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ナチスによるホロコーストの歴史を熱心に外国人に教えるドイツ国・社会の「新しい価値」について。

去年7月から難民や移民、外国人配偶者などと共に、地域の市民学校で、ドイツ語のコース(社会包摂コースの一貫。ただ誰でも受講が可能)を受けてきた。クラスメートは、シリア、イラク、アフガニスタン、イラン、パレスチナ、トルコ、モロッコ、ソマリア、ガーナ、フィリピン、中国、ポーランド、ルーマニア、ロシア、エストニア、カザフスタンなど、私を入れて17カ国25人。

毎朝8:20から12:20まで4時間、月曜日から金曜日まで、ドイツ語を叩き込まれ(たはずが、脳がまったく受け付けず、消えていった・・・)たが、昨日最終試験があり、ドイツ語は終った(と思いたい。試験に落ちていれば再度チャレンジ・・・・)。

去年6月に手術をしたばかりで、かつ民衆会議もあり、あまりに怒濤の日々で、免疫が落ちている中、次々にクラスメートの子どもたちが学校でもらってくる風邪を親からうつされ、とにかく学校に行っては病気になるの繰り返し・・・。正直いって、本当に辛かった。

でも、すごく面白い経験だった。大学で語学を11年も教えていた自分が、毎朝教わる側に座るのは新鮮で、学びが沢山あった。何よりも、自分より格段に若いクラスメートたちに支えられ、休んだ日のノートや宿題などを携帯で送ってもらい、昨日の試験でも全員で励まし合いながら望んだのが、この年齢で学校に行ったことのご褒美だったな、と。世界各地の色々な年齢の性別のクラスメート。それぞれ、色々な経緯を経て、辛い想いもありながら、教室に集った。なにせ初級から中級までの8ヶ月近くを、「異国の地」で毎日一緒にすごしたので、もうすぐお別れだと思うと寂しいものがある。いつか、難民・移民らと過ごしたこれらの教室の様子を皆に紹介できればと思う。

人間、国籍じゃない。
確かに、文化的背景・影響は強くある。
しかし、やっぱり「人を人として見ることの大切さ」・・・を改めて実感した8ヶ月だった。
しかも、3人の先生は全員ドイツ人というわけではなく、1人はロシア人だった。そして、地域の外国人担当者は外国人。彼女らがいっていたのは、ドイツ語がきちんとできれば、ドイツでは外国人にも同等の機会が拓かれているという点。

2016年に百万人レベルの「難民」(自称を含む)が押し寄せたドイツ。
普通に考えてとんでもないレベルの社会プレッシャーだが、3年経過して、勿論政治的課題は出てきているが、それでもドイツ社会はよく持ちこたえていると思った。その土台に、わたしが去年から参加してきた「社会包摂コース&オリエンテーションコース」のシステムの御蔭だと思う。2005年ぐらいから整備してきたというので、もう13年のベースがある。子どもには学校システムを使った特別のサポートがある。

日本はこのような制度が皆無のままに、現政権下で世界第四位の外国人流入国になった。ドイツ、米国、英国に次いでで50万人近く、知ってた?さらにこの政権は大幅に外国人「労働者」を増やそうしている。これが「労働者」に限らず、移民国への転換点だということは、世界中の先進国や歴史が証明しているが、まったく無策。

私はかつて移民研究、また世界の戦争と平和を研究してきた経験から、大量の外国人・難民の流入を政策として促進するのは反対の立場。だけれど、すでに外国人の子どもたちが地域で生まれ、成長する。労働者として日本社会で役割を果たしてくれた人々の人権が守られないばかりか、それらの人々が日本社会を知る機会をもらえず、交わらずに、パラレル(並行して)に暮らし、苦しむ、あるいは問題を起していることを考えれば、抜本的な制度設計が不可欠なことは間違いない。

なので、私の経験が、少しでも参考になればと思う。

ドイツ語のコースは、社会包摂コースの一貫だったので、教科書が純粋にドイツ語だけをターゲットにしているわけではなく、外国人には気づきにくいドイツ社会のありようをベースにした会話や話が絶妙な形で織り込まれているのが、本当に面白かった。日本で外国語のスキットを準備すると、日本的なやり取りの中に落とし込まれる傾向があるので、違いが如実に感じられた。私がポルトガル語を学習したとき、日本語の教材がまったくない時代だったので、アメリカのジョージタウン大学の教科書を使っていた。なので、英語経由でポルトガル語を学び、英語の単語が分からなければポルトガル語も分からない・・・という二重ぐらいの苦労をしたことを覚えている。その後、外国語学習は、日本語を経由せずに、外国語を使って最初から外国語で学ぶ方向にシフトする先生が多かったが、1年生にはそれは遠回りだな・・・と今でも思っている。世界中の難民と学ぶ場合は仕方ないにせよ。

