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【徒然】伊藤詩織さんを取材したBBC番組後の一連のやり取りを踏まえた論点&私の考え(前半)

ずいぶん久しぶりとなりましたが、皆さんのところでは新型コロナの状況は如何でしょう?来週帰国するはずが、乗るはずだった飛行機すら無くなってしまい、ドイツに留まったままな感じです。地球上に散らばる、皆さんのご健康とご無事を祈ってます。

さて、今年6月にツイッター上で、伊藤詩織さんのBBC放送の件で、私も色々ツイしたんですが、なにせ140文字の連ツイなので、誤解も生みやすいので、まとめてブログに記載しながら説明しようと思って、早4ヶ月。特に、6月は、まだ社会活動もしていて、かつ毎日のように朝から晩まで畑に出ていて、かなり時間的・体力・思考的余裕がない中で書いていたので、誤字脱字、見落とし多し、表現に問題ありなので、きちんと書き直そうと思ってたんです。が、次のブログで紹介する学会報告のための論文作成と、8月中に出すはずだった原稿2つもあったりで後回しにしてたんですが、意見をたずねて下さる方達がいるようなので、とりあえず暫定版ということで、まとめておきます。

なお来週学会発表なんで、それ以降にまた見直して、次の段階の議論ができればと思います。
(*ツイッターやってないと分からないかもなので、念のため。「ツイ」=ツイート/つぶやき、「RT」=Retweet=転送・引用みたいなものです。「連ツイ」=連続したツイートのこと。)

追記>
ツイッターでその後同じ指摘をもらっているので、ここにまとめて書いておきます。
・分かりづらかったかもですが、6月時点の論点が抽出されています。
・8点の論点を「前半」「後半」に分けて、6月時点のやり取りで示した考えとその背景を説明しています。
・その後Aさんから頂いた論点については、その次(「後半」の後)の記事(「番外編」)で中心的に扱います。そのためには、いくつか事前に作業が必要です。これらにことについては、Aさんにも連絡してあります。
・なお、以下の論点の(4)と(5)が二つに別れているのは、伊藤氏の英語に関する(4)に関するツレの見解が、(5)に連動するものではないという理由からです。(5)はツレを含めた視聴者のバイアスについてです。時間がなくて上手くかけなかったので、この部分はいずれ加筆修正します。この(5)は「番外編」に関わっていきます。
・以上の作業は、今週は仕事で忙しいので、来週の作業になるだろうと告知してあります。


【背景情報(1)ー伊藤詩織さん出演のBBC番組とその後】

①2018年6月28日 BBCチャンネル2での放送
伊藤詩織さんに取材した番組 "Japan's Secret Shame"を放送
https://www.bbc.co.uk/programmes/b0b8cfcj
*1時間の番組のハイライト抜粋動画が4つアップされている。


「日本の秘められた恥」  伊藤詩織氏のドキュメンタリーをBBCが放送

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44638987

以下、案内記事の一部:
BBCは28日夜、強姦されたと名乗りを上げて話題になった伊藤詩織氏を取材した「Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)」を放送した。約1時間に及ぶ番組は、伊藤氏本人のほか、支援と批判の双方の意見を取り上げながら、日本の司法や警察、政府の対応などの問題に深く切り込んだ。制作会社「True Vision」が数カ月にわたり密着取材したドキュメンタリーを、BBCの英国向けテレビチャンネルBBC Twoが放送した。

番組では複数の専門家が、日本の男性優位社会では、被害者がなかなか声を上げにくい状況があると指摘した。伊藤氏はその状況で敢えて被害届を出し、さらには顔と名前を出して記者会見した数少ない日本人女性だ(後略)」


③BBCの字幕の問題
あとで取り上げますが、この番組での伊藤さんの英語や字幕の問題は、前から指摘されており、その点は念頭に置いておいて下さい。詳細は、一言一句丁寧に検討した翻訳家のかつみさんのNote記事をご覧下さい。
https://note.com/tkatsumi06j/n/nf728bf9ac6bf?magazine_key=mec52a50adf6e

④2020年6月8日、伊藤詩織さん「Twitter訴訟」開始記者会見
伊藤詩織さん、そして彼女が登場した2年前の放送が、ネット上で再び注目を浴びることになったきっかけ。

同日の読売新聞の報道の一部↓
https://www.yomiuri.co.jp/national/20200608-OYT1T50190/
「ジャーナリストの伊藤詩織さんが元TBS記者の山口敬之氏から性的被害を受けたと訴えている問題で、伊藤さんが8日、この問題に関するツイッターへの投稿で名誉を傷つけられたとして、投稿した漫画家ら3人に計770万円の損害賠償や投稿の削除などを求める訴訟を東京地裁に起こした。

 訴状によると、「はすみとしこ」のペンネームで活動する漫画家は2017~19年、伊藤さんが就職先の紹介を受けるため、意図的に山口氏と性的行為に及んだなどとする趣旨の投稿をしたと…他の2人は男性で、漫画家の投稿を拡散したという。伊藤さんは「投稿内容が極めて悪質で、性的被害に続くセカンドレイプ(二次被害)だ」と主張…」


3年前に実名を出して記者会見した後、ツイッターに事実と異なる投稿をされて名誉を傷つけられたとして、自らの性被害を告発したジャーナリストの伊藤詩織氏(31)が8日、投稿した3人に計770万円の損害賠償と投稿の削除などを求める訴えを東京地裁に起こした。

 伊藤氏は提訴後に都内で会見を開き、「言葉は人を傷つけ、時に死においやる。これ以上、言葉で人を傷つけることがないよう何か行動を起こさなければいけないと思った」と提訴した理由を語った。

 伊藤氏は望まない性行為で精神的苦痛を受けたとして元TBS記者の山口敬之氏(54)を告発したが、山口氏は刑事事件では不起訴となった。伊藤氏は山口氏を相手取った民事訴訟で昨年12月に勝訴したが、山口氏が控訴している。

 今回の名誉毀損(きそん)訴訟で問題とされたのは、伊藤氏が2017年5月、下の名前を公表して性被害を訴える記者会見を開いた後の同年6月~19年12月、「はすみとしこ」のペンネームで活動する漫画家がツイートした5件。

 訴状によると、18年2月には「山口」と書かれたTシャツを着た女性の絵に「試しに大物記者と寝てみたわ」「枕営業大失敗!!」など書き添えた漫画を投稿。昨年12月に伊藤氏が勝訴した後の投稿では、涙を浮かべた女性を描き、「裁判なんて簡単よ! カメラの前で泣いてみせて裁判官に見せればいい」などと記した。他の3件も同様の内容が書き込まれた。

 伊藤氏は漫画の女性は自身だと指摘し、一連の投稿について「顔と実名を明らかにして性被害を訴えたのに、投稿は逆恨みや金銭目当ての虚偽の訴えと断じていて、極めて悪質」と非難。「性被害に続くセカンドレイプ(二次被害)というべき深刻な名誉毀損だ」と主張している。

 問題の投稿5件の一部をリツイート(転載)した2人も訴えた。元の投稿を他人に紹介するリツイート機能は、賛同だけでなく批判や議論を提起するためにも使われるが、2人はリツイートの前後に自らの意見を付け加えていないため、伊藤氏は「賛同していると理解するべきだ」と指摘した。(新屋絵理)

3年前に実名を出して記者会見した後、ツイッターに事実と異なる投稿をされて名誉を傷つけられたとして、自らの性被害を告発したジャーナリストの伊藤詩織氏(31)が8日、投稿した3人に計770万円の損害賠償と投稿の削除などを求める訴えを東京地裁に起こした。

 伊藤氏は提訴後に都内で会見を開き、「言葉は人を傷つけ、時に死においやる。これ以上、言葉で人を傷つけることがないよう何か行動を起こさなければいけないと思った」と提訴した理由を語った。

 伊藤氏は望まない性行為で精神的苦痛を受けたとして元TBS記者の山口敬之氏(54)を告発したが、山口氏は刑事事件では不起訴となった。伊藤氏は山口氏を相手取った民事訴訟で昨年12月に勝訴したが、山口氏が控訴している。

 今回の名誉毀損(きそん)訴訟で問題とされたのは、伊藤氏が2017年5月、下の名前を公表して性被害を訴える記者会見を開いた後の同年6月~19年12月、「はすみとしこ」のペンネームで活動する漫画家がツイートした5件。

 訴状によると、18年2月には「山口」と書かれたTシャツを着た女性の絵に「試しに大物記者と寝てみたわ」「枕営業大失敗!!」など書き添えた漫画を投稿。昨年12月に伊藤氏が勝訴した後の投稿では、涙を浮かべた女性を描き、「裁判なんて簡単よ! カメラの前で泣いてみせて裁判官に見せればいい」などと記した。他の3件も同様の内容が書き込まれた。

 伊藤氏は漫画の女性は自身だと指摘し、一連の投稿について「顔と実名を明らかにして性被害を訴えたのに、投稿は逆恨みや金銭目当ての虚偽の訴えと断じていて、極めて悪質」と非難。「性被害に続くセカンドレイプ(二次被害)というべき深刻な名誉毀損だ」と主張している。

 問題の投稿5件の一部をリツイート(転載)した2人も訴えた。元の投稿を他人に紹介するリツイート機能は、賛同だけでなく批判や議論を提起するためにも使われるが、2人はリツイートの前後に自らの意見を付け加えていないため、伊藤氏は「賛同していると理解するべきだ」と指摘した。(新屋絵理)


【背景情報(2)ーツイッター上でのやり取り】

この日を境に、ツイッター上では伊藤さんへの批判ツイートが大量に流れ始めました。その中に、このBBCの番組に関するツイートがあり、この番組を観ていた私は大変違和感をもつ投稿を目にするようになります。

そこで、海外在住の日本女性の方(仮にAさんとしておきます)の以下のツイとその方が引用されているツイに反応しました。

●6月11日 22時53分(Aさん)
日本のネガキャンはやめて欲しい。そりゃ痴漢とかはいるけど、『誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです』はないでしょう。移動詩織さんによる日本人女性ヘイト発言に抗議します。

この方は、元々、男性名称の匿名アカウント(仮にBさんとしておきます)からの以下のツイをRTする形で発信されていました。

●6月11日 22時30分(Bさん)
【拡散希望】次のハッシュタグを提案します  伊藤詩織さんによる日本人女性ヘイト発言に抗議します  伊藤詩織 氏が英BBCで世界へ発信した『日本社会で育つと』『誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです』は  嘘 です「そんな事ない」「全員だなんて嘘だ」日本人女性が声を上げています

Bさんのツイには、4つの画像が添付されていました。

①BBC放送の一場面(伊藤さんが学生と映っている)の画像(以下の字幕付き)
「誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです」

②「3人目!ちなみにうちにも高校生の娘がいますが、先ほど聞いたらそんな経験ないと言っていましたので4人目!もう伊藤さんの嘘は確定ですね」(同日22時7分、匿名)

③「私もレイプされた事、無いですよ。さも日本人男性は殆どがレイプ魔みたいに言うんですね、この方!」(同日、21時47分、匿名)

④「私は日本人女性として二十一年間、日本に住んでいます。強姦など一度も遭っていません。遭っている方は遭っているかもしれませんが、私は遭っていません。伊藤氏の根拠のない発言は明らかに日本への差別です。私は遭っていません。何度でも言います。遭っていません」(時間不明、匿名)

さて、これらのツイが毎日のように私のフォロワーさんから一気に流れてきたことを受け、以下のツイをAさんに送りました。

●6月14日 19時15分
大丈夫?オーストラリアに本当に住んでるなら、その認識、オーストラリアの女性に示してみて。でも、まず現地の警察に問い合わせて。日本でも同様ですが、「痴漢は性暴力」です。性暴力でない痴漢があれば、例をあげて教えて下さい。そして、「ヘイト」の理解、間違ってます…。英語でお調べ下さい。

「背景(1)」にも書きましたが、この時期(SNS訴訟直後の)の日本語ツイッターランドでは、伊藤詩織さんへのバッシングの嵐が起きているともいうべき状況になっていました。女性の方のようだったので、煽られたのかなと思い、こんな風に書いたんですが、不快感をもたれたとのことでツイでもお詫びしましたが、ここでもお詫びしておきます。

その上で、何を私が問題と思ったのかについて、連ツイしましたが、どうも全部のツイが表示されているわけではないようなのと、一ツイは140文字、かつ時差や時間の都合もあり、当時(6月)Aさんといくつかやり取りしましたが、そのうちにAさんのアカウントが一時停止になったり、その後私が彼女にブロックされてしまったので、そのままにしていました。

しかし、このところ、Aさんが私のTLに頻繁に現れるようになったので(私へのブロックを解除され、また私宛のツイートから私のアカウントを外さずに「いいね」を繰り返し押してらっしゃるからだと思いますが、技術的なことは良くわかりません)、会話を求めてらっしゃるのかなと思い、フォローをしたところ、ご連絡下さったので、その旨伝え、とりあえず、ここに改めて、私が何を何故、問題と思ったのか、整理して、リンクをお送りすることにしました。

