人気ブログランキング |
ブログトップ

Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

カテゴリ:【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ( 106 )

【最後のイベント!】9月4日15:30-参議院議員会館「

連投失礼します。
TICAD(アフリカ開発会議)にあわせて来日したモザンビーク小農たち。
登壇最後のイベントが、9月4日15時30分から参議院議員会館で開催されます。

国境を越える世界の小農運動が実現した「小農権利宣言」。
そして、「家族農業の10年」が今年5月に開始しました。
これを受けて、日本の開発援助や投資も、「変わらなきゃ!」。
しかし、変わらない…。
そこで、モザンビークから当事者である小農運動のリーダーが来日し、
外務省・JICAと直接議論するそうです!

ぜひ、この機会をお見逃しなく。


■□■□■□■拡散・転送歓迎■□■□■□■□■□■□■□■□
院内集会(2019年9月4日15:30-18:30@参議院議員会館)
国連「小農権利宣言」「家族農業10年」を受けて考える日本の開発援助とアフリ カ小農
 ~モザンビーク、プロサバンナの事例から

【案内サイト】https://ngo-jvc.info/30oekpT
【申込】https://ssl.form-mailer.jp/fms/cc3ed7cf633390
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

世界で小農や家族農業への注目が高まっています。昨年末に国連総会で「小農と
農村で働く人びとの権利に関する国連宣言(小農宣言)」が採択され、今年5月
からは「国連家族農業の10年」が始まりました。小農・農家が主体的にその営み
を継続させられるよう、これを守り促進していくための取り組みが国際約束とな
りました。この国際的な潮流には、家族で営む小さな農業の役割の再評価と期待
が込められています。

このことは、海外で行われる日本の農業分野への援助や投資にも影響を及ぼします。
アフリカ・モザンビーク北部(ナカラ回廊地域)における日本の援助(ODA)事
業「プロサバンナ」に、現地の小農運動組織UNAC(モザンビーク全国農民連合)
が反対を表明してから7年が経ちます。

この間、モザンビークの市民社会は、同事業の「大規模農業開発」という方向性
のみならず、その不透明性や人権侵害、市民社会への介入・分断などについて反
対と要請を続けてきました。しかし、状況が変わらぬまま、現在までに30億円以
上の日本の税金が費やされています。昨年には、同事業がモザンビークの人びと
の「知る権利を侵害」、「事業にかかる情報の全面開示」との判決が現地の裁判
所で確定しました。

今回来日する小農運動リーダーが所属するUNACは、小農宣言等の成立に多大な役
割を果たした国際的小農運動ビア・カンペシーナの構成団体です。これまでUNAC
は、地球環境・地域社会、そして人びとの食を支える小農を尊重し、ボトムアッ
プで政策や協力が創造されるべきだと主張してきました。

世界的にもアフリカの小農からも、日本の開発援助や投資のあり方の転換が求め
られている今、日本の援助関係者・機関、企業、そしてNGOや市民はどう変わっ
ていくべきか。小農運動リーダーとビア・カンペシーナ国際局の元スタッフをお
迎えし、活発に議論したいと思います。ぜひ、ご参加下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■日時:2019年9月4日(水)15時30分ー18時30分
(*参議院議員会館ロビー左手に、持ちもの検査を通った形で、15:00-15:20の
間に集合下さい。遅れる方は申込み時の備考欄に記入下さい)

■場所:参議院議員会館 101会議室
https://bb-building.net/tokyo/deta/457.html
■言語:日本語(ポルトガル語・英語からの逐次通訳あり)
■資料代:1000円(学生500円)
■参加申込み:以下のサイトで事前申し込み後、直接参議院議員会館ロビーまで お越し下さい。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/cc3ed7cf633390
■お問合せ:電話:03-3834-2388(渡辺)
■定員:100名
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■当日のプログラム:
【1】背景「これまでのプロサバンナ事業をめぐる経緯」:
渡辺直子(日本国際ボランティアセンター)
【2】現状報告「現地で何が起きているのか」:コスタ・エステバオン(ナン プーラ州農民連合代表)
【3】現状報告「モザンビーク社会で何が起きているのか」:ボアヴェントゥー ラ・モンジャーネ(プロサバンナにノー!キャンペーン)
【4】政府代表との公開ディスカッション:
外務省、JICA、モザンビークゲスト、池上甲一、渡辺直子
【5】現状報告「ディスカッションを踏まえた世界潮流報告」
:池上甲一(近畿大学名誉教授)
【6】オープンディスカッション

■主催:日本国際ボランティアセンター、アフリカ日本協議会、ATTAC Japan、
No! to landgrab, Japan、モザンビーク開発を考える市民の会、その他募集中
■助成:庭野平和財団、大竹財団
==============================

a0133563_18154631.jpg
a0133563_18161826.jpg


by africa_class | 2019-08-30 18:20 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

【TICAD(アフリカ開発会議)】モザンビークゲスト>明日TV放映・記事紹介・ネット配信番組

しばらくご無沙汰してしまいました。
畑はようやく夏野菜の収穫を迎えつつあります。
そんな中ですが、TICAD7(第7回アフリカ開発会議)が今横浜で開催されていることをご存知でしたか?今日が最終日となりました。私が関わったTICAD4(2008年)から10年以上も経っていることに、驚きます。その時、アフリカは日本では今以上に「遠いところ」で、人の交流も関心も低調で、これをなんとかしようと、TICAD市民社会フォーラムを設立し、「アフリカ2008キャンペーン」などを使って、盛り上げたのを思い出します。これについては、『アフリカ学入門』(明石書店)にまとめているので、是非ご一読下さい。

その後、日本の開発援助と投資はアフリカに流入していったのですが、各地で問題を生じさせるようになってしまいました。特に、私の故郷モザンビークは、日本の官民の最重点国となり、プロサバンナ、ナカラ経済回廊開発、天然ガスをはじめとして、地域の小農の暮らしを犠牲にする上からの開発が進められています。

しかし、2008年のTICADとの大きな違いは、それに抗う住民・小農の当事者運動が、今アフリカや世界で盛り上がりを見せていることです。前は都会にいるエリート層であるNGOや市民社会の団体とだけやり取りしていたのですが、今は小農の生の声が政策に届けられるようになりました。その最たるものが、このブログでも紹介している、「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言(国連小農宣言)」です。国境を超える小農運動がこれを実現しました。これにはモザンビークの小農運動(UNAC)も寄与しています。そのUNACに所属する小農が、今回も来日しています。
■国連小農宣言→

私がモタモタしているうちに、来日イベントの半分(TICADサイドイベント)が終ってしまいました…。すみません。8月31日は京都のキャンパスプラザで13-30-イベント、最後のイベントが9月4日15:30-@参議院議員会館にて開催されます!これについては、別の投稿で紹介します。

以下は、すでに番組や記事になっているものです。特に明日の番組は明日だけの放映ですので、ぜひぜひご覧下さい!


(以下、転載・転送歓迎!)
■□■□■□■□■□■□
TICAD(アフリカ開発会議)を受けたモザンビーク小農運動リーダー
コスタさん、元ビアカンペシーナのボアさんのイベント登壇・TV番組
・記事・ネット番組の一括紹介


*最後のイベント(9月4日15:30-)の申込み受付中!
国連「小農権利宣言」「家族農業の10年」を受けて考える
日本の開発援助とアフリカ小農:
https://www.ngo-jvc.net/jp/event/event2019/09/20190904-peasant.html

■□■□■□■□■□■□


【NHKワールド(8月31日)】
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/tv/globalagenda/20190831/2047047/
Unleashing Africa's Potential
August 31, 2019
10:10 - 11:00 / 16:10 - 17:00 / 22:10 - 23:00 / 4:10 - 5:00
プロサバンナにノー!キャンペーン」の代表として来日したボアヴェントゥーラ・モンジャーネさん(元モザンビーク農民連合・ビアカンペシーナ)がシエラレオネなどと議論。
【新聞記事】
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日本の農業支援、弊害も=モザンビーク農民が訴えーTICAD8/30(金) 6:22配信https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190830-00000006-jij-int ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーカメルーン農民、大企業の農地収奪批判=まず人権尊重を8/29(木) 13:34配信https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190829-00000059-jij-intーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日本の農業支援、弊害も=モザンビーク農民が訴え-TICAD2019年08月30日06時20分https://www.jiji.com/jc/article?k=2019083000223&g=intーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【インターネット録画配信】20190829UPLAN【TICADサイドイベント】(SDGsとアフリカ開発?ー私たちの暮らしから考える〜)https://www.youtube.com/watch?v=7tJ8NAFvKKY【インターネット中継予定】8/31(土)13:30-16:30京都でのイベント「今、アフリカで起きていること〜私たちの食や暮らし、税金から考える」https://www.ngo-jvc.net/jp/event/event2019/08/20190831-africa-kyoto.html中継チャンネルhttps://iwj.co.jp/channels/main/*現在、チャンネルを確認中です。<本件についてのお問い合わせ先>モザンビーク開発を考える市民の会 事務局http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/office<@>mozambiquekaihatsu.net

a0133563_18101448.jpg


by africa_class | 2019-08-30 18:11 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

研究界への介入・暴力(3)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

ドイツは初雪。
本格的な冬になってきた。
すっかり風邪をひいてしまい、「続き」もなかなか書けないでいた。

いきなりこのページに出会った人は、まず以下のものから読んでほしい。

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

https://afriqclass.exblog.jp/238886464/

研究界への介入・暴力(1)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

https://afriqclass.exblog.jp/238890376/

研究界への介入・暴力(2)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

https://afriqclass.exblog.jp/238897471/

さて。
この投稿で「JICA」と総称しているのだけど、当然ながらJICAに勤める全員が問題という訳ではない。留学仲間や選挙監視等の元同僚、教え子も沢山働いているし、一緒に沢山のイベントや事業をやってきた。共同研究もしてきた。

でも、この6年プロサバンナに関わって思うのは、もはやJICAはあの時代のJICAとは異なっており、組織として腐敗しつつあるのではないかという点。この政権になって、各省庁の腐敗ぶりは知られるところとなったが、政府系の援助機関であるJICAも同様の事態に陥っているのではないかと心配している。

夢を持ってJICAに就職したあの学生、この学生のことを思うと心苦しい。

6年を振り返ると、腐敗につながっていくようなあってはならないことが、プロサバンナの件では先取り的に、あるいは如実に出てきている、というのが一番分かりやすい説明かもしれない。

やや可哀想なのは、確信犯的にこれらの汚いことに手を染めている上層部の後始末を若手が担わされている点。とはいえ、困っている人のために力を尽くしたいと思って入ったJICA。やはりおかしいことはおかしいと言うべきであって、片棒を担ぎ続けながら、その中で見つけた「善いこと」をやって自己満足を得ようとするというのは、違うと思う。

でも、モザンビークにいた日本の若者が言っていたが、「マプート界隈では、プロサバンナに関わっている人って人相悪くなるって、もっぱら評判です!」という点は、自覚してほしい思う。実際、外務省・JICAとNGOの意見交換会に時々出て、ずらっと並ぶJICA関係者の顔をみていると、たまにしか会わないからかもしれないけど、「この人ずいぶん目が淀んできたね・・・」という人は少なからずいた。最後までキラキラした瞳のままだった彼は、いつもとても辛そうに話を聞いていた。あの彼はいまどこにいるのだろう。

それでも、どうせ2、3年のことだから、その期間だけ我慢すればいい話で、自分には責任はないと思っている職員が実際はほとんどだと思う。面倒な案件に関わらされて迷惑だとも思っているだろう。煩いNGOらに追求されて腹が立つとも思っているだろう。(でもプロサバンナを始めたのは、そもそもJICAだから…腹を立てるのであれば立案者に立てるべし)あるいは、組織論理に追従しただけといいたいと思う。しかし、これこそが「誰でもない者の支配=凡庸なる悪」の問題であって、このことはハンナ・アーレント(アイヒマン裁判)の議論を用いてすでにやったので、ここで繰り返さない。

