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癌になって自分から解放され、お花が好きになった話。



癌(がん)に感謝している。
というと、みなどう言葉をかけていいのか分からないためか、沈黙してしまう。
そんなときは、気を遣わせて「ごめんなさい」と思うのだけど、いまのところは1%の迷いもなくそう思っている。

もちろん、わたしの癌が早期に発見されたもので、いまのところ再発していないからという点には注意が必要。この先、再発や転移したときに、同じように言えるかはわからない。また、癌で苦しむみなさんや、そのご家族には、傷つけるような表現かもしれない。そのことは、本当に申し訳ないと思う。でも、日本では驚くべきことに2人に1人が癌になる時代になった。こういうサバイバーもいるのだということを伝えておくのも重要なのかもしれないと思う。

わたしとしては、いまは本当にそう思っていて、そのことを口にしても、話し相手の方が皆びっくりしてしまってあまりこの会話を続けられない場面が多すぎて、深いところまで話せないことが多いので、ブログで少しだけ紹介したいと思う。

いまでも覚えているのは、癌の部位を切り取った手術のあと、はじめて外出して、駅から実家の5分ぐらいの道を歩いていたときのこと。

丁度1年前のある夕方。まだ太陽はやさしく顔を出してて、でも少し湿った夕方の空気が辺りを覆っていた。普段は駅に向かって、あるいは実家に向かって、早足で歩くのだけど、未だ手術直後とあって早歩きができない。とぼとぼと手術跡の痛みを気にしながら歩いていた。身体や空気の重さと違って、心は頭上の太陽のように晴れていた。悪いものを切り取ってもらったことへの嬉しさというのか。普通は、腰が痛くとも肩が痛くとも、そこを切り取ったりはできないので、なんだか清々しい感じがしたのだった。

ふと、外科医だった父が町医者になって、人の身体をきったりぬったりできなくなって、代わりに蘭をきったり移植して喜んでいた後ろ姿を思い出した。父は鉢植えの植物でも、少し枯れたり病気になった葉っぱを丁寧にとるのが習慣になっていて、そうやって悪いところが出るときちんと取り除けば、植物は新たに再生してくるということを経験上も実感していたのかもしれない。

といっても、人の身体・・・指を切り落としてしまった後に新しい指ができるわけではない。その意味で、植物はすごいな。自分の力で悪い部位を枯らせることで身体から振り落として、新しい莟に全力を集中しようとするなんて。そう思いながら、なにげに、近所の庭に目をやった。高齢者の家が多いので、若い世代と同居している家とそうでいない家の庭の違いが激しい。

私の目が止まったのは草ぼーぼーの庭。

そもそも私はドイツで「edible garden+forest(食べれる庭・森)」を目指していて、以前の住民のイングリッシュガーデンがとにかくストレスだった。計算された美しい庭。でも食べられない…。なので5年をかけて少しずつ食べたり飲んだりできる、自然が勝手に循環する庭を目指してきた。そのプロセスで「花」はあまり重視してなくって、ぶんぶんとんでくるハチたちが喜んでくれればそれでいいかな、ぐらいだった。もちろん、きれいだなーと見とれないわけでもないし、花の咲くこの時期は庭中すばらしい香りが立ちこめていて、「落ち着くな」と思ったものの、なにか心の奥まで浸透しない感じがあった。どうせなら「花は花」でも、「食べられる花」をと思って、Edible Flowersをせっせと増やしてる。庭のバラもアジサイは剪定も大変だし、ああ面倒・・・という気持ちが先走る。

そんな「食べられない花」に関心のなかった私が、ふと駅からの帰り道、近所の庭の隅っこで静かに咲いている小さな花をみて、雷に打たれたように感動してしまった。

なぜかは今でも分からないのだけど、「なんてきれい」と思わずつぶやいていた。
そして次の瞬間、「生きててよかった」…という気持ちが全身を駆け巡って、へなへなとその場に座り込んでしまった。手術の前も、手術台にあがるときも、そのあとも、全然そんなことを想いもしなかったのに、手入れもされないままに地べたに咲く小さな花たちをみただけで、「まだ生きてる」ことの素晴らしさに大きな声で「ありがとう!」と言いたくて仕方がないほど、心が動かされた。

そして次に思ったことは、「でも命は永遠ではないのだね」ということだった。
花の命が短いように、私の命ももはや終わりを想定しないといけない年齢でもある。
「今回はセーフだったけど、いつまで生きられるのか分からない」
その瞬間に、泣けてしかたなかった。
「生きててよかった」と思った瞬間にやりたいと思ったことが次々に映写機でうつすように現れたから。
それが一つも出来ないままに人生が終ってしまう可能性を知ったから。

