサバンナで開始されると(末尾のJICA地図参照)、モザンビーク社会をどう捉えるのか、Do no harmの原則をどう実現するのかといった地に足のついた考え方やプロセスは一気に消えてしまった。

自らが頭に描いたイメージや計画を推し進めるために、便利な人達を、それらがどういう人物で、どういう結果をもたらそうとも、税金を使ってでも利用する・・・・その結果起きたことが、2013年から現地で続く「邪魔者(反対者)は轢いてでもプロサバンナを前進させる」という方向性であった。

これについては、モザンビークの11名の住民から出された異議申立に出てくる。が、この詳細は岩波の連載にも少し紹介している。
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1419

州農務局長からの電話に戻る。
翌日早いからと伝えると、今度は延々とJICAがいかに素晴らしい組織か、とくにプロサバンナを考えついた人物が自分の兄のような存在で、その人物の指導がいかに素晴らしいか、だからプロサバンナは間違いなく素晴らしいと演説する始末。もちろん、話はどんどん私や日本のNGOなどへの個人攻撃に向かっていく。すでに40分経過。丁度いいところでバッテリーがきれたので、とりあえず放置しておいた。

実は、ホテルはあえてJICA関係者が泊まらない宿をとっていた。
しかし、JICAはホテルまでモザンビーク政府高官に伝えていたのだった。電話のことを話すと皆が気持ち悪がって、それ以降は別宿に泊まることとした。

しかし、気持ちの悪い事態はこれで終らなかった。
農村部での調査から戻ると、今度は新しく予約したホテルにいきなりJICA本部から出張していた事業の担当者が現れたのである。

州農務局長が電話で延々と持ち上げ、「兄弟」「指導者」と仰いだ、まさにその人物が、ニヤニヤ笑いながら朝食の席に座っているのである・・・。嬉しそうにこちらをみて、挨拶してくる様子から、私たちがこのホテルに泊まっているのを知っていてわざとホテルに泊まっているとしか思えなかった。

しかし、何のため、わざわざ同じホテルに泊まっているのか?
どうやって突き止めたのか?
(JICAには絶対伝えないように全員が気をつけていた)

あるいは、思い過ごしなのか?
尋常ではないことが起きていることを誰もが感じた。

調査の最初から最後まで一緒に同行してくれた国際NGOの欧州人スタッフが別れ際、まじまじと目を覗き込んで、
「だいじょうぶ?何かあれば一刻も早く連絡するように」
といって、電話番号をくれた。

この時点では、「思い過ごし」だと誰もが思いたかった。とくにわたしは。

彼は長らく国際的な環境団体で世界あちこち(特に南米)の住民や環境団体を支援してきた経験から(南米では環境活動家が多く暗殺されている)、こういう一見「偶然?」と思える、しかし気持ちの悪いことが重なるときには、その背後で何か企みが進められていると教えてくれた。

「ただ、ヨーロッパのドナーだったら、もちろん、地元政府高官に個人情報である電話番号やホテルの場所なんて伝えないのが当然だけど。それどころか、こんな援助とっくにヤメてるはずだよ。なのに、JICAときたら、日本からの調査団にプレッシャーを与えるように政府高官に促して個人情報をあげてる。ついでに、わざわざ同じ宿に現れた。こういうこと自体が、プロサバンナの薄気味悪さ、汚さを証明してるよね。本気でみな『後ろ』に気を配って。」

そういって別れたのだが、何か「ぴーん」とくるものがあったのか、心配性なのか、その後マプートに戻った後も、ほとんど毎日一緒に街を歩いてくれた。

それでも、思い過ごしだよね?・・・そう自分に言い聞かせた。
でも、不安が拭いされなかった訳ではなかった。

結局、これが私たちの思い過ごしでなく、彼の懸念通りであったことが後にはっきりする。

つまり、JICA本部から出張できていたこの人物が、同じホテルに泊まっていたのは偶然ではなかったのである。日本のNGOと研究者が泊まっているからこそ、そこに泊まったのであった。

どうやって突き止めたのか?
なんと、この人物は、現地のJICA職員にナンプーラ市中のホテルを一軒ずつ訪問させて、私たちの泊まっているホテルを突き止めさせて、わざわざそのホテルにうつったのだという。

当然ながら、このことは、後にJICA内部で大問題になったという。(そりゃそうでしょ・・・。大学教員や日本のNGOを秘密裏につけまわして、スパイまがいのことをしようとしたのだから。。。)

このような行動の数々が、「コミュニケーション戦略書」の策定と実行と同じ時期に同じ場所で行われていたこと、同じ人物が両方に関わっていたことを考えると、かなり根が深いことが分かると思う。

そして、その後に続くとんでもないことの数々のレールが2013年にすでに敷かれていたことがわかる。

(続く)


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当時のJICAが、ブラジルを巻き込んでやろうとしていた大規模開発のイメージが良くわかる地図。

同じ日に配布された日本語資料からは、あえてブラジルの国旗がすべて削除されている。また日本語版で中央に大きく掲載されていた大豆のプランテーションの写真も削除されている。