このように後から担当した人たち、あるいは下の立場で命令どおりに動かなければならない若い人たちのことを今回書こうと思っている訳ではない。

若い人達、本当に初心を忘れないでいたいと思っているJICA関係者には、ぜひ自分の所属している組織や上の人達が何をしているのか、してきたのか、知ってほしいと思ってこれを書いている。知った上でどうするかは、それぞれが考えるべきこと。でも、まずは、知るところから始めてほしい。

つまり、主体的に数々の対市民社会「戦略」を立て、実行に移した、上のレベルの人達がいたわけで、その人達が組織の資金を動かし、命令指揮系統を動かし、その結果として、組織としてのJICAがその流れで動き続けるしかない宿命(本当は違うのだが)を負ってきたことについては、何度でも確認しておきたい。

プロサバンナが、現在もJICAの資金を使いながら、モザンビークの市民社会への介入・分断を続ける源流が2013年に形成されていて、それはJICAが地元コンサルタントに作らせた『コミュニケーション戦略書』に如実に示されているのだけれど、これを企画し、資金を動かし、指示をし、その後のレールを敷いた人達がいたことを忘れてはならないのではないか?・・・それが一番いいたいこと。

その関係者が依然としてJICAのトップに座っていることを考えれば、自ずとその連続性と重要性は明らかだと思う。

だから、5年前に起きたことを、少しずつ語り始めたいと思う。

『コミュニケーション戦略書』にはターゲットグループとして研究者や研究機関、大学が出てくる。このことを念頭におきつつ読んでもらえればと思う。

なお、昨今の政府や政策に批判的な大学教員のところに議員やその周辺からバッシングや弾圧がいくようになっていることを考えると、5年前に起きたことをもっと早く世間に知らせておけばよかったとも反省している。ただ、なぜ今まで黙っていたかは、(1)に書いたのでそちらをみてほしい。また、長らく病気だったこともあり、自分の身に直接起きたことを書く気になれなかったというのも正直なところ。

でも、今回来日したモザンビーク農民らの勇気と絶望の目に触れて、もはや黙っていてはいけないと思う。

5年前の9月半ば、私はまだサバティカルの最後の月で、日本にいなかった。

学部長からメールがきて、JICAの●氏という人が私のことでどうしても面会をしたいといってきたので会った。

そもそもこの●氏こそ、JICA現地事務所の職員にNGO側のホテルを調べさせ、そこに現れた人物である。(*話が見えない人は(2)を読んで下さいね)

JICAだというので、大学としても無下に対応できなかった。(大学はJICAに紛争地の留学生の学費を負担してもらっていたし、学生たちの重要な就職先でもある)。本人はJICAのロゴマークと連絡先の入った正式な名刺を置いていったが、「個人/私人としてきた」と主張していた。

そして、このブログのことで彼の実名が出てくる記述があるが、事実無根なので削除修正をしてほしい。今後、実名での記述は止めるように。そして、謝罪メールかブログ記事を書くようにというものであった。

これは非常におかしなことであった。

2012年11月から数ヶ月に1度、政府とNGOの対話の場で顔をあわせており、メールのやりとりもしている。何か不快に思うことがあれば、直接私に言う、あるいはメールを書けば良いことであって、この件では明らかに無関係の大学にJICAの名刺を持参して行くこと自体が奇妙である。

●氏は大学にきた理由を「大学のサイトにブログへのリンクがあるため」とし、なぜ私に直接言わないのかについては何も説明しなかったという。また、具体的にブログのどの記事が問題なのか、その資料も渡されなかったという。

対応した先生たちは、大学は関係ないし…ということで思案していたら、10月半ばに●氏は再度大学に現れ、何らかの対応を私に対して取ったか聞いてきたという。そして、「裁判」という言葉を口にして、「弁護士とも相談しており、もし裁判になったらどうなるか」「時間が相当かかるだろう」と口にして帰っていったという。

大学からは、この人物が大学とわたしにある種のプレッシャーを与えにきたと理解したものの、一応背景が知りたいということだったので、まずは●氏がアレンジし、JICAの担当者として出演しているプロサバンナの番組を二つ観てもらった。そして、JICAのホームページにある同氏に関する記事を読んでもらうとともに、この人物が意見交換会で政府側の代表者として発言していることを議事録と出席名簿で確認してもらった。

つまり、プロサバンナの件では、「私人」ではなく「公人」として公金を使って活動している人物であり、同氏の狙いが単なる謝罪や訂正を超えて(単なる謝罪と訂正なら私に直接伝えれば済む話である)、私の職場を通じて政治的な圧力を加えることを目的にしている可能性について検討してもらった。

提供した資料をみた先生たちは、面会時の様子を勘案して、政治的な意図をかぎとり、私人としてきたなら、機関同士のことではないということなのだから、個人間でやり取りしてほしいと最終回答してくれた。

ただ、私としては「個人の問題」として扱うべき種類の問題でもないと考えていた。私を通じて、プレッシャーを与えたいのは私個人ではなく、日本のNGOの仲間たちであり、その先にいるモザンビークの農民運動や市民社会組織であることは明らかだったからである。(繰り返しになるが、私個人のことなら大学レベルに持っていく必要もない)

念のため相談しておいた弁護士からは、面会要請時や面会時に名刺を示している以上、「私人」と言い続けることはできず、ODAの透明性を担保し、改善を促そうとする大学人が自由に発信することを躊躇させる目的であることは明らかで、言論の自由を脅かすものだから、とにかく何かあったら一緒に闘うからと言ってくれた。

(以前もこの弁護士さんのことを紹介したことがあるのだけど、いわゆる「人権弁護士」ではなく、事件を長らく扱った後、企業のコンプライアンスに詳しい企業弁護士さんで、大学の顧問弁護士もしている方。彼がたまたま電話に出た犯罪被害者窓口で出会って、以来、あれやこれやでお世話になっている。でもお金を取らない。社会のために闘っている人を応援することで、自分も社会のための活動ができるし、普段儲けてるので、せめてもの罪滅ぼしと。。。)

その彼が首をひねって言ったのが、「原発建設とかダム建設とかそういうのならこういう話もあると思うけど(あってはいけないが)、これ『援助』の話だよね?なのに、ここまでのことをしてくるとすれば、よっぽどこの援助「危ない案件」なのか、組織が腐ってるのか、何なんだろう。とにかく気をつけるにこしたことはないから」と忠告してくれた。

たしかに、もっともな指摘だった。
こんなこと、普通にスキャンダル。
援助案件で政府・市民社会対話で協議の場に出てきている政府代表が、市民社会側の参加者の職場に「裁判するぞ」と圧力をかけに二度も現れたわけだから。

11月、プロサバンナに関する協議に出ている日本のNGO5団体から正式にJICA理事長宛に「JICA●氏の行為に関する問い合わせ」が送付され、JICAアフリカ部部長(当時)から回答がメールで届いた。そのメール文をもらったので、読んでみてほしい。

「お問い合わせ頂いた内容につきましては、東京外国大学の公式ホームページに、舩田氏研究室ブログがリンクされており、その中で、●氏に対する舩田氏個人の意見があり、同大学の公式見解として捉え兼ねないという危惧を、●から、同大学へ伝えたと理解しております。」

みて分かる通り、話が違っている。
●氏は私に謝罪をするよう大学が働きかけあることを要請しにきたのであって、それは大学側が聞き取った要求項目からも明らかである。そして二度とも同じ要求がなされた。JICA部長の回答内容では、●氏がわざわざ二度にわたって大学に現れた理由は説明不能となる。なぜなら、「危惧を大学に伝え」ることだけを目的とするのであれば、一度で済むはずだからである。

ここで生じる疑問は、JICAは●氏の二度にわたる大学行きを知っていたのか?知っていながら許可あるいは黙認したのか?「グル」だったのか?あるいは、JICAは知らず、●氏は完全に個人として勝手に来たのか?

これらの疑問への答えは後に明らかになった。

a0133563_07184128.jpg
写真は名刺のロゴ。




by africa_class | 2018-12-17 07:26 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

研究界への介入・暴力(2)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

あれやこれやで超忙しく、すぐ書こうと思っていた「続き」がなかなか書けない。

でも前回の投稿で、読んでおいてほしいものいっぱい書いたから大丈夫かな?
さて。
JICAが2013年8月1日に「コミュニケーション戦略の定義」のために地元コンサルタント企業(といってもポルトガルの会社)と契約したあたりから、同時並行的におかしなことが沢山起ったのだが、私(たち)の身に起きた数々のおかしなことを紹介していきたい。

2013年8月に開催された「第1回3カ国民衆会議」には、日本から6名のNGOと大学教員らが参加し、議論に耳を傾けた。

2名のNGO関係者に、大学教員ら4名。内1名はわたしだった。東京外大で准教授をやってる時代のわたし。

この6名で会議後、モザンビーク北部の首都ナンプーラ市に飛び、3つのチームをつくって2州の調査を行った。調査は3つの角度から行った。JICAの便宜供与を受けた調査、地元小農運動の案内で行った調査、独自に行った調査・・・つまり、調査の精度を高めるために、色々な角度から調査をするための努力がなされたことが分かると思う。

調査結果は、『ProSAVANA市民社会報告2013:現地調査に基づく提言』に詳細にまとめてあるので、そちらを参照されたい。この他にも、私を含む研究者らが、国際ジャーナルや日本の学術ジャーナルに調査結果を論文として、また学会発表も行っている。

JICAの便宜供与も別の大学教員からの大学教員としての学術調査協力依頼であって、それ以上でもそれ以下でもない。

しかし、首都からナンプーラ州にうつった当たりからおかしなことが起り始めた。(実は、首都でもおかしなことがあったのだが、これについてはまた今度)

その夜、私宛に、のちに人権侵害発言で現在も問題とされるナンプーラ州農務局長からおかしな電話がかかってきた。(*この局長については、2017年から現在にかけて、日本のNGOから外務省・JICAに対して公開質問状などが送られ、やり取りが続いているので、そちらをご確認いただきたい)

プロサバンナ事業の州農務局長の発言内容について
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy-statement/2018/06/20180531-mozambiquekaihatsu.html

わたしの携帯の番号は、JICAの便宜供与の絡みで、どうしても便宜供与を依頼した先生のモザンビーク内での連絡先が必要だといわれて、JICAに渡していたものだが、当然モザンビーク政府関係者には渡していなかった番号である。しかも、電話はわざわざ、わたし宛であった。

見ず知らずの政府高官。
夜8時というのに局長はホテルまで来るから「二人だけで話がしたい」という。この時点でぞっとしないとすれば、それはモザンビークを知らなすぎる人の発想であろう。

そもそもなんで番号を持ってるのか尋ねると、JICAがくれたという。
何の為にくれたのかと聞くと、話をはぐらかす。
延々といますぐくる、ホテルは知っていると言い張る。
なぜホテルまで知ってるのかと聞くと、あっさりと、JICAが教えてくれたという。

こんな時間に来られても困る、しかもある種の圧力にしか感じない。あるいは、脅したくってくるの?と聞くと、そんな訳がないとかああだこうだいっても引き下がる感じがない。

気持ちが悪いなんてもんじゃない。
モザンビークは1975年の独立以来同じ政府である。

それだけではない。

植民地時代の秘密警察と東ドイツのKGBが合体したような秘密警察組織網を築いている国である。そして、政府要職にある者は党の要職にパラレルについており、党の中には「ある秘密組織」があり、政府や与党に批判的な人物に陰に陽に圧力を加えることで知られている。ゲブーザ政権の二期目から、社会統制と介入が激しくなり、危険度が増していったことについてはすでに他でも書いた。

どうしてこういうことを知っているの?・・・と思う人はいないとは思うが、不思議な人は著書の『モザンビーク解放闘争史』か新刊の共著本『解放と暴力ーアフリカにおける植民地支配と現在』をお読み頂ければ。