【論点】

さて、AさんとBさん、あるいはBさんが添付されている以上のツイで、私が論点と思いやり取りした点を紹介します。なお、どうもAさんの周囲の方々は、私がAさんのツイだけを見て書いたと思ってらっしゃるようですが、AさんはBさんの問題提起を受けて、その提案どおりにタグ(伊藤詩織さんによる日本人女性ヘイト発言に抗議しますを使ってらっしゃるので、Bさんの主張とBさんによってぶら下げられている①〜④までの画像内容も賛同の上、ツイをされていると判断してのことでした。

以下の整理もその理解に基づきます。Aさんが、実はBさんやその添付内容に全面的に賛同している訳ではなかったという場合は、ご連絡いただければ、ここに訂正を入れたいと思います。

(なお、一点すでに分かっている点としては<後のやり取りで分かったこととして>、Aさんは、「痴漢は性暴力」とされています。その上で、everyoneと表現されたことを問題視されていることをここで書いておきたいと思います。ただし、伊藤さんが痴漢をそもそも入れていたことが前提だったか、"sexual assault"についてはどう理解されているか確認できていません。)

いずれにせよ、論点に入る前に、このブログ読者へのお願いは、BBC動画の全部(少なくとも、問題になった2つ目の動画)を観て頂けるようお願いいたします。日本からだと難しいかもしれませんが、色々工夫して検索してみて下さい。やはり、原典にあたるというのは、どんな時も重要だと思います。(https://www.bbc.co.uk/programmes/p06bswgq)。

その上で、私が論点として考えて、やり取りしたことを列挙します。

(1)伊藤氏の発言内容(sexual violence/assault)に「痴漢」は入っていたのか、否か?
(2)入っていたとすれば、「痴漢」を「sexual violence/assault」に加えることは妥当か?
(3)伊藤氏発言の「everyone」は「一人残らず全員」を意図したのか?
(4)そもそも伊藤氏の英語は番組視聴者にはどう受け止められるのか?
(5)英語の番組視聴者に、(2)と(3)の点はどう受け止められるのか?
(6)そもそも「ヘイト」とは何か?
(7)この番組発言を「日本人女性ヘイト」と言えるのか?
(8)この番組によって海外の日本人女性は被害を受けるのか?

他の論点も沢山あると思いますが、とりあえず6月にやり取りしたことに関連してのみ、ここにあげておきます。

【以上の論点に関わる私の考え】

以上の(1)〜(8)まで、一つずつ見ていきたいと思います。ただし、大前提として、(v)からいかないと、その他の論点(字幕問題を含む)にも行き着けないので、順不同でいきます。

(4)そもそも伊藤氏の英語は番組視聴者にはどう受け止められるのか?

伊藤さんは英語を大変流暢に話されますが、単語の選択や構文において、ネイティブのように正確・完璧ではありません。そして、米国英語を土台として(単語選択や表現は依然米国英語のまま)、この間、英国風に発音を調整されているところかと思われます。ひとさまの英語をとやかく言う身分にはありませんが、この件では、大変重要なポイントですので、まずここはしっかり確認しておきたいと思います。

この件に関し、ツレ(ドイツ・英国・日本の大学に在学・留学経験あり、ドイツ語・英語・日本語がネイティブ並みで日・英・独の翻訳通訳を35年している、50代白人男性、日本25年在住)と動画を観た上で確認した結果をシェアします。(6月のツイでもこれはシェアしたかと思います)

・英語ネイティブではないとすぐ分かる。故に、その前提で聞く。
・発音は流暢だが、構文・単語選択において拙い点がある。
・米国英語が土台なので、大げさな表現については差し引いて聞く。
・ネイティブ言語でも、テレビカメラを向けられたり、人前でスピーチする際には、単語・表現選択が甘く、文法など間違えることが多い。その前提で聞く。

なぜ米国英語であることが重要かというと、米国で多用される表現「everyone」「no one」に関わってくるからです。

*なお、日英語の完璧バイリンガルのカツミタカヒロさんは、冒頭で紹介したnoteで以下のように書いていることも付け加えておきます。

「伊藤詩織さんの英語は、その発音・文章構成力、どれをとっても残念ながら「完璧」ではない。とくに口語調でインタビューに答える場合などはそうだし、どうしても荒さが目立ってくる。これは用語のチョイスや文法の荒さなどにも表れている。それでもコミュニケーションに支障はなく、むしろ優れているからこそ、各国に多くの理解者を得ているのだといえる。」
https://note.com/tkatsumi06j/n/nf728bf9ac6bf?magazine_key=mec52a50adf6e

(1) 伊藤氏の発言内容(BBC字幕は「性暴力や性的暴行」)に「痴漢」は入っていたのか、否か。

さて、彼女の英語の書きお越しをカツミさんがしてくれているので、詳細はそちらをご覧下さい(以上のリンク)。
ここでは、BBCが「性暴力や性的暴行」と訳し、以上の通り、ツイッターランドでそこだけが切り取られていた現実を踏まえ、彼女の "sexual violence, or sexual assault"に、彼女の意図として何が入っているのか、一般的な使用法、定義上はどうかなどを見ていきたいと思います。

その前に、大前提となる番組の中身を確認しておきたいと思います。
なぜなら、評価・批判の前に、原典にあたり、その前後を含めた全体を確認する…これは議論の基本ですが、SNS上のコミュニケーションで、あまりに疎かにされている点だと思います。これをしていれば、避けられた誤解が、伊藤さんが「レイプ・強姦」だけを問題としている、あるいは「性暴力・性的暴行=レイプ・強姦」との理解かと思います。

(ア)前後の文脈を確認すると
問題となっている第二動画は2分にすぎないので、やはりここは全体を確認しておきたいところですが、理解を深めるため、問題となっている発言の前後だけ紹介しておくので、後は各自でお願いします(https://www.bbc.co.uk/programmes/b0b8cfcj)。

日本の大学の授業で、「性的同意」について詩織さんと学生が、大学の先生の司会でやり取りしているシーンの最後に、先生が「詩織さんに授業に来ていただき性暴力に関する問題点の話をしていただけて、私たちは非常に幸運でした」とまとめ、伊藤さんが「楽しいトピックでもないし、特に日本の社会ってタブーなことだから、すごく聞いてても苦しいと思うし…」と話した上で、問題になった点の話に入っていきます。

問題部分は詳しく後で見ることにして、先に彼女の発言を受けて、学生たちがなんと話したのかを確認しておきましょう。完璧な聴き取りではありませんので、各自で確認下さい。

●女子学生: 私は中・高、女子高だったんですね。制服もセーラー服で可愛いし、もし誰かが被害を受けてても、自分が受けてても、女子高生だし仕方ないよねみたいな…

●男子学生: 修学旅行の時、女の友だちが目の前で痴漢されちゃって、それを男の自分でも見てて、「止めてください」っていうのを叫べなかったし、どうにもならないことなんじゃないかって、そういうことをほんとに考えて。

●伊藤氏: 被害を受けた時、サークルであっても、それを大学の中で、サークルの中で言えますか?

●女子学生: 自分を否定せずに話を聞いてくれる人を見つけるっていうことがすごく難しいなって思いました。


(*脱線しますが…このやり取りが重要なのは、BBC番組の全体のタイトルである「Japan's Secret Shame」の二つの側面のもう一方の側の話だからです。つまり、性暴力をする側やそれを擁護する構造の隠蔽と不処罰の問題としての「shame」の側面と、性暴力を受ける側がそれを恥ずかしさのあまり黙ってしまう側面の二つがあると、番組制作者は思っており、この場面は後者のエピソードとして紹介されているからです)

(イ)文章全体を見ると
さて、いよいよ問題となっている伊藤さんの発言箇所に入りましょう。以上の学生たちの発言の直前にきた発言です。彼女は次のように述べています。

"If you grow up in Japanese society, everyone have experienced sexual violence, or sexual assault, but not everyone consider it was." その上で、すぐ後に、"Especially when you start using public transportation as a high-school girl...."と続き、さらには"this man jerk off on me, today this man caught my skirt"と発言しています。

(*なお、英語の分からない人向けに>高校生が自分が受けた痴漢の話をしている場面で、前者は男性に射精された話、後者はスカートを掴まれた話です)

そして、学生たちの痴漢体験(目撃を含む)の話に繋がって行きます。つまり、切り取られた字幕付き動画だけでなく、ここの数秒のシーンを確認すれば、BBCによって「性暴力と性的暴行」と訳された中身が、主に電車などで起きる痴漢を念頭におかれていることが分かります。なので、「切り取り動画」だけに反応する問題が明らかになるかと思います。

(ウ)字幕を鵜呑みにしないなら
これは、翻訳でも(同時)通訳でも同様ですが、完璧なものがどこまで可能かというと、時間の制約があればあるほど、どんなプロでも容易ではないということを知っていてほしいと思います。特に番組の字幕は、文字制限がある上に、スピードが求められ、大変難しいです。私は、大学院生時代にこのバイトをNHKでしていましたが、一番ミスしてはいけないのに、プレッシャーの中でケアミスをしてしまうことがありました。なので、皆さんにもその前提で字幕が全てだと思わないことをお願いしたいと思います。

さて、色々この箇所には問題の字幕が多発するのですが、字幕として拡散してしまっている以下の表現に注目してみましょう。

●伊藤氏:「sexual violence, or sexual assault,」
●BBC字幕:「性暴力と性的暴行」
●カツミ訳:orなので、二つをまとめて「性的加害」とした(*後で紹介)

まず、カツミさんが指摘するように、「or」なので、そもそも「and」ではありません。でも、字幕訳者が「and」とする気持ちは分からなくはありません。その理由は、この番組が全体として、「レイプ(強姦)、痴漢、精液をかけられるなどの加害」などの、様々な性的加害行為を含んでいるため、取りこぼしのないようにとの配慮があったと思います。

(あるいは翻訳者に、性暴力についての最新の動向に基づく理解がなかったからかもしれません。通訳・翻訳において、やはり得意分野というのがあるのが当然で、最初からすべての分野の世界最先端の動向に通じている人などいないのです。やりながら調べて学んでいくというパターンが大半で、だからこそ、特に同時通訳の場合は、事前に相当資料を提供します。)

その上で、「sexual assault」の訳語ですが、ここではすぐ次の痴漢の話が前提となっている(特に…と続く)ので、本来、狭い意味の「性的暴行」と訳すべきではなく、痴漢を含む「性的加害」と訳しておくべきでした。そもそも、「or」が使われている時点で、かなり範囲の広い「性暴力/sexual violence」と同義語として「sexual assault」が並べられていることから、これは「性的暴行」ではなく「性的加害」の方を指していることが明らかです。

このように、翻訳者は、ある言語を別の言語に訳す時、単語を全体に位置づけながら、使い手の側に立ってああでもない、こうでもないと頭を悩ませるのですが、どんな単語や表現にも、複数の意味や訳語が存在しており、そこからどれを選ぶかは、専門知識と時間がなければとても難しい課題です。繰り返しになりますが、どんなプロも完璧ではないことを是非念頭に置いていただければ。

(2)「痴漢」を「sexual violence/assault」に加えることは妥当か。

以上の通り、この場面の話が「痴漢」をメインとしたものであり、彼女が述べた「sexual violence or sexual assault(性暴力あるいは性的加害)」に、これが含まれたことまで確認しました。

次に、英語世界でsexual violenceとsexual assaultに何が含まれているのかを見てみましょう。以上で紹介したカツミさんは、以下のようにnoteで書いています。

性的加害(sexual assault)という言葉には、レイプ、痴漢、セクハラ等あらゆる性暴力(sexual violence)が包含されている。レイプや痴漢がその中で「物理的な暴力」に分類されるとしたら、セクハラ等は「精神的な暴力」に当たると整理される。いずれも、一般に国際社会においては”sexual assault”と認識されている暴力であり、対する正規訳は「性的加害」であると理解している。これは、長年に及ぶ筆者の人権界での経験と、様々なメディアや専門家による文献などに直接接してきたことから得られる結論である。あらゆる性的加害は性暴力であり、性暴力は性的加害なのである

でも、一個人の説明だと批判もあると思うので、カツミさんの指摘の妥当性について、順番に見ていきましょう。

(ア)英語でも用語が進化/深化し続けている現状を踏まえる
今回、ツイッター上での色々な意見を見て思ったのは、英語であれ日本語であれ、「言葉・用語が生き物」であり、それが常に曖昧さや多義性、柔軟性をもちながら、広がったり狭まったり変化するものだという点が、忘れられがちという事実です。

用語の指す範囲も訳語も可変であるという大前提を、みなが持ち、google翻訳などで訳して終わりでなく、それへの疑義も含めて、留保する姿勢を持って頂ければなと思いました。