# by africa_class | 2018-12-10 06:49 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

研究界への介入・暴力(1)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

なぜ急にこんなに書いているかというと、来日したモザンビークからの小農たちが受けてきた傷や被害を改めて耳にして、もうこんな援助(プロサバンナ事業)は本当に許してはならないと思ったから。「小農支援」といいながら、地元の最大の小農運動のリーダーたちをこれほどまでに苦しめる「私たちの税金でやられる援助」について、洗いざらい、多くの人に知ってもらい、納税者で主権者でもある日本の人びと自身が、この事業に審判を下すべきと思ったから。

もちろん、ずっとそう思ってきたし、私を含め、皆それなりに行動してきたのだけど、「個人的な部分に関わることに見えること」はあえて書かないてできた。というのも、「個人的なことに見えること」を書くことで、「だからあの人は事業に反対するんだ」という結論を導き出されることは避けたいと思っていたから。

昨日の投稿で書いた通り、事実認定ができるファクト(根拠となる政府・JICA側の一次資料がある)だけで問題提起をすることが重要だと思ってきたし、今でも思っている。

ただ、なぜこの事業がこんな風にCIA(海外に向けた米国諜報機関)ばりの活動に手を染めるようになったのか、その初期の段階で何があったのかについて、一般の人に理解してもらうには、わたしや私たちの身に起ったことを説明する必要があると考えるようになった。

愉快なことではないので、病気だったこともあり、黙ってきたことも、もう広く社会に知っていただくべき時がきたと思っている。

2012年10月にモザンビーク最大の小農運動UNACと対象3州の農民連合がプロサバンナに反対の声明を出してから、JICAが陰で何をしてきたかについては、JICA自身の一次資料によって明らかにできた。これは昨日、このブログで紹介したとおり、実証的に岩波書店『Web世界』で詳細を述べているので、そちらを参考にしてほしい。

モザンビークで起きていること〜JICA事業への現地農民の抵抗
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1419

「コミュニケーション戦略」なるものを立てて、農民らの主張を矮小化したり、農民組織や市民組織をコミュニティや日本やブラジルの市民社会、メディアから切り離そうとしたことについては、以下の記事でも触れた。

「農民団体の価値を低める」と書かれたJICAの『戦略書』
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1171

ぜひ日本の税金で作られたJICAの地元コンサルタントとの契約の「成果物」を、ご自身で手にとて読んでほしい。私はJICAが情報開示請求の結果として公表したポルトガル語版で読んだのだけれど、英語版も以下のサイトで入手可能ないようなので、ぜひ皆さんに読んでほしい(特に、32-33ページ)。

ProSAVANA: Communication Strategy(『プロサバンナ:コミュニケーション戦略書』)

そして、その後この『コミュニケーション戦略書』が受け継がれる形で、JICAがさらに契約したMAJOLという地元コンサルタント企業が何をしたのかについても、リークされた一次資料(MAJOLからJICAに提出された3本の成果レポート)を確認してほしい。

なお、『戦略書』の英語版はMAJOL社がJICAに提出した最初のレポート(2015年11月)の参考文献欄に掲載されていた。しかし、JICAが開示した最終版からワザワザあえて消されていたことも、皆さんの頭にしっかりインプットしてほしい。(なぜJICAは参考文献一覧からこの『戦略書』を削除しなければならなかったのか?・・・ここにJICAが「確信犯」であったことが如実に示されている)

JICAの介入に反発する小農や「キャンペーン」
内部告発者からのリーク:JICAに提出された「レポート」の衝撃
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1181

以上の記事の最後に現物のコピーを載せてあるのだが、やはり一次資料を自分の目で確認してほしい。以下の国際NGOのサイトに「内部告発者」からのファイルがすべて掲載されている。
https://www.farmlandgrab.org/post/view/26158-prosavana-files

下記の2つのレポートには、プロサバンナに反対する公開書簡や声明に署名してきたモザンビーク内の団体やそれに関わった個人を個別調査し、「影響力の強さ・弱さ」「プロサバンナへのポジション」「同盟を結ぶことを促進できる、あるいは阻む要素」「内部の対立状況」が調査されたことが分かる。
https://www.farmlandgrab.org/uploads/attachment/Map.2.pdf

それぞれの調査結果は、表の形で「見える化」されるとともに、どうやったら巻き込みが可能かの具体的な提案まで書き込まれていた。特に、モザンビークの小農運動やNGOの資金源となってきた国際NGO(故に影響力「高」としてランキングされている)をどう懐柔するかまで書かれていて、正直なところ気持ち悪い。

JICAが地元コンサルティング会社にこんな調査をさせて、500万円もの税金を支払っていたことを一般の納税者が知ったときに、「援助資金の適正活用」として本当に納得してもらえるのだろうか?猛暑が酷くなる一方の日本で、教室にクーラーすらない小学校が大半である現実を考えるときに、こんなことが許されると思っているとすれば、あまりに驚きである。

結局、どうせこれらの文書はモザンビーク政府が開示を拒否したと主張することができるし、黒塗りするから、バレるとは思っていなかったのだろう。

しかし、こんなことに自身が手を染めることを許せないと考えた「内部告発者」がいた。

MAJOLがJICAに提出した最後のレポート(2016年3月)は、自画自賛と「ぶっちゃけトーク」満載(英語なので是非読んでほしい。)。プロサバンナに反対し続ける小農運動や市民団体を「過激派」扱いし、敵視。そして、あれやこれやの「アクション」にも関わらず、UNAC(農民連合)を味方につけられなかったために、彼等が農民人口の数パーセントしか代表してないとか、地方選出議員を巻き込むことで農民たちが主張し日本のNGOらが根拠とする「小農の代表」という主張を矮小化する戦術(tactics)を、同盟を組むようになったナンプーラ州の市民組織と立てたと報告されている。