さて、本題。
ドイツ語コースが終わり、今度は3週間のオリエンテーションコースに突入。教科書の構成からして面白い。

1. 民主主義の中の政治
(1) ドイツにおける政治と民主主義
(2) 国家のシンボル
(3) 国家の構成(州などの紹介)
(4) 政党と連邦選挙
(5) 政党と州選挙
(6) リベラル民主主義的秩序(憲法、法治国家の基礎)
(7) 政治的影響(国家秩序における民主主義の基本原則、コミュニティレベルにおける政治的参加の手法、ボランティア活動への関与)
(8) ドイツにおける法治主義、市民の権利、市民の義務(基本的人権、裁判制度、犯罪)
(9) ドイツにおける行政ストラクチャー(連邦、州、コミューン)
(10) ドイツにおける社会的市場経済(司法、国家による福祉の義務、社会福祉システムと財源、民間のサービスの必要性、職業局[ハローワーク])

2. 歴史
(1) 歴史と責任(ドイツの歴史への紹介)
(2) 国家社会主義(ナチスドイツ)と第二次世界大戦
(3) 戦後のドイツ
(4) 分断から再統合まで
(5) ドイツへの移民の歴史
(6) EU(ヨーロッパ連合)

3. 人々と社会
(1) ドイツのすべて(地域、宗教的多様性の紹介、教育と学び、文化間の勾留)
(2) 各地域の多様性(ドイツ語の方言)
(3) ドイツにおける人々(暮らし、家族構成、家族の機能、女性の解放、世代間関係)
(4) 国民の課題としての学び(政治学習、学校システム、教育の価値、生涯学習)
(5) 宗教上の多様性
(6) 典型的なドイツ人(知的な競争力、文化間の潜在的な紛争)
(7)文化的なオリエンテーション


もう一度確認したいが、これは「外国人向け」の教科書の構成。
当然ながら、ドイツの子どもたちはこれと同様、そしてより深い内容のことを学校で必ず学ぶ。多くの点で注目したいことが沢山あるのだけれど、日本だったら地理とか文化とか縄文時代・弥生とか・・・・没政治的な解説に終始するのだけど、「民主主義のシステムと価値」を最初に教えている点。その中での、国家の義務と市民の権利・義務が明確に示されている点。社会福祉システムと税の関係も教えられている。

その上で、歴史が「責任」という形で紹介されている。
そして、学ぶべき歴史の最初が、ナチスドイツ時代の功罪というのが、何よりも注目すべき点。それをわざわざ外国人に教えている。

ページ数もハンパない数が割かれており、どのような手法でナチスドイツが権力を奪取したのか、そのプロセスで民主選挙がどのように使われたのか、野党やメディアがどのようにコントロールされ(逮捕、収容所送り、虐殺)、本がどのように燃やされ、ユダヤ人が虐殺対象になるプロセス、ホロコーストの実態、周辺国への侵略に使われたイデオロギー、その結果民衆はどのようなふたんを強いられたのか、若者が学校を通じてどのようにナチスに取り込まれたのか、その一方でどのような抵抗があったのか(軍人高官のヒトラー暗殺未遂、ミュンヘン大学の学生グループ「白バラ」のゾフィー・ショルの紹介)・・・。

先生は、最新の新聞記事から、今でも歴史を掘り起こそうとする動きが熱心に続けられていること、新しい事実を紹介してくれた。その上で、ドイツの街に必ずある「歴史を忘れないモニュメント」を散策するために、街に出た。ユダヤ人のためのシナゴーグがあった場所、シナゴーグがナチスの支援者によって焼かれたこと、野党関係者が次々に逮捕・監禁された場所、誰が強制収容所に送られて死んだか、襲撃されたユダヤ人の店、収容所に送られたユダヤ人が住んでいた建物の前に埋め込まれた石(名前と送られた収容所名、その後{見た人は全員死])、主筆が強制収容所に送られ死んだローカル新聞の本社、「ヒトラー広場」と名づけられ若者たちが娯楽に使った広場跡、ユダヤ人のお墓、ヨーロッパ中から強制労働のため連れてこられた人達のお墓・・・など。

今日はじめて参加したイラク人はナチスドイツの歴史を学ぶ前にあった「歴史と責任」の授業を受けてないこともあり、不思議そうに全部を回って、先生に聞いた。

「ドイツ人はヒトラーを今嫌って否定しているのに、どうして彼のことやナチスを学び、『忘れない』ことを重視してるのか?忘れた方がよいのではないか?」

先生は本当に驚いた顔をして、「二度と同じことが起らないために、繰り返し、繰り返し、どのように過ちが生じたのかを教え、学び続ける必要がある。しかも、未だすべては明らかになっていない。もっとヒドいことが行われていたことが次々に分かっている。これらを掘り起こし、二度と起きないようにするのは、我々の責務であり、国家の責務」と説明した。