そして当時のプロサバンナの担当大臣(農業大臣、前の内務省大臣、現在の外務大臣)が「誰か」知っていれば、その子分である州農務局長の役割も明確である。

そういうこともよく理解しないままに、日本の貴重な援助をこういう人達に委ねている。あるいは、気にしちゃいないということだろう。日本は援助の相手として独裁政府を好んできたことは歴史が証明している。冷戦期、米国に追従してということもあるが、独裁の方が一度トップと合意さえすれば、仕事が手早く片付けられるからでもある。

大使館もJICAも2001年までモザンビークに置いていなかったので仕方ないとはいえ、であればこそ、慎重にも慎重を重ねて、よく調べた上で援助を立案し、進める必要があった。少なくとも、2008年までの歴代大使もJICAも、その点においてはよく理解しようとし、慎重であった点は強調しても強調しすぎることはないと思う。

プロサバンナの問題が発生するまで、わたしは、すべての駐モザンビーク日本大使とJICAのレク(事前・事後の任国研修)を担当していた。理由は簡単。わたしのモザンビークへの関わりは、これらの機関の人達より古く(1994年から)、外務省に在籍したこともあり、日本で唯一のモザンビーク研究者だったから(当時)。後に政府高官になるモザンビークの研究者や政府関係者が友人や研究仲間だっただけでなく、大臣や歴代大統領と首相の全員を知っていたし、駐日モザンビーク大使の相談相手だったから。

1994年の戦後初選挙以降の政治的に自由な時期からゲブーザ政権の2期目の独裁に向かっていくまでの時期は、モザンビーク政府関係者も、とてもオープンで、自身が党のあり方などに批判的ですらあった。それが変わっていったのが、2010年以降。まさに、日本がモザンビークへの大型援助にのめり込んでいく頃のことだった。

2013年までは、わたしのモザンビーク訪問時には必ず大使公邸に招待になり、大使夫妻や大使館員とご飯を食べながら、モザンビークの現状について議論をしてきたし、大使館のパーティに招くべき地元関係者を紹介し、大使と一緒にいくつかのパーティを開催もしてきた。農薬問題(所謂2KR援助の件。また今後・・・)で一時は闘いもしたけど、それは表面のことであって、実際は大使館もJICAも問題は理解していて、逆に共感しあって関係を強化していた。農薬問題の後は、大使館もJICAも、派手な援助ではなく、地に足のついた、社会の分断を超えて着実な成果を出せるような「小粒でもキラリと光る援助」を目指して地元で行われている先駆的な試みに資金援助しようと頑張っていた。お手伝いもあって、市民社会とJICAを繋げるようなセミナーも何回か開催した。

しかし、TICAD IVが2008年に終わり、もう援助や政策に関わるのはいいかなと思って足を洗った途端、おかしな援助(ブラジルの協力を得てモザンビーク北部農業を刷新する=プロサバンナ)が始まるようになっていた。JICA内の南米関係者が、援助を卒業してしまった南米での活躍の場を失って、アフリカへの進出の足がかりにしようとしたのであった。

アフリカ部が研究室に尋ねてきてこの「ブラジル・セラードの成功をアフリカへ援助」を説明しにきたのだが、両方の国を知っていている者にはあり得ないものであり問題を引き起こすことになると指摘したが、その途端、色々なことが変わり始めたことについては既に書いたとおり。

「ブラジルを使ってのモザンビークへの進出=プロサバンナとナカラ回廊開発」という方向性が先陣を切ってプロサバンナで開始されると(末尾のJICA地図参照)、モザンビーク社会をどう捉えるのか、Do no harmの原則をどう実現するのかといった地に足のついた考え方やプロセスは一気に消えてしまった。

自らが頭に描いたイメージや計画を推し進めるために、便利な人達を、それらがどういう人物で、どういう結果をもたらそうとも、税金を使ってでも利用する・・・・その結果起きたことが、2013年から現地で続く「邪魔者(反対者)は轢いてでもプロサバンナを前進させる」という方向性であった。

これについては、モザンビークの11名の住民から出された異議申立に出てくる。が、この詳細は岩波の連載にも少し紹介している。
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1419

州農務局長からの電話に戻る。
翌日早いからと伝えると、今度は延々とJICAがいかに素晴らしい組織か、とくにプロサバンナを考えついた人物が自分の兄のような存在で、その人物の指導がいかに素晴らしいか、だからプロサバンナは間違いなく素晴らしいと演説する始末。もちろん、話はどんどん私や日本のNGOなどへの個人攻撃に向かっていく。すでに40分経過。丁度いいところでバッテリーがきれたので、とりあえず放置しておいた。

実は、ホテルはあえてJICA関係者が泊まらない宿をとっていた。
しかし、JICAはホテルまでモザンビーク政府高官に伝えていたのだった。電話のことを話すと皆が気持ち悪がって、それ以降は別宿に泊まることとした。

しかし、気持ちの悪い事態はこれで終らなかった。
農村部での調査から戻ると、今度は新しく予約したホテルにいきなりJICA本部から出張していた事業の担当者が現れたのである。

州農務局長が電話で延々と持ち上げ、「兄弟」「指導者」と仰いだ、まさにその人物が、ニヤニヤ笑いながら朝食の席に座っているのである・・・。嬉しそうにこちらをみて、挨拶してくる様子から、私たちがこのホテルに泊まっているのを知っていてわざとホテルに泊まっているとしか思えなかった。

しかし、何のため、わざわざ同じホテルに泊まっているのか?
どうやって突き止めたのか?
(JICAには絶対伝えないように全員が気をつけていた)

あるいは、思い過ごしなのか?
尋常ではないことが起きていることを誰もが感じた。

調査の最初から最後まで一緒に同行してくれた国際NGOの欧州人スタッフが別れ際、まじまじと目を覗き込んで、
「だいじょうぶ?何かあれば一刻も早く連絡するように」
といって、電話番号をくれた。

この時点では、「思い過ごし」だと誰もが思いたかった。とくにわたしは。

彼は長らく国際的な環境団体で世界あちこち(特に南米)の住民や環境団体を支援してきた経験から(南米では環境活動家が多く暗殺されている)、こういう一見「偶然?」と思える、しかし気持ちの悪いことが重なるときには、その背後で何か企みが進められていると教えてくれた。

「ただ、ヨーロッパのドナーだったら、もちろん、地元政府高官に個人情報である電話番号やホテルの場所なんて伝えないのが当然だけど。それどころか、こんな援助とっくにヤメてるはずだよ。なのに、JICAときたら、日本からの調査団にプレッシャーを与えるように政府高官に促して個人情報をあげてる。ついでに、わざわざ同じ宿に現れた。こういうこと自体が、プロサバンナの薄気味悪さ、汚さを証明してるよね。本気でみな『後ろ』に気を配って。」

そういって別れたのだが、何か「ぴーん」とくるものがあったのか、心配性なのか、その後マプートに戻った後も、ほとんど毎日一緒に街を歩いてくれた。

それでも、思い過ごしだよね?・・・そう自分に言い聞かせた。
でも、不安が拭いされなかった訳ではなかった。

結局、これが私たちの思い過ごしでなく、彼の懸念通りであったことが後にはっきりする。

つまり、JICA本部から出張できていたこの人物が、同じホテルに泊まっていたのは偶然ではなかったのである。日本のNGOと研究者が泊まっているからこそ、そこに泊まったのであった。

どうやって突き止めたのか?
なんと、この人物は、現地のJICA職員にナンプーラ市中のホテルを一軒ずつ訪問させて、私たちの泊まっているホテルを突き止めさせて、わざわざそのホテルにうつったのだという。

当然ながら、このことは、後にJICA内部で大問題になったという。(そりゃそうでしょ・・・。大学教員や日本のNGOを秘密裏につけまわして、スパイまがいのことをしようとしたのだから。。。)

このような行動の数々が、「コミュニケーション戦略書」の策定と実行と同じ時期に同じ場所で行われていたこと、同じ人物が両方に関わっていたことを考えると、かなり根が深いことが分かると思う。

そして、その後に続くとんでもないことの数々のレールが2013年にすでに敷かれていたことがわかる。

(続く)


a0133563_06472642.jpg

当時のJICAが、ブラジルを巻き込んでやろうとしていた大規模開発のイメージが良くわかる地図。

同じ日に配布された日本語資料からは、あえてブラジルの国旗がすべて削除されている。また日本語版で中央に大きく掲載されていた大豆のプランテーションの写真も削除されている。



by africa_class | 2018-12-10 06:49 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

研究界への介入・暴力(1)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

なぜ急にこんなに書いているかというと、来日したモザンビークからの小農たちが受けてきた傷や被害を改めて耳にして、もうこんな援助(プロサバンナ事業)は本当に許してはならないと思ったから。「小農支援」といいながら、地元の最大の小農運動のリーダーたちをこれほどまでに苦しめる「私たちの税金でやられる援助」について、洗いざらい、多くの人に知ってもらい、納税者で主権者でもある日本の人びと自身が、この事業に審判を下すべきと思ったから。

もちろん、ずっとそう思ってきたし、私を含め、皆それなりに行動してきたのだけど、「個人的な部分に関わることに見えること」はあえて書かないてできた。というのも、「個人的なことに見えること」を書くことで、「だからあの人は事業に反対するんだ」という結論を導き出されることは避けたいと思っていたから。

昨日の投稿で書いた通り、事実認定ができるファクト(根拠となる政府・JICA側の一次資料がある)だけで問題提起をすることが重要だと思ってきたし、今でも思っている。

ただ、なぜこの事業がこんな風にCIA(海外に向けた米国諜報機関)ばりの活動に手を染めるようになったのか、その初期の段階で何があったのかについて、一般の人に理解してもらうには、わたしや私たちの身に起ったことを説明する必要があると考えるようになった。

愉快なことではないので、病気だったこともあり、黙ってきたことも、もう広く社会に知っていただくべき時がきたと思っている。

2012年10月にモザンビーク最大の小農運動UNACと対象3州の農民連合がプロサバンナに反対の声明を出してから、JICAが陰で何をしてきたかについては、JICA自身の一次資料によって明らかにできた。これは昨日、このブログで紹介したとおり、実証的に岩波書店『Web世界』で詳細を述べているので、そちらを参考にしてほしい。

モザンビークで起きていること〜JICA事業への現地農民の抵抗
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1419

「コミュニケーション戦略」なるものを立てて、農民らの主張を矮小化したり、農民組織や市民組織をコミュニティや日本やブラジルの市民社会、メディアから切り離そうとしたことについては、以下の記事でも触れた。

「農民団体の価値を低める」と書かれたJICAの『戦略書』
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1171

ぜひ日本の税金で作られたJICAの地元コンサルタントとの契約の「成果物」を、ご自身で手にとて読んでほしい。私はJICAが情報開示請求の結果として公表したポルトガル語版で読んだのだけれど、英語版も以下のサイトで入手可能ないようなので、ぜひ皆さんに読んでほしい(特に、32-33ページ)。

ProSAVANA: Communication Strategy(『プロサバンナ:コミュニケーション戦略書』)

そして、その後この『コミュニケーション戦略書』が受け継がれる形で、JICAがさらに契約したMAJOLという地元コンサルタント企業が何をしたのかについても、リークされた一次資料(MAJOLからJICAに提出された3本の成果レポート)を確認してほしい。

なお、『戦略書』の英語版はMAJOL社がJICAに提出した最初のレポート(2015年11月)の参考文献欄に掲載されていた。しかし、JICAが開示した最終版からワザワザあえて消されていたことも、皆さんの頭にしっかりインプットしてほしい。(なぜJICAは参考文献一覧からこの『戦略書』を削除しなければならなかったのか?・・・ここにJICAが「確信犯」であったことが如実に示されている)

JICAの介入に反発する小農や「キャンペーン」
内部告発者からのリーク:JICAに提出された「レポート」の衝撃
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1181