例えば、英語の世界であれ、「性的なこと」は長年タブーでした。大分変わったとはいえ、今も多かれ少なかれ、そうです。特に、女性の普遍的参政権が戦後であることを考えれば(百年の歴史もない)、女性にまつわる現象、とりわけタブー視されやすい性暴力をめぐる用語や概念、対応(法制度を含む)は、未だ発展途上の段階にあります。その結果、以下に見ていくように、"sexual violence", "sexual assault", "sexual abuse", "sexual harassment"など、異なる用語が同義語になったり、違っていたり、一方が他方の中に入れられたり、その逆があったりと、大変な混乱が見出せると思います。

西欧社会でも、女性や子ども、立場の弱い人達が直面する「性的な加害行為」に関して社会の中でオープンに議論されるのは、民主主義や社会主義が議論されるより、格段に歴史が浅いのです。なので、現実には、これらの表現を使いながら検証し、鍛え続けていくしかない。このような用語の定義確立は、現実社会との相互作用における社会・世界全体の課題だと、理解して頂ければ幸いです。今回、それが日本語であれ、英語であれ、何か固定的で不動のものとして捉える人が多いことに驚きました。自分も含めて、リアルタイムで、言葉が生まれる、鍛えられる現場に立ち会っているというエキサイティングな現実を、味わって頂ければ嬉しいです。

その意味で、今回この作業をするきっかけをもらったことに、大変感謝しています。

(イ)sexual violence:性暴力とは?
その理解の上でですが、sexual violenceとは何か?
依然として、これにレイプやそれに相当する身体的性的暴力だけを入れる人もいます。しかし、1960年代まで「violence/暴力」という概念そのものが、そのように捉えられていたので、60年経過したとはいえ、なかなか難しいのだなとは思います。ただ、今では日本でも、「暴力」に精神的な加害(不作為を含む)を入れることは、一般にも理解されるようになったと思います。たとえば、ニグレクトや仲間はずれなどのイジメも、日本内でも外でも「暴力」の一形態として理解されている通り、「暴力」の範囲には精神的加害が含まれるようになっています。

(*なお、「文化暴力」とか「構造的暴力」とか「間接暴力」とかの概念が、暴力論にはあるのですが、これもまたの機会に…)

同様に、言葉上のセクシャルハラスメントも「性暴力」として日本でも認識されるようになりつつあります。ただ、英語には、abuseという便利な言葉があるので、sexual abuseが使われる場合も多いです。abuseも訳しづらい言葉ですね。これは、また今度にします。

いずれにせよ、一応、米国の「全国反性犯罪団体(the nation's largest anti-sexual violence organization)」として自ら表明する「RAINN (Rape, Abuse & Incest National Network) 」の定義をみておきましょう(https://www.rainn.org/types-sexual-violence)。

"The term "sexual violence" is an all-encompassing, non-legal term that refers to crimes like sexual assault, rape, and sexual abuse. Many of these crimes are described below. "

「『性暴力』という用語は、「sexual assault、レイプ、性的虐待(sexual abuse)などの犯罪を指す、すべてを網羅した非法律用語です」とはじまり、サイト上の各セクションに行けば、この「sexual assault」の中に、合意なしの接触(触ること)、「sexual abuse」の中に精神的な性的加害が入っていることが分かります。

(ウ)狭義のsexual assault:性的暴行とは?

さて、今のところ、「性暴力」に痴漢が入っていないと主張する人はいないようなので(いたら教えて下さい。(ア)をもう少し充実させます)、「sexual assault」を詳しく、二つに分けてみてみたいと思います。エッセンスはすでに(1)で述べた通りです。ここでは、ニューヨーク警察の定義を手がかりとします。これを使う理由は、包括的にsexual assaultが定義・説明されているのと、伊藤さんがそこに住んでいたので、そこの用法を前提にしている可能性を考えてです(後者の理由はあまり重要ではありませんが)。


先に見た通り、sexual assaultには、狭義の「性的暴行」と広義の「性的加害」の二つが訳語として当てられてきました。まずは、前者についての、NY警察の説明です。レイプとの関連で説明されています。

https://www.met.police.uk/advice/advice-and-information/rsa/rape-and-sexual-assault/what-is-rape-and-sexual-assault/


"Rape is when a person intentionally penetrates another's vagina, anus or mouth with a penis, without the other person's consent. Assault by penetration is when a person penetrates another person's vagina or anus with any part of the body other than a penis, or by using an object, without the person's consent."


こういう話題は得意ではなく、このブログでは初めて「性暴力」をカテゴリに追加したので、躊躇するところですが、はっきり書いておかないとさらに誤解を生むので、一応説明しておきます。以上を要約すると、


●Rape:同意なしに意図的に他者の膣あるいは肛門や口にペニスを入れること。

●Sexual Assault:同意なしに他者の膣あるいは肛門に、ペニス以外の自分の身体の部分あるいは何らかの道具を入れること。


以上から、レイプではないものの深刻な性犯罪として、ニューヨーク警察は、狭義のsexual assaultをこのように位置づけています。なので、以上のケースに当てはまる場合は、「性的暴行」と訳していいでしょう。なお、ニューヨーク警察の定義がいずれの国でも当てはまるわけではありません。(ア)でも紹介した通り、英語でも日本語でも、国によって、もう少し範囲が広いケースをこれに含める場合があります。また、後者を「レイプ」に含める国や機関もあります。


しかし、ニューヨーク警察のsexual assaultの説明はそこで終りません。そこがミソなので、次にこれを取り上げます。


(エ)広義のsexual assault:性的加害

ニューヨーク警察の続きの文章を見てみましょう。重要な点なので全訳します。といってもかなり疲れてるので、後日訳を見直して修正するかもしれません。各自で原文をご確認の上、訳して頂ければ。問題があれば是非ご指摘下さい。


"The overall definition of sexual or indecent assault is an act of physical, psychological and emotional violation in the form of a sexual act, inflicted on someone without their consent. It can involve forcing or manipulating someone to witness or participate in any sexual acts.

Not all cases of sexual assault involve violence, cause physical injury or leave visible marks. Sexual assault can cause severe distress, emotional harm and injuries which can't be seen – all of which can take a long time to recover from. This is why we use the term 'assault', and treat reports just as seriously as those of violent, physical attacks."


sexual (性的)or indecent (わいせつな)assaultの(より)包括的な定義は、同意なしに他者に加えられた性的な行為の形で、身体的、心理的、精神的な侵害行為(an act of --- violation)である。それは、他者に対して、(以上のいずれでも)性的行為を目撃あるいは参加を強制したり、操作して押しつけることを含む。

sexual assaultのすべてのケースが、暴力、あるいは身体的傷害を引き起こすか、または目に見える傷跡を残すものとは限らない。sexual assaultは、目には見えないものの深刻な苦痛、感情的な被害、傷を引き起こす可能性があり、だからこそ回復するために長い時間がかかる。以上の理由から、我々は「assault」という言葉を使用し、これらについての通報を暴力的で身体的な攻撃と同じように真剣に扱うものとする


長いので、要点だけ抜き出します。


Sexual assaultの包括的な定義とは:

i) 同意なしでなされる性的な行為

ii) 身体的、心理的、精神的な侵害行為

iii) 性的行為を目撃・参加させられることを含む(強制・操作による)

iv)身体的障害や目に見える傷を残すと限らない

v) 目に見えない苦痛や感情面での被害、傷を引き起す可能性がある

vi) NY警察としては、これらすべてをassaultに含める

vii) NY警察として、これらのassaultに関する通報について、暴力的で身体的な攻撃と同じように真剣に扱う


(オ)結論

以上から、伊藤詩織さんが「sexual violence or sexual assault」と、言い換えたこと、また痴漢をこれに含んだこと、そしてかつみさんが二つをあわせて「性的加害」と訳したことには、何ら問題がなかったことが分かるかと思います。一方で、BBCの字幕に問題があったことが分かるかと思います。


(3)伊藤氏発言の「everyone」は「一人残らず全員」を意図したのか?


さて、日本語話者の一部の皆さんがとても気にしてらっしゃるこの点について次に見ましょう。時間がなくなってきたので駆け足で・・・。時間終了になったらごめんなさい。


(ア)米国口語で多用される「everyone」とは何か?

まずですが、米国英語話者は、「everyone」をとても多用します。しかし、この表現は文語(例えば、契約書、政府文書や学術論文)では、ほとんど使われません。どうしてでしょうか?


それは、これが厳密性に欠ける言葉だからです。もちろん、訳語は「みんな」などがあてられますが、日本語の「みんな」がそれだけでは確実に全員を指しているのか曖昧で、政府文書や学術論文でも避けられるのと同じ理由で、英語の政府文書や学術論文でも避けられる傾向にあります。


勿論、辞書には、"everyone"の訳語として「全員」が掲載されていますし、今回のように「誰もが」が使われるのは間違いではありません。でも、"everyone"を単体で「一人残らず」までの厳密な意味を含めて使うことは稀で、その場合には、前後に何か補足する場合が多いことは、頭においておいた方が良いでしょう。(その意味で、日本語の「全員」「誰もが」は必ずしも妥当ではない訳語となります。この点は後でもう一度ふりかえります。)


例えば、カツミさんがいうように、"literally"を"everyone"の前後につけて「全員」にする工夫もそうですし、声色や繰り返しで重みを持たせるケースがあります。例えば、怒ったお母さんが、3人の子どもたちに、「Everyone! Now!」みたいに叫ぶ場合です。この場合は、3人全員を指します。


なので、公文書や学術論文で「ひとり残らず全員」を意味する「全員」を英語に訳す時は、"all of" を使います。だから、"everyone"は極めて口語的に使われる言葉で、一番近い訳語は「みんな」だと感じていただければいいのかなと思います。


「みんなさー私のことおかしいって思ってるよね」・・・と同僚やクラスメートに相談したとします。その時、皆さんの脳裏に思い浮かぶのは、一人残らず全員でしょうか?まあ、同調圧力が高い・村八分の文化がある日本なので、そうかもしれないですが、大抵の場合「大体多数」を意味していませんか?


日本で「みんな」が口語表現であり、厳密な意味で必ずしも「全員」を指すわけでないように、英語でもそうであるとイメージしてもらえば、丁度いい感じかと思います。


なお、「Every one of 〜」という表現もあって、ややこしいですが、これは「〜は一つ残らず全員」という意味となり、文語でも使われます。なので、問題は、"every"にあるわけではありません。。でもこれは、"every 〜"が、その一個ずつを厳密に指すことが自明だからです。

その意味で、逆説的ではありますが、また面白いことに、"everyone/body"は、口語で使い倒されてきたからこそ、厳密さを失ったとも言えます。


(イ)伊藤氏発言内の"you"と"everyone"はどう受け止められるか

さて、そんな"everyone"なので、米国口語の通訳時には、訳さなくていい場合が多いです。曖昧な多数を対象としたり、一般論を示したい時に使われるので、そういうものとして訳します。

意味がサッパリ分からないかもしれません。ヒントは、伊藤さんの発言の以下の構文にあります。

"If you grow up in Japanese society, everyone have experienced sexual violence, or sexual assault, but not everyone consider it was." 


"you"で始まった構文内で、次に"everyone"が主語に置き換えられているのに気づいたでしょうか?


なぜ"You"が冒頭に来るのかを考えれば、彼女がここで一般論の話をしようとしていることが分かります。なので、すでに厳密さを欠いた話だと分かります。そして、"you"からはじめて、"everyone"となっている点で、その予測は補強されるわけです。


まあ、実際、あるいは本人の意図は分かりませんが、とにかく聞き手としては、「一般論」「厳密ではない」「多いんだね」というぐらいの受け止めとなります。つまり、差し引いて聞きます。


(ウ)本当に「一人残らず全員」と言いたい場合

さて、公文書や演説の読解・解釈・翻訳・通訳を仕事にして30年も生きていると、物事の理解において、「言われなかったこと」「行間」を含める形で全体を理解することの重要性を痛感します。このことは、大変重要なんですが、年々、研究者の間ですら、疎かにされてきているように思います。なので、いつかここら辺はまとめて書いてみたいと思っています。(今回はすでに長いので、この点はまた今度・・・)


その前提で、伊藤さんが、一部の日本語話者の人達が「一人残らず全員」と言いたければ、何と表現しただろうと考えることは、無駄ではないでしょう。勿論、色々な表現の仕方がありますが、最も簡単に表現するならば、


"All of those who grow up in Japan have experienced sexual violence, or sexual assault"

で済むので、あえて、以下のようにややこしい構文を使っているところに、一般論化・大体の・・・意味をもたせたかったことが分かります。なお、時制の問題や、あえてJapanese societyというかはここでは検討から外します。

"If you grow up in Japanese society, everyone have experienced sexual violence, or sexual assault,


なお、カツミさんが、everyoneならhasなのに、あえてhaveなのが間違いなのか、頭の中のイメージのせいなのかというポイントはとても面白いので彼のnoteをご確認下さい。本人しか分からないですが、私もカツミ説かなと思っています。いつか確認できたら面白い。


さて、ここであえて「結論」は書きません。代わりに、末尾にカツミさんのnoteの記述を抜粋・転載させて頂ければと思います。とても面白いので、将来英語を使って仕事をされる方などには、是非念頭においていただければ。



(5)英語の番組視聴者に(2)と(3)の点はどう受け止められるのか?