そして教室に戻ると、ホロコーストのページの下にドイツ連邦憲法が貼ってあり、先生はそれを皆で読み上げるように言った。

******
ドイツ連邦憲法第3条
1 すべての人は法の前に平等である。
2 男女は、平等の権利を有する。国会は、男女の平等が実際に実現するように促進し、現在ある不平等の除去に向けて努力する。
3 何人も、その性別、門地、人種、言語、出身血および血統、信仰または宗教的もしくは政治的意見のために、差別され、または優遇されてはならない。何人も、障害を理由として差別されてはならない。
*******

まさに、過去の負の遺産を学ぶことは、現在の皆の権利を守るために不可欠な、on-going(継続的な)営みの土台と延長上にあるのだということが、教科書においても、先生の意識の中でも、はっきり示されていたのだった。

そして、先生は「憲法雑誌」を片手に、基本的人権の重要性、とくに「自由権」の重要性を紹介した。その上で、雑誌に書いてあるように、これは「闘って手にし続けるもの(闘い取られなければならないもの)」として紹介した。

もう少し深く紹介したかったけど、時間切れ。
続きはまた書きます。



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大学生たちのナチス抵抗運動の紹介。ゾフィーとハンス・ショル姉弟の写真。歴史の本から先生が持って来てくれた。独裁や戦争から逃れてきた難民や移民の皆さんは熱心に聞いている。
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どのようにヒトラーやナチスが権力を握ったのかのプロセスを選挙結果を示しながら説明。プロパガンダが多用され、野党が禁止されたり弾圧されたとはいえ、有権者が選んでこのような野蛮かつ独裁の政府が出来てしまったことを、批判的に検証。だから、歴史を繰り返さないための歴史教育が必要と。
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焼き討ちにあったシナゴーグの跡地で、先生の説明を聞くクラスメートたち。いまは学校の敷地になっている。
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この道の前の建物にかつて暮らし、強制収容所に連れて行かれ殺されたユダヤ人ひとりひとりの名前が刻まれた黄金の石。ドイツ中の街の道にこのような石が埋め込まれている。5分歩いて20名ほどの石に出あった。

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憲法


by africa_class | 2019-03-23 18:50 | 【徒然】ドイツでの暮らし

長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄

たまたま目にしたこの言葉に、しばし立ち止まった。

「きっぱりと、心の底から発した「ノー」という言葉は、単に相手に合わせて、ましてや面倒を避けるためについ言ってしまった「イエス」に比べたら、はるかに価値のある言葉である。(『ガンディー 魂の言葉』)」


今の日本に、不可欠な言葉だと思ったから。
「相手に合わせる」
「空気に合わせる」
そうした方が、日本という国だけでなく、多くの国・社会で、格段に生き易い。

「はい」
とまで言わなくとも、何も
「いいえ」
なんて言わなければ、損することは少ない。

なのにあえて「No」という。
そして、ガンディーは「Yesよりはるかに価値のある言葉である」という。

これは、日本の多くの自分を「フツーの人」と思っている人にとって、理解不能な考え方かもしれない。むしろ、多くの人は辛くても、嫌でも、「YESといっている自分を褒めてほしい」と思うかもしれない。どんなに賛成できなくても、仕事だから仕方ない。どんなに嫌でも、嫌いな上司につき合って飲み会行ってる。笑顔で話してる。私ってエライでしょ?・・・そんな具合に。

そう。貴方はエライ。
その我慢もエライ。
それは褒められなければならない。

でも、それは社会全体を総体として見た時に、本当にそれでよいのだろうか?
あるいは、一度しかない人生を「自分」としてどう生きるのか?という問いを目の前においたときに?

それでも、やっぱりこれでいい。
そう答えるかもしれない。

でも、そうやって、日本社会は、あっという間に、坂道を転げ落ちるように、戦後、いや戦時中から、戦前からも、時に沢山の時に極僅かの人たちが命をはって獲得してきた大切な土台を、失ってしまった。

もはや、「失いつつある」とすらいえないほどに。

それは、日本の人びとが、あらゆる場面で、
それが、職場であれ、家族の中であれ、社会の中であれ、選挙であれ、
「おかしい」と思った時に、それを問わないまま、放置したこと、
「そりゃないだろ」と思った時に、誰かが声をあげてなんとかしてくれるだろう、と放置したこと、
積極的なYesでもNoでもなく、「そのままにしたこと」が、
この結果を生んだのだ。

「そのままにする」って、簡単だ。
「自分は責任を問われない」・・・はずだから。
しかし、本当にそうか?