以上の記事の最後に現物のコピーを載せてあるのだが、やはり一次資料を自分の目で確認してほしい。以下の国際NGOのサイトに「内部告発者」からのファイルがすべて掲載されている。
https://www.farmlandgrab.org/post/view/26158-prosavana-files

下記の2つのレポートには、プロサバンナに反対する公開書簡や声明に署名してきたモザンビーク内の団体やそれに関わった個人を個別調査し、「影響力の強さ・弱さ」「プロサバンナへのポジション」「同盟を結ぶことを促進できる、あるいは阻む要素」「内部の対立状況」が調査されたことが分かる。
https://www.farmlandgrab.org/uploads/attachment/Map.2.pdf

それぞれの調査結果は、表の形で「見える化」されるとともに、どうやったら巻き込みが可能かの具体的な提案まで書き込まれていた。特に、モザンビークの小農運動やNGOの資金源となってきた国際NGO(故に影響力「高」としてランキングされている)をどう懐柔するかまで書かれていて、正直なところ気持ち悪い。

JICAが地元コンサルティング会社にこんな調査をさせて、500万円もの税金を支払っていたことを一般の納税者が知ったときに、「援助資金の適正活用」として本当に納得してもらえるのだろうか?猛暑が酷くなる一方の日本で、教室にクーラーすらない小学校が大半である現実を考えるときに、こんなことが許されると思っているとすれば、あまりに驚きである。

結局、どうせこれらの文書はモザンビーク政府が開示を拒否したと主張することができるし、黒塗りするから、バレるとは思っていなかったのだろう。

しかし、こんなことに自身が手を染めることを許せないと考えた「内部告発者」がいた。

MAJOLがJICAに提出した最後のレポート(2016年3月)は、自画自賛と「ぶっちゃけトーク」満載(英語なので是非読んでほしい。)。プロサバンナに反対し続ける小農運動や市民団体を「過激派」扱いし、敵視。そして、あれやこれやの「アクション」にも関わらず、UNAC(農民連合)を味方につけられなかったために、彼等が農民人口の数パーセントしか代表してないとか、地方選出議員を巻き込むことで農民たちが主張し日本のNGOらが根拠とする「小農の代表」という主張を矮小化する戦術(tactics)を、同盟を組むようになったナンプーラ州の市民組織と立てたと報告されている。

当然、JICAがリーク後に止む無く公開したレポートは真っ黒塗り、あるいは削除の嵐。比べてみると面白い(…)ので、是非日本のNGOが公開してくれている以下のサイトをご参照。
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/index_docs.html

このように『戦略書』を踏まえて展開されたMAJOLの「コンサルティング活動」によって創り出されたプロサバンナ推進のための「市民社会対話メカニズム(MCSC)」(2016年2月)。これをJICA担当官らが嬉しそうに「市民社会主導」と呼び、MAJOLが「第三者」「独立」した存在だと強調したのには、今でも信じがたい。

そして、話はそこで終らなかった。JICAは、対話メカニズムが想い通りに機能しないことを受けて、2016年10月、MCSCのコーディネイター(アントニオ・ムトゥア氏)のNGO(Solidariedade Mocambique)と、2200万円ものコンサルタンティグ契約をかわしたのであった。詳細は以下の記事。

「推進派」NGOへの2200万円のコンサルタント契約
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1182

この契約書の現物は、以下のサイトからダウンロードできる。

2016年12月、ムトア氏が、JICAのコンサルタントとして莫大の謝金を手にしていたことを日本の大使館もJICAも伏せたまま、現地の新聞らに「モザンビーク市民社会の代表」として取材させていることが、外務省の一次資料でも確認できた。

その「成果」として、ムトア氏の話を真に受けた独立系新聞が、プロサバンナに反対をする人達を貶める記事を書いたことついては、未だ岩波の連載で取り上げてない。けれど、この記事は未だオンライン上に存在するので、ぜひ最後までみてほしい。なぜなら最後に、「この記事は日本大使館の組織したツアーに基づき書かれました」と記載されているからである。

http://www.verdade.co.mz/tema-de-fundo/35-themadefundo/60572-organizacoes-da-sociedade-civil-do-niassa-nampula-e-zambezia-libertam-se-de-maputo-gracas-aos-dolares-do-prosavana

そして、このブログで紹介した「3カ国民衆会議に現れた日本の若手『研究者』」は、この記事通りの主張を展開しているのであった。この点については、改めて触れるが、以下に少し触れている。

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

https://afriqclass.exblog.jp/238886464/

なお、SolidariedadeとJICAの契約書(署名は、以上のムトア氏)を見てもらえば分かる通り、2200万円の契約金の大半が「謝金・人件費」で占めれた。つまり、Solidariedadeとムトア氏の仲間になってプロサバンナを推進するNGO関係者に、JICAから莫大な資金が「コンサルタント料」として流れたことになる。

この自ら創り出した「市民社会メカニズム」をJICAは現在でも強調し、資金援助し続けている。

しかし、これらは地域で農業を営む小農自身あるいは小農運動ではなく、本来地域住民の8割を超える「小農を支援する」と称して結成されたNGOや市民組織、ネットワークであった。つまり、JICAが行った一連の活動は、地域に反対し続ける小農がいるのに、小農を支援する団体を小農から引きはがし、大金を掴むことでメリットを見せつけ、小農を孤立させ、追い込むことを招いたといえる。

今回も来日した農民たちが口々に語った言葉が耳の中でこだまする。
「骨と肉に切り刻み込まれた分断の傷」
「日本の資金、JICAの資金がなければ、こんな目にあわなかった。JICAの責任」

2年前と同じ表現を、より強い表現で口にした農民女性を前に、日本の市民として、何も返す言葉がないままだった。

だから、私もついに口を開こうと思う。
(続きはあとで。)

a0133563_15484690.jpg


by africa_class | 2018-12-05 15:49 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

なぜか岩波書店の『Web世界』の連載がトップ5を占める「怪」〜地味だけど皆に読んで知ってほしい日本の援助の「闇」。

岩波書店が出している月刊誌『世界』の記事が出版されたのは2017年4月のことだった。あれからあっという間に2018年も暮れ。もうすぐ2年近くが経とうとしている。同誌がWEBにもサイトを開設するというので、当初の記事をWEB用にアップデート&分割してほしいと頼まれたのが去年の冬。そして、WEB連載が静か〜に始まったのが、今年の3月。

連載 モザンビークで起きていること

JICA事業への現地農民の抵抗

https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461

本当は既に出した記事の校正だけで済まそうとしていたのだけれど、最初に記事を書いた2016年冬からあまりにも沢山の出来事があったので、少しずつ加筆していったら、ついに今でも続くロングラン「連載」になってしまった。当然、担当者も私も予想だにしていなかった事態。でも、あまりに過去&現在進行形の出来事がびっくり仰天するぐらい酷いので、世間のみなさまに広く知っていただく必要があるので、書店に「もうヤメて〜!」と言われるまで書こうと思う。

でも我ながら、すっごく面白い連載とは…いえない。
事実が淡々と書かれているだけなので、多くの人にとって「つまらない」のではないかと、いつも心配になりながら原稿を担当者に送っているのだけれど、一昨日『WEB世界』のサイトを見て目が点になった。そして今みてさらに点に・・・。

なぜだか分からないのだけど、この連載の記事がランキングの1位から5位までを占めていたのだ。息子曰く、「なんかの間違いだよ、絶対。自分のPCからだからそうなってんじゃないの?」。そうだよね…と思ってTWEETしたら、どうやら他の人のPCでもそうなのだという。

何かの偶然が重なったのだと思うけど、たくさんの人に知ってもらって、考えてもらいたい内容ばかりなので、これはとっても有り難い。どんなに重要なことでも、知られなければ意味がなく、でも知ってもらおうにも、興味を持ってもらわなければどうしようもない・・・のだけど、あんまり楽しい話題でもないし、どうやって目にとめてもらって、実際に読んでもらうところまで行き着けばいいのか、皆目検討もつかなかった。(いまでもだけど・・・)

でも、何はともあれ、多くの人に読んでもらえるようになったのであれば、本当に嬉しい。自分のためにではなく、この6年間、私たちの援助のせいで、苦しみ続けているモザンビークの小農や市民社会の皆さんのためにも。

3カ国民衆会議で来日したモザンビークの小農運動のリーダーや市民社会組織の人達15名の話を聞く機会をもてた人なら知ることができたと思うけれど、日本の援助(JICAの資金とプロジェクト)で現地の人びとがどのような目にあってきたのか(きているのか)、ひとりでも多くの日本の方に知ってほしい。そして、こんなことを貴重な税金で許し続けていいのか、についても。事業開始直後に地元小農たちが反対を表明したというのに、この6年ですでに32億円の資金が費やされてしまった。32億円あったら、どんな素晴らしいことができるだろうと考えると、ただただ悔しい。

さて。この連載。紙媒体での記事の時から決めていたことがある。
それは、政府側(JICA)の登場人物の全員について氏名を公表することである。この理由は、ハンナ・アーレントが指摘するナチス・ドイツ時代のホロコーストの土壌と構造が「匿名性を帯びた役所や官僚による統治/支配」によって培われたという指摘を踏まえてのことだった。

6年間、プロサバンナ事業に関する外務省やJICAの官僚や担当者らの言動を観察する中で、アーレントが指摘した現象と似たものを、感じるようになった。これに抗うことは、プロサバンナ事業という一つの援助事業の問題を超えて、日本の国家や社会のあり方の「闇」に直結することと考えて、彼等の行為をすべて行為者の名前とともに、根拠を示しながら(すべて彼等の関与を示す文書を注にあげている)、明らかにしている。

詳細→

■森友問題、プロサバンナ問題を考える>アーレント「悪の凡庸さ」とグラス「玉ねぎ」を糸口に

https://afriqclass.exblog.jp/23780372/

とくに注目しておきたいのは、JICAの登場人物のいずれもが自分は「『いいこと』をしているつもり」、あるいは「しているはずだ」という強い思い込みをもっていることである。あるいは、「命令にしたがっているにすぎない」、「命令のなかで、できる最善を尽くしている」つもりの人もいることを知っている。しかし、彼等がしていること、してしまったことはその真逆である。戦後の一時的な民主的で豊かなモザンビーク市民社会を、権威主義化・独裁化を進める現地政府とともに、いかに分断し、コントロールしようとしてきたか・・・。

そんなバカな・・・と言いたい人の気持ちは分かる。
私自身が「嘘でしょ?」「あり得ない」と思いながら、ギュンター・グラスのいうところの「玉ねぎの皮」を一枚一枚はいでいった結果がこれなのだから。連載を1つでも読んでいただければ、おそらく理解できると思う。

バックナンバー


私が、日本の皆さんに問いたいのは、CIA顔負けの「海外活動」に、果たして日本の納税者や市民として同意あるいは納得しているのか、という点。

困っている人を助けるためにあるはずの政府開発援助が、いつの間にか、現地社会で最前線でしぶとく不正義に声をあげる人達を弾圧するために使われていることを知ったとして、皆さんはどう考え、どう行動するのだろうか。

まずは知り、考えるところから一緒に、ぜひ。

a0133563_04580430.jpg

by africa_class | 2018-12-05 04:52 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

3カ国民衆会議は無事、成功に終わり、安堵する間もなく、事後処理に追われる日々。ドイツでは、とにかく「クリスマス」シーズンがはじまり、各家庭大忙しの時期。19回目のドイツでのクリスマス。あんなに嫌だったのに(この時期雨ばかりで寒い)、ドイツの父も母も亡くなって、なんだか今年こそは彼等が教えてくれた伝統に則ったクリスマスをしたいと、強く思うようになった。口には出さないものの、家の誰もがそう感じている。と同時に、日本のお正月の伝統も息子に伝えなくては…という気持ちも強まって、セカンドハンドのお重を2つも買い占めてきた。

