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カテゴリ:【考】民主主義、社会運動と民衆( 24 )

ヨーロッパの少子化対策(その1):フランス出生率回復理由への日本の驚き〜「失われたものがあるのなら…」

介護の話の続きを書くはずだったのですが、あれから急展開があり、義母がホスピスに転院し、そして穏やかに旅立っていきました。なかなか喪失感から立ち直ることができず、続きを書くまでには回復できていないので、今日はちょっと違う話題を。

ずばり「ヨーロッパの少子化対策」。
いや、予めお伝えしておくと、私はこの専門家ではないのです。
妊婦から現在まで18年ほどヨーロッパと日本とその他の国々を行き来する中で、いろいろ考えてきたこと、学んできたことを、今出てきている記事やデータや調査資料・論文を踏まえて紹介しているにすぎません。

でも、ツイッターで一つの記事を紹介しただけでエライことになったので、おそらくこの話題については、皆がもっと知りたい、議論したいと感じてらっしゃると思われるため、一応整理の意味で昨日と今日の2日間で書いたことを記しておきます。

あまりにニーズが大きいようなので、ヨーロッパの介護事情とともに、教育と少子化は調べて紹介すべきだろうと確信していますが、今現在はその余裕がほとんどなく、世界の最前線で生きるか死ぬかの状態の人びとのサポートを優先させて下さい。

また、今あらゆる原稿や翻訳が山積状態なので、、、乱筆お許しを。年末年始の騒動でほぼ動けない状態だったので、そのツケが年度末の今に押し寄せています。

さて、私が紹介したのは次の記事でした。

出生率が上がった。フランスが少子化を克服できた本当の理由って?

ハフポスト日本版編集部 2016年11月11日 22時23分
http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/11/work-or-child-rearing_n_12910186.html

「フランスでは、1994年に1.66と底を打った出生率が、2010年には2.00超まで回復した。少子化に悩む先進諸国の中で、なぜフランスは「子供が産める国・育てられる国」になれたのか。


約7割が取得する「男の産休」、全額保険でカバーされる無痛分娩、連絡帳も運動会もない保育園――。働きかた、出産や保育の価値観、行政のバックアップと民間のサポート。日本とはあまりに異なる点が多いフランスの出産・育児事情から、私たちは何を学べるのか?


フランスの育児システムについてレポートした『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮新書)を上梓した髙崎順子さんと、作家・少子化ジャーナリストの白河桃子さんの対話から、少子化脱却のための方法を探る。」


なので、この記事と新書を読んでいただければ良いと思います。

なかには色々な政策的なことや社会のこと、ご自身のことが書かれていて、面白いので各自で読んで下さいね。私はこの長いインタビュー記事を以下の140文字で紹介しただけなのです。


フランスの逆転ポイントはここ>

「もし子供を持つことで失われるものがあったら、それは全て政府が補塡します」と。

仏では「男性が途中でいなくなっても、仕事を失っても、あなたの子育ては大丈夫ですよ」という政府のメッセージが女性に届いたから安心して産める。」


これが8000以上の人にツイート(RT,いいね)されているということは、これに相当な感想をもった人が日本に多かったということになるかと思います。


いまいちそれぞれの数値の意味が分からないですが、記録のため、以下貼付けておきます。

インプレッション 396,150
エンゲージメント総数 15,243


さて。重要なのは、このツイートに接してどのようなコメントがきたか、という点。

圧倒的多数が、次のようなものでした。


1)びっくり驚いた

2)羨ましい!

3)日本では考えられない、無理

4)日本はダメだ、地獄


さらにいつもと違っていたのは、引用コメントの多さでした。

とにかく具体的に、女性たちがそれぞれの経験談を語ってくださいました。


とくにこれらの女性に鍵となった言葉が「失ったもの」の部分でした。

そして、「●なしでも大丈夫」の部分。


しかし、女性たちは、たった140文字の枠の中で、その辛さと憧れと諦めを同時に表現していたのです。日本時間では、夜中であろう時間帯に。見知らぬ人達に向けて放たれたつぶやき。一人残らず匿名の声。


このことの深い意味に、私は強く心を動かされました。

私自身が、学生時代に身籠り、日本で子を産み、育てた一人の女として。

結婚し、離婚した者として。

もっとたくさんのものを「失った」母や、祖母や、叔母や、曾祖母や、それに連なる女たちの末裔として。

世界で今日も「失ったもの」を独り、誰知れず、黙って抱きしめる女たちの、

あるいは、「失ったもの」を考えまいとして、がむしゃらに「母」をやってきた女たちのシスターとして。


誤解しないでほしい。

私がそうであるように、女性たちも、母たちも、みな「得たものの方が大きかった」と感じていることを。もうすぐ50年生きたことになるが、子を産み育てる以上の感動に、私は出逢ったことがない。そして、あの赤子がすくすくと成長し、もう旅立ってしまおうとしていることにとてつもない寂しさを日々感じていないとすれば、それは嘘になる。


そして、そのプロセスにおいて、父親を含め、沢山の人達や社会のサポートを受けていなかったかというと、そうではない。確かに受けていたのだし、息子にとって父親の役割の方が今となっては大きい。


ただ今日伝えたかったのは、少子化のことをアレコレいいたい人がいるのはよく分かるし、男性にだって沢山の辛い想いや失ったものの話もあるだろうし、政府だっていろいろやってないわけではないというのも分からないわけではないのだが、一言で表現するならば・・・


そこじゃないんです、きっと。

次の子を産まない・産めない理由は。

あるいは、子を産もうと思わない理由は。


そして、それは当事者の女性が、ぎゅーーーーと心の中で無意識にも意識的にも握りしめていて、決して外に出てこない部分なんだということ。


日本ではね。


でも、フランスではあっけらかんとしてこれが発っせられ、それに「政府が」対応するという。


そこなんだと思う。


自分を説得する必要も、夫やパートナーを説得する必要も、ましてや姑や親、会社や社会やその他を説得する必要がない状態からスタートできるとすれば、それはすごいこと。


「ああフランスだからね」

と女性たちは共感の次に、自分の境遇に戻っていく。

つまり諦めの。

なす術も、変える術ももたず、孤軍奮闘するしかない存在として。


でもね。フランスだって1994年には少子化がどうしようもないところまで行こうとしていて、出生率は下がる一方だった。北欧諸国はもっと早く70年代にこの傾向がはっきりしてしまっていた。


それを跳ね返していったのは、やはり当事者の声だったのです。

「失ったもの」を自己責任、家庭の責任にしない。

ナニカを失うとしても、それを社会全体でサポートしようよ。

否。サポートできる社会に変えていかねばならない、そう気づいて立ち上がった人達がいた。

女性だけでなく。


だって子どもは社会の宝だから。

お母さんだけの、親だけのものではなく。

子は子として命をつないでいってくれる。社会を続けていってくれる。


社会全体の継続、発展にとって、子ども・若者は必ず必要だということを、昔は言わなくても分かっていたものを、今は一人ひとりが他者や社会と断ち切られた関係のなかで生きざるを得ない傾向があるために、あえてこのことを言語化しなければならない時代となっている。


そして、介護の話もそうだったけれど、少子化の話題でも、日本からのレスポンスの根っこは同様だった。つまり、「私たちが決定権を持つ主体」という理解、「私たちの手で原状を変えることができるんだ」という前提が、まるでないという点。


反応の5)は、ズバリこれ。

「政府に、政治家にきかせたい」


もちろん、この政権が無策すぎたということもある。

そして、今の少子化対策と称しているものが、いかに当事者のニーズや想いからほど遠い、あいかわらず自分たちの利権と思いつきの産物かということも。


しかし、じゃあどうして今の政府や政策や政党・政治家がこのノリなのかというと、私たちが文句をいうか諦めるだけで、何もしてこなかったからなのだった。フランスだってスウェーデンだって、少子化がどうしようもないところまでいったことがある。そのときに、政府だけでなく、人々が変えるたい方向に政策を変えようと働きかけを続けたことが大きかった。


民主主義とは、本来こうなんだ。

人々の「こういう社会にしたい」という想いを実現するための制度。

王様や「お上」が決めた社会を耐え忍ぶためにあるんじゃない。

形だけの選挙のためにあるんじゃない。


私たちの「困った…」「もっとこうすればいいのに」を政策という形で実現するために汗をかくのが、政党・政治家・政府・官僚であり、その第一歩として、私たちは声をあげるしかない。


それが例え夜中の匿名のつぶやきであっても、考えていることを、ぎゅーっと抱きしめて唇をかみ続けるのではなく、あるいは、もはや不可能で無駄なこととして見なかったふりをして、なんとかやり過ごそうとするのであれば、私たちより状況の悪い人達、あるいは私たちより若い人達に、もっと過酷な未来を手渡すことになる。


そう。私たちは権利もあるけど責任もあるのだった。

それは今の政権や与党のいうような「義務」ではなく。


日本の政党も政府も変えてあげなければならない。

もう長い間同じメンツで、同じやり方でやってきて、変わることができない以上。

つまり、「こうしてほしい」をどんどん伝えていくところからはじめてみよう。


本当は別のことを書こうと思っていたのだけど、最後にこれを。
ここまでの話から相当逸脱するので、みなくていい人はここまででだいじょうぶ。

でも、「子は社会の宝」と私がいうとき、それはある地域社会内、あるいは一国家内だけのことを念頭においているわけではないことを書いておきたい。それは、単に自分の子が国境をまたいで存在しているということによるわけでもない。もっと長い、長い時間の経過のなかで考えてのことだった。

**


私たちの祖先は700万年かけて進化した。

私たち・ホモサピエンスに至っては、ほんの20万年前にアフリカのわずか数百人から数千人の人々が世界に拡散したものだと言われている。


ある小学校の規模の人々を想像してほしい。

そんな規模のヒトが、命の灯を絶やすことなく、バトンを手渡すように、命をつないできた結果が、今世界にいる私たちの存在なのだということを思い出したい。


ヒトの母さんは、この命のリレーのつなぎ目にあって、何十万年かけて受け継がれてきた不思議を次につないでいる。もちろん、男性あっての命のリレーなことは大前提。ただ、ほ乳類であるヒトのお母さんが背負っているものの大きさを、男性を含めた社会全体だけでなく、お母さん自身も、少し想像してもらえると良いなと。


本当は、そのほかきた移民の出生率押上効果のことなど書きたかったけれど、今日はこれで終りましょう。


氷河期やら干ばつやら、ありとあらゆる危機を乗り越えても、命を受け継いできてくれた、今は亡きたくさんのお母さんやお父さんや、その他の人々に感謝して、、、仕事にもどります。


私が受け継いだ命は、仮装してカーニバルでどんちゃん騒ぎしている夜のことでした。

もうすぐ18歳。成人です。


写真はクリスマスに遊びにきた友人の子どもたち。

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by africa_class | 2018-02-10 07:00 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

ドイツで家族が寝たきりになった時の介護はどうなるのか?(1)

ずい分サボってました。
が、息子の日本での写真展にご協力、ご来場、ご購入いただいた皆さま、心から感謝申し上げます。帰国したと思ったら、義母が突然の緊急入院で危篤状態になり、年末年始は病院と家の行き来でした。

さてツイッターで少し書いたら、すごい反響だったので、たぶん日本の皆さんは日本以外の介護の実態をあまり知らない、あるいは知りたいと思っているご様子なので、あくまでも個人の経験ということで少し紹介しておきます。

今各種の本の執筆と出版に向けた作業、翻訳・・・(社会活動は前提として)で大忙しでして、とにかく年が明けて、農繁期が目前に迫り、此の2ヶ月が勝負なので、、、政策や別事例を調べるのは多分来年になりそうです。どこかの新聞とか専門家がしっかり調べ、一般向けの発信をすべきと思いますので、どうぞ社会的関心が非常に高いということで、よろしくお願いいたします。

まず、昨日、以下のTWを送りました。

「危篤だった義母が奇跡的に退院見込みでケアマネとの面談。在宅介護を奨励のドイツでは、家に引き取ると、2日以内に電動ベット等必要物が届き、1日3度のカリタス専門家の訪問(排泄物処理・医療対応・風呂)、2千ユーロ(27万円)が家族に支給。すごいわ…。政策が現実に活きるって、そういうものよね」

その後、以下の訂正を入れているのでご確認下さい。
1)この2千ユーロ弱*正確には1995ユーロ(27万円〜28万円)は、介護サービスの提供組織に支払うために家族に支給される。家族の手元には残らない(残してはいけない)。
2)他方、介護サービスを受けずに家族が介護する場合、毎月900ユーロ(12万〜13万円)が家族に対して支給される。これは家族が好きに使っていいお金。

*おむつ代の補助などは未だ調べていません。
*換算レートは135円から140円(今円安です)。

その後の追加情報。
3)義母は退院時は要介護の6段階で最上級(5)となる見込みで、それを踏まえた計算。
4)以上の現金支給は介護保険からすべて出される。
5)介護保険は加入が義務づけられており、その介護負担額は、その人の所得に応じた負担。
6)義母は10月の入院前は要介護2(6段階で真ん中)で、緊急時ケア付きアパートに暮らしていたが、別居家族でも介護の支援を行う人には月315ユーロ(4万2千円〜5万弱)が支給されていた。
<ー家族らが話し合い、義母のアパートの家賃に充当していた。

ちなみにドイツの子ども手当は、2018年度は次のような数字だそうです。
以下のブロガーのサイトにあった数字なので、公式発表を皆さんでご確認下さい(今時間がなくすみません)。でも、大体そうじゃないかなという数字です。
https://dj-finanz.de/post-5019/
1)一人目と二人目:194ユーロ、(2.5万円ぐらい)
2)三人目:200ユーロ(2万7千円ぐらい)
3)四人目:225ユーロ(3万2千円ぐらい)
つまり、4人いると、月額813ユーロ(10万円から12万円弱もらえます)

*ついでに、親一人当たり9000ユーロの税控除があるそうです。
*手当は18歳までだけれど、子どもが大学に行っていれば25歳まで受給可能だそう。(23歳だと思っていたのですが、これもまた調べて必要に応じて訂正入れます)

さて、いただいた反響の代表的なものが以下のもの。順不同。
1)羨ましい。
2)それなら在宅介護もできる。
3)日本じゃ無理。
4)税金高くてもこんな安心もらえるのなら是非。
5)日本の今の政権は弱者切り捨てで、逆の方向に邁進中。
6)日本では家族の責任にされる。
7)財源は?
8)高齢者が増えすぎたら?

さて、最後の二つの点は詳細についてはまた調べて紹介しますね。
でも今の時点でいえる重要なポイントは、すでにTWにも書きましたがこういうことです。

・人口動態は前もってわかること。
・国家・政府・政治の役割は未来予測を踏まえ、手(対策)を打つこと。
・当然少子高齢化が問題とわかったために、子ども手当を大幅に拡充し、子育て世代への支援に乗り出した。
・育休は3年が権利である。

(女性を子どもだけと家に閉じ込める制度になったために逆に少子化になった点もあり、子育て世代の選択肢を増やす方向に舵きりをした。東ドイツ出身のメルケル政権が誕生したこともあり、保育園の整備や制度の推進などが進められてきた。)

・とはいえ、急激には変化は期待できず、少子高齢は問題。そのため、EU域内からの移民の受け入れを積極的に行い、労働人口を増やしている。

(難民問題は複雑なので、ここでは取り上げないが、積極的受け入れを産業界や政権が行っている背景に少子高齢問題があることは否定できない)

あとは、根本的な考え方・アプローチの違いを指摘しておきたいと思います。
1)子育ても介護も、社会全体の課題。
2)家族がやって当然ではなく、それを支える家族を社会が支えようという発想。

(*ただし、子育ては母親が3歳まではすべきという強固な伝統概念がつい最近までは根強かった。が、少子化になって、この路線を変更し、父親の育児参加と保育制度の拡充、女性の社会進出を保障していくことが子どもが生まれると考えられるように)

3)この根っこには、国家と国民の直接的な契約関係(憲法)の意識あり。
4)つまり、主権在民。国家・政府・政治は、主権者である国民に奉仕するためにある。
5)介護や子どもの問題は個人の問題である以上に国家・政府・政治の問題。それを放棄するのは契約違反。
6)あとは、政治はこのようなニーズのためにあり、変えられる。
7)不満があれば、政治にぶつけ、政府や政策を変えればいい。
8)それもせずにただ政府に任せてて権利が獲得・守れるわけがない。おかしいことには声をあげる。あげ続ける。

最後に、働く理由が決定的に違っている気がしています。
・今働くのは生きるためであるが、休暇を愉しみ、年を取ってから休むため。
・働くために働くのではなく、会社のために働くのでもない。
・税金が高くても、将来の安心のためであり、その安心を全体で支えているため。

他方、ドイツにも問題が山積しています。
おかしなところもたくさんある。
政策的におかしなところも。
自動車産業との癒着による排ガス規制の見逃し問題!!
でも、日本みたいな税金の使い方はしていないのは事実ではあります。

例)高齢者がほとんどになるのに何兆円も使ってリニア新幹線を走らせようとか、原発事故起こしたのに政府保証や融資をつけて原発を海外輸出とか、国有財産をお友達に安売りとか、海外にじゃんじゃかバラマキとか・・・。そんなことしたら市民が黙っていない。なんせ、ストライキも普通に日常ですから。

また、煩い市民の目・チェック機能があちこちにある。
そして、心理的に全面的な降伏状態にある国民・・・はほとんどいない。
良くも悪くも皆さん一家言あり、投票に行ってます。

実はうちの町は、保守が強い地域で、CDUの建設会社の社長が一時的に市長をやって、とんでもない癒着・業界利する政治を行いました。それで借金が膨大になり、市民へのサービスを削らなければならない事態になった。

これは今日本でおきている現象と極めて似ています。

それでどうしたか?

30代のSDPの立候補者が、「汚職撲滅、クリーンな政治、住民のための市制刷新」を掲げて選挙に出て当選。
前市長が購入した何千万もするベンツを売り払い、自転車で市役所に通い、数々の財政再建政策を行うとともに、市を活気づかせるためのイベントを地域のミュージシャンやアーティストや住民組織とともに開催。年末には、旧市街にアイスリンクを設置し、そこで市制討論会(市長になんでもぶつけようの会)を開催しています。
現在、極めて高い支持率をもらい、再選が確実です。

このような若者を育て、支える土壌を、日本でもつくっていきたいですよね?