ナチスドイツにおけるホロコーストも、圧倒的多数者はその論理で知らぬふりであった。隣人がガス室に送られるのを、「きっと安全なところに輸送されたのだ」「私のせいじゃない。私だって苦しんでいるんだ」「ユダヤ人に生まれたのが運の尽きなだけだ」等として、問うことなく、日々の生活を営み続けた。

そんな人びとの束が「社会」であった。
国家と同調する社会。
虐殺マシーンと化した国家を支える人びとの束、社会。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
そういうことなんだ。

日本でもこのようなプロセスに対する深い理解と社会の一員としての痛恨、未来に向けた誓いというものが、それなりにあった70年だった。それが土台にあって、世界に尊敬される日本のメリットを享受してきたのだ。アニメのお陰なんかじゃない。

しかし、そのような土台も蓄積も、あっという間に消えていきつつある。
これは、一体いつどこからどうして始まったのか?

きっと、私たちは、「土台」故に、空気のようなものとして受け止め、それを育み続けることを、怠ってきたということもあるだろう。と同時に、「グリード(貪欲さ)」に塗れた一部の人びとの欲望が、もはや止められないところまできているというのに、そのことに私たちはあまりに無自覚で、あまりにナイーブすぎた。そんなところまでは、ならないだろう。誰かがなんとかしてくれるだろう・・・と思っているうちに、外堀は埋まっていたのだ。

80年前と同様。
日本でも、ドイツでも、他の国々でも起きたように。

そして、今、「嫌だ!」「駄目だ!」という声を上げること自体が、あり得ないほど大変な時代が、再び到来している。70年間の歩みは、あっという間に歴史の針を逆走させ、かつての「あの不安」が、社会に蔓延している。

多くの人が、あの時は仕方なかったという。
しかし、その状況を生み出したのも自分たちだった。
そして、Noという声を上げる人たちを、時に差し出し、時に黙殺したのもまた、仕方なかったのだ、と。
一つの「No」を黙殺し、自分の中の小さな「No」をあきらめていく中で、社会はすべてが「Yes」一色とならなくてはならなくなってしまった。そこに、小さな如何なる「No」もあってはならなくなった時に、起きることははっきりしている。「No」となりうる人びとを殲滅しようとする論理と行動の正当化、そしてその実施である。

あるグループの被害は、しかしいずれ大多数の被害に拡大していく。
そのときもまた、多くの人が、「気づいてみたらもう遅かった」となり、その被害をただ「仕方ないもの」として引き受けていくのであった。

ロシアンルーレットのように、
自分の番にならなければ、
自分の損にならなければ、
考えすぎなければ、
自分のことだけに集中していれば、
なんとかなるだろう、
とも思っている。

あるいは、
「和」という日本の美徳を脅かすものは、けしからん、となるかもしれない。

では、
その「和」とは何か?と問われても、多くの人は答えられない。
それを強調する者ですら。
「和」の裏には、「強者の秩序論理」があって、歴史において少数者が抑圧に活用されてきたことなど、知ってはいけないから。当の強者ですら、意識しないままに、これを利用していることすら多い日本だから。

歴史の学徒として、150年ほどの世界と日本、アフリカの動態を眺めてきた者として、今「戦後」の最もクリティカルなモーメントに生きている、と感じる。前に前に進んできたかの人類が、今再び台頭してきた「グリード」の推進力に魂を持っていかれた一部の人たちによって、「逆コース」に向かおうとしている。これを支えるのが、おこぼれをもらう少数の取り巻き達、Noを言わない事で現状維持が可能と考える「賢い者たち」、薄々気づいているが自分には被害が及ばないだろうと考える圧倒的多数の「静かな人たち」によって、この動きはますます推進力をもって、進んでいっている。

そこで、「No」をいうことは、あまりに危険で、あまりに影響が大きい。
それを取り締まるだけの法的手段、前例まで、ここ数年に蓄積されてしまってもいる。
歴史は、「過ちの教訓」を与えるだけでなく、「どうやったら上手くいくかの教科書」すら提供するものだから。つまり、戦前のやり方を学んだ人たちが、大いに21世紀的にそれを活用しているというのに、人びとの側には、それを乗り越える歴史の参照事例をもたないのだ。

何故なら、日本は戦争に負けるという事によってしか、自らを解放できなかったから。
ドイツも同様であった。

だから、ドイツでは、歴史を学びながら、未来に同じことが起こる可能性を前提として、市民らが何をすべきなのか、法はどうあるべきなのか、国家と社会の関係はどうあるべきなのか、問い続けてきたのだ。