この半年ほどクレイジーなほど忙しかったので、書きたいなと思いながらも書けなかったことを少しずつ書ければいいなと思ってる。

このテーマ(「研究」と暴力)については、数年前から書きたいと思っていたテーマだった。

もちろん、研究者としての肩書きをもつ私自身の「暴力」に無自覚なわけではない。沢山の人びとのインタビューへの協力を踏まえて書いてきた論文や研究書が「収奪でない」と断言できるかといえばそうではない。ただ、その危険と隣り合わせに、自覚し、自問自答しながら30年近くを過ごしてきた。いつも「なぜ誰のために何をどう研究するのか?」「研究成果を発表することによってどのような影響を及ぼしてしまうか(ボジティブだけでなく、ネガティブも)」を問い続け、今も問うている。

特に、戦争や暴力をテーマとして研究するようになってからは、この問いは肝だった。平和に関わる仕事がしたいと国連の帽子を一度は被った自分が、研究の道にきた理由を考えれば、これは当然のことであった。だから、博論の序章は、過去の研究がどのように戦争や介入の口実に利用されてきたかを延々と取り上げた。とくに、文化人類学的な研究成果が、歴史・政治経済的な背景を排除する形で戦争の原因を「研究者が目で見て体験した現象」に求める傾向に警鐘を鳴らしたいと思った。

(博論は『モザンビーク解放闘争史』として出版。その後、英語版The Origins of War in Mozambiqueが無料で公開されている→http://www.africanminds.co.za/wp-content/uploads/2013/05/The%20Origins%20of%20War%20in%20Mozambique.pdf)

他方で、その研究はとても魅力的なものでもあった。地域社会におけるエスニックな対立がどのように戦争状況を利用していったのか、スリリングなタッチで描かれている。これを読んだ誰しもが、その時期・その場でしか描き得なかった文化人類学的な考察に感銘を受けた。

でも、私がこの「研究成果」の罠に陥らなかった理由は、当時、私自身が戦争直後の国際的な介入の最前線でコマのように働いていたからである。地域社会や人びとのあれやこれやに大きな影響を及ぼすオペレーションのただ中で、世界各地からくる同僚や上司たちの「戦争(原因)認識(つまり、誰が悪者か)」に、翻弄されながら、日々の活動を地域社会の最前線で前に進めなければならなかった。広大なモザンビークの最も大きなニアサ州の南部全体の選挙部門の統括をたかだか23歳のわたしがするという、どう考えても無茶な日常を半年にわたって過ごす中で、「戦争原因認識」は大きな意味を持った。

ニューヨークからのファックス、ニューヨークから送り込まれてきた米国人の上司の「戦争原因認識」に翻弄される日々の中で、この「研究成果」がいかに重要な役割を果たすようになっていたのか徐々に知るようになった。この「文化人類学的研究成果」は、その具体的なディテールを強力な根拠として、独立後のモザンビークの戦争の原因は社会主義政府による失策にあり、アパルトヘイト政策をとっていた周辺諸国や東西冷戦下の西側諸国の介入の影響の重要性を矮小化する役割を果たしていた。だから、元反政府ゲリラに正当性を与える効果をもたらしたのであった。

冷戦が終っていたこと、南アフリカでネルソン・マンデラ政権が誕生したことも、「過去の話」としての冷戦やアパルトヘイトに原因を求める傾向はより弱くなっていた。もちろん、社会主義政府に問題がなかったわけではない。現在の問題に続く強健主義の問題は地域の人びとの根強い反発を生み出し続けており、それが一部暴力に繋がっていることも事実である。

しかし、1977年から92年までの16年間、100万人以上の死者と国民の1/3の難民を出したこの戦争が勃発したのも、継続したのも、ローデシアや南アフリカの白人政権、米国・英国・西ドイツなどの介入抜きには不可能であった。そして、戦争の「根本原因」と文化人類学者が主張する「エスニックな対立」から、植民地支配(だけでなく、対叛乱戦略)の深い影響を抜きに議論することもあり得ない。そもそものポルトガルの「植民地死守」政策と1964-74年の10年にもおよぶ植民地解放戦争、そしてそれを支えた西側諸国の影響も。

もちろん、そのことに文化人類学者が触れなかったわけではない。けれども、自分の文化人類学的な「発見」を「戦争の原因」と結論付け、さらに研究書のタイトルとした時点で、社会主義政策下で生じたエスニックな対立が原因と表明したに等しかった。

1990年に文化人類学者(クリスチャン・ジェフレイ)がモザンビーク北部ナンプーラ州で目の当たりにした「現実」を醸成してきた歴史やより大きな構造を軽視したこの「研究成果」こそ、100万人もの死者を生んだ罪の意識から解放されたい西側諸国にとって都合のよいものであった。

1997年のこと。
国連ミッションを経て、「戦争の原因」を多角的に調べようと心に決めて、南アフリカの大学にる政治学の先生(米国人)とご飯を食べていたときであった。ジェフレイの話をしたとき、駐モザンビークの米国大使のエピソードを語ってくれた。この「研究成果」はドラフトの段階で米国大使の手に渡り、すぐさま英訳されて西側諸国の大使館に回覧されたというのである。何の因果か、私が1990年から南米の日系人の共同研究をしてきた別の米国人の先生の同僚が、この元大使ということで、この点について確認してもらったところ、それは「事実」だった。

たった「一つの研究論文」、汗をかきながら集めた「現地調査結果」が、国際介入や戦争・戦後の行方に影響を及ぼしてしまう現実を、実務者と研究者の立場で目の当たりにしてから、私の中では、研究を全体から切り離さないよう常に心がけること、「研究と暴力」はテーマになった。

その後、博論を書いて気が済んだのかやや忘れていたのだが、2000年以降に日本で若い人達の間で「ルワンダ研究」が流行るようになって、再びこのテーマを思い出し、少しばかり警鐘を鳴らした。

しかし、その後はアフリカ紛争研究から足を洗ったこともあり、また日本の大学や研究界から足を洗う決意をしたこともあり、あまりこのテーマで考えることも少なくなっていたところ、ここ数年で一気にまたこのテーマに直面するようになった。

簡単にいうと、自分が「研究の対象」とされ、追いかけ回されるようになったからである。特に、「開発(援助)学」や「社会運動論」の若手「研究者」によって・・・。あるいは、プロサバンナ事業を共同研究したい、本を出したい、これらの分野の色々な人からのプレッシャーを受けるようになったが、最後に述べる理由により断ってきた。

私は開発援助や社会運動についても研究の対象にしてきたが、そのフレームはあくまでも歴史・国際関係・政治学からのものであって、「開発学」や「社会運動論」をディシプリンとしてきたわけではなかった。なので、昨今の若者がどのような調査や研究をして、どんな結論を導き出しているのか、あまり知らないままであった。

しかし、以上の理由から、若い人達の「研究成果」に接するようになって、本当に驚いたのは、「調査」(あるいは「実証」)と呼ばれるものの底の浅さである。とにかく、公になっている政府側の資料、市民社会側の資料、そしてちょっとしたインタビューを付け加えるだけで、「事実認定」して、容易に「結論」を導いて、「研究論文」としてカウントされる現実に、ただただ驚いた。あまりに安易というか・・・。(もちろん全員ではない。素晴らしい研究をしている若者も沢山いるのだけれど、なぜか「日本の援助」や「プロサバンナネタ」の研究には底が浅い研究が多い。日本語が読めないとちゃんとした研究ができないから、どうしても日本の研究界の水準にあわせたレベルになってしまうからなのか・・・)

特に、「若手」の多くの発表・論文には、先に前提となるフレーム、酷い場合には結論があって、それにマッチするデータ(資料であれインタビューであれ)をひっぱってきて、「ガラガラポン!」の大量生産。まあ、量産しないと生き残れない時代だというのは事実であり、可哀想ではある。しかし、検証というにも、実証というにも、あまりに甘いというか浅いというか、驚くばかりなのだけれど、「若手の研究だから、そのうち学ぶだろう…」とは言えない事態が頻発するようになった。

まず生じたのが、2013年のプロサバンナ事業で起きたブラジル人若手研究者の「事件」。いろいろな意味でショッキングなのだが、これはまた改めて書きたい。英語が読める人なら、次の論文を読んでもらえれば大体のことは分かると思う。


ここで取り上げたナタリア・フィンガーマンの2頁のポルトガル語での「研究成果」は、JICAコンサルタントによって賞賛され、日本人の間で回覧されていただけでなく、モザンビーク経済開発省のサイトにわざわざアップされたという事実を頭においてもらえれば、何がどう「ショッキング」なのかは分かると思う。そして、彼女は、プロサバンナ事業のブラジル側のコンサルタントを務めていたFGVの博士課程に在籍していたことも付け加えておきたい。

この時期から、世界各地からひっきりなしに論文の執筆やら本の共同執筆やら共同調査やら、インタビューやらを依頼されるようになり、次に出したのが以下のもの。論文というよりは、「研究ガイド」として、研究手法の問題と解決策を丁寧に記すとともに、読んでおかなくてはならない論文や資料などを網羅したので、本来はこの論文を読めば私にインタビューする必要などないのであった。


丁度、大学も辞め、ようやくメールによる追跡からも解放されて、隠居していたところ、今度は市民社会を経由して、あれやこれやの手法で世界中の「若手研究者」から「インタビュー」の依頼が頻発するようになった。私に対してだけでなく、日本・ブラジル・モザンビークの市民社会の関係者にもインタビューの依頼が殺到し、その内、それらの「インタビュー者」の中に、政府関係者から送り込まれた「若手研究者」がいることが明らかになった。

あるいは、「修論/博論のため」「現地の人びとのために研究してます!」といって、結論が決まっていて、あとは自分の都合のよい裏とりをしたいだけの「若手研究者」に遭遇することが頻発していった。

自分や体制維持のための「研究」・・・。
植民地支配や戦争の研究をしていれば普通に遭遇することではあるが、21世紀である。
研究者を育てる仕事を辞めていたからかもしれない。
あるいは色々な意味で疲れていたのかもしれない。
体制が利用する、あるいは世界の裕福な立場にいる若者の趣味的感覚で行われる「研究」なるものに絶望してしまった。

もう見知らぬ人からのメールは開けないことにした。

すると、ある「日本人の若手『研究者』」が、あるテレビ局に務める私の元ゼミ生の上司を経由して、質問票を送ってきたのである。そもそも、わたしの元ゼミ生をどうやって突き止めたのか。彼女の上司を経由することについて、何の問題も感じなかったのだろうか・・・。ましてや、このテレビ局、JICAモザンビークで数々のプロサバンナ事業の問題契約に関わった人物の古巣である。

もし皆さんがそのような事態に巻き込まれたら、どんな気がするだろう?何か得たいの知れないものが近づいてくる感じを受けないだろうか?