当然、JICAがリーク後に止む無く公開したレポートは真っ黒塗り、あるいは削除の嵐。比べてみると面白い(…)ので、是非日本のNGOが公開してくれている以下のサイトをご参照。
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/index_docs.html

このように『戦略書』を踏まえて展開されたMAJOLの「コンサルティング活動」によって創り出されたプロサバンナ推進のための「市民社会対話メカニズム(MCSC)」(2016年2月)。これをJICA担当官らが嬉しそうに「市民社会主導」と呼び、MAJOLが「第三者」「独立」した存在だと強調したのには、今でも信じがたい。

そして、話はそこで終らなかった。JICAは、対話メカニズムが想い通りに機能しないことを受けて、2016年10月、MCSCのコーディネイター(アントニオ・ムトゥア氏)のNGO(Solidariedade Mocambique)と、2200万円ものコンサルタンティグ契約をかわしたのであった。詳細は以下の記事。

「推進派」NGOへの2200万円のコンサルタント契約
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1182

この契約書の現物は、以下のサイトからダウンロードできる。

2016年12月、ムトア氏が、JICAのコンサルタントとして莫大の謝金を手にしていたことを日本の大使館もJICAも伏せたまま、現地の新聞らに「モザンビーク市民社会の代表」として取材させていることが、外務省の一次資料でも確認できた。

その「成果」として、ムトア氏の話を真に受けた独立系新聞が、プロサバンナに反対をする人達を貶める記事を書いたことついては、未だ岩波の連載で取り上げてない。けれど、この記事は未だオンライン上に存在するので、ぜひ最後までみてほしい。なぜなら最後に、「この記事は日本大使館の組織したツアーに基づき書かれました」と記載されているからである。

http://www.verdade.co.mz/tema-de-fundo/35-themadefundo/60572-organizacoes-da-sociedade-civil-do-niassa-nampula-e-zambezia-libertam-se-de-maputo-gracas-aos-dolares-do-prosavana

そして、このブログで紹介した「3カ国民衆会議に現れた日本の若手『研究者』」は、この記事通りの主張を展開しているのであった。この点については、改めて触れるが、以下に少し触れている。

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

https://afriqclass.exblog.jp/238886464/

なお、SolidariedadeとJICAの契約書(署名は、以上のムトア氏)を見てもらえば分かる通り、2200万円の契約金の大半が「謝金・人件費」で占めれた。つまり、Solidariedadeとムトア氏の仲間になってプロサバンナを推進するNGO関係者に、JICAから莫大な資金が「コンサルタント料」として流れたことになる。

この自ら創り出した「市民社会メカニズム」をJICAは現在でも強調し、資金援助し続けている。

しかし、これらは地域で農業を営む小農自身あるいは小農運動ではなく、本来地域住民の8割を超える「小農を支援する」と称して結成されたNGOや市民組織、ネットワークであった。つまり、JICAが行った一連の活動は、地域に反対し続ける小農がいるのに、小農を支援する団体を小農から引きはがし、大金を掴むことでメリットを見せつけ、小農を孤立させ、追い込むことを招いたといえる。

今回も来日した農民たちが口々に語った言葉が耳の中でこだまする。
「骨と肉に切り刻み込まれた分断の傷」
「日本の資金、JICAの資金がなければ、こんな目にあわなかった。JICAの責任」

2年前と同じ表現を、より強い表現で口にした農民女性を前に、日本の市民として、何も返す言葉がないままだった。

だから、私もついに口を開こうと思う。
(続きはあとで。)

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# by africa_class | 2018-12-05 15:49 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

なぜか岩波書店の『Web世界』の連載がトップ5を占める「怪」〜地味だけど皆に読んで知ってほしい日本の援助の「闇」。

岩波書店が出している月刊誌『世界』の記事が出版されたのは2017年4月のことだった。あれからあっという間に2018年も暮れ。もうすぐ2年近くが経とうとしている。同誌がWEBにもサイトを開設するというので、当初の記事をWEB用にアップデート&分割してほしいと頼まれたのが去年の冬。そして、WEB連載が静か〜に始まったのが、今年の3月。

連載 モザンビークで起きていること

JICA事業への現地農民の抵抗

https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461

本当は既に出した記事の校正だけで済まそうとしていたのだけれど、最初に記事を書いた2016年冬からあまりにも沢山の出来事があったので、少しずつ加筆していったら、ついに今でも続くロングラン「連載」になってしまった。当然、担当者も私も予想だにしていなかった事態。でも、あまりに過去&現在進行形の出来事がびっくり仰天するぐらい酷いので、世間のみなさまに広く知っていただく必要があるので、書店に「もうヤメて〜!」と言われるまで書こうと思う。

でも我ながら、すっごく面白い連載とは…いえない。
事実が淡々と書かれているだけなので、多くの人にとって「つまらない」のではないかと、いつも心配になりながら原稿を担当者に送っているのだけれど、一昨日『WEB世界』のサイトを見て目が点になった。そして今みてさらに点に・・・。