しかし、日本は、解放をただ有り難がり、もう二度としませんという誓いによって、これは守り続けられると思っていた。社会として、歴史に参照事例を持たない私たちは、せめて国家の論理によって消されてきた人たちの試みをもっと知ろうとすべきであった。そこで得られたはずの沢山の教訓と希望は、ごく一部の研究者やグループの読み物の中に書き記されているとはいえ、社会のものにはなってこなかった。NHKの朝ドラや、日曜日の大河ドラマで、これらの人たちが取り上げられたことなど、なかったのだ。

皮肉にも、日本の現在の憲法のオリジンが、日本の皇后によって言及されない限り、知られていないことの現実にこれは表れているし、彼女がこのモーメントに、あえてギリギリの手前のところでこの談話を披露したことの意味に、自分たち市民・市民社会の不甲斐なさに、頭を垂れるより仕方がない想いである。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.html
「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」


不思議なもので、彼女はまったくぶれていないのだろうが、世間がぶれてしまっていつの間にか彼女が最先端を歩かざるを得なくなっている。

放射能汚染物質は、ますます海を大地を汚し続けているというのに、そしてそれはどうやって収束するのか皆目誰にも検討がついていないというのに、それを問題とする人がおかしいという空気が日本では生まれている。

おかしなことをおかしい・・・といえない空気。
おかしなことをしている人たちこそが、開き直ってエライかのように振る舞っている空気。
嘘をついても、それを言い逃れさえすれば良い。
嘘も繰り返しいえば、そのうち皆あきらめるか、そんなもんかと思い始める。
かくして、今日も、大人達は平気で嘘をつき、自分で作ったルールを破り、それでも自分たちは正しいのだと主張する。

そんな空気は、いつの間にか子どもたちにも吸い込まれていて、親も教師も子どもたちを制御することすらままならなくなっている。

でも、これは私たちが生み出した社会、子どもたちなのだ。
私たちは、皆もはや何が「正しく」て、何が「間違っているか」が分からない世界に生きている。
なんでも「あり」なんだ。
自分さえよければ、自分がまず重要。
その肥大化した自分が、社会の中でぶつかり合い、そしていつの間にかもっと大きく肥大化した「自分」のために生きる人たちに利用されている。そのことによって、実のところ「自分」は大切にできない社会が生まれているというのに、気づかない。

気づかない、というのは幸せなことだった。
社会がそれなりに回っているときには。
今は、気づかざるを得ない場面が、ますます増えていっている。
しかし、その「気づく」は、それを本来解決するための未来の方向ではなく、それをより極めさせるようなネガティブな守りの方向に、向かっていくようになるだろう。

不安というものの作用とはそういうものだから。
不安とともに生きるのは辛い。
明日ははっきり見えている方がよい。
そして、嘘でも未来は明るいといってほしいものだ。
信じることで救われたい。
Yesということで、相手にも受け入れてほしい。
Noだなんて、もってのほかだ。

不安とは、パワフルなものだ。
そして、底なしである。
それを打ち消そうと人びとがすることの多くが、大抵真逆の効果をもっていたりする。
特に、それが集団心理になった時、不安を解消しようとする行為の多くが、「他者」とこれらの人びとが名付けた個人・集団への暴力を伴うことは、歴史が示して来た通りであった。そして、それを知ってて活用する一部の「グリード」があったことも。

今の日本は、おそらく、その一歩手前にいるのだと思う。

だから、戦後の日本で、今ほど「No」ということに、価値があるモーメントはない、と言い切ることができると思う。それは、道ばたのノーかもしれないけれど、自分の日々過ごす場でのノーかもしれないし、会話の中のノーかもしれない。テレビを消してしまうノーかもしれないし、買い物のときのノーなのかもしれない。

そして、私たちは、その「ノーたち」を、他者に語り始めていくしかないのかもしれない。「やっぱりこれはおかしいよね」「やっぱりこれは受けいられないよね」、そんな言葉を、つぶやいていく。

でも、本当に重要なのは、その「ノーをいえる自分」であって、そこには一つ重要な点がある。
「ノー」といえる自分は、自分をまずは抱きしめてあげなければならない、ということ。

自分が自分として立つ・。
そのためには、自分を受け入れてあげなければならない。
ヒトがどうであれ、自分を愛してあげなければならない。
そのままの自分を。
ヒトと比べての自分ではなく、
なりたかった自分でもなく、
今のどうしようもない自分を。
間違いだらけで、足りないところだらけの自分を。
自分自身にすら隠してしまっている自分を。
どこからか引っ張り出して、抱きしめてあげなきゃいけない。

