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「たね」があってこそ〜こぼれ種で勝手に増える野菜のお話と危機。

年末年始だというのに、畑と森で忙しい。
6月の手術からクリスマスまで、ほぼ放置してしまったので、雨の隙間を狙って春に向けての作業を少しずつ開始した。冬が始まる前に、畑をカバーするはずの苅り草が、すべて森の中のコンポストコーナーに投入されてしまっていたので、泣く泣く一面の枯れ葉を畑に寄せて、数ヶ月。

なかなか畑に行く気分にもなれず、すごく後ろめたい気持ちでいたのですが、病気のこともあるからなるべく色々考えないようにしようと、家と学校の行き来の毎日でした。でも休みに入って、いくぶん天気も良かったので思い切って畑に出てみたら、ルッコラの可憐な花が待ってくれていました。

ルッコラの花、みたことあります?
愛しすぎて、どアップになりました。
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このルッコラにはお母さんがいました。
下の場所に元々いたお母さんルッコラ。

これはお母さんが散らばせた種から成長した第二世代の株。
春にトマトの苗を混植していたので、トマトの枝が残っている。
(枯れても根っこは引っこ抜かない。これは重要)
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この子達のお母さんルッコラは、すごくパワフルで、寒さにも、暑さにも、じとじと雨にも、極度の乾燥にも強く、ナメクジにもやられず、大きく大きく育ったので、そのこぼれ種から芽吹いたものを放置、あるいは畑のあちこちに移植したら、それがさらに第三世代を生み出したのでした。

日が当たる良い場所なので、すぐに大きくなって孫にあたる種子をあちこちに飛ばし、今はこんな感じ。数えてないけど、大体25株はある。
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つまり、こぼれ種の第三世代。
生命力が強くって、芝生の中からも芽吹いているのが分かるかと。
ルッコラは他のアブラナ科の野菜と交配しやすく、前のルッコラはかなり野生化してしまったので、このルッコラは近くにアブラナ科を植えないようにして元の品種を保っている状態。

袋を被せればいいだけだけれど、下にも書くように、なるべく人の手なしに回ることを追求したいので、袋も寒冷紗もやめた。

昨日と今日の作業は、これらの赤ちゃん株をさらに畑のあちこちに移植する作業。
そのプロセスで大きくなりすぎた葉っぱを摘んでサラダへ。
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自給を下手なりに目指してきた十数年近くの経験からいうと、生業として農をやるのでなければ、食べると育てるが連結して同時進行しないとどうしても上手くいかない。時間の割き方、日々のケア、やる気・・・あらゆる意味で。

この家にきたとき、「お花のきれいなイングリッシュガーデン」だった。バラもアジサイもしゃくなげもチューリップも素晴らしく美しい。
あちこちにある盆栽風の緑もきれいだった。

でも人の手を入れないと、すぐにみるも無惨な状態になってしまう。
虫や病気の発生源にもなって、とにかく手が回らない。
でも、家の誰も手伝ってくれない。

「美しさ」のために汗をかけるかどうかは、万人にとって同じではない。
家の掃除にかける努力が違うように。

でも「食べること」は別。
万人が食べなければならない。
しかも、野菜が高い国に住んでいて、畑に「食べられる草たち」いるとすれば。
(*私たちは所謂「野菜」以外のものも食べる。また詳しく紹介します)

私が畑に出れなくても、「食べるために摘む」というプロセスの中でケアを他の人にもしてもらえる。そこの違いはとっても大きい。

そもそも、サラダだって、ルッコラだって、ハーブだって、花を咲かせる。
うちのサラダ菜の花は青くて、ルッコラは白くて、ズッキーニは黄色くて、本当にきれい。もうすぐローズマリーが薄紫の花を咲かせる季節。

だから食べられるものを増やす・・・これが一番理にかなっているのです。
そして、自然が勝手に次世代を準備してくれるメカニズム。
つまり、理想は野草。
野草は勝手に生えて、勝手に次世代を再生産し、繁殖します。

私は、その野草たちも食べるし、お茶にしているのですが、野菜にも応用しようと試行錯誤してきました。実験的な追求も、「ナメクジ王国」なので、やれるものは限られてはいるのですが。

中でも、この「ママ・ルッコラ」と「黄色いトマト」は凄まじい。
もう一つすごいのが、スイスチャード(日本ではフダンソウ)。
「普段草」と呼ばれるだけあって、こちらも生命力が強い。

3年前の冬に蒔いた種から、現在4-6世代目。
大量に投入していた落ち葉をよけてみたら、元気いっぱいに育っていました。

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どんな風に増えていくかというと、どんどん大きくなる茎があって、そこに花がつき、種が鈴なりになるんです。それが風に揺られて地面に落ちて、ある時、雨や気候などの条件が気に入れば、勝手に芽を出してくるんですよね。

今回は密集しすぎたので種のついてる茎をカットして、たねを取り出しもせず、そのまま別の畑に持っていって、パンパーンとたたいてバラまくだけなんです。その直前の様子。

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もちろん、真冬なんで芽を出したりしないし、霜が降りるから本来、春まで待ってからやったほうが良いのですが、自然状態でこれだけ育つので、同じようにやってみようというのが私の実験。念のため、この状態のものを別途5本ぐらい保管してあるのでご心配なく。

