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新刊『国境を越える農民運動』(シリーズ「グローバル時代の食と農」第2巻)の訳者解説に書いたこと。

このご時世に9巻のシリーズ刊行に賛同してくれる日本の出版社を見つけるのはほとんど不可能に近いことだった。しかも訳本とあって、どの出版社も売れそうな巻だけの出版しか賛成してくれなかった。やっと同意してくれたのが、明石書店さんだった。

■シリーズ本については以下の投稿を!

明石書店さんとは、『アフリカ学入門』を2010年に出版させていただき、4刷まで行ったこともあって、話はもって行きやすくはあった。

舩田クラーセンさやか(編)
『アフリカ学入門〜ポップカルチャーから政治経済まで』
明石書店、2010年
http://www.akashi.co.jp/book/b67746.html

*見てわかる通り、私は本の表紙・装丁にスゴくこだわりがある。持ち歩いて目立ち、「え?なにその本?素敵だね!」と言ってもらえるような本の装丁を目指している。

各種シリーズものも出しているし。でも、最後は社長との直談判、そして販促計画をたて、これを具体的に実行するという条件で合意してもらった。当然、私たちには一銭も入らない条件(*日本の出版業界の現実はこうなのです…)。

でも、社長との約束以上に、とにかく危機迫る世界と日本の食と農の問題について、一人でも多くの日本の皆さんに知ってもらうには、この本を届けたい。そんな想いでこれを書いている。

さて。
国連総会で「小農の権利に関する国連宣言」が採択されたことは、この本の重要性を高める結果となっている。この宣言採択のプロセスは、6章に詳しいので、ぜひ読んでほしい。でも、この本の意義は他の点にもある。

ここら辺のことは、訳者解説にかなり詳しく書いたので、一部を抜粋するので、残りはぜひ本を手に取って読んでもらえれば。

マーク・エデルマン&サトゥルニーノ・ボラスJr.
監訳:舩田クラーセンさやか、訳:岡田ロマンアルカラ佳奈
『国境を越える農民運動〜世界を変える草の根のダイナミズム』
明石書店、2018年
http://www.akashi.co.jp/book/b420388.html

*こちらの表紙は小林舞さん(総合地球研究所)のスケッチ。素敵でしょ?シリーズの色は日本の古色で揃えていて、この巻は「柿色」。

===
 2018年9月28日、素晴らしいニュースが飛び込んできた。

 本書の第6章でも取り上げる「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が、国連人権理事会で採択されたというのである。あとは、今年中の国連総会決議を待つだけとなったが、これも圧倒的多数の賛成が予想されている。

 この国連宣言の草稿となった諮問委員会の第一ドラフトは、2008年に世界最大の小農運動といわれるビア・カンペシーナが発表した「小農権利宣言」を土台としていた。さらに、この「小農権利宣言」は、本書でも紹介されているように、1990年代末からインドネシアのビア・カンペシーナに加盟する小農が協議に協議を重ねてつくりあげ、2008年のビア・カンペシーナの国際会議で採択された宣言文をもとに準備したものであった。また、ビア・カンペシーナとその協力者らは、「小農権利宣言」だけでなく、2014年の「国際家族農業年」、そして来年から十年間の「国際家族農業の10年」の国連総会での採択も実現させている。

 「国境を超える農民運動」をテーマとした本書は、この世界80カ国の2億人の小農が加盟するビア・カンペシーナの誕生と国際舞台での活躍抜きには成立しなかったであろう。逆にいえば、このような現象こそが、本書が世界に必要とされた背景ともいえる。

 かつて国連を研究対象とし、国際関係学に身を置きながら、アフリカの小農の歴史を学び、アフリカや南米の小農運動と一緒に活動してきた筆者にとってすら、これは驚くべき出来事である。「南の小農」が、国際政治の最前線にあたる国連に対して、アジェンダ設定を提案し、国連文書のたたき台を提供し、国家間協議に参加して意見を述べ、「ソフトロー」とはいえ現実に新しい国際法の成立を導いた事実は、2008年の「先住民族の権利に関する国連宣言」と並び、世界史に残る出来事といっても過言ではないだろう。

本書の特徴

 しかし、本書は単にビア・カンペシーナをはじめとする「国境を超える農民運動」を讃える本ではない。その挑戦に理解を示しながらも、厳しくも冷静なまなざしで、農民運動の課題と可能性を、歴史的背景と政治的ダイナミズム(力学・動態)にもとづき、明らかにしようと試みる。

 本書は、戦前(1920年代)に北米で結成され広がりをみせた世界農村女性協会を最初に取り上げ、農村女性が女性同士の連帯にもとづいて「国境を超える農民運動」を形成したことを紹介する。そのうえで、政党(農民党、共産党、後に社会民主党)、植民地解放運動あるいは反独裁運動、宗教(たとえば、カトリック教会)、農村を手伝う都市住民のボランティア活動が、小農運動の越境性(跨境性)にどのように影響を与えたのか(国際条件がどのような影響を各国・各地の小農や小農運動に影響を与えたのか)を、明らかにする。特に、「なぜ、どのように関係が構築されたのか」に注目している点が本書の特徴といえる。そのため、多様な農民運動の歴史的な展開を重視しつつも、国際的な政策の潮流の変化を縦軸に、社会の様々な層と小農の関係を横軸に、多角的な分析を試みている。

 前者(縦軸)については、戦後の福祉国家に向かう動きが紹介された後、その観点からは「異端なもの」として冷笑の対象となっていた新自由主義的な政策が世界に広がっていき現在に至るプロセスが示される。後者については、各農民運動の加盟農民の階級分析を土台として、運動の目的や戦略、アライアンスの形成先の違いを明らかにしている。

(中略)

 このように本書は、社会運動や農民・農民組織、国際関係学に関心がある人だけでなく、開発援助や外交政策に関わる実務者、国際法の研究者にも役に立つ本となっている。1980年以降の日本では、歴史は忘れられ、所謂「途上国の小農」は「助けてあげなければならない対象」のイメージが根強い。

 しかし、特に南の小農が世界史的に果たしてきた役割の大きさはとてつもなく大きかった。現在では、国際常識(規範)上は絶対悪とされる「植民地支配」や「傀儡政権による支配」も、南の小農の抵抗や闘い抜きには、規範の転換も現実の消滅(後者は道半ばとはいえ)もあり得なかった。その意味で、世界の民主主義の発展において、南の小農が身を挺して果たした役割は大きかったといえる。

 しかし、その多くは国家レベルから国際レベルまでの失政あるいは圧力によるものだったとはいえ、世界とりわけ南の小農が直面した1980年代や90年代から現在まで続く厳しい状況の中で、小農は「貧しく、代替案を持たない、援助を待つ存在」として認識されるようになった。これは北の援助者にとどまらず、南のエリートも同様である。

 このような認識は、新自由主義的な政策の導入プロセスのなかで、ますます強化され、「粗放農業しか知らない現地農民は農業ポテンシャルのある広大な土地を余らせている」との言説が世界的に広められていった。その典型事例が、2009年に日本がブラジルと組んでモザンビークに導入しようとしたプロサバンナ事業であった[i]。

 21世紀に入ってからの凄まじい農地・水源・森林収奪は、「ランドグラブ」として世界の注目を集めるようにはなった。しかし、農村地帯を「空白地」として眺め、そこに暮らし耕し命をつないできた小農の存在は無視あるいは軽視し、国家計画や経済効率のために空間を明け渡すべき存在として「客体化」する傾向は依然として強いままである。世界的に生じたこの現象に、歴史的にも現代においてもその尊厳と主権を踏みにじられてきた小農が、尊厳ある「主権者」として立ち上がり、あらゆるレベルの人びとや運動とつながりあいながら、世界にその存在を認めさせるようになりつつある。大きな限界に直面しながらも、危機を転換する力を小農が内包していたこと、それを可能とする条件や協力者がいたこと、この点について本書は詳しく紹介している。

 本書は、第5章で「私たちなしで、私たちのことを語るな」という当事者らの強烈なメッセージを紹介しているが、「小農のために」と語りがちな都市あるいは北の私たちに鋭い課題を突きつける。これは表象や政治的な正しさ(political correctness)の問題にとどまらない。小農に多大な影響を及ぼす政策や計画・事業が、小農以外の人びとの頭の中で考え・決定されることへの異議申し立てである。「小農権利宣言」のドラフトには、これらの外から持ち込まれる政策などを小農が拒否できる権利が書き込まれていた。このことの意味を、日本をはじめとする世界の都市住民はしっかり認識すべきであろう。

 その意味で、本書が農民運動や農家内のジェンダーや世代問題を取り上げている点は、注目に値する。日本のジェンダーギャップ指数が2017年に114位と低かったことに示されるように、この問題が日本で真正面から語られることは依然として少ない。ただし、これはアジアや中南米、そしてアフリカでも同じである。ここでも国境を超える運動が果たす役割の大きさが、本書で明らかにされる。

 年功序列・男性優位の農村社会や農民運動が、まずは国境を超えた女性同士の出逢いによる課題の共有から始まり、女性たちが一致団結して国際レベルでのリーダーシップの参加を要求し、それが実現した後、国際レベルから各国の運動、そしてローカルな運動に持ち込まれていったことも記されている。現在、世界で最も活発で動員力のある運動とされるのが「女性運動」である。女性運動を介して、都市の女性と農村の女性の運動が出逢い、政治を動かしつつあることまでは本書は触れていないが、いつかの機会にこれを紹介することができればと思う。

 (中略)

 最後に、国際機関と小農運動がどのように関係を結んできたのか。その背後にあった多様な小農運動のさまざまな戦略、そしてそれを支えるNGOや非政府系のドナー、政府系の援助機関の動きについても本書は丁寧に取り上げており、国際関係学や開発援助の研究者にも大きな示唆を与えるだろう。

 (後略)
============


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以上は、2018年11月21日の3カ国民衆会議の国際シンポジウムの際、原書を紹介してくれた元ビア・カンペシーナ国際局スタッフのボアさんのプレゼン。ボアさんはジュンの教え子でもある。
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-32.html

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2018年11月24日、国際開発学会(筑波大学)で発表するボアさん。



by africa_class | 2018-12-22 06:52 | 【国連】小農の権利宣言

グローバルな食と農の危機と抵抗を解説する世界最先端シリーズ本(グローバル時代の食と農)、刊行開始しました。

国連総会での「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」採択から3日が経過しようとしている。思った以上に、多くの人が関心を持ってくれて本当に嬉しい。

この権利宣言についてブログやツイッターで紹介して数年が経つが、正直なところ、3カ国民衆会議までは、なかなか広がらなくて、どうしたらいいのかなと考えていた。

なので、こんな風に広がるとは思ってなくて、とっても嬉しく思う。
でも、未だ未だ中身も経緯も十分知られているとはいえないので、このブログで少しずつ紹介していければ。

さて、小農の権利宣言についてもう少し詳しく書こうと思って、はたと困ったことにぶち当たった。「小農(peasants)」が、どうも日本や世界の御都合主義の人達、あるいは一般的な用語に慣れている人達が「小規模農家」と訳してしまう問題である。このことは、改めて書かないといけないのだけど、もう一つ問題に行き当たった。

それは、日本の食卓や農村を巻き込む形で進んでいるグローバルなフードシステムの問題が、どうしても日本の中では十分理解されていないという限界。そして、それに抗い乗り越えようとする南の小農たちの身体をはった、しかしクリエイティブでイノベーティブな試みについては、さらに知られていなかった。