問題があるから無理だ・・・ではなく、問題があるから政治や政府があるのです。
問題がなければ、税金を払う必要はない。
税金はそのためにあるのであって、使途も含めて、その権限を市民が取り戻す必要があるのです。

日本は、すべてを自己責任・家族の責任に押し付けて、政府は本来の仕事を放棄し、税金の使途や政治のあり方にフリーパスを手にしようとしています。それで、既得権益を有する人達や余所の国の皆さんと好きなように最後にのこった国の財産をむさぼり食い尽くし続けたい。文句をいわれることなく。。。

国民・市民・住民のための政治・政策・政府こそが、世界の民主主義国家、日本の憲法の第一原則である主権在民の原点です。政府が私たちに諦めさせようとするのであれば、私たちは諦めてはならないと思います。

政治は変えられる。
いや、変えねばならない。
そして、与党やメディアもふくめ、市民の声をどんどん届け、教育する必要があるのです。
彼らもまた変われる、変わるべき存在。
それを忘れず、声をあげていきましょうね。

*なお介護施設は所得に応じて入れる施設と入れない施設があり、また負担額も個々人の事情に応じてまったく違います。義母は年金と持ち家があったので、探すのも、入るのも、月々の負担もそれなりに大変だったようです。そして、私たち家族は、1年の大半をバラバラに世界のあちこちで過ごすので、現実的には在宅介護は不可能な選択なので、ここから施設との調整になっていくと思います。そこらへんもまた続報でお伝えします。


写真は4年に1度、ある農村コミュニティが主宰して開く「じゃがいも祭り」の様子。終了間近にいったので閑散としていますが、日中は人でいっぱい。村の子どもたちがゴミチームを結成し、7歳ぐらいから9歳までが一生懸命ゴミ拾いしてました。

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伝統的な織物やカゴも販売されていた。



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by africa_class | 2018-01-11 19:08 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

ブラジル人神父ら22名の市民社会メンバーがジンバブエで投獄:ブラジル民衆運動とアフリカ

ただ今、ブラジルから連絡があり、全員が釈放され、ブラジル領事館にいるようです。(2017年11月10日現在)


ブラジルのラジオに流れた解放された鉱山被害運動MAMの女性リーダーのお父さん(国会議員)の感謝メッセージを聞きました。これがブラジルの政治史を振り返りながら、現在のジンバブエの政治社会状況を懸念する内容で非常に面白いのですが、娘の活動を「誇りに思う!」「この機会で彼女がいかに世界の皆とともに歩んでいるのかはっきりわかった」とのメッセージを発していて、人道支援をしていたり報道のためにイラクにいて人質になった日本の方々が集中バッシングを受けたあのときを思い出して、「あっ!これは本当に重要なメッセージ」と思いました。余裕があれば(ないが)、全文を訳したいと思います。


あと、お父さんのメッセージで、アフリカ中の大司祭やヴァチカンとルーラ大統領が直接ムガベ大統領とその周辺に働きかけたことを知り、さすがブラジル…おそるべしブラジル社会運動…と改めて思いました。(2017年11月12日現在)


昨夜、ブラジル人神父ら22名の中南米の市民社会メンバーがジンバブエで投獄された、ヘルプー!という情報が駆け巡り、夜中まで(ブラジルとの時差で…)、アフリカ<=>ブラジル<=>ドイツで、対応に追われていました。

すでに、BBC Brasilが第一報を流しています。


このブログとの関係では数点指摘しておきます。


【中南米の社会運動の活性化】

1)アフリカに先行して加速度的に進んだブラジルや中南米における鉱物資源開発やアグリビジネス投資による土地収奪問題は、住民や市民の側での主権者意識を目覚めさせるとともに、抵抗運動を育んだ。

2)これらの当事者・社会運動(労働者やその他)、それを支える教会、市民社会、学術界の連携は、時に国家権力をも掌握し、労働党政権や先住民族出身者の大統領選出などの動きを生み出した。

3)中南米における、社会運動と国家・政府・与党との結合は、多くの先進的な法制度や国家事業をもたらし、国際レベルでの各種の権利宣言の採択(先住民族に関する権利、開発の権利、現在の小農と農村で働く人びとの権利など)を実現した。

4)他方で、市民社会スペースの国家権力による介入の余地を生み出したり、選挙でこれらの連携先が負けると、報復に社会運動の弾圧が行われるなどの出来事が生じている(ブラジルの今)


【ブラジル社会におけるカトリック教会の役割】

1)以上の流れにおいて、「解放の神学」、カトリック教会が果たした役割は非常に大きいです。

2)軍事政権下で唯一、ある程度の自由がきいたのが教会でした。

3)そこで、おおくの運動が教会二庇護される形で進められました。

4)中でも、土地収奪と闘う教会の運動は、先駆的な試みを多様に駆使し、世界的に大きな影響を及ぼしました

5)土地紛争のデータの統計化、分析の一方で、社会の隅々にある教会のネットワークを通じて、危機が迫ったり、権利が剥奪された人びとに即座に対応しています

6)教会は住民と学者たちや様々なアクターの繋ぎやくもしています。

7)また住民のエンパワーメントのためのセミナーをあらゆる方法で行っており、問題だけでなく、その先(アグロエコロジーや食料主権の実現)のための活動も活発に行っています

8)何より、教会組織は世界組織でもあります。世界と連携しながら、情報を世界に発信し、また世界の支援を受けるなかで、自らの経験交流を各地に広めています。

9)最後に、ブラジルのカトリック教会が土地問題に深くコミットするようになったのは、セラードに日本とJICAがもたらしたPRODECERとの闘いによってでした。


【中南米の経験をアフリカへ】

1)以上の1990年代から一歩ずつ駒を進めてきた中南米における社会運動の経験は、ポルトアレグレでの世界社会フォーラムで、一気に世界に知られるようになりました。

2)そこで、アフリカ市民社会運動との交流も始まっていたのですが、その段階では「繋がっているだけ」という傾向がありました。

3)しかし、これまた皮肉にも、三角協力として開始したプロサバンナ事業、そしてモザンビーク北部でのVale社(三井物産)の石炭開発事業が、ブラジルとモザンビークの民衆同士を繋げる大きな役割を果たしました。

4)ポルトガル語同士ということもあり、これまでにない動きが生み出されています。


*この様子は、以下のFBでも紹介されています。

http://bit.ly/2vimdhk


5)特に、鉱物資源開発と大規模アグリビジネスの土地占領に抵抗する人びと同士で、大西洋を越えた連携が進んでいっています。


【今回の事件】

BBCの報道によると、次のとおりです。

1)この流れの中で、ジンバブエで金やダイヤモンドの鉱物資源開発に苦しむコミュニティのエンパワメんとのために、ブラジルと中南米から経験交流に22名が訪れていたそうです。

2)ブラジルからは、セラードでの農業開発、とりわけPRODECERとの闘いで最前線にたって頑張ったカトリック神父さん、ロドリゴ・ペレ神父(土地司牧委員会CPT)、鉱山被害運動(MAM)の2名の代表が地元コミュニティを訪問していたようです。

3)この中には、3名のブラジル人の他、南ア、ザンビア、ケニア、ウガンダなどの市民社会メンバーも含まれるようです。

4)コミュニティが鉱物資源開発のために退去を押し付けられていたそうです。

5)そのコミュニティをサポートしようと訪れていたところ、中国人の鉱山主が警察に通報し、警察はバスでやってきて全員を拘束。

6)現在、投獄されている模様。

7)駐ジンバブエのブラジル大使館やその他の大使館は、ジンバブエ政府に釈放を強く働きかけているところ。


Frei e ativistas brasileiros são presos em zona de mineração de diamantes no Zimbábue

http://www.bbc.com/portuguese/internacional-41950575


<=来年の総選挙を睨み、ジンバブエの政治・社会状況が急速に悪化している中で、このことが浮き彫りにしている沢山の問題についても、この記事は詳しく述べているので、ぜひご一読下さい。


【ブラジル市民社会から世界への緊急署名活動:声明】

本日、ブラジル時間2時までに署名を集めているそうです。

*団体署名となります。


Today, November 10, 2017, three comrades were arrested in Zimbabwe: Frei Rodrigo Peret, a militant of the Pastoral Land Commission of Uberlandia, Minas Gerais state, Maria Julia Gomes Andrade and Jarbas Vieira, the later two members of the Movement of People Affected by Mining (MAM) and members of the secretariat of the Committee in Defense of the Territories Facing Mining.

The group of Brazilians were participating in an exchange activity of the Brazil and Latin America Dialogue of Peoples and were arrested with 22 more people from five African countries who were part of the same delegation. They are detained at the central police station in the town of Mutare, which lies 270 kilometers from the capital, Harare, on the border with Mozambique.

The allegation for the arrest of the group is that they were violating a privately-owned area belonging to a Chinese mining company who exploits diamonds in the region, however, the activity was carried out in a community where about 6,000 people live.

THE BRAZILIAN EMBASSY IN ZIMBABWE ha
s already been activated, and is in contact with local police to gather more information. The Human Rights Division of the Ministry of Foreign Affairs in Brasilia is also following the case. The head of the Africa Department of that ministry has also been notified.

There is great concern with the situation of political instability in Zimbabwe. Several organizations and militants are mobilizing their networks to provide support and solidarity to their peers and the whole group.

【実は他人事ではない】

いま、「儲け至上主義」の世界の各地で生じていることですが、住民やコミュニティの権利を奪う側のビジネスと結託する各国政府の傾向が強まっています。そして、それに対抗しようとする住民や市民社会の側に多大な負担と犠牲が強いられています。


このような中で、市民社会のスペースは急速に狭まっていっています。

これは、日本でも感じられていることであり、モザンビークでもそうですが、そのほかでも同時進行している状態にあります。


これを受けて、国連人権理事会では次の様なガイドブックを策定しています。

http://www.ohchr.org/Documents/AboutUs/CivilSociety/CS_space_UNHRSystem_Guide.pdf


いずれにせよ、1%のための政治経済社会が国内だけでなく世界大で形成されつつあります。

99%がそれに気づかないよう、互いに反目しあい、足を引っ張り合い、権利が剥奪されても諦め、単純安価な労働者として考える余裕も抵抗する力も失い、むしろ大政翼賛の一こまを担うようにと、あらゆる方法での精神的働きかけがなされているところです。


日本はすでにこれが上手くいったケースとなりつつあります。

そのような中でブラジルから学ぶべき点も多いのですが、だからこそ弾劾後の政権や世界の権力者たちが、ブラジルの民衆運動にターゲットを絞って弾圧に協力しあっている可能性が感じられます。


続報がきたらお知らせします。


写真は、セラード農業開発の拡大(MATOPIBA)に反対する先住民族や教会の皆さんのマーチの様子です。

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by africa_class | 2017-11-11 19:12 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

日本の「アフリカ権威主義政治化」現象?〜森友学園問題からの一考察(その1)

お待たせしました。一応「専門」なので、もう少しまとめてからと思っていたらあっという間に時間が経過。
大学を辞める直前にやっていた研究が、「民主選挙下のアフリカの(独裁)権威主義体制の研究」でした。日本国際政治学会にも論文を掲載していただいていたところで、次はモザンビークとルワンダを比較政治学的にアプローチしようと思っていたところ、色々なことが起こったといこともあるし、世界的にはすでに沢山の方が研究されていることもあり(私でなくていいやん)、止めてしまったところでした。

しかし、現代アフリカ政治学のバックグラウンドが今の日本政治の分析に役立つ(かも)時代がくるとは・・・予感あがったものの、思ったより早くきたな・・・というのが正直なところの感想です。

が、まだ日本については(も)勉強不足なので、あくまでも「森友学園問題」で明らかになった情報を、「現代アフリカの独裁・権威主義体制の研究」を踏まえて、考えたことをいくつか記します。ということで、あくまでも私としてこう解釈したという程度の試論的なものなので、頭の体操的にご笑覧いただく程度でお願いします。

で、長い説明が苦手…という方は「まとめ」を作成してくださった方がいらっしゃるので、そちらをどうぞ。
https://togetter.com/li/1092200

多分、先にTwitterに書いたことを貼付けておいて、その上で何故そう考えたのかを説明していくことにします。140文字x何回かの投稿なので、読みづらくてすみません。

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舩田クラーセンさやか@sayakafc
2017-03-19 16:48:12
ちなみに、一連の出来事を踏まえると、これは典型的なネポティズム(縁故主義)。アフリカの独裁/権威主義国によくあった/る政治手法です。つまり権力を握る者(大統領夫人含む)が自分の近辺の者に次々に便宜を図る<=未だこの用語が使われないのが疑問。

↓で、アフリカの国々のネポティズム(縁故主義)はバッドガバナンス(悪い統治)の根幹問題として、西側援助国(日本も)も糾弾。政権交代を前提とする民主化支援(野党支援)に援助を出してたのは、これが背景です。長期政権は腐敗しネポティズムが蔓延るからと。<=今の日本の政権に符合しません?

↓ルワンダ大虐殺の社会背景にはヘイト的国民運動が。これを奨励したのがフトゥ至上主義の与党。危険は「内なる敵(少数トゥチ)」とその同盟者(周辺諸国)からと煽動。世銀IMFによる緊縮財政で暮らしが悪化した民衆の不満を吸収。が、真の狙い=「民主化による政権崩壊回避」←似てますよね。

↓#森友学園 問題で分かったのは、政・官・財・教育・宗教・地域を巻き込んだ「上から下までの一大運動」が既に展開されていたということ。森友=籠池問題だと本質を見失う。この「運動」は、冗談の様だが「戦前戦中社会の復活運動」であり、改憲を頂点に着々と進んでた。運動にとり教育は肝だった。

↓だから収賄的な便宜供与問題だと思込むと見誤る。「トップからボトムまでの戦前回帰運動」として展開され、関わることで縁故者になれ、ネポティズム/縁故主義故に、様々な便宜が図られる。ルワンダ虐殺時に形成された新家産(親分=子分)国家体制に酷似。繋がった人間関係の網が持ち場で運動遂行。

↓「運動」である以上「思想」と「敵」は肝。必ずしも金銭授受の必要なし。ただ「仲間意識=縁故」とそれへの「恩・従」は不可欠で、この体制が「パトロン=クライアント/親分=子分関係」と呼ばれる由縁。親分にくっつけば怖いものなし。後「自分(国と言換え)の為に死ねる子分教育」が必要に=森友

今の日本の現象を説明できるもう一つの政治学用語があります。「公式野党」です。「競争制/選挙制権威主義」の国によくあるのですが、「野党なのに(の機能を使い)大統領や与党の補完的な役割を果たす政党」。どの党と言いませんが!
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さて、大前提としてお伝えしておきたいのは、「アフリカ=独裁」という訳ではありません。
また「未開=独裁」でもありません。

サハラ以南アフリカの古い社会では、むしろ「民主的な意思決定=コンセンサスビルディング」を重視する政治体制を取っていたケースがほとんどです(勿論例外もあります)。それが、16世紀以降のヨーロッパ世界の進出による奴隷貿易を経て、王政に移行していったり、巨大な権力をもった王が出現したことについては忘れてはならないでしょう。ここら辺のプロセスは、近刊本でも少し触れますが、『アフリカ学入門』第一部第一章を見ていただければ。

また、独立後のアフリカ諸国の「独裁」(一党支配であれ軍事独裁であれ)は、植民地支配と冷戦構造下においてなされた植民地からの独立という文脈で敷かれた体制であり、「植民地国家=白人独裁」とある種の親和性がありました。

さらにお伝えしておかねばならないのは、現在のアフリカ諸国が、この冷戦期(90年代まで)の独立国家体制を現在引き継いでいるという訳でもないということです。

冷戦後の90年代には、アフリカでも「民主化」の圧力が内外から高まり、ほとんどの国で複数政党制に基づく民主的な選挙が導入され、多くの国で政権交代が実現していきます。以来、アフリカ諸国の大半が、民主選挙制度を導入しています。

90年代以来、日本を含む西側諸国は、これを「民主化支援」「ガバナンス支援」と呼び、資金を出して応援してきました。アフリカ諸国自身も、「民主化とガバナンス改善」は、貧困撲滅に不可欠だとして、互いの評価を行ったり、大統領が憲法に反して再選を果たそうという時には「賢人会」を派遣するなど、様々な努力を行ってきました。

世紀の変わり目、2001年にアフリカ諸国の重債務が帳消しされたり、貧困半減を掲げたミレニアム開発目標が世界各国に合意され、進められるようになった背景には、以上のような「自浄努力」があってのことでした。

私は、この時期のアフリカの「民主化・ガバナンス改善・貧困削減」などに、アフリカの政府や市民社会、世界の機関や市民社会とともに関わりました。多くの国が、暴力的な紛争や対立、虐殺などを経ての平和構築の中での民主化の試みということで、すごく前向きなエネルギーに満ちあふれていました。とにかく、市民社会と女性が元気でした。

しかし、2007年ぐらいから急速に時計の針が逆回転していくようになりました。

この背景には、債務が帳消しされ、大型援助が相次ぐ中、地下資源が集中し若者人口の多いアフリカが、「地球上最後のフロンティア」としてアフリカが注目されるようになったことと関係しています。リーマンショック後の世界で行き場を失った世界のマネーがアフリカに集まったこともありますが、中国やインドの進出とそれに負けじと進出を始めた日本や西側諸国、その他諸々の国や民間のアクターたちの流入が、アフリカ政府のガバナンスを一気に悪化させていきました。

「公平で民主的なガバナンスによる健全な発展」という青写真は、あっという間に「資源投資をテコにした経済成長による貧困削減」という日本政府が大好きな青写真に取って変わられて、援助・投資合戦がアフリカ大陸中で繰り広げられました。せっかく帳消しされた債務が、再び急増していき、日本のバブルの時のように、口約束だけで次々に巨額の資金が貸し付けられるという状況が各国で進んでいきます。

そして、地下資源、農地、鉄道、港湾設備、水・・・もう国家の資源・利権で売れるものは何でも、各国エリートらによって、国内外の資本に売られていきました。マジックワードは「民営化」。90年代以降のプロセスが、加速度的に極まったのがこの時期でもあり、そのプロセスで、大統領と政権与党が、権限・権力の集中を強めていきました。

あれほど「民主的ガバナンス支援」に熱心だった欧州諸国も、リーマンショック後の経済低迷に直面する中、自国の投資に有利な条件を確保しようと、ガバナンスを重視しなくなりました。この時期、欧州各政府や委員会などに、この方針転換の問題を指摘しましたが、皆モゴモゴいうようになりました。