親戚が登場してしまいました…。下でとりあえずワイン飲んでてもらっています。なので、ここは急ぎ足で書いておきます。


(ア)多様性が前提の英語世界における非ネイティブのインタビュー

英語話者といっても、英語を母語としたり、公用語として日々使っている人、外国人だが仕事で使っている人、日常生活だけで使っている人など、様々です。そして、英語は多様です。ここで取り上げた"everyone"ですが、英国の上流階級は多用しません。


でもだからダメだという話になるのではなく、英国が世界の覇権国となり、英語をいくつもの大陸で時に強制、時に普及させ、近年は「英語=グローバル言語化」していくプロセスで、「さまざまな英語のすべてが英語である」という認識が持たれるようになりました。


なので、英国文学最高賞であるブッカー賞ですが、もはや英国出身者の英国英語の文学を書く人ばかりが受賞するのではなく、インドやナイジェリアやその他の「多様な英語」が飛び交う文学が賞を取ることが多くなっています。

https://www.yomuhon.com/booker-prize/


また、英国では、階級や地域で話される英語がかなり違うので、これが就職などに影響するとの問題が生じてきました。そのため、王室からオックスブリッジで使われていた「クイーンズイングリッシュ」は、いまはよりフラットな「RP(Received Pronunciation)」と呼ばれる英語が使われます。BBCやウィリアム王子たちの英語はこれです。


いずれにせよ、英語もまた変化しつつあり、多様化した英語が受け入れられており、「グローバル言語」になったメリットを享受している英語話者は、多様で、時に元々の英国の公用英語の観点からは「正確ではない」英語に対しても、寛容性が求められるようになっているという点を、多くの日本の人に知っていただければと思います。国連の会議に行けば、これははっきり分かることですが、かつて『月刊英語教育』という英語の先生たちの月刊誌に連載したので(「世界の英語・英語の世界」)、また改めて紹介します。


以上の前提で、伊藤さんの非ネイティブの米国口語の発言を、英語話者が聞いていると想像できるか否かは重要です。


(ウ)伊藤氏はこの番組で「誰」として発言しているのか(ジャーナリストか、取材対象か?)

次に重要になってくるのが、伊藤さんをこの番組内でどう位置づけるべきか、です。

彼女は確かにジャーナリストです。性犯罪についての番組も作っているし、記事も配信しています。しかし、この番組では、取材「対象」として位置づけられている点を、一部の日本の皆さん(!)が見逃している点に驚いています。


(*いま書いてて、「一部の日本の皆さん」という矛盾した表現が、日本語上成立している素晴らしさに気づきました。ここでの「皆さん」は「方々」程度のものですね。<=脱線)


なぜそれが大きなことなのかというと、発言や映像の「編集権」と「完成度」に関わってくるからです。

もし、伊藤さんがジャーナリストとして番組を作るのであれば、いずれの発言も字幕も、それが伝わるメッセージの正確度も、彼女が編集権を持っている以上、重い責任を負います。しかし、この番組では、インタビューを受けて、勝手に編集され、勝手に字幕をつけられる立場にあります。つまり、彼女はジャーナリストとしての経験を話していたとしても、この番組内では、「一取材対象」にすぎないのです。


しかも、ニュース番組の解説者という位置づけでもありません。「取材対象の当事者」としての発言となるわけで、普通にこの番組を観れば、そのように受け止めて観ると思います。他方、彼女の名前で編集権をもって発信する記事や番組については、また別の扱いが必要になります。


(ウ)「(2)sexual assaultに痴漢が入るか?」の論点の受け止め

さて、もう説明は不要と思いますが、念のため。ここまで見たように、英語世界でも、用語や定義、範疇は日々変化していっており、機関や主体によって時に大きく、時に微妙に異なっていることが分かったと思います。ニューヨーク警察が、狭義(性的暴行)と広義(性的加害)のsexual assaultの両方を捜査の対象とし、後者に心理的・精神的な加害を含めるようになったように、世界的にこの方向で変化が起きています。


しかし、だからといってニューヨークに暮らす「全員」が(笑)、ニューヨーク警察の定義を知っているわけではないように、地域や国や人種やジェンダー、宗教、年齢、学歴、社会的経験などによって、どの段階にいるのか、各用語をどの定義で受け止めるかは、様々です。やはり、性暴力の被害にあったことのある人、あうかもしれない人と、そうでない人達とでは、ここら辺の理解は圧倒的に異なります。


したがって、言葉だけ眺めても全体の理解が得られないので、話が振り出しに戻りますが、番組全体、あるいは問題となった動画全体、最悪その文章が使われている前後の文脈まで含めて、理解される必要があります。たとえ、ネイティブ英語話者であろうとも。しかし、「皆」がそうるるわけではないのが現実でしょう。

そもそも論ですが、前にも書きましたが、性暴力というテーマは、身近なものであるためにそれぞれの感情を喚起しがちなテーマであると同時に、社会で議論されて日が浅いために、同じものを観ても、性暴力のサバイバーに理解がある人かどうかで反応が著しく異なることが多いです。

とても分かりやすい例として、「セクハラ事案」への反応があげられます。日本でも、「お前未だ嫁に行かないのか?」「お前いつになったら子どもを産むんだ」ということを執拗にいって問題化した公務員や会社の上司の話が出ていたと思いますが、70-80歳以上の男性か女性、60代男性か女性、50代男性か女性、30-40代男性か女性、20代男性か女性で、受け止めは相当違うと思います。年齢と性別、そしてこれに個々人のこれまでの人生経験を含めれば、反応がすごく別れるのが、「性的加害」の議論の特徴です。

だから、そもそも対話するのが難しいテーマなので、今回のような出来事は、ある種必然なのかもしれません。でもだからこそ、勇気をもって、議論をひらいていかなければならないのだと思います。たとえ、私がしたように下手なものであっても。ちょっと脇道に逸れました。

(エ)「(3)everyoneは一人残らず全員か?」の論点の受け止め
これももう不要だと思いますが、英語話者が、「everyoneっていったじゃないか!」と詰め寄るのは、子ども同士の喧嘩とか夫婦喧嘩のレベルかと思います。日本語話者が、「みんなっていったのに、一人残らず全員じゃないっていうのか!」というのと大体同じこととイメージしていただければ。もちろん、疑念を避けるために別の表現を使ってもよかったと思いますが。

さて、そろそろマズいので、これにて失礼。残りの論点(「ヘイト」について)は、明日できればやりますが、なにせ学会報告目前なので、すみません確約はできません。詠み直す余裕もないので、誤字脱字、あまり適切でない表現があれば、またなおします。すみません!

【徒然】伊藤詩織さんを取材したBBC番組後の一連のやり取りを踏まえた論点&私の考え(前半)_a0133563_03232104.jpeg



【付録:カツミさんの"everyone"をめぐる検討】

【翻訳検証】BBC Two『Japan's Secret Shame』(2018)の番組で伊藤詩織さんが語ったことが問題視されている点 #JapansSecretShame

https://note.com/tkatsumi06j/n/nf728bf9ac6bf?magazine_key=mec52a50adf6e


"Everyone"の訳について、第一段階では便宜上「誰もが」にしているが、これは実は無くても困らない程度の表現である。日本語話者や英語に精通しない者は逐語的に「Everyone=全員」と思いたいかもしれないが、一般には何においても全員が同じ考えであるという確証は得ようがないため、一般に口語的に"everyone"が厳密に「全員」を意味することは、ほぼない。


「余談~続"Everyone"論~

"Everyone"の対語に"No one"がありますね。「誰もが」に対する「誰も」という表現。これも、英語で厳密に「誰も」を意味することは稀です。映画などでよくある"No one will believe you"(誰がおまえのことなど信じるか)みたいな表現がありますが、これも「厳密ゼロ」という意味では有りません。逆説的に、"Everyone"も同じです。

例えば私が通訳した表現に、こういのものがありました。

"Everyone in the department would agree with me"
「うちの課の者なら誰もが私に同調するだろう」

この時、私は敢えて「全員」とはしませんでした。文意に”多数派であること”が含まれているからです。しかし、「多数」ではあっても「全員」であるかどうかは話者にだってわかりませんし、受け止めた側にも確認しようがありません。厳密な話ではないのです。だからここでは「全員」とは表現せずに「誰もが」と訳出し、あとは受け手側の理解に任せるのです。

翻訳でも通訳でも、その位の思考の余地は残すものです。

これは最早対話力の問題で、相手が"everyone"あるいは"no one"と言ったからと言ってそれを一言一句真に受けるというのは流石に大人気ない話です。だから映画などでは、"NOT EVERYONE(全員じゃねえよ)"みたいな、子どもっぽい返しがよく使われるわけです。

社会人の方はそんな稚拙な理解で英語を使ってないことを願うばかりです。

では逆に、厳密に"No one"あるいは"everyone"の時には、すなわち「全員」あるいは「誰も~でない」を英語でどう表現するのか。これもよく映画やドラマなどで聞くと思いますが"literally"を前に、あるいは後に付けます。


Literallyという言葉はリテラル(逐語的な)リテラシー(通常は識字率、最近は教養や様々な情報に基づく状況判断力を意味します)等の言葉でも使われるように「文字通り」という意味です。"Literally"の言葉で補足することで、普段口語的には厳密ではない"Everyone"あるいは"No one"という言葉が厳密の意味を持つようになるのです。逆説的には、それだけ意味のない、といったら語弊がありますが、レトリカル(修辞的)な表現なんです。」


最後に、これまでの説明はすべて口語的な場合、口述の場合に限られた場合に適用されるものです。契約書、法文書、社内コレポン文書など、公文書や正式な文書においては、一度"everyone"だとか"no one"だとか使ったら厳密性を求められます。なので誤解のリスクを回避するため使わないのがビジネスの定石です。社内コレポンでは、気心が知れた間柄のみ使用が許容されるでしょう。「全員」という確定的な表現は、日常では避けるのが定石です。




# by africa_class | 2020-10-18 03:27 | 【新設】性暴力について

50回目の誕生日に「生まれ変わる」ことを目指し、ふりかえってみる。

8月6日。誕生日であるが、黙祷とともに一日を始めた。
これは、毎年同じである。
そして今日は、あえて祝わないのも…。

でも、50回目を迎える今回の誕生日、いつもと違うことをしている。

まず、自分から母に電話をした。
自分から誕生日プレゼントを買い、自分から誕生日パーティを企画した(明日)。
そして、ツイッター上で、自分の誕生日を「宣伝」した。

他の人には当たり前に見えるこのひとつひとつが、私にとっては、新しい道の第一歩の幕開けを意味している。

私は、50歳を迎え、「reborn(生まれ変わろう)」と思う。
もちろん、これまでの土壌と幹の中から、別の枝を延ばしていこうと思うのだ。

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幼少期に言葉を含む虐待や暴力をふるわれたり、ネグレクトを受けた人間にとって、自分の「生」を祝うことは、そう簡単ではない。ましてや、何万人もの人を殺戮した原子力爆弾が落とされた日に生まれると、「誕生日を祝う」ということは、極めてハードルが高い。周りにとっても同様であろう。

すでにカミングアウトしたことだが、私は4歳の時に、夜の海に身投げしようとして、「何か」に引き止められて、思いとどまった人間である。

それは、「自分を殺したい」という衝動では決してなく、「家に戻りたくない。この世から消えたい、消えた方がいいんじゃないか」という気持ちだったと思う。このことは、世間では「自死」よりも「自殺」という言葉が通用しているように、なかなか理解してもらえないことかもしれない。

私は、家が辛くて、祖父母や両親が夜まで働いているのをいいことに、辺りが暗くなり、人気がなくなると、三輪車で「家出」をくり返していた。ある時、もう耐えきれなくて、少し離れた舞鶴の海に自然と三輪車は向かった。その時は、大変な距離を行ったつもりだったが、大きくなってからそこを訪れた時に、あっけないほど家から海が近かったのに驚いた。

でも、4歳には、あらゆる意味で大きな距離だった。
その橋を渡ったら、すぐ海だ。
その橋を渡るのか、渡らないのか…。
ずっと考えた。

橋を渡るのが怖くて、断念したこともあった。
でも、その夜は決意が堅かった。

「もういいじゃないか、消えてしまおう。楽になりたい」

そんな気分だったのを、今でも覚えている。

なお、これをこんなに鮮明に覚えているのには理由がある。
生き延びた時、これを決して、大人になっても、絶対忘れてはならないと自分に言い聞かせて、繰り返し、繰り返し、思い出し続けたからだった。

さて。その夜はひゃっこい夜だった。
そして、曇っていた。
だから、舞鶴の海は真っ黒で、漁村ならではの匂いに満ちていた。
三輪車から降りて、その海をずっと眺めていた。