2008年のグローバルな食料危機と引き続き生じた食をめぐる暴動(これが一部政治変動に繋がる)、「グローバル・ランドグラブ」と呼ばれる土地強奪(収奪)とそれを規制しようとする国際的なアクション・・・この10年の南の村々や畑や森、NYの企業の役員室、ロンドンのニュースルーム、国連の会議場までを巻き込んで、繰り広げられてきた相克は、まったくといっていいほど日本では関心をよばなかった。

これは研究や教育の分野でも同様だった。
日本で食と農について研究してきた人達は必ずしもグローバルな展開との連動性の中で研究してきたわけではなかった。逆もまたしかり。

あるいは社会運動に関心を寄せる人がグローバルな食と農の分野もスコープに入れることは稀で、開発学関係の人たちこそ注目してもよさそうなのに、日本ではほとんどの関係者がスルー。

ましてや、援助業界の人は、「小農の運動」に胡散臭いまなざししか投げかけてこなかった。グローバルに負の影響を及ぼしているフードシステムの構造はさておき、対象の村・農民グループの「生計向上」があればそれでよし、と。あるいはそのシステムへの垂直統合を、「グローバル・フードバリューチェーンへの統合=貧困からの脱却」と信じ込んで無批判に奨励・・・。

もちろんTPPの反対運動などに関わる人達は、グローバルと国内の関係性に強く関心を寄せてきたし、理解も深めてきた(もちろん、印鑰 智哉さんは別格だけど)。

でも、残念ながら、日本では、この分野の研究や教育は著しくマイナーかつ遅れてきた。そのことが、日本の農と食をめぐる政治・政策や開発援助政策・事業を、グローバルな展開とあわせて考察する理解を不十分(あるいは皆無)にした。マネーの力は国境を超えているというのに…。そして、海外で著しい負の影響を及ぼす開発に官民が手を染め続け、そして国内にも、ついに「黒船到来」を招いてしまった。なのに、これをテーマに研究や論文を書く若手はほとんど現れない・・・というお寒い状態に日本はあった。

この状況を変えるため、近畿大の池上甲一先生、京都大学の久野秀二先生とともに、シリーズ本(グローバル時代の食と農)9巻を明石書店から刊行していくことになった。
後に、龍谷大学の西川芳昭先生と総合地球研究所の小林舞さんが参加して、ICAS日本語シリーズ監修チームができた。
*ICASはInitiatives for Critical Agrarian Studiesの略称
(原本の企画陣、オランダ・ハーグのISSに拠点)

【第1巻】
  • イアン・スクーンズ『持続可能な暮らしと農村開発〜アプローチの展開と新たな挑戦』(監訳:西川芳昭、訳者:西川小百合)、明石書店。
  • http://www.akashi.co.jp/book/b420384.html

【第2巻】
  • マーク・エデルマン/サトゥルニーノ・ボラスJr.『国境を超える農民運動〜世界を変える草の根のダイナミクス』(監訳:舩田クラーセンさやか、訳者:岡田ロマンアルカラ佳奈)、明石書店。
  • http://www.akashi.co.jp/book/b420388.html

さて。
私が担当した第二巻はまさに「小農の権利 国連宣言」が成立するまでの歴史的プロセスを学ぶのに適した本なので、次以降に詳しく紹介するにあたって、まずはこれから3年にわたって出版していくこの「グローバル時代の食と農」シリーズの誕生秘話をお伝えしておこうと思う。

これは、以上の第二巻の171頁「訳者解説」で紹介中。でも、明石書店さんの許可が出たので、一部だけ転載するので、ぜひ残りは手に取って読んでくださいませ。

******

本シリーズの誕生秘話(176頁〜178頁)

(第2巻の共著者でありシリーズの仕掛人かつ編集長のサトゥルニーノ(ジュン)・ボラス・ジュニア教授の紹介)

 食と農の分野では世界的に知らない人はいないジュン・ボラスは、日本では未だほとんど知られていない。現在、世界でもっともネット上でのダウンロード数が多い社会科学の学術誌の一つである『Journal of Peasants Studies(JPS、小農研究)』の編集長として敏腕をふるいながら、土地収奪や小農運動、食の問題について様々な国際的な研究や社会運動の世界的ネットワークづくりに従事し、国際的な交渉・学説・言論空間に多大なる影響を及ぼしてきた人物である。ICASも彼のイニシアティブであり、彼が企画・主宰する国際学術会議には毎回500人を超える世界の若い人達の応募があり、農民運動やフードムーブメントの関係者も必ず参加し、現実に根ざした最先端の議論が繰り広げられる。実は、その多くの会議を農民運動自身が共催しており、学術空間を社会に開くという意味でも新しい風をもたらしてきた。

 世界に国境を越え、分野や出自を超えた言論空間をきり拓いてきたジュンであるが、フィリピンの少数民族出身である。1980年代後半に、フィリピンの国立大学の法学部に入学したものの、社会運動に身を投じ1990年代前半まで、フィリピの農村住民とともに活動に明け暮れていた。その彼が、問題の根源が社会のなかだけではなく、フィリピン農民が置かれた世界的状況(とそれに影響を受けたフィリピン政治経済社会環境)にあるのだと気づき、1990年代半ばにオランダ・ハーグにあるISS(社会科学国際研究所)のドアをたたき、そして教授に昇り詰めたこと自体が、時代の変化を物語っている。しかし、彼はアクティビストとしての活動も継続し、ビア・カンペシーナの設立に関与したほか、現在もアムステルダムにあるトランスナショナル研究所(TNI)の研究員として市民社会でも重要な役割を果たしている。その意味で、彼自身が「越境する運動」を体現しているともいえる。

 ジュンがフィリピンで学び活動していたとき、彼が最も参考にしたのが上記のJPSであったという。しかし、インターネットにアクセスできずお金もなかった時代、編集長に手紙を書き研究誌を送ってほしいと頼んだが、その返事は届くことはなかった。そんな彼が編集長に着任したとき最初にしたことが、社会にとって重要な論文にフリーアクセスの機会を提供することであった。このICASブックシリーズはその延長線上にある。世界中のこの分野に関心を寄せる若者、農民、社会運動や市民活動に関わる人たち、そして実務者や政策立案者に気軽に手にとってもらえる「小さい本」を届けたい。しかし、その「小さな本」は「ビックなアイディア」が詰め込まれ、これまでの学説を検討し現実に根ざした分析ながらも、未来に開かれたビックなアイディアを共有し、励ましたい、そういう願いが込められている。そして、国境を越えてこれを届けるために、すでに世界各国で10を超える言語に訳されているが、この日本語版の誕生は列の最後に加わるものである。

 このシリーズ本の日本語版を出版してほしいとジュンに頼まれたのは、2014年のことだった。その際に、「どうして日本には世界に出てくる人がこの分野でほとんどいないのか?」と繰り返し問われた。筆者は、2012年末からランドグラブの問題に関わるようになり、世界各地の研究者や農民運動、アクティビストと関わるなかで、日本でもっとこの分野を学び関わる人を増やさなければならないと強く感じるようになっていた矢先のことでもあった。

しかし、長年にわたって戦争と平和、そしてアフリカ地域研究を中心に研究をしてきた身には荷が重いことであった。そんななか、アフリカ研究と活動を通じて、今回の監修チームの仲間と集えたことは、本当に幸運だった。また、日本の大学を去りドイツと日本の間を行き来するようになった私の新たな学びを支えてくれたのは、ICASに集う老若男女の「villagers(村人)」たちであった。食と農の分野の古典から最新の文献を次々に与えてくれ、議論に参加させてくれ、鍛えてくれた「村人」たちに心から感謝したい。これらの文献を、ドイツの森と畑のなかで農に従事しながら音声で聞きながら「読んだ」日々は一生の宝物である。
*******

改めて読むと(自分で書いたものの、民衆会議の準備が大詰めの最中に書いていた文章なので、あまりしっかり頭に入っていなかった…)、私の運命は、2012年8月にモザンビーク農民連合(ビア・カンペシーナ)に呼び出されてから、大きく変わったのだなと、ふと思った。

モザンビーク北部の小農(すでにこの世にいない人も含め)の導きで、大学院に戻ったり、大学で教えたり、研究者になったり、社会活動に加わったり・・・といろいろなことを経験してきた25年だったけれど、2012年の再会とプロサバンナ事業の問題が、自分の専門分野まで変えてしまうとは正直思ってもみなかった。

でも、実は違うことをやっているわけではなくて、すべては連動していたのだと、いまでは納得している。

ひとりでも多くの日本の若い人達に、この分野に一緒に取り組んでほしい。状況は厳しいけれど、厳しいからこそ、クリエイティブな手法で南の小農たちは日々闘っているし、オルタナティブを生きている。関心がある人はツイッターで連絡下さい。


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by africa_class | 2018-12-20 04:11 | 【国連】小農の権利宣言

【国連総会にて最終採択!】「小農権利 国連宣言」が国際法に!121カ国の賛成(日本棄権)で採択されました。

いましがたNYの国連総会にて、「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が最終採択されました!121カ国の賛成票を集め、反対票8カ国、棄権票54カ国。これで、「小農の権利」は、「先住民族の権利に関する国連宣言」と同様、国際法の一部としてしっかり位置づけられることになりました。

長いながい旅でした。
感慨深すぎて、いま呆然としています。

本当は、以下の続きを書くつもりでしたが、先にこの話題を集中的に書いていきたいと思います。私の中では連動していることなのですが、ちょっと今は上手く総括できそうにないので、「小農の権利国連宣言」に集中します。

研究界への介入・暴力(3)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと
https://afriqclass.exblog.jp/238907964/

さて。
本当はこのタイミングで農文協さんから解説と訳文が出版させるはずだったのですが、2月になるとのことなので(涙)、少し頭だしする形で、このブログでこの宣言の意義を皆さんにお伝えしていきたいと思います。

がしかし、細切れになる点ご了承下さい。

まず「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」について初めて知ったという方は、このブログの関係投稿を先にみて下さい。

【国連】小農の権利宣言

https://afriqclass.exblog.jp/i43/
全訳(ドラフト宣言のですが)と国連でのこれまでのやり取りの詳細まで掲載しています。

さて。

世界最大の小農運動であるビア・カンペシーナがこの宣言を構想してから16年。国連人権理事会で6年にわたる議論を経て、今年の秋の国連総会に送られてきたこの「小農権利宣言」。11月19日の国連総会第三委員会(社会、人道、文化委員会 *全加盟国が参加)でまず採択されました。

賛成票:119カ国
反対票:7カ国
棄権票:49カ国

そして、この棄権49カ国の中に日本が入っていたことについては、先月11/20-22に東京で開催された日本・モザンビーク・ブラジルの農家や市民が集って開催した3カ国民衆会議で繰り返し問題とされていたので、ご存知の人も多いかも?
http://triangular2018.blog.fc2.com/

そして、ついに本日、国連総会本会議にて、最終的な採択が行われました。結果、全加盟国193カ国による、以下の投票結果により採択されました。

賛成票:121カ国
反対票:8カ国
棄権用:54カ国

反対票を投じた国は、英米の他、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエル、ハンガリー、スウェーデン、グアテマラの8カ国。この段階でグアテマラが入っているのは注目ですが、まあ現政権への米国の介入は広く知られている通り。

そして注目の日本は再び「棄権」。。。
11月19日の棄権については、3カ国民衆会議時(11月22日)に外務省国際協力局告別開発協力第三課の井関至康氏が説明してくれています。UPLANさんが、日本の関係者のみのやり取りを抜粋してくれた動画がネットで公開されているそうなので、そちらをご覧頂ければ。