もう何年もベットの下に落ちっぱなしになって忘れていたウサギの人形のように、
しっかりただ抱きしめてあげなきゃいけない。

そこからしか始まらない。
自分が愛せない私だからこそ、ヒトの愛に依存するのではなく、ヒトの何かを奪うことで不安を満たそうとするのではなく、自分をまずは受け入れることによってこれらの誘惑を乗り越えなければならない。

かつて私がそうじゃなかったなんて、いわない。
自分がそうであったからこそ、書いている。
そのことに気づくのに、とてもとても長い時間が必要だった。
辛い想いも沢山必要だった。
ウサギの人形はいつもそこにあったのに、気づいてあげられなかった。
でも、気づいてしまったら、そしてそれを抱きしめたのなら、もう大丈夫。

その時初めて、自分以外の他者の痛みに、本当の意味で共感できるのだと思う。
ヒトの痛みを自分の痛みと感じ、ヒトの喜びを自分の喜びと感じた時に、得られる世界の豊かさに、圧倒される想いである。

そして、自分が自分の足で立った時に、次に問われてくるのは、その足が一体どこに着地しているのか?ということ。自分の足は一体誰の側に立っているものなのか、ということ。

社会は多様な人から成り立ち、多様な立場と多様な見方がある。
そして、おそらくそのどれもが正しいのだと思う。
しかし、時に、求められているのは、どこに、誰の側に、何故、立つのか?ということに関する決断であり、それについてはやはり試行錯誤が必要なのだと思う。

私は、「負ける側」に立とうと決めて生きてきた。
そして、それを損だなんて、思ったことは一度もなかた。今もそう思ってない。
ただ、それは難しいことであって、とても沢山の努力がいることなのだ、と今痛感している。

「負ける側」から見えてくる世界は凄まじく豊かで深い。
そしてそこからは「勝つ側」もよく見えるし、世界の構造もよく見える。
他方、「勝つ側」にいては、その一部が押し付けてくるものの見方しか見えない。
だから、「負ける側」に軸足を置くことは、すごく豊かな思考のプロセスを提供してくれることなのだ。
アフリカの歴史を学ぶことがそうであったように。

今、沖縄で起きていることは、私にそのことの意味を訴えかけてくる。

「なんでもありの価値観の時代」に生きる私たち世代は、一見すべての価値がフラットにみえるこの世界の欺瞞を、「負ける側」に身を寄せることで知り、ある価値のために闘う人たちから学ぶべきところを学ぶことすらできないで、彼らを「ごく一部の他者」扱いにするのだとしたら、彼らが最前線で闘っている社会の価値の意味を、私たち自身が踏みつけ続け、自分たちの未来を実際のところ閉ざしているということに、今気づかないとしたら、もう本当に手遅れなんだろう、と思う。

今日も地球の片隅で、愛するが故に価値あるノーをつぶやく。
そして、つぶやきながら、大地に感謝して、命の糧を頂く。
その往復運動が、人類の歴史の歩みの中で、いかに世界各地でやられてきことなのだと、いつかもっと具体的な形で皆に知ってもらえる方法はないか、と考える夜である。