なぜだか分からないのだけど、この連載の記事がランキングの1位から5位までを占めていたのだ。息子曰く、「なんかの間違いだよ、絶対。自分のPCからだからそうなってんじゃないの?」。そうだよね…と思ってTWEETしたら、どうやら他の人のPCでもそうなのだという。

何かの偶然が重なったのだと思うけど、たくさんの人に知ってもらって、考えてもらいたい内容ばかりなので、これはとっても有り難い。どんなに重要なことでも、知られなければ意味がなく、でも知ってもらおうにも、興味を持ってもらわなければどうしようもない・・・のだけど、あんまり楽しい話題でもないし、どうやって目にとめてもらって、実際に読んでもらうところまで行き着けばいいのか、皆目検討もつかなかった。(いまでもだけど・・・)

でも、何はともあれ、多くの人に読んでもらえるようになったのであれば、本当に嬉しい。自分のためにではなく、この6年間、私たちの援助のせいで、苦しみ続けているモザンビークの小農や市民社会の皆さんのためにも。

3カ国民衆会議で来日したモザンビークの小農運動のリーダーや市民社会組織の人達15名の話を聞く機会をもてた人なら知ることができたと思うけれど、日本の援助(JICAの資金とプロジェクト)で現地の人びとがどのような目にあってきたのか(きているのか)、ひとりでも多くの日本の方に知ってほしい。そして、こんなことを貴重な税金で許し続けていいのか、についても。事業開始直後に地元小農たちが反対を表明したというのに、この6年ですでに32億円の資金が費やされてしまった。32億円あったら、どんな素晴らしいことができるだろうと考えると、ただただ悔しい。

さて。この連載。紙媒体での記事の時から決めていたことがある。
それは、政府側(JICA)の登場人物の全員について氏名を公表することである。この理由は、ハンナ・アーレントが指摘するナチス・ドイツ時代のホロコーストの土壌と構造が「匿名性を帯びた役所や官僚による統治/支配」によって培われたという指摘を踏まえてのことだった。

6年間、プロサバンナ事業に関する外務省やJICAの官僚や担当者らの言動を観察する中で、アーレントが指摘した現象と似たものを、感じるようになった。これに抗うことは、プロサバンナ事業という一つの援助事業の問題を超えて、日本の国家や社会のあり方の「闇」に直結することと考えて、彼等の行為をすべて行為者の名前とともに、根拠を示しながら(すべて彼等の関与を示す文書を注にあげている)、明らかにしている。

詳細→

■森友問題、プロサバンナ問題を考える>アーレント「悪の凡庸さ」とグラス「玉ねぎ」を糸口に

https://afriqclass.exblog.jp/23780372/

とくに注目しておきたいのは、JICAの登場人物のいずれもが自分は「『いいこと』をしているつもり」、あるいは「しているはずだ」という強い思い込みをもっていることである。あるいは、「命令にしたがっているにすぎない」、「命令のなかで、できる最善を尽くしている」つもりの人もいることを知っている。しかし、彼等がしていること、してしまったことはその真逆である。戦後の一時的な民主的で豊かなモザンビーク市民社会を、権威主義化・独裁化を進める現地政府とともに、いかに分断し、コントロールしようとしてきたか・・・。

そんなバカな・・・と言いたい人の気持ちは分かる。
私自身が「嘘でしょ?」「あり得ない」と思いながら、ギュンター・グラスのいうところの「玉ねぎの皮」を一枚一枚はいでいった結果がこれなのだから。連載を1つでも読んでいただければ、おそらく理解できると思う。

バックナンバー


私が、日本の皆さんに問いたいのは、CIA顔負けの「海外活動」に、果たして日本の納税者や市民として同意あるいは納得しているのか、という点。

困っている人を助けるためにあるはずの政府開発援助が、いつの間にか、現地社会で最前線でしぶとく不正義に声をあげる人達を弾圧するために使われていることを知ったとして、皆さんはどう考え、どう行動するのだろうか。

まずは知り、考えるところから一緒に、ぜひ。

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# by africa_class | 2018-12-05 04:52 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

3カ国民衆会議は無事、成功に終わり、安堵する間もなく、事後処理に追われる日々。ドイツでは、とにかく「クリスマス」シーズンがはじまり、各家庭大忙しの時期。19回目のドイツでのクリスマス。あんなに嫌だったのに(この時期雨ばかりで寒い)、ドイツの父も母も亡くなって、なんだか今年こそは彼等が教えてくれた伝統に則ったクリスマスをしたいと、強く思うようになった。口には出さないものの、家の誰もがそう感じている。と同時に、日本のお正月の伝統も息子に伝えなくては…という気持ちも強まって、セカンドハンドのお重を2つも買い占めてきた。

この半年ほどクレイジーなほど忙しかったので、書きたいなと思いながらも書けなかったことを少しずつ書ければいいなと思ってる。

このテーマ(「研究」と暴力)については、数年前から書きたいと思っていたテーマだった。

もちろん、研究者としての肩書きをもつ私自身の「暴力」に無自覚なわけではない。沢山の人びとのインタビューへの協力を踏まえて書いてきた論文や研究書が「収奪でない」と断言できるかといえばそうではない。ただ、その危険と隣り合わせに、自覚し、自問自答しながら30年近くを過ごしてきた。いつも「なぜ誰のために何をどう研究するのか?」「研究成果を発表することによってどのような影響を及ぼしてしまうか(ボジティブだけでなく、ネガティブも)」を問い続け、今も問うている。