20181122 UPLAN
【緊急報告会】日本とODA/投資:モザンビーク北部で何が起きているのか(抜粋)
*13分30分あたりからそのやり取りがあります。
*それ以外もモザンビーク小農の権利をめぐる白熱議論なのでぜひ観てくださいね!

実は、外務省とのやり取りの前にブラジルの小農運動(MPA *ビア・カンペシーナ加盟団体)のジルベルトさんから次のような指摘がありました。

つまり、日本は小農支援というが、これまでのブラジルやモザンビークの小農に対する態度をみても、また小農権利宣言の採択において棄権をしており、本当のところは小農の権利に関心が薄いのではないかという趣旨の発言。これは、モザンビークの市民社会も指摘していたことでもありました。プロサバンナのような問題が起きるのは、援助する側(つまり日本の政府やJICA)に小農が主権者であることの理解が欠落しているからではないか、というのです。

と投げてもなかなか回答しづらいだろうと思い、司会の私の方から、外務省になぜ賛成票を投じなかったのかについて質問しました。

井関課長は、交渉の担当課から話を聞いてきてくれた上で、大体以下のような説明をしてくれました。(正確には各自で動画を確認下さい)

日本政府は棄権したが、当然小農の権利、小農の皆さんが人権を有していることは、日本国憲法上も明らか。否定する意図はない。分かりづらいが、小農の人権という概念が国際法上の概念として成熟しているのか、そこまで言えるのかという点について、これまでの議論の中で日本政府としては自信をもてなかった。交渉担当課に確認したところ、率直にいって、もう少しこの辺について議論をしたかった。

とのことです。

実は、このような指摘(国際法上の成熟如何)は、6年にわたってずっと議論されてきました。6年間の議論を追っていけば分かることなんですが、国際法の専門家らにことごとくその指摘はあたらないと反論されてきた点でもあります。なので、「もう少し議論したい」ということだけでは不十分。井関課長は聞いてきただけだから仕方ないにせよ、このブログでも紹介しているように、日本政府はわざわざ「食の主権」や「種子の権利」に反対してきた事実があります。そのことを考えると、「国際法上の成熟如何」の話より踏み込んで、日本政府としてなぜ、わざわざこれらの権利に反対するか、説得力のある説明をする必要があります。しかし、これまで、日本政府代表は「新しい権利だから(反対)」程度の説明しかしてきませんでした。

でも、このような「未成熟」「新しい権利」との主張は国際討議の場では説得力をもってきませんでした。結果、121カ国(その大半がかつての被植民地国)が賛成票を投じたのです。

なぜ説得力がなかったのか?

実は、国際法を勉強した人なら最初の方で教わることなので、あえて私が書くのもなんですが・・・国際法、特に人権関係の法律は、現状追認型ではなくって理念から現実をひっぱるように構想されています。常により前向きに、人びとの権利を拡充していく方向で変化し続けるものという前提で、国際法は前進してきたのです。

「国際法」とか「人権」とかいうと、日本ではどうしても遠いものに思われてしまいます。日本の私たちにとってどれぐらい重要なことなのかは、また議論が長くなりそうなのでまた今度にします。分かりやすい例でいうと、第二次世界大戦直後の世界の大半の地域や人びとが植民地支配下にあり、女性の参政権もないところが多く、人種によって差別を受けていたことを考えれば、いかに国際法が重要だったか少し理解できるかもしれません。2018年現在、わたしたちが世界の当たり前と受け止めることの大半は、まずは国連憲章、そして世界人権宣言(1948年)が採択されてから、その理想に現実をあわせていこうとする非差別・抑圧者とそれを支える人びとの不断の努力によって、一つずつ実現してきたものでした。

国連で植民地支配下の人びと地域に独立付与が宣言されたのは、世界人権宣言から20年近く後の1961年のこと。でも、現実に、南部アフリカの人種・植民地支配からの解放は、1975年のアンゴラ・モザンビークの独立、1980年のジンバブエの独立、1991年のナミビア独立、1994年の南アフリカでの全人種選挙の実現までかかりました。

国連で独立付与宣言が採択されたのに、これらの国々の人びとは武器をとってまで独立を勝ち取らなければならなかった。数十年かかったけれど、最終的に勝ち取った。それは被抑圧者の死と隣り合わせの闘いの結果ともいえるのだが、他方で、人類史の歩みの中で、先に国際法のレールが敷かれていたことを無視することはできないと、思います。

このことを実は、新刊の『解放と暴力ーアフリカにおける植民地支配と現在』東京大学出版会(小倉充夫先生との共著)の1部2章と3章で議論しています。
http://www.utp.or.jp/book/b372472.html

現在からみると、植民地からの独立付与宣言は当然のことに見えます。でもこの宣言すら、当時、ヨーロッパの植民地保有国だけでなく、米国も棄権票を投じるほど議論のあるものでした(英米の他、フランス、ベルギー、ポルトガル、スペイン、南アフリカ、オーストラリアなど)。

このように国際法は、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」とされる世界人権宣言を土台にしつつ、これらの基準を満たすことを構造的に難しくされている特定グループ(被差別、脆弱な…と言われる)を、一つずつ注目し、その構造的な人権侵害を乗り越えるための国際法の改善を行ってきたのです。

1945年以来、「女性」→「被植民地」→「人種」→「子ども」→「先住民族」と進んできた特定グループの人権を擁護するための宣言や法制度の整備は、21世紀から18年を経て、ついに「小農と農村で働く人びと」におよんだことになります。

繰り返しになりますが、「人権概念として成熟していない」ということは、国際法の発展の歴史、とりわけ第二次世界大戦後の世界の変化をきちんとおさえているのであれば、言い訳として正当性を欠いています。人権概念として成熟するのを待てというという主張自体が、現状の被抑圧・差別状況を放置してよいということになるからです。

ここに、日本特有の誤った認識ーー人権が「親方ヒノマル的に守ってあげる、恵んで(支援して)あげるよ」の概念だとの認識ーーが見え隠れしてしまっています。そして、これこそが、モザンビークやブラジルの農民たちが日本に来てまで拒絶していることなのです。あなたたちの施しは要らない。決めるのは自分たちだ、と。

これを機会に、人権は、それが国内におけるものであれ、国際レベルにおけるものであれ、「政治的な力によって権利を剥奪されている人びとの置かれている垂直状態をどうするのか?」という問いを含んだものであることを、より多くの人に理解してほしいと思います。人権が鋭く問われる瞬間には、抜き差し鳴らない政治経済社会文化の状況があります。そのような状況に、いま世界的に直面しているグループがあるとすれば誰なのか?

21世紀にはいり、特に2008年以降の「食料危機」のなかで顕著になったのが、世界の小農でした。これは、南の小農に最も如実に問題が現れているとはいえ、北の小農も様々な形で小農としての暮らしが営めないほどの危機に追い込まれていることを考えれば、「小農」という括りがいかに現実的な意味をもっているか明らかでしょう。

なお、日本では、「食料危機」を「食料が足りない」話に矮小化する傾向が根強いですが、今回の「小農権利宣言」が採択されていくプロセスの議論をしっかり追えば、問題はそこではないことは明らかでしょう。ここでいわれいてる「食料危機」とは、世界大で展開しつつ地域社会に家庭に影響を及ぼす「複合かつ構造的な危機」のことであり、その根っこに冷戦後に進められてきたグローバル経済と南の「辺境地」への浸透のあり方、国際ガバナンスの失敗があります。これについては、農文協の原稿をみていただければ・・・。

書きたいことは山ほどありますが、今夜はここら辺で。

国際法にしっかり書き込まれた「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」。これが実現した背景には、これらの人びとを取り巻く環境がそれだけ厳しいという現実があることは明らか。でも、だからこそ、人類の歴史が後退と破壊を繰り返す中で、少しでも前進する瞬間をみた日には、お祝いしたいと思います。

そして、何百回でも強調したいのは、この「小農権利国連宣言」は、南の小農運動自身の発案で、国連に持ち込まれ、その宣言文案のかなりの部分が採択されたという事実。当事者の発案・起草文が、国際法になったのは、後にも先にもこれが初めてのはず(違ってたらごめんなさい)。

少なくとも、2008年の先住民族権利国連宣言の時点では実現していない。その意味で、国際法はもはや国際法を学んだエリートらが冷暖房が完備された先進国の会議室で起草して採択するものではなくなってきていることを象徴する出来事といえます。

どうやってここまでこぎ着けたの?
という人に朗報。
出来立てホヤホヤの訳書をぜひお手に取っていただければ。

シリーズ「グローバル時代の食と農」
『国境を超える農民運動〜世界を変える草の根のダイナミクス』
マーク・エデルマン&サトゥルニーノ・ボラスJr.
(舩田クラーセンさやか 監訳・訳者解題)
(岡田ロマンアルカラ佳奈 訳)
http://www.akashi.co.jp/book/b420388.html

日本、モザンビーク、ブラジル、世界の小農と農村で働く皆さん、おめでとうございます。まさにここからが正念場です。A luta continua!

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by africa_class | 2018-12-18 05:18 | 【国連】小農の権利宣言

研究界への介入・暴力(3)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

ドイツは初雪。
本格的な冬になってきた。
すっかり風邪をひいてしまい、「続き」もなかなか書けないでいた。

いきなりこのページに出会った人は、まず以下のものから読んでほしい。

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

https://afriqclass.exblog.jp/238886464/

研究界への介入・暴力(1)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

https://afriqclass.exblog.jp/238890376/

研究界への介入・暴力(2)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

https://afriqclass.exblog.jp/238897471/

さて。
この投稿で「JICA」と総称しているのだけど、当然ながらJICAに勤める全員が問題という訳ではない。留学仲間や選挙監視等の元同僚、教え子も沢山働いているし、一緒に沢山のイベントや事業をやってきた。共同研究もしてきた。

でも、この6年プロサバンナに関わって思うのは、もはやJICAはあの時代のJICAとは異なっており、組織として腐敗しつつあるのではないかという点。この政権になって、各省庁の腐敗ぶりは知られるところとなったが、政府系の援助機関であるJICAも同様の事態に陥っているのではないかと心配している。

夢を持ってJICAに就職したあの学生、この学生のことを思うと心苦しい。

6年を振り返ると、腐敗につながっていくようなあってはならないことが、プロサバンナの件では先取り的に、あるいは如実に出てきている、というのが一番分かりやすい説明かもしれない。

やや可哀想なのは、確信犯的にこれらの汚いことに手を染めている上層部の後始末を若手が担わされている点。とはいえ、困っている人のために力を尽くしたいと思って入ったJICA。やはりおかしいことはおかしいと言うべきであって、片棒を担ぎ続けながら、その中で見つけた「善いこと」をやって自己満足を得ようとするというのは、違うと思う。

でも、モザンビークにいた日本の若者が言っていたが、「マプート界隈では、プロサバンナに関わっている人って人相悪くなるって、もっぱら評判です!」という点は、自覚してほしい思う。実際、外務省・JICAとNGOの意見交換会に時々出て、ずらっと並ぶJICA関係者の顔をみていると、たまにしか会わないからかもしれないけど、「この人ずいぶん目が淀んできたね・・・」という人は少なからずいた。最後までキラキラした瞳のままだった彼は、いつもとても辛そうに話を聞いていた。あの彼はいまどこにいるのだろう。