息子達がサッカーの試合で遅い夜に〜。
あ、、、帰って来た・・。
by africa_class | 2015-06-10 04:35 | 【311】未来のために

【弔い】義父故クラーセン・アレキサンダー(98歳)の20世紀と、21世紀日本の私たち

今朝、ドイツの義父クラーセン・アレキサンダーが亡くなった。98歳だった。
 アレックスは、第一次世界大戦の最中1916年6月24日にドイツのアーヘン市の近くの村で生まれた。3人男兄弟の末っ子だった。「小人」と呼ばれた少年は、早くからその知性を認められるものの、彼が育った時代は、第一次大戦後の激しい不況とインフレのドイツ。よい教育を受け、よい就職をすることなど叶わなかった。
 それでもアレックスは、勉学に励み、ドイツ語の他に、フランス語、ギリシャ語、ラテン語をマスターし、ピアノを嗜む青年に育っていた。しかし、高校を卒業しようともアレックスに職業の選択しはなかった。当時ドイツには未来がなく、国境の向こう側のオランダの散髪屋に奉公に出されたのであった。だからオランダ語も出来る。
 アレックスは、几帳面な性格が買われて散髪屋でせっせと働いたが、散髪屋の下っ端として、また外国人として食べていくのもまた大変な時代であった。ドイツに戻ったアレックスは、「食べていくため」に、職業軍人の道を目指す。字が綺麗で、数学が得意な彼は、すぐに物流の担当を任された。最初の結婚もして、娘が一人誕生した。そんな最中、ドイツではナチスが台頭し、軍もナチスの支配下に入っていった。
 アレックスは、ナチスを「野蛮で何もわかってない奴ら」だと思ったという。しかし、軍の組織で上の命令は絶対である・・・と当時は考えていた。ドイツはどんどん戦争に傾斜していき、ついにアレックスたちはソ連まで遠征に出されることになった。帰ってこられないだろう…そう思って一度戻った故郷では、最初の妻が結核で亡くなり、娘は自分の母に預けられていた。そして、ソ連に向かった彼らを待ち受けていたのは、無謀な戦いと、極寒の収容所での捕虜生活であった。
 アレックスは故郷に戻るまでの8年間、ソ連の収容所で過ごしたという。そこでは多くの仲間たちが、寒さと、飢えと、病気で次々と亡くなっていった。アレックスが生残った理由。それは、彼が早食いだったからだ、と本人はいう。その後の長い年月を、彼は相も変わらず「早食いアレックス」として生きつづけた。特に、スープを食べる速さは尋常ではなく、食べているそばから片足は次のお代わりのために外に飛び出しているほどだった。そして、彼がオランダで褒められたその床屋術によって、ソ連兵の司令官に気に入られたことも彼が生き延びた理由だったという。「僕は、スープの早食いと、ハサミ術によって、生き延びたのだ」と、何度聞いたセリフだったろう。
 帰国したアレックスは、既に思春期を迎えていた娘との同居は断念し、村の若い女性と結婚する。それがマリアだった。マリアの家は農家で、アレックス曰く、「食べ物が豊富にあったから」だという。それぐらい、戦後のドイツも日本と同様に飢えがひどかった。戦時中を思い返して二人は言う。「ナチスなんて奴らにこの国を渡したのが間違いの下だった。あの可哀想な人たちを、私たちは助けることはできなかった」と。
 以上、私の拙いドイツ語で聴いたアレックスの話だった。
 アレックスは戦争そのものの話はしないまま永眠した。テレビで戦争のシーンが出てくると決まって静かに部屋を出て行った。私が机の上に戦争関連の資料を広げていると、そっと目を逸らしながらいったものだった。「君は本当に勉強熱心だ。頑張れ。応援してるよ。」と。
 13年前、初めて出会ったアレックスは、当時85歳。当時巨大な妊婦だった私のために、せっせと料理をつくり、後片付けをし、「7つ星ホテル!」と言われるのを喜んでくれた。「軍で覚えたんだ... けれど、こういう風に役立って嬉しい」そういって、孫の誕生を心待ちにしてくれた。
 息子が生まれた時、ファーストネームはなかなか決まらなかったものの、ミドルネームは生まれる前から決まっていた。勿論、アレキサンダーだった。義父は密かにこれを喜び、初めて出会う孫を、「プティ・アレックス」などと呼んでいた。
 毎年何度のクリスマスを一緒に過ごせるだろう・・・そう思いながら過ごしたクリスマス。13回目のクリスマスが後1か月の所まできていたというのに。つい1か月前、一緒に買い物をし、御皿洗いをし、ゴミ捨てをしてくれてたアレックスだったのに。窓から一生懸命手を振ってくれたあの姿が最期だったのだとは。
 「生まれ変わったら必ず結婚を申し込む」といってくれたアレックスは、本当にそうしてくれるのだろうか?

 私が何人かとか、ドイツ語が下手だとか、そんなことに全く構わない人だった。人を人として、家族を家族として、一生懸命受け入れ、愛してくれた。頑固で偏屈で、余所の人が来たら子どもでも、部屋に逃げ隠れる人だったけれど、私と私の母のことは、昔からの家族のように気を許してくれていた。
 13年だけの、毎年数度の出会いだったけれど、私にとって、クラーセン・アレキサンダーは本当のお父さんだった。だから、息子のこともあるけれど、私はこの「クラーセン」という名前を手放せないのだ。彼らが本当の両親だと、心の底から思っているから。そして、彼らもそれについて一点の曇りもないやり方で接してくれたから。そんな父を失ってしまった今日という日を、私は一生忘れない。
 訃報を聞いてから、ずっと灯している大きなロウソク、彼の大好きだった白ワイン(息子によると赤じゃダメだという)をお供えし、彼が大好きだったのにお金がなくて買えなかったピアノをひたすら弾いて、そして誰も書いたことのない彼の人生の一端を皆に知ってもらいながら、私なりの弔いとしたいと思う。そして、彼が、ここ2年突然はまった日本食の数々を作ってはお供えしたいと思う。