夜8時、どの家庭も家族団らんの時間。
通りに漏れる家の灯りは優しく、温かい。
道にも、港にも、人っ子一人いない。
港には4歳の私がたった独り。
心配して探しにくる人もいなければ、不在に気づく人もいない。

最後の勇気が必要だと、自分を励ました。

一歩前に踏み出したその瞬間、
雲の間から、真っ暗だと思っていた海が、キラキラゆれながら輝いたのだ。

急に波の音が優しく聴こえてきた。

その瞬間、雷に打たれたように、その場にしゃがみこんで、泣きじゃくった。

「いま、死んではいけない」

そう言われているような気がしたのだ。

もう一度海を見てみると、月の光が注ぎ込み、それを辿って空を見上げると、月と星が空一面に見えた。

なぜか私は不思議な感覚に包まれた。
自分が独りじゃないような気がしたのだった。
そして、何か閃きのようなものが頭に現れたのだった。

「どうせ捨てる命なのなら、それを一生懸命、死ぬ気で役立ててはどうだろう」と。

しばらく身動きができなかった。
なにか、はっきりとした決意みたいなものが、心の中に灯るのが感じられた。

あれほどまでに、投げやりだった自分が、「怖いからビクビクする」的な行動様式しかとれなかった自分の中に、情熱の炎の種火のようなものが灯る気がした。

自分のためではなく、何かの誰かのために生きてみる。
だめだったら、もう一度ここにこればいい。

そう思った途端、いままで辛かったことがスーーッと消えていくのを感じた。すると、もっと知恵をつけ賢くならないと。役に立つ人間になるには、準備が必要だ。そんな風に、生きる気力がわいてきた。

誰が何をいおうとも、私は一度死んだ人間なのだから、気にしない事。むしろ、何か、誰かのために自分を役立てられるよう、努力することに集中しよう。そう決意し、三輪車を全速力でこいで家に戻った。

家に戻ると、家族が食卓を囲んでご飯を食べていた。
いつもの光景だ。
「あ、帰ってきたのね」
そういう顔で、お茶碗とお箸が渡された。

さっきまで自分に起きていたこととのギャップが大きすぎて戸惑っていると、お腹が「ぐう」と鳴った。その瞬間、「生きる」というのは、こういうことなんだと何故か腑に落ちた。

もっとご飯を食べて、大きくなろう。強くなろう。
大きくなって、強くなれば虐められない。

その日から、私は変わった。

殴られようと、理不尽に怒られようと、嫌味を言われようと、無視されようと、ここにいる自分は前の自分とは違うし、自分は自分のために生きているわけではないから、平気と言い聞かせた。それより、どうやったら、強く、大きく、賢く、役に立つ人間になれるのか、考えるようになった。それと同時に、一刻も早く家を出られるように、お金を貯めなければならない。手に職を付けなければならない、と決意した。

以来、クリスマスのプレゼントは「お金」と「通帳」をお願いした。
通帳に増える数字を見ることが、自分の解放に直結してると思って、しばらく通帳とともに寝ていた。

こうやって書くと、あまりにひねた子どもだったことが分かる。
私は、決して自分の本音を周囲にいわず、心を許さず、いつ危害が加えられてもヒドくは傷つかないように自分の心をガードする術を身につけていった。あまりにがんばったので、「何を考えているか分からない、不気味な子」として、余計危害を加えられることになった。

それは、小学校の高学年になっても続いて、せっかく自分の部屋を入手したのに、学校から戻ってきたら、押し入れが破られていて、自由に出入りできるようにされていた。

それに、家の中で、まったくしゃべらないので、長らく自閉症だと思われていた。幼稚園の先生と母がそのこことで、お医者さんに私を連れていく寸前だったことは随分後になって知る。家以外の場所では、徐々にしゃべるようになった。次第に、「他人」は安全かもしれないと思いだした。

しゃべらなかった理由は、心をガードしていたのもあるが、何かしゃべるとさらに言いがかりをつけられて、何らかの危害を加えられるからだった。(黙ってても同じだったが・・・)

でも、むき出しの自分のまま傷つけられ続けるよりも、ずっと楽だった。そういう行為も含めて、やる側を哀れに思うようにした。これは上手くいった。そのうち、虐待をしたり、暴力をふるう人達、それをいいと思っていなくても同調してしまう人達、あるいはスルーしてしまう人達が、どうしてそうなるのかに興味を持つようになった。

彼らを徹底的に知ることが、自分の身を効果的に護るために必要だと直感したのだった。

そして、4年生ぐらいから推理小説を読みまくり、戦争や暴力のことを描いた世界の小説を積極的に読むようになった。

そのうち、自分の苦しみなどは取るに足らないことのように思えてきた。世界には、古今東西、とんでもない苦しみの中に放り込まれた人達がいて、それでも諦めず、色々なことを成し遂げていることも知った。

自分が、8月6日に生まれたのは偶然ではなかったのだ、と思うことにした。単なる偶然を、自分の意志で「必然」に変えようと思ったのだ。

同じ年頃の『アンネの日記』を読んだのもこの頃で、彼女が日記に「キティ」と名づけたように、私も日記に名前をつけて、考えることをツラツラ書き連ねるようになっていた。しかし、それも部屋が破られてからは安全でなくなった。だから、書きながら考えるのではなく、頭で考えて頭の中に描くことに切り替えた。

戦後の平和な「豊かな」日本に生まれたのに、私の日常は、まさに「戦場」さながらだった。今からふりかえれば、これらの問題に正面衝突していれば、違っていたのだろうかと思わないでもない。誰かに相談するとか、他に方法はなかったのか。でも、昭和なあの時代、そんなものは制度上もなく、カウンセラーの存在は、遥か彼方だった。もし相談していても、家族は変わりはしなかったろう。だから、結論からいうと、これでよかったと思うしかない。

そのうち、自分が将来すべきことが段々わかってきた。
同時に、日本にいるべきではない、と理解した。

中学生の時だった。
生徒会に入り、私なりに、「誰かの」「何か」の役に立つための実践を開始した。
田舎の学校で、丘の上にあるのに、使っていいのは学校指定の一つ紐のカバンだけ。斜めがけして歩くのだが、これが腰と肩に辛い。姿勢も悪くなる。リュックにかえるか、自由にしてほしいという要望が長年にわたって続いていたが、誰も変えることができなかった。だから、これを最初の仕事に選んで、学校と掛け合った。

そこでみた理不尽で不条理な世界は、ここに書かない。一緒に闘っていたはずの仲間や先輩も逃げてしまった。

日本にいる限り、自分の命をかけて、「何か」の「誰かの」ためにするだけの力をつけられないし、仲間も得られない、何かを変えることなど不可能だ、と考えた。

まずは外に出ることだ。
そう思った時、「外国語」はなくてはならないものとして目の前に現れた。世界の本を読みあさっている中で、沢山の言語を学んで、色々な人と出逢いたいと思っていた自分に、何か目標ができた気がした。

そして、私は日本を出て、「戦争/暴力なき世界」のための旅を始めたのだった。

それから、末尾につけたような人生を送ってきた。
自分を後回しにして、誰かの何かのために。
自分の命や想いよりも、大きなもののために。


死ぬぐらいの一生懸命さをもって。

でも、それを今日から止めるのだ。
まずは、「自分のため」に生きてみようと思う。
あれほど否定し、捨てようとしていた(終らせようとしていた)、自分というチッポケなもののために、まずは生きてみようと思う。

なぜなら、もう45年を経て、「自分のため」は決して、ワガママな自分だけのものではなく、世界や社会や生きとし生きるものの何かと底辺で繋がっていると実感するからだ。

自分のダメなところ、弱さ、傷・・・すべてを抱きしめて生きてみようと思う。自分の周りの人びとのそれらを抱きしめる前に、自分のそれをしっかり抱きしめようと思う。それで学んだことを伝えていこうと思う。



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誕生日を前に、ドイツの庭に作った「焚き火場」。祈りを込めて。


駆け足になったけど、とりあえず今日書こうと思っていたことは書けました。

そして、ツイッターで今書いたけど、ここで書いた幼少期の暴力のすべてについて、もう28年前に、自分の意志で「赦した」ことをお伝えしておきます。モザンビークの地雷原で車を走らせながら、今の自分のままで死んだら、後悔するなと思って。だから全員とだいたいおいて良い関係にあります。(向うがどう思ってるかはさておき[笑])

(私がベートーベンの「月光」とドビュッシーの「月の光」をマスターするために、ピアノを習い、今でも弾いているのは、これが理由だった。)

以下は、日本アフリカ学会の関東支部例会(2018年11月)用に作成したもの。
次のブログで書こうと思っているのは、「世界へ」行ったはずの私が、以下の通り、「日本へ」戻った理由。そこからプロサバンナの話に繋がる。



1. 実務から研究の道へ、そして社会活動と共に

(1)なぜ実務の道に?

① 1989-90年:ベルリン壁崩壊後の世界変動

② 貧困のために何かしたい:ブラジルのファヴェーラでの活動

③ 平和のために何かしたい:モザンビークPKO活動へ



(2)「知っているふりをする自分と周り」に嫌気が差して

① 1994年:モザンビーク国連活動→国連PKO活動の研究(修士論文)

② 1995年:阪神大震災救援活動

③ 1995-1996年:Phillips大学日本校での非常勤講師

④ 1996年:パレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでの選挙監視



(3)「深く知りたい、理解したい」と学問の道へ

① なぜモザンビークで戦争が生じたのか?

② 同時代の世界(日本含む)・アフリカ・南部アフリカはどのように関わっているのか?

③ 戦後から現在における政治的課題(分裂や独裁化)の実態と将来に向けた可能性

—『モザンビーク解放闘争史——「統一」と「分裂」の起源を求めて』御茶の水書房、2007年

-『アフリカ学入門——ポップカルチャーから政治経済まで』明石書店、2010年

—『現代アフリカ社会と国際関係: 国際社会学の地平』有信堂高文社、2012年

-The Origins of War in Mozambique: a history of unity and division, Ochanomizushobo, 2012 (The African Minds Publisher: Cape Townよりオンラインで無償ダウンロード可)



(4)研究をしながら、教えながら、社会活動をすること

① 2000-02年:モザンビークの大洪水被災者支援

② 2002-04年:日本の農業援助(食糧増産援助)の問題

③ 2004-08年:農薬の破棄場所としてのアフリカ→日本のアフリカ政策・援助

④ 2008-09年:民衆・市民社会不在の日本の外交・援助政策→民主化・市民社会

⑤ 2009年-:アフリカ市民社会→当事者運動への注目

⑥ 2011-13年:東日本大震災と原発事故、福島の乳幼児・妊産婦家族のニーズ対応

⑦ 2012年-:モザンビーク農民連合から「プロサバンナ事業」問題への要請

⑧ 2013年-:ブラジル市民社会からの「セラード開発問題」に関する要請→3カ国民衆運動

⑨ 2013年-:世界中でのランドグラブ(土地収奪)、小農・先住民族運動、食の主権/アグロエコロジー運動、国際ディスコースの形成と国連

⑩ 2018年11月:日本で3カ国民衆会議の初開催



2. 平和・戦争/暴力研究、教育、研修(Peace & Conflict Studies)から食と農の研究へ

(1)平和・戦争/暴力研究

① 1998年:民族学博物館でのアフリカ紛争・平和構築研究会

② 2000年:アジア経済研究所での紛争と平和構築研究会

③ 2005年—:JICAでの平和構築研究会

④ 2004年-:東京外大での元紛争国の学生・社会人向け修士・博士コースPeace and Conflict Course担当/学部向け「平和と紛争」の授業

⑤ 2007年—:JICAでの紛争国官僚への平和構築ワークショップ

⑥ 2008年-:国際交流基金と「暴力の空間を平和にかえるワークショップ」開催

⑦ 2012年:The Origins of War in Mozambiqueの出版

⑧ その後:国際平和学会の企画委員、平和学会理事、日本国際政治学会での委員と論文発表、平和学研究ジャーナルの編集



(2)自分として何にどう寄与すべきなのか?(可能性と限界)

① 紛争原因、国内問題に見えるものの本質とは?

② グローバルな政治経済構造の問題

③ その根っこにある各国内の民主主義の課題(リベラルピース論への反論)

④ 一人ひとりの不安、疎外、self-esteemの低さ、愛と幸せの問題

⑤ (一個のリンゴをどう分けるのか?)



(3)平和・戦争/暴力研究と暮らしの実践(食と農)と社会活動(開発/国際協力)の融合

① 2013年まで、研究と活動を完全に分けていた(テーマを分けることで対応)

② 原発事故後、少しずつ融合(「開発」「コロニアリズム」を問う)

-「モザンビーク・プロサバンナ事業の批判的検討」大林 稔, 阪本 公美子, 西川 潤『新生アフリカの内発的発展―住民自立と支援』(昭和堂、2014年)

- “Analysis of the discourse and background of the ProSAVANA”, GRAIN, 2012.