それでも、どうせ2、3年のことだから、その期間だけ我慢すればいい話で、自分には責任はないと思っている職員が実際はほとんどだと思う。面倒な案件に関わらされて迷惑だとも思っているだろう。煩いNGOらに追求されて腹が立つとも思っているだろう。(でもプロサバンナを始めたのは、そもそもJICAだから…腹を立てるのであれば立案者に立てるべし)あるいは、組織論理に追従しただけといいたいと思う。しかし、これこそが「誰でもない者の支配=凡庸なる悪」の問題であって、このことはハンナ・アーレント(アイヒマン裁判)の議論を用いてすでにやったので、ここで繰り返さない。

このように後から担当した人たち、あるいは下の立場で命令どおりに動かなければならない若い人たちのことを今回書こうと思っている訳ではない。

若い人達、本当に初心を忘れないでいたいと思っているJICA関係者には、ぜひ自分の所属している組織や上の人達が何をしているのか、してきたのか、知ってほしいと思ってこれを書いている。知った上でどうするかは、それぞれが考えるべきこと。でも、まずは、知るところから始めてほしい。

つまり、主体的に数々の対市民社会「戦略」を立て、実行に移した、上のレベルの人達がいたわけで、その人達が組織の資金を動かし、命令指揮系統を動かし、その結果として、組織としてのJICAがその流れで動き続けるしかない宿命(本当は違うのだが)を負ってきたことについては、何度でも確認しておきたい。

プロサバンナが、現在もJICAの資金を使いながら、モザンビークの市民社会への介入・分断を続ける源流が2013年に形成されていて、それはJICAが地元コンサルタントに作らせた『コミュニケーション戦略書』に如実に示されているのだけれど、これを企画し、資金を動かし、指示をし、その後のレールを敷いた人達がいたことを忘れてはならないのではないか?・・・それが一番いいたいこと。

その関係者が依然としてJICAのトップに座っていることを考えれば、自ずとその連続性と重要性は明らかだと思う。

だから、5年前に起きたことを、少しずつ語り始めたいと思う。

『コミュニケーション戦略書』にはターゲットグループとして研究者や研究機関、大学が出てくる。このことを念頭におきつつ読んでもらえればと思う。

なお、昨今の政府や政策に批判的な大学教員のところに議員やその周辺からバッシングや弾圧がいくようになっていることを考えると、5年前に起きたことをもっと早く世間に知らせておけばよかったとも反省している。ただ、なぜ今まで黙っていたかは、(1)に書いたのでそちらをみてほしい。また、長らく病気だったこともあり、自分の身に直接起きたことを書く気になれなかったというのも正直なところ。

でも、今回来日したモザンビーク農民らの勇気と絶望の目に触れて、もはや黙っていてはいけないと思う。

5年前の9月半ば、私はまだサバティカルの最後の月で、日本にいなかった。

学部長からメールがきて、JICAの●氏という人が私のことでどうしても面会をしたいといってきたので会った。

そもそもこの●氏こそ、JICA現地事務所の職員にNGO側のホテルを調べさせ、そこに現れた人物である。(*話が見えない人は(2)を読んで下さいね)

JICAだというので、大学としても無下に対応できなかった。(大学はJICAに紛争地の留学生の学費を負担してもらっていたし、学生たちの重要な就職先でもある)。本人はJICAのロゴマークと連絡先の入った正式な名刺を置いていったが、「個人/私人としてきた」と主張していた。

そして、このブログのことで彼の実名が出てくる記述があるが、事実無根なので削除修正をしてほしい。今後、実名での記述は止めるように。そして、謝罪メールかブログ記事を書くようにというものであった。

これは非常におかしなことであった。

2012年11月から数ヶ月に1度、政府とNGOの対話の場で顔をあわせており、メールのやりとりもしている。何か不快に思うことがあれば、直接私に言う、あるいはメールを書けば良いことであって、この件では明らかに無関係の大学にJICAの名刺を持参して行くこと自体が奇妙である。

●氏は大学にきた理由を「大学のサイトにブログへのリンクがあるため」とし、なぜ私に直接言わないのかについては何も説明しなかったという。また、具体的にブログのどの記事が問題なのか、その資料も渡されなかったという。

対応した先生たちは、大学は関係ないし…ということで思案していたら、10月半ばに●氏は再度大学に現れ、何らかの対応を私に対して取ったか聞いてきたという。そして、「裁判」という言葉を口にして、「弁護士とも相談しており、もし裁判になったらどうなるか」「時間が相当かかるだろう」と口にして帰っていったという。

大学からは、この人物が大学とわたしにある種のプレッシャーを与えにきたと理解したものの、一応背景が知りたいということだったので、まずは●氏がアレンジし、JICAの担当者として出演しているプロサバンナの番組を二つ観てもらった。そして、JICAのホームページにある同氏に関する記事を読んでもらうとともに、この人物が意見交換会で政府側の代表者として発言していることを議事録と出席名簿で確認してもらった。

つまり、プロサバンナの件では、「私人」ではなく「公人」として公金を使って活動している人物であり、同氏の狙いが単なる謝罪や訂正を超えて(単なる謝罪と訂正なら私に直接伝えれば済む話である)、私の職場を通じて政治的な圧力を加えることを目的にしている可能性について検討してもらった。

提供した資料をみた先生たちは、面会時の様子を勘案して、政治的な意図をかぎとり、私人としてきたなら、機関同士のことではないということなのだから、個人間でやり取りしてほしいと最終回答してくれた。

ただ、私としては「個人の問題」として扱うべき種類の問題でもないと考えていた。私を通じて、プレッシャーを与えたいのは私個人ではなく、日本のNGOの仲間たちであり、その先にいるモザンビークの農民運動や市民社会組織であることは明らかだったからである。(繰り返しになるが、私個人のことなら大学レベルに持っていく必要もない)

念のため相談しておいた弁護士からは、面会要請時や面会時に名刺を示している以上、「私人」と言い続けることはできず、ODAの透明性を担保し、改善を促そうとする大学人が自由に発信することを躊躇させる目的であることは明らかで、言論の自由を脅かすものだから、とにかく何かあったら一緒に闘うからと言ってくれた。

(以前もこの弁護士さんのことを紹介したことがあるのだけど、いわゆる「人権弁護士」ではなく、事件を長らく扱った後、企業のコンプライアンスに詳しい企業弁護士さんで、大学の顧問弁護士もしている方。彼がたまたま電話に出た犯罪被害者窓口で出会って、以来、あれやこれやでお世話になっている。でもお金を取らない。社会のために闘っている人を応援することで、自分も社会のための活動ができるし、普段儲けてるので、せめてもの罪滅ぼしと。。。)

その彼が首をひねって言ったのが、「原発建設とかダム建設とかそういうのならこういう話もあると思うけど(あってはいけないが)、これ『援助』の話だよね?なのに、ここまでのことをしてくるとすれば、よっぽどこの援助「危ない案件」なのか、組織が腐ってるのか、何なんだろう。とにかく気をつけるにこしたことはないから」と忠告してくれた。

たしかに、もっともな指摘だった。
こんなこと、普通にスキャンダル。
援助案件で政府・市民社会対話で協議の場に出てきている政府代表が、市民社会側の参加者の職場に「裁判するぞ」と圧力をかけに二度も現れたわけだから。

11月、プロサバンナに関する協議に出ている日本のNGO5団体から正式にJICA理事長宛に「JICA●氏の行為に関する問い合わせ」が送付され、JICAアフリカ部部長(当時)から回答がメールで届いた。そのメール文をもらったので、読んでみてほしい。

「お問い合わせ頂いた内容につきましては、東京外国大学の公式ホームページに、舩田氏研究室ブログがリンクされており、その中で、●氏に対する舩田氏個人の意見があり、同大学の公式見解として捉え兼ねないという危惧を、●から、同大学へ伝えたと理解しております。」

みて分かる通り、話が違っている。
●氏は私に謝罪をするよう大学が働きかけあることを要請しにきたのであって、それは大学側が聞き取った要求項目からも明らかである。そして二度とも同じ要求がなされた。JICA部長の回答内容では、●氏がわざわざ二度にわたって大学に現れた理由は説明不能となる。なぜなら、「危惧を大学に伝え」ることだけを目的とするのであれば、一度で済むはずだからである。

ここで生じる疑問は、JICAは●氏の二度にわたる大学行きを知っていたのか?知っていながら許可あるいは黙認したのか?「グル」だったのか?あるいは、JICAは知らず、●氏は完全に個人として勝手に来たのか?

これらの疑問への答えは後に明らかになった。

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写真は名刺のロゴ。




by africa_class | 2018-12-17 07:26 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

研究界への介入・暴力(2)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

あれやこれやで超忙しく、すぐ書こうと思っていた「続き」がなかなか書けない。

でも前回の投稿で、読んでおいてほしいものいっぱい書いたから大丈夫かな?
さて。
JICAが2013年8月1日に「コミュニケーション戦略の定義」のために地元コンサルタント企業(といってもポルトガルの会社)と契約したあたりから、同時並行的におかしなことが沢山起ったのだが、私(たち)の身に起きた数々のおかしなことを紹介していきたい。

2013年8月に開催された「第1回3カ国民衆会議」には、日本から6名のNGOと大学教員らが参加し、議論に耳を傾けた。

2名のNGO関係者に、大学教員ら4名。内1名はわたしだった。東京外大で准教授をやってる時代のわたし。

この6名で会議後、モザンビーク北部の首都ナンプーラ市に飛び、3つのチームをつくって2州の調査を行った。調査は3つの角度から行った。JICAの便宜供与を受けた調査、地元小農運動の案内で行った調査、独自に行った調査・・・つまり、調査の精度を高めるために、色々な角度から調査をするための努力がなされたことが分かると思う。

調査結果は、『ProSAVANA市民社会報告2013:現地調査に基づく提言』に詳細にまとめてあるので、そちらを参照されたい。この他にも、私を含む研究者らが、国際ジャーナルや日本の学術ジャーナルに調査結果を論文として、また学会発表も行っている。

JICAの便宜供与も別の大学教員からの大学教員としての学術調査協力依頼であって、それ以上でもそれ以下でもない。

しかし、首都からナンプーラ州にうつった当たりからおかしなことが起り始めた。(実は、首都でもおかしなことがあったのだが、これについてはまた今度)

その夜、私宛に、のちに人権侵害発言で現在も問題とされるナンプーラ州農務局長からおかしな電話がかかってきた。(*この局長については、2017年から現在にかけて、日本のNGOから外務省・JICAに対して公開質問状などが送られ、やり取りが続いているので、そちらをご確認いただきたい)

プロサバンナ事業の州農務局長の発言内容について
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy-statement/2018/06/20180531-mozambiquekaihatsu.html

わたしの携帯の番号は、JICAの便宜供与の絡みで、どうしても便宜供与を依頼した先生のモザンビーク内での連絡先が必要だといわれて、JICAに渡していたものだが、当然モザンビーク政府関係者には渡していなかった番号である。しかも、電話はわざわざ、わたし宛であった。

見ず知らずの政府高官。
夜8時というのに局長はホテルまで来るから「二人だけで話がしたい」という。この時点でぞっとしないとすれば、それはモザンビークを知らなすぎる人の発想であろう。

そもそもなんで番号を持ってるのか尋ねると、JICAがくれたという。
何の為にくれたのかと聞くと、話をはぐらかす。
延々といますぐくる、ホテルは知っていると言い張る。
なぜホテルまで知ってるのかと聞くと、あっさりと、JICAが教えてくれたという。

こんな時間に来られても困る、しかもある種の圧力にしか感じない。あるいは、脅したくってくるの?と聞くと、そんな訳がないとかああだこうだいっても引き下がる感じがない。