それでも気にしないようにしていたのだけれど、この投稿を書く決意をしたのには理由があった。その日本の「若手『研究者』」が、3カ国民衆会議のプレイベントに現れたからである。植民地支配下のモザンビークに、解放軍とともに入った写真家の小川忠博さんの映写会でのことだった。その映写会のタイトルは、「モザンビーク農民の『No』の歴史的ルーツを辿る」。
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-25.html

ここに彼女は現れて、モザンビークでプロサバンナ事業の調査をしている研究者だと自己紹介をしたのち、自分が出逢った人たちは「殆ど皆がプロサバンナに賛成」なのだけれど、そういう人達の声はどうするんですか的な質問をしていた。

質問を受けたJVCの渡辺直子さんは、社会にいろいろな声があるのは当然で、自分がひとりの人間として、どのようになぜそれぞれの声を受け止めるのかを考えて、自分はNOを選択した農民らに寄り添っているとの発言をした。

それはそれでいいのだが、この女性の名前を聞いて、彼女が某テレビ局を通じて私にコンタクトしようとしていた人物だと分かった。そして、すでに現地の学術界や市民社会で問題を引き起こしていたことを思い出した。モザンビークからの説明によると、以下のような経緯で彼女は「有名」になっているという。

まず、この女性はテテ州の鉱山開発問題について英国の大学院の修論を書くために「現地調査」をしようとした後、モザンビークの市民社会の中でも「プロサバンナにノー!キャンペーン」の最前線に立つ団体に、プロサバンナに関する調査の協力とリサーチャーとして在籍させてほしいと要請を出したという。この団体は、世界中の若者の調査をサポートして散々な目にあっているため、研究目的やプラン・手法の提出を要請した。「自分のための研究」をしたいという傾向が目についただけでなく、「何かおかしい」と直感し、断ったという。

次にこの女性がコンタクトをしたのが、OMRであった。
OMRは、2015年6月に私が所長を日本に招へいして以来、JICAがプロサバンナにどうしても引き入れようとあの手この手を使って働きかけを続けている研究所である。私が以上の英語とポルトガル語の論文を出している研究所でもある。

OMRによると、この女性は修士論文で「マプートの橋に関する研究をしたい」から席をかしてほしいということだったので、席を貸してあげたという。(この時点で市民団体にはプロサバンナについて研究したいと言っていた点と矛盾がある)。しかし、お金はあげていないので、どうやって物価の高い首都で生活しているのか分からない状態だったが、2,3ヶ月して途中いなくなった。そして、帰ってきたら突然「プロサバンナの研究がしたい」と言い出した。すでに席をおいていた状態だったので、拒否はしなかった。すると、ある日、許可をしていないのに、研究所内にJICA関係者を招き入れるようになった。まさに同じ時期にJICAはOMRを繰り返しプロサバンナ事業に協力させようと躍起になっており、この女性も度々、JICAは悪くない、JICAに協力すべきと口にするようになった。あまりにおかしい上に、JICAの仕事をしているようだったので、席を返すように伝えて、関係をきった。

なお、OMRに席をおいている間に第3回民衆会議にも現れたという。

するとこの女性は、今度はモザンビークの別の研究所の研究大会に現れて、「現地調査の結果」として「プロサバンナ事業への反対は首都の者であって、北部の人は迷惑している」といった主張の研究報告を行い、皆を驚かせたという。(なぜなら、これは日本大使館とJICAが、契約したコンサルタントを使って、独立系の新聞社に書かせた記事と全く同じ主張だったから。*詳細はまた今度)。

すでに、この日本の「若手『研究者』」がJICAとの関係が疑われたためにOMRから追放されたことを、直接OMRから聞いて知っていたモザンビークの市民社会関係者は深刻に受け止めたという。実際、この女性によると、「キャンペーンへの出入りが禁止された」という。さらに、別の関係者は、この女性が、プロサバンナの事業を請け負うモザンビーク北部の市民団体(プロサバンナ推進派)で仕事をすると言っていたと聞いて、懸念しているとのことであった。

それから数ヶ月後、この女性は「3カ国民衆会議」にあわせて日本に戻り、プレイベントに現れたということになる。

以上は彼女の側からの話ではないため、一方的な部分もあると思う。ただし、複数のソースによる指摘、実際の彼女の言動や書いているものを踏まえたとき、そのいずれもが、ある一定の方向しか示していないことは明らかである。それは「JICAの主張に根拠を与える」ことであった。多くの「若手研究者」が時にやるように、結論から「実証」を引っ張る典型的な手法である。

NGOも同じような手法を取っているように見えるかもしれない。しかし、実際は決定的に違う。それは、上記の渡辺さんの説明にあるように、彼女は自分の立場を認めた上で、その立場を取るに至った理由を説明しているからである。つまり、彼女が結論として導いているのは、彼女の立場にすぎない。一方、「研究者」として現れた「日本の若手『研究者』」は、自分の立場は明らかにしないし検証もしないままに、あたかも「第三者」で「独立」しているかの前提で、「調査結果から●●がいえる」との結論を導いている。しかし、以上の複数ソースが投げかけている疑問は、「彼女はプロサバンナ事業において第三者ではないのではないか?」というものであった。

その問いに真正面から答えずに、プロサバンナ事業の研究を今後続けていくことは、彼女自身にとっても辛いことであろう。正直なところ、彼女が自らのバイアスや立場性を明確にした上で論文を書くのであれば、それでいいと思う。

私は、以上に紹介した二つの英語の論文で、原発事故後の日本で(ある意味ではコロニアリズムの後の現代において)、もはや「第三者性」という立場がとれるのかを私自身が問う中から、すべての研究者がもっている認識や立場の限界やバイヤスを明確にし、しかし事実関係においてはとことん実証的であろうと務めるべきだと主張した。プロサバンナ事業に関わって、研究者としての時間や立場は、必ずしもポジティブなものばかりではなかったが、自分を「無色透明の有り難い研究者様」という楽なポジションから引き摺り下ろして、言論をする難しさを日々試行錯誤する機会には恵まれた。「研究者ぜん」としていては見えない矛盾や闇が、自分の肌感覚に迫る切実さで理解できるようになった点は、大きな収穫といえる。それだけに、事実を掴むこと…へのこだわりはさらに強まった気がしている。

彼女から反論があれば歓迎したいし、ブログに掲載したいし、私が間違っていれば訂正を書きたい。なので、ぜひ真実を教えてほしいと思う。

そして、これは、何年も何年も、卒論から修士、その後ぐらいの人に言ってきたことだけれど、もしかして言われたことがないのかもしれないので書いておきたい。

そもそも終っていないもの(特に社会内に対立があるもの)を研究することは非常にリスクを伴うことであり、研究手法が確立できていない経験の浅い人は、きちんとした指導が受けられないのであれば、避けるべきテーマであることを伝えておきたい。もちろん、若い人であればあるほど、今動いているものを研究したいだろう。社会学や文化人類学であれば今まさに動いているものを対象にするしかないかもしれない。けれども、研究者の「目に見えている」と思われる現実を、十分にコンテキストに入れることができるだけの先行研究や資料や自らの視野の広さ深さがない人が、「目に見えたこと」に基づいて結論を導き出したときに生じる問題を、今一度念頭においてほしい。もちろん、動いているものから考えて、そこから広がる研究をしている人達も、特に京大には沢山いるのだけれど、あそこにはそのような手法を支えるだけの教育の土台がある。

ネット時代、社会対立を生み出している案件やテーマであればあるほど、終っていないものを研究するということは、ただの学生の論文であっても、火種に関わり、予期していない悪影響を社会にもたらすことなのだという理解が不可欠である。あるいは、社会に影響を及ぼすために研究をしているとすれば、その前提が問題なので、いますぐ研究界から足を洗った方が良いと思う。そういう人はぜひ実務の世界に行くのが良い。残念ながら、真理を追求するという研究の原点は、シンクタンクやロビー団体的な研究所の勃興によって時代遅れにされているかもしれない。でも、「研究」や「研究者」が今まで以上に悪用される時代になったからこそ、研究者もまた自己点検ができるほどに鍛錬しておく必要がある。

さて、長くなった。
プレイベントの際の彼女の質問に対して、私が研究者としてした発言を要約すると次のようなものであった。(とはいえ記憶に基づくので正確ではないかもしれない…)
1)研究として調査した結果ならば、いつどこで誰がどのような状況で何を理由としてどう答えたのかを明確にする必要がある。そして聞いた側との関係はどのようなものであったのか。
2)そもそも、この研究を始めたのは何年からか。実際は、農民がプロサバンナに異議を唱えてから6年が経過し、調印から10年以上が経っている。
3)2、3年前からのみ研究しているのであれば、それ以前をどう把握するのかが重要になってくる。
4)例えば、イベントのテーマである植民地支配下の解放闘争を例にとると、武装闘争は1964年から10年続いた。その最後の2,3年に研究を始めて、現地に行ったとする。小川さんのように解放軍と一緒に入るのでなければ、現地は植民地支配の下で訪問し、調査することになる。そのような状態で、「現地の人びとにインタビューしました。多くの人が賛成していました」という調査結果を得るのは当たり前なだけではなく、国境の向こうで戦う人達を支配者がいうように「テロリスト」として追認することになりかねない。「自分の目で見ました、聞きました」に頼る危険はこの点にある。
5)研究者は、このような状況を回避するために何をすべきなのか。10年あったことの最後の段階にしか自分が関われていないという限界を認識し、その前に歴史的に培われてきた構造、環境の文脈をしっかり掴む必要がある。
6)プロサバンナでいうと、調印から数年後、農民が反対の声をあげてから何があったのか?誰が何をしたのか?してきたのか?たとえば、「賛成している人」という人達は誰なのか?
7)2013年から現在まで、JICAが市民社会に介入するために地元コンサルタントを雇って、市民社会の調査を行い、分断してきた歴史的事実、賛成することでJICAからコンサルタント契約をもらい、お金をもらった人達の存在とどう関係しているのか?その人達の「意見」をどのように評価すべきなのか。研究者であれば当たり前に検証されなければならない点であるが、それがされているのか?
8)ただ「賛成している人もいる」ということを結論としていうことで、どのような影響を及ぼしかねないかについてどのようにリスクを把握しているのか。

みたいなことを言った気がします。
彼女の大学時代の先生を知っているからこそ、とても残念で、まだ遅くないから彼女に気づいてほしくて詳し目に書いてみました。

彼女に届くことを祈りつつ。
なお、以下のチラシはもう終ったイベントのものです。
そして、以上の7)についての実証研究は、岩波書店の『WEB世界』に連載中なので、そちらをみていただければ。
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461

a0133563_01173289.jpg

by africa_class | 2018-12-03 01:21 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

セラードの森の中で暮らす人びと:日本企業の大豆プランテーションのすぐ横で営まれるアグロフォレストリー

今日も寒いですが、トロピカルを懐かしがって「セラードの森」について。
今度のセラードの森は、後に日本の企業が購入した大プランテーションのすぐ近くの森について。
元々そのプランテーションがあった場所に暮らしていて立退きを迫られて各地を点々としていたご家族が、ルーラ政権の「土地改革」で土地をもらって、自給の生活を始めて10年近くが経過した暮らしぶりの様子です。

前回の記事に出てくる「川べりのコミュニティ」の若者たちが教会で出会って、この「土地改革で新設したコミュニティ(アセンセアメント)」に行って感動したという話を少ししました。自らの伝統農業の経験とアグロエコロジーを融合させ、発展させたおじいちゃんのお宅にお邪魔しました。

教会のセミナーには、このような背景の人達が沢山きていたのですが、なぜこのおじいちゃんのお宅にいこうとおもったかというと、教会の中庭で落ちていた果物から種をせっせと採っていたからです。

そのうち種の話は別途したいと思います。
で、このコミュニティは、日本企業のものを含め、周りを大豆プランテーションに囲まれています。が、ルーラ政権時に、土地なしになっていた農業労働者らが土地の占拠を行い、闘い続けた成果として、政府から土地が与えられたということで、原生林というよりは、この10年の歳月にせっせと種を植えてここまでの森になった部分が大きいということを念頭においていただければ。

つまり、植生は古来からあるセラードの森というわけではないのですが、セラードにある果樹を中心に植えた結果ではあります。アグロエコロジーの手法の中でも果樹は重視されてはいますが、ブラジルのセラード地域で実践されているそれは、とくにアグロフォレストリーに近いものが採用されています。その理由は前回書いたとおり、フルーツの種類があまりに豊富でかつ栄養価が高く美味しい・・・に尽きます。街で売る事ができることも重要な一要素です。

では、おじいちゃんがせっせと育てた「セラードの森」をどうぞお楽しみ下さい。

a0133563_07454857.jpg
これは、自宅から畑、畑から森、森からフィッシュポンド(魚の池)に向かっているところで、途中に養蜂の箱があります。ハチは蜂蜜や蜜蝋を提供してくれるばかりか、自然受粉においても重要な役割を果たしてくれます。