そして、当初は民主的に選ばれたはずの野党やその指導者、あるいは何度かの競争選挙も勝ち抜いてきた比較的ガバナンスのよかった政権与党関係者(家族を含む)が、次々に「政治家=起業家」として経済活動のあらゆるシーンをコントロールするようになっていきました。

ただ注意しなければならないのは、この現象は冷戦期の独裁と違っている点です。
というのは、どの国も、一応は複数政党制に基づく民主選挙をしなければならない。
そして選挙監視団もくるので、一応は選挙不正はバレない程度に抑えなければならない。
しかし、汚職への国民の不満は明らかなので、選挙に負けないようにしなければならない。

つまり、競争的な選挙の下で、自分たちの利権を守り抜く体制を構築する必要に迫られたのです。
そこでとられた手法には様々なものがありました。

ここで詳しく書く余裕がないのですが、この体制を政治学上の概念・用語として次の様に呼びます。
Competitive/Electoral Authoritarianism=「競争的/選挙権威主義」という体制です。
この中で日本でも参照できる面白い現象として、以下のものがあります。
1) 不平等な競争の土俵
2) 公式野党
3) メディアの操作

分かり易いので2)から。
2)は、「政府公認野党」というか、表面上は「野党」で「連立政権」には参加しないものの、実際の機能としては「政府パートナー野党」(御用野党)として動きます。彼らが共通の敵とするのが、「本当の野党」で、この野党の躍進を阻むためであればいくらでも手を組みます。ただし、表面上は対立しているように見せかけるので、手を組む際には、かなり隠された形で行われることが多いです。

1) 最後の部分と関わる点ですが、与党が「公式野党」との連携を重視するのが選挙制度や議会運用という、競争の現場(討論や選挙自体)ではなく、その前の条件づくりの部分です。与党の権限と「野党」の賛同を得て作られた与党再選に有利な制度の構築によって、「本物の野党」が政権奪取鵜するのを難しくするのです。

3) これはいう迄もないですよね。選挙の前にはお金が飛び交います。「本物のメディア」は鞭によって懲らしめます。例えば、国家の権限を使って、ラジオ局や新聞社の閉鎖、発刊停止、裁判などあらゆる手法が取られます。あるいは、取るぞとの脅しがかけられます。

飛ぶ交うお金としては賄賂もありますが、読者数が少ないアフリカの新聞では広告収入が大変重要になってきます。その中に、政府の広報、政府系機関や企業の広告などがあります。この撤退をちらつかせたり、あるいは増やしたりということでコントロールがなされます。

いずれも、一見すると、制度上は法を守っているように見えるので、批判が難しくなります。上手い政権ほど、正面衝突を避けて、これらの手法を駆使して、長期権威主義体制を構築していきます。東南アジアの国々が参照されることが多いです。

私の日本国際政治学会の論文は、ゲブーザ政権の二期目(2004年〜2009年)を、この理論を使って分析したものでした。

さて。以上を読んで、なんか日本と似ている・・・と思いませんでしたか?
「競争的権威主義」こそ、「戦前・戦中回帰の現代バージョン」と言えるかもしれません。

ただし、私の2012年時点のモザンビーク政治分析には、本当はやりたかったもものの出来なかった点が残りましたす。それは、「競争的権威主義」の行き着く先でした。勿論、研究というものは起こってからしかできないものです。しかし、私は研究だけをしているわけではありません。予防原則に基づいて、政策提言という観点から警鐘を鳴らしたいと思って活動をしてきました。

特に、日本が巨大なドナー・投資家としてアフリカ、特にモザンビークに大きな影響を及ぼすようになった今はなおさらです。私が注目したのは、都市・農村を含む上から下までの「大政翼賛体制の構築」の進展でした。これは、モザンビークの文脈では、一党支配時(あるいは共産主義時代)にも試みられたものでしたが、ゲブーザ二期目には、その時代よりも上手く機能するようになったように見えました。この理由が、投資や援助、権限や昇進を使った「褒美」によるものです。(共産主義の時代は「鞭」に力点があった)

一応ここまでは、現象としては分析に入れたものの、そこから更に関心がルワンダの政治にいってしまったので、少し深みが欠けたまま現在に至ります。

また、この後2013年4月にモザンビークで武力衝突が再燃するので、「競争的権威主義体制の限界」についてもう少し書き込まないといけないな・・・と思ったまま現在にいたります。この作業は、今後やっていこうと思っています。

で、日本の話はどこ?森友はどこだーーー?
という方々には申し訳ない限りの長い前段。失礼。

さて。「競争的権威主義」がどんなにバッチリ以上の3点セットを上手くやろうとしても、このようにやりたい放題で汚職腐敗が蔓延していくと、人々の不満は高まります。その不満は思いがけないところから噴出していきます。そして「本物の野党」を利する結果となってしまうことがあり得ます。

(例えば、モザンビークの例では、「公式野党」として操ってきたRENAMOが、突如「本物の野党」のような動きをしてしまって、制御できなくなった・・・という問題が生じました。)

そのリスクこそ、政権与党の防ぎたい最大のものです。
で、いくつかの方法が取られます。

さて、この先はモザンビークの話というよりも、ナチス・ドイツ、サラザールやフランコ政権下のポルトガルとスペイン、戦前・戦中の日本、虐殺直前のルワンダ、そして現在のいくつかのアフリカの国々で進行している出来事を参考にした話です。

ただし、繰り返しになりますが、時代は回帰しているようにみえて、大前提が違っている点に注目しなければなりません。それは、「独裁・全体主義」がフリーハンドで出来た時代と異なり、冷戦後90年代以降の世界では、たとえ「アフリカ」でも、「競争的選挙」が大前提となっているという点です。

その意味で、日本で今着々と進む「運動」もまた、それが大前提となってのことなのです。

「競争的民主主義下における権威主義体制の構築」を真に目指すとしたら・・・つまり、「競争的選挙が何度あっても与党が政権の座に留まり続けるにはどうしたら良いのか?」という問いに応えようとするのなら、重要なことは何だろうかというのが、ここから先のお話です。

そして、事例は日本以外のところから引っ張ってきています。

さて。その点において、「本物の野党」あるいは「本物の野党になりうる勢力」潰しは最大のものです。

これは、諜報組織やコンサルティング企業(軍事・諜報・情報・PR<広告代理店>)を使ってやられることが多いのですが、最近分かってきた手法の一つに「co-optation」や内偵者の活用というのがあります。アフリカの多くの政権が、英国やイスラエルの諜報組織やその関係者が作った企業と契約を結んで、盗聴やら何やらの活動を行っていることが、BBCやアルジャジーラによって暴露されています。

この際には、「野党」だけでなく、潜在的に野党になりうる市民社会組織も含みます。
有名な事例としては、南アフリカANC政権が、イスラエルの企業を使って、かつての反アパルトヘイト運動の同志であり現グリーンピース・インターナショナルのクミ・ナイドゥーの通信を傍受していた事件があります。なお、これがバレたのは、イスラエルの元諜報組織のトップが内部対立の末に、全部バラしてしまったしたからです・・・。

(日本で進むあらゆる法制度も、この方向で進められているものと考えて良いかと思います。)

そして、もう一つ同時並行的にやられることが、日本でも戦前・戦中でみられた全国津々浦々、あらゆる組織に入り込んだ「全体主義的体制」の構築です。これは「上からの運動に呼応する下からの運動」として全国的なものとして行われていきます。

これが効果的に進展するには、「共通の敵」と「共通の宗教のような信仰」が必要となります。

20世紀が「ナショナリズムの世紀」であったように、「国家主導型大衆運動」には「ナショナリズム」がつきものでした。そのナショナリズムは、狭い意味の「民族主義」が活用されます。つまり、「我が民族は選ばれし特別な民族」であるという賞賛から始まって、それが「傷つけられている/脅かされる可能性がある」という物語が多用されます。

勿論、経済がよい時、未来に希望が持てる時にはこれは効果がありません。
これが効果をもってくるのは民衆に不満が高まる時です。

そして、その時こそ、「競争的権威主義体制」を牛耳る政権与党にとって危険な瞬間です。
なぜなら、甘い汁を沢山吸って、国家を私物化して、色々な手法を駆使して国民の目を欺いてきたことが、もしかしてバレてしまう危険が高まる時期だからです。あるいは一気に不満の矛先に自分に向かっていく可能性が高まるからです。

そして、「競争的」であろうとなかろうと、古今東西老若男女の「権威主義者」たちは、政権を失うことを異様に怖れます。

それは、自分たちが手を染めてしまったあらゆる汚い手段を熟知しているからです。
政権を失ってしまったら報復されるかもしれない。
あるいは何でも思い通りになるパワーを手放せないという禁断症状故かもしれません。
しかも、これらの為政者らと手を組んでやりたいようにやってきた仲間達も、これが心底怖いです。
なので、強力なスクラムを組んできます。

(話は若干逸れますが、カネや利権、あるいはこのような権力を手放す怖れを抱いた多種多様の人々の集まりの方が、理想のために集まる多種多様な人々の集まりより、結合力は強いです。なので、「野党(連立)がふがいない」と見えるのは、本物志向の野党であればあるほど、理念先行になってしまって合意できないからです。)

高い教育を受けた(多くは外国に通じた)経済・行政のエリートらが御用大衆運動を完全にバカにしながらも、旗ふり役になったり、資金を投じるのは、これらとの同盟が、「競争的権威主義」を継続させるためには不可欠だからです。この「エリート」と「浮かばれない大衆」の結合は、非常に重要な点です。

(今ニュースを見ていても、どうしてエリート財務官僚とあの大阪のおっちゃんたちが繋がるのか分からないかもしれませんが、ここは肝だったりするのです。

でも、あの一家の反乱に見られたように、エリートは本当の意味では大衆を信用していません。というか、お互いをも本当には信用していませんが、金と利権と保身といった共通の守るべき価値があるので結合できるし、お互い弱みを握り合っているのでそう簡単には裏切れない。)

なので、いつ寝返るか分からない民衆の不満の矛先を、国内体制から逸らすため、常日頃から「共通の敵」に向けておく必要があります。そのために手っ取り早いのは、「内なる敵」の存在です。

「内なる敵」、「スケープゴート」は、全体主義や権威主義体制においてほとんど常に現れてきます。

それは、ある人種、ある民族、ある宗教・・とにかく、その国・その社会でマイノリティで、マジョリティの深層心理の中で優越感を刺激する一方、忌み嫌われる何かの要素があればいいのです。あるいは、歴史的には対立がなかったところに、対立の物語を作り出すことでも構いませんが、これらのマイノリティの逆襲もそれなりに怖いので、これらの人々が圧倒的に不利な条件というのが必要です。つまり、国政参加権を持たないとか、圧倒的に数が少ないとか、見た目が違うとか。

さて。
しかし「内なる敵」だけでも不十分です。
特に、政権にとっての危機の時代(経済が悪くて民衆の不満が根強い)には、「内なる敵」につながった「外部の敵」の存在が重要になってきます。「内なる敵」が連れてくる「外部の敵」の物語。これは、相当なインパクトがあります。興味深いことに、ドイツでも、ルワンダでも、日本でも、近隣諸国との関係でこれは利用されました。その際には、歴史的な物語が大々的に使われます。

特に、「国体」「国家」「国民」「国土」が危ないという物語は、かなり効果があります。

その他、「運動」の要にいる人達にとって、利権と優越感(差別意識)は「甘い汁」として機能します。
ここに、ネポティズム(縁故主義)が登場してきます。
そして、パトロン=クライアント関係(親分=子分関係)も。
そして、この説明は力つきたので、又今度・・・・すみません。

一点だけ補足しなければ。
以上のように「アメ」だけでは、不十分だという点です。

法制度の改変や実際の介入によって政治組織や社会組織を鞭で圧迫したとしても、あるいはネポティズムで国の隅々まで同盟者を子分として配置しようとも、個々人の「批判的精神」「自立した個」もまたある日火を吹き、瞬く間に民衆の不満を吸収して政権を打倒してしまう可能性を秘めています。

拡散はメディアのコントロールである程度可能ですが、内面までコントロールしないと安泰とはいえません。なので、内面に浸透するツールが重要になってきます。宗教や信仰、教育です。

したがって、独裁・権威主義体制は、一人ひとりが個として確立しないような、体制の「臣民」として従順なる僕としてしか存在しえないような教育を必要とします。そして、それは個別のある学校の点としての教育であっては効果がありません。全国的な「体制」とならないと意味がないのです。

権力を絶対に失いたくない権力者は、小さな穴すら怖れます。
小さな穴を防ぎきるためには、大きな毛布ですっぽりとそれを覆う必要があるのです。
これが、法制度・警察・教育なのです。
教育なしには貫徹できない。
洗脳に近いことをイメージしてもらえば、大体それで良いかと。

今の大人達をここから従順にするのは無理なので、次世代から始めなければならない。「洗脳」である以上、早ければ早いほど良いわけで、最終的な到達点としては権力側に批判意識をもたず、同化でき、命令にどこまでも従い、いざとなったら自己犠牲してまで体制を支えられる若者が必要となります。

これは、実は「外の敵」に対抗するためではありません。
そのように見せかけて、実際は国内の自らの体制を守る為です。
そして、「内なる敵」も実は単なるイメージのためのものであって、そもそも彼らは政権の脅威ではありません。数が少なすぎ、大多数と違いすぎて力を持ち得ないからです。

本当の敵は、政権奪取しうる「本物の野党(とその可能性をもった勢力)」なのです。

さてさて。
長くなりました。

で、森友でした。
森友があからさまに示してくれた現象は、以上のような「競争的権威主義」と「危機時の独裁・全体主義体制」で採られた手法が相当程度、日本の中で進捗してきたということでした。

これを単なる「収賄」とか「お友達利権」とかの軽い言葉で済ませるのはあまりにナイーブでしょう。あるいは、そういう風に済ませてしまいたい人達がいるのでしょうが、実際はもっと根深く・広い現象として捉えられるべきです。

つまり、2017年の日本では、すでに深刻な形で、以上の恐ろしい社会体制への移行プロセスを邁進してきたということです。すでに、ボタンのスイッチは押されており、上から下までの運動として、これが全国津々浦々で進んでいるということです。

ここには政官財+教育+宗教+メディア+地域社会が密接な繋がりを築いていっている。そして、まだこの運動は、数としてはマジョリティを構成していないものの、国家権力・権限・資源と結びつく形で、「メリット」が大きいために、見かけ以上の力を発揮し続けています。そのことが、社会不安と不況の時代に、大きな魅力となって、大多数の迷える若者や大衆を動員していく可能性が大いに高まっている。

官僚や財界の皆さんは、このような運動を心ではバカにしながらも、利用することのメリットが大きいのでおつきあいして、自分の利権を貪っている状態にあります。でも、運動が崩壊したら真っ先に逃げるのはこの方々でしょう。そして、もう一点注目したいのは、この運動が男性中心に展開しているという点です。

続きは今度。
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by africa_class | 2017-03-23 01:24 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(3):「第5次琉球処分」としての辺野古新基地建設

さて、やっと本題に入ります。
この記事から読む人は、以下もあわせてどうぞ。

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):
沖縄/琉球、薩摩と私

http://afriqclass.exblog.jp/21839406/

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(2):
「Positive Peace(積極的平和)」と「ProActive Peace(積極的平和主義)」の違い、そして沖縄の今の世界史的意義」

http://afriqclass.exblog.jp/21871804/

さて、私が(1)で、現政権による辺野古への新基地建設の強行を「第二次琉球処分」だと書いたところでしたが、「実は「第五次琉球処分」です」というご指摘を読者から頂き、以下の記事を紹介頂きました。月刊誌『まなぶ』と執筆者の新垣毅さんの許可を頂いたので、転載いたします。ご理解ありがとうございます。

どうぞ皆さん、ご一読いただき、どんどん拡散下さい。
その際は、クレジット(新垣毅「沖縄の自己決定権を考える」『まなぶ』2015年10月号より転載)をお忘れなく。

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新垣毅「沖縄の自己決定権を考える」

『まなぶ』2015年10月号より転載


黒船は琉球にも来た

 1854年、米国の遣日全権大使マシュー・ペリーは「黒船」を従えて来日し、江戸幕府と条約を結びます。日本として初めて結ぶ国際条約・日米和親条約です。このペリー来航は、日本が近代国家の道を歩むきっかけとなった大事件としてよく語られています。一方、あまり知られていないのですが、実はペリーは、その4カ月後、琉球国とも修好条約を結びました。琉球国を国際法上独立した主権国家として認識していたのです。

 その後、琉球はフランスとオランダとも、修好条約を結びます。これら3条約こそが、後述するように、1879年の「琉球処分」といわれる、日本の琉球国併合の歴史的意味を左右する重要な要素となるのです。

 今から136年前の1879年3月27日、首里城(現在の那覇市首里)。明治政府の命を受けた松田道之処分官は、琉球国の官員たちを前に「廃藩置県」の通達を読み上げました。随行官9人、内務省官員人、武装警官160人余、熊本鎮台兵約400人を伴っての厳命でした。兵士らは首里城を占拠して取り囲み、城門を閉鎖しました。このとき琉球王国は約500年の歴史に幕を下ろします。これが「琉球処分」といわれる出来事です。

 明治政府はその7年前、天皇の下へ琉球の使者を呼び、琉球藩王の任命を抜き打ちで一方的に実施しました。天皇と琉球の王が「君臣関係」を築いたことにして、天皇の名の下で琉球国の併合手続きを着々と進めました。その後、琉球からさまざまな権利を奪い取る「命令」に琉球が従わないとして、最後は軍隊で威嚇しながら一方的に「処分」したのでした。

 琉球国の国家としての意志を無視して一方的に併合し、国を滅ぼした明治政府のやり方、すなわち「琉球処分」は後々、現在まで、時代の重要な歴史的節目節目で、沖縄に対する日本政府の態度を批判する言葉として生き続けます。

 1952年、サンフランシスコ講和条約の発効により、第2次世界大戦の敗戦国日本は米国の占領状態から脱し、「独立」を果たします。しかしそれと同時に沖縄は日本と切り離され、米ソ対立を中心とする冷戦の前線基地にされます。米軍は沖縄で日本軍が造った基地を再利用しただけでなく、民間住民の土地を銃剣とブルドーザーを使って接収していきました。沖縄島は「浮沈空母」といわれるような米軍基地の要塞となっていきました。沖縄がこのような軍事植民地といわれる状態になったのは、1947年に天皇から米側に伝えられた、いわゆる「天皇メッセージ」がきっかけといわれています。内容はこうです。