気持ちが悪いなんてもんじゃない。
モザンビークは1975年の独立以来同じ政府である。

それだけではない。

植民地時代の秘密警察と東ドイツのKGBが合体したような秘密警察組織網を築いている国である。そして、政府要職にある者は党の要職にパラレルについており、党の中には「ある秘密組織」があり、政府や与党に批判的な人物に陰に陽に圧力を加えることで知られている。ゲブーザ政権の二期目から、社会統制と介入が激しくなり、危険度が増していったことについてはすでに他でも書いた。

どうしてこういうことを知っているの?・・・と思う人はいないとは思うが、不思議な人は著書の『モザンビーク解放闘争史』か新刊の共著本『解放と暴力ーアフリカにおける植民地支配と現在』をお読み頂ければ。

そして当時のプロサバンナの担当大臣(農業大臣、前の内務省大臣、現在の外務大臣)が「誰か」知っていれば、その子分である州農務局長の役割も明確である。

そういうこともよく理解しないままに、日本の貴重な援助をこういう人達に委ねている。あるいは、気にしちゃいないということだろう。日本は援助の相手として独裁政府を好んできたことは歴史が証明している。冷戦期、米国に追従してということもあるが、独裁の方が一度トップと合意さえすれば、仕事が手早く片付けられるからでもある。

大使館もJICAも2001年までモザンビークに置いていなかったので仕方ないとはいえ、であればこそ、慎重にも慎重を重ねて、よく調べた上で援助を立案し、進める必要があった。少なくとも、2008年までの歴代大使もJICAも、その点においてはよく理解しようとし、慎重であった点は強調しても強調しすぎることはないと思う。

プロサバンナの問題が発生するまで、わたしは、すべての駐モザンビーク日本大使とJICAのレク(事前・事後の任国研修)を担当していた。理由は簡単。わたしのモザンビークへの関わりは、これらの機関の人達より古く(1994年から)、外務省に在籍したこともあり、日本で唯一のモザンビーク研究者だったから(当時)。後に政府高官になるモザンビークの研究者や政府関係者が友人や研究仲間だっただけでなく、大臣や歴代大統領と首相の全員を知っていたし、駐日モザンビーク大使の相談相手だったから。

1994年の戦後初選挙以降の政治的に自由な時期からゲブーザ政権の2期目の独裁に向かっていくまでの時期は、モザンビーク政府関係者も、とてもオープンで、自身が党のあり方などに批判的ですらあった。それが変わっていったのが、2010年以降。まさに、日本がモザンビークへの大型援助にのめり込んでいく頃のことだった。

2013年までは、わたしのモザンビーク訪問時には必ず大使公邸に招待になり、大使夫妻や大使館員とご飯を食べながら、モザンビークの現状について議論をしてきたし、大使館のパーティに招くべき地元関係者を紹介し、大使と一緒にいくつかのパーティを開催もしてきた。農薬問題(所謂2KR援助の件。また今後・・・)で一時は闘いもしたけど、それは表面のことであって、実際は大使館もJICAも問題は理解していて、逆に共感しあって関係を強化していた。農薬問題の後は、大使館もJICAも、派手な援助ではなく、地に足のついた、社会の分断を超えて着実な成果を出せるような「小粒でもキラリと光る援助」を目指して地元で行われている先駆的な試みに資金援助しようと頑張っていた。お手伝いもあって、市民社会とJICAを繋げるようなセミナーも何回か開催した。

しかし、TICAD IVが2008年に終わり、もう援助や政策に関わるのはいいかなと思って足を洗った途端、おかしな援助(ブラジルの協力を得てモザンビーク北部農業を刷新する=プロサバンナ)が始まるようになっていた。JICA内の南米関係者が、援助を卒業してしまった南米での活躍の場を失って、アフリカへの進出の足がかりにしようとしたのであった。

アフリカ部が研究室に尋ねてきてこの「ブラジル・セラードの成功をアフリカへ援助」を説明しにきたのだが、両方の国を知っていている者にはあり得ないものであり問題を引き起こすことになると指摘したが、その途端、色々なことが変わり始めたことについては既に書いたとおり。

「ブラジルを使ってのモザンビークへの進出=プロサバンナとナカラ回廊開発」という方向性が先陣を切ってプロサバンナで開始されると(末尾のJICA地図参照)、モザンビーク社会をどう捉えるのか、Do no harmの原則をどう実現するのかといった地に足のついた考え方やプロセスは一気に消えてしまった。

自らが頭に描いたイメージや計画を推し進めるために、便利な人達を、それらがどういう人物で、どういう結果をもたらそうとも、税金を使ってでも利用する・・・・その結果起きたことが、2013年から現地で続く「邪魔者(反対者)は轢いてでもプロサバンナを前進させる」という方向性であった。

これについては、モザンビークの11名の住民から出された異議申立に出てくる。が、この詳細は岩波の連載にも少し紹介している。
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1419

州農務局長からの電話に戻る。
翌日早いからと伝えると、今度は延々とJICAがいかに素晴らしい組織か、とくにプロサバンナを考えついた人物が自分の兄のような存在で、その人物の指導がいかに素晴らしいか、だからプロサバンナは間違いなく素晴らしいと演説する始末。もちろん、話はどんどん私や日本のNGOなどへの個人攻撃に向かっていく。すでに40分経過。丁度いいところでバッテリーがきれたので、とりあえず放置しておいた。

実は、ホテルはあえてJICA関係者が泊まらない宿をとっていた。
しかし、JICAはホテルまでモザンビーク政府高官に伝えていたのだった。電話のことを話すと皆が気持ち悪がって、それ以降は別宿に泊まることとした。

しかし、気持ちの悪い事態はこれで終らなかった。
農村部での調査から戻ると、今度は新しく予約したホテルにいきなりJICA本部から出張していた事業の担当者が現れたのである。

州農務局長が電話で延々と持ち上げ、「兄弟」「指導者」と仰いだ、まさにその人物が、ニヤニヤ笑いながら朝食の席に座っているのである・・・。嬉しそうにこちらをみて、挨拶してくる様子から、私たちがこのホテルに泊まっているのを知っていてわざとホテルに泊まっているとしか思えなかった。

しかし、何のため、わざわざ同じホテルに泊まっているのか?
どうやって突き止めたのか?
(JICAには絶対伝えないように全員が気をつけていた)

あるいは、思い過ごしなのか?
尋常ではないことが起きていることを誰もが感じた。

調査の最初から最後まで一緒に同行してくれた国際NGOの欧州人スタッフが別れ際、まじまじと目を覗き込んで、
「だいじょうぶ?何かあれば一刻も早く連絡するように」
といって、電話番号をくれた。

この時点では、「思い過ごし」だと誰もが思いたかった。とくにわたしは。

彼は長らく国際的な環境団体で世界あちこち(特に南米)の住民や環境団体を支援してきた経験から(南米では環境活動家が多く暗殺されている)、こういう一見「偶然?」と思える、しかし気持ちの悪いことが重なるときには、その背後で何か企みが進められていると教えてくれた。

「ただ、ヨーロッパのドナーだったら、もちろん、地元政府高官に個人情報である電話番号やホテルの場所なんて伝えないのが当然だけど。それどころか、こんな援助とっくにヤメてるはずだよ。なのに、JICAときたら、日本からの調査団にプレッシャーを与えるように政府高官に促して個人情報をあげてる。ついでに、わざわざ同じ宿に現れた。こういうこと自体が、プロサバンナの薄気味悪さ、汚さを証明してるよね。本気でみな『後ろ』に気を配って。」

そういって別れたのだが、何か「ぴーん」とくるものがあったのか、心配性なのか、その後マプートに戻った後も、ほとんど毎日一緒に街を歩いてくれた。

それでも、思い過ごしだよね?・・・そう自分に言い聞かせた。
でも、不安が拭いされなかった訳ではなかった。

結局、これが私たちの思い過ごしでなく、彼の懸念通りであったことが後にはっきりする。

つまり、JICA本部から出張できていたこの人物が、同じホテルに泊まっていたのは偶然ではなかったのである。日本のNGOと研究者が泊まっているからこそ、そこに泊まったのであった。

どうやって突き止めたのか?
なんと、この人物は、現地のJICA職員にナンプーラ市中のホテルを一軒ずつ訪問させて、私たちの泊まっているホテルを突き止めさせて、わざわざそのホテルにうつったのだという。

当然ながら、このことは、後にJICA内部で大問題になったという。(そりゃそうでしょ・・・。大学教員や日本のNGOを秘密裏につけまわして、スパイまがいのことをしようとしたのだから。。。)

このような行動の数々が、「コミュニケーション戦略書」の策定と実行と同じ時期に同じ場所で行われていたこと、同じ人物が両方に関わっていたことを考えると、かなり根が深いことが分かると思う。

そして、その後に続くとんでもないことの数々のレールが2013年にすでに敷かれていたことがわかる。

(続く)


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当時のJICAが、ブラジルを巻き込んでやろうとしていた大規模開発のイメージが良くわかる地図。

同じ日に配布された日本語資料からは、あえてブラジルの国旗がすべて削除されている。また日本語版で中央に大きく掲載されていた大豆のプランテーションの写真も削除されている。



by africa_class | 2018-12-10 06:49 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

研究界への介入・暴力(1)〜2013年からプロサバンナをめぐって起ったこと

なぜ急にこんなに書いているかというと、来日したモザンビークからの小農たちが受けてきた傷や被害を改めて耳にして、もうこんな援助(プロサバンナ事業)は本当に許してはならないと思ったから。「小農支援」といいながら、地元の最大の小農運動のリーダーたちをこれほどまでに苦しめる「私たちの税金でやられる援助」について、洗いざらい、多くの人に知ってもらい、納税者で主権者でもある日本の人びと自身が、この事業に審判を下すべきと思ったから。

もちろん、ずっとそう思ってきたし、私を含め、皆それなりに行動してきたのだけど、「個人的な部分に関わることに見えること」はあえて書かないてできた。というのも、「個人的なことに見えること」を書くことで、「だからあの人は事業に反対するんだ」という結論を導き出されることは避けたいと思っていたから。

昨日の投稿で書いた通り、事実認定ができるファクト(根拠となる政府・JICA側の一次資料がある)だけで問題提起をすることが重要だと思ってきたし、今でも思っている。

ただ、なぜこの事業がこんな風にCIA(海外に向けた米国諜報機関)ばりの活動に手を染めるようになったのか、その初期の段階で何があったのかについて、一般の人に理解してもらうには、わたしや私たちの身に起ったことを説明する必要があると考えるようになった。

愉快なことではないので、病気だったこともあり、黙ってきたことも、もう広く社会に知っていただくべき時がきたと思っている。

2012年10月にモザンビーク最大の小農運動UNACと対象3州の農民連合がプロサバンナに反対の声明を出してから、JICAが陰で何をしてきたかについては、JICA自身の一次資料によって明らかにできた。これは昨日、このブログで紹介したとおり、実証的に岩波書店『Web世界』で詳細を述べているので、そちらを参考にしてほしい。

モザンビークで起きていること〜JICA事業への現地農民の抵抗
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1419

「コミュニケーション戦略」なるものを立てて、農民らの主張を矮小化したり、農民組織や市民組織をコミュニティや日本やブラジルの市民社会、メディアから切り離そうとしたことについては、以下の記事でも触れた。

「農民団体の価値を低める」と書かれたJICAの『戦略書』
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1171