照りつけるようなブラジル北東部の太陽を浴びてきた身には、なんとも嬉しい木陰に空気の湿っぽさです。


a0133563_07555994.jpg
この木々を抜けると・・・

a0133563_07583322.jpg
出ました。自家製、フィッシュポンド(魚の養殖のための貯水池)。
ここには、アヒルも暮らしており、アヒルのふんが魚の栄養になっています。
掘る時にはショベルカーのヘルプをもらったとのこと。
ブラジルには、土地改革後の住民のための小口融資制度があるのです。

a0133563_08031132.jpg
池から自宅に戻る途中で振り返って写した写真。
遠くに見えるのはパパイヤの木々。パパイヤは採れば採るほど背が高くなるので、最後はこんな幹事にそびえ立つようになりますが、こんな背か高いのを見るのはひさしぶりかも。手前の低灌木の中にはコーヒーの木が。コーヒーの木は日陰が好きなので、少し日陰の部分にあります。

あとは、トウモロコシ、豆類、野菜類などもあちこちで栽培中。大豆は生産していない。種は遺伝子組み換えだし、したところで企業の量と価格に張り合えるわけもなく、かつ地元の人は食べないからです。あとは、ニワトリなども飼われていました。

ちなみに最初は大変だったけれど、ほとんど手入れもしていないとのことで、自然が勝手に育つのに任せているそうです。

自宅も手作り。2LDKのしっかりとした平屋。テレビも冷蔵庫もある。でも、やっぱ極めつけはコレ。家主がよんでも出てこなかったので、勝手に皆であがったら、これがテーブルの上にデーンとおいてあった。

運転手の青年が嬉しそうにゴクゴク飲んでた。つまり・・・

a0133563_08093113.jpg
放牧された牛のミルク。
犬とおじいちゃんで牛たちをコントロールしつつ、牛乳をふんだんに飲み、果物や魚を食べ、余剰を街に売りに行く生活。そうやって街に子どもたちが学校にいく際に使う家もプレゼントこの地域の「伝統的コミュニティ」の多くは、放牧をかつて営んでいた人達です。

ちなみに放牧地を含まないおじいちゃんの敷地面積は2ヘクタールほど。日本から行くとそれでも相当広く感じられますが、一人で手に負える範囲のアグロフォレストリーガーデンが維持されている感じがありました。

で、このコミュニティから少し行くと未だ森が残っており、かつての植生を実感させてくれます。これだけ見ても、JICAのいう「不毛な大地」とはかなり違う印象かと思います。そして、「閉ざされた地帯=cerrado」と呼ばれていた理由も分かるかな、と思います。

a0133563_08235740.jpg
しかし、このような森は道路沿いには、もはやほとんど残っていません。見える範囲だけでも1割以下ではなかったかと思います。それぐらい凄まじい森林伐採が行われたことが実感できます。

その結果、広がった風景とは?
この地域にくるまでの風景はこんな感じの大豆畑が延々と続いていたのでした。まさに裸にされた大地。保護林が申し訳程度にあるものの、この権利証もあちこちの農場に使い回しされており、実際の保護林の面積は極めて小さい。

実態としては、土地収奪の「免罪符」のように使われているので、「保護林を守ればいい!」という主張は先住民族やその他の昔から暮らしてきたコミュニティの人びとにとっては何の意味もないです。

a0133563_08462439.jpg

おじいちゃんのコミュニティのすぐ近くには日本企業が買収した大豆農場が。こちらは裏作のソルガムが植わっているので、みたところ土がむき出しには見えないので「緑」な印象がありますが、実態としては、おじいちゃんの森や昔からある森にみられた多様な生き物の生態系は皆無。

ひたすら土にソルガムだけが植わっている状態。土も直射日光をあびてぱさぱさ。なので、地下水を大量にくみ上げて水をやり続けている状態なのです。この企業も巨大な貯水池を準備していますが、ひたすら二種類の作物に水をまくだけ。そして、なにより、大豆は遺伝子組み換え。そして、農薬と化学肥料をがんがんに与えられている。
a0133563_08291301.jpg

a0133563_08260241.jpg
おじいちゃんの畑には化学肥料は一切使われていませんでした。
豊かな森の恵みである葉っぱ、鳥たちのふん、常に湿った空気によって、土がよい状態になっているのでしょう。そして、その土にあった種を自家採取し続けた結果ともいえるし、土地・地域の気候にあったものしか育てていないからともいえます。

たった2種類の作物を輸出するために、あれほど豊かな自然が奪われている状態を、少し身近に感じていただければ。この農場で働いている人は数十人程度(しかも季節労働者)。土地面積はおじいちゃんの敷地の250倍でようやく500ヘクタール。おじいちゃんの家族は6人家族だったので、その家族が食べて暮らせて現金を入手して街に家まで建てられたことを考えると、小農やムラに暮らす地元の人びとを豊かにするという意味では、どちらのモデルが有効なのか、しっかり考えたいですね。

まずは知ること。
何が起きたのか?
かつてはどうだったのか?
オルタナティブはどんなものがあるのか?

今さらという感じは否めませんが、遅すぎることはない。
なぜなら、日本の官民がこの地域により関与を深めているからです。
まずは、そこから始めていきましょう。



by africa_class | 2017-12-05 09:06 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

見たことある?「セラード」の森:「川べりに暮らす人びとのコミュニティ」を守るには

12月に入ると俄然クリスマスのムードが盛り上がってくる。
とともに、寒さも増し、普通に毎日零下が続く。

だけど今日は熱帯(トロピカル)の話をしようと思う。
今、原稿用の写真ファイルを見てて、未だ紹介してなかった「セラードの森」の写真を紹介したいな、と思ったので。原稿に疲れたのでひと休憩も兼ねて。

なぜって、依然として日本の皆さんのイメージは「セラード=不毛の大地」ですよね?
でも、違うんです。
今日のお話と写真はそのことについて。

去年6月、ブラジルの市民社会から「すぐ来い」と言われたので行ってみた・・・報告です。1年半もかかってすみません。

なぜ呼ばれたのかというと、またしても「日本が・・・」だったのですが、これは過去の投稿をご覧下さい。要は、アマゾン周辺のセラード地帯から港に向かうインフラを整備して内陸部でガンガンに農業開発をする・・・MATOPIBA計画です・・・。詳細は以下の投稿を。

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

http://afriqclass.exblog.jp/237969424/

未だ病気が完治していないので、とっても迷った。
ブラジルなんといっても二十数年ぶりだし…・。
そもそも、私、アフリカでも手一杯。
なんでラテンアメリカまで…。

でも、自分の目で見て、耳で聞いて、感じなきゃ・・・というのもあった。

「セラードの森」
なんとも神秘的な響きだ。

ということで、この投稿ではセラードの森を紹介。

まず基礎知識。

「セラード」の言葉の語源を考えれば、「不毛」などという言葉がいかに間違っているか明らかなのに、日本の援助関係者の流布するイメージのせいで、「セラード」を「森」に連動させてイメージする日本の人はほとんどいないでしょう。

JICAが使う写真が、きまって草ぼうぼう(何故かいつも枯れている…)の向こうにちらりとまばらな木々が見えるものだったりするので、このイメージが付きまとう。

自分の目で確認して下さい。
https://www.jica.go.jp/story/interview/interview_75.html
https://www.jica.go.jp/topics/2009/20090525_01.html
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/oda/2012121405.pdf

でも、セラード=Cerradoは、Cerrar「閉じる」という動詞の受動態。なので「閉ざされた」。つまり、「濃い森によって閉ざされた地帯」の意味なのです。

エーーー?!

日本のアグリビジネスや援助関係者には是非驚いてほしいところ。

じゃあ、なんで殊更「不毛の大地」と呼称し続けるのか?
しかも、最初にそう呼んだ1938年フランス人探検隊の呼称を使い続ける「目線」が、本当に失礼千万かつコロニアルですが、その話は前にもしたし、また今度。

一点どうしてもいいたいのは、セラード農業開発の関係者が繰り返し使う「原野」という表現。これは「雑草や低木の生えている荒れ地や草原。未開拓で人の手の入っていない野原」の意味ですが、非常に恣意的な表現。Cerradoの語源を考えるだけでも、この地域が「野原」であるとは言えない。ましてや「荒れ地」…。

閉ざされた森林地帯のセラードは、アマゾンに次ぐ重要な森林地帯であるばかりか、生物多様性の宝庫。植物だけで1万種以上が確認され、セラード固有の植物がその45%を占める。動物たちも含め絶滅危惧種のホットスポットとなっているほど、自然豊かな地帯であったのが、アグリビジネスの進出で地球上で最も激しく森林伐採と土地収奪が行われているところの一つになっています。

Landmatrixのデータでも、世界4位の土地取引先がブラジルで、300万ヘクタールを超える(これは日本の総耕地面積に近い広さ)。すでに多くの土地が開墾されてしまっているので、新たな取引は森林や先住民族らが暮らす地域をターゲットにしていると考えられます。<=ここは詳細なる調査が不可欠。
http://www.landmatrix.org/en/get-the-idea/web-transnational-deals/

さて、その急速に奪われつつある森と水と土地の話はすでにしたので、今回紹介したいのは、「セラードの森」とそこで暮らす人びとの闘いについて。

まずは、セラードの森を。

といっても、アグリビジネスの恐ろしいまでの展開スピードで、現在残されている森は人びとが守ってきたものだけ。ですので、人びとが共に暮らしながら守る「里森」のようなものであって、手つかずの自然というわけではないことを念頭においていただければ。

また訪問先は、MATOPIBA計画の対象地であるマラニャオン州、トカチンス州、ピアウイー州の森。
まずは、先のブログ記事で少し紹介した(下記)、「川べりに暮らす人びと(リベイラオン)のコミュニティ」の話を最初に取り上げます。とくに、どうやってこの森が生き延び、今危機の中で守られているのかについて。

Thanksgivingに新書のスケルトンを終えて:「欲望という名の列車」から降りることについて

http://afriqclass.exblog.jp/238014098/

なお、川べりの植生なので「濃い森」ではありません。あしからず。

では、ピアウイー州とマラニャオン州の境の「川べりに暮らす人びと」のコミュニティの森と木々、果物、人びとの話を聞いてみてください。

a0133563_00510991.jpg
どの木も食べられる実がなる果樹で、人びとの大切な栄養の源になっている。とくに、子どもたち。

a0133563_01271007.jpg
そして、アフリカでもブラジルでも、人が集まるところには必ずある木。
もちろん、マンゴーの木もありました。マンゴーの木の下は、川のそばの、皆が捕れたての魚をさばいたり、グリルで食べるための憩いのスペースとして活用されています。

a0133563_01290028.jpg
まだ熟していないマンゴー。
ブラジルのマンゴーはモザンビークのものと違って鮮やかなオレンジ色で小さい。
モザンビーク北部のは白くて大きくて桃のような味。
a0133563_01230390.jpg
このコミュニティが守られてきたのは、川経由で船がないと近寄れないほど、濃い森に覆われていていたため。でも、最近は土地を狙った動きに「水源」を奪おうとする動きが加わって、このコミュニテイも頻繁に収奪の危険に曝されている。
a0133563_01314020.jpg
行政が勝手にこの土地をアグリビジネスに引き渡したのでした。
ブラジルでは土地収奪において行政の偽文書の役割は大きく、さらにこれを実力行使するために使われる常套手段が、ビジネス主が雇った武装集団による追い出し作戦。その中には地元警察官が含まれていること多々。このコミュニテイも、そのような武装集団に何度も襲撃されています。

コミュニティが助けを求めたのがカトリック教会。
隔離されたコミュニティにとって、NGOや弁護士は遠い存在。
警察も行政もアグリビジネスやギャングとグル。
教会しか駆け込む先がないのです。

その話の詳細は前の投稿を。
ただ、写真をここにも貼っておきます。
ブラジルの教会は「不正義に闘う教会」です。
クリスマスが近づくこの季節に是非その事を知ってほしいと思います。

a0133563_01360011.jpg
カトリック教会の「土地司牧委員会CPT」は、このコミュニティで会議をすることにしました。コミュニティや教会だけでなく、NGOや弁護士やその他の皆が「ウォッチしているよ」というメッセージも、隔離されたコミュニティには非常に重要だということです。
a0133563_01474031.jpg
ブラジルの憲法には、「伝統的コミュニティ」というカテゴリーがあり、その領域は本来権利が守られることになっています。これは、国連のファミリー組織であるILO(国際労働機関)の条約でもそうです。