 「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する。これは米国に役立ち、また日本を防衛することになる。…米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借―25年ないし50年、あるいはそれ以上―の擬制(フィクション)に基づくべきだと考える」

 それは、日本に主権を残しつつ、ソ連など共産主義圏の脅威に対抗し、沖縄の「軍事基地権」を米国に長期にわたり提供するという内容でした。これは沖縄を軍事基地化したい米側にとって格好の提案となりました。しかし、沖縄にとっては、日本の独立と引き替えに、米軍へ「租借地」として引き渡される屈辱的出来事となりました。後に、沖縄の人々はそれを「第2の琉球処分」と呼ぶようになりました。

 その後も「琉球処分」は続きます。「第3」といわれる出来事は、1972年の「沖縄返還」(日本復帰)です。米軍の統治下に置かれた沖縄では、米兵に女性がレイプされたり、米軍機が小学校に墜落して児童ら18人が死亡したりするなど、人権侵害や米軍機事故が相次いでいました。こうした状況を変えたいと沸き起こったのが、日本への復帰運動です。米軍による権利侵害を前に、さまざまな権利を保障する「日本国憲法への復帰」を志向するようになります。

 ベトナム戦争が激しくなった1960年代後半になると、世界的な反戦運動と連帯し、「反戦復帰」という様相を帯びていきました。ベトナムと沖縄を行き交う米兵の犯罪が凶悪化・多発化しただけでなく、爆撃機をベトナムに送る沖縄は、ベトナムの人々から「悪魔の島」と呼ばれたのです。沖縄戦の経験を持つ沖縄の人々にとって、戦争の加担者となるのはとてもつらいことでした。

 ベトナム戦争を背景に、復帰運動は70年ごろには「基地のない平和な島」を目指し、在沖米軍基地の「全基地撤去」をスローガンに掲げるようになります。

 ところが、日米首脳で合意した沖縄返還協定の内容は、ほとんどの米軍基地がそのまま沖縄に残り、なおかつ米軍が自由使用(やりたい放題)できるものでした。これに、沖縄の知事をはじめ、多くの人々が反発しました。「基地のない平和な島」という願いを無視して軍事植民地を継続させた日本政府の態度は「第3の琉球処分だ」という声が、復帰運動のリーダーたちから上がりました。

■第4の「琉球処分」

 そして今、「第4の琉球処分」と呼べる出来事が進行しつつあります。

 名護市辺野古での新基地建設や米海兵隊のMV22オスプレイ配備をめぐって、沖縄県民は大規模の集会や主要選挙で反対の民意を示し、日本の民主主義制度のあらゆる手段を使って訴えてきました。しかしその民意が政府の政策に反映されるどころか、一顧だにされない状況があります。

 最近、沖縄の主張は強く、強固なものになっています。転換点となった出来事の一つは2013年1月28日の政府への「建白書」提出です。建白書は、米軍普天間飛行場の県内移設断念とオスプレイの配備撤回を求めたもので、沖縄県内市町村全ての首長、議会議長、県議会議長らが署名し、首相官邸で安倍晋三首相に手渡しました。「沖縄の総意」を示した歴史的行動でしたが、政府側は“無視”しました。

 その年の12月、米軍普天間飛行場の「県外移設」を公約に掲げていた当時の仲井真弘多知事が、公約を破り、新基地建設に向けた辺野古沖の埋め立てを承認しました。県民は強く反発します。翌年11月の沖縄県知事選では、「県外移設」を公約する翁長雄志氏が約10万票の大差を付けて仲井真氏を破ります。直後の12月の衆院選では沖縄全4選挙区で、翁長氏を支え「県外移設」を公約する候補者が当選しました。「沖縄の民意」は明確に出たのです。しかし、その直後から日本政府は辺野古での新基地建設作業を強行しました。

 こうした状況を見ますと、沖縄は日本の民主主義制度を享受できない地域なのかと疑いたくなります。このような形の訴えを打ち砕かれたら、沖縄の人々はいったいどうすれば自分たちの未来を担保できるのかという思いが広がっているのです。

 最近の安保関連法案を見ますと、憲法9条の理念がなし崩しにされています。米国の統治下で沖縄の人々が目指した「平和憲法への復帰」という願いも、実現どころか、遠のいているという見方さえできるでしょう。日本が「戦争のできる国」になれば、戦争や紛争で真っ先に標的にされるのは、基地が集中する沖縄です。「基地が有る所が最も危険」「軍隊は住民を守るどころか殺しさえする」―。これらが沖縄の人々が学んだ沖縄戦の教訓です。

 万人余が犠牲になった沖縄戦や、戦後も長期にわたり基地被害を経験してきた沖縄の人々が、子や孫に〝負の遺産〟を残したくないという強い思いから、今、湧き起こっている新たな動きが、沖縄の自己決定権行使を志向する行動です。それは、もはや憲法だけではなく、国際法に訴える形で登場してきています。

■自己決定権とは

 自己決定権は、国際法である国際人権規約(自由権規約、社会権規約)の各第1部第1条では、集団的決定権として「人民の自己決定権」を保障する規定があります。日本語では一般に「民族自決権」と訳されていますが、沖縄では沖縄戦における住民の「集団自決」(強制集団死)を連想する「自決」という言葉が含まれているため「自己決定権」という言い方が一般的です。

 自己決定権は、自らの運命に関わる中央政府の意思決定過程に参加できる権利です。それが著しく損なわれた場合、独立が主張できる権利でもあります。

 国際法学者の阿部浩己神奈川大学教授によると、この自己決定権は今や国際法の基本原則の一つとなっており、いかなる逸脱も許さない「強行規範」と捉える見解も有力だそうです。

 沖縄がいま、直面している大きな問題は名護市辺野古への新基地建設問題です。外交や防衛に関しては、国の「専権事項」とされていますが、それらの意思決定過程に、沖縄住民の民意を反映させようというのが自己決定権の行使です。

 沖縄住民の運命に深く関わる問題が政府の「専管事項」とされているので、全国で叫ばれている地方分権論の枠組みでは限界があります。突発的な衝突を含めて、尖閣諸島で紛争が起きれば、観光産業など経済も含めて真っ先に巻き込まれ、なおかつ影響が大きいのが沖縄です。中国脅威論が扇動されればされるほど、当事者として沖縄の人々の危機感は高まるのです。

 では、沖縄の人々は、国際法でいう「集団の自己決定権」を行使する主体となり得るのでしょうか。国際法で規定する「人民」は、一義的な定義はないようですが、沖縄の場合、客観的条件や自己認識で当てはまる要素がたくさんあります。ウチナーンチュ(沖縄人)というアイデンティティー(自己認識)が強く、米軍基地集中という差別的状況、琉球王国という歴史的経験、固有性の強い伝統芸能や慣習、しまくとぅば(琉球諸語)という言語的一体性、琉球諸島という領域的結びつきもあります。

 

■「琉球処分」の意味

 そこで私が最も強調したいのが、沖縄の人々が持つ「琉球処分」という集団の歴史的経験と、その意味です。先の話に戻りましょう。琉球国が外国と結んだ修好条約が重要となります。

 複数の国際法学者によりますと、3条約を根拠に、琉球国が国際法上の主体であったことが確認できます。すると、「琉球処分」という出来事は、国際法であるウィーン条約法条約第条「国の代表者への脅迫や強制行為の結果、結ばれた条約は無効」とする規定に抵触するので、琉球併合の無効を訴えることができるというのです。加えて日米両政府に対し、謝罪、米軍基地問題の責任追及などだけでなく、主権回復を訴える戦略が描けるとも指摘しています。

 ウィーン条約法条約とは、条約に関する慣習国際法を法典化した条約のことで、1969年に国連で採択され、80年に発効されました。日本は81年に加入しています。琉球併合当時、すでにこの条項についての国際慣習法は成立しており、それを明文化した条約法条約を根拠に、事実上、さかのぼって併合の責任を問うことが可能だというのです。「廃藩置県」の通達が、ここでいう条約と見なせるそうです。

 私がこの3条約と琉球併合の関係に焦点を当てたのは、それらの歴史は決して単なる過去ではなく、現在の沖縄の状況を国際法の中に位置付けることが可能となり、さらに国際法を生かして主権回復や自己決定権行使を主張する議論の地平が開かれるからです。

 私は昨年5月から今年2月まで「自己決定権」をキーワードにした連載「道標求めて―琉米条約160年 主権を問う」を琉球新報の紙面で書きました。開始直後から反響が大きく、読者の励ましの声にも支えられ、百回を数える長期連載となりました。連載は6月に書籍『沖縄の自己決定権―その歴史的根拠と近未来の展望』にまとめ、高文研から出版されています。三つの条約や「琉球処分」の歴史、自己決定権を主張する沖縄の展望について詳しくまとめてありますので、興味のある方は、ぜひ読んでいただきたいです。

 連載の狙いは主に二つありました。一つは、足元の歴史を掘り起こすこと。二つ目は海外の事例から学べる素材を集め、国際社会との連携を模索することでした。歴史を掘り起こすことが時間軸で考える縦糸とすれば、国際社会への取材は思考空間を広げる横糸の関係です。

 海外の取材でも得るものが多かったです。スイスの国連人種差別撤廃委員会やスコットランドの独立住民投票、米国ら独立して20年の節目を迎えたパラオ、そしてEU(ヨーロッパ共同体)の本部があるベルギーを取材しました。

 国連は2008年に「琉球/沖縄人」を「先住民」と認め、2010年には米軍基地の集中は「現代的人種差別」だとして、日本政府に改善を求めています。

 EU(欧州連合)の要・ベルギーの取材では、沖縄が東アジアの「平和・交流の要」になる可能性を念頭に置いて取材しました。国境を超えた地域共同体の本部は小国に置いた方が、大国の利害調整に優位だといいます。日本国内で実現に向けて叫ばれてきた「東アジア共同体」がもしできるのなら、その本部は沖縄にこそふさわしいという確信を得ました。

 人口約2万人しかいない島国・パラオがどうやって大国アメリカから独立を勝ち取ったのか。スコットランドの独立運動とも通ずるのが、市民による粘り強い草の根運動です。何度も挫折しつつも、アイデンティティーの基盤を再構築し、国際世論に訴える運動を継続していました。今の沖縄の課題にも通じます。

 取材を通して率直に感じたのは「沖縄は自立する可能性だけでなく、独立する資格さえ十分持っている。問題はそのビジョンを、現状打開や県民の幸せのためにどう生かしていくかが課題だ」ということでしだ。

■沖縄が目指す将来像

 沖縄の人々にとって、今、大きな課題になっているのは、名護市辺野古の新基地問題だけでなく、沖縄の将来を描く大きなビジョンです。

 沖縄はいま、東アジアにおける「軍事の要」の役割を担わされていますが、そうではなく、琉球王国時代にアジア太平洋地域に展開した交流・交易の歴史的経験を生かし、人や文化、観光・物流などの文化・経済交流を促進してアジア諸国の架け橋となる「平和の要石」こそ、その姿といえます。沖縄の自己決定権追求は、長期的に見れば、決して日本本土への恨みつらみでも、日本との分離を目指す〝離婚〟でもないと思います。むしろ、日本の平和にも貢献する姿こそが重要です。平和の要の役割を担うため、その重要なパフォーマー=主体となるために自己決定権は重要な権利なのです。

 日本はいま、歴史教科書や「従軍慰安婦」問題などの歴史認識問題、尖閣や竹島など領土紛争の火種を抱えています。これらの問題の解決に向け、沖縄は対話の場になれると思います。対話が実現できれば、沖縄だけでなく、日中・日韓をはじめ東アジア全体の平和構築にとって有益です。

 人、モノ、情報のグローバル化の進展に伴い、経済・政治などの分野でEUやASEANのような国境を超えた地域統合が進むなど国家の壁は低くなりつつあります。いたずらに中国の脅威をあおり、ナショナリズム高め、国家間の壁を高めるのは、世界のすう勢に逆行する行為だと思います。摩擦が激化すれば、真っ先に危険なのは沖縄です。

 人やモノ、経済の交流が進めばそれ自体が安全保障になるとの考えもあります。世界は冷戦の東西対立の時代から協調の時代に入り、大局から見れば、東アジアもその世界的潮流の中で信頼関係の構築が求められているのです。

 沖縄には今、アジアからの観光客が街にあふれています。県の総生産に占める基地関連収入の割合は、1950年代には50%を超えていましたが、今は基地に絡む振興費を加えても、わずか5%です。北谷町美浜や那覇新都心地域では米軍跡地利用が成功し、雇用や経済効果は基地だったときと比べて飛躍的に伸びました。基地は沖縄の経済にとってむしろ「阻害要因」との認識が県民の間で広まっています。

 国境が低くなるにつれ、「交流拠点」に向けたチャンスが大きくなっています。米軍基地の跡利用で国際機関を誘致するなど国際情勢を踏まえ、沖縄がどのような東アジアのビジョンと自分らの将来像を提起できるか―。その青写真とともに求められているのが、まさに沖縄の自己決定権の行使なのです。




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by africa_class | 2015-11-26 23:13 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(2):「Positive Peace(積極的平和)」と「ProActive Peace(積極的平和主義)」の違い、そして沖縄の今の世界史的意義

沖縄・辺野古で事態が緊迫しています。
この連載も、もう一歩前に進めないといけません。

元々、辺野古への新基地建設(移転というべきでない)の問題、そしてそれへの沖縄の人びとの抵抗と政府の弾圧については、「私・私達自身の問題」としてずっとフォローしていて、このブログでも何度か取り上げてきました。

■長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄

http://afriqclass.exblog.jp/21326990/

以下のブログ記事を掲載してから、とても反響が大きく、本腰を入れてやらねばならん…と考え、しかし療養中のため、少しずつ勉強を深めているところです。

■翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

http://afriqclass.exblog.jp/21666952

その勉強のプロセスを、公開しながら進めていくことで、今迄、これらの問題について知らなかった、関心もなかった、無関係だわ・・・と思っていた皆さんにも、一緒に考えていただきたく、この連載を始めました。

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):沖縄/琉球、薩摩と私

http://afriqclass.exblog.jp/21839406/


深刻な事態が現地で進んでいるのに、亀のようにノロい歩みではありますが、ご容赦下さい。
さて、私は以上のブログ記事(1)で、今回の辺野古への新基地建設の強行が「第二の琉球処分だ」と書きました。

しかし、私が不勉強なことに、沖縄では「第五の琉球処分」と言われていると知りました。
沖縄の人びとが直面してきた、そして現在も直面している現実の一端ですら、分かっていないことを知るに至りました。「知らないですむ」ことこそが、マジョリティの特権です。だから、常に「知ろうとすること」、いつでも耳を傾ける姿勢を持つ事が不可欠です。

「第5次琉球処分」について紹介しようと記事を書き始めて、私は一つ重要なことに気づきました。それは、このことをそのままここで紹介しても、沖縄にいない人びとに十分に伝わらない可能性です。

沖縄の人びとの現実と、それ以外の日本の人びとの現実の、深く断絶した認識の差こそが、現在の暴力的な新基地建設を可能としている背景である以上、このことを十二分に指摘しないと、「ある人たち<=>我々」の問題構造が乗り越えられない…そう思い至りました。

なので、そのことをまず書きます。

今、沖縄以外の日本のどこかに暮らし、沖縄/琉球の出身ではない私たちは、東京から送られてきた機動隊らが、身体をはって新基地建設に抗議する地元の方々(おばあやおじいも含む)を暴力的に取り締まっているか知っているでしょうか?あまりに暴力的な取り締まりだから、沖縄県警に属する若者たちにはできないだろうと、わざわざ凄い税金を使って何百人もの機動隊が沖縄に送られ、高級リゾートに宿泊しながら、毎日地元の皆さんを弾圧しているのです。

「現実に被害を被っている【ある人たち】がいるのに、知らないですませられる」構造こそが、構造的差別、ガルトゥング的にいえば、「構造的暴力」となります。これを、日本では、「フラットな皆同じ」「区別することが差別につながる」「知らせることで差別になる」という奇妙な論理ですり替えがちですが、これは「文化的暴力」と呼ばれるものです。

世界的には、「積極的平和(Positive Peace)」とは戦争のない状態だけでなく、このような構造・文化的暴力のない状態を指し、安倍さんがいう「積極的平和主義(ProActive Peace)」という武力介入の考え方には真っ向から反対するものです。この点は、ガルトウング博士が来日した際に詳しく述べているので、以下の記事をどうぞ。

「積極的平和」の真意 ノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルゥングさん
http://www.asahi.com/articles/DA3S11931897.html
「積極的平和、沖縄から提案を」カルトゥング氏が講演
http://www.asahi.com/articles/ASH8Q65QJH8QTPOB003.html

私は、安倍政権によって「積極的平和主義」なる用語が掲げられた時、危ういな…と思いました。為政者が「ポジティブなイメージのある用語」を使って、「まったくその正反対の事」をし始めると、そしてそれがたいしたオプジェクション(異議・抗議・抵抗)にもあわずにスルスル・・・といってしまうと、大変強度の強い暴力が発生することが、現代世界史が教えるところだからです。

原爆の開発も、「戦争を早く終わらせて人命を救うため」でした。
その結果、当時35万人ほどが暮らしていた広島で、4ヶ月以内におよそ14万人の死者が出ました。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111638957650/index.html
長崎では、分かっているだけで73,884人、重軽傷者74,909人、行方不明者1,927名います。
http://nagasakipeace.jp/japanese/atomic/record/scene/1103.html
米国では、長年にわたって以上の通説「原爆は米国人の命を救うのに不可欠だった、役に立った」という考え方が主流でしたが、最近これに変化があり、長年にわたる被爆者の皆さんの活動の成果としても、「人道に反する行為だった」と考える人が若者に増えています。

ヨーロッパ諸国による「キリスト教の普及による哀れな原住民の救済」も、結局のところ、植民地支配の隠れ蓑として使われ、「勤勉さを学ぶための矯正のための労働」は、子どもを含む住民らの無償奉仕労働(プランテーション等での奴隷労働)を意味することが非常に多かったのです。