ぜひ日本の税金で作られたJICAの地元コンサルタントとの契約の「成果物」を、ご自身で手にとて読んでほしい。私はJICAが情報開示請求の結果として公表したポルトガル語版で読んだのだけれど、英語版も以下のサイトで入手可能ないようなので、ぜひ皆さんに読んでほしい(特に、32-33ページ)。

ProSAVANA: Communication Strategy(『プロサバンナ:コミュニケーション戦略書』)

そして、その後この『コミュニケーション戦略書』が受け継がれる形で、JICAがさらに契約したMAJOLという地元コンサルタント企業が何をしたのかについても、リークされた一次資料(MAJOLからJICAに提出された3本の成果レポート)を確認してほしい。

なお、『戦略書』の英語版はMAJOL社がJICAに提出した最初のレポート(2015年11月)の参考文献欄に掲載されていた。しかし、JICAが開示した最終版からワザワザあえて消されていたことも、皆さんの頭にしっかりインプットしてほしい。(なぜJICAは参考文献一覧からこの『戦略書』を削除しなければならなかったのか?・・・ここにJICAが「確信犯」であったことが如実に示されている)

JICAの介入に反発する小農や「キャンペーン」
内部告発者からのリーク:JICAに提出された「レポート」の衝撃
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1181

以上の記事の最後に現物のコピーを載せてあるのだが、やはり一次資料を自分の目で確認してほしい。以下の国際NGOのサイトに「内部告発者」からのファイルがすべて掲載されている。
https://www.farmlandgrab.org/post/view/26158-prosavana-files

下記の2つのレポートには、プロサバンナに反対する公開書簡や声明に署名してきたモザンビーク内の団体やそれに関わった個人を個別調査し、「影響力の強さ・弱さ」「プロサバンナへのポジション」「同盟を結ぶことを促進できる、あるいは阻む要素」「内部の対立状況」が調査されたことが分かる。
https://www.farmlandgrab.org/uploads/attachment/Map.2.pdf

それぞれの調査結果は、表の形で「見える化」されるとともに、どうやったら巻き込みが可能かの具体的な提案まで書き込まれていた。特に、モザンビークの小農運動やNGOの資金源となってきた国際NGO(故に影響力「高」としてランキングされている)をどう懐柔するかまで書かれていて、正直なところ気持ち悪い。

JICAが地元コンサルティング会社にこんな調査をさせて、500万円もの税金を支払っていたことを一般の納税者が知ったときに、「援助資金の適正活用」として本当に納得してもらえるのだろうか?猛暑が酷くなる一方の日本で、教室にクーラーすらない小学校が大半である現実を考えるときに、こんなことが許されると思っているとすれば、あまりに驚きである。

結局、どうせこれらの文書はモザンビーク政府が開示を拒否したと主張することができるし、黒塗りするから、バレるとは思っていなかったのだろう。

しかし、こんなことに自身が手を染めることを許せないと考えた「内部告発者」がいた。

MAJOLがJICAに提出した最後のレポート(2016年3月)は、自画自賛と「ぶっちゃけトーク」満載(英語なので是非読んでほしい。)。プロサバンナに反対し続ける小農運動や市民団体を「過激派」扱いし、敵視。そして、あれやこれやの「アクション」にも関わらず、UNAC(農民連合)を味方につけられなかったために、彼等が農民人口の数パーセントしか代表してないとか、地方選出議員を巻き込むことで農民たちが主張し日本のNGOらが根拠とする「小農の代表」という主張を矮小化する戦術(tactics)を、同盟を組むようになったナンプーラ州の市民組織と立てたと報告されている。

当然、JICAがリーク後に止む無く公開したレポートは真っ黒塗り、あるいは削除の嵐。比べてみると面白い(…)ので、是非日本のNGOが公開してくれている以下のサイトをご参照。
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/index_docs.html

このように『戦略書』を踏まえて展開されたMAJOLの「コンサルティング活動」によって創り出されたプロサバンナ推進のための「市民社会対話メカニズム(MCSC)」(2016年2月)。これをJICA担当官らが嬉しそうに「市民社会主導」と呼び、MAJOLが「第三者」「独立」した存在だと強調したのには、今でも信じがたい。

そして、話はそこで終らなかった。JICAは、対話メカニズムが想い通りに機能しないことを受けて、2016年10月、MCSCのコーディネイター(アントニオ・ムトゥア氏)のNGO(Solidariedade Mocambique)と、2200万円ものコンサルタンティグ契約をかわしたのであった。詳細は以下の記事。

「推進派」NGOへの2200万円のコンサルタント契約
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1182

この契約書の現物は、以下のサイトからダウンロードできる。

2016年12月、ムトア氏が、JICAのコンサルタントとして莫大の謝金を手にしていたことを日本の大使館もJICAも伏せたまま、現地の新聞らに「モザンビーク市民社会の代表」として取材させていることが、外務省の一次資料でも確認できた。

その「成果」として、ムトア氏の話を真に受けた独立系新聞が、プロサバンナに反対をする人達を貶める記事を書いたことついては、未だ岩波の連載で取り上げてない。けれど、この記事は未だオンライン上に存在するので、ぜひ最後までみてほしい。なぜなら最後に、「この記事は日本大使館の組織したツアーに基づき書かれました」と記載されているからである。

http://www.verdade.co.mz/tema-de-fundo/35-themadefundo/60572-organizacoes-da-sociedade-civil-do-niassa-nampula-e-zambezia-libertam-se-de-maputo-gracas-aos-dolares-do-prosavana

そして、このブログで紹介した「3カ国民衆会議に現れた日本の若手『研究者』」は、この記事通りの主張を展開しているのであった。この点については、改めて触れるが、以下に少し触れている。

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

https://afriqclass.exblog.jp/238886464/

なお、SolidariedadeとJICAの契約書(署名は、以上のムトア氏)を見てもらえば分かる通り、2200万円の契約金の大半が「謝金・人件費」で占めれた。つまり、Solidariedadeとムトア氏の仲間になってプロサバンナを推進するNGO関係者に、JICAから莫大な資金が「コンサルタント料」として流れたことになる。

この自ら創り出した「市民社会メカニズム」をJICAは現在でも強調し、資金援助し続けている。

しかし、これらは地域で農業を営む小農自身あるいは小農運動ではなく、本来地域住民の8割を超える「小農を支援する」と称して結成されたNGOや市民組織、ネットワークであった。つまり、JICAが行った一連の活動は、地域に反対し続ける小農がいるのに、小農を支援する団体を小農から引きはがし、大金を掴むことでメリットを見せつけ、小農を孤立させ、追い込むことを招いたといえる。

今回も来日した農民たちが口々に語った言葉が耳の中でこだまする。
「骨と肉に切り刻み込まれた分断の傷」
「日本の資金、JICAの資金がなければ、こんな目にあわなかった。JICAの責任」

2年前と同じ表現を、より強い表現で口にした農民女性を前に、日本の市民として、何も返す言葉がないままだった。

だから、私もついに口を開こうと思う。
(続きはあとで。)

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by africa_class | 2018-12-05 15:49 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

なぜか岩波書店の『Web世界』の連載がトップ5を占める「怪」〜地味だけど皆に読んで知ってほしい日本の援助の「闇」。

岩波書店が出している月刊誌『世界』の記事が出版されたのは2017年4月のことだった。あれからあっという間に2018年も暮れ。もうすぐ2年近くが経とうとしている。同誌がWEBにもサイトを開設するというので、当初の記事をWEB用にアップデート&分割してほしいと頼まれたのが去年の冬。そして、WEB連載が静か〜に始まったのが、今年の3月。

連載 モザンビークで起きていること

JICA事業への現地農民の抵抗

https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461

本当は既に出した記事の校正だけで済まそうとしていたのだけれど、最初に記事を書いた2016年冬からあまりにも沢山の出来事があったので、少しずつ加筆していったら、ついに今でも続くロングラン「連載」になってしまった。当然、担当者も私も予想だにしていなかった事態。でも、あまりに過去&現在進行形の出来事がびっくり仰天するぐらい酷いので、世間のみなさまに広く知っていただく必要があるので、書店に「もうヤメて〜!」と言われるまで書こうと思う。

でも我ながら、すっごく面白い連載とは…いえない。
事実が淡々と書かれているだけなので、多くの人にとって「つまらない」のではないかと、いつも心配になりながら原稿を担当者に送っているのだけれど、一昨日『WEB世界』のサイトを見て目が点になった。そして今みてさらに点に・・・。

なぜだか分からないのだけど、この連載の記事がランキングの1位から5位までを占めていたのだ。息子曰く、「なんかの間違いだよ、絶対。自分のPCからだからそうなってんじゃないの?」。そうだよね…と思ってTWEETしたら、どうやら他の人のPCでもそうなのだという。

何かの偶然が重なったのだと思うけど、たくさんの人に知ってもらって、考えてもらいたい内容ばかりなので、これはとっても有り難い。どんなに重要なことでも、知られなければ意味がなく、でも知ってもらおうにも、興味を持ってもらわなければどうしようもない・・・のだけど、あんまり楽しい話題でもないし、どうやって目にとめてもらって、実際に読んでもらうところまで行き着けばいいのか、皆目検討もつかなかった。(いまでもだけど・・・)

でも、何はともあれ、多くの人に読んでもらえるようになったのであれば、本当に嬉しい。自分のためにではなく、この6年間、私たちの援助のせいで、苦しみ続けているモザンビークの小農や市民社会の皆さんのためにも。

3カ国民衆会議で来日したモザンビークの小農運動のリーダーや市民社会組織の人達15名の話を聞く機会をもてた人なら知ることができたと思うけれど、日本の援助(JICAの資金とプロジェクト)で現地の人びとがどのような目にあってきたのか(きているのか)、ひとりでも多くの日本の方に知ってほしい。そして、こんなことを貴重な税金で許し続けていいのか、についても。事業開始直後に地元小農たちが反対を表明したというのに、この6年ですでに32億円の資金が費やされてしまった。32億円あったら、どんな素晴らしいことができるだろうと考えると、ただただ悔しい。

さて。この連載。紙媒体での記事の時から決めていたことがある。
それは、政府側(JICA)の登場人物の全員について氏名を公表することである。この理由は、ハンナ・アーレントが指摘するナチス・ドイツ時代のホロコーストの土壌と構造が「匿名性を帯びた役所や官僚による統治/支配」によって培われたという指摘を踏まえてのことだった。

6年間、プロサバンナ事業に関する外務省やJICAの官僚や担当者らの言動を観察する中で、アーレントが指摘した現象と似たものを、感じるようになった。これに抗うことは、プロサバンナ事業という一つの援助事業の問題を超えて、日本の国家や社会のあり方の「闇」に直結することと考えて、彼等の行為をすべて行為者の名前とともに、根拠を示しながら(すべて彼等の関与を示す文書を注にあげている)、明らかにしている。

詳細→

■森友問題、プロサバンナ問題を考える>アーレント「悪の凡庸さ」とグラス「玉ねぎ」を糸口に

https://afriqclass.exblog.jp/23780372/

とくに注目しておきたいのは、JICAの登場人物のいずれもが自分は「『いいこと』をしているつもり」、あるいは「しているはずだ」という強い思い込みをもっていることである。あるいは、「命令にしたがっているにすぎない」、「命令のなかで、できる最善を尽くしている」つもりの人もいることを知っている。しかし、彼等がしていること、してしまったことはその真逆である。戦後の一時的な民主的で豊かなモザンビーク市民社会を、権威主義化・独裁化を進める現地政府とともに、いかに分断し、コントロールしようとしてきたか・・・。