特に、戦争や暴力をテーマとして研究するようになってからは、この問いは肝だった。平和に関わる仕事がしたいと国連の帽子を一度は被った自分が、研究の道にきた理由を考えれば、これは当然のことであった。だから、博論の序章は、過去の研究がどのように戦争や介入の口実に利用されてきたかを延々と取り上げた。とくに、文化人類学的な研究成果が、歴史・政治経済的な背景を排除する形で戦争の原因を「研究者が目で見て体験した現象」に求める傾向に警鐘を鳴らしたいと思った。

(博論は『モザンビーク解放闘争史』として出版。その後、英語版The Origins of War in Mozambiqueが無料で公開されている→http://www.africanminds.co.za/wp-content/uploads/2013/05/The%20Origins%20of%20War%20in%20Mozambique.pdf)

他方で、その研究はとても魅力的なものでもあった。地域社会におけるエスニックな対立がどのように戦争状況を利用していったのか、スリリングなタッチで描かれている。これを読んだ誰しもが、その時期・その場でしか描き得なかった文化人類学的な考察に感銘を受けた。

でも、私がこの「研究成果」の罠に陥らなかった理由は、当時、私自身が戦争直後の国際的な介入の最前線でコマのように働いていたからである。地域社会や人びとのあれやこれやに大きな影響を及ぼすオペレーションのただ中で、世界各地からくる同僚や上司たちの「戦争(原因)認識(つまり、誰が悪者か)」に、翻弄されながら、日々の活動を地域社会の最前線で前に進めなければならなかった。広大なモザンビークの最も大きなニアサ州の南部全体の選挙部門の統括をたかだか23歳のわたしがするという、どう考えても無茶な日常を半年にわたって過ごす中で、「戦争原因認識」は大きな意味を持った。

ニューヨークからのファックス、ニューヨークから送り込まれてきた米国人の上司の「戦争原因認識」に翻弄される日々の中で、この「研究成果」がいかに重要な役割を果たすようになっていたのか徐々に知るようになった。この「文化人類学的研究成果」は、その具体的なディテールを強力な根拠として、独立後のモザンビークの戦争の原因は社会主義政府による失策にあり、アパルトヘイト政策をとっていた周辺諸国や東西冷戦下の西側諸国の介入の影響の重要性を矮小化する役割を果たしていた。だから、元反政府ゲリラに正当性を与える効果をもたらしたのであった。

冷戦が終っていたこと、南アフリカでネルソン・マンデラ政権が誕生したことも、「過去の話」としての冷戦やアパルトヘイトに原因を求める傾向はより弱くなっていた。もちろん、社会主義政府に問題がなかったわけではない。現在の問題に続く強健主義の問題は地域の人びとの根強い反発を生み出し続けており、それが一部暴力に繋がっていることも事実である。

しかし、1977年から92年までの16年間、100万人以上の死者と国民の1/3の難民を出したこの戦争が勃発したのも、継続したのも、ローデシアや南アフリカの白人政権、米国・英国・西ドイツなどの介入抜きには不可能であった。そして、戦争の「根本原因」と文化人類学者が主張する「エスニックな対立」から、植民地支配(だけでなく、対叛乱戦略)の深い影響を抜きに議論することもあり得ない。そもそものポルトガルの「植民地死守」政策と1964-74年の10年にもおよぶ植民地解放戦争、そしてそれを支えた西側諸国の影響も。

もちろん、そのことに文化人類学者が触れなかったわけではない。けれども、自分の文化人類学的な「発見」を「戦争の原因」と結論付け、さらに研究書のタイトルとした時点で、社会主義政策下で生じたエスニックな対立が原因と表明したに等しかった。

1990年に文化人類学者(クリスチャン・ジェフレイ)がモザンビーク北部ナンプーラ州で目の当たりにした「現実」を醸成してきた歴史やより大きな構造を軽視したこの「研究成果」こそ、100万人もの死者を生んだ罪の意識から解放されたい西側諸国にとって都合のよいものであった。

1997年のこと。
国連ミッションを経て、「戦争の原因」を多角的に調べようと心に決めて、南アフリカの大学にる政治学の先生(米国人)とご飯を食べていたときであった。ジェフレイの話をしたとき、駐モザンビークの米国大使のエピソードを語ってくれた。この「研究成果」はドラフトの段階で米国大使の手に渡り、すぐさま英訳されて西側諸国の大使館に回覧されたというのである。何の因果か、私が1990年から南米の日系人の共同研究をしてきた別の米国人の先生の同僚が、この元大使ということで、この点について確認してもらったところ、それは「事実」だった。

たった「一つの研究論文」、汗をかきながら集めた「現地調査結果」が、国際介入や戦争・戦後の行方に影響を及ぼしてしまう現実を、実務者と研究者の立場で目の当たりにしてから、私の中では、研究を全体から切り離さないよう常に心がけること、「研究と暴力」はテーマになった。

その後、博論を書いて気が済んだのかやや忘れていたのだが、2000年以降に日本で若い人達の間で「ルワンダ研究」が流行るようになって、再びこのテーマを思い出し、少しばかり警鐘を鳴らした。