ある国家の為政者、とりわけ強権的な思考・志向の強い者達が、自分を「世界の救世主」的な存在として位置づけ、これを大きな言葉で繰り返し唱え、何らかの政策とともに実行に移そうとする時、甚大な被害が生じることは、現代史だけの特徴ではなく、人類史に繰り返しみられたことです。

為政者らが自分を「救世主的な存在」に位置づけて、人びとを動員する時、「これを阻もうとする者=敵」は勿論のこと、身内における一つ一つの被害は「大きなビジョンに対して小さなこと」として位置づけられ、踏みにじられていきます。しかし、動員される人びとは、自分が踏みつけられる側になり得る、あるいは既に踏みつけられているという現実に気づかず、「強いリーダーに酔いしれる」ことで、自分の苦境やコンプレックスを忘れたいために、これを「他者の問題」としがちです。

あるいは、「大きなビジョンの歯車」として、嬉々としてその役割を果たそうとするかもしれません。「私のような者が、何か素晴らしい歴史の大事の一部として関われる」ことに、自らのこれまでの人生の挫折を払拭する機会と感じるかもしれません。リーダーらが、その素晴らしさを煽れば煽るほど、そのポジティブなイメージや力は、ぐいぐい求心力を強めます。

このような動きに対抗する側にこそ「歴史の大事の運動」としての利と正義があったとしても、「〜にNOという」という運動は、「〜を素晴らしいという」という運動に対して、大衆の理解を得るのは簡単ではありません。社会が危機的になればなるほど、強権的な為政者が登場しやすい状況が生まれます。たとえ、それが為政者ら自身が作り出した危機であっても、いえだからこそ、彼らは批判を回避するために、新たなスローガンを強固に推し進めることで、人びとの目をそらし、批判を交わし、敵は批判者であり、また外にいるのだ・・・という状況を自ら作り出します。その際には、実態以上に、宣伝のための活動に力が入れられます。

このような状況の中では、為政者のスローガンのほうが優勢となり、抵抗者は対抗力を勝ち得ないとすれば、積極的に為政者に協力しない層の人びと(大多数の場合が多い)もまた、「反対しない、異議を唱えない=思い込みの中立の立場」をとり、選挙に行かない、ただ政府が与えてくる仕事をコツコツする…ということ等を通して、結果的に為政者のシステムを支える機能を果たします。

いつかハンナ・アーレントの「全体主義の起源」やアイヒマン裁判の分析を紹介しましたが、これが、ナチスドイツの壮大なる民族抹消プロジェクト「ホロコースト」を可能とした背景です。

■(その2)大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今。
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/

これらのことを考えると、明らかに武力介入を伴った考え方を包含するにもかかわらず、それを「積極的平和主義」等という言葉で包んで、そしてそれは憲法と真逆の考え方であるにもかっかわらず、政策として強固に推進しようとするときには、いい加減、私たちは自らの国の歴史と他国・世界の歴史から、ピンとこなければならなかったのでした。

しかし、実際はそうではなかった。
なぜなら、この「積極的平和主義」が行き着く戦争や暴力への加担の被害を被るのもまた、直接的には「私たち」ではないから。見知らぬ地域の国の、見知らぬ誰か。部隊の駐留によって日常的な人権侵害に怯える住民ではないから。あるいは、基地の存在によって攻撃の対象となるかもしれないわけではないから。

むしろ、武器輸出で儲けられるかもしれない。新しいビジネスチャンスかもしれない。となれば雇用が増え、消費がアップするかもしれない…いい加減、破綻したトリクルダウン的経済効果を、非正規雇用者の割合が初めて4割になった今も、多くは気づいておらず、「企業が富めば国が富み国民も富む」との幻想を抱いていることには、驚きます。

【朝日新聞】非正社員、初の4割 雇用側「賃金の節約」 厚労省調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151104-00000051-asahi-bus_all
厚生労働省が4日発表した2014年の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」で、パートや派遣などの非正社員が労働者にしめる割合が初めて4割に達した

1987年には15%にすぎなかった非正規雇用、若者の間ではずっと前に4割となっていたわけですが、その理由が「賃金の節約」という誠にストレートな回答となっており、他方企業の内部留保金は過去最高を更新する中、その矛盾する論理が、トリクルダウン理論などまったく機能していないことを証明しています。

【日経ビジネス】今や300兆円、企業の「内部留保」に課税案が再浮上?http://business.nikkeibp.co.jp/welcome/welcome.html?http%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Fatcl%2Freport%2F15%2F238117%2F092400007%2F
「その内部留保の増加が止まらない。財務省が9月1日に発表した2014年度の法人企業統計によると、金融・保険業を除く全産業の期末の利益剰余金は354兆3774億円と1年前に比べて26兆4218億円も増えた。率にして8%の増加である。

純利益は10%も増加。最大の要因は企業が稼ぐ利益自体が大きく増えたこと。1年間の純利益は41兆3101億円と10%も増えた。」


このようなまやかしのスローガン・政治が可能となっている理由。
まさにそれは、あらゆる策略によって自己検閲してしまっている牙を抜かれたメディアのせいであり、「疑問を持ち、自分の頭で考える」機会を十二分に創造してこなかった教育のせいでもあるし、離合集散を繰り返す政党政治のせいでもあります。しかし、根本的には、未だに日本が「同調圧力を使った集団催眠の罠」を自覚的に乗り越えられていないことからきていると思います。どこかで、多くの日本の私たちは、「自由と民主主義」が怖いのです。

自由に考えろといっても、選択肢もあまりないし、あれこれ考えなくとも、強いリーダーに任せておけばいいじゃないか。
「よく国のことを考えている(と思わせる)」政治家や専門家や役人に任せたい。
「せっかく国のためにやってくれている人たち」の足を引っ張る奴は許さん。

という、実態なき「国」その実「一部の特権層の既得権益の存続と発展」を、支えてしまうことになるのです。
だから、2015年の終わりに、日本の人びとこそ、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』を手にとってほしい…そう思って以下の記事を書きました。

■今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

http://afriqclass.exblog.jp/21839228

私は、今危機的な状況にある日本の中で、多くの人が沖縄の人びとに学ぶことこそが、もしかして唯一残された希望であるかもしれないと考えています。沖縄の人びとの長い歴史に裏打ちされた経験から紡ぎ出されている「意識」こそが、主体としての権利の能動化、つまり「主権者」としての自覚を育み、踏みつけられても踏みつけられても、日常の近い場で日々のあらゆる闘いを実践し続けているところに、今私たちが真剣に学ばないとしたら、もうとっくに手遅れだけれど、もっと手遅れになると思うからです。

今、沖縄の人びとが実践していることは、「日本の平和と自由と民主主義の最後の砦」を守る行為なのだということを、私たちは決して忘れてはいけないし、知り、そこから学ばなくてはならないと思います。

また、ガルトゥング博士が沖縄にPositive Peaceの拠点としての可能性を見いだしていることの意味は、第二次世界大戦後、とりわけ冷戦期の60年代以降に発展してきた国際平和学の成り立ちと発展からすると、とても納得のいくものなのですが、この点についてはまた別に論じたいと思います。

一言付け加えると、先の戦争で甚大なる暴力を経験した沖縄の人びとが、既に「平和の主体」として自らを位置づけ直し、沖縄という場を「平和の拠点」と転換させることで、自らの尊厳と発展の足場を築き、日本・アジア・世界に貢献しようとされていることは、沖縄内、日本内に留まらず、アジアと今の暴力の連鎖が止まらない世界のあり方にとっても、世界史的な展開としても、大きな意味と意義があるということです。

これはガルトゥング的平和学でいうところの「トランセンドtranscend」であり、AとBの敵対から戦争に発展しがちな紛争を「超越的に転換」することをヴィジョンとして設定し、それに引っ張ってもらう手法です。これは、授業でも色々やりました。つまりAかBの勝利か敗北を目的化しない、かといって妥協を目指すのでもない手法です。

詳細→http://afriqclass.exblog.jp/i23

理不尽な暴力を経験したからこそ、平和や自由、民主主義の価値を知り、その実現のために尽力する崇高なる役割を果たして着た偉人を、私たちは沢山知っています。

他方、理不尽な暴力を経験し続けたからこそ、世界構造や現状を暴力的に転換したいと切望して別の暴力に手を染める人、絶望してこれに追従する人も、私たちは知っています。911やパリ連続攻撃で、それを目の当たりにしました。

その意味でも、沖縄の人びとの非暴力直接行動の実践は、同時代的な世界大の意義を持っており、これはそのような文脈でも理解されるべきなのです。

次に、本題の「第五の琉球処分」について。

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(3):「第5次琉球処分」としての辺野古新基地建設

http://afriqclass.exblog.jp/21871996/

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by africa_class | 2015-11-26 22:10 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):沖縄/琉球、薩摩と私

ツレが日本から大量の荷物を持って帰って来た。
大地を守る会で買った熊本の無農薬玄米、豆腐を作る為のニガリ、お団子を作るためのクズ粉…。しかし、大地で扱っていないため、ぬかと麹を注文し忘れ、昨夜味噌をつくったら、もうなくなってしまった…。麹なしに我が家の料理は貫徹せずなので、苦境だ。

さらに、実家からも大量の荷物が。私の母から息子へのオヤツやパジャマ、私に5本指ソックスと腹巻き(日本でしか買えない!)、そして家族のために「ムラサキ醤油」が…。

これは九州の人にしか分からないと思うが、醤油は甘くなくてはいけない。

千葉出身の若者に「薄口醤油」を買ってきてと頼んだ時に、「え?醤油に濃口と薄口あるんですか?」と驚かれたが…あるんです。関西(特に京都)の人間にとって、「薄口醤油なしの食生活」はあり得ません。さらにいってしまうと、関東の醤油は塩味がキツく、出汁っぽい味がしないのが辛い。

が、鹿児島出身の母と京都出身の父というあり得ない両親のミックスとしては、「ムラサキ醤油」も「薄口醤油」も「濃口醤油」も必要なので、キッチンの棚にはやたら醤油の瓶が並ぶのだが、遊びに来た人に料理の際「醤油とって!」と軽く頼むと、皆驚き、「え?何?これ?どれ?!」となる。

さて、ツレが持って来た90キロの荷物はこれらで終わることがなかった。
(多分、彼の宿泊していたホテルは驚いたことだろう。日本全国からあらゆる小包がたった2泊の客人のために届いたのだから。しかも、ツレがあまりに忙しかったため、わざわざ段ボール箱に梱包してくれたほど…日本のホテル、万歳!)

届いたのは、沖縄県からの小包と、東京の本屋屋からの小包。

その両方の小包に、本が一冊ずつ入っていた。
奇しくも、同じ時代…19世紀末の琉球の話が載っている。


琉球新報社・新垣毅(編)(2015)
『沖縄の自己決定権:その歴史的根拠と近未来の展望』高文研

松下志朗(編)(2008)
『南西諸島資料集(第二巻):名越左源太』南方新社


前者は、このブログの読者の方がわざわざ送ってくださった本。

後者は、ずっと前からほしかった本で、沖縄で起きている事態を見ているうちに、大学時代にやりかけて途中で放り投げてしまったことを、そろそろ少しでも何かを始めた方が追いと思ったからだった。その理由の一つとしては、先日母方の叔父が急逝してしまって、最後の大叔母も長くないかも…さらに叔母が入院…とあって、いよいよまずいと焦ったのもあった。

これまでも、沖縄の皆さんとの交流は、色々なレベルであった。10回は訪ねた大好きな地域。だが、本当の意味で交流らしい交流が始まったのは、実はこの2ヶ月のことであった。ブログに以下の記事を投稿してから、沖縄の多様な層の方々からご連絡を頂き、少しずつであるけれどやり取りをさせてもらっている。

その中で、わざわざ沖縄から『沖縄の自己決定権』を送って頂いたのだった。

2015年9月22日:

翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

http://afriqclass.exblog.jp/21666952

自分でもその反響に驚き、未だにその理由が理解できていないのだが、今度沖縄に行く時に、皆さんとの交流の中で色々教えてもらおうと思っている。

前回2014年は体調のこともあり、5日ほどしかいられず、辺野古も高江も駆け足でしか行けなかったが、出会う人出会う人に沢山の話を聞くことができたことは本当に貴重な経験だった。また、共同編集していた日本平和学会の本の表紙用に高江に掲げられた「命どぅ宝」の写真を撮影でき、以下の協議会で親川志奈子さんのお話を聞けたことは、なんという幸運だったろう。彼女の話は議事録で確認できるので、以下の外務省サイトで是非。

平成25年度(2013年度)NGO・外務省定期協議会
「第3回ODA政策協議会」

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/taiwa/oda_seikyo_13_3.html
(2)外務省・JICAにおける先住民族に対する政策のあり方について
  【親川 志奈子 Okinawan Studiese 107】
  【和田 充広 外務省 国際協力局 NGO担当大使】

さて、頂いた『沖縄の自己決定論』。あまりに面白くて、一気読みした。
特に、冒頭からの近現代史の部分は、推理小説を読んでいるようなそんな疾走感があって、自分が知っているはずの史実の問題が別の角度からどんどん暴かれていって、ストーンと落ちるものがあった。

歴史や歴史小説が好きな人は日本に山ほどいるので、そういう人にも気軽に手に取ってほしい一冊だ。私の幼少期には、「ヒミコの墓はどこ?」「邪馬台国は奈良か、北九州か?」「豊臣秀吉の隠した財産はどこ?」等という本が、山ほどあったのだが、同じ位の熱意を持って、この本を手に取ってほしい。そういう間口の広げ方は、凄く重要だと思う。

大丈夫。
この本の紹介はそこで終わりではない。

この本は、今、暴力的に辺野古に新基地が作られようとしている正にその瞬間だからこそ、読まれるべき本である。琉球の歴史を十分に知る機会がなかったかもしれないウチナンチュー(沖縄以外にいる人びと、世界のウチナンチューも含む)、そして、とりわけサツマ(鹿児島)の人たち、沖縄以外の人たちに読まれるべきものである。

なぜなら、今歴史が繰り返そうとしている、まっただ中に私たちは生きているから。
そして、私たち一人ひとりが、過去は変えられないとしても、そしてその自覚がないにせよ、今と未来は変えられるだけの力を、本来持っているから。

今なら、未だ間に合う。
この過ちを止めさせるのに。
でも、この後は間に合わないかもしれない。

だから、まず私たちは、かつて沖縄/琉球で何が起こり、それは何故だったのか、現在にどのように繋がっているのかを、どうしても知らなければならないのだ。

琉球「処分」という言葉が指すように、「誰が誰を何の権限を持って処分したのか」、今でもその「処分」という言葉を使い続けることは妥当なのか?なぜ、1世紀以上が経っても、未だにあれをカッコなしで琉球処分と、書き・話すことができるのか?

それ以前に、なぜ薩摩藩がとんでもない重税を琉球の人びとに課し、徴税できたのか?
なぜ、琉球王国内にあった奄美大島は薩摩藩直轄になり、今は鹿児島県なのか?

なぜ、朝鮮半島への侵略と植民地支配は、「併合」等という言葉でもって未だに説明されるのか?
なぜ、安倍総理は今年夏の談話で、戦争の加害はわずかでも言及し詫びたのに、植民地支配についてはまったく言及しなかったのか?

(この点は以下のブログ記事で紹介してます)
http://afriqclass.exblog.jp/21548918/

私たちは何一つ、知らなかった事に、問いすらもとうとしなかったことに、今更気づくのである。
知らないでいられたとしたら、それは支配する側、つまり歴史を記述する側にいたからであり、あるいは被支配を見えなくされていたからである。

この本は、あるいは近現代史を琉球・沖縄の視点で見直した時に、まったく地平が立ち上ってくることに気づくだろう。それはとても苦しいことであるが、同時に、この戦後最悪の政治状況において、一筋の希望でもある。

「知らないでいること」…で責任を逃れようとしがちな私たちである。
特に、都合の悪そうな事実からは、目を背けがちである。


しかし、「知ろうとしないでいること」自体が、「加害」であり「罪」であり、責任を伴うことを(無作為の作為)、今ここで理解しないとすれば、取り返しがつかないことになるだろう。それは、「沖縄/琉球」と自分との関係においてだけのことではなく、このままいくと暴力的支配の構造が日本全体の下から上までにはびこって、再び大規模な愚かな過ちを繰り返すことになるだろう。

このことは、既に別の記事で書いた。
■大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今(その1)。
http://afriqclass.exblog.jp/21484478/
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/

沖縄の皆さんは身体をはって、これを止めようとしているのに、私たちはあまりに無自覚すぎる。翁長知事が、春先、菅官房長官に対して「問われているのは日本の政治なんではないですか?」という趣旨のことをいっていたが、まさにそうなのだ。問われているのは沖縄ではなく、私たちだというのに、依然としてその自覚すら十分ではない。

でも、今なら間に合う。
しかし、その最後の段階に入りつつあると思う。
そのことの理由は別に書く。
だから、多くの皆さんにこの本を手に取っていただきたく、章立てを紹介する。

『沖縄の自己決定権:その歴史的根拠と近未来の展望』

*沖縄は、なぜいま、「自己決定権」を求めるのか
I. 琉球の「開国」
 1. ペリー来航と琉球
 2. 列強各国・中国・日本と琉球

II. 琉球王国ー「処分」と「抵抗」
 1. 「処分」の起源とその過程
 2. 手段を尽くしての抵抗・急国運動
 3. 「処分」をめぐって

III. 沖縄「自己決定権」確立への道
 1. 国際法から見る「琉球処分」
 2. 「琉球処分」をどう見るかー識者に聞く
 3. データでみる沖縄経済
 4. 経済的自立は可能かー識者に聞く

IV. 自己決定権確立へ向かう世界の潮流
 1. スコットランド独立住民投票を見る
 2. 非核、非武装の独立国・パラオ
 3. 沖縄を問い続ける国連人種差別撤廃委員会

V. 「自治」実現への構想
 1. わき起こる住民運動
 2. 「自治州」から「独立」まで

========

内容については、あまりに息子の作業がうるさいのと、一個記事をあげたばかりなので、今日は無理な感じ。先にこの本を紹介したかったのだけれど(今の緊急性を考えて)、フレイレの書いたことを紹介してからが良いと思った。その理由は、また今度書く。