 私のドイツ語の未熟さ故に突っ込んだ話が出来なかったのが、今でも悔やまれるものの、彼が人生を通して、そしてあのような20世紀を一通り体験してきて、一番私たちに伝えたいと考えていたこと。それは、権力を信じるな・・・ということだった。ナショナリズムも、ファシズムも、結局は人びとを幸せになんかしなかった。むしろ、犠牲にしただけだった。耳障りのよい為政者の言葉のどれだって、本当に実現したことがなかったばかりか、それによって多くの人たちを犠牲に駆り立てた。時に、自らの主体性を伴って。時に、何もしないという無作為の作為によって。ホロコーストは起こったのだった。彼は戦後、すべてのものを疑って生き続けた。権威を疑い、ただ祝うことすら拒否したほどであった。それらはすべて空しい、と。

 彼の訃報を耳にしてから、私の中では、ある種の確信のようなものが芽生えている。それは、20世紀を繰り返しちゃいけないということ。人が犠牲になるシステムを当然だと思ってはいけない、という教訓を忘れないこと。人類が、そのような諦めではなく、もっと大きなビジョンに向かって歩かねばならない、でなければあの20世紀の犠牲は何だったのか、と。でも、あの20世紀を忘れて、今日本では犠牲を犠牲とも思わず、自分さえよければの傲慢が生まれつつある。

 そう思って連続ツイートしたのでした。クラーセン・アレキサンダーから学んだこと、それを私なりに「今」どう理解し、どう行動し、どう伝えるのか・・・を考えて。以下、再録しておきます。

先にこちらをお読みください。リツイートした上で以下が来るので。
→http://afriqclass.exblog.jp/16701475
 ロシアンルーレットのように「自分の番」にならなきゃいいや今のままの生活で…と思っている人に→この権利はく奪状態の国・社会において「私の番もあなたの番」も既に来てる。今顕著でないだけ。原発事故被害者の皆さんの苦悩を見れば明らか。「普通に生きる」ことすら簡単に奪われ、取り戻せない。
 
 23歳の時、私は世界で最も過酷な状況下にいる人びとの側から考えることを決め戦後直後のモザンビークに向かいました。以来、徹底して人びとを犠牲にする主体、構造や仕組みを研究してきました。そして20年近くを経て、この「豊かな日本」でそれが出現している実態を日々目の当たりにしています。
 
 皆さんがアフリカについて指摘する全ての「負」が、21世紀初頭の日本で発現しています:①汚職に塗れた政府(政治家・官僚)と利害関係者らの暗躍。②衆目の面前で進む子どもたちの被害(被ばく)。③立ち上がった市民への警察の不当逮捕等の暴力的弾圧。④それを報じないメディア…どうですか?
 
 「可哀想なアフリカの子たち」のためにボランティアに行きたい皆さんですが、日本の市民として皆さんは何をしていますか?「アフリカ紛争後の国づくりを応援」という皆さんですが、311後の日本で何をしていますか?大げさなことでなくていい。何か一つでもやってますか?そういうこと考えてる?
 
 考えることから、知ることから、語り合うことから始めよう。何も遅くない。このまま「自分の番にならない=他の人の番」でルーレットが進むことをただ祈りながら生きるなんて、セコイ考えは止めよう。どうせ自分の番は来てる。新しい社会を築いていかなきゃいけない。できるよ。あなた、が気づけば。
 
 私には、今の日本社会は「底の抜けた状態」に見える。大義もなければ、倫理もない。上に立つ強い人たちが率先して、利己主義に走り、ルールを腐らせ、言葉を嘘と言い逃れで汚し、人びとを助け合いと連帯の民主的な市民社会にではなく、利害衝突する群れの集まりに導こうと。日本や世界の戦前と似てる。
 
 この「上/権力」の作為に対し、民衆は悪状態の責任を「上」にぶつけるのではなく、「下」の者同士でぶつけ合う。隣のあの人みたいにならなければ良い…と。生保額が最低賃金より高ければ、賃金を上げろ!と発想せず。これこそ「上」の思う壺。さらに「外の敵」を登場させれば効果的に民衆統制容易。

 弔いのツイート。人生をナショナリズムとファシズムと戦争に翻弄された98歳の故クラーセン・アレキサンダーへの。彼が生きた20世紀の人を犠牲にするシステムが今日本で堂々復活してるのを目の当たりにして。ホロコーストはナチスが起こしたが、それを支えたのは何もしない「普通の市民」だった。

 お父さん、本当にありがとう。心の底から感謝しています。沢山の優しさと愛と忍耐を、ありがとう。お疲れ様。そして、ゆっくり休んでください。また会う日まで。
by africa_class | 2012-11-03 23:43 | 【考】民主主義、社会運動と民衆