ほぼ50代とはいえ一応まだ40代。
まだこれから、と思ってた。
でも、違っているかもしれなかった。
もう残された時間はそんなに長くないのかもしれない。

その日以来、
私の中の何かが変わったように思う。

他者からみた私は私らしく自由に生きているように見えるかもしれない。
客観的事実だけを並べてみれば、それはそうだろう。
でも、私は物理的な部分はそうかもしれないけれど、時間の面ではまったく解放されていない現実がある。自分の1日を色々な理由で自分でコントロールできない状態がドイツに行ってからもずっとずっと続いている。また、私の中には未だ未だ解放できていないオドロオドロしいものが沢山あって、それをなんとかしなければならないと頭で分かっていてもどうすることもできないできた。

大学での事件によるPTSDが誘引したとはいえ、そういうものが一纏めになって私の心身に覆いかぶさって包み込まれている感じがずっとあって、その結果、思考にも霧のようなぼんやりとした膜がかかっている状態だった。そして、やらなくていいことに手を出してしまう癖もまたここから生じていることも知っていた。なにより、自分を愛することが大事と他者に伝えているくせに、自分はちっとも自分のことを受け入れられてないことも薄々わかっていた。でなければ3年も布団のなかで生活したりしない。その後遺症というか、未だ完全に完治していないこともあって、人前でしゃべるとか人と接触することもまた、大きなストレスで、このまま一体どうなるのか・・・と不安に思わないことも多々あった。(他の人からみたら「うそ!!」と思うらしいが、数人のグループとのスカイプ会話でも、あとで3時間ほど疲れて寝込んでしまう状態だった)

それが、その帰り道に花を見て、「生きててよかった」「でも後どれぐらい生きてられるか分からない」と思った瞬間、すっと自分の中から消えていくのを感じたのだった。

具体的に何が消えたのかよく分からないのだけれど(そして全部消えたわけではないのだろうが)、羽根が生えたように心が楽になって、もうこの先はあれやこれやの小さなことを気にするのではなく、「生きててよかった」を軸に残り少ないかもしれない人生を生きればいいのだと思ったときに、スキップしたいほどの喜びがお腹の底から突き上げてきた。

そう思った瞬間に、人が恋しくなったのも不思議な体験だった。
家に急いで戻って、家族に「ありがとう」と伝えたくなって、それ以降は出逢う人出逢う人に「ありがとう」という気持ちでいっぱいに満たされるようになった。一方、「ありがとう」を受け取れない人には、もう前みたいに努力しなきゃと思うことすらなくなってしまった。あるいは、相手がどう思ってるかに、あまり気を使えなくなった・・・というか、まったく気に出来なくなってしまった。

そして、前からしていたこと、あるいはコレからやろうと思っていたことで心が躍らないものは、もうきっぱりあきらめる整理がついた。また今度書こうと思うのだけれど、大学の先生に戻ることも(前から決めてたけど)、アフリカ研究もやめることにした。そして、その他のいくつかのこともやめることにした。

研究でも活動でも人生の大先輩である80歳を超えた吉田昌夫先生から、「あなた、あれもこれもヤメるって簡単にいうけど・・・」と何度もいわれたけれど、私にとって「ヤメる」というのが、新しい何かを生み出すためにはとっても大切なことなんだと、いつか理解してもらえる日がくるようにがんばりたいと思う。

つまり、その日以来、私は心のもちようとして、かなりワガママな人間になった。

もちろん、移行期をちゃんと設けるのだけど、もう私の中でははっきりと答えが出てしまったことについては、後戻りしないだろう。かといって、責任をすべて放棄するという話ではなくって、そこは時間と手間をかけていくしかない。でも、残りわずかかもしれない人生において、本当に大切なことを見極めて生きていこうと心に決めたのだった。

その大切なこと、は私にははっきりしている。
前からずっとはっきりしてたのだけど、それに溺れることを自分で許さなかった。

独りよがりかもしれないけど、もう何十年も他者のためにがむしゃらに生きてきた。この間の書評会のレジュメでその長いリストを紹介したのだけど、リストにすることすら、思い出すことすら逃げたいほどだった活動の数々が書けたことに、まずは安堵した。それほどの重圧を自分に与えながらやった活動の数々。その間にも研究も家族も仕事もあって、今となってはどうやって生き延びたのか皆目不可能。だから癌にもなるんだな、と自覚した。もちろん、他者もまた私を生かしてくれたのだった。でも、それも含めて、もういいんじゃないか・・・いつまでも命は永遠ではないのだから、そう思う地点に行き着いた。