なお、私がこのブログで、「学者らしく」プレーンな解説に徹するということをせずに、延々と日常や思い出話がおり混ぜているのには理由がある。ウザい人たちが多いだろうが、それがウザい場合は、どうか学術論文や本の方を参照してほしい。あえて、こういう書き方をしているのは、「一私人として、何をどう感じたから、どう書いたのか」の舞台裏まで見せてしまうことで、「遠いどこかの先生のおっしゃるクールな有り難いお話からお勉強しよう」という受動的な読み方をするのではなく、皆さんの隣の誰かの日常的・思考的な試行錯誤を知ってもらうことで、何かもっと身近なレベルから主体的に考えてもらうきっかけに(それが反面教師、あるいは批判であっても)、なってほしいと思うから。

その理由は、先ほどフレイレの『被抑圧者の教育学』の記事で是非。

今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

http://afriqclass.exblog.jp/21839228/

または、以下の投稿。
長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄
http://afriqclass.exblog.jp/21326990

さて、何故私が「南西諸島史料集」なるものを同じタイミングで手に取ったのか、何故あの「所感」を書いたのかを、紹介しておかねばならない…と思って、書き始めたのだが、さすがに1日二つの記事は書けそうになく、これにて失礼するしかない感じ。まったくすみませぬ。



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by africa_class | 2015-11-16 06:19 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

お待たせしました。
パウロ・フレイレの不朽の名作『被抑圧者の教育学』です。

(誰も待っとらんわい、と聞こえてきそうですが…)
(*時間のない人は最後のメッセージだけどうぞ)

そして、私の我が侭を聞いてくれるのであれば、マリア・ベターニャの「朝の鳥/1977年」を聞きながら読んでほしいのです。意味が分からないとしても。

Pássaro da Manhã/1977 - Tigresa - Maria Bethânia


新訳本を出された三砂先生が、「日本においても、開発・発展・国際協力といった分野に興味を持つ人に取ってはマスターピースと呼ばれるような一冊となっているし、教育、医療、演劇、貧困、差別等の多くの分野で人間の解放と自由について考える人たちに大切にされてきた」と紹介しています(311頁)。

それにしても、前回更新からエライ時間が経ってしまいました。
というのも、またしても体調不良を起す中で、ツレが出張に行っていたり、ゲストラッシュが続き、さらに通い猫のニャーニャに未だ子どもなのに(!)5匹の赤ちゃんがいたことが発覚し、ついでに庭と畑の収穫と冬支度が同時進行し、断片的にしか思考できなかったためです。

しかし、少し元気になると、次々に「前世」の約束が追いかけてくるのは…辛いですね。なのに、新しい約束が、思っても見ない人びと・レベルからプレゼントのように手渡されると、なんとも嬉しさよりも悲しさが募ります。あ〜あ。。。この日本社会での「借金状態」を、なんとか今年度内に片付けたいと心から思っています。皆さん、すみません…。

で、まだ難しいものを書く元気がないのと、息子が突然始めた古家(築100年)の床の研磨がうるさく…でも、耳栓して本の紹介ぐらいできるかな…ということでいくつか紹介を。

底本は、三砂先生の新訳で蘇った以下の本です。
パウロ・フレイレ(三砂ちづる訳)『被抑圧者の教育学』亜紀書房
Paulo Freire "Pedagogia do Oprimido" 1968.


フレイレを少し紹介。
三砂さんのフレイレと本の紹介、翻訳の苦労(ノルデスチ話法とアカデミック記述の合体というらせん構造)、そして先生自身のノルデスチでの母子保健協力の実践が「ヒューマニゼーション」という考えに到達したプロセスを書いた「あとがき」は、とても良いので是非一読を。

1921年ブラジル北東部(ノルデスチ)ペルナンブーコ州レシフェ市生まれ。法学部で法律を学び、弁護士に。その後、地元レシフェ市で文字の読み書きができない貧しい農民たちに、自己変革とそれを通じた社会変革のための「意識化(conscientização)」の手段として、識字教育を奨励し、社会的に大きな変革の兆しをもらたした。その結果、1964年の軍部によるクーデーターで、国外追放となり、亡命生活中にこの本を執筆する。その後、UNESCOで識字教育推進に関わる一方、ブラジルの民政移行に伴い、サンパウロ市の教育長等を歴任し、スラムでの識字時教育を推進。

教育実践、教育学だけでなく、開発、保健医療、政治など多くの分野に影響を与えた。エンパワメントの概念・言葉は、彼によるもの。


なお、この本のタイトルが「教育学」という点で、多くの人はひいてしまう、自分に関係ない本と受け止める可能性がありますが、実は、内容はそれを超えています。私も、学部生の時代に手に取る際に躊躇したのはそれが理由でした。それでも何故読んだかというと、当時どこにいっても多くの人がこの本を言及していた、ブラジル人が書いたものなのに知らない訳に行かない…という消極的な、悲しい理由によるものでした。が、いかんせん、三砂先生も書いてらっしゃる通り、読み進めるのが難しい本…です。そこは、三砂訳が楽にしてくれているので、是非新訳をお手元に。

さて、誰に読んでほしいか?
1. 街角に出始めた(出ようかと思う)若い皆さんに、

本の扉に書いてあるフレイレのメッセージを読めば、今の日本のとりわけ若い皆さん、街角に繰り出した皆さん、繰り出そうか出すまいか悩んでいる皆さんが読むべき本であることが理解されると思います。

「この世界で、引き裂かれている者たち、抑圧されている者たちに、この本を捧げる。そして、引き裂かれている者たちを見いだし、彼らと共に自らをも見いだし、共に悩み、共に闘う、そういう人たちにこの本を捧げる」

2. 日本社会の最前線で活躍するミドルズ、「被抑圧者」なんかじゃないという方々に、


そして、次の文章は、日本社会の最前線で活躍する皆さん、自らの生活に必死で本なんか読んでられねーよ、という皆さん、あるいは私は「被抑圧者」なんかじゃないから関係ない、という皆さんにも、これが必読書であることを示していると思うのです。

(8頁)
コースの参加者が、「意識化することは危険だ」という言い方で、「自由への恐怖」を表すことが、本当にめずらしくなかった。「批判的意識というのは、なんというのかな、それはアナーキーで危険のことのような気がする」


3. 「被抑圧者の意識化なんて、危険だ!」と考える皆さんに


あるいは、週末に起きたパリでの同時多発「テロ」を見て、被抑圧者の「意識化」は危ないことである。過激派思想を生み出すと主張する人たちに、45年前にフレイレがどういっていたか知ってほしいと思います。

9頁)
「不正な状況があるとしても、その状況の下で苦しんでいる人たちがはっきりとその不正の状況を"認識"しない方がよいのではないか」
、となる。

(しかし、)人びとを「破壊的な狂信」にかりたてるのは、意識化ではない。意識化はむしろ逆に、人びとが主体として歴史のプロセスに関わっていくことを可能にし、狂信主義を避けて一人ひとりを自己肯定に向かわせる。


「意識化によって社会的な不満を表現する道がひらかれるということは、こういった不満が抑圧状況のうちにはっきりと現存する、ということを示している」

これは、重要なことです。「自己肯定」を切実に必要とする被抑圧者らが、歴史において、日本でもドイツでも世界でも、どのような破滅行為に邁進していったのか、自分より「劣る他者(集団)」をスケープゴート化することで、いかに「偽りの自己肯定感」を得ようとしたのか。それが、今再び、日本で蘇ろうとしている現実を目の当たりにして、よけいにそう思います。

4. 戦争を経験しなかった今世代の皆さんに
あるいは、「飼いならされてなんかおらん!」と憤慨する皆さんに

私たちが向かうべきは、自己肯定感を持てないような家族・社会・国家・世界のあり方であるにも拘らず、それを社会課題として昇華させないで分断された個人のそれぞれの内面に深く刻み込むことで、支配する者たちの言いなりになる人の群れが準備され続けてしまう。つまり、「飼いならされた人びと」の創出・・・が、この本の最も挑戦しようとしている点です。

その意味では、日本の戦争を経験しなかった世代のあらゆる人びとにこそ、この本は読まれるべきだと思います。

日本は、近現代史において、「権力による飼いならし」は無縁の経験ではなく、その行き着く先が一連の戦争でありました。多くの戦争経験者は、これに気づき、自らの思考を転換させていきました。しかし、その世代の大半は、もはやこの世におられないか、引退されてしまいました。そんな重しがなくなった途端、かつての日本の風潮が戻ってきて、今「飼いならし化」が再び強まっており、気づかない間に社会・日常のあらゆる場面で「刷り込み」が進んでいます。

が、おそらく「飼いならされてる」なんて、失礼な!と憤慨してらっしゃることでしょう。だとすれば、是非この本を批判するために読んでほしいと思います。


===========
が、その前に・・・!
キー概念である「意識化」、そしてその後の「エンパワメント」とは?

この説明は本にないので、ここを理解しないと、全然通じないので、以下私の経験も含めて紹介しておきます。

日本の大学・大学院で国際協力に関心のある日本の学生を教えていると、必ず皆「エンパワメント」という言葉や概念に触れ、首をかしげながらも、惹かれて、やたら多用します。

私は、これを勿論良い事と思って、眺めます。
ただ、質問はします。
「エンパワメントって何?」
そうすると、大抵の場合、フリードマンの引用をスラスラと言ったり、書いたりしてくれます。
その時、フレイレまで遡ってくれるのなら、もう言う事はないのですが、大抵そうではありません。知識として、フリードマンにインスピレーションを与えたということは知っていても、何故そうなのか…までは行き着いていません。

なので、次のような質問を投げかけると、途端に皆立ち止まってしまいます。

「エンパワメントって、あなたの今の状態において、どういう関係性を持つ?」
「あなたはエンパワーされている状態?だとすれば、どういう状態にあるの?その理由は?」

ここでスタックします。
それでいいのです。
日本で「フツー」の学生生活を送ってきた人なら、このような問いに答えるだけの経験をしていないと感じるのが当然ですし、考えたこともなかったというのが一般的なのですから。とても幸運なる育ちをしてきた人といえるでしょう。あるいは、エンパワメントされうる存在として考えた事がないほど辛い人生だった…ということかもしれません。

「途上国の女性、あるいは貧困者のエンパワメント」
の問題に惹かれるものの、何故自分がそのテーマに無性に惹かれるのか分からない日本の女学生は非常に多いです。それらの人たちは、自分は「良い立場にいて」、「エンパワーされなければならないのは自分ではなく彼女たちだ」という前提があります。

その論理の底辺に重要な役割を果たすのが、「経済的な貧困」です。1日1ドル(1.2とか1.5とか2とか)以下で暮らす人びとである以上、これは「エンパワー」された状態とはいえず、だから経済成長による「エンパワメント」が必要だ、と…。(この論理の飛躍については、さすがにあまりないと思っていましたが、最近国際開発分野の博士後期課程の学生の書いたものを読んで、さすがに驚いたため、一応書いておきます)

多くの善良なる日本の若者が、アジアアフリカラテンアメリカの「貧困」問題に関心を寄せ、「貧困者のエンワメント」のために、自分が何かしなければ!と考えていることは、素晴らしいことです。私もかつてそうでした。その想いが、世界の中でも所謂「途上国」にばかり足を運ぶ契機となりました。

しかし、そこで私が気づいたことは、「他者のエンパワメント」を語るには、「deprived(権利剥奪/デパワーされている)状態」を理解しなければならない・・・つまり、その人を取り巻く社会政治経済構造を掴む必要がある、そしてそれは多くの場合不可視化されており、かつ文化・慣習によって本人自身がそれを甘受している状態にある・・・ということでした。そして、その論理でみていったときに、日本の私たちが、果たして「エンパワーされた状態」といえるのか、そもそも自分たちの置かれた政治社会経済の構造下の状況を、「剥奪」と呼ばないまでもどこまで理解しているか…という問いに打ち当たりました。

つまり、フレイレが書いているように、「意識化」(気づき)の問題、つまりは「剥奪されている状態」の構造的な把握と、それを変革せんとする意思を抜きに、エンパワメントは語れないのです。

日本語の「意識化」では、これが上手く伝わりません。
かといって、ポルトガル語さらに意味が伝わりません。
自分なりの言葉で補うならば、
「自己の考え・生活に内包されてしまった社会的・政治的・経済的な構造や矛盾を理解し、それらの構造を変える変革主体として目覚めること」
とでもいいましょうか・・・・。
私も、もう少し考えてみます。

おそらく、私が個人として「世界に出て行って、困っている人を救う」ぐらいの勢いでいたのが(恥ずかしい…)、ガラリと変わったのは、1991年のブラジル・サンパウロのスラムでのHIV/エイズと共に生きる人びとと過ごしたボランティア活動の経験によってでしょう。

今から思えば、本が出て未だ22年しか経っていない時期で、民政への以降直後で、すでにフレイレはブラジルに戻ってきていました。サンパウロ市政は、極めて革新的で、フレイレも教育長を務めましたが、保健衛生分やでは感染者・患者の主権に沿った行政を展開しようとしていました。それを促すだけの市民の運動があったのです。

その後、予算配分を住民が決める方針など、住民主権や自治体の「自治」等先駆的な政策がブラジルの一部の都市で展開していき、最初の世界社会フォーラムをホストするなど、ブラジルの市民・社会運動は、世界的に大きな役割を果たして行くことになりますが、私は本当に偶然にも、ただ「途上国での生活をしたい」&「ポルトガル語が使われている国に留学したい」という単純な理由で、ブラジルに行き当たり、そして民政後の躍動するブラジル社会の様子に触れることが出来たのでした。

ブラジルには、私の居場所がないことを知って、一抹の寂しさを覚えたことは事実ですが、他方でなんともいえない感動を感じました。勿論、当時も今でもブラジルに問題は山積していますが、ブラジル人が解決するだけの主体として既に立ち現れていたし、それが試行錯誤の長い道のりだとしても前に進んでいくものと思われ、そこに私が果たせる役割はないな、と思いました。(勿論、実際は違ったかもしれませんが)

私は、学生たちが大学の有償化政策に反対して行ったデモに参加した時に、特にそれを感じました。言ってること、掲げているプラカードは限りなくラディカルなのに、まったくカーニバルのようなお祭りっぽい、楽しい様子で、老若男女が歩いているのです。勿論、皆がリズムを様々な楽器や即席楽器(コカコーラの瓶や缶を棒やナイフで叩く)で刻み、繰り返し繰り返しシュプレヒコールをしながら練り歩く。

日本でも、原発反対のデモでも当たり前になったあの光景は、1991年のブラジルで既に日常でした。

それを、経済的な成長の成果だ、という人がいます。
日本の援助のお陰だ、とも。
しかし、労働党政権が2003年以来政権の座についている事実を、表面上で理解するとしても、社会に通底する主権意識の定着(意識化/エンパワメントの成果)抜きに、今のブラジル政治・社会は語れないと思います。
そして、その点において、日本の官民がブラジルにしたことは、多くはないこと、時に軍事政権側についていたことを、忘れるべきでもないでしょう。

サンパウロのスラムの集会所で寝泊まりしていた時、そこが集会所であるが故に、あらゆる人がやってきて私と話をするわけですが、いつも彼らは「お前はどう思うんだ?」と聞いてきました。勿論、米国やヨーロッパに行っても、同様の質問をされます。しかし、決定的に違ったのは、その先があったということです。
「お前は、どういう経験から、そういってるんだ?」

当時、20歳か21才でしたが、その言葉に答えるだけの経験など持っておらず、彼らの過酷な人生に比べれば、取るに足らない経験ばかりで、なんと答えていいやら・・・でも、彼らがいわんとしていたのは、経験の過酷度のことではなく、「私が、何故そのように考えるに至ったのか?」という「社会の中で生きる主体としての私の気づき」を問いたくてのことだった、と後々気づきました。

そこから私は、学術的な論文でも、「it is said」を使うのをやめました。そうやって容易な手法に逃げるのを。
「私の言葉」で語ることを、そしてそのために、「私としての経験」を紡いでいくことを、していこうとしました。そして、サンパウロで目の当たりにした、HIV/エイズと共に生きる人びとが、それまで家族・社会・自分自身から疎外され、隠れて生きていたのを、自ら起ち上がり、互いに連帯し、他の人びとと連帯していくプロセスの中で、社会政治を変え、社会全体に夢と希望を与えたプロセスを、決して忘れないようにしようと思ったのです。

これらの当事者運動が様々に勃興し、連帯し、ブラジル社会と政治を変えて行くプロセスがありました。しかし、為政者となった運動主体たちが、どうなっていくのかは、ブラジルでも南アフリカでも、今鋭く問われていますが、それに対抗する運動もまた過去の経験を踏み台に新たに始まっていくのだな、と思う毎日です。

フレイレの実践と本がこれらにどの程度、直接・間接的な影響を及ぼしていたか・・・については、私は十分知りません。ただいえることは、1960年代という重要な画期に、彼が行った様々な実践や本を通じての共有がなければ、ブラジルだけでなく世界の多くの人びとの「エンパワメント」は、もっと時間がかかり、もっと違ったものになった可能性があると思います。

しかし、そのような恩恵について、日本の私たちが十分それを自らのものにしようとしたか、というとここは疑問です。今でも、「エンパワメント」という言葉が、カタカナ以外で置き換えられないように、「意識化」がどうしても「内面的な気づき」に終始した理解で限定されてしまうように、私たちは依然として、「フレイレ前/解放の神学の前のブラジル」と同じ状態にあるといっても過言ではないかもしれません。

その意味で、1日1ドルの「貧困者」が、個人として1日3ドルの収入を得るようになったからといって、「エンパワーされた」といわないことについて理解されないこと、「政治」を抜いたところで貧困と開発の問題を語りたがる日本の関係者の存在は、不思議な事でも何でもないのです。

アフリカの農民組織を、「政治目的のアソシエーション」ではなく「経済理由での結合のコーペラティブに昇華させるのが援助の役割」とおせっかいを焼きたい日本の善良なる援助関係者の皆さんは、フレイレ後に生きる南の農民たちの「意識化」「エンパワメント」の試行錯誤をまったく理解していないばかりか、それを阻害している現実すら見えないことを露呈させています。これは、アフリカ諸国の為政者らにとって、とりわけ農民運動によって権力の座に押し上げてもらったいくつかのアフリカ政権にとって、とても都合の良い事であることもまた、おそらく理解せぬまま、「アフリカ政府(農業省)の要請による、政策による」といって、お墨付きを得た援助と主張されることでしょう。他方のアフリカのいくつかの国の権力者にとっては、口うるさい、しかし人数の多い農民組織を分断し、「デパワー」するために、これら「善良なる援助者らのおせっかい」を利用せんと、「経済だけが目的の農民の結合体」づくりをもっともらしく掲げ、それにカネまでも出させるという試みをやっている訳ですが…。