しかし、その後はアフリカ紛争研究から足を洗ったこともあり、また日本の大学や研究界から足を洗う決意をしたこともあり、あまりこのテーマで考えることも少なくなっていたところ、ここ数年で一気にまたこのテーマに直面するようになった。

簡単にいうと、自分が「研究の対象」とされ、追いかけ回されるようになったからである。特に、「開発(援助)学」や「社会運動論」の若手「研究者」によって・・・。あるいは、プロサバンナ事業を共同研究したい、本を出したい、これらの分野の色々な人からのプレッシャーを受けるようになったが、最後に述べる理由により断ってきた。

私は開発援助や社会運動についても研究の対象にしてきたが、そのフレームはあくまでも歴史・国際関係・政治学からのものであって、「開発学」や「社会運動論」をディシプリンとしてきたわけではなかった。なので、昨今の若者がどのような調査や研究をして、どんな結論を導き出しているのか、あまり知らないままであった。

しかし、以上の理由から、若い人達の「研究成果」に接するようになって、本当に驚いたのは、「調査」(あるいは「実証」)と呼ばれるものの底の浅さである。とにかく、公になっている政府側の資料、市民社会側の資料、そしてちょっとしたインタビューを付け加えるだけで、「事実認定」して、容易に「結論」を導いて、「研究論文」としてカウントされる現実に、ただただ驚いた。あまりに安易というか・・・。(もちろん全員ではない。素晴らしい研究をしている若者も沢山いるのだけれど、なぜか「日本の援助」や「プロサバンナネタ」の研究には底が浅い研究が多い。日本語が読めないとちゃんとした研究ができないから、どうしても日本の研究界の水準にあわせたレベルになってしまうからなのか・・・)

特に、「若手」の多くの発表・論文には、先に前提となるフレーム、酷い場合には結論があって、それにマッチするデータ(資料であれインタビューであれ)をひっぱってきて、「ガラガラポン!」の大量生産。まあ、量産しないと生き残れない時代だというのは事実であり、可哀想ではある。しかし、検証というにも、実証というにも、あまりに甘いというか浅いというか、驚くばかりなのだけれど、「若手の研究だから、そのうち学ぶだろう…」とは言えない事態が頻発するようになった。

まず生じたのが、2013年のプロサバンナ事業で起きたブラジル人若手研究者の「事件」。いろいろな意味でショッキングなのだが、これはまた改めて書きたい。英語が読める人なら、次の論文を読んでもらえれば大体のことは分かると思う。


ここで取り上げたナタリア・フィンガーマンの2頁のポルトガル語での「研究成果」は、JICAコンサルタントによって賞賛され、日本人の間で回覧されていただけでなく、モザンビーク経済開発省のサイトにわざわざアップされたという事実を頭においてもらえれば、何がどう「ショッキング」なのかは分かると思う。そして、彼女は、プロサバンナ事業のブラジル側のコンサルタントを務めていたFGVの博士課程に在籍していたことも付け加えておきたい。

この時期から、世界各地からひっきりなしに論文の執筆やら本の共同執筆やら共同調査やら、インタビューやらを依頼されるようになり、次に出したのが以下のもの。論文というよりは、「研究ガイド」として、研究手法の問題と解決策を丁寧に記すとともに、読んでおかなくてはならない論文や資料などを網羅したので、本来はこの論文を読めば私にインタビューする必要などないのであった。


丁度、大学も辞め、ようやくメールによる追跡からも解放されて、隠居していたところ、今度は市民社会を経由して、あれやこれやの手法で世界中の「若手研究者」から「インタビュー」の依頼が頻発するようになった。私に対してだけでなく、日本・ブラジル・モザンビークの市民社会の関係者にもインタビューの依頼が殺到し、その内、それらの「インタビュー者」の中に、政府関係者から送り込まれた「若手研究者」がいることが明らかになった。

あるいは、「修論/博論のため」「現地の人びとのために研究してます!」といって、結論が決まっていて、あとは自分の都合のよい裏とりをしたいだけの「若手研究者」に遭遇することが頻発していった。

自分や体制維持のための「研究」・・・。
植民地支配や戦争の研究をしていれば普通に遭遇することではあるが、21世紀である。
研究者を育てる仕事を辞めていたからかもしれない。
あるいは色々な意味で疲れていたのかもしれない。
体制が利用する、あるいは世界の裕福な立場にいる若者の趣味的感覚で行われる「研究」なるものに絶望してしまった。

もう見知らぬ人からのメールは開けないことにした。

すると、ある「日本人の若手『研究者』」が、あるテレビ局に務める私の元ゼミ生の上司を経由して、質問票を送ってきたのである。そもそも、わたしの元ゼミ生をどうやって突き止めたのか。彼女の上司を経由することについて、何の問題も感じなかったのだろうか・・・。ましてや、このテレビ局、JICAモザンビークで数々のプロサバンナ事業の問題契約に関わった人物の古巣である。

もし皆さんがそのような事態に巻き込まれたら、どんな気がするだろう?何か得たいの知れないものが近づいてくる感じを受けないだろうか?