ちなみに連作障害とかは、常に周りにたくさん別のものを混植しているので、いまのとこる出ていません。実感として、1年草であれ、それぞれの植物には好きな場所があって、そこなら何度でも気持ちよく芽を出して、大きくなる。でも、別のところでは同じというわけにいかないことも。

でも、「ママ・ルッコラ」や「ママ・フダンソウ」から分けてもらった子どもたち、孫たちを、畑のあちこち、特に家から最も遠いところに連れていくことで、冬の間も誰かにケアに来てもらえる(必要に応じて)機会を増やそうとしています。モノトーンの風景に青々したこの子たちがいると、なんだか気持ちが和らぐし。

フダンソウには、写真にある赤のアクセントのものだけでなく、黄色のアクセントのものもあって、それも楽しい。霜が降りても、雪が降っても、そこにいてくれる。「ありがとう」と声をかけたくなる、そんな存在です。
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しかし、これが可能になる条件が一つだけあります。
それは、「たね」。

土が大切ではないというつもりはないですが、「たね」は私のような自然任せを種まきまで任せたいと思っている人間には、「たね」なくしては何も成り立たないと実感しています。

遺伝子組み換えや市販のF1の種子では、次世代にすら向かえません。
気温・肥料などの条件を揃えてあげなければきちんと育たないだけでなく、環境の変化や病害虫に弱く、なにより採取した種子を植えても同じようには育たないようになっています。

私の植えたママ世代の種子は違います。

たねからたねへ、ひとからひとへ、自然の中で時間をかけて育てられ、一粒、ひとつぶ、選ばれ、集められた「たね」だからこそ、自ら生き延び、次世代を残そうという、生物の命・種子本来の生存戦略をまっとうしようとします。私がしたいのは、「その本来の力に懸ける」ことなのです。

モザンビークの農民女性にもらったササゲの種がヤバいぐらいの発芽率で、問題なくドイツでも育つことが示しているように、種子を買わず、交換や自家採取で残してきた種子のもっている生存力の強さは凄まじいものがあります。

もちろん、わざと悪い条件を揃えるなどはしないのですが(なるべく、その子たちが好きそうな環境に植えてあげようとはする)、あとは任せるだけ。

しかし、ドイツのこの地方、この畑にマッチした「たね」に出会うのは至難の業です。4年目になり、いろいろな人のいろいろな「たね」を試し続けてきました。

正直なところ、ダメになった「たね」もかなりの割合であります。
それは、振り返ってみると、これが理由かなと思います。

1)霜が降りなくなってから夏までの時期、夏が短いこと。
2)夏がいきなり終る(8月10日はもう秋)。
3)夏以外はずっと雨が降っていること。
4)露地蒔きではナメクジにすぐやられること。

でも、1株だけでも生き延びて種子を残してくれれば、その種子はこの環境に適した種子ということなので、次の世代、そして次の次の世代は、どんどん育てやすくなるのです。

そうやって生き延びた1株から増やしているのがディル、ドイツ・シソ、ケール。
カボチャは最初から問題がなかった。

日本で食べられている野菜類はやはりある程度のケアが必要で、最初から熱心に取り組んでなかったのだけど、今年はここに適した「たね」に育てることを目標に試行錯誤そてみようと思う。去年からそうするつもりが、手術と療養から戻ってきたら、すべて食べられた後だった・・・・。家族への周知徹底も、種子を残すには重要ですね。

しかし、世界的に種子の増殖や自家採取への法規制が強くなっています。種子と向き合うこと15年ほどで実感するのは、「よい種子を一度手にできれば、後の大体のことは大丈夫」ということこそが、アグリビジネスにとって都合の悪いこと。なぜなら、種子を売り続けることも、それに付随して化学肥料や農薬を売り続けることもできないから。

逆にいうと、「種子」さえ農家に売りつけられれば、それにマッチした肥料や農薬がないとちゃんと育たないために、農家を従属させることができる。だから、農家を企業やシステムに隷属させたければ、まず最初に「種子」を使わせないといけないのです。

このカラクリに気づいた人達が「遅れているから」ではなく、このような支配への抵抗として「私たちの種子」を守り、使い、交換しています。そのことを、11月20-22日まで東京で開催した3カ国民衆会議では伝えようとしたのですが、伝わったでしょうか?

特に、2日目の1部
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
そして、種子の交換会
http://triangular2018.blog.fc2.com/blog-entry-33.html

日本のJICAがモザンビークで進める「プロサバンナ事業」では、自家採取する人が8割を超えているモザンビーク北部で、「改良品種を普及する」ことに熱心に取り組んできました。マスタープランのレポートでは2030年までに農家の3割を転換する目的まで掲げられていました。

このことに関する小農リーダーたちの声は改めて紹介します。
またしても長くなったので、今夜はここら辺で。



by africa_class | 2019-01-04 05:18 | 【食・農・エネルギー】