政府がやることは「政治抜きのこと」であって、政府のやっていることに反対することは「政治」と考える日本では、到底エンパワメントを本当の意味で理解する日はこない可能性があるわけですが、エンパワメントを本当の意味で理解する若者が一人でも増え、自らの社会の変革に取り組む糧となれば、と以下本を紹介します。
(前置きがエライ長くてごめん・・・まあいつものことだが)

が、忠告。
本を図書館で借りる、あるいは買って、全文読んで下さい。
あくまでも、気づいた点の抜粋です。

この本の章を紹介します。
序章
第1章:「被抑圧者の教育学」を書いた理由
第2章:抑圧のツールとしての"銀行型"教育
第3章:対話性について
    ー自由の実践としての教育の本質
第4章:反ー対話の理論


みて分かる通り、ドンドン手強くなっていくのが分かるかと思います。
なので、全部を一度に紹介するのは・・・断念しました。
まだ本調子でない私には、荷が重すぎますので。。。。

今日は、前章の説明をしており、そこで終わりにします。
なお、三砂先生の訳は間違いなくすばらしのですが、やや伝わりづらい点があるので、所々補足を()で入れています。特に、ポルトガル語は主語を省きがちなので日本語と同じなんですが、こういう場合は補足した方が読み手に読みやすいので、いちいち補足しています。

(10頁)
自由への怖れをもっている人の多くは、その怖れを意識しておらず、そんなものは存在しない、として直視しない。心の底で自由を怖れている人は、危険な自由よりも日々の安定に隠れようとする。

しかし、実際には、(…)巧妙なやり方で、無意識のうちに、この自由の恐怖をカモフラージュしてしまう傾向のほうがむしろ強くなっている。(ある人たちは、)自由を擁護するふりをして、自由を怖れないかのようにとりつくろい、作為的な言葉を広げていく。

こういった人たちは・・・自由の守り手であるかのような、深くまじめな雰囲気(を醸し出す)。こうなると、自由というものが、現状維持(されるべきもの)ということに見えてしまう。

だから意識化というプロセスを通じて、(この)現状維持に(は)問題がある、ということが議論され(始め)るようになると、(これらの人たちによって)本来(真の意味で)の自由はつぶされ始める。


この後、セクト主義や狂信性の問題が延々と続きます。
恐らく、全共闘時代の方々でも嫌気がさしてしまうような記述の仕方かもしれません。
しかし、今の日本で何らかの運動や活動をしている人たちには、是非読んでほしいです。これは、所謂「左」でも「右」でも、宗教でも同じです。

もう一点、注意してほしいのは、フレイレが「ラディカル」という言葉を使っている点です。
これを「過激派」と間違って捉えられる危険が出ているので、あえて書いていますが、ここでいうラディカルは「根本的な理解に基づいた革新的な行動」というニュアンスのもので、もっと広がりのあるポジティブなものです。訳が難しいので、三砂先生も「ラディカル」のままで記載されています。

決して、「過激派思想」と混同しないように!それを避けるために、延々とセクト主義批判が展開されています。一点だけ、手がかりになる文章があるので引用しておきます。

(12頁)
セクト主義は狂信性に基づいていて、結局いつも人間の思考を骨抜きにしてしまう。
ラディカルであるといことはセクト主義とは違う。
ラディカルであることは、常に批判されることを怖れず、批判によってより成長していくものだから、創造的(クリエイティブ)なプロセスである。


セクト主義は神話的ともいえる内向きの論理で構成されるため、人間を疎外していく。
ラディカルであることは批判的であることだから、人間を自由に解放する。
自由とは、人間が自ら選んでそこに根をもち、はっきりとした客観的な現実を変革するための努力をし、その状況により深くコミットして行くことではないだろうか?


私は、ここのこの本でフレイレが言いたいことの多くが含まれていると思います。

(15頁)
(右であれ左であれセクト主義は)未来を立ち上げるどころか、両者ともに「安全なサークル」に閉じこもり、そこから外に踏み出すこともなく、自分なりの真理に安住してしまう。未来を作り上げるために闘い、未来の構築のリスクを負う、といった真理とは違う。


最後のメッセージが、私は好きです。
1968年秋に亡命先のチリ・サンチアゴで書かれた序章ですが、今特に街角に出ようかどうか迷ている若い皆さんに読んでもらいたい文章です。

(16頁)
世界と対峙することを怖れないこと。
世界で起こっていることに耳を澄ます事を怖れないこと。

世界で表面的に生起していることの化けの皮を剥ぐことを怖れないこと。

人びとと出会うことを怖れないこと。
対話することを怖れないこと。
対話によって双方がより成長することができること。

自分が歴史を動かしていると考えたり、人間(他者)を支配できると考えたり、あるいは逆の意味で自分こそが抑圧されている人たちの解放者になれる、と考えたりしないこと。

歴史のうちにあることを感じ、コミットメントをもち、人びととともに闘う。

そういうことだけだと思う。


もう一冊どうしても紹介したい本があるので、フレイレ本の紹介(その1)はここまでです。
では、またいつか、次を・・・。



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by africa_class | 2015-11-16 02:45 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

デモから熱意をもって学び始めた若者から学ぶ秋

先月、オランダの研究所で博士候補の学生たち(といっても世界中からきた活動家兼院生たちで、皆相当の年齢だが…)を前にレクチャーした後に案の定体調を崩してしまい、さらにお客さんラッシュと農繁期に突入したところで、突然7匹のネコのママになってしまい、そこに今度はいくつかの研究所からのインタビューとブラジルの大学院の学位論文審査も重なり、バタバタとする毎日だった。

この1ヶ月書こうと思って書き始めて終わらなかったことを、勢いにのせて終わらせようと思う。家族が釣りにいっているこの隙に…。

それにしても、久しぶりに研究所や大学院で先生達や学生たちと触れ合って、「研究」の空気を吸って、「ああ私は本当に研究が好き(だったん)だなあ」と実感する日々である。

***

安保関連法案を巡る攻防が佳境のある日、
教え子からメッセージがきた。

卒業後も関わることの多い彼らだけれど、彼らからのメッセージはいつも心に温かな何かを灯してくれる。そういう時、「大学の先生」をさせてもらったことに感謝の気持ちで一杯になる。子育てもそうだが、彼女ら・彼らの人生のある一瞬を、密度濃く、互いに悩みな がら関わらせてもらえたこと(もらえること)に、有り難さでいっぱいだ。親が、先生が「育てる」のではない。「共に育つ」のだ。親として、先生として、育 ててもらった。依然として足りないままだけれど、確実に彼女・彼らに育ててもらったと実感する毎日だ。

他方、正直にいってしまえば、在学中私はどこかで学生たち(ゼミや外大だけを意味せず日本の他の大学も含む)の社会・政治に対する「受け身」な姿勢に少しばかり残念な感じをいつも持っていた。それ以前に、同業者であった大学の先生や研究者に対しても同じがっかり感を持っていた。

世界・社会の一員として、世界・社会問題や政治にどっぷり浸かりながら、研究や活動をする世界の若者や研究者と交流する機会が多いこともあって、この「断絶感」が腑に落ちなかった。(多分、あまりロールモデルが身近にいないせいもあると思うので、今度世界の"Activist-Scholar[アクティビスト研究者]"について取り上げる)

しかし、多くの人は誤解していたと思うが、そしてこのブログでも度々書いてきたが、私は教室で活動の話をしたことはない。デモや抗議活動に学生を誘ったこともない。あくまでもブログやツイッターで、「ただの一人」としてしかやらないことを鉄則としていた。勿論、イベントの手伝い等は誘ったけれど、あくまでも機会としてであり、講演会等にきて話を聞いて自分で考えてほしいためであった。

自分で気づく。
自分で考える。
自分で行動する。

他人の押しつけや、煽動であってはいけない。

それではまったく意味がない。
本当に意味がない。

だから「主張」ではなく、「問い」を投げかけなければならない。


それにしたって、日本がこんなに社会としても国家としても大変な状況に陥っているのに、どこか「ひと事」な同僚や学生たちを前に、正直なところあきらめ感を抱いていたことも事実だった。「このままいくと大変なことになる」…そう気づいて何年も何年も警鐘をならし続けたのだが、「政治」は遠いところのことで、それに関わることは「中立でなくなる=偏ること/面倒なことになること」という前提は強固だった。

(*日本政府や日本の人がやたら使いたがる「中立」という言葉の問題は、また別のところで。世界的には、「中立性」よりも「公平性」が重要であること、時に「中立性」は被害者を犠牲にすることをどこかで書かなければならないと思っている。)

「皆が気づいた時には遅い」

それが、戦前の日本でも、ナチスが台頭したドイツでも、歴史が私たちに教えてくれたことであり、せめて「学びの館」にいる我々ぐらいは、誰よりも早く気づき、論じ、考え、行動すべきと思っていた。しかし、日本的な同調圧力の強さ、あまりにも影響を受けやすい脆弱な学生を前に、あるいは活動をしながら研究・教育をしているが故に、あえて学会や学内で、踏み込むことは避けた自分がいた。

いや、他の人からみたら「相当踏み込んでいる」ように見えただろうし、実際のところ、学内・学会内で「出る杭」をかって出てはいた。その結果として改善したこともあったし、変わった人もいたし、沢山のリパーカッション(「打たれる」)も受けた。でも、それらのフィールドで、私の主体的な判断として、そこまで踏み込んだわけではなかった。社会活動・運動は別であるが。

学生に対しては、「踏み込む」ことはあえて避けて、私のどうしようもない試行錯誤な「背中をみて」、何か疑問に思って考えるきっかけになればいいな・・・とは思っていた。つまり、「先生アホやな・・・黙っておけば得するのに」とか、「街頭に立って声あげる暇あれば、論文の一つでも書けばいいのに」とか。「先生のアホさ加減」に反発し、疑問に思ってくれれば、これ幸いと思っていた。そして、それが「いま」の気づきにならなくても、「いつか」自分が社会の中で、国家の中で、困ったことに出会った時に考えるきっかけになれば…そう思った。

正直にもう一つ書くと、日本の大学と学術界から一旦身を引いたのは、自分の体調やその他のこともあるけれど、この一方的で身勝手な「がっかり感」からきていた。これは社会に対しても同じだった。「じゃあもっと頑張って変えればいいじゃない」…という20代、30代を突っ走って来た。しかし、心身ともにそれに疲れたのだと思う。

でも、私は間違っていた。
そして、私の浅はかな、勝手な、愚かな考えを、今詫びたいと思う。

これまた1年生の時からもう9年近くつき合ってきた卒業生からのメッセージ。彼は、本当に真面目に勉強に取り組む学生で、いつも一番前の席にいて、質問はしないものの鋭い答案やレポートをいつも提出していた。でもあまりに真面目なんで(すまん)、アフリカに独りで武者修行に行ってとても変わった。率先して皆の面倒をみて(including me)、あれやこれやのイベントを的確に仕切ってくれた。意識がすごく高い学生であったが、でも社会に飛び込む…という点では二の足を踏んでいる感があった。卒業後は、大企業で「フツーのサラリーマン」をしている彼。その彼からの先月のメッセージ。

**
仕事と並行して国会前のデモ活動などにも参加しています。何年か前、舩田先生の家で一晩中話していたことが急速に現実のものとなっていく様子に底知れない恐 ろしいものを感じます。

民主主義とは何か、憲法とは何か、政治とは何か、いかにして生きるか、まさか卒業してから卒論を書いている時以上の熱意で勉強をす ることになるとは思いもしませんでした。

毎日のように流れてくる本当に子供じみた政治関連のニュース(報道されないことのほうが重要になってきましたが) を見るにつれ、自分が生きている社会が如何に未熟なのかを見せつけられて悲しくなります。

ただ、足元のこの社会を変えていく、自分が変わることを諦めるつ もりはありません。なにかわからない大きな力に勝つ方法はわかりませんが、負けない方法は大学時代に教わりました。

学ぶこと、学び合うこと、相手に敬意を 払うこと、語り合うこと、それがゼミの仲間以外とも少しづつですができるようになってきました。また、先生ともお話ししたいです。」
**

なぜ私が詫びているかは、もう分かったと思う。

あわせて、「デモを怖い」「デモなんてやっても変わらない」といっていた若者が変わっていった様子をまとめたとても良い番組を見つけたので、ぜひご視聴を。

■2015年10月11日

「デモなんて」 SEALDsの若者たち/テレメンタリー2015

http://www.at-douga.com/?p=14722

なお、私のところには、「アフリカで社会的起業をしたい」という若者が沢山相談にきたし、実際元ゼミ生の多くもそれをしようと考えているが、彼らのいう「社会」とは、「社会問題」とは一体なんなのか?いつも疑問に思わざるを得なかった。

彼らの頭の中には、「世界/アフリカの貧しい人びと・子どもをビジネスでWin-Winに救いたい」というイメージが強烈にあるのだが、彼らの考える「貧しさ」とは一体何なのかいつも疑問に感じていた。それは、自分の社会の闇にきちんと向き合って得たものではなく、どこか表面的な「どこか誰かの貧しさ」というイメージに振り回されたもののように思えたからだ。そのようなイメージの中で行動する自分もまた、イメージにすぎない。自分の社会の中の闇に向き合うことなしに、その闇と自分との関係を考え・直接的な意味で感じることなしに、どうやって他の社会の闇に主体的に関われるのか?…厳しいようだが、そして今の私がいう権利などないが、かつて「アフリカでの社会的起業」を奨励していた私である以上、書いておかねばならない。

自分の社会で「貧しさ」を考える気はさらさらないのに、「アフリカの貧しさをなんとかするために国際協力したい」という日本の若者が多いことにびっくりする。しかし、実はこれは若者に限らない。「開発の専門家」によくある姿勢だし、「国際開発の研究者」にも同様である。

彼らの眼差しには、「6人に1人の子どもが貧困」状態にある衝撃的な日本の現実は見えないようである。あるいは、地方開発の象徴だった原発が爆発しても、依然として汚染水を地域に地球に垂れ流し続け、「除染」という名の「移染」による廃棄物が積み上がったままでも、子どもの被ばくが放置されても、生活が困窮化する避難者がいても、教訓を学ばないまま原発が再稼働されても、「日本型開発モデル/ガバナンスモデル」は「成功」だとして、検証なしに「国際協力」し続けようという。

ルワンダの虐殺には関心があるのに、日本軍による中国での大量殺戮についてはまったく関心がない。アフリカにおける戦争と平和・平和構築には関心があるのに、日本・沖縄における戦争と平和・平和構築には関心がない。一体私たちは、「どこの誰として」余所の殺戮・戦争・暴力・平和と関わろうとしているのか?

そんな問いに、同業者からも、学生たちからも、たいした反応はなかった。

でも…原発事故の後、若者たちは静かに、悩みながら、深く深く考えていたのだ。私を含む大人達が知覚すらし得ないところで。自ら表明することなく、疑問をあきらめることなく、じっくり考え、社会と政治のあり方を見つめ、大人達を見つめ、そして立ち上がった。

ごめんね。
私もやっぱり「上から目線」でしかなかった。

また、研究者の中には、60年代末から70年代の学生運動に関わった人も多く、だからこそ距離をおいてきたことも事実だろう。それでも、研究者たちも、土壇場で立ち上がった。

私もまた、目で見えるものだけを前提にしていたのかもしれない。
自分の奢ったものの見方を反省するところひとしきりである。


まだ立ち上がっていない若者や研究者の方が勿論多い。
それは、今後もそうだろう。
でも、最前線のすぐ横で眺めていた人びとが立ち上がったことは、最近の日本では非常に珍しいことであり、かつこの末期的な状態の中では大きなことだと思う。

なお、以上のメッセージの中にある「一晩中話したことが現実化する」とは、卒業生たちが泊まりにきたある晩に、即興で一つの短編小説を口述した話のこと。

実は、現実の方がファンタジー化しているために、現実の危機を説明するには、ファンタジーを使った方が良いというのがここ数年の私の結論であった。息子の誕生以来、絵本を読むかわりに、夜な夜な即興で物語を作って聞かせたが、いつも息子は話し始めて数分で寝てしまうので、unfinishedな話ばかり…。しかも、自分も寝落ちしてしまうので、話を覚えておらず、翌日また別の物語を始めてしまう。それと同じ要領で(?)、帰る電車やバスがなくなって泊まっていった卒業生たちと話しながら、即興である物語を紡いだ。

(*なお、私は文章を書く際には二通りのやり方をする。このブログの駄文のように、書きながら考える手法。もう一つは、頭で全体を「書いて」しまってからテキスト化する手法。博士論文は妊娠・産後の最中でPCにまったく向かえなかったので、後者の手法で(この手法は、家族でも自分の目で見る迄意味が分からないらしい…が、見たらなるほどな手法)。この夜は、その折衷バージョンだった。)

その時、集った卒業生たちは「社会ムーブメント」について議論していた。なので、意地悪くも、「社会ムーブメント」がどのような可能性と限界をもっているのか、権力がそれをどう怖れて、どう壊していこうとするのか、その結果何が起こるのか…をその場にいた人たちを登場人物として一気に物語った。

舞台は「ブッククラブ」。
そこに集う6人の若者男女。

日本の歴史を振り返り、社会や人びとのあり方を考えた時に、大きな組織・運動では、運動が進むにつれて主義主張が交錯し分裂してしまうか、権力側に一気に悪用されてしまうので、一人ひとりの気づきと自立&そのような人同士のオープンな連帯(一極集中ではなく、分散型の多種多様な自発的な運動の緩やかなネットワーク)を育むことが必要…ということで、日本の皆が不勉強すぎることもあり「ブッククラブ運動」をすればいいよ、というところから話を始めた。

そして、「でも…」というところから、ファンタジーになっていった…。

いつかちゃんとテキストに落とさないといけないのだけれど、現実がすでに前にいっているので、まあいっか。面白いことに、同じ趣旨で、アンゴラでブッククラブについて分析する記事が出た。

Daily Maverick(南ア)
「分析:アンゴラの政権に脅威をもたらすブッククラブ」

"Analysis: The book club that terrified the Angolan regime"

http://www.dailymaverick.co.za/article/2015-06-25-analysis-the-book-club-that-terrified-the-angolan-regime/#.Vhnvyc55mKJ
Question: How subversive can a book club really be? Answer: It depends on the fragility of your regime. If you are Jose Eduardo dos Santos, then it’s a very subversive hobby indeed. Guns don’t scare the Angolan president – his are bigger anyway – but ideas are a much more dangerous proposition in a state that rests on such precarious foundations. By SIMON ALLISON.