- ICAS(Initiatives for Critical Agrarian Studies)翻訳本シリーズ



(4)私の中の「コロニアリズム」と暴力、日本と世界の「コロニアリズム」と暴力

① UNAC、世界の農民運動との出会い

② 主権者であることの意味

③ 「よそ者」であることの意味

④ 旧colonizerの国の者として。ナチズムを生み出した国に暮らす者として。

⑤ 社会と向き合い、一人ひとりと繋がることの意味(ソーシャルメディアを通して気づいたこと)

l 「現代世界・社会における小農・人々の解放」の意味

l 不確かな時代の再来。グローバルを無視して内に籠り排外主義に向かう人々

l 大多数者と少数者、国内での権力構造と国境を越える主権運動



(5)世界大で急速に進む「見えづらい暴力」、最後のコロナイゼーションと私たち

(6)もはや後戻りできないところまできた気候変動、生物多様性の喪失の意味



# by africa_class | 2020-08-07 00:09 | 【徒然】ドイツでの暮らし

【アフリカ小農による反対運動の勝利】#プロサバンナ事業 の中止までの道のりをふりかえる

プロサバンナが終りました…(涙)。
長い、長い、ながい闘いでした。

反対運動の先頭にたっていた「小農の父マフィゴさん」を失いながらも、JICAの資金を使った介入によるモザンビーク市民社会の分断活動に直面しながらも、決して諦めなかった事業地の小農運動の勝利です。そして、それを8年にわたって支え続けた3カ国と世界の市民社会の…。

モザンビークの日本大使館のプレスリリース
https://www.mz.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_00042.html

一番重要であり、プロサバンナを面的に拡大するために不可欠だった、「ナカラ回廊 農業開発マスタープラン」の作成事業(#ProSAVANA-PD)を中途で断念させたことを意味し、モザンビークの事業対象地(ナカラ回廊地域)の小農運動の大きな勝利となりました。

(*読み直さずだったので一部誤字脱字などありますが、落ち着いたら修正します。まずはこれでご容赦下さい)

反対運動のスローガンは、植民地解放闘争と同じ、「a luta continua!(#闘いは続く)」でした。この表現に込められた、どんなに辛く長引く闘いでも、決して諦めないとの決意が、この勝利を導き出しました。

丁度8年前の同じ月、8月のことでした。モザンビーク最大の小農運動(UNAC)に呼出され、国際NGOの協力を得て、半年をかけて情報収集とJICAを含む3カ国の政府関係機関にインタビューをしたが、この援助は農民にとって危険なものになる可能性が高いので、協力してくれと説得されました。それから、UNACは事業対象3州の小農運動のリーダーを集め、数日にわたって事業についての分析と議論を行い、「反対」の意向を固め、あの最初の「プロサバンナ声明」を出したのです。

この声明はこうはじまります。

…の農民が集い、プロサバンナ事業に関する議論と分析を行った。
プロサバンナは、モザンビーク共和国、ブラジル連邦共和国、日本の三角事業であり、ニアサ、ナ ンプーラ、ザンベジア州の 14 郡に影響を与える約 1400 万ヘクタールに及ぶナカラ回廊開発のため の巨大農業開発事業である。

当該プロジェクトは、ブラジルのセラードにおいてブラジルと日本の両政府によって実施された農 業開発事業に触発されたものである。セラード開発は、環境破壊や同地に暮らしていた先住民族コミ ュニティの壊滅をもたらし、今日セラードでは、単一栽培(主に大豆)の大規模な商業農業が行わ れている。ナカラ回廊地域は、ブラジルのセラードと類似するという気候上のサバンナ性や農業生 態学的な特徴、国際市場への物流の容易さにより、選ばれた


2012年10月に出されたこの声明は、最後は停電する中、トーチライトの中で、農民リーダーらが言葉を紡ぎ出した声をまとめたものでした。

この声明を受け取った時の、心の震えは、今でも忘れられません。

自らを「主権者」と「地球の守護者」として位置づけた、しかし何がなぜ問題かを冷静かつ端的に整理し、反対を表明した声明。それまで研究の中で触れていた、ポルトガルによる植民地支配・冷戦状況・アパルトヘイト下の周辺諸国の介入と闘ってきたモザンビーク小農の姿が、目の前に現れた気がしました。彼女ら、彼らは、1964-74年の実に10年にわたって、武器を取って、解放のために闘わなければならかったのです。

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写真:小川忠博氏提供(1973年4月、小農を主体とする「モザンビーク解放戦線(フレリモ)」が、タンザニア国境を越えて、モザンビークの森にある「解放区」で訓練するところ)

8年前のモザンビーク北部小農の高らかなる宣言を、ぜひ噛み締めて読んで頂ければと思います。

我々は、モザンビークにおける農業分野の開発のオルタナティブとして、食料主権に基づく小農主 体でアグロエコロジー的生産モデルへの強いコミットメントを継続する。このモデルは、すべての 側面で持続可能性を考慮し、実践において自然に寄り添ったものである。

小農による農業は、地域経済の主柱であり、農村における雇用の維持と増加に貢献し、都市や村落 の存続を可能にする。協働が、自身の文化やアイデンティティを強めることを可能とする。このオ ルタナティブなモデルにおいて、開発政策は、社会的にも環境的にも持続可能であり、民衆の現実 のニーズや課題に基づいて組み立てられなければならない。

農民は生命や自然、地球の守護者である。小農運動としての UNAC は、農民の基礎(土壌の尊重と保 全、適切で適正な技術の使用、参加型で相互関係に基づく農村開発)に基づいた生産モデルを提案 する

ここら辺のことは、「#モザンビーク開発を考える市民の会」のホームページで整理されているので、ぜひご一読下さい。
http://stop-prosavana.heteml.net/mozambiquekaihatsu.net/


すぐさまこれを翻訳して、紹介したところ、AJF(アフリカ日本協議会)の事務局長だった斉藤さんが、すぐに日本のNGOやアフリカ関係者に声をかけて下さいました。
https://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html
(*スクロールすると最初の声明に行き着きます…)

そこから、JICAを招いての勉強会(2012年11月)、外務省での「NGO・外務省定期協議会ODA政策協議会」での議題化(2012年12月)を経て、先に共闘を開始していたブラジルの市民社会とともに、日本の市民社会も立ち上がっていきました。

しかし、その時、まさかこの援助事業と、46時中、8年間も、闘い続けることになると思いもしませんでした。この間に、冒頭で触れたような悲劇とあり得ない事態がくり返されていきました。

最初の声明で、モザンビーク小農らが看破したように、この事業の不透明性、「排除の論理」は、結局8年を通じて変わることはありませんでした。2013年、国会で岸田文雄外務大臣(当時)が、「丁寧な対話」を約束した後も、JICAは、反対する運動や組織を分断し壊し、排除することを追及し続けました。

我々農民は、透明性が低く、プロセスのすべてにおいて市民社会組織、特に農民組織を排除するこ とに特徴づけられるモザンビークでのプロサバンナの立案と実施の手法を非難する

この具体的な手法については、岩波書店の「WEB世界」の連載で紹介してきました。

モザンビークで起きていること

JICA事業への現地農民の抵抗

https://websekai.iwanami.co.jp/posts/461

8年を振り返って、ここで強調しておきたいことは、日本の公的援助機関であるJICAが、モザンビーク最大の小農運動が反対を表明した1ヶ月後の2012年11月に、すでに、反対運動を潰すための「コミュニケーション戦略」を立案し、12月には、ブラジルとモザンビーク政府を説得し、そのために現地コンサルタント会社と契約を行っている点です。

この「コミュニケーション戦略」を、JICAとして予算化し、3カ国の担当者らで構成される調整会議の議題に滑り込ませることは、民主党政権下で行われました(担当は「#JICAアフリカ部」)。しかし、当時の大臣や政務官はもとより、議員たちも知らないままでした。

しかし、プロサバンナ事業は、その立案から合意締結までの奔走において「麻生案件」でした。ブラジルと関係が深く、ラクイラサミットで「手柄」がほしかった麻生政権とJICAの「#ブラジル・セラード開発関係者ら」が組んで、2009年にJICAと外務省がブラジルとモザンビークを行き来し、おこした事業だったのです。(詳細は以下の本に)
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プロサバンナ事業が、本格化するまで時間がかかり、「反対」の狼煙が上げられた2012年10月の時点で、3本の事業の2本は途中段階でした。そのため、外務省は「対話」を重視せざるを得ず、NGOとのODA政策協議会に、スピンオフの対話のための場として「#プロサバンナに関する意見交換会」を設けました。これは画期的なことでした。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/taiwa/prosavana/index.html
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/index.html

しかし、民主党政権は突如、退陣してしまいました…。
安倍政権の下で、麻生元首相は、副総理・財務大臣として返り咲きました。この政権交替がなければ、プロサバンナ事業はもっと早い段階で終らせることが出来たと思います。なぜなら、民主党議員だけでなく、野党から与党に変わったばかりの自民党議員も公明党議員も、現地の小農運動が反対する「援助事業」を強引に進めることを疑問視していたぐらいだったからです。

歴史に「if」はない。
歴史の学徒としては、これは大変重要な基本である。

他方、政治分析の中では、「if」を想像しながら、現実の進行を見つめることは重要でもあります。なぜなら、あり得たかもしれない「if」を、誰が、ナゼ、どのように変えていったのかを知る手がかりを与えてくれるからです。「if」を回避し、くい止めようとする勢力は誰だったのか。彼らは何をどうしたのか?

実は、公的援助の資金を使って行われた、この「プロサバンナ反対つぶし」のためのモザンビークで展開された「#コミュニケーション戦略」なるものは、安倍政権下で、「対中国プロパガンダ」「歴史戦争」の一貫で、外交戦略となっていきます。

しかし、モザンビークの小農運動や市民社会はもとより、日本の議員、メディア、市民や納税者すら知らないで進められた「コミュニケーション戦略」。これが、安倍政権下で、全世界的な外交・援助戦略となっていたことを知らしめたのは、英国紙のスクープと、プロサバンナ事業をめぐる外務省による国会答弁でした。

公衆の目の触れないところで、JICAが行った数々の「工作」とも呼ぶべき活動が、明らかになるまで、それが開始された2012年12月から、2年の歳月が必要でした。これも、「if」ですが、もし私が、戦争の研究で、世界の秘密警察や軍、行政などの文書の分析を専門としていなければ、これに気づくことはできなかったと思います。膨大な数の文書の束の中のたった一行の「social communication strategy」という表現。ここに妙な「引っかかり」を感じ、そこからJICAへの資料請求を続け、一つの文書を入手しては、そこに書かれている情報を元に次の文書を請求する。これをくり返し、開示が延期されるなどで1年近くかかって、目の前に現れたのが、この文書でした。

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2013年8月から9月の契約で、かつてモザンビークを植民地支配したポルトガル由来の会社(CV&A)に依頼されたこの文書を読んだ時の、怒りの震えは、今でも忘れません。植民地支配下のモザンビーク農村部において、コミュニティでの住民管理のため、行政の下請け役として位置づけられ重用されたパラマウントチーフ「レグロ(regulo)」などに、プロサバンナ事業のための上意下達の役割を果たさせようとするこの図。

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そして、反対する小農運動や市民社会の分断と「価値を低める」ことを目指した数々の提言。
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ポルトガル語版しか開示されず(英語版の存在すら否定され続けた)、あまりにヒドい内容に、こんなものを援助で作ったとは到底思われず、日本のNGOの仲間ですら私の翻訳の問題ではないか…と言われたり。しかし、格闘の末、半年後に英語訳がJICAから提供され、初めて疑惑は解消したのだが、まさにこの内容だったのです(以上はその英語訳とポルトガル語からの和訳の対比)。

このような証拠を突きつけられても、JICAは止まるどころか、以下のように、今度はモザンビーク市民社会に国際NGOスタッフとして資金提供していたコンサルタントを雇い、秘密調査を行い、直接的な介入に乗り出していきました。(今年2月の第二回「議員勉強会」用に準備していて結局使わなかったスライド)

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さらには、この秘密調査と介入にコンサルとして関わった元メディア関係者「エドアルド・コスタ」を、JICAスタッフとして雇用し、あろうことか、モザンビーク政府(農業省内の「プロサバンナ本部」)に派遣したのです。

それに留まりませんでした。

悪事というのは、一度手を染め始めると、それをカバーするために、どんどんヒドい悪事に手を染めなくてはならなくなる典型事例として、これは日本の援助・行政史の中で、記憶と記録に残されるべきできでしょう。今後の検証活動が不可欠な理由です。

つまり、JICAは、ついに反対小農運動に対抗する「モザンビーク市民社会の対話メカニズム」というものを作り出し、それに協力する市民社会のリーダーや団体に直接資金を流し込んだでした。その額は、プロのコンサルタント企業への500万円を大幅に超える、2200万円という破格の金額(いずれもほぼ半年契約)。