それでも気にしないようにしていたのだけれど、この投稿を書く決意をしたのには理由があった。その日本の「若手『研究者』」が、3カ国民衆会議のプレイベントに現れたからである。植民地支配下のモザンビークに、解放軍とともに入った写真家の小川忠博さんの映写会でのことだった。その映写会のタイトルは、「モザンビーク農民の『No』の歴史的ルーツを辿る」。
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-25.html

ここに彼女は現れて、モザンビークでプロサバンナ事業の調査をしている研究者だと自己紹介をしたのち、自分が出逢った人たちは「殆ど皆がプロサバンナに賛成」なのだけれど、そういう人達の声はどうするんですか的な質問をしていた。

質問を受けたJVCの渡辺直子さんは、社会にいろいろな声があるのは当然で、自分がひとりの人間として、どのようになぜそれぞれの声を受け止めるのかを考えて、自分はNOを選択した農民らに寄り添っているとの発言をした。

それはそれでいいのだが、この女性の名前を聞いて、彼女が某テレビ局を通じて私にコンタクトしようとしていた人物だと分かった。そして、すでに現地の学術界や市民社会で問題を引き起こしていたことを思い出した。モザンビークからの説明によると、以下のような経緯で彼女は「有名」になっているという。

まず、この女性はテテ州の鉱山開発問題について英国の大学院の修論を書くために「現地調査」をしようとした後、モザンビークの市民社会の中でも「プロサバンナにノー!キャンペーン」の最前線に立つ団体に、プロサバンナに関する調査の協力とリサーチャーとして在籍させてほしいと要請を出したという。この団体は、世界中の若者の調査をサポートして散々な目にあっているため、研究目的やプラン・手法の提出を要請した。「自分のための研究」をしたいという傾向が目についただけでなく、「何かおかしい」と直感し、断ったという。

次にこの女性がコンタクトをしたのが、OMRであった。
OMRは、2015年6月に私が所長を日本に招へいして以来、JICAがプロサバンナにどうしても引き入れようとあの手この手を使って働きかけを続けている研究所である。私が以上の英語とポルトガル語の論文を出している研究所でもある。

OMRによると、この女性は修士論文で「マプートの橋に関する研究をしたい」から席をかしてほしいということだったので、席を貸してあげたという。(この時点で市民団体にはプロサバンナについて研究したいと言っていた点と矛盾がある)。しかし、お金はあげていないので、どうやって物価の高い首都で生活しているのか分からない状態だったが、2,3ヶ月して途中いなくなった。そして、帰ってきたら突然「プロサバンナの研究がしたい」と言い出した。すでに席をおいていた状態だったので、拒否はしなかった。すると、ある日、許可をしていないのに、研究所内にJICA関係者を招き入れるようになった。まさに同じ時期にJICAはOMRを繰り返しプロサバンナ事業に協力させようと躍起になっており、この女性も度々、JICAは悪くない、JICAに協力すべきと口にするようになった。あまりにおかしい上に、JICAの仕事をしているようだったので、席を返すように伝えて、関係をきった。

なお、OMRに席をおいている間に第3回民衆会議にも現れたという。

するとこの女性は、今度はモザンビークの別の研究所の研究大会に現れて、「現地調査の結果」として「プロサバンナ事業への反対は首都の者であって、北部の人は迷惑している」といった主張の研究報告を行い、皆を驚かせたという。(なぜなら、これは日本大使館とJICAが、契約したコンサルタントを使って、独立系の新聞社に書かせた記事と全く同じ主張だったから。*詳細はまた今度)。

すでに、この日本の「若手『研究者』」がJICAとの関係が疑われたためにOMRから追放されたことを、直接OMRから聞いて知っていたモザンビークの市民社会関係者は深刻に受け止めたという。実際、この女性によると、「キャンペーンへの出入りが禁止された」という。さらに、別の関係者は、この女性が、プロサバンナの事業を請け負うモザンビーク北部の市民団体(プロサバンナ推進派)で仕事をすると言っていたと聞いて、懸念しているとのことであった。

それから数ヶ月後、この女性は「3カ国民衆会議」にあわせて日本に戻り、プレイベントに現れたということになる。

以上は彼女の側からの話ではないため、一方的な部分もあると思う。ただし、複数のソースによる指摘、実際の彼女の言動や書いているものを踏まえたとき、そのいずれもが、ある一定の方向しか示していないことは明らかである。それは「JICAの主張に根拠を与える」ことであった。多くの「若手研究者」が時にやるように、結論から「実証」を引っ張る典型的な手法である。

NGOも同じような手法を取っているように見えるかもしれない。しかし、実際は決定的に違う。それは、上記の渡辺さんの説明にあるように、彼女は自分の立場を認めた上で、その立場を取るに至った理由を説明しているからである。つまり、彼女が結論として導いているのは、彼女の立場にすぎない。一方、「研究者」として現れた「日本の若手『研究者』」は、自分の立場は明らかにしないし検証もしないままに、あたかも「第三者」で「独立」しているかの前提で、「調査結果から●●がいえる」との結論を導いている。しかし、以上の複数ソースが投げかけている疑問は、「彼女はプロサバンナ事業において第三者ではないのではないか?」というものであった。

その問いに真正面から答えずに、プロサバンナ事業の研究を今後続けていくことは、彼女自身にとっても辛いことであろう。正直なところ、彼女が自らのバイアスや立場性を明確にした上で論文を書くのであれば、それでいいと思う。