そう。
独裁はブッククラブ的運動は怖いのだ。

でも、権力側による外から中からの破壊・分断、自らの内部崩壊もまた、歴史が教えてくれる教訓。一人ひとりが解放され、気づき、考え、行動できる・・・日本社会では今まで十分には重視されてこなかったし実践されてこなかった「市民になること」を、ここで手にできるか否かが、日本の現在と未来の分岐点となるだろう。

それに気づき、動いている若者・同僚たちに、心からのエールとお詫びを。
前から書いて途中になっている、フレイレの『被抑圧者の教育学』についてそろそろ本格的に書きたい。

そして、若者の不安と解放については、昨日の投稿を。

「今日結婚するメグミちゃん&みなへのメッセージ:脱「草の根ファシズム」のヒントとして」

http://afriqclass.exblog.jp/21727201

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by africa_class | 2015-10-11 19:19 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

*注1(21日夕方):急いで3度ほど聞いただけで、訳したので間違っていたらすみません!録音があればもう少し正確に訳せるのですが…。
*注2:
self-determinationは、「自己決定権」ではなく、国際法上通常使われる「自決権」としています。ただ、沖縄の背景・現状・皆さんの想いにおいては「自己決定権」の方が良いでしょうが(詳細は末尾の「所感」、国連人権理事会総会という場の性格を考えると「自決権」であるべきなのでそう訳しました。またこの点は後日ブログで改めて書きます。
『沖縄の自己決定権』(新垣毅編、高文研)が出ているそうなのでご一読を。>
2015年2月16日の
沖縄国際大学でのフォーラム「道標(しるべ)求めて―沖縄の自己決定権を問う」の動画→http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-238976-storytopic-1.html>
*注3(21日夕方):両者の主張を聞いての私の所感は末尾に入れています。夕食を作りながらなのでまた明日見直します。
*注4(22日3時):私の所感に加筆。安倍政権・日本政府だけでなく、沖縄出身ではない我々の責任にも言及しました。
*注5(22日正午):英文や訳文が出てきました。録画と原文にそって修正すべき点を加筆(青色)しておきました。致命的な訳し間違えはなかったと思います。
*注6:なお、西洋語から日本語に同時通訳的に訳す場合と文章を翻訳する場合では、訳の手順が異なります。テキストの翻訳をする場合は、装飾部分を前にもってきて文章に統合する形で訳すと滑らかですが、同時に訳す場合は間に合わないので2つの文などに切り離して訳します。簡潔さを要求するビジネス英語では、日本語の装飾に次ぐ装飾満載の文章は嫌がられるので、通常においてもこれぐらい切っておくべきでしょう。が、ポルトガル語やフランス語となると日本語と似た状態になりますが。なので、以下は、あくまでも聞き書きの訳ということでこのままにしておきます。日本語文としては成熟さや美しさが欠けています。
*注7(24日午後):どうやら日本政府代表が、「人権理事会での取り扱いはなじまない」と理事会後に(日本のメディアに対して)表明していたようです。この点についての所感をさらに末尾に付け加えました。
また、国連人権理事会年次総会2日目に行われた「島ぐるみ会議」の再反論の全文も掲載しています。

【琉球新報】「人権と関係ないというのは本当に残念」 知事、政府に反論

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249301-storytopic-3.html
*注8(同上):本日、翁長知事が、日本外国特派員協会で記者会見を行っており、日本政府代表の反論についてとてもまっとうで、私たちも学ぶべき事実や論点を披露されています。すべての方に視聴して頂ければと思うので、是非リンク先の動画をご覧下さい→https://www.youtube.com/watch?v=96Gtk9mqLqI
*注9(10月12日)このような話題・分析をより読みたい方は
例えば以下の投稿をご笑覧を。(外務省のサイトから「植民地支配」に関する記述が消えたそうなので、かなり確信犯だと思いますので、改めて分析をします)

「一括掲載:安倍首相談話の分析〜被抑圧者の視点を含む現代国際関係史からの考察」

http://afriqclass.exblog.jp/21548918/


【原典】
動画(沖縄タイムス):http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133925
原文:http://www.okinawatimes.co.jp/photo_detail/?id=133924&pid=961964
訳文:http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133924


【琉球新報】自己決定権、人権「しっかり伝えたい」 知事、国連演説へ

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249216-storytopic-3.html
市民外交センターは国連登録NGO。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/peacetax/

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国連人権理事会 年次総会 2015年9月21日 ジュネーブ
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【翁長知事のスピーチ】
議長:次は市民外交センター

議長、ありがとうございます。
私は、翁長雄志、沖縄県知事です。
世界の皆さんに辺野古に関心を寄せてほしい。
沖縄の人びとは、その自決権を蔑ろにされている状態にある。
(この最後の2文はくっつけた方が良い)

第二次世界大戦後、米軍は我々の土地を武力で収用(強制的に接収)し、軍事基地を建設した。
我々は我々の土地を自らの意思で提供したことはない。

沖縄は、日本の0.6%の面積を占めるに過ぎないにもかかわらず、73.8%の米軍基地(在日米軍専用施設)が沖縄に集中する。
戦後70年、米軍基地は、多くの事件・事故を起こし、環境破壊をしてきた。
我々の自決権や人権が蔑ろにされてきた。
我々の国は、国民の自由、(平等が抜けてました)、人権と民主主主義を保証しておらず、そんな国がどうして他の国々と価値を共有できるだろうか。(<=大体あってたかな)

日本政府は現在、新しい基地を、辺野古に、美しい海を汚して(埋め立てて)でも建設(作業を強行)しようとしている。過去1年間、すべての選挙で沖縄の人びとは繰り返し基地建設に反対の意思を示してきたにもかかわらずである。

私は、この新しい基地建設に対し、あらゆる手法を使って阻止する所存(覚悟)である。

今日このような機会を頂き、話ができたことに感謝したい。

【日本政府代表からの反論】
日本政府代表として反論の権利を行使する。
市民外交センターを代表してスピーチした沖縄県知事の発言に反論する。

日本の政府にとって、国家の安全保障は、国民の平和な生活を維持する上で最も重要な課題である。安全保障を巡る状況が急激に深刻化している現在においては、特にそうである。

日本政府としては、米軍駐留による負担を軽減することは最優先課題である。米国政府との協力によって、いくつかの負担軽減策を取ってきた。例えば、今年3月、米軍の施設に使われていた土地51ヘクタールを返還した。また、日本政府は、沖縄の経済振興をするために、沖縄をアジアのハブとして位置づける努力もしている。また、日本政府は、沖縄県との間でハイレベル協議を設置し、この件について話し合ってきている。

米国海兵隊飛行場の普天間からの移設は、米軍の存在(抑止力)を継続的に保証する一方、それに関わるリスクを排除するため、唯一の解決策である。普天間基地は人口集中地にあるからである。

そして、この普天間基地からの移設計画は、歴代沖縄知事によって、1999年、2000年、2013年にエンドース(承認)されてきたものである。また、辺野古での基地建設のための許可は、仲井眞・前沖縄県知事から法的に合致する形で与えられたものである。日本政府は、今後も関連法・制度のもとに、この移設を適切に進めていく。

なお、移設にあたっては、自然・生活への環境インパクトを鑑み、環境インパクトアセスメントもしている。

日本政府は、今後も沖縄への十分な説明を継続していく所存である。

*録画がアップされたようです→https://www.youtube.com/watch?v=oceiZSnYLAc
夕食を作らねばならないのでこれにて失礼。後日正確な訳をアップします。


【両者の演説を聞いての所感】

日本政府代表の「反論」は、翁長知事のスピーチの根幹である「自決権」(「選挙で繰り返し示された民意」)の侵害について、一言も反論できておらず、日本政府が繰り返し国内でやっている説明を繰り返しただけで、国際的には通用しない文言が列挙されているに過ぎません。これでは、人権理事会に集う人権エキスパート達に、次のような印象を与えたと思います。

日本政府は、
「反論になっていない」=「翁長知事の主張をスルーした」
「沖縄の人びとの訴えに不誠実である」=「人権侵害の訴えに真剣に取り組もうとしていない」

具体的には例えば、以下のものです。
1)「負担低減やってる」
<=といって出て来たのは51ヘクタールの返還のみ。

2)「経済振興やってる」

<=これを自決権の反論として使うのであれば逆に人権エキスパート達の反感を買うでしょう。というのも、国連で「自決権」という言葉を使う場合は特にです。当然ながら、戦後の国連は「植民地支配」「他民族支配」「人種差別・隔離政策」に厳しく対応してきた過去があるので、「経済振興しているから自己決定権は後回しで良い」という論理は、コロニアルなものとして受け止められます。
*この場面では決して、決して、決して…触れてはならない言葉でした。

3)「対話してる」
<=じゃあ何故知事が市民社会枠を使ってまで、国連人権理事会総会で演説しなければならなかったのか?に応えておらず、日本政府の「自決権」に対する反論のなさを鑑みても、この「対話の無効性」を明確に示す結果となりました。
*私なら「対話してきたが」として反論材料にしますが。

4)「説明を継続する」
<=出た!…の感がありますが、問題は「説明」ではなく、相手(沖縄)の民意や自決権に対してどう対応していこうとするのか?という検討であって、一方的な感じが否めず、人権や対話の尊重ができていない国であることが逆に露呈してしまっています。

いずれも、「してやってる感」=「上から目線」が濃厚な反論ですね。

内向きな論理でしか反論もできない日本政府…あーーーあ。
この反論させられた外務省職員が翁長知事の言葉を受けて「自分の言葉」を語れないのは日本の外務省・政府のあり方の問題が根底にあるので気の毒ではありますが、国際社会の共感を呼ばない、あまりにも稚拙な反論だったと言えるでしょう。

あえて言えば、この日本政府の反論は、官邸との調整で先にカタマっていたものであり(文言の細部も含め)、その意味で、ベクトルの方向として、日本政府に向けたものであって、国際社会に向けたものではなかったといえると思います。(まあ、日本政府・外務省によくあるパターンですが)

一方、翁長知事の訴えは、かつて植民地支配された国々・人びと、人権を重視する国々・人びとの胸にきちんと届いたと思います。また、彼がジュネーブまできて訴えなければならなかったという事実、そして国連人権理事会の年次総会という場でこれが繰り広げられた時点で、「国際世論に訴えたい」という目的を持って演説に望んだ翁長知事やその周辺の勝利ともいえます。

<=誰でもいつでも話せる場ではないので。

そして、国際的には気づかれないだろうけれど、事情を知る者として「ああ日本政府・外務省らしく、本当に不誠実・不公正で嫌だな」という点は、「基地移転計画が3度歴代知事に承認されている」という部分。

翁長知事の辺野古移設反対の土台を崩そうという論理で出てくるのですが、「辺野古への移設」は仲井眞知事以外に承認された事実はないのに、あえて辺野古という文言を使わずに「基地移転計画」という言葉を主語に使うことで、ギリギリ「ウソ」と言われないように細工しながら、「彼以外の知事は承認してたからやった」かのように反論している点です。

国際舞台でも繰り広げられる不誠実でセコイ日本政府の手法に、本当に悲しくなります。

【所感への加筆】
最後に、「何故国連人権理事会の年次総会でこの案件(辺野古新基地建設)を取り上げることができたのか?」という点について、多分不思議に思っている皆さんは多いと思います。

これは、かなり長いスパンで沖縄の人びと・市民社会が取り組んできた国内外の活動の蓄積の成果です。これ以前に気が遠くなるような活動の数々があったのですが、説明が長くなるのでまた別の機会に取り上げます。

キーワードは、もしかして日本の皆さんには聞き慣れないかもしれない「自決権(self-determination)」があります。しかし、これこそが第二次世界大戦後の世界を、とりわけ国連の場(特に総会)を、大幅に変えてきた論理です。おそらく、皆さんも、世界史の授業や教科書で学んだことでしょう(日本史でほとんど取り上げられないからこそ今回の問題に繋がってくるのですが…この論点も改めてどこかで書きます)。

沖縄の人びと・県政がこの「自決権」を使い始めたことは、世界史的な連続性があり、琉球史・日本の近現代史上、とてつもなく大きな大きな意味があります。

*ただし、「民族自決権」とくくることについては翁長知事は慎重なので、ここは要注意です。これには色々な立場が沖縄の中でもあるので。http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133383&f=cr

安全保障関連法案を巡る政治のあり方への疑問が、「国民主権」「主権在民」の基本に注目する動きを生み出していますが、沖縄の人びと、そして翁長知事が「国民主権」ではなく、あえて「自決権」という言葉を使っている理由を、日本の政府だけでなく、沖縄以外の人びとが理解しないのであれば、事態はもっと緊迫していくと思います。

現状においては、安倍政権の数々の強権的な振る舞いが一番の問題です。しかし、根本原因には、長年にわたる私たち自身の意識・無関心・無理解・真剣な対応のなさがあります。

大戦時の犠牲、米軍統治もそうですが、その前史である薩摩藩の支配、「琉球処分」、から紐解いていかないと、永遠に理解ができないでしょう。

この点について、知事らが参加したシンポジウムは手がかりになると思います。


【沖縄タイムス】翁長知事、沖縄の苦難の歩み切々 国連でシンポ

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133935
「琉球処分から説き起こした。…キャンプ・シュワブゲート前での県警による市民の強制排除、海上保安官の暴力を示した。参加者は真剣な表情で見入った。…「反米でも反日でもない。基地をこれ以上造らないでほしい、というのは過大な要求ではない」と訴えた。8月に沖縄を訪問した国連人権理事会特別報告者のビクトリア・タウリ・コープス氏もシンポに出席。「沖縄の人々には自己決定権がある。この不正義を正さないといけない」と、援護射撃した。」

そして、冒頭に紹介した24日の翁長知事の日本外国特派員協会での記者会見は、大変短いのにすべての論点が明確に説明されているので、沖縄や駐日米軍基地の歴史を十分知らない皆さんにはおすすめです。いつもながら、すばらしい通訳者の方が通訳されているので英語の勉強にもなります!
→https://www.youtube.com/watch?v=96Gtk9mqLqI

私は、沖縄出身ではなく、かつ薩摩の関係者として、国連人家理事会総会でこれを訴えなければならなかった翁長知事とその後ろにいる140万もの沖縄の人びとに、深く深くお詫びしたいと思います。と同時に、翁長知事をはじめとする皆さんの決意と勇気に最大限の感謝を述べたいと思います。私たちは、日本国内で沖縄の人びとの叫びを十分に受け止め、この問題を解決できなかった事実を重く受け止め、なんとか責任を果たしていかなければならないと思います。

世界に恥ずかしいのは、安倍政権・日本政府だけでなく、私たち一人ひとりでもあることについて、今一度共に考えて頂ければと思います。


【所感への追加加筆〜日本政府代表による「人権理事会になじまない」発言】
会議後、嘉治氏は記者団に知事の演説について、人権理事会での取り扱いはなじまない、との見方を示していた。」(琉球新報 9月23日)

日本政府代表が本当にそう考えるのであれば、国連人権理事会の場で、正々堂々とそう表明すれば良いのです。しかし、知事演説に対する最も重大な反論であろうこの点について、日本政府代表は理事会議場では一言も触れず、総会が終わった後に日本&沖縄向けに言った点がさすが「二枚舌外交ニッポン」ですね。

なぜ議場で日本政府代表はその点を追求しなかったのか?
それは簡単。
人権「後進国」日本では通る論理かもしれませんが、国際的にはまったく通らないからです。

当然ながら、人権侵害を訴えている人がいる場で、しかもそれを訴えること自体が国連人権理事会に認められている以上、「それは人権侵害ではない」と述べるのは「セカンド侵害」です。

それを分かっていて、あえて議場で発言せず、しかし国内向けにそのように発言してメディアに報道させた点がこれまたセコイ。しかし、このような場外での抑圧的言動は、むしろ日本政府の人権意識の低さ、沖縄の人びとの基本的な権利を尊重する気のなさを露呈しまい、更なる反発を呼ぶ結果となってしまったと思います。

以下、知事の会見でのコメントと2日目に再度理事会総会で市民社会からの日本政府代表への反論全文を掲載しておきます。

【琉球新報】「人権と関係ないというのは本当に残念」 知事、政府に反論

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249301-storytopic-271.html

「翁長知事は22日午後(日本時間同日夜)、国連欧州本部で記者会見し、知事の国連人権理事会での演説について日本政府が「軍事施設の問題を人権理事会で取り扱うのはなじまない」などと批判したことについて、県民は米軍基地から派生する事件事故、環境汚染や騒音などに苦しんできたとした上で、「人権と関係ないというのは本当に残念だ」と反論した。」

【島ぐるみ会議】FB
9月22日国連人権理事会年次総会
https://ja-jp.facebook.com/shimagurumi


***
議長、ありがとうございます。


この場を借りて、先住民の権利に関する分科会において発言をする機会を与えてくださったことに感謝を申し上げます。さらに、国連特別報告者のビクトリア・タウリコープズ氏にも今年8月に我々の故郷、沖縄を訪れてくださったことに心より感謝を申し上げます。


日本政府が発表したコメントのいくつかの点について説明をさせていただきたいと思います。
第一に、沖縄集中する米軍基地負担の軽減策の一環として今年3月に51ヘクタールを返還した、と日本政府は発言されました.しかし、51ヘクタールというのは在沖米軍基地面積のわずか0.2%にすぎません。


次に、日本政府は、基地建設に必要な埋め立てについて、仲井真元沖縄県知事より承認を得て、関係法令に基づき行われていると発言しましたしかしながら、第三者委員会はこの承認手続きについて検証を行い、その手続きが法律上瑕疵があると結論付けました。現翁長雄志県知事は、その承認取り消しに向けた手続きを進めています。建設の継続は法律違反となります。


また、日本政府は経済振興策を負担軽減策の一つであると発言しました。しかし、経済振興策で人権侵害が軽減されることはありません。だからこそ翁長知事は、国連人権理事会で訴えるためジュネーブまで来たのです。


安全保障の重要性により人権の重要性がないがしろにされることがあってはなりません。





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by africa_class | 2015-09-22 00:26 | 【考】民主主義、社会運動と民衆