私は最後に残った責任のいくつかをあと2年で片付けたら、自分で最後の仕事としてやるべきことに完全に溺れようと思っている。

気合の入った活動家の先輩たちからは怒られると思う。
その中には私より深刻な癌サバイバーの皆さんもいる。
でも、それももういい。
私は、私なりの次の段階にいくべき時がきたのだから。
そして、2年後まで時間がない可能性すらあるのだから。

不思議なことに、あの花に出逢った日以来、心の中が愛で満たされるようになった。
癌で切り取られた部位がなくなってせいせいしたのも事実なのだけど、その部位すら愛おしく思えてくる自分の不思議な感情が芽生えた。その勢いでか、自分の中の本当にキライだったところ(たぶん)も、「まあいっか。それも自分だから」、と許せるようになりつつある。

だから、いま、私はユルスこと、ワガママになるということを日々練習している。
一歩前進、二歩後退の日々。

でも、嫌な感じはない。
人に自分を委ねることも、頼ることも、前よりもずっと楽にできるようになった。
身内に思っていることをストレートに伝えるのが苦手だったのに、それをしようと頑張る自分を見つけた時は我ながら驚きだった。

多くの人は私の論文やブログや公的な場での発言を聞いて、私がストレートな物言いをする怖い人だとイメージしていると思う。英語の論文を読む人は10人中10人までが私を男性と思ってた・・・という。仕事として書くこと話すことのストレートさ、強さは実際そうなんだろうけど、プライベートは真逆だった。身内の人に自分の想いを伝えることを幼少期からできないで育って(虐待のせいもあり)、いろいろな身近な人間関係に失敗し続けてきた人生だった。まあ婚約破棄も離婚もしてるしね。

もう一つ不思議なことに、「他者のために」と思って色々背負ってやっていたときとは異なり、いまの方が責任をいい感じで果たせるようになってきつつあるようにも思う。むしろ、自然や動植物や他者と繋がって、この世界をましなところにできないかな・・・って自然に思えるようになった。もちろん、相変わらず拳はふりあげているように見えるだろうし、実際そうなのだろうけど、心の底には愛(そして深い悲しみと哀れみ)があって、自分のいつまであるか分からない命の限り、この感じを忘れないでいようと思っている。

そう書くと宗教とかキリスト教っぽく思われるかもしれないけれど、私は無宗教。

日々を自然の中の多種多様な命とともに生きる中で、生き物にすぎないニンゲンの傲慢さと可能性の両方に、愛と悲しみと哀れみを感じるようになった。自分を含めたニンゲンの仕業への怒りがないかというと、そうではないのだけれど、自分の命が終る瞬間をイメージしたときに、そこから見える世界はまた違ってしまった。

愛を持って、行動に怒り、最後は悲しみ、哀れんでいるという感じだろうか。
私が死にいくときに、自分に対してもつ感情がそれかもしれないと、最近は思っている。

幼少期から生き急いできた。
後悔しないように全力で生きてきたのだけど、もはや後悔してもいいとさえ思ってる。
急いで生きるよりも、ゆっくり生きたいと。

ドイツの父や母や愛猫の死を経験して、さらに癌となって、死というものが身近になって、生というものの儚さを実感するようになった。遠くないかもしれない未来に、この世を去る自分として、残りの人生をどうのように生きたいのか。

癌はそんなことを気づかせてくれたのだった。
癌なしでも気づけたかもしれないけれど、私のように頑固な人には無理だったかもしれない。
だから、私は今日も癌に感謝している。


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息子が撮ってくれたドイツの庭のケールの花。
このケールは1年以上も生き延びて、冬の間も苦みばしった葉をお味噌汁に提供してくれている。
春夏にはナメクジが攻撃。途中何度も倒れた。
莟になったときに大量のアブラムシがやってきてびっしりだった。
でも放置してたらテントウ虫がきて、いつの間にかアブラムシがいなくなって、こうやって花を咲かせてくれるようになった。
タネになったら、ただ土にバンバンとバラまく予定。

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今まで食べられない、飲めないお花にまったく興味がなかったのに今年はじめて「ただ見るためだけ」に寄せ植えをした。我ながらビックリしてる。

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出発前日、石南花を飛び交うハチたちを、何分も何分も眺めてた。

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でもやっぱり野草やお野菜の花が一番好きな自分。
花のための花ではなくて、花が全体の一部であることを感じられるときに、なんだかその美しさに改めて感謝できる気がする。
単なるニンゲンのエゴだけど。










by africa_class | 2019-06-02 19:22 | 【徒然】ドイツでの暮らし