私は、以上に紹介した二つの英語の論文で、原発事故後の日本で(ある意味ではコロニアリズムの後の現代において)、もはや「第三者性」という立場がとれるのかを私自身が問う中から、すべての研究者がもっている認識や立場の限界やバイヤスを明確にし、しかし事実関係においてはとことん実証的であろうと務めるべきだと主張した。プロサバンナ事業に関わって、研究者としての時間や立場は、必ずしもポジティブなものばかりではなかったが、自分を「無色透明の有り難い研究者様」という楽なポジションから引き摺り下ろして、言論をする難しさを日々試行錯誤する機会には恵まれた。「研究者ぜん」としていては見えない矛盾や闇が、自分の肌感覚に迫る切実さで理解できるようになった点は、大きな収穫といえる。それだけに、事実を掴むこと…へのこだわりはさらに強まった気がしている。

彼女から反論があれば歓迎したいし、ブログに掲載したいし、私が間違っていれば訂正を書きたい。なので、ぜひ真実を教えてほしいと思う。

そして、これは、何年も何年も、卒論から修士、その後ぐらいの人に言ってきたことだけれど、もしかして言われたことがないのかもしれないので書いておきたい。

そもそも終っていないもの(特に社会内に対立があるもの)を研究することは非常にリスクを伴うことであり、研究手法が確立できていない経験の浅い人は、きちんとした指導が受けられないのであれば、避けるべきテーマであることを伝えておきたい。もちろん、若い人であればあるほど、今動いているものを研究したいだろう。社会学や文化人類学であれば今まさに動いているものを対象にするしかないかもしれない。けれども、研究者の「目に見えている」と思われる現実を、十分にコンテキストに入れることができるだけの先行研究や資料や自らの視野の広さ深さがない人が、「目に見えたこと」に基づいて結論を導き出したときに生じる問題を、今一度念頭においてほしい。もちろん、動いているものから考えて、そこから広がる研究をしている人達も、特に京大には沢山いるのだけれど、あそこにはそのような手法を支えるだけの教育の土台がある。

ネット時代、社会対立を生み出している案件やテーマであればあるほど、終っていないものを研究するということは、ただの学生の論文であっても、火種に関わり、予期していない悪影響を社会にもたらすことなのだという理解が不可欠である。あるいは、社会に影響を及ぼすために研究をしているとすれば、その前提が問題なので、いますぐ研究界から足を洗った方が良いと思う。そういう人はぜひ実務の世界に行くのが良い。残念ながら、真理を追求するという研究の原点は、シンクタンクやロビー団体的な研究所の勃興によって時代遅れにされているかもしれない。でも、「研究」や「研究者」が今まで以上に悪用される時代になったからこそ、研究者もまた自己点検ができるほどに鍛錬しておく必要がある。

さて、長くなった。
プレイベントの際の彼女の質問に対して、私が研究者としてした発言を要約すると次のようなものであった。(とはいえ記憶に基づくので正確ではないかもしれない…)
1)研究として調査した結果ならば、いつどこで誰がどのような状況で何を理由としてどう答えたのかを明確にする必要がある。そして聞いた側との関係はどのようなものであったのか。
2)そもそも、この研究を始めたのは何年からか。実際は、農民がプロサバンナに異議を唱えてから6年が経過し、調印から10年以上が経っている。
3)2、3年前からのみ研究しているのであれば、それ以前をどう把握するのかが重要になってくる。
4)例えば、イベントのテーマである植民地支配下の解放闘争を例にとると、武装闘争は1964年から10年続いた。その最後の2,3年に研究を始めて、現地に行ったとする。小川さんのように解放軍と一緒に入るのでなければ、現地は植民地支配の下で訪問し、調査することになる。そのような状態で、「現地の人びとにインタビューしました。多くの人が賛成していました」という調査結果を得るのは当たり前なだけではなく、国境の向こうで戦う人達を支配者がいうように「テロリスト」として追認することになりかねない。「自分の目で見ました、聞きました」に頼る危険はこの点にある。
5)研究者は、このような状況を回避するために何をすべきなのか。10年あったことの最後の段階にしか自分が関われていないという限界を認識し、その前に歴史的に培われてきた構造、環境の文脈をしっかり掴む必要がある。
6)プロサバンナでいうと、調印から数年後、農民が反対の声をあげてから何があったのか?誰が何をしたのか?してきたのか?たとえば、「賛成している人」という人達は誰なのか?
7)2013年から現在まで、JICAが市民社会に介入するために地元コンサルタントを雇って、市民社会の調査を行い、分断してきた歴史的事実、賛成することでJICAからコンサルタント契約をもらい、お金をもらった人達の存在とどう関係しているのか?その人達の「意見」をどのように評価すべきなのか。研究者であれば当たり前に検証されなければならない点であるが、それがされているのか?
8)ただ「賛成している人もいる」ということを結論としていうことで、どのような影響を及ぼしかねないかについてどのようにリスクを把握しているのか。

みたいなことを言った気がします。
彼女の大学時代の先生を知っているからこそ、とても残念で、まだ遅くないから彼女に気づいてほしくて詳し目に書いてみました。

彼女に届くことを祈りつつ。
なお、以下のチラシはもう終ったイベントのものです。
そして、以上の7)についての実証研究は、岩波書店の『WEB世界』に連載中なので、そちらをみていただければ。
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461

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# by africa_class | 2018-12-03 01:21 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