そんなバカな・・・と言いたい人の気持ちは分かる。
私自身が「嘘でしょ?」「あり得ない」と思いながら、ギュンター・グラスのいうところの「玉ねぎの皮」を一枚一枚はいでいった結果がこれなのだから。連載を1つでも読んでいただければ、おそらく理解できると思う。

バックナンバー


私が、日本の皆さんに問いたいのは、CIA顔負けの「海外活動」に、果たして日本の納税者や市民として同意あるいは納得しているのか、という点。

困っている人を助けるためにあるはずの政府開発援助が、いつの間にか、現地社会で最前線でしぶとく不正義に声をあげる人達を弾圧するために使われていることを知ったとして、皆さんはどう考え、どう行動するのだろうか。

まずは知り、考えるところから一緒に、ぜひ。

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by africa_class | 2018-12-05 04:52 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

「研究」という暴力〜民衆会議に現れた日本人「若手『研究者』」

3カ国民衆会議は無事、成功に終わり、安堵する間もなく、事後処理に追われる日々。ドイツでは、とにかく「クリスマス」シーズンがはじまり、各家庭大忙しの時期。19回目のドイツでのクリスマス。あんなに嫌だったのに(この時期雨ばかりで寒い)、ドイツの父も母も亡くなって、なんだか今年こそは彼等が教えてくれた伝統に則ったクリスマスをしたいと、強く思うようになった。口には出さないものの、家の誰もがそう感じている。と同時に、日本のお正月の伝統も息子に伝えなくては…という気持ちも強まって、セカンドハンドのお重を2つも買い占めてきた。

この半年ほどクレイジーなほど忙しかったので、書きたいなと思いながらも書けなかったことを少しずつ書ければいいなと思ってる。

このテーマ(「研究」と暴力)については、数年前から書きたいと思っていたテーマだった。

もちろん、研究者としての肩書きをもつ私自身の「暴力」に無自覚なわけではない。沢山の人びとのインタビューへの協力を踏まえて書いてきた論文や研究書が「収奪でない」と断言できるかといえばそうではない。ただ、その危険と隣り合わせに、自覚し、自問自答しながら30年近くを過ごしてきた。いつも「なぜ誰のために何をどう研究するのか?」「研究成果を発表することによってどのような影響を及ぼしてしまうか(ボジティブだけでなく、ネガティブも)」を問い続け、今も問うている。

特に、戦争や暴力をテーマとして研究するようになってからは、この問いは肝だった。平和に関わる仕事がしたいと国連の帽子を一度は被った自分が、研究の道にきた理由を考えれば、これは当然のことであった。だから、博論の序章は、過去の研究がどのように戦争や介入の口実に利用されてきたかを延々と取り上げた。とくに、文化人類学的な研究成果が、歴史・政治経済的な背景を排除する形で戦争の原因を「研究者が目で見て体験した現象」に求める傾向に警鐘を鳴らしたいと思った。

(博論は『モザンビーク解放闘争史』として出版。その後、英語版The Origins of War in Mozambiqueが無料で公開されている→http://www.africanminds.co.za/wp-content/uploads/2013/05/The%20Origins%20of%20War%20in%20Mozambique.pdf)

他方で、その研究はとても魅力的なものでもあった。地域社会におけるエスニックな対立がどのように戦争状況を利用していったのか、スリリングなタッチで描かれている。これを読んだ誰しもが、その時期・その場でしか描き得なかった文化人類学的な考察に感銘を受けた。

でも、私がこの「研究成果」の罠に陥らなかった理由は、当時、私自身が戦争直後の国際的な介入の最前線でコマのように働いていたからである。地域社会や人びとのあれやこれやに大きな影響を及ぼすオペレーションのただ中で、世界各地からくる同僚や上司たちの「戦争(原因)認識(つまり、誰が悪者か)」に、翻弄されながら、日々の活動を地域社会の最前線で前に進めなければならなかった。広大なモザンビークの最も大きなニアサ州の南部全体の選挙部門の統括をたかだか23歳のわたしがするという、どう考えても無茶な日常を半年にわたって過ごす中で、「戦争原因認識」は大きな意味を持った。

ニューヨークからのファックス、ニューヨークから送り込まれてきた米国人の上司の「戦争原因認識」に翻弄される日々の中で、この「研究成果」がいかに重要な役割を果たすようになっていたのか徐々に知るようになった。この「文化人類学的研究成果」は、その具体的なディテールを強力な根拠として、独立後のモザンビークの戦争の原因は社会主義政府による失策にあり、アパルトヘイト政策をとっていた周辺諸国や東西冷戦下の西側諸国の介入の影響の重要性を矮小化する役割を果たしていた。だから、元反政府ゲリラに正当性を与える効果をもたらしたのであった。

冷戦が終っていたこと、南アフリカでネルソン・マンデラ政権が誕生したことも、「過去の話」としての冷戦やアパルトヘイトに原因を求める傾向はより弱くなっていた。もちろん、社会主義政府に問題がなかったわけではない。現在の問題に続く強健主義の問題は地域の人びとの根強い反発を生み出し続けており、それが一部暴力に繋がっていることも事実である。

しかし、1977年から92年までの16年間、100万人以上の死者と国民の1/3の難民を出したこの戦争が勃発したのも、継続したのも、ローデシアや南アフリカの白人政権、米国・英国・西ドイツなどの介入抜きには不可能であった。そして、戦争の「根本原因」と文化人類学者が主張する「エスニックな対立」から、植民地支配(だけでなく、対叛乱戦略)の深い影響を抜きに議論することもあり得ない。そもそものポルトガルの「植民地死守」政策と1964-74年の10年にもおよぶ植民地解放戦争、そしてそれを支えた西側諸国の影響も。

もちろん、そのことに文化人類学者が触れなかったわけではない。けれども、自分の文化人類学的な「発見」を「戦争の原因」と結論付け、さらに研究書のタイトルとした時点で、社会主義政策下で生じたエスニックな対立が原因と表明したに等しかった。

1990年に文化人類学者(クリスチャン・ジェフレイ)がモザンビーク北部ナンプーラ州で目の当たりにした「現実」を醸成してきた歴史やより大きな構造を軽視したこの「研究成果」こそ、100万人もの死者を生んだ罪の意識から解放されたい西側諸国にとって都合のよいものであった。

1997年のこと。
国連ミッションを経て、「戦争の原因」を多角的に調べようと心に決めて、南アフリカの大学にる政治学の先生(米国人)とご飯を食べていたときであった。ジェフレイの話をしたとき、駐モザンビークの米国大使のエピソードを語ってくれた。この「研究成果」はドラフトの段階で米国大使の手に渡り、すぐさま英訳されて西側諸国の大使館に回覧されたというのである。何の因果か、私が1990年から南米の日系人の共同研究をしてきた別の米国人の先生の同僚が、この元大使ということで、この点について確認してもらったところ、それは「事実」だった。

たった「一つの研究論文」、汗をかきながら集めた「現地調査結果」が、国際介入や戦争・戦後の行方に影響を及ぼしてしまう現実を、実務者と研究者の立場で目の当たりにしてから、私の中では、研究を全体から切り離さないよう常に心がけること、「研究と暴力」はテーマになった。

その後、博論を書いて気が済んだのかやや忘れていたのだが、2000年以降に日本で若い人達の間で「ルワンダ研究」が流行るようになって、再びこのテーマを思い出し、少しばかり警鐘を鳴らした。

しかし、その後はアフリカ紛争研究から足を洗ったこともあり、また日本の大学や研究界から足を洗う決意をしたこともあり、あまりこのテーマで考えることも少なくなっていたところ、ここ数年で一気にまたこのテーマに直面するようになった。

簡単にいうと、自分が「研究の対象」とされ、追いかけ回されるようになったからである。特に、「開発(援助)学」や「社会運動論」の若手「研究者」によって・・・。あるいは、プロサバンナ事業を共同研究したい、本を出したい、これらの分野の色々な人からのプレッシャーを受けるようになったが、最後に述べる理由により断ってきた。

私は開発援助や社会運動についても研究の対象にしてきたが、そのフレームはあくまでも歴史・国際関係・政治学からのものであって、「開発学」や「社会運動論」をディシプリンとしてきたわけではなかった。なので、昨今の若者がどのような調査や研究をして、どんな結論を導き出しているのか、あまり知らないままであった。

しかし、以上の理由から、若い人達の「研究成果」に接するようになって、本当に驚いたのは、「調査」(あるいは「実証」)と呼ばれるものの底の浅さである。とにかく、公になっている政府側の資料、市民社会側の資料、そしてちょっとしたインタビューを付け加えるだけで、「事実認定」して、容易に「結論」を導いて、「研究論文」としてカウントされる現実に、ただただ驚いた。あまりに安易というか・・・。(もちろん全員ではない。素晴らしい研究をしている若者も沢山いるのだけれど、なぜか「日本の援助」や「プロサバンナネタ」の研究には底が浅い研究が多い。日本語が読めないとちゃんとした研究ができないから、どうしても日本の研究界の水準にあわせたレベルになってしまうからなのか・・・)

特に、「若手」の多くの発表・論文には、先に前提となるフレーム、酷い場合には結論があって、それにマッチするデータ(資料であれインタビューであれ)をひっぱってきて、「ガラガラポン!」の大量生産。まあ、量産しないと生き残れない時代だというのは事実であり、可哀想ではある。しかし、検証というにも、実証というにも、あまりに甘いというか浅いというか、驚くばかりなのだけれど、「若手の研究だから、そのうち学ぶだろう…」とは言えない事態が頻発するようになった。

まず生じたのが、2013年のプロサバンナ事業で起きたブラジル人若手研究者の「事件」。いろいろな意味でショッキングなのだが、これはまた改めて書きたい。英語が読める人なら、次の論文を読んでもらえれば大体のことは分かると思う。


ここで取り上げたナタリア・フィンガーマンの2頁のポルトガル語での「研究成果」は、JICAコンサルタントによって賞賛され、日本人の間で回覧されていただけでなく、モザンビーク経済開発省のサイトにわざわざアップされたという事実を頭においてもらえれば、何がどう「ショッキング」なのかは分かると思う。そして、彼女は、プロサバンナ事業のブラジル側のコンサルタントを務めていたFGVの博士課程に在籍していたことも付け加えておきたい。

この時期から、世界各地からひっきりなしに論文の執筆やら本の共同執筆やら共同調査やら、インタビューやらを依頼されるようになり、次に出したのが以下のもの。論文というよりは、「研究ガイド」として、研究手法の問題と解決策を丁寧に記すとともに、読んでおかなくてはならない論文や資料などを網羅したので、本来はこの論文を読めば私にインタビューする必要などないのであった。


丁度、大学も辞め、ようやくメールによる追跡からも解放されて、隠居していたところ、今度は市民社会を経由して、あれやこれやの手法で世界中の「若手研究者」から「インタビュー」の依頼が頻発するようになった。私に対してだけでなく、日本・ブラジル・モザンビークの市民社会の関係者にもインタビューの依頼が殺到し、その内、それらの「インタビュー者」の中に、政府関係者から送り込まれた「若手研究者」がいることが明らかになった。

あるいは、「修論/博論のため」「現地の人びとのために研究してます!」といって、結論が決まっていて、あとは自分の都合のよい裏とりをしたいだけの「若手研究者」に遭遇することが頻発していった。

自分や体制維持のための「研究」・・・。
植民地支配や戦争の研究をしていれば普通に遭遇することではあるが、21世紀である。
研究者を育てる仕事を辞めていたからかもしれない。
あるいは色々な意味で疲れていたのかもしれない。
体制が利用する、あるいは世界の裕福な立場にいる若者の趣味的感覚で行われる「研究」なるものに絶望してしまった。

もう見知らぬ人からのメールは開けないことにした。

すると、ある「日本人の若手『研究者』」が、あるテレビ局に務める私の元ゼミ生の上司を経由して、質問票を送ってきたのである。そもそも、わたしの元ゼミ生をどうやって突き止めたのか。彼女の上司を経由することについて、何の問題も感じなかったのだろうか・・・。ましてや、このテレビ局、JICAモザンビークで数々のプロサバンナ事業の問題契約に関わった人物の古巣である。

もし皆さんがそのような事態に巻き込まれたら、どんな気がするだろう?何か得たいの知れないものが近づいてくる感じを受けないだろうか?