これを日本の人が理解するのが難しいのですが、「先住民族コミュニティ」「アフリカ系コミュ二ティ」の総称ではなく、色々なところから来た人びとが何十年(何百年)にもわたって作り上げてきたコミュニティのことです。このコミュニティも、先住民族、アフリカ系、ヨーロッパ系など様々な先祖を持つ皆さんが暮らすコミュニティです。顕著な文化・暮らしを営んでいることがその条件で、このコミュニティもそれに当たります。

ルーラ政権の誕生で、これらの人びとは大学入学の優先枠(アファーマティブアクション)を与えられ、このコミュニティの何人かの若者も近くの大学で勉強しています。そこで、ある若者が州立大学の農学部で学んだ知識で菜園を始めたそうです。でも、その後、土地問題を一緒に取り組んだ教会の皆さんに学んだアグロエコロジー講座の方が役に立つと気づき、今菜園を変えようとしているそうですが、未だその途中ということで、恥ずかしがりながら菜園を見せてくれました。

a0133563_01505160.jpg
この「伝統コミュニティ」で農業が盛んでなかった理由は簡単です。
森が果物を与え、川が魚を与えていたからです。

北東部の人びとに「セラードに特徴的なことは?」と聞くと何人かは必ず「フルーツ!」といいます。それぐらいセラードのフルーツは住民に愛されている食べ物であり、飲み物でもあります。道路脇のスタンドには、大抵セラードのフルーツのジュースが売られています。

「食料」の話では、とかく農業がフォーカスされがちですが、「漁業」「酪農」もまた重要な生業です。そして、特に何もしなくても恵みを与えてくれる森の果物について、世界はあまりに軽視してきすぎました。

いずれこのブログで取りあげる「食料主権」において、漁業も狩猟も牧畜も非常に重要な役割を占めています。私たちはいつの間にか「食料」を「食糧」と置き換えてきました。このことの問題について、また改めて考えたいと思います。

さて、ブラジルにいる間にセラードのフルーツの名称を教えてもらったのですが、20は下らず、またアルファベットでどう書くのか不明なものも多く、ここで紹介することができません。。。が、北東部ではあちこちのアイスクリーム屋さんに、これらのフルーツのアイスがあります!

幸いセラードのフルーツの栄養価の高さや美味しさに目を付けた企業がありました。
「セラードからの美味しいもの」
http://www.deliciasdocerrado.com.br/
12種類のセラードの果物の味のアイスを販売しています。

実は、2011年からWorld Watch研究所が、野生の果実がいかに地球と人びとを救う可能性を秘めているかの調査と啓発活動を行っています。
http://blogs.worldwatch.org/nourishingtheplanet/about-us-2/project/

日本ではほぼ知られていないのが残念すぎるのですが、『ProSAVANA市民社会報告2013』の4章で紹介しているので是非ご一読下さい。(900円しますが売り上げはNGOに寄付される仕組みです)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/263029

戦後、人類は自然が与えてくれる恵みを否定し、自分たちが人工的に創り出す食べ物こそに価値を見出し続けてきました。そうやって私たちの身体が蝕まれてきただけでなく、地球もコミュニティも蝕まれている現実を前に、「健康に食べる、命を繋ぐ、将来の世代に環境を手渡す」という観点から考えていかなければならないと思います。

さて、次はこのコミュニティの人達が、教会のアグロエコロジーの研修で出会った農民の森・畑をみて学びが沢山あったというので、その方の家にいったときの写真を紹介します。



by africa_class | 2017-12-03 02:22 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

ブラジル・セラード日系農場と住民の水紛争:ニッケイ新聞を見ながら思ったこと

新書の執筆が佳境でして、なかなか色々手がまわっておりません。が、今日は、オランダに派遣されてきたゼミ4期生(だっけ?)が遊びにきてくれるので、放置しぱなっしの家の掃除を・・・と思ったら、田舎の家…手がまわらない。諦めたところです。欧州に現在2名、アフリカに3名、東南アジアに1名、米国に2名、オセアニアに2名、中東に2名、あと所在不明の人多数、その他諸外国と行ったり来たりの皆さんですが、日本国内でも北海道や島根にもいて、いつか皆を尋ね歩く旅をしたいなと思っています。もちろん、東京&首都圏で大活躍の皆さんも大いに応援しています。

このブログで紹介しているブラジル・セラード(バイーア州西部)で起きている日系農場と地域住民の水をめぐる紛争ですが、少しずついろいろ情報が出てきています。

その中に、サンパウロで発行されているニッケイ新聞の記事があります。
「ブラジル=五十嵐農牧を500人が破壊」
(2017年11月17日)

記事は、日系人である五十嵐氏が興した企業(五十嵐農牧畜株式会社として紹介)を全面的に支持する立場から書かれています。住民たちを「破壊目的の抗議グループ」とよんでいます。

サンパウロには、二つ日系新聞(日本語で刊行されている日刊紙)があり、一つがこの「ニッケイ新聞」。もう一つが、「サンパウロ新聞」です。

私は、ブラジルに留学していたとき、「ニッケイ新聞」の出している月刊誌でアルバイトをしていて、連載記事と写真を担当していました。また、ニッケイ新聞が出していた本の編集なども手伝っていました。

月から木まで遠いミナスジェライス州の大学で勉強し、木曜日の深夜バスで8時間かけてサンパウロに向かい、朝着いたらすぐに、日本人街を通って、新聞本社ビルに向かうのですが、毎回自分が映画の中のワンシーンを歩いているような、すごく不思議な感覚でいました。一度、リベルダーデ界隈に入れば、もうポルトガル語は必要ありません。日本語で話し、日本語で編集し、日本食を食べて、日本のカラオケで歌う。

日本人が留学生以外には日系人を含めまったく見当たらない町で、ブラジル人ばかりの中で暮らし、一日中ポルトガル語の嵐の暮らしでは(当時のパートナーの英語はさておき)、ほっとするような空間と時間でしたが、時に疑問を持たなかったわけでもありません。そのうち、サンパウロの下宿先を日本人の編集長のところから、ブラジル人のところに変えてからは、少しバランスを取りながら日系コミュニティとおつきあいさせていただけるようになりました。

アメリカの大学の先生と書いていた本の関係で、日系コロニア(ブラジルの日本人・日系人コミュニティ)について学ぶようになり、色々な人にインタビューし、農村部に足を運んで調査をして、その歴史や社会に魅了されました。どこにいっても優しく接してもらって、日本からわざわざ女独りで留学になんてきて、ブラジル人だけのところで暮らすなんて…と何度もビックリされました。軍政が終ってすぐの1991年とあっては、特に農村の皆さんにとって「コロニア外は怖いところ」というイメージが強かったように思います。日本から直接きた若い日本人は「価値が高い」から、もらいて沢山あるよと何度もおすすめいたただいたものです。

当時、私は、心やさしき日系コロニアの皆さんの語りたがらない歴史を調べていました。所謂「勝ち組」「負け組」についてです。最初は、ただ本のために材料を集めていたのですが、ミナスのブラジル人社会、サンパウロのリベルダーデ周辺の知識人社会や商売の皆さん、農村部のコミュニテイの皆さん、サンパウロのブラジル人社会、これらを行き来するようになって、次第に日系コミュニティ内部の多様性と亀裂、そしてコミュニティ外との接触と断絶に関心が移るようになったからです。

その後、ブラジルの北東部、アマゾン、ブラジリア、南部を訪問し、ブラジルのスケールの大きさと多様性に圧倒されるとともに、日系コロニア内部の表現のあり方が気になっていきました。つまり、昔からそこに住んでいた先住民族の皆さんを「カボクロ」と呼び、『カボクロだから出来ない」「カボクロだから盗む」「カボクロとは結婚させない」…これらの表現に、若かった私は打ちのめされてしまいました。

カボクロとは蔑称で、『世界大百科事典』では次のように説明されています。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%83%AD-1155471
「現代のブラジルで,おもに下層の,無知な田舎者を指す。トゥピ語のcaá‐bóc(〈森から出て来た者〉の意)から出た言葉で,もともと混血者の意味はない。古くはインディオ自体や,特に白人社会に接触し,奴隷化され,キリスト教になじんだインディオを指し,やがては白人の土着した者や白人とインディオの混血者をも意味するようになった。元来軽蔑の意があるが,ナショナリズムが強まる風潮の中でブラジル国民性を代表させる語にも用いられる。」

私が暮らしていたミナスのアパートは、貧困層の人びとが暮らす地域にあり、仲の良い友人たちは北東部出身のアフリカ系の皆さんや先住民族をバックグランドにする人が多かったのです。貧しいながらも助け合って暮らす住民たちの中で送った日々は、その後私をアフリカに導いていきます。

日本に戻ってから、文献調査を開始し、国会図書館の移民資料室に通い、日系人の協会に行き、外務省の昔の担当者の方に会いに行って資料をいただき、先生方を尋ね歩き、なんとか卒論を終え、その卒論を土台に本のブラジルの章を完成させました。大学院1年生のことでした。奇しくも入管法の改正で数多くの日系ブラジル人、ペルー人が日本に入ってきた時期で、ブラジルでお世話になった恩返しにと思って、小学校に教育補助に行き、教育委員会のお手紙を翻訳し、これらの人びとを取材したメディアの通訳やコーディネイトをして、なんとか少しでも日本=南米の人的関係を発展させられたらな・・・と思っていました。

でも、ブラジルの日系移民研究に戻ることはありませんでした。
津田塾大学の博士課程に進んだ時、そこが移民研究の拠点でもあったことを知り、先生方に勧められもしたのですが、私にはどうしても「カボクロなんて」の表現に反発する気持ちを抑えることはできないと、その時はもうはっきり自覚していました。

私は、物事を見る時には、相対する視点で見ようとします。
「鳥の目」<=>「虫の目」
「森」<=>「一本の木」
「今・現在」<=>「人類史」
「権力」<=>「被抑圧者」
「常識」<=>「非常識」

実際は、これらは相対するものではなく、混じり合っているわけですが、意識的に自分の思考のプロセスとして、このような視角を取入れようとしてきました。上手く行かないことも多いのですが。でも、立場を取る必要があるときには、この思考プロセスは失わないものの、「虫」「一本の木」「人類史」「被抑圧者」の側に軸足を置くことを決めています。これは、そうでなければ、この人生をまっとうする意味がないと、すごく小さい時に決めてしまったからです。

世の中、どんな素晴らしい(とされる)社会でも国でも、「虫」「被抑圧者」の側の論理で物事がまわることは殆どあり得ません。これは歴史においてもそうで、今もそうで、これからもそうでしょう。このような側に立つことは勇気がいるし、損もする。決して大多数側にはなれない。でも、だからこそ、自分一人ぐらいはその立場に立とうではないか、そう決めたのが4歳のあの時なのです。

それから、迷いはしなかたものの、自分の無知・足りなさ・傲慢さ・修行の足りなさ・弱さによって、そうできなかったことも多いことは事実です。「先生」などという職業はそれに輪をかけてしまった。まだそれが乗り越えられていないのも自覚があります。でも、完璧がないとも知っています。自分の足をおきたいところを自覚して、少しでも役に立てればいいなと今は思います。そのためにも、学ぶことがまだまだ沢山ある!

このコレンチーナの「事件」をニッケイ新聞がそのように報じたい理由はよく分かります。そして、農場側・農場主・アグリビジネス経営者側からみたときに。でもどうでしょうか?この事件を、とくに人類史の中に位置づけ直したときに、見えてくる風景は劇的に異なります。

その風景こそを紹介するのが私の役目かもしれない、そう思っています。


a0133563_23595166.jpeg

by africa_class | 2017-11-19 00:01 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