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このあとも、「会議準備」と称して、巨額の資金がこれらの「賛成派NGO」に流れ続けたことが、最近の情報開示資料によって明らかになっています。未だ分析披露できていません。

これらの事実は、2014年以来、日本のNGOだけでなく、来日したモザンビークの小農運動や市民社会リーダーによって、JICAと外務省に、彼ら自身の文書という確固たる証拠とともに突きつけられてきました。しかし、関心ある人の間にしか広まらず、また何よりも同じ政権下にあって、強行突破できると考えたのでしょう。

確かに、度重なる介入と分断活動、資金によって、モザンビーク市民社会はもとより、小農運動も分断の危機に直面していました。これについて、JICAだけが加害者かというとそうではなく、外務省もまた、時にJICAを主導し、多くの場合二人三脚で、これらの介入・分断活動に関与していました。それがはっきり分かるのが、外務省側の「コミュニケーション戦略」予算を使った、「賛成派市民社会」を使ったプロサバンナ喧伝のための、地元メディアを招待して書かせた記事でした。

開示された外務省文書を読めば、この活動で、それまでプロサバンナに反対していた団体が連携していた独立系新聞を味方につけるターゲットとしていたこと、すでにJICAの2200万円コンサル契約の契約者であったアントニオ・ムトゥア氏を、「市民社会の代表」として、これらの新聞に紹介し、情報提供にあたらせていたことが分かります。その成果が、地元のもっとも独立した新聞の一つだったverdadeに掲載されたこの記事です。
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在外公館とJICAの関与は、verdade紙に残されていた「メディアの独立性」への矜持の欠片のお陰で発覚しました。一つには、このインタビューがJICAの立ち会いのもとで行われたことがはっきり分かる写真、そして記事の最後に「この記事は、日本大使館によって準備された旅行の一貫で執筆された」の但し書き。

これらが、日本のNGOによって、外務省の上層部に持ち込まれ、また国会での質疑に取り上げられ、さらには、現地住民11名のJICAへの正式な異議申立て(2018年4月)を受けて、ようやくアントニオ・ムトゥア氏率いる「賛成派NGO」との契約が解除され、3事業の1つである「プロサバンナPD(マスタープラン)」日本のコンサルタント企業との契約も停止されました。この休止を主導したのは、外務省の山田国際協力局長(当時)だったといいます。外務省最後の良心だったのかもしれない出来事でした。

しかし、山田局長は移動し、さらにJICAは諦めませんでした。「異議申立」で不利な結果とならないように、あらゆる手が用いられたのです。これらの詳細は、上記の「WEB岩波」の連載の10と11をご覧頂ければ。「JICA審査役」となった国立大学教授3名、とりわけ主筆となった神戸大学の開発学教授の問題については、きちんと検証されるべきと思っています。

そして、結論は「違反なし」でした。これを縦に、JICAによる、さらなる介入が続いていきました。しかし、2018年8月、モザンビークの行政裁判所は、プロサバンナ事業とそれを司る「プロサバンナ本部/調整室」に対して、違憲判決を下しました。この「プロサバンナ本部」は、現在はモザンビーク農業省内にありますが、立ち上げ当初はJICAモザンビーク事務所内に設置されていました。日本政府とJICAの責任は明確でした。

しかし、それすら認めない。そこで、モザンビークの小農運動・市民社会(「プロサバンナにノー!キャンペーン」)の代表らが、TICAD(アフリカ開発会議)のために来日しました。TICADに際しては、外務省はメディア各社に「中国のアフリカ進出が脅威だ」との報道を促し、そのような報道で溢れ帰りました。足下の日本の「有害援助」については、みな目をつぶったまま。そんな中、時事通信社が2本の記事を配信。

日本の農業支援、弊害も=モザンビーク農民が訴え-TICAD

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019083000223&g=int

農業支援見直し求める=モザンビーク農民、JICAと対話

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019090500209&g=int

さらにトドメは、TBSの地上波とオンラインで配信された、以下の番組でした。

2019年9月 日本のODAに、現地農民の「NO」

https://www.youtube.com/watch?v=OBiNqQW1h3U

この番組は、TBSの公式ページ上のニュースサイトで3日間も一番視聴された番組になり、SNS上にも広がり、モザンビーク小農の声と勇気への共感が広がっていきました。JICAに電話したり、イベントで抗議する市民も増えていき、業を煮やしたJICAは、さらにやってはならぬことに手を染めてしまいました。

つまり、事業対象地の最大の小農リーダーを誹謗中傷する文章まで、公式ホームページに掲載するに至ったのです(2019年9月)。
https://www.jica.go.jp/information/opinion/20190920_01.html

これについては、以下のブログ記事をご覧頂ければ。
https://afriqclass.exblog.jp/239608172/

このページの掲載文は、組織全体で作成したとJICAは認め、もはや組織ぐるみの「反対派つぶし」が明らかになりました。そこで、日本の国会議員10名が、JICAと外務省を呼んで、市民とともに、公開の場で問題を追及する「フルオープン議員勉強会」が開催されることになりました。(なお、当初JICAは密室でやろうとしただけでなく、当日市民社会側を撮影・威嚇するなどもしました)

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2019年12月23日、参議院議員会館「国会議員主催 プロサバンナ勉強会」にて。ビデオはJICA広報室報道課参与役

主権者・納税者を前にした、これらすべての行為が、JICAが陥っていた深刻な負のサイクルの闇、そして焦りを明らかにしていると思います。それでも、JICAも外務省も諦めませんでした。

しかし、ここががんばりどころでした。
国会議員は追及の手を弱めるどころか、非常にクリアに問題を指摘していきました。

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この見事な国会議員たちの追及は、多くの人にぜひ一度みてほしいと思います。野党議員は普段何をやっているのかという人に特に、見てほしい。

司会は、これまで国会質問や質問主意書を積み重ねられた石橋通宏議員と井上哲士議員。お二人の緩急つけた議事進行とツッコミが、本当に素晴らしかったです。いずれの勉強会の模様も、以下のyoutubeサイトで全部視聴が可能です。

https://www.youtube.com/channel/UCoZCgmP4w-1Ttbw65YqRtGQ

そして、以下のショート動画の福島みずほ議員の追及は、本当に素晴らしかったです。原口一博議員とともに、元大臣の迫力での攻めでした。

現地裁判所(司法)が違憲判決を下した以上、日本国政府が、この援助を続ける正当性はどこにもない

https://www.youtube.com/watch?v=nipKIpmCTMk

もはや、外務省黒宮貴義課長も、JICA牧野耕司部長も、反論のマイクをとることすら放棄した状態でした。そして、マイクを取らされ続けた浅井誠JICA課長の姿は、もちろん、彼がどうしようもない言い訳をくり返そうとも、哀れに思いました。

もちろん、これらの悪事の最初のレールを敷いたのは、アフリカ部(当時)の乾英二部長、本郷豊氏や坂口幸太氏、農村開発部の天目石慎司課長(当時)でした。しかし、彼の着任直前に、プロサバンナの責任担当部はアフリカ部から農村開発部に移り、現地市民社会への直接的な資金提供を担当しました。しかし、それが彼個人の判断だったかというと、そうではないでしょう。責任を負うべき、組織の上層部がおり、今後この真相と責任が追及されていくべきと思います。

しかし、もう「その時」はきていたともいえます。外務省もJICAも、ここまで衆目に晒されては、何をしようとも、失地回復は不可能でした。メンツを保てる形の撤退は、山田局長の「休止」判断以降の検討材料だったわけですが、もとは日本政府がブラジルとモザンビークをかけずりまわって、説得して、鳴りもの入りで始めた巨大事業。モザンビーク政府にもメンツがあります。

そして、この8年で、日本の安倍=麻生政権が、民意を圧し潰すことを政治スタイルとしていったように、モザンビークのフレリモ政府も、かつての「植民地解放運動体」であり「小農との連帯政党」だった事実などはどこふく風で、モザンビーク小農運動や市民社会への弾圧を強めていきました。ブラジルでは、ルラ政権後、農業分野では特に、小農や先住民族の権利を奪う傾向が強まり、ついには民主主義まで抑圧するボルソナーロ政権が誕生しました。

つまり、プロサバンナへの反対を小農が唱えてからの8年間は、この援助に関与する3カ国のいずれもが、民主主義を抑圧的し、権威主義体制に移行していくプロセスでもあったのです。これは、「援助事業への反対」を、命をも奪う危険なものにしていきました。

直接はプロサバンナのせいではなかったものの、反対声明に2度署名していたモザンビーク市民社会の仲間が、選挙監視員の訓練中に、現役警察官5人に10発もの銃弾を打ち込まれて射殺されたのも、この時期(去年10月)でした。

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その1年前には、JICAが誹謗中傷文を掲載された小農運動リーダーのコスタさんが、脅迫などの人権侵害は、JICAと外務省のせいだと、目の前で訴えていました。

外務省は、局長や課長が新しくなり、過去の課長や課長補佐が、JICAとともに手を染めてきたように、これ以上の悪事に手を染めるのか否かの瀬戸際にありました。本来は政治が動くべきでした。しかし、農薬援助を止めた時もそうでしたが、局長や課長の代わり時は、重要な転換の可能性が開けます。結果として、冒頭に紹介した日本大使館の談話をみれば、外務省が動いて、この「中止&終了」が実現したことが分かります。

もちろん、「メンツ」がある上に、同じ政権である以上、「現地で反対の声があった、違憲判決が確定したから、中止して、途中で止めた」なんて認めないでしょう。しかし、大使が大統領に会いに行って、この談話を出して終了を発信するなんてことは、本省の動きなしには不可能です。談話結果をみても、明らかに日本側が準備して、事前に合意した上のものです。

このようなことは、JICAのできる範囲を超えています。他方、JICAもまた、止めたくてしょうがなかったものの、引き戻せないところまできていた事業であり、JICAから外務省にさじをなげた可能性も否定できません。今後、ここら辺のことは明らかになっていくでしょうが、遅きに失したとはいえ、止めるために努力した「中の人がいた」ことは、心に留めたいと思います。

また、組織に逆らってまでも問題文書をリークした「中の人達」に、改めて最大の敬意を表したいと思います。(上記の秘密調査の報告書等のリーク文書はこちら→https://www.farmlandgrab.org/26158)

外務省はモザンビークの農業大臣の交替を理由にあげていますが、彼は周囲に「プロサバンナを継続させるやる気」を示していたたと言われています。他方、前の大臣の失態を、若き「やり手」の大臣が継続したいとは思えず、彼に何らかの「あめ玉」が与えられた可能性は否定できません。まさに「a luta continua」なのです。

さて、市民社会、国会議員による、数々の抗議にも取り消さなかったこの掲載文は、プロサバンナの終了が発表されて数日後に削除されました。これも勝利です。

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以上、個人的な想い出語りとなりました。
これは完全に私個人の見方であって、日本のNGOや市民社会、ましてや3カ国の市民社会を代表するものではありません。

そろそろ日本のNGOの皆さん、モザンビークの小農運動や市民社会の皆さんから、声明や分析などが出ていくことでしょう。詳しくは、そちらをご参照下さい。

分断させられ続けたこの反対運動。最後は、モザンビーク小農運動のスローガンであえる「連帯/団結すれば勝利するだろう(unidos venceremos)」が、勝利をもたらしました。

とはいえ、この「勝利」に最大の立役者がいるとすれば、それは間違いなく、対象地域最大の小農運動を2010年から組織し続けて、3万人の小農リーダーとなったコスタ・エステバンさんでしょう。そして副代表として二人三脚し続けたジュスティナさん。

TBSが、コスタさんを7年追い続け、番組を世に出し続けたことの先見の明には、思います。そして、この「勝利」を祝い、過去の番組を一挙に公開してくださったことに、心から感謝です。とくに、①はなかなか見る機会がなかったと思うので、改めて今日の地点から、眺めてみて下さい。

【モザンビーク「プロサバンナ事業」日本政府が中止に】
TBSで7年にわたり報道してきたアフリカ・モザンビークで日本政府が進める大規模農業開発プロジェクト「プロサバンナ事業」。大規模農業化を進めることで「土地が奪われる」と当初から懸念の声が相次いでいましたが、ついに日本政府が中止を決定しました。「農民として、自分の畑を耕していたいだけ」「私たち農民の声を聞いてほしい」彼らが望んだのは、問答無用の大規模開発ではなく、対話をしながら一緒に進める支援でした。農民の尊厳を無視した一方的な開発事業はいずれ行き詰まる。取材中そう思っていましたが、その通りの結果になりました。過ちを認め、プロジェクトを中止した日本政府の決断は正しいと思います。今回の教訓を生かし、支援とはどうあるべきなのか?の議論が深まることを願います。これまでの放送をアップしました。

①2013年6月8日放送 報道特集  https://www.youtube.com/watch?v=zukXgKMQt4k
②2015年7月21日放送「NEWS23」https://youtu.be/qtTIT-TAX0s
③ 2019年9月7日放送「JNNニュース」 https://www.youtube.com/watch?v=OBiNqQW1h3U
④2020年1月1日放送「Nスタ」https://youtu.be/_RHelvc0Er0

最後に、日本の市民社会では、JVCの渡辺直子さんの存在とリーダーシップ、献身を抜きに、この「勝利」はあり得ませんでした。団体の激務にたえながらの、何年にもわたる彼女のがんばりと不屈の精神に、心からの敬意を表したいと思います。

日本のNGOの皆さんも、本当にお疲れ様でした。多くの人びとに支えられての8年でもありました。すべての人のお名前をあげられないことをお許し下さい。



私の「プロサバンナとの8年」の幕はこれで閉じました。



今後は、ドイツ市民社会の一員として、モザンビーク小農運動を支えるとともに、私なりの「次の闘い」に向けて歩んでいきたいと思います。

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# by africa_class | 2020-08-03 22:36 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

【誰でも作れる味噌】超簡単な作り方、有機の材料の購入先、「カビ」対策など(今最適季節です)


知ってた? 日本のツイッターランドには「お化け」もいるけど、「妖精」たちもいるって?