それでも気にしないようにしていたのだけれど、この投稿を書く決意をしたのには理由があった。その日本の「若手『研究者』」が、3カ国民衆会議のプレイベントに現れたからである。植民地支配下のモザンビークに、解放軍とともに入った写真家の小川忠博さんの映写会でのことだった。その映写会のタイトルは、「モザンビーク農民の『No』の歴史的ルーツを辿る」。
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-25.html

ここに彼女は現れて、モザンビークでプロサバンナ事業の調査をしている研究者だと自己紹介をしたのち、自分が出逢った人たちは「殆ど皆がプロサバンナに賛成」なのだけれど、そういう人達の声はどうするんですか的な質問をしていた。

質問を受けたJVCの渡辺直子さんは、社会にいろいろな声があるのは当然で、自分がひとりの人間として、どのようになぜそれぞれの声を受け止めるのかを考えて、自分はNOを選択した農民らに寄り添っているとの発言をした。

それはそれでいいのだが、この女性の名前を聞いて、彼女が某テレビ局を通じて私にコンタクトしようとしていた人物だと分かった。そして、すでに現地の学術界や市民社会で問題を引き起こしていたことを思い出した。モザンビークからの説明によると、以下のような経緯で彼女は「有名」になっているという。

まず、この女性はテテ州の鉱山開発問題について英国の大学院の修論を書くために「現地調査」をしようとした後、モザンビークの市民社会の中でも「プロサバンナにノー!キャンペーン」の最前線に立つ団体に、プロサバンナに関する調査の協力とリサーチャーとして在籍させてほしいと要請を出したという。この団体は、世界中の若者の調査をサポートして散々な目にあっているため、研究目的やプラン・手法の提出を要請した。「自分のための研究」をしたいという傾向が目についただけでなく、「何かおかしい」と直感し、断ったという。

次にこの女性がコンタクトをしたのが、OMRであった。
OMRは、2015年6月に私が所長を日本に招へいして以来、JICAがプロサバンナにどうしても引き入れようとあの手この手を使って働きかけを続けている研究所である。私が以上の英語とポルトガル語の論文を出している研究所でもある。

OMRによると、この女性は修士論文で「マプートの橋に関する研究をしたい」から席をかしてほしいということだったので、席を貸してあげたという。(この時点で市民団体にはプロサバンナについて研究したいと言っていた点と矛盾がある)。しかし、お金はあげていないので、どうやって物価の高い首都で生活しているのか分からない状態だったが、2,3ヶ月して途中いなくなった。そして、帰ってきたら突然「プロサバンナの研究がしたい」と言い出した。すでに席をおいていた状態だったので、拒否はしなかった。すると、ある日、許可をしていないのに、研究所内にJICA関係者を招き入れるようになった。まさに同じ時期にJICAはOMRを繰り返しプロサバンナ事業に協力させようと躍起になっており、この女性も度々、JICAは悪くない、JICAに協力すべきと口にするようになった。あまりにおかしい上に、JICAの仕事をしているようだったので、席を返すように伝えて、関係をきった。

なお、OMRに席をおいている間に第3回民衆会議にも現れたという。

するとこの女性は、今度はモザンビークの別の研究所の研究大会に現れて、「現地調査の結果」として「プロサバンナ事業への反対は首都の者であって、北部の人は迷惑している」といった主張の研究報告を行い、皆を驚かせたという。(なぜなら、これは日本大使館とJICAが、契約したコンサルタントを使って、独立系の新聞社に書かせた記事と全く同じ主張だったから。*詳細はまた今度)。

すでに、この日本の「若手『研究者』」がJICAとの関係が疑われたためにOMRから追放されたことを、直接OMRから聞いて知っていたモザンビークの市民社会関係者は深刻に受け止めたという。実際、この女性によると、「キャンペーンへの出入りが禁止された」という。さらに、別の関係者は、この女性が、プロサバンナの事業を請け負うモザンビーク北部の市民団体(プロサバンナ推進派)で仕事をすると言っていたと聞いて、懸念しているとのことであった。

それから数ヶ月後、この女性は「3カ国民衆会議」にあわせて日本に戻り、プレイベントに現れたということになる。

以上は彼女の側からの話ではないため、一方的な部分もあると思う。ただし、複数のソースによる指摘、実際の彼女の言動や書いているものを踏まえたとき、そのいずれもが、ある一定の方向しか示していないことは明らかである。それは「JICAの主張に根拠を与える」ことであった。多くの「若手研究者」が時にやるように、結論から「実証」を引っ張る典型的な手法である。

NGOも同じような手法を取っているように見えるかもしれない。しかし、実際は決定的に違う。それは、上記の渡辺さんの説明にあるように、彼女は自分の立場を認めた上で、その立場を取るに至った理由を説明しているからである。つまり、彼女が結論として導いているのは、彼女の立場にすぎない。一方、「研究者」として現れた「日本の若手『研究者』」は、自分の立場は明らかにしないし検証もしないままに、あたかも「第三者」で「独立」しているかの前提で、「調査結果から●●がいえる」との結論を導いている。しかし、以上の複数ソースが投げかけている疑問は、「彼女はプロサバンナ事業において第三者ではないのではないか?」というものであった。

その問いに真正面から答えずに、プロサバンナ事業の研究を今後続けていくことは、彼女自身にとっても辛いことであろう。正直なところ、彼女が自らのバイアスや立場性を明確にした上で論文を書くのであれば、それでいいと思う。

私は、以上に紹介した二つの英語の論文で、原発事故後の日本で(ある意味ではコロニアリズムの後の現代において)、もはや「第三者性」という立場がとれるのかを私自身が問う中から、すべての研究者がもっている認識や立場の限界やバイヤスを明確にし、しかし事実関係においてはとことん実証的であろうと務めるべきだと主張した。プロサバンナ事業に関わって、研究者としての時間や立場は、必ずしもポジティブなものばかりではなかったが、自分を「無色透明の有り難い研究者様」という楽なポジションから引き摺り下ろして、言論をする難しさを日々試行錯誤する機会には恵まれた。「研究者ぜん」としていては見えない矛盾や闇が、自分の肌感覚に迫る切実さで理解できるようになった点は、大きな収穫といえる。それだけに、事実を掴むこと…へのこだわりはさらに強まった気がしている。

彼女から反論があれば歓迎したいし、ブログに掲載したいし、私が間違っていれば訂正を書きたい。なので、ぜひ真実を教えてほしいと思う。

そして、これは、何年も何年も、卒論から修士、その後ぐらいの人に言ってきたことだけれど、もしかして言われたことがないのかもしれないので書いておきたい。

そもそも終っていないもの(特に社会内に対立があるもの)を研究することは非常にリスクを伴うことであり、研究手法が確立できていない経験の浅い人は、きちんとした指導が受けられないのであれば、避けるべきテーマであることを伝えておきたい。もちろん、若い人であればあるほど、今動いているものを研究したいだろう。社会学や文化人類学であれば今まさに動いているものを対象にするしかないかもしれない。けれども、研究者の「目に見えている」と思われる現実を、十分にコンテキストに入れることができるだけの先行研究や資料や自らの視野の広さ深さがない人が、「目に見えたこと」に基づいて結論を導き出したときに生じる問題を、今一度念頭においてほしい。もちろん、動いているものから考えて、そこから広がる研究をしている人達も、特に京大には沢山いるのだけれど、あそこにはそのような手法を支えるだけの教育の土台がある。

ネット時代、社会対立を生み出している案件やテーマであればあるほど、終っていないものを研究するということは、ただの学生の論文であっても、火種に関わり、予期していない悪影響を社会にもたらすことなのだという理解が不可欠である。あるいは、社会に影響を及ぼすために研究をしているとすれば、その前提が問題なので、いますぐ研究界から足を洗った方が良いと思う。そういう人はぜひ実務の世界に行くのが良い。残念ながら、真理を追求するという研究の原点は、シンクタンクやロビー団体的な研究所の勃興によって時代遅れにされているかもしれない。でも、「研究」や「研究者」が今まで以上に悪用される時代になったからこそ、研究者もまた自己点検ができるほどに鍛錬しておく必要がある。

さて、長くなった。
プレイベントの際の彼女の質問に対して、私が研究者としてした発言を要約すると次のようなものであった。(とはいえ記憶に基づくので正確ではないかもしれない…)
1)研究として調査した結果ならば、いつどこで誰がどのような状況で何を理由としてどう答えたのかを明確にする必要がある。そして聞いた側との関係はどのようなものであったのか。
2)そもそも、この研究を始めたのは何年からか。実際は、農民がプロサバンナに異議を唱えてから6年が経過し、調印から10年以上が経っている。
3)2、3年前からのみ研究しているのであれば、それ以前をどう把握するのかが重要になってくる。
4)例えば、イベントのテーマである植民地支配下の解放闘争を例にとると、武装闘争は1964年から10年続いた。その最後の2,3年に研究を始めて、現地に行ったとする。小川さんのように解放軍と一緒に入るのでなければ、現地は植民地支配の下で訪問し、調査することになる。そのような状態で、「現地の人びとにインタビューしました。多くの人が賛成していました」という調査結果を得るのは当たり前なだけではなく、国境の向こうで戦う人達を支配者がいうように「テロリスト」として追認することになりかねない。「自分の目で見ました、聞きました」に頼る危険はこの点にある。
5)研究者は、このような状況を回避するために何をすべきなのか。10年あったことの最後の段階にしか自分が関われていないという限界を認識し、その前に歴史的に培われてきた構造、環境の文脈をしっかり掴む必要がある。
6)プロサバンナでいうと、調印から数年後、農民が反対の声をあげてから何があったのか?誰が何をしたのか?してきたのか?たとえば、「賛成している人」という人達は誰なのか?
7)2013年から現在まで、JICAが市民社会に介入するために地元コンサルタントを雇って、市民社会の調査を行い、分断してきた歴史的事実、賛成することでJICAからコンサルタント契約をもらい、お金をもらった人達の存在とどう関係しているのか?その人達の「意見」をどのように評価すべきなのか。研究者であれば当たり前に検証されなければならない点であるが、それがされているのか?
8)ただ「賛成している人もいる」ということを結論としていうことで、どのような影響を及ぼしかねないかについてどのようにリスクを把握しているのか。

みたいなことを言った気がします。
彼女の大学時代の先生を知っているからこそ、とても残念で、まだ遅くないから彼女に気づいてほしくて詳し目に書いてみました。

彼女に届くことを祈りつつ。
なお、以下のチラシはもう終ったイベントのものです。
そして、以上の7)についての実証研究は、岩波書店の『WEB世界』に連載中なので、そちらをみていただければ。
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461

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by africa_class | 2018-12-03 01:21 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