味噌を手作りするようになって20年。

拍子抜けするほど簡単な味噌作りなんだけど、どうも殆どの人がその事実を知らないらしい。
1年前に漬けた味噌を披露したところ、色々な反応があった。

そして、ハードルがどうやら、次のもののよう。

(1)そもそも味噌って何から出来てるのか知らない
(2)どうやって作るのか知らない
(3)場所をとるんじゃないか
(4)どこでセットが買えるのか
(5)「カビが生える」のが怖い

そして、(1)と(2)を140文字で紹介してみたら、大いに反響があり(そうか・・・そんなに知られてないのか)、次なる質問は(4)と(5)だった。

なんせ日本にいないし、日本にいたときは床下収納&パッシブソーラーシステムの家にいたので、あんまり苦労しなかった。で、ツイッターランドの皆さんに、(4)と(5)を呼びかけてみたら、あっという間に色々な情報が集まった。

日本のツイッターランドには、信じ難いほどのヘイトをまき散らす人が多く、日本のツイッター社はそれを放置する傾向がある。なので、時々、「でた〜」と言いたくなる瞬間がある。そうそう。「ツイッターお化け」がね、出るの。

でも、彼らが知らないの。
私が「お化け」怖くない…ということを。
子どもの頃から「お化け」怖くなかった。
むしろ、知り合いたい、っていつも思ってた。
ナゼか分かる?

本物のニンゲン(特に身近にいて闇を抱えた人達)の方がよっぽど怖いって知ってたから。そんなこんなで、遠くのドコの誰か分からない「お化け」怖かったら、ニンゲンやってらんないからね。

子どもの頃、「お化け」と知り合いたくて、三輪車に乗って神社に通ってたの。家にある神棚とか仏壇とか(両方あった)に一生懸命語りかけてたし、おじいちゃんやおばあちゃんに、昔のこと、先祖のことをやたら聴いてた。今考えると、相当変な子だったな。。。でも、その基礎があったから、歴史的アプローチに辿り着いたのだと思う。

そして、アフリカ、モザンビークの北部農村に通い始めた時に、彼らの日々の一こま一こまに「死者たち」が位置づけられ、いきいきと一緒に暮らしてるのをみて、すごく腑に落ちた。以来、「死者」と「生者」がともに息づくような歴史を描きたいといつも願ってきて、少しずつそれが前に進んでいる気がする。

さて。味噌の話なのに、どんだけ横道それるねん!
で、「味噌の話」を出してみたら、集まってきたのは「お化けさん」ではなく、「妖精さん」たちだった。

私が日本語のツイッターランドに存在している理由は、「お化けさん」と「妖精さん」の両方に出逢うためなんで、ぜひこの話題でも「お化けさん」に絡んでほしいのだが、「味噌」はどうも彼らのアンテナにひっかからないらしい。

攻撃アカウント作って頑張ってる人々は、一応「日本愛国」の人達のはずだが、日本食の根幹である「米と味噌汁」を毎日食べてるのかな・・・って疑問になる。案外、コンビにの菓子パンとか、マックのバーガー&ポテトとか食べてない?やっぱ、ご飯と味噌汁でしょう。ドイツにいる私ですら、毎日玄米と味噌汁だから、サボってちゃいけませんよ。

ということで、「お化けさん」にも「妖精さん」にも、その他大勢の人にも、子どもでも作れる簡単「手作り味噌」の秘密を紹介します!

【材料】
麹、塩、大豆、容器
分量は出来上がりの希望量にあわせて、ここで計算してみて
→https://marukawamiso.com/culc
作り方、材料、動画などもあり。
→https://marukawamiso.com/

が、未だやる気になってない人にリンクと動画はハードル高いから、以下みて。
え〜こんな簡単なの?って、きっとやる気になってくるから。

【手順】
1. 大豆を一晩水に浸す
2 .柔らかく煮る
3. 塩と麹を混ぜておく
4. 煮汁含め、2.と3.をよく手で混ぜる
5. コネて泥だんごみたいなの作って容器に
6. ぎゅぎゅと押して空気抜き
7. 上に塩ふる
→3ヶ月〜6ヶ月後に出来上がり!
→熟成味噌が好きなら1年ぐらいでも。

*なお、必ず⑤は素手でやってね。間違っても手袋とかしてやらないでね!素手でないと味噌ができないのです。ぬか漬けと同じ話。科学的に証明されてる話だから、心配しないで。

【大豆の潰し方】
潰すのが面倒!
力がもうない・・・の声に答えました。

足で潰せばいいのです。
「足」???

はい。
その場合は、丈夫な袋に茹でた大豆(煮汁をとる)を入れて、しっかり閉じて、足で踏みフミすればいいんです。うちは、その手法で、息子が2歳の頃から手伝ってました。正直、彼は味噌づくりは遊びだと思っていたと思う。

<=なお、🐱には手伝ってもらわないようにしてください。理由は・・・分かるよね?ディザスターになります。バカな私は愛猫にものってもらおうとして、息子に止められました。

うちは、以上の通り、大豆を潰すのは息子の仕事としてしまったので、現在までの17年間、すべての味噌は彼が潰した大豆で作ってます。嫌がることもなく、おそらく自分の仕事と認識して、取り組んでます。途中、スリコギとかつかったけど、今はドイツのマッシュポテトを作るためにジャガイモを潰すあれでやってます。

が、普通の方はミキサーでもいいのです。
ただ、刃の味がついて味噌の出来が悪くなるので、上のやり方がいい気がする。が、ネット検索してみてください。いろいろアイディアがあると思います。

これをツイッターで紹介したら、次々に「どこで材料買えるの?」の質問あり。

【味噌キットが買えるサイト】
以上のマルカワさんの他に、

私が日本に暮らしてた時は、大地を守る会で買ってた。
https://takuhai.daichi-m.co.jp/
*今はセットという形でなく、「麹」「大豆」「塩」をそれぞれ買う形。

京都の「楽天堂・豆料理クラブ」さんの味噌セットがフォロワーさん的に大絶賛だったのと、店長の説明がとってもよかったので、今回はこれで作るつもり。
以下サイトでどうぞ
https://rakutendo.com/net-shop/products/list?category_id=32

店長の高島千晶さんのメッセージ:
味噌づくりセット、楽天堂はすばらしい材料で販売してます!
あけぼの大豆、大粒で味噌には最適。山梨の農家さんが自分の代で慣行栽培から自然栽培に切り替えて作っています!
麹も綾部の農家さんのもの。農薬不使用。
誰でもかんたんに作れます!

楽天堂の味噌づくりセット、どうぞご利用ください。はじめての方でも、まちがいなくおいしくできます。味噌は材料次第です!自然栽培で作られた豆はえぐみがなくでおいしい。

とのことです。で、「カビが生える」問題について。
基本、一番上にカビが生えても、その下は無事なので、キレイにカビをとればいいだけです。カビが生えるのは生きてる証拠だから、そんなに気にしなくても・・・。

だけど、今時の人には堪え難いでしょうから、ツイッターランドの「妖精さん」たちの知恵が集まりました。

【手作り味噌の保管の仕方について】
■高島店長のワザ
「蒸し暑い京都の町中ですが、酒粕でふたをしておけば、常温で1年おいてて大丈夫でした。ちょっとだけカビは生えたけど、そこをとればまったく問題ないです。とてもおいしい。酒粕に味噌がしみこんでそこのところがおいしくて、ごはんにのっけて食べたり、かす汁にしたり。」

<=酒粕を敷き詰めてその上にサランラップを被せるそうです。追加で写真とともにご紹介。
https://twitter.com/chiakitakashima/status/1221401597902610432?s=20

「白い酒粕、1年たつと味噌がしみこんで、きつね色になっています。おいしいからお店のお客さんに味見してもらってます。下の茶色いところは、もちろんまじりっけのない味噌。酒粕と混じっていませんし、ふつうに使えます!」

■風の里農場のワザ
ふたをする際、塩も振りますが、熊笹を敷き詰めます。縁の部分は晒をねじったものでぐるっと押さえつけます。仕込んで1年ではかびません。気温が低いので一年では若く、2年以上寝かせます。」

<=なんと!熊笹!・・・ドイツの庭にもあるんだが、繁殖ぶりが凄い一方、まったく朽ちていかないので困っていたもの。さすがの殺菌作用。さっそく明日試します。

■小農アクティビストの松平さんの「農家のおばあちゃんの知恵」
「農村のおばあちゃんは炒り糠と塩で耳たぶぐらいの固さ加減に水を入れたふたが多いかな。酒かすは高級かも。糠のふたも魚が漬けられます」

<=ヌカを炒ってふたって素晴らしい知恵!味噌を取り出した後のヌカで、さらに魚を漬けるなんて更に素晴らしい。絶対やってみたい。問題は…こちらにはヌカがない。まずは稲作を実現するしか・・・ない。

以上、#手作り味噌の保管方法 でタグつくったので、検索してみて。
また、良いアイディアあったら教えて下さい!



<<出来上がった味噌。小分けしたところの様子>>
私は豆が原型を留めた味噌が好きなので、ごつごつしたものと、スムーズなもの2種類つくってる。
【誰でも作れる味噌】超簡単な作り方、有機の材料の購入先、「カビ」対策など(今最適季節です)_a0133563_07124573.jpg

<1年前に作った味噌の作り立て時の写真:うちは塩の蓋だった。でも塩が多いのが気になってたので、熊笹を試してみることに>
【誰でも作れる味噌】超簡単な作り方、有機の材料の購入先、「カビ」対策など(今最適季節です)_a0133563_07102021.jpg

実は、手作りした方が味噌は断然安いし、健康的。
ゴミが出ないのもいいですね。
家族や親族、近所や仲間とワイワイ、キロ単位で作って分けっこすれば、さらに幸せと豊かさの輪が広がっていいのではないかって思います。

味噌作りに最適の季節は今(1−2月)。
まずは500グラム程度から始めてみてもいいよね。
ぜひ味噌作った人は「味噌自慢」して下さい。


# by africa_class | 2020-01-27 07:31 | 【記録】エコの限界に挑戦

【ぜひ視聴】日本の海外援助(#プロサバンナ事業)に関するTBS番組

新年あけましておめでとうございます。
なぜかガリシア(スペイン)のコンポステーラの大聖堂の真ん前にいます。

12月23日に参議院議員会館にて9名の国会議員の主催により、日本の海外援助(プロサバンナ事業)に関する勉強会が開催されました。

詳細→
https://www.ngo-jvc.net/jp/event/event2019/12/20191223-prosavana.html

その翌日、ドイツに飛んでクリスマスをして、その後すぐにポルトガルに移ったので、なかなか報告ができないままですが、以下ぜひご覧頂きたく、はっておきます。


【TBS番組(1月1日)】

「日本のODA要らない」アフリカ農民の訴えにJICAは?


<=以上のリンクが1週間で切れたら、Youtubeは残っているみたいなんでそちらで視聴下さいね。

【IWJハイライト動画(9分ぐらい)】
■国会議員とNGOがJICAのプロサバンナ事業問題をとことん追及!!「#JICA が自ら農民や市民社会の分断工作に手を染めた!?」#プロサバンナ 勉強会
ハイライト動画(9分)

【当日の全体録画】
①冒頭趣旨説明+国会議員によるJICA追及
②NGOによる「プロサバンナ事業」に関するオーバービュー(振り返り)
③以上続き+議員・NGOによる外務省/JICA追及
④NGOによるJICA追及(プロサバンナ事業に関する嘘と歴史改ざん)
⑤JICAによる現地市民社会・小農の分断工作に関するNGO議員のJICA追及
⑥以上続き+日本の有機農家・市民によるJICAへのメッセージ
⑦以上続き+NGO側のまとめ


また感想きかせてください!
わたしも落ちついたら書きますね!

# by africa_class | 2020-01-06 20:04 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